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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第九章
311/398

吟遊詩人

 アーサーは泣きながらパンツを洗った。ガラデア川の水は冷たくて身にしみた。すぐ近くの木には彼の服が吊るされていて、ポタポタと水滴が落ちていた。血まみれになった服をゴシゴシとこすり洗いしていたら、母がつけてくれたお気に入りの刺繍がボロボロになって泣きそうになった。後で補修しておこう。それにしても寒い。換えの下着も持ってくるんだった。


「ハックション! ハックション! ええい、くそ忌々しい! お前たち、どうして助けにこなかったのだ!」

「だってなあ……」「坊っちゃん、俺達が止める間もなく突っ込んでいくんですもん」「あんなの自業自得でしょ」「兵隊さん呼んできてあげただけ、感謝して欲しいよな」


 従者の風上にも置けない言葉をエリックとマイケルがほざいた。アーサーはプンプンと二人に当たり散らした。


「やーい、ションベンたれー! ションベンたれー!」


 三人が漫才を繰り広げていると、子供たちがキャッキャと笑いながらアーサーのことを指差した。タコ壺の中に住んでいる子供たちで、あの時、アーサーに助けられたことで懐かれたらしい……いや、おしっこを漏らして気絶していたのを知ってからかっているだけかも知れない……アーサーはムキーっと奇声を発し地団駄を踏みながら、


「ええいっ! どっか行け、ちびっ子どもっ! 今すぐ俺の目の前から消えなければ、簀巻にして偉大なる大ガラデアに放り込むぞっ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすと、子供たちはきゃあきゃあ言いながら逃げていった。完全に舐められている。彼は苛立ち紛れに転がっていた石ころを蹴飛ばすと……靴も洗っている最中で裸足だったせいで、つま先をさすりながら蹲る羽目になった。


 涙目になりながら、呆れ顔の従者たちに治療されていると、先ほどアーサーを助けてくれた細マッチョの下士官がやって来た。


「あら、さっきは子供のためにあんなに怒っていたのに、今度はその子たちに怒っているのね。変な子だわ」

「むむっ、先ほどのオカマ野郎ではないか。何をしに来た……いや、先程は助けてくれてありがとう。すまなかった」

「素直に謝るのはいいけれども、ゲイに向かってオカマっていうのはやめてよねっ、もう……」


 オカマとゲイって、どこに違いがあるんだろうか? 首をひねりながら、アーサーは警戒して男から距離を置いた。お尻がスースーするかわけではない。助けてくれたとは言え、あれほど躊躇なく人を殺して顔色一つ変えないような男である。警戒するなという方が無理であろう。


 尤も、警戒しているのは相手も同じらしく、


「ところで、あんた達は何者なのかしら? 前線をうろつき回る不審な連中が居るって噂になってるわよ」

「ゲー……まじですか?」「だからフリジアで待ってたほうがいいって言ったのに……」「坊っちゃんのせいだ、坊っちゃんの」「おまえらうるさい」


 三人がお互いに責任のなすり合いをしていると、細マッチョがイライラした感じでじろりと睨んできた。それにしても、得も言われぬ迫力を持った男である。年の頃はまだ若く、十代後半から二十歳くらいといったところだが、とにかくその背丈が半端無くでかい。身長は2メートルは優に超えており、それに見合った筋力も持ち合わせていて、服の上からでもよく分かるくらい靭やかな筋肉が浮き出ている。その上、眼光がいやに鋭く、見る者を圧迫する。今もひと睨みされただけで、三人はシュンとなってしまったのだ。これでホモみたいな口調じゃなければ、失禁していても不思議じゃない。


「オカマに向かってホモって言うのはやめてよねっ。あんた達、あんまり失礼だと、お姉さんがハグしちゃうわよ、ハグ」

「それだけはやめてください……」


 そのまま首をポッキリ折られそうだ。ところでオカマとホモってどう違うんだ? あれ? そう言えばさっきこいつは何て言ってたっけ……?


 ともあれ、LGBT団体に抗議されそうなことを考えていても埒が明かないので、


「実は訳あってエルフを倒すために義勇軍に志願しに来たのだ。本当は、知り合いの息子とやらの厄介になるつもりだったのだが、あいにく留守でな……手持ち無沙汰に待ってても仕方ないからこうして前線を見学に来た」

「へえ~、そうだったの。その訳ってのは、聞いても構わないかしら?」

「なに。俺も一旗揚げるために、エルフと戦うための兵を募ろうと思っているのだが、先立つモノがなくってな……伝を頼ってパトロンをお願いしにいったのだが、エルフを倒したことも無いくせに兵隊を募るとはこれ如何にと言われてしまい、返す言葉もないからこうして実際に倒しにきたのだ」

