リディア王になる男
吟遊詩人がよその部隊に応援に行ってしまい不在になってからも、アーサーは子供たちに会うために、よく集落にやって来た。集落へ通うのが日課になっていたこともあったが、なんやかんや子供たちと仲良くなっていたのが大きかった。それに、子供たちははっきりとしたことは言わなかったが、やはり年少者なんかは詩人に依存してる部分が大きいらしく、彼女が居ないせいでどこか不安そうに見えたのだ。
そんなわけで、子供たちの不安を和らげるためにも、自分自身の気晴らしも兼ねて、彼は従者たちを連れてよく集落に遊びにやってきた。子供たちは彼がやって来ると喜ぶと言うよりは、仕方ないから遊んでやるといった感じで出迎えてくれたが、後でこっそり従者たちに教えてくれたところでは、内心かなり嬉しかったそうである。
因みに、アーサーは子供たちに王子と呼ばれ親しまれていた。何故そう呼ばれるのか? 自分がいずれリディア王になる男だからだと彼は思っていたが、従者が子供たちに尋ねてみたところ、実際は空気が読めなくて世間知らずだからだそうである。名は体を表すと言うが、エリックとマイケルは、確かに王子っぽいなと感心したものである。
そうとも知らずに、自分が高貴な存在であるから子供たちが自然と敬い始めたのだと勘違いしていたアーサーは、調子に乗って子供たちに偉そうに振舞っては、いつの間にかリーダーっぽくなっていた。まあ実際、世が世なら、彼は本当に王子と呼ばれており、こんな場所で孤児に囲まれているような生まれではなかったのであるが……
そんなこんなで、小さい頃から年長者に囲まれちやほやされて育った彼は、普通の子供たちがするような遊びをしたことがなくて、よほど珍しかったのか、求められるままに鬼ごっこに興じたりかくれんぼをして遊んだりして、大いに楽しんでいるようだった。
これがいつ誰が死ぬかも分からない、前線の空気なのだろうかと、エリックやマイケル、それから同じ部隊の兵士たちは、そんな子供っぽい彼のことを呆れながら見ていたが……考えてもみればアーサーは14歳。こんなものなのだ。そして、吟遊詩人もまた同じなのである。
アーサーは偉そうにしているが、結局は成人したばかりのただのガキで基本的に実力が無く、言ってしまえば戦闘に関しては足手まといに過ぎなかった。だが、そんな彼にも特技らしい特技はあった。エルフと戦ったり、子供たちと遊んでいる内に解れしまう洋服を、器用に修繕するのである。彼は母が夜なべして作ってくれた刺繍を宝物にして常に身につけており、それを直している内に裁縫が得意になってしまったのだ。
そんな彼が自分の洋服をチクチクやったり、子供たちの見窄らしい服に頑丈なアップリケを付けてやったりしている内に、次第に部隊の兵士たちにも頼まれるようになってきて、驚くほど頑丈に直してくれるのでやがて評判になり、気がつけば部隊の服の修繕はいつの間にか彼の担当になっていった。
また、彼の従者であるマイケルはコックでもあり、前線の乏しい食糧事情の中でやりくりしながら、劇的に食事を改善したことで周囲の尊敬を得ていた。相方のエリックの方はこれといって特徴のない男とされていたが、それでも非常に軍隊経験が長く、あらゆることを卒なくこなし、ざっくばらんな性格もあって若い兵士たちから慕われていた。
そんな具合に三人も大尉の部隊に馴染み、一定の立場を得てきた頃、事件は起こった。
ある日、いつものように森からエルフが出てきた。アーサー達は塹壕内に待機しており、エルフ襲撃のラッパの音を聞くと、即座に応戦を開始した。
この頃になると足手まといだったアーサーであっても、弾込め射撃を難なくこなし、エルフを足止めするための弾幕を張る一員として及第点の動きが出来るようになっていた。従者たちも安心して彼の左右で応戦し、時折大尉の命令で射撃目標を変えたりとそれなりの活躍を見せていた。
子供たちはエルフがやって来たのを察知すると、こっそりと前線に近づき、隙を見計らってタコ壺に飛び込んだ。戦闘が終わってからやってくればいいのに、何故こんな危険を犯すのかと初めは首をかしげたものだが、こうしないと戦闘終了後すぐに種拾いが出来なくて、他の子どもや塹壕内の兵士に先を越されるからである。種拾いは早い者勝ちで、収入をこれに頼ってる子供たちにとっては死活問題なのだ。
