ありゃあ、本物ですね
「……魔王が、母上の敵だって?」
子供たちが寝静まった深夜。アーサーはここ数週間、何度も接触を試みては避けられていた吟遊詩人とようやく会話が出来るようになったと思ったら、話は思いがけない方向へと転がっていった。
彼女は、自分の母親が魔王に殺されたと言うのだ。
魔王のせいでこの世界が住みにくくなったことは、言うまでもなく事実である。奴がけしかけたエルフに占領されて、ティレニア半島は人が住めない土地になってしまった。また、奴のせいで太陽が隠れてしまって、食糧危機が起こり大勢の人々が死んだ。
だから魔王を敵と呼んで憎んでいる人たちはごまんといる。
彼女が魔王を敵と言う意味が、いまいち分からなかったアーサーは、もしかしてそういう意味だろうかと思ったが、吟遊詩人は首を振ってそれをはっきり否定した。
「違う。お母さんは魔王に殺されたの。事実よ」
「もしかして、エルフに殺されたという意味だろうか……?」
「そうじゃない。魔王に直接、刺し殺されたの」
「魔王に刺し殺された……? まさか貴様の母上は、魔王と直接戦ったとでも言うのか?」
すると詩人は奥歯を噛み締め、思い出すだけでも耐え難いその悔しさに耐えながら、何度も何度も首肯した。
「そんな馬鹿な」
アーサーは彼女の言うことが、とても信じられなかった。
つい先日確かめてみた通り、今のリディアは船で近づくことすら難しい土地である。魔王の居城のある旧ローデポリス市街は、漁師が言うには、近づくだけで魔法が飛んでくる厄介な場所だった。もっと離れたところであるなら、もしかしたら上陸が可能な場所があるかも知れない。だが、すると今度はエルフが住む森を通らねばならなくなる。今のリディアに、安全な場所はないのだ。
だからアーサーは真正面から攻めるのは無理だと判断し、まずは兵隊を集めて橋頭堡を築こうと考えているのだ。もし、同じことをやろうと考えている者が居たのなら、自分が知らないわけがないだろう。残念ながら、リディア奪還を目指して挙兵したと言う話は、今までまったく聞いたことがない。詩人の話はどう考えても眉唾にしか思えなかった。
だが、そんな空気を察したのか、彼女は憮然とした感じで語気を強めて続けた。
「信じられないならそれでもいい。けど事実よ。お母さんは10年前、魔王討伐のためにリディアへ渡ったの」
「いやしかし、エルフの跋扈する土地だぞ? ここでエルフと戦っている貴様なら分かるだろう。並の軍隊では近づくことすら出来ないはずだ」
すると彼女は頭を振って、
「お母さんは軍隊に参加したんじゃない……お母さんは、剣聖エリザベス・シャーロットの従者として、魔王討伐に参加したのよ」
「な、なんだって!?」
アーサーは今度こそ仰天した。
剣聖エリザベス・シャーロットは、アーサーの知りうる限り人類最強の一人として数えられており、アスタクス方伯から直々に対エルフ戦線に参加するように要請されるような偉人であった。数々の戦場で名を馳せたその武勇は今なお人々の賞賛の的であり、アーサーのような若い騎士からは、例外なく憧憬の対象として見られている人物だった。
彼女であれば確かに単独でも魔王城へ辿り着くことが可能であろう。だが、彼女は人々に望まれながらも、何故か方伯からの誘いを固辞し、対エルフ戦線に参加しようとはせずに隠居してしまったと言う噂があった。
実際、彼女が前線に出てきたと言う話はまったく聞いたことがなく、今となっては方伯が彼女の名前を口にすることもない。彼女がどこにいるのかも、実はよく分かってないのだ。それが方針転換して、こっそりと魔王討伐に出向いていたとは信じられないだろう。
……だが、そう指摘したところで詩人の口がまた重くなるだけだ。せっかくこうして会話出来るくらいには打ち解けてきたのだから、ここは黙って彼女の話を聞こうと、アーサーは続きを促した。
詩人の話はこうである。
今を遡ること10年前。彼女の母親は剣聖と共に魔王討伐へと向かった。魔王を倒すには絶対に母の力が必要なのだと、周りの大人達がいつも言っていた。彼女はそんな母親のことを誇りに思っていた。
反面、大好きな母が危険な目に遭わされるのが納得行かず、大人たちが母に魔王と戦えと言う度にいつも反対を唱えていた。母は心配する彼女に対し、『あなたが一人前になるまでは、決してそばを離れない』と約束してくれた。
