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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
312/398

サインください

 アーサーは泣きながらパンツを洗った。ガラデア川の水は冷たくて身にしみた。すぐ近くの木には彼の服が吊るされていて、ポタポタと水滴が落ちていた。同じことを繰り返してるせいで、時間が巻き戻ってしまったような錯覚を覚えた。


「へぷちっ! へぷちっ! ええい、くそ忌々しい! 吟遊詩人(ミンストレル)め。出会い頭にいきなりサックリとやるような奴がどこに居る」

「あれは坊っちゃんが悪いでしょ。いきなりあんなことしたら、慣れてない子はビックリしますよ」

「サックリやられたっていっても、綺麗に薄皮一枚分だったじゃないですか。坊っちゃんが泡吹いて失禁したせいで、彼女オロオロしてましたよ。可哀想に」

「うるさいなあ……あれくらい、社交界じゃ挨拶みたいなものではないか。彼女も貴族の端くれなら、あれくらいで取り乱しては困るぞ」

「貴族……? 何言ってるんですか、あんた。こんなとこで暮らしてる子が貴族なわけないじゃないですか」

「しかし、聖遺物(アーティファクト)持ちではないか」


 アーサーが唇を尖らせながらそう言うと、従者の二人は顔を見合わせてから、


「ああ~……なるほど。それであんな奇怪な行動に出たんですね」

「奇怪言うな」

「聖遺物持ちならば貴族って図式は、確かに大抵の場合に当てはまりますけど、絶対ではありませんよ。寧ろ、強い魔力を持つ者は、貴族以外に多いって言われてますし」

「そうなのか?」

「剣聖様だって出自は庶民じゃないですか」

「言われてみればそうだなあ……それにしても、おまえたち、どうしてすぐに彼女が聖遺物持ちだって分かったんだ? 俺は見ただけでは分からなかったぞ」


 すると二人は渋い顔をして明らかに言いたくなさそうな顔をした。アーサーは主人として従者のプライバシーは大切にしているつもりだったが、そうは言っても気になるものは気になるので詳しく聞いてみたら、エリックが何やら遠い目をして話しだした。


「……実は、あれと同じものを以前にも見かけたことがありまして」

「ほう、誰か別人の持ち物だったのか?」

「ええ、一目見て分かりました。どうしてあれがここにあるのかはわかりませんが……あれは剣聖エリザベス・シャーロットの懐剣(かいけん)、ハバキリソードで間違いないです」


 話の種くらいのつもりで気楽に聞いていたアーサーは思いっきり咽た。気管に唾が入り込んでしまったようで咳が止まらない。涙目になりながらどうにかこうにか呼吸を整えると……


「な、なんだって? どうしてそんなものがここに……いや、それよりも、どうしておまえがそんなことに詳しいんだ!?」

「だってなあ……」「ねえ……」


 すると二人はさも当然と言った感じに頷き合うと、エリックの方がボリボリと後頭部を掻きながら、


「剣聖様は俺の昔の同僚だったんですよ。あ、いや、もちろん、剣の腕前なんか比べ物にならなくって、あっちはバリバリの武闘派で、俺は荷物持ちみたいなもんだったんですけど……」

「な、ななな、ななななななな、なんだってっ!? どうして、そんな大事なことを今まで黙っていたんだ!」

「だって、いきなりそんなこと言ったって、誰も信じちゃくれないでしょう?」


 アーサーは今度こそ仰天し腰を抜かした。ヴェリアで生まれ育ったものなら、子供の頃から寝物語の聞かされる剣聖エリザベス・シャーロットと、目の前の従者が知り合いだったとは……


 彼はフラフラとよろめいては、ボッチャンと川に片足を突っ込んだ。そのまま洗っていたパンツが流されて行きそうになったので必死に手を伸ばした。伸ばした拍子にぬかるみにはまってドボンと頭から川に落っこちた。


 ザブザブと水をかき分け、全身ずぶ濡れになった主人がパンツを片手に目を血走らせて川から上がってくる。エリックは何で睨まれているのかと腰が引けて、キョロキョロと視線が泳いだ。アーサーはそんな彼の胸ぐらを、むんずっと掴み上げると、


「サインください」


 口角に唾を飛ばしながら、良くわからないことを口走った。

 

*********************************

 

 カンディアに飛ばされた時、母親がどうしてこんな頼りない二人をお供に付けたのか、さっぱりわからなかったが、その理由が分かったような気がする。シドニアの時もそうだったが、この二人は人脈が広いのだ。


