宮殿にて
聖遺物狩りの襲撃を受けて重傷を負ったフランシスの治療のために、アーサー達一行はビテュニア宮殿へとやってきた。聖遺物狩りが去ってしばらくすると、ようやく遅れて憲兵隊がやってきたのだが、その事情聴取も兼ねていた。
アーサーは、アトラスが彼のことを父親と呼んでいたことも気掛かりだったが、それよりなにより、その聖遺物狩りの正体を従者たちが何故か知っていて、腰を抜かしていたことのほうが気になっていたので、事情聴取の合間にそのことについて尋ねてみた。
「ほら、シドニアでランさんを紹介した時にも言ったでしょう。俺の昔の上司ってのは、アトラスのお父さんのことなんです。でも、その人は帝国が崩壊したあの日に死んでしまった……」
「死んだと思ったら生きていたのか、それはさぞかし驚いただろう」
するとエリックはブルンブルンと大げさに首を振って、
「いや、そんなレベルの話じゃないんですよ。俺は彼が死んだところをこの目で確かに見たんです。糞みたいに悪党がその首をおもちゃにしていやがった……そんで俺たちは、ビビッて仲間を見捨てて逃げだしてしまった……」
エリックは血が滲むほど拳を握りしめながら、ぶるぶると震えていた。以前、彼らが言っていたトラウマになってる出来事のことだろう。いつものほほんとしている彼らからは想像できないくらいの怒りに気圧されて、アーサーはまずいことを聞いたかもと少し後悔した。
「では、さっきのは見間違いか何かじゃないのか? もしくは他人の空似とか」
「だったら良いんですが、なにしろあの通り特徴的な人ですからねえ。見間違いはないかと……それに、あの後あったことを考えると、まず間違いないですね」
聖遺物狩りが去ったあと、広場には彼のつけていた黒兜と聖遺物が残されていた。憲兵隊がやってくる前に、アーサー達は何か手掛かりが残っていないかと調べていたのだが、アトラスが聖遺物を手にしたときに異変は起きた。
突然、聖遺物を持つアトラスの体が緑色のオーラに包まれた。そして彼は険しい目つきをしながら、その使い方が分かると漏らしたのだ。聖遺物は基本的に一子相伝、つまりそれが使えるということは、聖遺物狩りとアトラスに血のつながりがあると言うことを意味していた。
「すると死人が生き返ったと言うことか? 信じられんな……かつての皇王様くらい伝説のヒーラーでも、流石に一度離れてしまった首と胴体はくっつけられんだろう」
「そうなんですけどね……けど、状況はその信じられないことを示しているというか……」
「うーん。まいったな」
アーサーはなんだか脳みそが痒くなるような思いがして、頭をボリボリと掻きむしった。
「それにしても、お前たちの元上司ってのは一体何者なのだ? なんで聖遺物狩りなんかしてるんだ。お前たちは過去の話をしたくなさそうだから、今まで黙っていたが……いい加減に俺にも教えてくれないか。じゃないと、次またあれに襲われた時、どうしていいかわからんぞ」
「ああ、いや、別に隠してるつもりじゃなかったんですが……言っても理解して貰えないと思ってたんですよ。ほら、以前、俺が剣聖の同僚だったって言ったら、坊ちゃんたまげてたでしょう?」
「あったなぁ~、そんなことも。するとなにか? あれよりも信じがたいことが、まだあると言うのか?」
「ええまあ。簡単に言えば、坊ちゃんに限らず、一般人たちが常識と思ってることは、実は嘘が多いんですよ。事情を知る人が本当のことを話しても、みんな信じられないから、嘘の方が一般化してしまった」
「どういうことだ?」
「例えば、魔王が反乱軍を率いてリディアを襲ったなんて、嘘っぱちですよ。逆に彼の方が、千人からなるクーデター軍に襲撃され、追い詰められたんだ」
「……なんだって? だったら何故、魔王なんてやってるんだ。いや、そもそも、そんなのに襲撃されて生きてる方がおかしいだろう。どうせ嘘を吐くのなら、もう少し現実味のある嘘を吐いたらどうなんだ」