「あんた達、それ本気ぃ?」


 細マッチョは肩をすくめて、はぁ~……っと盛大に溜息を吐くと、


「エルフを倒すなんて、普通の人間には無謀もいいとこよ、きっとそのパトロンさんとやらは、お金を払いたくなくて無茶を吹っ掛けたのね。諦めて国に帰りなさい」

「なんだと? そんなことないだろう。さっきもここの部隊がエルフと交戦していたではないか」

「それで、この部隊はエルフを倒せていたかしら? 死体は見つかった?」

「……そういえば」

「私達じゃエルフを森に追い返すのが精一杯、倒すなんてのは至難の業なのよ。昔は奇襲さえ上手く行けば勝てた相手らしいけどね、奴らだって学習するのよ。何度も同じ手は食わないわ」

「でも、エルフ狩りのエースが居るって話じゃないか。ここに来たのも、そのエースとやらを探しに来たついでなのだ。確か吟遊詩人(ミンストレル)とか言う……」


 すると細マッチョは鋭い目を更に鋭くしてアーサーの顔をじっと覗き込んだ。正直、それだけで気が遠くなりそうになったが、いつまでも気圧されていても仕方ない。アーサーはぐっと丹田に力を込めると、逆に彼の目を睨み返した。


 細マッチョは別にアーサーを威圧したかったわけではなく、単に何かを考え込んでいただけなのだが、思いがけず彼が虚勢を張るのを見ると、あらっとした感じに相好を崩してから言った。


「別にあんたのことをどうこう思ってたわけじゃないの。単に、外からくる人があの子の名前を出すのが珍しくってね」

「エルフを何体も倒したエースなんだろう? だったら有名人じゃないのか」

「全然。存在自体を知られていないし、仮にミンストレルがどれだけエルフを倒したところで、きっと人々が感謝することは無いわ」

「なんだそれは……?」

「ミンストレルは吟遊詩人の通り名の他にも、悪魔の子とも呼ばれているんだけど……」

「おお、いかにも強そうな通り名じゃないか」

「悪魔ってのは魔王のことよ」


 その言葉が出た瞬間、従者の二人が激しく動揺した。魔王の子供というのが本当か、単なる比喩なのかは分からないが、どちらにしても国を追われたこの二人にとってしてみれば、その名前は特別なのだろう。


 アーサーは二人が復讐心から下手なことをしないかと心配になりながらも、話の続きを促した。


「そのミンストレルってのは、この辺に居るってことはおまえの部下なのか?」

「違うわよ。あの子は軍人じゃなくて……この辺を根城にしている孤児たちのリーダーなのよ。だから本当はエルフとなんて戦わなくって良いんだけど」

「ははあ、あのタコ壺から出てきた子供たちの親玉だな。どうしてそんなのがエルフ狩りのエースなんて呼ばれるようになったのだ」

「実際に会ってみれば分かるわ。紹介してあげるから、ついてらっしゃい」


 アーサー達三人はお互いに顔を見合わせると、黙って細マッチョの後に付いて行った。


 細マッチョはすぐに吟遊詩人のところへは行かず、一旦、彼らのキャンプ地に寄って、食料などの物資が詰まった箱を抱えてから、改めて目的の人物のところへと向かった。


 エリックとマイケルが手伝いを買って出て、2人で重そうな荷物を抱えている。その重そうな荷物を細マッチョは軽々と一人で二箱も運んでいた。アーサー一人だけ手ぶらで、その箱の中身はなんだろうかと気にしながら付いて行くと、やがて道の先にトタン屋根の小さな掘っ立て小屋がいくつも建ち並ぶ集落らしきものが見えてきた。


 いや、集落と呼んでいいのだろうか。まるでゴミ捨て場みたいに雑然としたその周辺は、都市とは違って下水が整備されてないせいかものすごい腐臭がした。塹壕の中の臭いも酷かったが、こっちは臭突のような仕組みがないせいか輪をかけて臭い。


 鼻をつまみながらアーサーが歩いていると、先ほどの子供たちがふらりとやって来て、彼を見つけてはまたションベンたれと罵った。どうやら子供たちはタコ壺の中にずっと居るわけではなく、普段はここで暮らしているらしい。


 うるさい馬鹿、おまえらなんかションベンに浸かって生活してるようなもんじゃないかと言い返しながら先に進むと、やがて集落の中心らしき巨木の方からギターの音色が聴こえてきた。細マッチョはどうやらその音を頼りに進んでいるようだから、恐らく、奏でているのがミンストレルなのだろう。


 アーサーは、きっと吟遊詩人の名の通りの人物なのだろうなと、漠然と思いながら先をゆく3人の後を追いかけていると、やがて巨木を中心として円形にバラック小屋が建ち並ぶ広場に出た。


 その巨木の根っこに腰掛けて、一人の少女がギターを掻き鳴らしている。周囲を子供たちが取り巻いていて、アーサー相手にはあんなにうるさかったくせに、今は大人しく彼女の演奏に耳を傾けていた。


 フレットが擦れてボロボロになった弦の上を、白く靭やかな指が絶えず動いている。継ぎ接ぎだらけのピックガードに爪を当てながらリズムを刻みつつ、一心不乱にギターを掻き鳴らしている。安物ギターらしいチープな音は酷いものだったが、それでも長いこと使い続けた年季がそうさせるのか、どこか味わい深く魂を揺さぶるものがあった。