ところが風向きが変わったのは剣聖エリザベス・シャーロットがやってきてからだった。剣聖はやってくるなり母に魔王討伐に参加するように要請した。剣聖と母は昔ながらの知り合いらしく、彼女に頼まれると母は弱いようだった。
詩人は母親が連れて行かれるかも知れないと思って不安になった。それでも同年代の子供たちと同様に剣聖に憧れを抱いていた彼女は、あの剣聖までもが母を特別視することを、心のどこかで嬉しく思ってもいた。
だから剣聖が、母は娘が許してくれるなら魔王討伐に参加すると言っていると彼女を説得に来た時、彼女は不安に思いながらもそれに応じてしまったのだ。
魔王なんて恐ろしい相手と戦って、母が酷い目に合わないかと彼女は最後まで不安に思っていた。だが、剣聖が絶対に勝てると言うので彼女は信じてしまった。それに母だって彼女からしてみれば、とても強い人だったのだ。きっと、この二人ならばやってくれる。詩人はそう思って二人を送り出した。
ところが……そうして母親たちがリディアに旅立っていってから数週間後、予期せぬ事態が起きた。
剣聖エリザベス・シャーロットが、ただ一人、ボロボロになって帰ってきたのだ。
剣聖の怪我は見ていられないほど酷く、歩いているのもやっとという有り様だった。彼女は瀕死の重傷を負いながらも、命からがら魔王城から逃げ延びると、どうにかこうにか詩人の元へと戻って来た。
そして彼女は詩人に言ったのである。
自分が魔王に敗北したこと……そして、母が死んだことを。
「……剣聖が……敗れただとっ!?」
驚愕の事実にアーサーは目を丸くした。到底信じられない話であったが……だが、そう考えてみると、何故か剣聖が表舞台から消えた理由、アスタクス方伯が彼女の話をしなくなった理由の辻褄が合う。それに彼女の持つ剣聖の懐剣……
「剣聖はお母さんを巻き込んだことを詫びると、私にこの剣を渡して、それ以上何も告げずに去っていった。私は剣聖を恨んだ。けど、一番許せなかったのは、自分が無力だったこと」
当たり前だが当時4歳の少女に成すすべはなく、ただ悲嘆に明け暮れることしか出来なかった。彼女は何年も何年も泣き続けた挙句、そんなことを続けていても母はもう帰ってこないと悟り、やがて復讐の旅に出ることにした。
以来5年間、彼女はこの場でエルフを狩り、牙を研ぎ続けている。それはやがて人類が攻勢に転じるときに、先陣を切って魔王城へと乗り込むためだった……
話を聞き終えたアーサーは尋ねた。
「すると、貴様の目的は魔王討伐だったのか?」
詩人は力強くうなずいた。
その姿を見て、アーサーはポンと手を打った。まさかこんなにトントン拍子に話が進むとは。
「だったら話は早い。実は、俺は近々魔王討伐のために挙兵するつもりで、ここにこうして貴様を勧誘するためやって来たのだ。対エルフで戦力になる奴は喉から手が出るほど欲しい。なんなら褒美だって弾むぞ。どうだ? 貴様、俺の家来にならんか?」
すると吟遊詩人は、
「絶対に、嫌!」
力いっぱい拒絶した。
アーサーはずっこけた。
「な、何故だ!? 目的が一致しているなら、我々は協力し合えるじゃないか」
「協力って言うのは、同等の能力を持つ物同士がするものよ。あなたは、私みたいにエルフを倒したり、大尉みたいに軍隊を指揮したり出来る?」
「貴様が家来になればエルフも倒せるし、パトロンがつけば後は兵士を集めるだけだ。造作も無いことだぞ」
「それじゃ、私は利用されているだけじゃない……あなたは何もやってない」
「これからやれば良いだろう。貴様さえ協力してくれれば、何もかもが上手くいくはずだ。いや、行かせてみせるさ」
「自分の都合ばっかり……お母さんは、剣聖に利用されて死んだんだ。私は他人に利用されるのなんて、まっぴらよ」
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その後、二人は明け方まで、家来になるならないで口論を続けた。
エルフを倒しさえすれば、コルフ総統に口を利いてもらえて、リディアへ渡る算段もつく。だからアーサーは詩人に、『一時的に利用されるとしても、その後で利用しかえせばいいじゃないか』と言ったのだが、彼女は頑として彼の提案を受け入れることは無かった。アーサーのことなんて何も知らないし、全然信頼が置けないと言うのだ。
それは結局、ランが言っていたことと同じことなのかも知れない。