そんなわけで、いつもの通り子供たちは塹壕よりも前に作られたタコ壺の中に身を潜めていたのだが、これが後々悲劇を生んだ。
アーサー達、部隊の兵士は子供たちがタコ壺に入ったのを見てから、射撃の間隔を上げて弾幕を濃くした。もはや手慣れたルーチンワークで、こうしておけば早ければものの10分で、遅くとも1時間もすればエルフは侵攻を諦めて森に帰っていくはずだった。
案の定、大尉の命令通りに2体1組で現れたエルフの片方を集中的に狙うと、そのエルフは堪らず森へ引き返していき、もう片方もそれによって防戦一方になると、間もなく森へと帰っていった。
普段ならばこれで戦闘が終了し、我先にと子供たちがタコ壺から飛び出してくるはずだった。
ところが、珍しいことに、今日は戦闘終了の合図が鳴り響くよりも先に、もう一度エルフ襲来のラッパが鳴ったのである。既にエルフを撃退し、終戦モードであったアーサー達は、え!? っと泡を食ってライフルを構えると、また別の方向からエルフがやって来たのが見えた。
さっき片付けた奴らがあれと合流していたら危なかった。冷や汗をかきながら、大尉の部隊は応戦を開始したが……それもつかの間、また別方向からラッパの音が鳴り響いたのである。
何故、吟遊詩人が不在の今日に限ってこんなにもエルフが集中してやって来るのか……恐怖によりパニックになりかけた頭を懸命に冷やしながら、大尉は別方向からやってくる複数のエルフに対して応戦するように指示を出した。こうなるともはや追い返すのは難しく、食い止めるのがやっとである。
大尉は塹壕内に張り巡らされた電話に取りすがると、怒鳴りつけるかのような勢いで、他の部隊に応援要請を飛ばしていた。塹壕は蜘蛛の巣のように入り組んでいるが、間接的にではあったが、数百キロに及びその全てがつながっている。
間もなく隣接する部隊から応援がやって来て、ホッとしたのもつかの間……応援の部隊と共にエルフと戦っていると、なんと、最初に撃退したエルフがまた帰ってきたのである。
「野郎どもっ! 死ぬ気で射撃を続けやがれっ! 一瞬足りとも気を抜いたら、俺がぶっ刺してやるわよっ!!」
これには流石の大尉もまいったのか、男言葉で隊員たちに葉っぱをかけると、更に応援を呼ぶために、必死になって各方面に連絡を入れていた。ところが、返事は芳しくなかったのである。すぐ北方の部隊でも、ここと似たようなことが起きているというのだ。
何故か今日に限って、エルフが大襲撃と言える規模でやってきたのだ。
「大尉、どうすればいいっ!?」
パニックになる兵士たちに、とにかくそのまま応戦を続けろと指示すると、大尉は頭を悩ませた。このままでは追い返すなどとても不可能、食い止めるだけならまだもつが、それもいつまでもというわけにはいかない。弾丸は消耗品で、いつか尽きるのだ。
それまでに別の場所で応戦中の部隊の方が片付いて、応援に来てくれるなら粘る価値もあるが、楽観的に考えてあてが外れたら最悪だ。どこかのラインで撤退も視野に入れて動かねばならない。
そんな風に考えつつ、今は現状維持を優先して、とにかく残りの弾薬の数を数えさせてみようと副官に指示を飛ばそうとした時だった。
「エルフだ! また、エルフが出たぞぉーっ!!」
クラリオンの音が鳴り響いて、一瞬、部隊の全員の身体が硬直した。その一瞬にエルフに距離を詰められ、慌てて応戦を再開した部隊であったが、相手の数が多すぎて、今まで食い止めてきたものが、徐々に徐々にとこちらへ侵食し始めているようだった。
エルフの数はこれで10体……こんな数は経験したことがない。大尉は目が回りそうになるのをなんとか抑えると、
「……撤退! 撤退! 撤退よっ! 避難壕を伝って徐々に後退。距離を取ったら川の対岸まで一斉に逃げるわよ! 泳げないものは置いていくっ!」
大尉の言葉が伝わると、部隊に緊張と安堵が入り混じった空気が流れた。もはやここを維持するのは不可能だと、誰もがそう思っていたのだ。
兵士たちは迫り来るエルフに応戦を続けながら、言われたとおりに後方へ続く避難壕へと徐々に交代し始めた。
