わけがわからないだろう
「その、ティレニアにある世界樹の聖域とやらを占拠されたせいで、太陽があんなことになっていると言うのか……?」
「ああ、私には詳しいことはさっぱりなんだけど、そういう事らしい。ティレニア人に言わせると、聖域は太陽の制御装置のようなものだったらしいんだ」
「ティレニアがそんなものを所持していたって? ……いまいち信じられん」
「私だってそうさ。だが、現実に太陽はあんなことになっている」
ランが上空を指差すと、オレンジ色の太陽が薄ぼんやりと空に浮かんでいた。あれは昔はもっと明るかったのだ。アーサーも、子供の頃は今よりもずっと明るかったなと言えるくらいには覚えている。
「すると、魔王の目的は太陽をこうすることだったのか?」
「それがわからない。アンナの母親は、逆に太陽がこうならないように、命を賭して儀式に挑もうとしていた。ところが、お腹の中に赤ん坊がいるって分かって翻意した経緯があるんだが……」
「それが?」
「アンナの父親は、魔王……但馬波瑠なんだ」
アーサーは動揺した。悪魔の子という二つ名について言及した時、アンナははっきりそれを否定した。だから彼もそんなことは無いと信じていたのだが……しかし、ランもエリックもマイケルも、みんなが間違いないと言うのだ。
呆然とするアーサーを置いてけぼりに、ランは話を続けた。
「だから魔王がティレニアを襲ったのは、アナスタシアの儀式をやめさせるためだったんじゃないかと、当時の私たちは考えた」
「女と子供を守ろうとしたのか……? もし、それが本当だとしたら、あまり魔王を責められないではないか」
「本当にそうだったらね……」
「違ったのか?」
「仮に魔王がそう言う理由でティレニアを攻めたのなら、エルフを使って人々を追い立てることまではしなくていいだろう。アナスタシアも当然そう考えたから、彼女は魔王を説得しに行こうとしたんだよ。だがそうしたくとも、魔王のところに辿り着く前にエルフに襲われる可能性が高い。私たちは危険過ぎるからやめろと揉めた。ところが、そんな時に更に予想外のことが起きてね……もう何をどうしていいのか、わからなくなっちまった」
「じれったいな、それで何があったんだ」
「今度は、魔王がコルフ島を襲撃しに来たんだよ。いや、コルフではなくて、そこに逃げ込んだガブリール達、ティレニアの摂政たちを狙っての事だったんだが……彼らはリディア大使館が保護していたんで、当然、エルフたちはここを狙ってくる。とても敵うはずがないから、私たちは命からがら逃げ出した。ところが、そんな私達の前に立ちはだかる者が居たんだよ……誰だと思う?」
「誰って……魔王じゃないのか?」
するとランは頭を振って、その頭を抱えて嘆くように言った。
「それはお前の伯母さん、皇帝ブリジット・ゲーリックだったんだ。わけがわからないだろう?」
これにはアーサーも頭を抱えた。本当に、何を言ってるのかわけがわからなかった。
何故かエルフを自在に操っていたブリジットは、コルフ島を襲った。そして逃げ惑う人々の中に、ガブリール達ティレニアの四摂家を見つけると、躊躇なくその体を切り刻んだ。
皇帝ブリジットは音に聞こえた剣豪で、抵抗は殆ど無意味だった。ガブリール達はあっという間に血祭りに上げられてその生命を落とした。そして男たち3人を始末した彼女は、最後に残ったサリエラにその剣を向けたのである。
ところが、そんな絶体絶命の場面に、サリエラをかばうようにしてアナスタシアが立ちはだかったのである。彼女は手にした細剣でブリジットの剣を弾くと、
「姫さま、サリーを傷つけるのはやめて」
と懇願した。