 もう他に何か隠してないかと尋ねてみれば、料理人のマイケルは何故かエトルリア聖教の大司教に顔が利くらしいし、二人共通の知り合いがレムリアにも居るらしい。そして海軍出身者らしく、地味に元軍人の漁師に知り合いが多いそうだ。


 つまり初めから、アーサーが思いつきで何か始めても、どうにかなるようになっていたというわけだ。アーサーはお気に入りの刺繍をチクチクと補修しながら、母の愛をひしひしと感じた。


 ともあれ、そう考えるとこうして吟遊詩人に辿りつけたのも母の愛の賜物である。母の期待に応えるためにも、この上はなんとしても彼女を味方に引き入れねばと決意を新たにする。そしてアーサーは改めて彼女に話をつけるべく会いに行ったのだが、出会いが悪すぎたせいか姿を隠してしまい、二回目は会ってくれなかった。


 それにしても、どうして彼女はあんなところに居るのだろう。それに、所持しているあの聖遺物は一体……


「そういえば、あの聖遺物が剣聖の物なら、彼女が魔王の子供って言う噂はどうやら嘘だったようだな」

「どうしてです?」

「聖遺物は一子相伝、血縁関係がなければ起動しないはずじゃないか」

「なるほど。でも、それは決め手にはなりませんよ。もしかしたら、本当に彼女は魔王の子供なのかも」

「ん? おまえこそ、どうしてそう思うんだ」


 エリックはそれに答えてくれなかった。答えたくないという感じではなかったが、とにかく説明しづらいといった感じで、言葉が出ないようである。彼が何を考えていたのかは気になったが、


「まあいい。おまえがどう考えようと、俺は違うと思っているぞ。もし、本当に魔王の子供なら、ここでエルフと戦ってる理由がわからんだろう。それにリディア奪還のために魔王討伐を目指している俺にとって都合が悪い。彼女が魔王と戦いたくないと言い出したら困るじゃないか」

「自分の都合を真っ先に優先するところは嫌いじゃありませんが……確かにそうですね」


 普通に考えて、親を殺したい子供など居るはずないのだ……いくら相手が魔王であっても。


 その辺のことを直接本人に詳しく聞きたかったが、避けられてる状況ではどうしようもない。仕方ないので、アーサー達は、代わりに多少は事情を知ってそうな細マッチョの方を訪ねてみた。


「……あんたたち、平然とうろつきまわってるけど、ここが最前線だって自覚ある? 度胸あるんだか、単に何も考えてないんだか」

「これからエルフを倒そうってんだ、いちいちビビっていられるか。それよりも少し話を聞きたいのだが……」

「吟遊詩人がどうしてエルフと戦ってるかですって? そりゃあ、生活のためでしょうよ」


 身もふたもない答えが返ってきた。


 彼女が現れたのは今からおよそ5年ほど前、他の孤児たちと同様、栄養失調みたいにガリガリに痩せこけた身体でふらりと現れて、この辺りでパッタリと行き倒れたらしい。


 その頃の彼女は本当に子供で身体が小さく、放っておけば二三日もしたら死んでしまうだろうと思われた。尤も、そんな子供なんかごまんと居るご時世であり、誰も彼女のことなど気にも留めなかった。


 ところがエルフが現れたことで話が変わる。タコ壺の中に飛び込み、エルフが去った後に種子を回収している子供たちを見て、彼女はああすれば飯にありつけるのだと学んだ。そして種子を集めるよりも、エルフの死体を持って行った方がずっとお金になることを知った。


 それから暫くしたある日、いつものように防衛線の兵士たちが、森から現れたエルフを塹壕から狙い撃ちにしている最中だった。


 ドオオオオオォォォォーンッ!!


 っと、爆発音が轟いて、戦場がいきなりシンと静まり返った。


 兵士たちはいつものエルフの魔法にしては、いやに大きかった音に戸惑いながら、恐る恐る塹壕から顔を付き出して、音のした方を覗いて見たら……小さな子どもがエルフの死体を抱えて泣きながら立っていた。


 彼女は自分よりちょっと大きいくらいのエルフの死体を引きずりながら、兵士たちの篭もる塹壕まで歩いてくると、その死体を差し出してお金をくれと要求した。


 その出来事があってから、彼女の周りには子供たちが集まるようになっていった。彼女のそばにいればおこぼれに与りやすいし、何よりも安全だからだ。彼女は心優しく、周りに子供が増えたせいで自分の取り分が減っても、いっさい文句を言うことはなかった。そのうち、リーダーに祭り上げられ、一人じゃ生きていけない子供たちの面倒まで見るようになっていった。


