ティレニア陥落
アトラス=エリオスの息子は、自分の正体を明かすと、慌てふためくアーサーの従者二人を涼しい顔で交わし、
「……そう言うわけで、ビテュニアに向かうなら私も一緒にいくわ。途中でママと合流しましょう。実はそろそろこうなるかなって思って、もう連絡しといたのよ。だから、すぐに会えるわ。ついてらっしゃいな」
何がどう言うわけかは分からなかったが、彼はいつの間にか準備万端整えられていた荷物を背負ってアーサーについて来いと立ち上がった。
アーサーはポカーンとしながらも、
「貴様は前線の指揮官として、ここで雇われているのではないのか? そんなあっさり職場放棄していいのか」
と尋ねると、彼は全く問題ないと首肯してから、こう返した。
「私が雇われていたとしたら、それは前線の指揮官としてではなくて、アンナの……ミンストレルの護衛としてよ。そういう約束で、ビテュニア侯から派遣されたのがこの私なの」
何が何だか、余計にわけがわからなくなった。
アーサー達はもはやここで話し合っていても埒が明かないと思い、ついて来いという彼の後に黙って付いて行くことにした。
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そんなこんなで大尉改めアトラスに連れられて、アーサー達一行は前線を離れて、フリジア~ビテュニアを結ぶ旧街道を北へ進んだ。街道は、かつて水上交易が盛んだった大ガラデア川に沿った交通路で、元々は人通りが多かったが、前線が近くなった今となっては見る影も無いほど寂れていた。
尤も、エルフのせいで河川を用いた水上交易が不可能となった代わりに、ちょっと行った内陸部を鉄道が走るようになっており、逆に交通面では昔よりも便利になったと言えた。アスタクス方伯の治めるガラデア平原には、今や縦横に多数の路線が走っており、その全てがビテュニアへ続いている。
フリジアから前線へ来るときは3人だったアーサー達は、今となっては100人近い子供たちを引き連れた大所帯となっており、とてもじゃないが徒歩でビテュニアへ向かうことは不可能だった。そのため、鉄道駅がある街を目指していたのだが、街に入るや否や見窄らしい服をきた孤児の集団は目を引いて、どこへ行っても奇異の目で見られてしまってトラブルが絶えなかった。
身動きが取りにくいから子供たちをどこかへ預けてしまえれば楽だったのだが、そうするとアンナがテコでも動かなくなるので、こうするより外なかった。尤も、強面のアトラスがひと睨みするだけで、大概のトラブルは解決してしまうので、これといって害は無かったのであるが。
あるとすれば、人々が近づいてこないことくらいだろうか……
数日後、それは彼の母親であるランが合流すると、より顕著になった。
「よう、坊っちゃん。暫く見ない間に、少しは男らしい顔つきになったじゃないか。それにしても、なんだいこの騒ぎは……託児所にでも迷い込んだのかと思ったぞ」
「キャー! ママー! 久しぶりぃ~!」
「やあ、アトラス。あんたは変わりないようだね。私が居なくても、ちゃんと食べてよく眠ってたかい。病気とかしてないだろうね」
「うん。この健康な体はパパとママのおかげよ。私はいっつも元気だったわ」
ランと再開を果たしたアトラスが、きゃあきゃあ言いながら母親に抱きついた。アトラスの口調のせいか、まるで仲の良い母娘がじゃれあってるようにも思え、字面だけ見れば微笑ましい光景であったが、筋骨隆々で殺伐とした目つきの二人が抱き合う姿は、実際には白熱する相撲でも見てるような気分にさせられた。
そんな二人の間に割って入るかのように、エリックとマイケルがまるで殴りかかるかのような勢いで、ランに向かってまくし立てた。
「ラララ、ランさん! お久しぶりっす。マジビビったんすけど、アトラスって本当にあのエリオスさんの息子さんなんですか!? こう見えて16歳なんですか?」
「なんだい、あんたたち。私が浮気でもしてたって言いたいのかい」
「滅相もない。ただ、あのエリオスさんの息子さんだと思うと、とても信じられなくて……」
「……まあ、私もちょっと、我が子ながらもう少し男らしく育たなかったかと思ってるけど」
ランがそう言うと、アトラスがプンプンとわざとらしいふくれっ面を作って、
「酷いわ、ママ。あなたが世界一可愛いわよって、いつも私のことを褒めてくれたじゃない。私、ママのために一生懸命可愛くなれるように、努力したのよ」
