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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
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悪辣な魔王からリディアを奪還するために

 吟遊詩人(ミンストレル)の実力を垣間見たアーサーは、その力に舌を巻くと同時に、なんとしてでも彼女を部下にしたくなった。あのエルフをまるで子ども扱いする彼女なら、魔王にだって打ち勝つことが可能だろう。


 それにしても、どうして彼女は今までエルフを殺さなかったのだろうか。アーサーが前線に来てから数週間、その間にエルフは何度も襲撃してきたのにも関わらずだ。


「それならこの間、あなたが自分で言っていたじゃないの。あの子はエルフを殺したくなかったのよ」


 アーサー達3人はその理由を尋ねに、彼女とそこそこ親しそうな大尉(キャプテン)の元へとやってきた。


 大尉は詩人を仲間に引き込みたいという、彼らの事情をある程度知っており、嫌な顔をせず協力的に接してくれていたのだ。


 その彼が言うには、吟遊詩人は魔王に復讐するなどと言ってる割には、平和主義者なのだという。


「殺したくないだと……? あの時の比喩は本気だったのか」

「多分、お母さんの影響じゃないかしらね。あの子は必要以上に生き物の命を取ることをしたがらないのよ。子供たちが昆虫や小動物をいたぶったりすると、それこそ子供みたいにすごく怒るわ」

「じゃあこの間のは、子供が殺されそうになったから、仕方なくエルフを排除したって感じか」

「まさしくその通りよ。あとは生きるため。以前、あなたが言った通り、肉屋が家畜を屠殺するような感じじゃないかしら。それでもまだ抵抗があるみたいね」

「うむむ、む~ん……なんということだ。それじゃあ、家来にしたところで、エルフと戦ってくれるかどうか分からないではないか」


 アーサーが困ったぞとばかりに唇を尖らせると、大尉は呆れた感じに肩をすくめて首を振った。


「やれやれ……あなた、どうして彼女を仲間に引き入れようとしたんだったかしら?」

「ん? それはもちろん、リディアを奪還するためだ」

「違うでしょ。それじゃ吟遊詩人に、あなたに変わって生き物(エルフ)を殺せって言ってるようなものよ? それじゃあの子は手を貸してはくれないでしょうね」

「いや、しかし、彼女は魔王討伐が目的だってはっきり言っていたぞ?」

「そうよ、あの子の目的はあくまで魔王討伐。エルフ退治じゃないの。あなたは全部あの子にやらせるつもりだったの? もしあなたが本気で魔王を倒したいのなら、寧ろ、彼女に変わってエルフを露払いするくらいのつもりでいないと駄目じゃないの」

「う……う~ん。そうか」


 言われてみれば確かにそうだ。エルフも魔王も全部倒せと言うのなら、アーサーはそもそも必要ない。彼女が一人で魔王討伐に行けばいい。


「そうしないのは、あの子一人じゃそもそも魔王城に近づけもしないからでしょう。少なくとも、彼女はこの五年間でそれを実感している。なのにあなたは何もしないで、彼女の努力を横取りするだけなの?」


 アーサーは返す言葉もなかった。


 正直なところ、エルフを倒せないのに魔王討伐もクソもない。いい加減、自分の考えが甘いことがわかってきた。


 ランに言われたことが、今更になってじわじわとボディブローのように効いてきた。アーサーがリディア奪還を口にした時、彼女はどんな気持ちでそれを聞いていたのだろうか。思い出すと顔が熱くなってくる。


 実際、あの時のアーサーが何を考えていたのかと言えば、とにかくお金があればなんとかなるくらいにしか考えてなかったのだ。


 彼が生まれる数年前、技術革新があってエルフは人間が戦えない相手ではなくなった。実際、一時期は攻勢に出ていたわけだし、だから人数さえ集めて武器を持たせれば、あとは傭兵がなんとかするだろうと思っていたのだ。


 だが、こうして前線で実際に戦闘を経験してみると、人類はエルフと戦えるようになったとは言っても、森から出てくるエルフたちを食い止めるのが精一杯で、押し返しているわけではないのだ。


 終わりの見えない戦いを前に、いつしか人々は現実を直視しなくなり、前線は傭兵と義勇兵(ただの食い詰めた人間)だけでどうにか持ちこたえているのがやっとで、士気も低かった。


 ここから攻勢に転じるには、ただ人を集めただけでは駄目だろう。集まった兵士たちが、エルフに勝てると思えるくらいの、説得力のある何かが必要だ。そうでなければ兵隊を集めることすら叶わないという、本末転倒な現実が見えてくる。


 実際、何かいい方法は無いものだろうか。


 例えば、吟遊詩人に匹敵するくらいの魔法使いを探しだしてサポートに雇うとか、新戦法を編み出すとか、新しい武器を作るとか……考えられることはこのくらいだろうか。


 しかし、吟遊詩人と同等か、それ以上のレベルの魔法使いなんて、果たして存在するのだろうか? すぐに思いつくのは剣聖くらいのものだが、彼女に関してはその行方が知れなかった。おまけに、詩人は剣聖を恨んでいるのだ。彼女の母親は、剣聖にいいくるめられて魔王討伐へ赴き犠牲になった。彼女が恨んでいるような相手とコンビを組めと言っても、マイナスにしかならないだろう。