しかし、そんな中でたった一人、持ち場を動かずにエルフにライフルの弾を打ち込み続けている者が居た。
アーサーである。
「坊っちゃん! 撤退です、聞こえなかったんですか? 坊っちゃん!!」
慌てて従者のエリックが彼を連れ戻しに行く。もしかして、経験の少ない彼が追いつめられてパニックを起こしているのかと思ったのだ。しかし、エリックは彼の顔を見てそれは勘違いだとすぐわかった。パニックどころか、彼は今まで見たこと無いくらい冷静沈着な表情で、これまでとは比べ物にならない速度で、淡々と射撃を繰り返していたのだ。
何かにとりつかれたかのような表情で、アーサーが冷静に叫ぶ。
「まあ、待て大尉。子供たちがまだ逃げてない!」
彼の言葉に部隊の兵士たちがどよめいた。半数は子供たちのことを思い出し、ハッとしてその場に踏みとどまろうとし、もう半数は早く逃げたいのに、余計なことを言いやがってと舌打ちでもしそうな顔をして彼を睨みつけた。それはまるで人生の縮図みたいだった。
大尉はそんな兵士たちの中で、自分はどうすべきか判断に迷っていた。あまり長くここに踏みとどまっていたら、全滅する可能性が高い。だから出来るだけ早く逃げ出したい。だが、子供たちを助けたいのも本音だった。部隊の他の兵士たちも似たようなものだろう。
だが、そんな中でたった一人だけ……絶対に子供たちを助けようと、腹をくくっているのが一人だけ居たのである。しかもそいつは部隊でも最弱の足手まといで、とても勇気を見せるようなキャラではなかった。大尉は奥歯をぎりぎりと噛みしめると、
「みんな、あとすこしだけ応戦を続けてちょうだい!」
そして前方のタコ壺に向かって大声で怒鳴った。
「子供たちっ! 逃げるわよ! 今から少しだけ、エルフ相手に時間を稼いであげるから、死にたくなかったら根性見せてこっちに走って来なさい! いいわねっ!」
彼はそう言うと、突然塹壕から飛び出して、わざとエルフに無防備な姿を晒し、子供たちの居るタコ壺とは逆の方向へと一目散に駆けていった。
アーサー達が隠れている塹壕の上で、恐ろしいまでの魔法の奔流が蠢く……
「大尉!」
死に物狂いで駆け抜けた彼は、どうにかこうにかエルフの集中砲火を交わし、十数メートル先の塹壕へと飛び込んだようだった。
ほっと胸をなでおろすのもつかの間、子供たちは大尉が作ってくれた隙を見計らって、命からがらタコ壺から飛び出すと、塹壕に転がり込んできた。エリックとマイケル、部隊の兵士たちが子供たちをキャッチすると、早く逃げるように誘導する。
子供たちが兵士に連れられて後方へ下がっていくと、入れ替わりに大尉が戻って来た。体中、あちこちが血で汚れており、今にも死にそうに見えた。
「かすり傷よ。見た目ほど酷くは無いわ。それより、あんたたちもさっさと撤退するわよ。もうここは持たないわ」
彼が強がりを言うと、部隊の兵士たちはみんな笑みを漏らして軽口を叩いてから、今度こそ我先にと撤退を開始する。エリックとマイケルもそれに続こうとしたが……
「……坊っちゃんっ! いつまでも何やってんですかッ!!」
ところが、アーサーだけがまだ同じ場所から動こうとしないのである。
いくら主従とは言え、これ以上彼のワガママに付き合っては居られない。頭に血が昇ったエリックが、彼を乱暴に引っ張ろうとすると……
「ちょっと待ってくれ。まだ年少者達が出てきていないのだ」
アーサーはエリックの腕を振りほどくと、先ほどと殆ど変わらぬ冷静な口調でそう言い放ち、そしてたった一人でエルフに向かって射撃を続けたのである。
「まだ、逃げ遅れが居るの!?」
満身創痍の大尉が絶望的な表情で天を仰ぐ。アーサーは射撃を続けながら、
「普段は吟遊詩人にべったりで、前線には出てこない年少者たちだ。珍しいから覚えていた」
「間違いないのね?」
「ああ、間違いない……多分、慣れてないからビビって出てこれないんじゃないか」
そう言いながら彼は淡々と射撃を続けた。もはや、いちいち身を隠すのが面倒だと言わんばかりに顔を付き出したまま、飛び交う魔法にまったく怯むこと無く、信じられない速度で弾込めを続ける彼を見て、従者たち二人はゴクリと唾を飲み込んだ。
