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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第一章
32/398

そういうの、もういいから

 リディア西方200キロ。ヴィクトリア峰への道は軍用路が整備されており、およそ20キロ間隔で伝馬制の駅が置かれ、駅にはそれぞれ簡易的な基地が作られている。この国の情報伝達は、この駅を利用した早馬と、狼煙とラッパを組み合わせた暗号通信が主で、簡易的な情報であれば数時間の内に首都まで暗号が送れるそうだ。


 偵察部隊であるブリジットの321小隊は欠員が出ると前線勤務を解かれ、そのまま首都への報告任務を負い、即座に首都へ向け出発、昼夜を問わず馬を替えては駆け続け、なんと一日で200キロを走破したそうである。


 もちろん、これは緊急時であったからで、普段なら人馬の疲労を考えて3日間の行程でゆっくり走破するそうであるが……


「先生、馬鹿なんですか? 普通は、徒歩で行く場所じゃありませんよ」


 但馬が何も考えずに漠然と200キロの距離をテクテク歩いて行こうとしてたのを知ると、ブリジットは幼稚園児にでも言って聞かせるかのように、優しくそれを教えてくれた。


「うっせえな。知らなかったんだよ」


 軍隊は歩いていったわけだし? 歩いてもせいぜい2~3日だと思っていたのだ。初めてブリジットたちと会ったあの海岸で、確か彼女は前線に近いと言っていた。だからせいぜい離れてても4~50キロくらいの距離だと思っていたのだが、実際にはその4倍以上もあったらしい。


 馬に乗せられて、今その海岸付近を通りすぎようとしていた。街からはおよそ10キロちょっとの距離で、周りにあるのは森と砂浜くらいのものだ。ここをもう少しいくと初めの駅があり、そこは街から一番近い砦になっているらしく、この国で最も警戒の強い軍事施設であるそうだった。斧なんか担いで歩いてきたら、とっ捕まるのが落ちらしい。


 夜明け前に街を出て、城門で彼女たちに見つかって、ヴィクトリア峰まで行きたいと言ったら、押し問答の末に、結局彼らが道案内してくれることになった。


 護衛まで買って出てくれて、往復で少なくとも一週間近くかかると言うのに、軍属の彼らが但馬のこんなわがままに付き合うということは、もはや監視していることを隠すつもりもないと言うことか。まあ、それならそれで、こちらも気を使わなくて済むので、黙って厚意に甘えておくが。


 一つ目の駅で馬を乗り換える。但馬は馬に乗れないので、ブリジットの後ろに乗せてもらってるのだが、普通なら意識しそうな体勢なのに、そんなことを気にしている余裕は欠片もなかった。何しろとにかくケツが痛い。先を急ぐと言ったため、結構な速度で走るから、気を抜くとすぐに振り落とされそうになる。


 そんな具合に夜まで走りっぱなしで一日目の宿営地に入り、但馬がパンパンになった足腰をほぐしていると、ブリジットが生前のシモンのことを色々と話してくれた。


「実は、誰にも話していないんですが、先生に出会う前の彼は軍属になろうかどうしようかと迷ってまして、相談に乗っていたんですよ。なにしろ、高給ですからね」


 シモンが軍属に? 似合わないなと思ったが、最後の一言で合点がいった。


「今にして思えば、それも幼なじみの彼女のことを思ってのことだったんでしょうけど……彼は意外と優秀でしたからね。弓も馬もやれて、何より工作が得意だったので、工兵としてなら士官も夢じゃなかったと思います。だから私から上に推薦しましょうか? って一度尋ねたことがあるんですよ。でもまだちょっと踏ん切りが付かない感じで、色々と悩んでいたようです」


 そりゃそうだろう。仮にそうして軍属になったところで、いきなり金が転がり込んでくるわけでもないし、例えば仮に国から借金してアナスタシアを解放したとしても、シモンが戦場では彼女に立つ瀬がない。大体、そんな無茶はジュリアが許さなかっただろう。


「先生に出会うちょっと前は、そんな感じだったんです……でも、ホテルでオプーナの権利を売ってた頃には、そんなことはもう言い出さなくなってました。だから、方針転換したんだろうと思って、特に何も言わなかったんですが……実は、今回の遠征でまた話を持ちかけられまして……」