するとエリックとマイケルは落胆したように力なく笑って、
「だからそれですよ、俺たちが本当のことを言っても誰も信じてくれない。坊ちゃんは千人からの軍隊に追われて、無関係な人々が傷つけられて、子供たちが大勢死んで、それでも怒らないでいられると思いますか。それに、あの人はエルフなんてけしかけちゃ居ませんよ。彼が居なくなったから、誰もエルフの進撃を止められなくなった。ただそれだけのことなのに……」
「いや、しかし……本気で言ってるのか?」
「信じる信じないは坊ちゃんの判断にお任せしますよ。だけど、坊ちゃんが魔王と戦うというのなら、本当のことを知っておいてほしいですね。それを聞いたうえで、まだ憎しみの感情しか沸かないのであれば、それはそれで仕方ありませんが、その時は坊ちゃんに味方してくれる人はそれほど増えないでしょう」
それは暗に自分たちがそうだと言ってるようなものだった。彼らは魔王に同情的なのだ。
アーサーは困惑した。ずっと一緒にいたはずの彼らが、そんな思いを胸の内に抱えていたとは想像もしなかった。何故なら、アーサーは今まで何度も魔王討伐を口にしていたが、彼らはそんな彼を窘めるようなことはおろか、反対だってしなかった。むしろ協力的だったはずだ。
つまり、魔王に同情はすれども、討伐しなければならない相手だとも、ちゃんと認識しているわけだ。この明らかな矛盾は一体何なのかと思っていると……
「話が弾んでるとこすまないがね、今はその辺にしときな。坊ちゃんが知りたいことなら、すぐに侯爵様が教えてくれるだろう」
「ランさん! いつ来たんです?」
「私は最初から、アポイントを取るために宮殿に居ただけだよ。そしたらあんたたちがやってきた。どうも私が居ない間に、とんでもないことになったみたいだねえ……さっきアトラスから聞いて、心臓が飛び出るかと思ったよ」
ランはそう言って眉を吊り上げるようにして目を丸くし、三人をじろりと見まわした。そしてエリックとマイケルに向かって、
「アトラスも言ってたけど、あの黒兜は、本当にエリオスだったのかい?」
「……ええ、見間違いじゃなければ。しかし、俺たちは信じられません」
「私にエリオスが死んだことを教えてくれたのは、あんたたちだもんね……私だって疑っちゃいないさ。だけど、信じられないことだらけなのは、15年前から慣れっこじゃないか」
「それは……確かに」
「まだ何があったかわからないが、ここでうじうじしてても仕方ないさ。それよりも、今はみんなが持ち寄った情報をまとめて、これからのことを考えよう。侯爵様がお待ちだ、謁見の間まで案内しよう」
ランは先頭に立って三人を促した。
アスタクス方伯との面会の約束を取り付けにきていたランは、宮殿で知己の宮廷魔術師と面談している最中に、聖遺物狩りに襲われたフランシスが運び込まれたことを聞いて、驚いて駆けつけた。
フランシスは頭を打ったせいで安静が必要だったが、幸い命に別状はないらしく、彼の聖遺物も無事のようだった。そして救護室に一緒にいたベネディクトと面識のあったランは、彼に襲撃時の様子を尋ねてみたら、アトラスもその場に居たことを知って、今度は急いで息子の方へと向かった。
アトラスは未だ取り調べの最中だったが、ランと一緒にやってきた宮廷魔術師が取りなしてくれたお陰で、ようやく解放されたようである。事情を知らない憲兵隊は、案の定、聖遺物狩りのことをパパと呼んで、彼の持っていた聖遺物を使いこなすアトラスのことを疑っていたらしい。
しかし、ランに言わせると、聖遺物狩りがエリオスかも知れないと言うことは、アスタクス方伯も知っていることのようだ。宮廷魔術師はアトラスを解放すると、そのことを方伯に伝えなければと言って、彼を連れて先に謁見の間に行っているらしい。
そしてランは城内に残っていたアーサーたちを迎えに、こっちに来たようだったが、
「ところで、アンナはどうしたのさ。お前たちと一緒じゃなかったのかい」
