あの頃の太陽
ベネディクトとの会話を切っ掛けに、リディア奪還の決意を固めたアーサーは方伯の援助を受け入れ、挙兵の準備に入った。後に大陸軍と呼ばれることになる多国籍軍はこうしてその第一歩を踏み出したのであるが、このときにはまだ参加者は殆ど居らず、軍とは言っても寂しいものだった。
ともあれ、アーサーはこの後サリエラに再度の面会を申し入れ、幾ばくかの情報交換と資金援助の約束を取り付けたあと、詳しいことはまた日を改めてと言うことで、その日はお開きとなった。
サリエラはアーサーの素早い決断に安堵の息を漏らすと、このことを早く方伯に報告したいと言ってそそくさと退席していった。体調が優れず退席した彼に朗報を伝えることで、少しでも早く元気になって欲しかったのだろう。実際問題、方伯が倒れれば、それだけ人類社会が乱れるのは間違いないだろうから、出来るだけ彼には心安らかにいて欲しいものである。
サリエラと別れたあと、アーサーはその日はもうやることもないだろうと、清々しい気分で宿屋へと向かった。すると、すっかり忘れていたのだが、ほったらかしにされていた子供たちがすっかり退屈しきっており、彼が帰ってくるや不満を漏らして揉みくちゃにされた。
存在を忘れていた手前怒るわけにもいかず、アーサーは素直に謝ると、当初の予定通り子供たちに服を買ってやるため、古着屋巡りをすることになった。ついでに手芸屋でアップリケを大量購入すると、子供たちにどれを付けて欲しいかリクエストを聞いて、その晩は徹夜で子供たちの洋服に素敵なアップリケを付ける作業に没頭するのであった……
深夜。
ドカッと目の前で火花が飛び散って、アーサーはテーブルに鼻をぶつけた痛みと共に目を覚ました。ツーンとする鼻を指で押さえ、涙目になりながら目をこすると、そこは宿屋のリビングだった。どうやら裁縫をしながらウトウトしてしまったらしい。
さっきまでアーサーの周りを子供たちがウロチョロしていたと思ったが、気がつけば辺りはすっかり静かになっており、部屋の電気も消されて真っ暗だった。
どのくらい眠ってしまったのだろうか。時計を探してみるが見当たらない。さっきから喉の渇きを覚えていたので、水分補給がてらに食堂へ行こうと立ち上がると、アーサーは宿屋の廊下に出た。
時計を見るまでもなく、フロントが無人であるなら日付は変わっているのだろう。子供たちのアップリケはあとどのくらいあったかなと思いながら、そのフロントの前を通り過ぎて食堂の方へと向かうと、目的地から灯りが漏れ出してくるのが見えた。
まだ誰か起きているのかな? と近寄ってみると、
「もう、ママったら、そんなに泣かないでよ……」
中からアトラス親子の声が聞こえてきて、アーサーは立ち止まった。
「良かった。本当に良かった。あいつ、生きてやがったよ……アトラス。本当の本当に、間違いじゃないだな?」
「もちろんよ。私、パパの足がちゃんとついてるの、この目で確かめたわ」
「嘘みたいだ。まるで夢でも見てる気分だよ」
「もう、ママが絶対に生きてるからって、そう言ってずっと探し続けてたんじゃない。自分が信じないでどうするのよ」
「そう言ってないとやってられなかったんだよ。本当はどこか諦めてた。似てるかも知れない……なんて情報だけで追いかけるなんて、ただの未練だろう。バカバカしくて。だけど、本当に諦めなくて良かった」
時折、ズルズルと鼻をすする音が聞こえてくる。アーサーは二人の邪魔をしちゃいけないと思い、そっとその場から立ち去った。
ランは殺人鬼みたいな目つきをしているが、付き合ってみるととても優しくて面倒見が良い女性だった。こんな救いのない戦線で戦い続けてると言うのに、アトラスが変にひねくれたりせず、まっすぐに育っていることからも、その人格が窺い知れる……まあ、オカマ野郎ではあるのだが。
本当はずっと不確かな情報に振り回されて不安だったようだ。その苦労が報われて良かったなと、アーサーはそんなことを考えつつ、宿の外へと出た。