するとブリジットは明らかに動揺した素振りで、手にした剣を振り上げたまま固まった。皇帝からすれば、アナスタシアなど物の数ではない、彼女ごとサリエラを切り裂くことなど造作も無いだろう。だから、このままだと要らぬ犠牲が増えると思ったサリエラが、
「私のことはいいから、あなたが逃げて」
「でも!」
「あなたは生きなきゃならないわ。お腹の赤ちゃんのためにも」
と言って、サリエラを庇おうとするアナスタシアの前に踊りでた。
この互いを守り合おうとする自己犠牲に心を打たれたというなら話はわかりやすいのであるが……皇帝ブリジットは、このやり取りを見て明らかに動揺すると、剣を落として頭を抱えた。
そして、まるで苦痛でも感じているかのように、
「う……ぐ……が、がああああああぁぁぁーー!!」
っと、うめき声にも似た悲鳴を上げると、きびすを返してその場から去っていた。
ブリジットのその変化が切っ掛けで、コルフを襲っていたエルフは一斉に山へと引き上げていった。それは彼女がエルフを指揮していることを証明となった。
何故、彼女がエルフを操れたのかは分からない。そしてティレニアの4人を殺そうとしたのかも分からない。
なにはともあれ、最初の襲撃からどうにか生き残ったコルフ人達は、またエルフが戻って来ることを恐れて、我先にと人工島から脱出した。
気の毒なティレニアの3人を埋葬すると、ラン達もコルフから脱出した。船に乗ってフリジアへ行くと、その後は陸路でマルグリット・ヒュライアの領地へ向かった。正直、あまり頼りたくない相手だったが、その時のランはリディア大使館の暫定的な長として、エリオスの部下やティレニアの衛士などを連れていたために、大所帯で他に行く宛がなかったのだ。
何をふっかけてくるか分からないと思っていたランであったが、意外にもメグは何も言うこと無く一行を受け入れて、特にアナスタシアの容体を気遣ってくれた。その頃になるとリディアから様々な噂が流れてきており、魔王・但馬波留の所業が明るみに出ると、アナスタシアは精神的に参ってしまっていた。
とても信じられない。リディアに行かせてくれと言うアナスタシア……このままではお腹の子に障ると思ったラン達は、アナスタシアを人の噂から遠ざけることにした。
メグの提案でアスタクス方伯に相談すると、かつて、アナスタシアに命を助けられたことがあった彼は、但馬の子供だと聞いて驚いては居たものの、理解を示しアナスタシアを自分の庇護下に置いた。(因みに、メグはこの時の功績でちゃっかりと鉄道利権を得ている……)
こうしてアスタクス方伯の庇護下に置かれたアナスタシアは、ビテュニアの宮殿で無事出産、その子をアンナと名付けた。
……しかし、その時にはもう、魔王・但馬波瑠は人類の敵として世界中の人々から恐れられていた。
そして例のホログラフィックを使った人類との決別宣言を受けると、アンナの素性は決して世間に知られることが許されなくなった。
「側近たちの中には、露骨にアンナを殺せと言ってきた者も居たようだ。そこで困ったビテュニア侯はアンナの父親を、自分が市井の女に生ませた庶子であるということにしたんだよ。父親が死んで路頭に迷っていたところを保護したと。そう言っておけば、みんなおいそれと口出し出来なくなるだろう」
「それでアンナは、魔王は父親じゃないと言っていたのか……彼女は自分の本当の父親を知らないんだな」
「いや、あの子もちゃんと知ってるんだよ。ただ、信じたくないのさ」
「……え?」
こうしてアスタクス方伯の孫と言う形で育てられたアンナは、母親の愛情にも恵まれてすくすくと育った。嘘も方便とは言え、方伯も本当の孫のようにアンナを可愛がり、お姫様というほどではないが、彼女はビテュニアの宮殿で華やかな生活を送っていた。
それが一変したのは、剣聖エリザベス・シャーロットがやってきたからだった。