「アンナは憲兵隊が到着するより前に、いつの間にか姿を晦ましていたのだ。子供たちも知らないと言うから、単独行動だ。よっぽど城に来るのが嫌だったんだろうが……」
その子供たちの方は、アトラスが取ってくれた宿で、憲兵隊が保護してくれている。落ち着きのない腕白が100人近くもいて、面倒を見るのはさぞかし骨が折れることだろう。まあ、アトラスを疑った報いと思えば大して心も痛まない。
ランは眉根を寄せて低い声で唸り、難しい表情をしてみせた。
「うーん……そうか。それはさぞかしビテュニア候はがっかりされるだろうな。久しぶりに孫に会えると思っていただろうに」
「アンナと侯爵は血がつながってはいないのだろう?」
「血がつながっていようといまいと、家族は家族さ。例え嘘でも侯爵は孫としてアンナのことを可愛がっていた。その事実は変わらないからね」
まあ、そうだろうなとアーサーは思った……ただ、当の本人は複雑な家庭の事情もあって、何かしっくりこないものを抱えているのだろう。本当なら二人を会わせてやりたいところだったが、こればっかりは無理矢理連れてくるわけにもいかなかった。
そんなことを考えながら、ランに連れられて宮殿の奥へと向かう。
500年の歴史を誇るビテュニア宮殿は、石造りの荘厳な建物で、華美な彫刻を施された柱があちこちに見られ、その歴史と格式の高さを感じさせた。わざと電化せずに燭台を並べた回廊は、洞窟の中を進んでいるような不思議な感覚を味わわせた。
時折すれ違う侍女たちも、みんなどこか誇らしげで、背筋をピンと伸ばしスカートの裾をチョンと摘まんで、優雅なお辞儀をして見せた。
アーサーも宮殿と名の付く場所に住んでいたが、ヴェリアのミラー家もカンディア宮殿も近代的な建物であり、ここは断然迫力が違った。それは元々、敵と戦うための要塞として建てられたというのもあるだろうが、やはり500年の歴史と言う重みがそう感じさせるのだろう。
重厚な扉で閉ざされた謁見の間の前までやってくると、昔ながらの甲冑を着込んだ騎士達が、儀式めいた仕草で槍を交差させた。文官らしき者に誰何されて名を名乗ると、彼は無言のまま手元の書類を確認し、アーサー達の顔を何度も見てから、そばに居た騎士に合図を送った。
ゴゴゴ……っと、石を引きずるような重い音が鳴り響いて、扉が開くと伝令係らしき男が、まるで透き通るように耳障りの言い声で来訪を告げた。
「カンディア公爵アーサー様! コルフ共和国議員ラン様! 以下2名、ご入場ーっ!!」
謁見の間に一歩足を踏み入れると、そこは今度は光あふれる別世界のようだった。真っ白い壁のところどころに照明がかけられて、電気の光で明るく照らされている。石造りの建物にそぐわないと思いきや、その光が数々の調度品を浮きだたせており、この空間を作り出した職人のこだわりのようなものを感じさせた。
しかし、謁見の間の瀟洒な調度品に気を取られてる場合ではない。目の前にはアスタクス方伯・ビテュニア選帝侯ミダースその人が鎮座しており、少し高い場所に置かれた玉座でアーサー達のことを睥睨していた。
その手前には宝石のちりばめられた煌びやかな杖を手にした黒髪の女性が立っており、さらにその手前には、先に謁見の間に来ていたアトラスが立っている。
4人は部屋の奥へと足を進めると、方伯の前に跪き、頭を下げた。すると、玉座に座っていた方伯は、苛立たしげにこう言った。
「頭を上げんか、馬鹿もんが」
言われてアーサーが顔を上げると、方伯はあきれ果てたといった顔で、彼のことを睨みつけた。アスタクス方伯と言えば、今や皇王よりも実質的な影響力を持っていると言われている、世界で一番偉い王様のようなものだった。そんな人に、いきなり怒られたアーサーは面食らった。
自分の態度が悪かったのだろうか。小さいころに習った通りの礼儀作法のはずだし、周りのランや従者たちのことを見ても、おかしなところはないはずなのだが……