ビテュニアの夜は投光機の灯りがない分、前線よりも少し暗く感じた。それでも都会らしく、どんな細い道にも街灯が点っており、深夜であっても道を歩くことに苦労はしなかった。
喉の渇きを覚えていたアーサーは、確か宿屋から少し離れたところに井戸があったことを思い出し、散歩がてらに少し考え事でもしながら歩いて行こうと足を向けた。街灯の明かりはあれど人気はなく、街は寝静まっていた。
昼間の会談で、早急に挙兵をすることを決めたわけだが、具体的にこれから何をやっていけばいいだろうか。アーサーは最高指揮官とは言え、経験が全くなかった。
帝王学を学ぶ上で、用兵も当然のように叩き込まれたアーサーだったが、正直なところあまりいい生徒では無かったから、その辺は大尉に任せたほうがいいだろう。
問題は、この軍隊の移動手段だが、リディアを目指すには海を渡らねばならない。となると今は廃墟になっているヘラクリオン港を軍事基地にして、船の方はコルフに持ちかけてみるのがいいだろう。そしてどこへ上陸するか、ガッリア大陸に斥候も飛ばさねばならない。その人選はエリックにやらせよう。確か元帝国軍人の漁師に知己があったはずである。
まあ、まだ兵士が居ないのだから捕らぬ狸の皮算用というやつであるが……
その戦力になりそうな兵士にしたって、具体的にどのくらい集まるのだろうか。今のところ協力を約束して貰えそうなのは、ラン親子の私兵(エリオスの部下や元帝国軍人)と、サリエラ率いるティレニアの衛士。それから方伯に推挙された、ブレイズ領の兵士である。
アスタクス方伯の懐刀と呼ばれた故ブレイズ将軍は、アスタクスの貴族にしては珍しく徴兵ではなく正規軍を保有しており、その軍規は方伯の目指すところと一致してるそうである。つまり、昼間城で見た兵士たちとは違って対エルフ戦に特化しており、普段から塹壕掘りと弾幕張りの訓練をしている即戦力だそうだ。
惜しむらくは将軍が亡くなっていることだが、現当主も父親に負けず劣らずの忠臣であり、アーサーの軍と合流すれば信頼のおける部隊になるだろう。ただ、これだけ集めても、まだ合計でも1000人に届くか届かないかといった程度なのである。
1000人という数字が多いか少ないかは言うまでもない。エルフや魔物が跳梁跋扈するリディアでは、絶望的な数字であろう。何しろ1000人なんて魔王一人分の戦力でしか無いのだ。仮に魔王の元までたどり着けたとしてもお話にならないだろう。
なんとかせねば……
しかし、具体的な方法はこれといって何も思い浮かばない。せめてエルフに通用する武器があればいいのだが、今のライフルだけでは弾かれてしまってどうしようもない。戦術も防戦を基本としているので、攻めるとなるとどうすればいいものか。
もしくは魔法使いを集めて戦い方を根本的に変えると言う方法も考えられる。エルフや魔法使いの障壁はあらゆる物理攻撃を弾くが、ずっと展開してられるものではない。攻撃や防御の合間に必ずすきが出来るのだが、今は複数でそれをカバーしているから、どうにもならなかった。だが、魔法使いなら一人で一体を釘付けにすることが可能で、二体以上で現れるエルフを孤立させることが出来るはずだ。
尤も、そのためには銃弾飛び交う戦場で先陣を切らなければならず、ものすごい勇気が試される。ところが魔法使いは基本的に貴族であるから、命を惜しんでなかなか協力してくれるとは思えなかった。ベネディクトの部下である、フランシスとかいうモブ男はやる気みたいだったが、エルフどころか、聖遺物狩りにやられてるようではあまり期待できないだろう。しかし殆どの魔法使いがそんなものなのだ。
アンナくらい剣も使える魔法使いがもっと居れば良いのだが、そんなのがほいほい居れば初めっから誰も苦労しない……
と、そこまで考えた時、アーサーはふと思いついたように独りごちた。
「いや、居たな。剣聖だ……」
そんな風に考え事をしながら彼が暗い夜道を歩いていると、前方からポロンポロンとギターを爪弾く音が聞こえてきた。人通りの途絶えた深夜の町中で聞くそれは、前線の子供たちの集落でもよく聞いた馴染みの曲だった。