 新戦法……なんてものがホイホイ思い浮かべば苦労は無いが、これは検討する価値はあるだろう。こういうものこそ、人を雇って大勢で考えればいいのだ。アーサーが生まれる前にあった大戦で活躍した将軍たちが、まだ何人も生きている。彼らの意見を集約すれば、光明が差してくるかも知れない。


 惜しむらくは、対エルフ戦術で多大な貢献があったと言われる、帝国銃士隊クロノア中佐が亡くなっていることだ。彼が生きてさえいれば、戦況はまた変わっていたかも知れないのだが……噂では15年前、魔王自らの手によって、中佐は殺害されたらしい。魔王はよほど彼の存在を恐れていたに違いない。


 他にも新兵器を開発するというのも悪くない考えだろう。問題は、それだけの頭脳がミラー領ヴェリアにも居ないと言うことだ。ヴェリアは今となっては世界有数の工業地帯であるが、その技術者たちの知識は、残念ながら殆どが旧世代のものだった。


 かつて、リディアを帝国へと押し上げたS&H社の優秀な技術者は、事故によって大勢が一度に失われたと言われている。その直後、魔王の跳梁が始まったことを考えると、今となってはこの事故は魔王の謀略だったのではないかという説が一般的である。


 おそらくエルフである魔王は、人間が飛躍しようとしていたことを察知して危機感を覚え、人間になりすまして帝国を混乱へ陥れたに違いない。やはり、この悪魔をどうにかしなければ、人類はエルフにいずれ駆逐されてしまうだろう。


 ともあれ、起こってしまったことをいくら嘆いていても始まらないだろう。悪辣な魔王からリディアを奪還するためにも、吟遊詩人を仲間にするためにも、アーサーはこれらのうちから現実的な方法を選び取るしかないのだ。だが、今のところその全てが夢物語に過ぎなかった。


 そして有効な手立てが何も見つからないまま時が流れた。


 吟遊詩人も最初の頃のように避けたりはせず、話しかければ普通に接してくれるようになっていたが、やはり部下になれとか、いっそ上司でもいいからと土下座しても、仲間になってはくれなかった。


 その間、何度もエルフとの交戦が行われたが、案の定、彼女はあの時のようにエルフを倒してはくれなかった。ただ、エルフが森に引き返して行ったら、子供たちと一緒にてくてく歩いて行って、種拾いをするだけである。


 そんなある日のことだった。前線の他の部隊が壊滅したと言う報せが大尉の元へ入ってきた。


 アーサーはその日も交代で非番になると、いそいそと子供たちの集落へと出向いて行って、吟遊詩人に自分の部下にならないかとスカウトしていた。


 スカウトとは言っても、最近ではもう、なんとなく言ってオーケーしてくれれば儲けモン、といった感じの挨拶程度のものだった。彼女の方も、もはや何を言っても聞く耳持たない風であったが……


 そんな時、集落に大尉がやって来て、


吟遊詩人(ミンストレル)。ここから北に少し行った部隊が壊滅したらしいの。エルフから陣地を奪還するため、手を貸してくれないかしら」

「わかった」

「それじゃ、お願いね」


 アーサーはずっこけた。


「おい、ちょっと待て! 俺の勧誘は断るくせに、大尉(キャプテン)のお願いは二つ返事とは、どういう了見だ!!」


 そのあまりの対応の違いにプリプリと怒って抗議したが、彼女は一向に気にした素振りも見せず、ただ面倒くさそうにその場から去っていった。


 もしかして、もう現場に向かったということだろうか……? 場所も詳しく聞いてないのにと、ポカーンとしながらその背中を見送っていたら、


「こらっ! 私が彼女にお願いしたことは、あなたの野望に付き合うのとはわけが違うのよ。前線を突破されたら、周辺にまで被害が及ぶの。緊急事態に私利私欲で責めるのはやめなさいよね」

「う~む……確かにその通りだが、あれだけエルフを殺すことを嫌がっているくせに、腑に落ちなくて」

「別に私、殺せとは言ってないもの。奴らを森に押し返してくれればそれでいいんだから……」

「あ、そうなの?」


 前線に人が居なくなるということは、ばらまかれた種を回収することが不可能だと言うことだ。そのまま放置しておいたら一ヶ月くらいで、そこはもう二度と人が足を踏み入れられない雑木林になってしまう。そうなってしまう前に、種の回収を手伝ってくれと大尉は頼んだのだ。