方伯は言った。
「お主はこの場に、なんと言って入ってきた。カンディア公爵と呼ばれておったろう」
「はい。俺が今のカンディア公爵、ウルフの息子アーサーです」
アーサーが誇らしげにそう言うと、方伯はますます呆れたと言った感じに、
「ならば何故膝をついた。お主にはリディア王家の血が流れておるのじゃろう。長いこと国を追われてその自負心すら忘れおったか。お主の父と儂は戦場で幾度も相見えた敵同士じゃった。なのにこの儂に簡単に膝を屈してどうする」
アーサーは言われてハッとなった。アナトリア帝国はエトルリア皇国に国家と認められており、皇王と皇帝は対等の立場。となるとカンディア公爵とビテュニア侯爵も同じなのである。
方伯がそのことを言っているのだと気づいた彼は恐る恐る立ち上がった。そして今度は膝を屈することなく、背筋を伸ばしてお辞儀した。
「それで良い。これからはそうすべきだ。肩書がお主を作るのではない。お主の態度が国の立場を作るのじゃ。誰彼構わず頭を下げて回っては、おまえの臣下が傷つくじゃろうて」
エリックとマイケル、アンナや子供たちの顔が脳裏に過った。自分はカンディア公爵だと言っていつも偉そうに振舞っているくせに、本当に偉い人の前に出たらへえこらしてては、彼らもがっかりすることだろう……
「確かに……お見苦しいところをお見せしました。しかし、俺は父ウルフの子であるだけではなく、ミラー伯爵の孫として、侯爵様のことを尊敬していることもまた事実なのです。その気持ちの表れだったと思ってください」
「……ベネディクトとやらも、そんなしゃらくさいことを言っておったのう。ミラー伯爵家も、今となっては儂と対等の立場であるから、そんなことはしなくていいと言ったのじゃが」
彼と同じことをしたと聞いて、アーサーはなんだかむかむかしてきたが、方伯の手前、その怒りを飲み込んだ。しかし年季の違う彼にはその子供みたいな感情が手に取るように分かるのだろうか、
「ふぉっふぉっふぉ……」
と愉快そうに笑うと、杖を突いて玉座から腰を上げた。
「ミダース様!」
どうやら足腰が弱ってるらしい方伯に、傍に居た女性が手を貸そうとするが、彼は煩わしそうにそれを一蹴すると、よちよちとした歩みで一歩ずつ階段を下りてきて、アーサーの前で立ち止まった。
この世界で最も偉いとされる爺さんが、今度は一体何を言ってくるのだろうかと、彼はドギマギしたが、そんな彼の緊張をよそに、方伯は実に晴れやかな笑みを浮かべて、ガバッとアーサーの体に抱き着き、
「よう来た、よう来た。儂はほんの赤子だったお主に会ったことがあるぞ。お主の祖父が国を作る際、お主はここに汽車に乗って遊びに来たのじゃ。よう笑って、よう泣いた。玉のように可愛かった。あの時の赤子が、こんなに大きくなって……人間とは本当に、摩訶不思議な生き物であるのう」
と言ってハグしながら背中をバンバンと叩いた。
アーサーは、まさかあのアスタクス方伯から、こんなに歓迎してもらえるとは思いもよらず、ただただ感激して硬直していた。気の小さい者であれば、気を失ってもおかしくないだろう。尤も、お付きの女性の方は、方伯のほうが倒れやしないかと心配そうに見つめているようだったが。
方伯と父ウルフは、大陸南部の覇権をかけて幾度となくぶつかり合った好敵手だったと聞いている。お互いに一度は相手を追い詰め、そして最後はアクロポリスで一緒に平和宣言をした経緯もあった。
子供のころからその戦場の話を聞かされて育ったアーサーは、だから方伯はもっと怖い人物だと勝手に思い込んでいた。
ところがこうして会ってみれば、年相応に説教臭くて、背も小さくて皺くちゃの、どこか愛嬌のある好々爺だったのだ。彼の言う通り、人間とは本当にわからないものである。
尤も、それは齢90を越える彼が、それこそ本当に角が取れて丸くなったからなのだが……そうとは知らぬアーサーは、ただ感動して為されるがままに立ち尽くしていた。