アーサーがテクテクとギターの聞こえる広場まで歩いていくと、噴水に腰掛けたアンナがちらりと顔を上げてから、すぐにバツが悪そうに視線を伏せた。多分、昼間勝手に居なくなったことを気にしているのだろう。彼は責めたりしないように、淡々とした口調で彼女に言った。
「こんな夜更けに一人で何をやってるのだ。宿の場所が分からないのであればついてこい。案内してやるぞ」
するとアンナは首を振って、
「さっきお腹が空いて食堂に行ったら、大尉とママが居たから……」
「ああ、なんだ。俺と同じか」
アーサーはそう言うと、彼女からちょっと間を開けて、同じように噴水の縁に腰掛けた。それを見て、アンナはポロンポロンと演奏を再開する。
「昼間はどこに行っていたのだ? 宮殿へ行きたくないのなら無理強いはしないのだから、せめて一声かけてくれ。心配するではないか」
するとアンナはギターを弾く手を休ませること無く、
「……お祖父ちゃんは元気そうだった?」
と尋ねてきた。アーサーはその意外な言葉に、ほんの少しばかり首を傾げた。この様子からすると、彼女は方伯のことをなんやかんや気にかけているようである。5年前……9歳かそこらで家出をして、そのまま一度も帰ってきていないという話だから、よほどここへくるのは嫌だったのだろうと思っていたが、考えても見ればアンナはビテュニアに来ること自体、全く嫌がらなかったし、アーサーが方伯の力を借りると言ってもゴネたりなんなりしなかった。
もしかして彼女は、本当は帰りたいのだろうか? そんな馬鹿な……と思いはすれど、十分あり得るとも思えてくる。彼女の境遇を色々と知った今となっては、その胸の内は計り知れないのだ。
4歳か5歳で、ある日突然お前は魔王の娘だと言われ、本当の祖父だと思っていた人とは血のつながりがなくて、その実の父親にたった一人の肉親であった母親が殺されたのだ。おまけに信じていた剣聖に裏切られ、気がつけば血縁者が全く居なくなった宮殿で、魔王討伐の切り札のような目で見られ始める……幼い子供に、どんな葛藤があっただろうか、心を閉ざすには十分すぎるだろう。むしろ今、普通の女の子みたいに振る舞えていることの方が不思議に思えてくるくらいだ。
ともあれ、方伯のことが気になるなら、何も意地悪して隠すようなものは何もない。アーサーは昼間あったことを話してやった。
「侯爵様は90歳を越えたとは思えぬほどカクシャクとしておられたぞ。俺はまったく覚えてなかったが、実は赤ん坊の頃にビテュニアに来たことがあったらしく、そのときのことを話してくれた。もしかしたら、俺たちはその時に出会っていたかも知れないな。だとしたら俺と貴様も幼馴染だったと言うわけだ」
「……そうなんだ。あまり嬉しくないけれど」
「失礼な……まあ、そんな感じでなごやかに会談が始まったのだが、魔王討伐の話になったら一転して興奮なされてな。侯爵様は元気なのだが血圧が高いらしくて、興奮のあまり体調を崩され、そのままご退席になられた。もう落ち着いていられるなら良いが……」
珍しく、ギターを爪弾く彼女がミスをした。やはり、色々と気になっているらしい。そんなに気になるのなら、宮殿へ行ってみればいいだろうに……長いこと家出していたせいで、今更バツが悪いのだろうか。アーサーは黙って続けた。
「俺は魔王討伐をするにしても、足元が固まってなければ失敗すると言ったのだが、侯爵様はそんな悠長なことでは駄目だとご立腹なされてな。金はいくらでもくれてやるから早く挙兵しろと言っていた。おまえはどう思う?」
「……無理だね。それでどうにかなるなら、フリジアの前線はとっくに解放されてるよ」
てっきり、自分ひとりが魔王の元へたどり着くなら問題ないくらいのことを言ってくると思ったのだが、アンナは意外にも戦況分析をしっかりしているようだった。彼女の言うとおり、今のままリディアに渡って、どこかに橋頭堡を作れたとしても、そこから先に進めないだろう。人類には、エルフを効率的に退治する方法がないのだ。それをフリジア戦線が証明している。