「え……?」


 今度こそどういう事だろうか? 但馬が首を捻っていると、


「先生と出会って、幸運にも夢が実現しそうになったら、本当は自分がどうしたかったのか、よくわからなくなったんだそうです。もちろん、本気で幼なじみを助けたいと思ってたようですが、現実には金貨1千枚なんて、稼ぐことはまず不可能ですからね。だから軍属になって高給を得ようと思ったわけですけど、でもそれって無責任でしょう?」

「まあ、確かに……」

「それと同じことを、先生に対してやってるんじゃないかって……先生がお金を稼いできてくれるからくっついているだけで……自分はそれを受け取るだけでいい気になっているのは、そんなの先生の友達と言えるのかなと……そう考えたら、今まで自分がやってきたことが、全て無責任でいい加減に思えてきたそうです」


 アナスタシアを助けるというのも、お題目だけで具体性が無かった。あれやこれやと色々手を出したが、そのどれもが本当に彼女の助けになるとは、心の底からは思っていなかった。


「結局、格好だけなんじゃないかと思ったら、自分は本当は一体何がしたかったのか、何が出来るんだろうかと、色々考えちゃったそうです。それで、今回の一件が片付いたら、改めて国のために働けないかなって……」


『なあ先生。あんた、一体何者なんだよ?』


 いつかシモンに言われたことがある。それがそっくりそのまま自分自身に突き刺さった。それが黙って戦場へ行ってしまい、そして奇襲部隊の参加に繋がったわけか……


 但馬はため息を吐いた。


「もっと気楽に付き合ってくれればいいのに。それじゃ結局、俺が追い詰めちゃったみたいなもんじゃないか……」

「そんなわけ無いだろう」


 但馬が弱気なことを言ったら、じっと黙って話を聞いていたエリオスが、重低音を響かせて厳かに言った。


「男が誰かのために戦いたいと思うのは、何も不思議なことではないだろう。特に若いうちは色々と染まりやすいからな。格好つけたって良いだろう。勘違いしたって良いだろう。それが男ってものだろう」


 いつも寡黙な人から、思いのほか熱い言葉が出てきて返事に困った。確かにそうだ。そうだろうけど……それで死んじまったら世話ないだろう……そうは思っても、誰も責めることは出来ないのだ。


「男が自分で決めてそうしたのなら、その行為に悔いはないはずだ」


 結局その後、話は続かず、誰も一言も発することなく過ぎていった。


 頭のなかで、様々な思いが沸き立っていたが、どれも昇華することなくまた胸の内に沈み込んでいくばかりだった。


 移動には丸2日を要し、3日目の朝に現地に着いた。


 岬にあると言うから小高い丘を想像していたが、ヴィクトリア峰は天険とも呼べる、かなりの高さの山だった。


 話に聞いていた通りに、海側の斜面は草木が薄く、山の中腹からは竹林が鬱蒼と覆い茂っている。他方、海と反対側は麓というよりも、山続きの尾根のようになっており、小高い丘には深緑の暗い森が続いていた。


 頂上付近を見上げれば、何か建物が建っており、恐らくあれがリディア軍の前線基地なのだろう。そのリディア軍の布陣は山の向こう側で、こちらからは見えないのだが、両軍合わせて1万近い人間が蠢く熱気のようなものが、山を隔てたこちら側でも感じられた。


「シモンが死んだ場所は? 連れてってくれないか」


 と言うと、ブリジットたちは互いに顔を見合わせて、危険だからやめたほうが良いと言ったが、但馬が頑なにそれを要求すると、すぐに折れて先導してくれた。教えてくれなくても森沿いに進軍したと聞いていたし、勝手に行くつもりだった。多分、その空気を読んだのだろう。


 巻き込んでしまって悪いと思いつつ、馬の手綱を引きながらおよそ3時間ほど、森伝いに山を登って行くと、やがて少し開けた広場に出た。


 いや、元々は広場ではなかったのだろう。焼け焦げた地面と、不自然に折れ曲がった草木が見え、そこで激しい戦闘が繰り広げられたことを物語っていた。恐らく、部隊はここでエルフに襲撃されたのだ。