しなを作ってウインクするアトラスに向かって、エリックがげえ~っと吐き出す素振りをすると、間髪入れずに鋭いジャブが飛んできた。目にも留まらぬ打撃は、ジャブだというのにエリックを吹き飛ばすには十分な威力があり、彼は二転三転しながら地面に転がった。
エリックは涙目になりながら、
「……可愛い子がこんな凶悪なジャブを打つかよ」
それを見ていたランはカンラカンラと高らかに笑い、
「まあ、そう言ってやるなよ。誰よりも、強く、逞しく育って欲しいってのは、エリオスがこの子との別れ際に言ってた言葉なんだ」
そして何かを思い出したように、少し陰りのある表情を見せたかと思うと、
「でも、あいつが生きていたら、きっと馬鹿みたいに甘やかしたんだろうなって思ってさ……そしたらこんな風に育っちまった」
ランがそう説明すると、エリックとマイケルはそれまでの勢いがなくなって、何だかしんみりしてしまった。事情を知らないアーサーは首をひねりつつ、
「ところで、大尉の母上よ。俺は未だに事情がいまいち飲み込めないのだが……アンナと大尉は元々知り合いだったのか? 大尉は、自分は彼女に付けられた護衛だと言っていたのだが」
「ああ……長くなるから、立ち話ではなくて汽車の中で話そうか」
「……? 大尉の母上もビテュニアへついてくるのか? 俺達はマイケルの知り合いに会いにいくため、ロンバルディアへ向かうついでによるだけなんだが……」
「何を言ってるんだ、こいつは? アトラス、ちゃんと説明してやらなかったのかい」
ランは肩を竦めて、やれやれと言った感じに続けた。
「坊っちゃん。あんたが初めて私に会いに来た時、パトロンを紹介して欲しいって、お前は言っていただろう?」
「ああ」
「その時、私は言ったはずだ。コルフ総統でもアスタクス方伯でも、いくらでも紹介してやるよってさ」
その言葉に、アーサーは目を丸くした。確かに、ランは別れ際にそんなことを口走っていた。彼自身はあの時、総統を紹介してもらうつもりで彼女に会いに行ったから、それはただバカにして言ってるだけだとばかり思っていたのだが……
「お前たちがリディア奪還を目指すのなら、ビテュニア侯に会ったほうが良いだろう。今、この世で最もエルフ対策に頭を悩ませてるのはあの人だから、いろいろと力になってくれるはずだ。もちろん、総統の方だって後でちゃんと紹介してやるよ」
「……驚いた。あなたはコルフ総統だけでなく、アスタクス方伯ともよしみが有ったとは……従者の知人なんてたかが知れてると思っていたが、飛んだ大物が釣れたものだ」
「そんな大層なもんじゃないさ。それに、大物と言ったらもっと凄いのを釣ってるじゃないか」
アーサーがなんのことだろうと首を捻っていると、ランは遠巻きに子供たちと戯れているアンナの方を指さして、
「あの子は、そのアスタクス方伯の孫だよ」
「な、なんだって!?」
「まあ、義理なんだがね。さあ、これ以上聞きたければ、まずは汽車の切符を買っといで。子供たちみんなで移動するとなると、客車を1両貸し切りだな。アトラス、あんた行って話しつけてきな」
そう言うとランは男たちに背を向けて、子供たちに囲まれて大人しくしているアンナの方へと、のっしのっしと歩いて行った。
アンナは何だかバツが悪そうな顔をして、キョロキョロとしてから、ランの腰に抱きついた。そして二人は、さっきアトラスとしていたように、仲の良い母娘みたいな会話を続けている。
二人の間に何かあったのだろうか? と気になりはしたものの、詳しい話はあとでしてくれると言っていたので、アーサーは男4人連れ立って駅へと向かった。
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客車1両を貸し切りなど、簡単に出来るものかと半信半疑であったが、アトラスが駅長に何かを言ったらあっさりとその願いは通った。アーサーは、この親子は只者ではないと思い始めてきたが、どうやら予想よりも遥かに大物であるらしかった。
汽車が動き出すと、生まれて初めて列車に乗ったと言う子供たちがはしゃぎだして酷いことになった。王子と慕われているアーサーは揉みくちゃにされながら、この車両が貸しきりでよかったと痛感していた。尤も、子供たちは初めこそとても元気だったが、慣れない列車の旅のせいもあってか、ビテュニアまで半日以上も揺られてる内に疲れて来たらしく、次第に電池が切れたように大人しくなっていった。