「そうだ、無謀だ。だから俺は最初、断ろうかと思ったんだ。だが、悩んだ末に引き受けることにした」
「……どうして?」
「本当に時間的余裕がないのだよ。俺が援助を受けられるのは、侯爵様が生きておられる間だけだろう。それは彼が亡くなられた後、彼ほどの権力と求心力を持った者が居なくなってしまうからだ。エルフは相変わらず人類を襲い続けるだろうが、エルフと戦う者が居なくなる。そしたら人類は勝手に自滅するだろう。侯爵様はそのことを憂えておいでだった。きっと本来なら、ご自分で挙兵なさりたいくらいだろう。だが知っての通りのご高齢で、もはや戦場へ出ることは叶わん。そこで俺みたいな青二才なんかを、最後の希望だと縋っておられるのだ」
なんやかんやアーサーは、出自がリディア王家と抜群の知名度を持っており、魔王の居城リンドスの正当な領有権を持っている。リディア奪還という名目は、人々のロマンをくすぐるだろうし、兵を惹きつける大義名分としてはうってつけなのだ。
「だから俺も、これが最後のチャンスだと思っている。現状、無謀としか思えない作戦だが、少ない時間で可能な限り戦力を整え、速やかにリディアへ渡る算段をつけねばならない。恐らく参加する兵士一人ひとりが実力以上の力を発揮しなければ勝ち目はないだろう。そして能力が高い人物ほど、負担が重くなるはずだ……つまり、一番割りを食うのは貴様ということになる」
アーサーはそう言うと、アンナの顔を真剣に見つめながら、
「俺はここへ来るまで、様々な人から魔王のことを聞いてきた。そして貴様の境遇や事情も、それなりに理解しているつもりだ……その上で改めて問うが、アンナ。貴様は実の父親と戦うことが出来るのか。魔王にも魔王なりに理由があったのだ。リディア最後の日の話を聞いただけでも、人類に反旗を翻すのは仕方ないことだったと思う。なのに、実の父娘が殺し合うなんて忍びない。おまけに、俺は貴様に必要以上の負担を強いようとしているのだ……馬鹿馬鹿しいじゃないか。俺は、貴様が降りると言っても恨まないぞ」
その言葉を受けて、アンナはすこしふて腐れた表情を作った。だが、アーサーの顔が思いの外真面目だったから、きっと真剣に聞いてるんだと思い、正直に答えた。
「心配しないで。何を言われても私は魔王を討つ。その決意は揺るがない。大体、私は魔王のことを父親だなんて一度たりとも思ったことはないんだから、もう二度と言わないで欲しい……だって、魔王は私のお母さんを殺した……もし本当の父親なら、お母さんを殺すわけないじゃない。私は魔王を許さない。必ずこの手で敵を討つわ」
「そうか……ならばもう問うまい」
「アーサーこそ、そんなことでいいの。あなたがやろうとしてることは、私に遠慮して成し遂げられることなの。もしそう思ってるなら、私は一人で勝手に行動するわ。あなたについて行っても無駄だから」
「別に弱気になっているわけじゃないのだ。寧ろ逆だ。本当に魔王と向かい合った時、貴様は魔王と戦えるのか。俺は、俺の軍隊で最強の兵である貴様を魔王にぶつけるつもりで居る。そうなった時にはもう、後戻りは出来ないのだ」
「そう……余計な心配ね」
「そのようだな。貴様の考えは分かった。もう遠慮なんてしないさ。ならば俺は貴様に魔王討伐のため、最初のお願いをしようと思う」
アーサーが改まった口調でそう言うと、アンナは訝しげに首を傾げた。一体、何を言い出すのかと思いきや……
「アンナ。俺と一緒に、剣聖に会いに行こう。彼女に今のリディアのこと、そして魔王のことを聞き出し、仲間に加えるのだ」
アーサーの言葉に、アンナは露骨に眉をしかめた。
「……何を言ってるの? あなた本気? たった今、あなたは私に魔王と戦えるのかと尋ねたはず。その原因を作った相手に会いにいかせたり、おまけに仲間にするっていうの?」
「一言一句その通りだ」