 その魔法の威力は事件から1週間近く経った今でも、形跡から窺い知れるほどだった。爆撃でもされたかのように地面がえぐれてクレーターになっており、あちらこちらにドラゴンが引っ掻いたような裂け目が見える。恐らくこんなものを食らった人間はひとたまりもないだろう。


 南無阿弥陀仏……但馬は手を合わせて唱えた。ぶっちゃけ、仏教徒でもないのだが、こういう場面で出てくる言葉は自然とこれである。見ればブリジットやエリオスは、それぞれ自分たちのやり方で十字を切っていた。


「さて、それじゃ、行こうか……」

「どこへ行くんですか?」


 但馬は持ってきた斧を掲げると、


「木を切りにさ……」


 と言って、森のなかへとズカズカ入っていった。


 自殺でもするつもりか……? ギョッとしてブリジットたちがすぐに後を追いかけるが、彼は森の奥にずんずんと入っていく。そして手頃な木を見つけると、持ってきた斧でガツッガツッ! と、木を切るというか、削り始めた。


「……先生、なんのつもりですか? 木なんか切ってもしょうがないでしょう。それより、ここは危険です」

「……大丈夫、俺には分かるんだ。まだ誰も近づいて来ちゃいないよ」


 ホンのちょっと斧を振るっただけなのに、滝のように汗が流れた。但馬は腕まくりして汗を拭うと、またヘイヘイホーと木を切り続けた。


「一体、それで何するつもりなんです?」

「別に。ただ単にケツを拭く紙が欲しかったんだ」

「はあ?」

「このクソッタレな森の木に、糞便を始末させてやるんだよ」


 そう言うと、彼はムキになるかのように、より一層力を込めて斧を振るい始めた。まるで野球でもするかのような素振りに、


「……貸せ」


 見かねたエリオスが彼から斧を取り上げると、コーン……コーン……と、リズミカルに木に刃を叩き入れた。


「こう……振り回すんじゃなくて、振り下ろすように斜めにやるんだ。力を入れすぎなくても大丈夫だ、それより正確に同じ場所を狙った方がいい……やってみろ」

「……はい」


 エリオスにやり方を教わった但馬は、今度は拙いながらも、コーン……コーン……と、いい音を響かせて木を切り始めた。はっきり言って非力でへっぴり腰で、いつまでかかるか気が遠くなりそうだったが、二人とも何も言わずに、黙って但馬のことを見守ってくれた。


 やがて木が倒れそうなくらいに切り込みが出来ると、エリオスが再度但馬に変わって斧を振るい、最後は一緒になって木を蹴り倒して枝を払った。そして森の外の広場まで、三人で丸太を担いで持ってくると、


「用事はこれだけだったんですか……?」


 と、ブリジットが聞いてきたので、


「まあね」


 と但馬は答えた。もちろん、そんなわけがない。だが、これ以上は迷惑かけたくないと思い、彼は黙って木を担ぐと麓へと戻りかけ……暫く進んだところで、


「おっと、忘れ物忘れ物……」


 とわざとらしく口走って、丸太を二人に預けて元来た道を戻り始めた。


「先生! 一人じゃ危険ですってばっ!」

「すぐ戻るよ。さっきも平気だったろ」


 心配する声を無視して但馬は森へと入ると、彼らから見えない位置まで来て、右のこめかみの辺りをポンと叩いた。目の前に半透明のステータス画面とミニマップが映る。


 本当は、さっきから気づいていた。


 赤い光点が、木こりの音を気にするかのように、ゆっくりゆっくりと近づいてきているのを……もしかしたら木こりの最中にでも鉢合わせするかも知れないと思ったが、どうやらこちらから出向いた方が早いらしい。


 但馬はさきほど木こりをしていた場所を通り過ぎると、更に奥のほう、紅点が指し示す方へと慎重に歩いて行った。ここから先は出たとこ勝負だ……だが、はっきり言って恐怖は全く感じなかった。エルフでも亜人でも魔物でもなんでも来い……


 しかし……


「ちっ……」


 彼は舌打ちすると背後を振り返った。2つの赤い点が背後から近づいて来ていたからだ。恐らく、但馬を追ってきたブリジットたちだろう……彼女たちは但馬の姿が見えないことに気づくと、きっと騒ぎだすに違いない。