「彼女の使う魔法がそりゃもう悪夢のようだったから、それ以来、彼女は悪魔の子と呼ばれるようになったのよ。口さがない人なんかは、もしかして魔王の子供なんじゃないかって軽口叩くのも居たわ。でも、そのうちどこからか手に入れたギターを抱えて、ポロンポロンと弾いてる内に、やがて吟遊詩人の通り名のほうが一般的になっていったの」

「そうだったのか……それはちょっと可哀想だな」

「可哀想……どうして?」

「泣いていたのはエルフを殺したくなかったからだろう。でも生活のために仕方がなかった。肉屋だって生活のために家畜を殺すだろうが、いちいち悪魔呼ばわりされてはたまらないじゃないか」

「……そうね。あなた、なかなか面白いこと言うわね」

「そうか? なんにせよ、吟遊詩人の方で定着して良かったな」


 とは言え、こっちの方も本名でもなんでもないだろうし、今度、機会があったら名前を聞いてみよう。そんなことを考えていると、今度は細マッチョがマジマジとアーサーの顔を覗き込みながら尋ねてきた。


「ところで、あの子の身辺調査なんかして、あなた何のつもり?」

「身辺調査って程でもないが……いや、なに、魔王討伐のために、俺の作る軍に彼女も混ぜるつもりでいたのだが、もしも本当に魔王の子供だったら断られるかも知れないじゃないか」

「魔王討伐……?」


 すると細マッチョはプーっと噴き出し、腹を抱えて愉快そうに笑った。


「あはは。あなた本当に面白いわね。魔王討伐なんて夢物語、シラフで語ってる人なんて初めて見たわ。本気でそんなこと出来ると思ってるのかしら?」

「本気も何も出来なくては困る。俺の領土を取り戻さねば、ベネディクトのやつを見返すことが出来ないのだ」

「……領土? ベネディクト? あなた一体、何者なのよ」


 細マッチョが怪訝そうに小首をかしげる。アーサーはポンっと手を打つと、


「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はカンディア公爵、アーサー・ゲーリック。初代アナトリア皇帝ハンスのひ孫にして、次代のリディア王になる男だ」


 ふんぞり返ってそう宣った。


 細マッチョはそんなアーサーの顔をぽかんと口を半開きにしたまま見つめていたが、やがてこみ上げてくる笑いを堪えることが出来ず、またプーッと吹き出すと、実に愉快そうに笑った。


「あっはははは! リディア王とは大きく出たわね。でも、そう……その身なりや従者の方たちからして、どうやら本当っぽいわね」

「嘘を吐いてどうする」

「ふーん……」


 すると細マッチョは感心したように鼻息を鳴らしてから、


「あなたたち、義勇軍に志願しに来たって言ってたわね。だったら、私の隊に入りなさいよ。ここに居れば、吟遊詩人にアプローチもしやすいでしょうし、彼女の側に居た方が、結局はエルフを倒すチャンスも増えるわ。フリジアに帰るのは二度手間になるだけよ」

「なるほど、そうかも知れない。でも、勝手に入隊を決めてもいいのか?」

「良いも何も、義勇軍はいつだって人手が足りないのよ。ただ、前線である塹壕は見ての通り快適とは呼べないし、いつ誰が死んだっておかしくない世界よ。その覚悟だけはしておいてちょうだい」

「分かった。それくらい造作も無いぞ。お前たちもそれでいいな?」


 アーサーが勝手に決めてしまって、従者の二人はほんの少しぶーたれていたが、言っても聞くような玉ではないととうに諦めていたのか、結局は渋々従った。彼は従者二人が承諾するのを確認してから、改めて細マッチョの方へ向き直り、手を差し伸べた。


「では、暫くの間厄介になろう。えーっと……」

「ああ、私も自己紹介がまだだったわね。私はヘイリオソン。でも、みんなからは階級どおりに大尉(キャプテン)って呼ばれてるわ」

「そうか、ではよろしく頼むよ、キャプテン。俺の帝国を取り戻すために、力を貸してくれ」


 アーサーが大尉の手をぎゅっと握りしめ、真剣な表情でそう言うと、今度こそ彼は腹が捩れると言わんばかりに盛大に笑い転げるのだった。 


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