「話にならない。お断りだわ」
「いや、どうしても来てほしい。今まではどうせ貴様と反りが合わんだろうから、剣聖の話題は避けていたのだが、やはり俺の軍隊に彼女は絶対に必要なのだ」
「だったら一人で会いに行けばいい。私は知らないよ」
「それじゃ駄目なのだ。剣聖は魔王討伐へと向かい、結果的に失敗した。その後、10年もの月日が流れたと言うのに、未だに人目を避けて隠遁生活を続けている。そんな彼女に俺が協力しろと言ったところで、断られるのが落ちだろう。だがアンナ、貴様が居れば話は別だ。彼女は貴様の母上を巻き込んだという負い目から、俺に協力せざるを得ないだろう」
アンナは言葉を失った。そしてアーサーの瞳をマジマジと覗き込んだ。こんなことを言い出す性格ではなかったはずだ。何かの間違いかと思ったが……
「だからついてこい。貴様の協力が必要だ」
しかし、アーサーは普段通りの表情で、自然とそう口走っているようだった。まるで人の変わったようなセリフに、アンナは眉を顰めて言った。
「それは……いくらなんでも卑怯じゃないの?」
するとアーサーは無言で頷いてから、
「俺もそう思う。しかし妥協は出来ないのだ。俺はこれから、数千人、いや数万人の兵士を率いてリディアへ渡る。そこはもう人間の世界ではなく、エルフや魔物が蔓延る別世界、失敗したらみんな死ぬだろう。もはや自分だけの問題じゃないのだ。疑問があれば解決し、迷いがあれば憂いを断つ。万難を排して望まねば、勝機はない。利用すべきものは全て利用する。俺にはアンナの魔法だけではなく、剣聖の経験と力が必要なのだ」
その言葉に彼の決意を感じ取ったアンナは、少し気圧され唸り声を上げた。彼の言葉は理にかなっていて説得力があった。だが唯々諾々と承諾するのも癪で、アンナは唇を尖らせながら言った。
「アーサーは……なんだか、ちょっと変わったね」
「変わったのではなく腹が決まっただけだ。リディア奪還のためなら、方法は問わん」
「私が拒否してこのまま居なくなったらどうする気なの?」
「そんな心配は全くしていない。仮にそうしたところで、探し出して何度でも口説くだけだ。そして貴様は応じることだろう。魔王へたどり着くには、俺を利用するのが一番なのだ。俺は何としてでも貴様を魔王の元へ送り届ける。お互いの目的のための共同戦線なのだから、利用し合えばいいのだ」
アーサーは真剣な表情で、有無を言わさぬ勢いで言った。
「だから協力しろ」
しれっと言い切るアーサーと向き合いながら、アンナははぁ~っと長い長い溜息を吐いた。正直なところ、剣聖と会うのは嫌で嫌で仕方なかった。だが、彼の言うことにも納得が出来た。
考えても見れば、剣聖から話を聞いたのは10年前、4歳のころの話だ。その時は自分も興奮していたし、母が殺されたときの詳細はよく覚えていない。実を言えば、死地に向かった彼女が逃げ帰ってきたことに、今はそれなりの理解も出来るのだ。だから、この機会に、ちゃんと聞いてみたい気もしていた。いや、利用し合おうと言うのであれば、アーサーに聞きに行かせればいいだけなのだ。
「はぁ~……わかった。お母さんの話は私ももう少し詳しく知りたい。その代わり、私は剣聖と一緒に戦わないよ。あの人と、肩を並べて戦うなんて出来そうにないから。彼女の加入がどうしても必要なら、私の知らないところで、あなたが勝手に口説き落として」
「それでいい。了承した」
アーサーの言葉を聞き届けてから、アンナは弾いていたギターを担いで立ち上がった。彼が来てから結構な時間が経った。そろそろ、ラン親子も食堂から居なくなってる頃だろう。
宿へ向かって歩いていると、後ろからアーサーもついてきた。何となく嫌な気分だったが、同じ場所に帰るのだから仕方ない。案の定、彼はその帰り際に、要らぬことを言ってきた。
「昔のことに決着をつける気があるのであれば、侯爵様にも会ってきたらどうだ」
「……私相手に交渉ごとが上手くいったからって、気が大きくなってるのかな?」