 どうする? 一旦戻るか……


 しかし、その必要は無かった。


「OaaoAAAoooooooAAAAoooaaaaaoaoa」


 突如、鼓膜を破りそうなほど耳障りな奇声と共に、あたりの木々が風もないのにざわめきだした。鳥が一斉に羽ばたき、小動物が恐れをなすかのように慌てふためいて逃げていく。こんなにもこの森には生物が居たのかと唖然となる。


「先生っ!!」


 背後からブリジットたちが駆け寄ってきて、そして、目の前の紅点も、今までのスピードが嘘だったかのように、まるで飛ぶような速さでこちらに近づいてくる。ブリジットたちは巻き込みたくなかったのだが……もはや、ここで迎え撃つより他ないだろう。


 やがて、その2つの紅点が但馬のもとで重なった時……


「なんだ……あれ……」


 但馬の目の前に、明らかに人間とは違う、不気味な二足歩行の生物が突如として現れた。


『xwacwt.Hermaphrodite.Mutant, 128, 30, Age.537, Alv.1, HP.1928, MP.312,,,,,,』


 顔色は異様に青く、寧ろ紫と言った方がいいくらいで、頭髪は真っ白。耳が悪魔のように尖っており、切れ長の大きな目と、スラリと鼻筋の通った顔は、ものさしで計ったかのように左右均等で、まるでCGでも見てるかのような気分にさせた。


「迸倶椏れセろカ」


 そんな不気味な生物が、聞き取ることも不可能な得体のしれない発音で、何かをぶつぶつ唱えたかと思うと……空間がグニャリと歪んだ。


「あぶないっ!!」


 ドカッと背後からブリジットが飛んできて、但馬を蹴り倒した。


 彼が今まさに立っていた空間を、レーザーのようでいてそうでない、何とも説明しがたい光の束が通り過ぎて行き……やがてそれは木に当たると炸裂した。


 ズバッ!


 木片が裂けるように飛び散って、但馬の頬をかすめていく。ちくりと痛む頬に手をやったら、血がべっとりと付着していた。


「先生! 逃げてください、エルフです!!」


 焦燥感に駆られたブリジットが悲鳴のように叫んだ。


 ……エルフ? これがエルフだって??


 バカも休み休み言え。こんなのがエルフであってたまるか。


 これはエルフと言うよりも、どう贔屓目に見ても界王神さまにしか見えないぞ。もしくは悪魔っぽい何かだ。少なくとも人じゃない。


 但馬が何を言って良いのかわからないといった顔で呆然としていると、


 ズザザザザザザ……


「ぬおおおおぉぉぉおおおぉぉ~~~~~!!!!!!」


 と、凄まじい声をあげて、巨漢のエリオスが信じられないスピードでそれに向かって突進していった……但馬の持っていた斧を上段に構えて、目にも留まらぬ速さでそれを振り下ろした。


 すると、それの体を覆うように緑色のオーラが立ち込め、


 ドカンッ!!


 と音を立てて、巨漢の突進を、まるで赤子の手をひねるかのように、それは簡単に止めるのだった。


 そして空き缶でも蹴るかのような気安さでそれが彼を蹴り飛ばすと、エリオスは嘘みたいにグルグルと錐揉みしながら飛んでいき……但馬の頭上を飛び越えて木にぶつかり、地面に背中から落ちて悶絶するのだった。


 クハァ……と、空気を全て吐き出してしまったのか、苦しげな表情で手を伸ばすエリオスが、


「……逃げろ……早く、逃げるんだ……」


 悲痛な叫びが但馬の耳に届く。


「クラウ・ソラス!」


 今度はブリジットが二人をかばうように立ちふさがり、それと対峙する。


 彼女が佩刀を引き抜くと、それは緑色の光輝を振りまきながら、小さくブーンと振動音を響かせた。剣の周囲が蜃気楼のように歪んで見える。初めは何を見ているのかさっぱりだった。その圧倒的な熱量は、まるでSF映画のライトセイバーみたいだ。