アンナと子供たちが流れる窓の景色を見ながらウトウトしだすと、ランがアーサー達の肩をポンと叩いてから、外の空気を吸いに行こうかと席を立って、列車の最後尾に向かって歩き始めた。
どうやら、アンナには聞かせたくない話のようである。アーサーと従者の二人は彼女の後を追った。
ランは汽車の最後尾のデッキに立つと、不正乗車を取り締まる車掌にチップを渡して少し場所を貸してくれと頼んだ。彼女はその車掌がデッキから出て行くのを見送ってから、何から話せば良いのだろうかと、少し考えてから徐ろに話し始めた。
15年前。リディアが魔王に席巻される最中、コルフのリディア大使館でその報せを聞いたランは、まだ乳飲み子だったアトラスを抱えながら、エリオスの無事を祈っていた。
リディアから流れてくるうわさ話はどれも耳を疑いたくなるようなものばかりだった。何しろ、暴れているのはあの但馬波瑠で、すでに十万人からの犠牲者が出ていると言うのである。
そんな話など到底信じられないランは、いっそ自分の目で確かめに行こうかと何度も思ったが、幼いアトラスを抱えている手前、無理は出来ず、歯がゆい日々を送っていた。
と、そんなある日のこと、二人の女性が大使館に駆け込んできた。リディア大使館は開店休業状態で、こんな場所に用がある者など居ないはずなのだが……一体誰かと思えばティレニアから逃げてきたアナスタシアとサリエラだったのである。
エリオスの帰りを待っていたランは目を丸くしながらも、大使館にアナスタシアを保護した。彼女はアナスタシアがティレニアにいたことを知らず、てっきりリディアから逃げて来たのだとばかりに思って、一旦はその無事を喜んだのであるが……すぐに自分の勘違いを知り、サリエラの正体を知って愕然とした。
ティレニアの巫女として聖域にいたアナスタシアは、但馬の子を宿したことで巫女としての資格を失ったと言うのだ。そしてどうやら、お腹の中の子供にそれが遺伝してしまったらしいのだ。
巫女としてその生命を差し出す決意をしていたアナスタシアに迷いが生じた。自分が死ぬのは構わないが、但馬の子供は死なせたくない。しかし、このままここに居たら、ガブリール達はお腹の子供を殺してしまうだろう……
アナスタシアは決意を翻し、聖域から脱走を試みた。
そのアナスタシアにべったりだったサリエラは、彼女の心変わりに理解を示し、一緒についてきた。二人には追手が掛かったが、サリエラが上手くはぐらかしてくれたお陰で山から下りることが出来、そして大使館に駆け込んできたというわけである。
ランは一も二もなく二人に協力してやりたかったが、彼女はコルフ議員であると同時に、ティレニア出身者だった。山には身内が沢山住んでおり、逆らったら彼らがどうなるか分からない。
故にどうすべきか大いに悩んだのであるが……その時、乳母に抱きかかえられていたアトラスが突然泣き出し、ハッと我に返った。この子は、今アナスタシアのお腹の中に居る子供のために生まれてきたのだ。
ランはティレニアを裏切り、アナスタシアたちを逃がすことにした。ただ、追手が差し向けられているのなら、ここへ来るのは時間の問題だった。以前、他ならぬ彼女自身が、但馬とアナスタシアを聖域の手前まで案内したのだ。ティレニアがそれを連想しないわけがない。だから一刻も早くコルフを出ようと、大慌てで旅支度を始めた一行であったが……
ところが、彼女達の準備が終わるよりも前に、事態はおかしな方向へと転がりだした。
ティレニア首都サウスポール、聖域が魔王軍を名乗るエルフの襲撃を受けたと言うのである。タイタニア山からは続々とティレニア人が下りてきて、コルフの波止場は難民で溢れかえった。そして、その中にはガブリール達も含まれていたのである。
何の因果か、彼らは追手としてではなく、難民としてリディア大使館へとやって来た。彼らが言うには、聖域は魔王によって占拠されてしまっており、今更巫女を使って儀式をするなんて状況ではなくなってしまった。だからアナスタシアが逃げたいなら好きにすればいいと言うと、彼らはその場に座り込んでしまった。
彼らは儀式を行わなければ、この世界が滅びてしまうと考えていた。だから急いで儀式を執り行なおうと遮二無二になっていたのだが、しかしもはや聖域を取り返すことは不可能だった。何しろ、その聖域を占拠したのは、彼らが最も恐れた相手……
魔王・但馬波瑠だからだ。