いや、ズケズケと物を言う性格は元からだったか。従者いわく、彼は考えなしの無鉄砲なのだから。アーサーは肩をすくめて、
「そんなつもりはないのだが……さっきから話をしてる限りでは、貴様はお祖父様のことを気に掛けてるじゃないか。家出が長くなりすぎてバツが悪いと言うのはわかるが」
「別に、そういうんじゃないよ。私は侯爵家とは何の血のつながりも無いから、遠慮してるだけ」
「そうなのか?血が繋がってなくても、家族は家族だろう」
「それは、本当の家族がいるから言えることだよ……」
そう言われてしまうとアーサーには何も言えなくなった。確かにアーサーは父親と死別しては居るが、優しい母親は生きているし、祖父母も大勢の従兄弟もいる。それに比べて、アンナは母親以外に血縁と呼べる者が、世界中のどこを探しても居ないのだ。辛うじてそれらしいものが居るとは言っても、それが人類の敵だとしたら、どんな気持ちになるだろうか。
「そうか……」
アーサーは口が過ぎたかなとしんみりしてしまった。だが取り敢えず何か言わないとと思い、
「でもまあ、こっそり会いに行くくらい、良いんじゃないのか。俺と違って、アンナは追い出されたわけじゃないのだろう? 逆に侯爵様は、お前に帰ってこいって探しまわっていたそうだが」
「…………」
「会いにいけるのであるなら、行ったほうが良いと思うぞ。リディアに渡ったら、もしかしたら俺達はもう帰ってこれないかも知れない。すると今生の別れが5年も前の、貴様が家出した時になるんだぞ。それでは忍びなかろう」
「……かも知れないけど」
「侯爵様はご自分の健康を気にしておられた。あと何年生きられるか分からないと。医者はまだまだ長生きすると言ってるそうだが、実際にはそんなことわからないだろう。俺の曽祖父も死ぬひと月前まで、毎日15階建てのビルを昇り降りしてたという。でも一回の事故で風向きが変わったら、あっという間だったそうだ。年をとるとはそういう事なんだろう。だから、元気なうちに会っておいた方がいいぞ。悪いこと言わないから」
「うるさいなあ……アーサー、お爺ちゃんみたい」
「うるさくて結構だ。俺が嫌われることで、貴様がその気になるなら安いものだろう。侯爵様が体調を崩されて退室する際、ぼんやりしながらも、まずアンナはどうしたと尋ねておられた。きっと俺と話しながら、ずっと貴様のことを気にしておられたのだろう」
「そう言う説教はたくさんだよ。それより、お腹が空いた!」
「そうか……そうだな……マイケルを叩き起こして何か作らせよう。俺も小腹が減ってきた」
「……アーサーと一緒に居て、唯一良かったことは、マイケルが居ることだけだね」
「そうだぞ、俺の言うことを聞いてさえいれば、マイケルの飯が毎日食えるんだ」
「アーサーは要らないけどね」
「ほっとけ」
それからの数日間、アーサーは挙兵に向けた準備のために、ビテュニア宮殿と宿を行ったり来たりする生活を送った。
最初に方伯に断られたことだが、当面の課題として戦力を集結するための軍事施設が必要なことは確かだったから、まずはカンディアへの投資をお願いした。ヘラクリオン港を改築して、かつてのように軍港として使えるように整備し直さねばならない。兵を養うための物資を溜め込む倉庫や、ある程度の自給自足も必要だろう。それから港の周りには今は何も無いが、兵士が増えたら慰安施設の一つも必要だろう。遊びたかったらシドニアまで歩いて行けと言うわけにもいかない。島内交通にも目を向けねばならないだろうか。
戦力になりそうな貴族や有力者には、サリエラが当たってくれることになり、ランは一旦シドニアに帰り、議会に報告後、総統の協力とレムリア共和国への橋渡しに動くことになった。
かつて帝国が発見して開拓した新大陸は、今は不干渉主義の勢力が支配する民主主義国家になっている。イオニア国やコルフとの貿易は行っているが、積極的にこちらの大陸と接触する気はないそうだ。