 なんでそんなもんがここにあんの……? 但馬が唖然としていると、彼女は小さく息を吐いてから、一気に相手との距離を詰めて……


 1合、2合、3合とその剣が相手に肉薄する。


 ブーン……ブーン……ブーン……


 傍から見てる分には地味にしか見えないが、彼女の攻撃はエルフと呼ばれた生物の発する緑色のオーラを面白いように貫いた。それが相手の肌に達すると、青色の液体を振りまきながら、憎らしげな表情を浮かべてそいつは距離を取った。


 すかさず、今度は彼女の体が緑色のオーラに包まれる……


「盟約に従い真理を照らせ四番目の神々よトゥアハー・デ・ダナン!!」


 オーラが剣に集中する。


 彼女は一瞬で相手の間合いを詰め、剣を振り下ろすやそれは莫大な光を放ち、あたり一面を真っ白く染めた。


 あふれる光で目がくらんで何も見えない。


 剣閃が木々をなぎ倒し、森を焼いて突き進んでいく。


 ゴオオオオォォォーーーーー!!!!


 と、容赦無い熱量が周囲から酸素を奪っていった。


「ゲホッ……ゴホッ!!」


 但馬が咳き込みながら成り行きを見守っていると……


「そんな……」


 バキィッ!!


 っと音を立てて、彼女の体が吹き飛んだ。


 ドサッ……ドサッ……ドサッ……


 彼女の体が何度もバウンドしながら、但馬の横の地面を転がっていく。


 しかし血反吐を吐きながらも、なお彼女は剣を杖代わりにして立ち上がると、


「逃げ……て……」


 と呟いて、但馬の前に立ちふさがろうとするのだった。


 なんでそこまでするのだ。逃げるべきは自分の方だろうに……


「……ぷはぁっ!」


 っと、但馬はいつの間にか止めていた呼吸を再開すると……


「いや、そういうの、もういいから」


 と言って、ブリジットの肩をグイっと後ろに引っ張った。


「なっ!?」


 もはや満身創痍であった彼女は、但馬の行為に抵抗すら出来ず、簡単に後ろにひっくり返った。ゴロゴロとでんぐり返った彼女が目をパチクリさせている。普段の彼女だったら絶対にそんなことにはならなかったろう。ほんの数合打ち合っただけでこれだ……この世界の住人がエルフを恐れる理由がよくわかった。


 非難がましい声で彼女が絶叫した。


「何やってんですか! 遊びじゃないんです! 逃げてください、死にますよっ!!」


 などとごちゃごちゃ言っていたが、もう但馬は聞く耳を持たなかった。


 本当に逃げるしか手がないのなら、彼女たちを置いて逃げたところで、どうせ死ぬだろう?


 と言うか、いい加減、ここまで来たら馬鹿でも分かるだろう。恐らく勇者も、かつての聖女も、但馬と同じく異世界から迷い込んだ人間だ。


「良かったよ……ちっぱいの美少女とかだったら後味が悪いと思ってたけど。こんなのがエルフなら、心置きなくやれるってもんだ……」


 ならば驚くべき魔法を駆使してエルフと渡り合ったという彼らと、自分の魔法にどんな違いがあると言うのだろうか……


「今からこの森を焼く……二人とも、息を止めてろよ」


 但馬はそう呟くと、憎らしい顔をした青い二足歩行動物の前に、無防備に近寄っていった。


「豎譎スュサ蜻悍繧繧ゅ縺ェ後謌代ケ襍ヲ縺縺帙〓蟄」


 いつか国王が、エルフとは会話にならないと言っていたのを思い出した。


 ホント、何言ってっかわかんねえや……


 但馬が苦笑すると、それは何かに激高したかのように叫び、突如飛び上がって但馬の元へと向かってきた。多分、その腕で一薙ぎでもされたら、エリオスのように吹き飛ばされてしまうだろう。


 だが……


高天原(たかまがはら)豊葦原(とよあしはら)底根國(そこつねのくに)……」


 それの攻撃は、但馬を取り巻く緑色のオーラに阻まれて、今はもう近づくことさえ出来ない。信じられないのか、それは何度も何度も彼に肉薄しようと躍起になったが、ことごとくが失敗に終わった。