どこにそんな力を隠していたのだろうか、その流れるような所作はまるで別人であり、歴戦の兵もかくやと言う正確さだった。だが、このまま放置していたら、彼は間違いなく死ぬだろう……
「坊っちゃん! 諦めましょう! このままじゃ俺達もみんな全滅する!」
「しかし……」
「他の子達は救った。俺達はやるだけやった! それでいいじゃないですか」
「だが……」
「子供たちを助けたい気持ちは分かります。でもリディアを奪還するんでしょう? 魔王を倒すつもりなんでしょう? ここで死んでしまったら、何にもならないじゃないですかっ!!」
二人の声が戦場に響く。中々やってこない大尉のことを心配して、兵士たちが数名戻って来た。エルフがここに到達するまで、もう殆ど時間がない。
それでも、アーサーはその場から一歩も引くこと無く、淡々と射撃を続けながら、従者たちに向かって言うのだった。
「しかし……ここで子供たちを見捨てたら、一生後悔するぞ。例え魔王を倒し、世界を救ったとしても、事あるごとに思い出す。あの時、あの小さな命を救えたのは自分だけだった。なのに死ぬと分かっていて、子供を見捨てて逃げ出したのだ。これから先の人生で、どんなに素晴らしいことを成し遂げたとしても、その事実は変わらないのだ。俺は、子供があそこに居ると知っていながら、逃げ出したのだ」
アーサーは言葉を区切ると、自分に言い聞かせるように、まるで自分を奮いたたせるかのように、力を込めて続けた。
「そんなの死んでいるのと同然じゃないか。生きているだけが人生じゃない。例えそれがどんなに無謀だとしても、十中八九死ぬと分かっていても、男には戦わねばならない時があるんじゃないのか」
二人と一緒にアーサーの言葉を聞いていた大尉は歯噛みした。彼の言うことは理想だ。本当にそうあることが出来ればいいが、残念ながらここは戦場なのである。大尉には理想をかなぐり捨てでも、部隊の損失を避けねばならない義務があった。
だからこの青二才をなんとか言いくるめねばならないと、彼の従者たちに目配せを送ったのであるが……その当てにしていた二人が目を真っ赤に腫らして滂沱の涙を流している姿を見て、彼はギョッとした。
エリックとマイケルは泣いていた。それはもう惨めなほどに……これにはアーサーも驚いたらしく、
「な、なにも泣くことないじゃないか……別にお前らに無理矢理付き合えとは言っていない。子供たちは俺が助けに行くから、おまえたちはさっさと逃げろ。これは俺のワガママなのだ」
するとエリックとマイケルは首を横に振って、
「いや、違うんですよ。坊っちゃんの言うとおりなんです……俺は……俺達は、昔、友達を見捨てて逃げ出したことがあるんですよ。そこに居たら殺されるって分かっていたから、命乞いして逃げ出した。それで命は助かったかも知れないけど……それ以来、俺達は死んだも同然だった」
「俺達はもう逃げたくない。例えここで死んだとしても、そっちの方がよっぽどマシなんだ。坊っちゃんがここで自分さえ良ければいいって言って、逃げ出すような人じゃなくってよかった。俺はまた同じ過ちを繰り返すところだった」
その言葉に様々な思いが込められていることは分かった。だが、一緒にアーサーを止めてくれるだろうと思っていた従者達が、思いがけず彼と共に戦うと言いだして、大尉は面食らった。
「な、なによなによ。あなたたち本気なの?? 例えじゃなくって、本当に死ぬわよ? あんた、カンディア公爵なんでしょう!? リディア王になるんでしょう!?」
「大尉、世話になったな。後は俺がなんとかするから、あんた達はもう逃げてくれ」
「そんなわけにはいかないでしょう! 逃げるんならみんな一緒よ」
「大尉……もう時間がないですよ」
泡を食ってアーサーたちを止めようとする大尉に、部下の一人が言う。大尉は諦めたように溜息をついて、
「ああ、もう、分かったわよ。あんたたちがどうなろうか知ったこっちゃないけど、こっちはまだ死にたくないの。最後のチャンスをあげるから、これを何としても物にしなさい。後のことは知らないわ」
「恩に着るよ」