だが、開拓が進み近年判明してきた報告によれば、新大陸はエトルリア大陸の比ではない資源を抱えており、その技術力もイオニア国と同等か、一歩抜きん出ていると言われている。これを味方につけることが出来れば、リディア奪還の夢は現実に一歩近づくことになるだろう。
アーサーたちとの会談を終えた数日後の昼下がり……アスタクス方伯はそんな報告をサリエラから受けていた。
体力的な問題から、人との面会を制限していた彼は、いつも城の中庭に作った温室で報告を聞いていた。ガラスで覆われたそこは、サリエラの研究した植物が生い茂った見事な植物園となっており、気を休めるにはとても過ごしやすい空間であった。
方伯はその中に東屋を作り、陽の光を浴びながら午後の紅茶をするのを楽しみにしていた。かつてはその明るさや暑さで、夏になれば焼けるように眩しかった太陽は、今はオレンジ色に翳ってしまって弱々しい。黄昏時のような空間は、それはそれで味があったが、色とりどりの花はどれも薄灰色に色あせてしまって、ずっと見てると今度は気が滅入ってきた。
彼はそろそろ室内に戻ろうかと思い、飲んでいたカップをソーサーに置き、手近にあったベルを取ろうとしたら、ふと視界の片隅に人影が見えて手を止めた。
侍女たちはこちらが呼ばなければ、勝手に視界に入ることはない。サリエラかな? と思った彼が、よくよくその人物を見てみたら……そこにはかつてのアナスタシアを生き写したような少女が立っていた。
方伯には、彼女が誰かすぐにわかった。別れたときから、だいぶ背丈も手足も伸びていたが、当時の面影はまだたくさん残っていた。
子供の成長は早いな……と思いつつ、もう5年も経ったと思えば当たり前かと、月日の流れる速さを恨んだ。90も越えると、年月があっという間に過ぎ去ってしまう。
方伯は声を出したら逃げ出してしまいそうな臆病な猫にでもするかのように、身を丸くしながらちょいちょいと手招きした。何となく気が乗らないと言うか、バツが悪そうと言うか、いつもしていたように眉毛だけが困った表情の彼女がちょっとずつ近づいてくる。本当に、自分の腕から逃げてしまった子猫のようだった。
不思議なものである。たった一人の少年の登場で、こうも色んなものが変わっていくのか。方伯はこういう奇跡を起こす存在のことを知っていた。
「まるで、勇者みたいじゃのう……」
いつの間にか彼の口から吐いて出た言葉に、アンナが反応する。
「……お祖父ちゃんは、勇者様のことを知ってるの?」
知ってるも何も幾度となく辛酸を嘗めさせられた相手だ。思い出すのも腹立たしい。いくつもの戦場で相まみえ、勇者はいつも小勢でこちらを打ち破った。方伯自身も刃を交えて打ち合ったこともある。いつも負けてるイメージを持たれているが、本当は何度か追い返すことにも成功しているのだ。その時の事は何度思い出してもスカッとする……
そんな彼に勇者のことを聞くなど、普通だったらありえないことなのだが、考えても見れば勇者が活躍した時代などとうの昔に歴史になってしまっていて、今の若い人たちは何も知らないのだ。
そう考えると、自分も年を取ったわけだ。あんなに悔しかったのに、今は勇者を追いかけ馬を乗り回したあの日々が、ただ懐かしく、楽しかったとさえ思えてくるのだ。
「まあ、そこに座んなさい」
方伯はアンナを対面の席に座らせると、呼び鈴を鳴らして新しい紅茶のポッドとケーキを持ってこさせた。ティースタンドに並んだケーキを真剣な表情で選ぶ孫の顔を見ていると、自然と頬が緩んでくる。
だがそんな空気になると、孫はそわそわしてしまうだろう。方伯は好きな子の前で努めて平静を装う男子のごとく目を細めると、
「あの頃の太陽は眩しかった」
昔を懐かしみ、勇者を追いかけ巨大なガラデア平原を駆け抜けた日々の事をアンナに聞かせた。
それは奇しくも剣聖の父親の話であり……
魔王と同一の存在だということを、この時のアンナはまだ知らなかった。
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