当時、エルフの被害が無視できなくなったアスタクス方伯は、全世界に向けてエルフとの決戦を主張していた。魔王には人類の力を結集し対抗せねば、とても敵わないだろうと。
ところが、人類はこの期に及んでも、まだまとまることが出来なかったのである。
アーサーも知っての通り、カンディアの領有を巡ってミラー家と旧帝国貴族が対立、北エトルリアではシルミウムが賠償放棄を宣言、さらにトリエルに侵攻した。新大陸では内地のいざこざに呆れた植民地政府が、レムリア共和国を樹立した。
またアスタクスは強国になりすぎたために、皇国首都アクロポリスの保守派から、方伯が皇国を乗っ取るつもりではないかと危険視されていた。そんなこんなで彼の呼びかけで、それなりの戦力が集まりはしたものの、逆侵攻など到底不可能と思われた。
しかし、彼の呼びかけで集まった中に、剣聖が居たことで話は変わる。剣聖はビテュニアにアナスタシアが居ることを偶然知ると、彼女に魔王の説得をするように言ってきたのだ。
「何故なら、彼女はかつて魔王が愛した女だからな」
「……後は、アンナに聞いたとおりか。剣聖と共にリディアに渡った彼女の母上は、魔王城に突入したはいいものの、そこで返り討ちに遭った」
「リーゼロッテのやつは、アナスタシアさえ連れて行けば、但馬が元に戻ると考えていたのだろう。だが、結果は自分はめった打ちにされ、アナスタシアは一刀のもとに切り伏せられ……あっけなく殺された」
ランは深い深い溜息を吐いて、続けた。
「リディアから逃げてきたリーゼロッテは本当に酷い有り様だった。肉体的な怪我もそうだが、精神的にボロボロだったんだ。彼女は魔王のことを最後まで信じていたのだろう……それが裏切られたショックは計り知れない。正直もうどうでも良かったんだろうな、目も虚ろで、はっきり言って見てられなかったよ。でも彼女はリディアへ行く前に、必ずお母さんを守るとアンナに約束していた。その約束を果たせなかった彼女は、義務感からアンナに詫びを入れるために戻って来た。だが、相手は子供だろう……? 散々泣かれ、責められ、理由を問われて……つい口走ってしまったんだ」
魔王はアンナの父親だ。だからアナスタシアに助けを求めたと。
アンナはショックを受け、その事実を受け入れられなかった。だが周囲の大人たちは、アナスタシアが死んだ今、魔王を排除できる可能性があるのはアンナだけだと思っており、彼女に気休めを言ってやることすら出来なかった。
そして彼女の葛藤が始まる。母親を殺した敵である魔王を自分の手で殺してやりたいという思う反面、もしも魔王が本当に自分の父親ならば、何故実の父を殺さねばならないのかと……
幼い彼女はダムが決壊するかのように、その想いが溢れだしてしまったのだろう。ある日突然、魔王を倒すと言い残すと、方伯の元から去った。彼女は疑心暗鬼の塊になって、大人たちが信じられなくなったのだ。
もちろん、そんな彼女を大人たちは放ってはおかなかった。だが、方伯が彼女を連れ戻そうと追っ手を放っても、彼女はまるでそれがわかっているかのように、忽然と姿をくらましてしまう。追跡のプロたちが、幼い少女に翻弄されるのだ。それを続けている内に、方伯は怖くなってしまった。このままだと、アンナは本当に自分の目の届かない場所に消えてしまうのではないか。
そして前線で目を瞠る活躍を続ける彼女を見ている内に、彼は彼女を連れ戻すことを諦めた。アンナのことが心配な反面、彼女によって戦線の膠着が打開できるかも知れない可能性を、思い描かずにはいられなくなったのだ。
魔王討伐の軍を挙げてからおよそ10年。彼も年を取り、かつての覇気は失われつつある。そんな中、彼はビテュニアの宮殿で、ただ自分の『孫』の無事を祈りつづけているのだという。