「お前たちっ! 最後の弾薬をありったけ敵にぶち込んでやりなさい。それで一瞬でいいからあいつらの足を止めるのよ。そして、従者のお二人さん……あなたたちは、さっき私がやったみたいに、塹壕から出て敵の注意を引きつけなさい」
「任せて下さい」
そして大尉は最後にアーサーの方を振り向くと、じっとその目の中を覗き込んで。
「やけになってるってわけじゃないわね。とんだあまちゃんのくせに、土壇場になって肝が据わるなんてね……これも王家の血筋かしら……いいこと? よく聞きなさい。これから私達でエルフの気を惹くから、その間にあんたは飛び出していってタコ壺の中に残ってるであろう子供たちを引きずり出してきなさい。ここまでお膳立てしてやったんだから、失敗したら承知しないわよっ」
「わかった。何が何でも連れ帰る」
アーサーのその言葉が最後となり、男たちはそれから先はもう口を開かなかった。各自が与えられた役割をこなすことに集中し、もう周りは見えてない感じだった。
戻って来た兵士たちの射撃が始まると、エルフの足が止まった。突然の射撃再開が奇襲になったのだろうか、エルフの一体が青い血しぶきを上げて、激高したかのような雄叫びを上げた。
その腹の底に響くような不快な声に身震いしながらも、エリックとマイケルは互いに目配せしあうと、1・2・3で塹壕の中から飛び出した。突然現れた的に目掛けて、エルフたちの魔法が飛び交っている……ドンッ! ドンッ! っと激しい爆音が轟いて、耳がキーンとなる。
アーサーは二人が駆けていくのを見送ってから、ワンテンポ遅れて塹壕を飛び出した。ホンの一瞬の差に過ぎなかったはずだが、彼には永遠のように長く感じられた。
塹壕から飛び出した彼が腰を低くして駆けていく。エルフたちは従者の二人に気を取られているのか、どの個体もアーサーには気づいてない感じである。アーサーは安堵したが、ここでホッとしてる場合ではないと気を取り直し、必死になって駆け出した。
タコ壺は塹壕から数メートル先に作られた小さな穴で、子供以外には入れそうもない狭いスペースだった。彼はその中で蹲ってワンワンと泣きわめいている二人の子供を見つけると、手を伸ばして無理矢理ふん捕まえた。
恐怖に怯えた子供は、アーサーが助けに来たことに気づかなかったようで、盛大に暴れたが、なんとかタコ壺から二人を引きずり出すと、彼は両脇に抱えて来た道を戻りかけた……
と……アーサーの前方で、ドンッ! と土煙が舞った。
見れば巨大な岩石が空から次々と降ってきて、彼の道を塞ぐように転がった。
彼はもうもうと舞う土煙で視界不良の中、飛んでくる岩を必死になって避けながら、どうにかこうにか塹壕目掛けて走り続けた。両脇に抱えた子供たちは、未だに彼が助けに来たことに気づかないようで、バタバタと大暴れしている。
それでバランスが崩れたのもあるだろう。飛び交う岩石のせいで、地面がえぐれていたせいもあっただろう。
アーサーは塹壕まであと少しというところまで来て、つま先に何かが引っ掛かり、つんのめって地面に転がった。
利き手じゃない方に抱えた子供がその拍子に投げ出され、ゴロゴロと地面を転がっていく……
「アーサー!!」
前方から大尉の声が聞こえてくる。アーサーは咄嗟に両手を差し伸ばしている彼に向かって、残った子供をぶん投げた。
そして大尉が子供をキャッチしたのを見送ると、さっき転がっていった子供を回収しようと走りだし……その時、彼は前方でギラリと光るものを見た。
エルフと呼ばれる人類の敵が、鋭い眼光を飛ばしてアーサーのことを睨みつけている。
エルフは仲間に知らせるように、キィキィと声を上げながら、彼に向かって指をさした。
一斉に突き刺さる視線に、アーサーは全身が総毛立った。寒くもないのに、全身がブルブルと震えだす。気が遠くなるような圧迫感を感じる。だが、ビビってる場合ではなかった。
彼は咄嗟に子供を抱え上げると、思いっきり地面を蹴ってジャンプした。
するとたった今彼が居た場所がはじけ飛び、爆炎が上がり、爆風が彼を上空へと押し上げた。
信じられないくらいフワッと浮遊感がして、気がつけば彼は空を飛んでいた。高さは3~4メートルはあるんじゃなかろうか……少なくとも自分の身長よりはずっと上だ。