 これなら生き物を無理に殺さなくて済むし、回収した種の代金も沢山もらえるから、彼女も率先して手伝ってくれるのだそうだ。


「なるほど……奇特なことに、ちびっ子どもの食い扶持を稼ぐためにいそいそと出かけていったと言うわけか」

「その通りだけど、あんたも口が悪くなったわね」

「子供は優しくすると付け上がるからな。ところで、こんなことはよくあるのか?」

「滅多にあることじゃないけど、全く無いわけじゃない、そんなところかしら」


 これまでに言及してきた通り、前線は何百キロにも渡って構築されており、何もアーサーがいる場所だけがそう呼ばれているわけではない。そして、人類はエルフと交戦を続けているとは言え防戦一方であり、基本的に他の部隊には詩人のようにエースと呼ばれるような存在は居なかった。


 何かの拍子で前線を突破されると、もはやエルフを止める手立てはなく、そこは森になってしまう。おまけに、前線を突破したエルフが何をするかと言うと……


「……エルフは、人間を食べるのよ。誰だってそんな死に方したくないでしょ」

「人間を……食うだって!?」


 アーサーは目を丸くした。そんな話は初耳だった。


 アーサーは特別エルフの生態に詳しいというわけではないが、それでもリディア王族の末端に連なるものとして、多少のことは知っているつもりだった。何しろエルフを世界で初めて解剖して、その生態を調査したのは、唯一エルフとの交戦に勝利した経験のあるアナトリア帝国だけだった。それはミラー家の家庭教師から彼にも伝わっていた。


 それによると、エルフという生き物は、食べ物を口にしないと言うのが定説だったはずである。エルフが唯一味方と認識するらしき亜人が与えた場合だけ、それを厚意として受け取り口にするらしいのだが、そういうことがなければ一切食物に手を付けることはない。一日中森の中でじっとして、それこそ光合成する植物のようにして過ごしているという話であった。


 太陽がどんどん暗くなり、その光合成の力が弱まったせいで、エルフの生態も変わったということだろうか。そう言えば、エルフは単独行動を好み、複数では行動しないとも聞かされていたが、ここで戦ってきた限りでは、まったく逆である。


「そうね。大昔はそうだったって言われてるわね。でも、元々物を食べる器官はあったわけだから」

「本当に本当なのか?」

「ええ。まだ亜人が人類の味方だった頃、制圧された塹壕の様子を見に行った亜人がそう報告しているわ。エルフが殺した兵士を解体して、さながら餓鬼のようにかぶりついていたらしいの……エルフは人間の死体を嬲るとは聞いていたけど、食べるとは聞いたことがなかったから、その頃、少し騒ぎになったんだけど……」


 人間は自分で見たことでない限り、信じたいことしか信じない。亜人しか報告していないことを信じられぬと言って思考停止してしまい、この事実はあまり広まっていなかった。


「でも、今でも目撃例は結構あるのよ。少なくとも、家畜を襲うというのはもはや疑いようの無い事実みたいね」

「なんてこった」

「実はあの森の中はね……果実が豊富で、食べ物の宝庫なんだって。エルフはそれには手を付けず、代わりにそれを求めて森に入ってきた鳥や、野生化した家畜なんかを捕らえて食べているらしいのよ」


 まるでこの森自体が巨大な食虫植物みたいだ……今まで何度かエルフと交戦したが、あれはもしかして森を広げるために種を巻きに来ただけではなく、単純に人間を捕食するために出てきていたのかも知れない。そう考えると見る目が変わって、エルフが今まで以上に恐ろしいものに思えてきた。怖気が走り、身震いする。


 それにしても、どうしてエルフはこんなにも変わってしまったのだろうか。エルフは人間を見かけると、嬲るようにして殺すとは聞いていたが、食すなんて話は聞いたことがない。もしかしてこれも魔王が何かをしたせいなのだろうか。せめて亜人がまだ人間の味方であったら、もう少し詳しいことが分かるのだろうが、残念ながら、あの人種はもうエトルリア大陸には一人もいなかった。


 亜人は人類を裏切って、魔王の側についてしまったのだ。何しろ、自分たちはエルフに襲われないのだから、人間に義理立てする必要なんてない。それに、もし本当に森の中が食べ物の宝庫だとすれば、食べ物がなくて汲々としている人類につくより、よほど賢いというものだろう。


「……人類は、思った以上に追い詰められているのだなあ」

「何を言ってるのよ、今更」

「いや……」


 彼は知らなかったのだ。エルフの強さも、実はもうこんなに追い込まれてるのに、それから目を逸らし続けている人類の弱さも。それが分かったとき、彼の中で何かが変わろうとしていた。


 きっかけは政敵に敗れ、その巻き返しのためにリディア奪還を目指していたアーサーであったが……何かこのままではいけないんじゃないかと、漠然とした何かを感じていた。


 リディア奪還。その目標自体は変わらないが、自分は一体、何のためにリディア王になりたいのか。志は何なのか。何がしたかったのだろうか。それは家族や、政敵を見返してやりたいだけじゃないはずだ。


 何かはっきりとしないもやもやとしたものを抱えながら、彼は危険な最前線に立ちながら、まだ見えてこない彼の未来について考え始めた。


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