アーサーはカンディア公爵を自称しているが、領主としても、指揮官としても、これまでに上げた実績は一つもない。彼はまだ何者でもなく、あるのは親の七光りだけなのだ。そんな彼が何を言っても、実力者からすると何を甘っちょろいことを言っているんだと、夢物語にしか聞こえないのだろう。
今のアーサーのために、命をかける者なんて誰も居ないのだ。
だからランは、彼にエルフを倒して来いと言ったのだろう。その時、独力で倒せとは言わずに、吟遊詩人を引き込めと言ったのも、きっとこうなることを予想してのことではなかろうか……
結局、彼が彼女の信用を得るには、独力でエルフを倒し、実力を示すしかないのだ。
しかし、ここ数週間エルフと戦った限りでは、それは絶望的に思えた。大尉が言っていた通り、今の対エルフ戦は、塹壕の中から弾幕を張るのが精一杯で、昔みたいに奴らを効率的に狩る方法はない。可能性があるとしたら数の暴力に訴えかけるくらいしかないのだ。
せめてアーサーに聖遺物があれば、エルフの攻撃を引きつけて隙を作るなどの作戦も考えられるのだが、残念ながら彼には扱える聖遺物が無かった。大金持ちの家系に生まれ、手にするチャンスが無かったわけではない。寧ろ誰よりも恵まれていたのだが、アーサーにも扱える聖遺物は見つからなかったのだ。
祖父であるミラー伯爵は、『聖遺物は一子相伝。きっとアーサーがリディア王家の至宝クラウソラスを継承したからだ』と言って慰めてくれたものだが、家を追い出された今となっては、祖父が本気でそう思っていたかも疑わしい。
何しろ、アーサーの父ウルフは無能だったと聞いている。ヒーラーである母ではなく、無能の父の血の方を多く受け継いだのなら、その可能性も否定出来ないだろう。
アーサーに魔法の才能があるのかないのか、クラウソラスが手元にあれば確認出来るのだが、魔王登場を前後して、かの宝剣は行方不明になってしまった。風のうわさでは魔王に奪われたとも、父の乗った船と共に海中に沈められたとも言われているが……もし本当ならそんなもの探しようもなかった。
そんなわけで、実力を示せと言われても、今のアーサーにはやれることなど殆どない、正直なところ手詰まり感を覚えていた。彼は子供たちの集落から帰ってきて、塹壕の中で従者相手に愚痴っていると……
「吟遊詩人は、魔王は自分の父親じゃないと言ったんですか?」
てっきり笑いものにされるのだとばかり思っていたのだが、珍しく従者たちの反応がシリアスだった。尤も、それは主人が弱気になったからではなく、詩人の様子について何か気がかりがあるようだったが……
アーサーは深夜に交わした彼女との会話を、彼らにも詳しく話して聞かせた。
「ああ、そう言ってたぞ。彼女の父親は音楽家だったそうだ。そう言えば、母親は死んだと言っていたが、父親のことは何も言ってなかったな」
「音楽家……ですか」
「うむ。でもあの口ぶりでは、父親の方ももうとっくに死んでていないのだろう。そうそう……それから、あの剣は本当に剣聖に託された物だったぞ! かの有名な伝説の剣を扱えるのだとすれば、彼女がエルフを屠れるという事実も頷ける。きっと、ものすごい魔法が使えるんだろうなあ……羨ましい。是非一度、拝見してみたいものだ」
そんな風にアーサーがうっとりとしているのに、従者の二人はどことなくそわそわとしながら、変なことを口走った。
「そうですねえ……ところで、彼女は本当にあれが使えるんですかね?」
「ん……? どういう事だ」
「聖遺物を持っているだけでは、使えるとは限らないじゃないですか」
「まあ、確かにそうだが。なぜそう思うんだ?」
「いや、だって……」
そう言って口ごもる二人を見ていると、どうやら彼らは使えない方がいいと思ってるようだった。彼らが胸の内で何を思っていたのか、この時のアーサーにはわからなかったが、突然そんなことを言い出す二人を訝しく思ってみていると、彼らは慌てて言い訳するようにつづけた。
「俺達ここに来てから結構経つけど、一度も彼女が魔法を使ってるところって見たこと無いじゃないですか。だから、ホントに使えるのかなって思っただけです。」
「……言われてみればそうだな。今日まで全くエルフが出てこなかったと言うわけではない。エルフを狩る機会も一度や二度ではなかったはずだ」
そんな風にアーサーが小さな疑問に首を傾げていると……
「エルフが出たぞー!」
近くの塹壕から兵士の叫び声が聞こえてきた。間髪入れずに連絡のラッパが鳴って、塹壕の中でダラダラしていた兵士たちがあたふたと大慌てで持ち場へと駆けていく。