 但馬はそれを見越して、ゆっくりと呪文を読み上げていった。


「三界を統べし神なる神より産まれし御子神よ……」


 それにとっては恐らく生まれて初めての経験だったのに違いない。これほどまで自分の攻撃に手応えが無かったのは……確か500年とか生きていたはずだ。それはそれは驚いたことだろう……


「其は古より来たれり、万象を焼き尽くす業火なれり……」


 しかし、驚いている場合ではないのだ。今や、但馬を包んでいたオーラはあたり一面をすっかりと覆い尽くし、ついにはそこら中に生えていた木々までがギラギラと発光し始めた。


 その光は但馬を中心に、森の隅々まで行き渡り、遠い川の両岸で対峙するリディア・メディア両軍の元にも届いていたという。


 但馬のオーラに呼応するように、今、森自身が真っ白に光を放っていた。


「天を穿て、地を焦がせ、灰塵と帰せ、塵芥と化せ! ……なんもかんも全部やっちまえよ!」


 エルフと呼ばれたそれは、突如苦しみ悶えはじめた。酸欠のように口をパクパクさせたかと思うと、いよいよ恐怖に慄き、但馬に背を向けて走りだした。


 しかし、それは数歩進んだだけで己の末路を悟るのだった。


 恐らく、この森の中に逃げ場はない。


 見渡す限り一面の光が、そこには満ち満ちていたのだから。


 そして呪文が完成した。


「なぎ払え迦具土っっ!!!」


 音もなく、静寂だった。


 いや、あまりにも膨大な情報量に頭が追いついていかなかったのだろう。


 それはもはや炎ではなく、ただの青白い光だった。


 一瞬にして全てを焼失させ、灰の一粒すら残さない。


 その灼熱の炎は恐らく太陽のフレアと同等か、それ以上のものだったろう。


 エリオスは自分の死を覚悟した……しかし、これだけの炎に包まれていると言うのに、何故か自分の周りだけは死を免れている。熱いとさえ感じられない。なのに、ここはまだ天国でも地獄でもなく、現実なのである。


 但馬が灼熱の炎から壁を作り、二人を猛烈な光から守っていた。一面の白の中で、彼のシルエットだけが黒く浮かび上がっている。ブリジットはその背中を見て思った。ああ、まるで本物の勇者様みたいだ……


 いつだったかの彼の言葉を思い出す。


『俺の名前は但馬波留。タージマハールじゃないよ?』


 いや、この人こそ、本物の勇者様なのだ。


 気が付くと、彼らは自然と膝を屈していた。自分よりも高貴なものに対する最高の礼節を持って、頭を垂れていた。あの日、あの海岸で自分たちが見つけてしまったのは、きっと神様か何かだったのだ。


 あるのはただ、光、光、光、圧倒的なまでに白い光。他に何もない。


 そしてその光が収まると、辺りには何もなくなっており、その場にはむき出しの地面と石だけが転がっていた。半径2キロ円くらいが根こそぎ消失し。その周りでは、今激しい山火事が起きていた。


 鳥が飛び立ち、あらゆる生物が悲鳴を上げ、何かが森の中で蠢いて、一斉に逃げる気配がした。


 但馬が振り返ると、二人がうずくまっているのが見えた。彼はそれが臣従の礼などとは思いもよらず、


「やべえ……大事になる前に、さっさとずらかろうぜ」


 と焦るように呟くと、返事も待たずにすたこらさっさと逃げ出した。


 その姿が全く悪びれもなく、格好良くもなく、いつもの但馬そのものだったから、二人は拍子抜けしたかのように、その場にどっと腰を抜かして座り込んでしまうのだった。


 なのに彼は振り返りもせず、薄情にもどんどん遠ざかっていくのである。


 今すぐ追い駆けたいのだが、取り残された二人は足腰が笑ってしまって、まったく役に立たなかった。


 その日、地図から一つの森が消えた。それはリディアに勝利をもたらす吉報となり、この国の将来を強引に変えたと言って過言ではなかった。だが但馬はそんなことなど知ったこっちゃなく、今は逃げるのに必死だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公の性根もひどいが戦闘も酷いね。呪文の時間も出鱈目だし効果も出鱈目だ。最初の描写は何のためにしたのか。
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