このまま地面に叩きつけられたらどうなる……? 彼は子供を抱きかかえて背中を丸めると、その背中から地面に着地した……
「ガッ……ハッ……グゥ……」
バキバキと骨が軋む音と、猛烈な痛みが背中を走った。肺から空気が根こそぎ出て行ってしまったのか、酸欠の脳みそがカーっと燃えるように熱くなる。今の衝撃で気を失った子供がグッタリと弛緩していた。彼はその体を抱きかかえると、どうにか逃げられないかと敵の様子を探ろうとして……
そしてまたエルフと目が合った。
10体も居るエルフたちの全てが、一斉にこちらを見つめている。
動きたいのに動けない。蛇に睨まれた蛙のように、完全に射竦められていた。
狩るものと狩られるもの。DNAに刻まれた恐怖の記憶が、全神経をシャットダウンしてしまったかのようだ。
下半身がなんだか暖かく感じる。
きっとまた子供たちにションベンたれと笑われるんだろうな……と、彼はちっとも面白くもないのに、何故か笑えてきた。
エルフの指先がアーサーをつき指し、そして何かの魔法を詠唱するかのような素振りでその手が上空へと向けられた。
アーサーはせめて子供だけでも助けられないかと、無駄だと思いつつも必死になって子供を抱きかかえて背中を丸めた。
その時だった。
「高天原、豊葦原、底根國……」
ああ、もう、これは死んだなと、子供を抱きかかえて体をギューっと強張らせていたアーサーは、一向にやってこない衝撃に、あれ……? っと思って目を開けた。
すると周辺がまるで霧がかかったみたいに薄ぼんやりとしており、気がつけば彼は異様に明るく光り輝く緑色のオーラに包まれていたのである。
彼はいよいよ死んでしまったのかと、呆然としながら、ふと見あげれば……彼をエルフから守るように立ちはだかる黒髪の少女の姿が見える。
「三界を統べし神なる神より産まれし御子神よ、其は古より来たれり、万象を焼き尽くす業火なれり……」
それが誰か気づいた時にはもう……アーサーは視界が光に包まれ、何も見えなくなっていた。
「なぎ払え迦具土! あまねく全てよ、暴虐の炎に焼かれ灰燼と化せ!」
カッと閃光が走った後には、ゴゴゴゴゴゴゴ……っと、雨も降ってないのに雷鳴が轟くような音がして、地響きがして地面が揺れた。
何事か? と思った時には、アーサーは抱きかかえた子供ごと爆風に吹き飛ばされて、まるで波間に翻弄される漂着物みたいに地面をゴロゴロと転がっていた。
口の中がジャリジャリとする。
もうもうと舞い上がる土煙に目を細めつつ、彼は地面に寝っ転がりながら、燃え上がる爆炎を見た。
見ればさっきまで沢山のエルフがいたはずの森がなくなっていて、変わりに真っ黒な道が出来ていた。しかしそれはよく見れば、炭化した森そのものだったのである。
周辺にはマナが、まるで火の粉みたいにキラキラと舞っていた。それは地面に触れると何事も無かったかのように消えた。
するとあれは、吟遊詩人の魔法だったのだろうか……
アーサーが唖然と見つめる中、彼女は彼と一緒に吹き飛ばされた子供に駆け寄り、抱きかかえると盛大に泣かれてしまって、困った顔でオロオロしていた。
どうしてこんなに凄い力を持っているのに、彼女はこんな場所にいつまでも居るのだろう。彼女さえその気になれば、富や名声は思いのままだろうに……
だが彼は、すぐにその答えに思い当たった。
(ああ、そうか……彼女は、子供たちを守っていたのか)
アーサーがそんな風に彼女のことをぼんやりと見つめていると、それに気づいた吟遊詩人が子供を抱きかかえたままテクテクと歩いてやってきた。
アーサーは彼女が目の前までやってくると、起き上がることもせず、その場に寝転がりながら……
「なあ、俺と一緒に国を作らないか。俺と友達になってくれないか」
彼女のことを見上げながら、自然とそんな言葉が出た。
「俺は……カンディア公爵だ、リディア王だと粋がってはいたが、本当に足りないものだらけだった。一人では、ここにいるみんなを助けることすら出来なかった。でも俺は王になりたい……王になってエルフに脅かされる全ての人を救いたい。今ははっきりとそう思えるのだ……おまえがここにいる子供たちを見捨てられないなら、俺が面倒を見よう。だから代わりに、俺に力を貸してくれないか。魔王を倒し、エルフを駆逐し、この世を光で満たしたいのだ」