「言ってるそばからこれだ」
アーサー達三人もお喋りをやめてライフルに弾を込めると、深呼吸して気を落ち着かせ、塹壕から首をひょいと出した。弾幕を張るためエルフの位置を確認すると、いつものようにエルフは2体居るようだった。お互いに隙をカバーしあう構成で、こうなるともうライフルの弾は当たらない。今回もエルフを倒すのは無理そうである。
アーサーはそれを確認したら、すぐに塹壕に引っ込めた。ずっと頭を突き出していたら狙い撃ちにされてしまうから、顔を出していたのはほんの一瞬の出来事である。だがその時、彼は視界の片隅に、無防備に転がっている子供の姿を捕らえたような気がして、手にしたライフルを落としそうになった。
見間違いだろうか……? ぎょっとして、彼は危険を顧みず、もう一度頭を塹壕から出して確認すると、前方にあるタコ壺に飛び込もうとしていた子供の一人が、何かに躓いて転んでいるのが見えた。転んだ拍子にどこかを怪我でもしたのだろうか、蹲ったまま動こうとしない子供から、ヒックヒックとしゃくり上げる声が聞こえてくる。
だが、泣いている場合じゃない。
「おい、馬鹿っ! 早く身を隠せ!」
アーサーは咄嗟に叫び声を上げた。このままエルフに見つかってしまったら、あの子供の命はない。だが、彼のその不用意な叫び声が、かえってエルフたちの気を引いてしまったようだった。
ハッと我に返った彼が森の方を見ると、エルフと目が合った。ゾクリと背筋に悪寒が走る。エルフはアーサーとその前方に転がる子供に気づいたらしく、ニタリと邪悪な笑みを浮かべてから、こちらをロックオンしたかのように、詠唱しながら腕を振り上げた。
(俺のせいだ……)
アーサーが塹壕から飛び出そうとすると、すかさず従者たちに引きずり降ろされた。両サイドからステレオで説教され、パニックになりながら彼は再度塹壕の外に顔を突き出した。
(駄目だ……間に合わない……)
今から飛び出していっても、もはや子供は助からないだろう。だから自分だけでも首を引っ込めるべきだ。そう思うのだが、金縛りにでもあったかのように、アーサーは身体が動かなかった。
このままだと自分まで犬死にしてしまう……分かってはいるのだが、彼は最後まで子供を助ける方法が何か無いかと諦めきれなかった。
と……その時だった。
もはや絶体絶命の彼の視界が、何の前触れもなく、突然真っ白になったかと思うと、閃光とともに猛烈な炎が辺り一面に吹きすさび……
ドオオオオオオオオォォォーーーンッッ!!
っと、爆音を轟かせて、エルフ共々、周辺にあったありとあらゆるものを消し飛ばした。
そのあまりの熱量に、アーサーは目の水分が根こそぎ蒸発してしまったかのような痛みが走って、彼は塹壕の中に転げ落ちて悶絶した。
「ぎゃあっ!! 熱いっ! 熱い熱いっ!!」
ゴロゴロと転がる彼の顔に水がぶちまけられた。どうやら従者たちが、咄嗟に飲水をかけてくれたようだ。アーサーは目をつぶったまま水筒を受け取ると、水をバシャバシャと頭からかぶって、どうにかこうにか顔面を冷やした。
「さっきの子供はどうなった!?」
ようやく目が開けられるようになると、彼はすぐさま塹壕から顔を出した。すると子供はさっきと同じ場所で蹲ったまま、エーンエーンと盛大な声を上げて泣いていた。
ホッとするのもつかの間、彼は耳を澄ましているわけでもないのに、周囲に子供の泣き声以外、何も聞こえないことに気がついた。
驚いて部隊の兵士たちを振りかえると、みんな構えた銃を下ろして、何か納得がいかないといった表情をしながら、ただ一点を見つめている。
その視線の先を辿れば、盛大に燃え広がる森をバックに、一人の少女が立ち尽くしている姿が見えた。
彼女の手には、白よりも白くきらめく刀身の短剣が握られており……その足元には、二体の黒焦げになったエルフの死体が転がっていた。
アーサーはゴクリと唾を飲み込んだ。
「これが、吟遊詩人の実力……彼女の魔法の威力なのか……」
「ああ、ありゃあ、本物ですね……」
隣から溜息をつくような従者たちの声が聞こえてきた。その表情はどことなく悲しげに見える。
彼らがどういう気持ちで本物と口走ったのか、この時のアーサーにはわからなかったが、彼はただただ彼女の見せた尋常でない力に圧倒されながら、
「なんとしてでも彼女を俺の家来にしなければ」
そんな自分勝手な決意を新たにするのであった。