彼女はそんな言葉が飛んで来るとは思いも寄らず、きょとんとしてアーサーのことを見下ろしていた。それからしばらくすると、抱いていた子供がぐずつきだして、その子を地面におろしてあげたら、子供はパタパタとアーサーの方へ駆け寄って、その胸にピッタリとくっついた。
彼女はその姿を見ると、感嘆の息を吐いて……
「……アンナ」
子供に伸し掛かられた程度でゲホゲホと咳き込んでいる、情けない彼に向かって手を差し伸べた。
彼は最初、彼女が何を言ってるのかわからなかったが……
「アンナ……そうか。おまえはアンナと言うのか」
彼女の手を取ると、グイッと上体を起こし、
「よろしく、アンナ。俺はまだ拙いが、いずれお前と並び立ち、お前の背中を守れるくらいの男になろう。何しろ俺は、リディア王になる男だからな。だからそれまで、俺に力を貸して欲しい。俺にはお前が必要なのだ」
ガッチリと握手を交わしながら、彼はアンナに力強く宣言した。
彼女は少し頬を赤らめながら、眉毛だけが困ったような不思議な顔で、こくりと頷いた。
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その後、英雄的行為で子供たちを救ったアーサーは部隊の仲間達に祝福された。大尉は上に掛けあって表彰しようかと言っていたが、彼は結局アンナが助けてくれただけだからと言って固辞し、かわりに子供たちに連れて行かれて集落でささやかな宴を開いてもらった。
とは言っても、いつも通り、アンナがギターを弾いて、エリックとマイケルが即席の楽器で伴奏をしては、子供たちが笑い合ったり歌ったりするだけだったが……この時ばかりは大尉も規律を緩めていたのか、珍しく代わる代わる部隊の兵士たちもやって来て彼を祝福しては即興芸をやったりして帰っていった。
アーサーは相変わらず子供たちに王子・王子と呼ばれていたが、もう彼のことを空気が読めなくて世間知らずというつもりで呼ぶものは居なかった。
やがて、夜遅くなると年少者達がウトウトし始め、宴はなし崩しにお開きになった。子供たちはそのままキャンプファイヤーを囲んで眠り、アーサーも久々に腹いっぱい食べた影響か、そのまま集落にとどまって眠ってしまった。
そんな彼の両脇には、昼間助けてあげた年少者の二人がピッタリとくっついていた。いつもはアンナにベッタリだった子供たちなのに……それが微笑ましくもあり、悔しくも思えた。
アンナはそんな彼らの寝顔を見ながら、子守唄代わりにギターを引き続けていた……
……深夜……
「…………うん……そうだね。最初は偉ぶってて、変態で、嫌なやつだと思ってたけど、とても良い人……子供たちもみんな彼のことが好きみたい」
寝静まる集落の中で、アンナの声だけが響いていた。
集落の子供たちはみんな深い眠りに誘われていて、大いびきをかいて眠っているアーサーも起きる気配はない。
彼の従者は塹壕に帰り、彼の代わりに夜勤の警戒を行っていた。だから、この集落の中で動く影はアンナしかいないはずだった……
だが、彼女は独り言を、ほんの少し弾んだ声で口走っていた。
「分かった。彼に付いて行けば良いんだね。最初は何の冗談かと思ったけど、今ならあなたの言うことが信じられるよ……」
それはまるで誰かに話しかけているようだった。
だが、もしもこの時、誰かが起きて彼女の様子を窺っていたら、きっと奇妙に思ったに違いない。彼女は何もない虚空に向かって、ニコニコと親しげな表情を浮かべながら、独り言をつぶやいていたのだ。
「うん……お母さんを殺した魔王を、私は絶対許さない。あいつを殺すその日まで、私は走ることを決してやめない……だから最後まで、私に力を貸して……うん……うん……ありがとう。そうだね。今日はちょっと疲れちゃったかも……」
周囲には誰もいない。起きている者も一人もいない。
「おやすみキュリオ……私達、二人の願いが叶う日まで」
なのに彼女はそう言うと、ギターを枕にして、いつも居るスペースに子供たちが居ないことを少し寂しく思いながら……
眠りに落ちた。
3日休みます。続きは月曜から