 すると彼女が吟遊詩人(ミンストレル)だろうか。そこに居たのはエルフ狩りなんて連想するのが馬鹿馬鹿しくなるほど、小柄で華奢な少女だった。信じられないくらい真っ白な肌に、大きな黒目と二つ結びの黒髪が風に靡いてサラサラと揺れる。年の頃は10代半ばくらいか、発育が遅いのか、それとも栄養が悪いのか、凹凸の少ない身体に棒きれみたいな手足がスラっと伸びていた。文句をつければキリがないが、ただ一つ言えることがあれば、とんでもない美形である。


 アーサーは戸惑った。演奏の最中に声をかけづらいのものあったが、仮に演奏中じゃなくてもなんて声を掛けて良いのか分からないのだ。おまえがエルフ狩りなのか? と尋ねるのも馬鹿馬鹿しいし、ハイそうですと返されても会話が続きそうもない。しかし、ここで彼女の演奏を聞いてるだけじゃ、何をしに来たのか分からない。


 仕方ないから細マッチョに丸投げしようと、そっちに足を踏み込んだのとほぼ同時だった。


 ドスンッ!


 っと、アーサーの足の上に、従者が二人がかりで運んできた箱が落っこちてきて、


「ぎゃああああああああっっっ!!!」


 猛烈な痛みに襲われ、アーサーは絶叫した。


 その無粋な声に演奏がピタリと止まる。彼はケンケンしながら広場の中をグルグル一周したあと、涙目になりながら従者二人の頭をポカリとやった。


「くぬわらあぁあぁああっっ!! おのれら、何してけつかんねん!!」


 しかし、二人はリアクション芸人みたいな主人には見向きもせず、ただ木の根っ子に腰掛けている少女を驚愕の表情で凝視しながら、彼女が腰ひもにぶら下げていた短刀を見て、


「……聖遺物(アーティファクト)だ」


 と一言呟いた。


 その言葉に、細マッチョが意外そうな顔をして、


「あらっ。あなた達、よく見ただけで、あれが何か分かったわね」

「え、ええ……まあ」

「とにかくまあ、そういうことよ。見ての通り、ミンストレルは聖遺物持ちの魔法使い、だからエルフを倒すことが出来たってわけ」


 細マッチョはまだイマイチ理解が及んでいないアーサーにそう説明すると、持ってきた物資を彼女の目の前にドサッと置いた。


 吟遊詩人は、細マッチョの方はともかく、いきなりやってきた男たちに警戒の視線を送りつつ、手にしていた袋から何かを取り出した。それはさっき、タコ壺の子供たちが拾っていた種子のようだった。


 細マッチョはそれを受け取ると、手のひらに乗せて一粒一粒を数え始める。途端に周囲から子供たちがワラワラとやってきては、彼が持ってきた物資に群がった。どうやら、吟遊詩人が集めた種子を細マッチョが買い取り、そのお金で子供たちを養っているようだ。


 それにしても自分自身も乞食みたいなもののくせに、他人に施しを与えるとは奇特な少女である。よほどプライドが高いのだろうかと、アーサーは吟遊詩人のことをマジマジと見つめた。


 すると彼女は先程従者たちが言っていた聖遺物を取られるとでも思ったのだろうか、鞘ごと胸に掻き抱いて、じっと藪にらみをぶつけて来た。だがその表情は怖いと感じるよりも、子供みたいで可愛いといった感じで、迫力が全く無い。


 本当にこれがエルフ狩りのエキスパートなのだろうか……? 正直信じられない。だが、その眉毛だけが困っていると言う独特の表情を見ているとき、アーサーはピンと閃くものを感じて、ぽんと手を打った。


 聖遺物持ち……つまり魔法使いというのは基本的に貴族にしか存在しない。すると、聖遺物持ちの彼女は元貴族という可能性が高く、何らかの事情があってこんな見窄らしい生活を送っているに違いない。


 魔法使いなんて、どこへ行っても仕官に事欠かないだろうに、こんな生活をしているのは、きっと元貴族というプライドが邪魔して他人に頼ることが出来ず、逆にこうして施しを与えることによって、アイデンティティを保っているからだろう。なんという涙ぐましい努力だろうか。実にあっぱれな貴族魂である。


 アーサーも貴族の端くれ、他者にこびへつらうくらいなら、いっそ死んだほうがマシだと思っている。彼女の気持ちは痛いくらいによく分かった。ならば話は簡単だ。彼女が他人に頼れないのであれば、頼らないで済むように、領地を与えて貴族にしてやればいい。いずれリディア王になる自分であればそれが可能だろう。それに彼女を部下にしてしまえば、エルフも狩れて一石二鳥だし、ランに吠え面をかかせられるはず。そして自分がリディア王になった暁には、ガッリア大陸を平定し、かつての領土を取り戻し、ついでにイオニアを攻めて乗っ取ってやろう。待ってろよベネディクト、おまえの野望もそこまでだ。


 アーサーはそんな具合に頭の中で天才的な三段論法を駆使して結論付けると、そのふわふわの髪の毛を、ふぁさ~っと掻き上げ、社交界で身に着けた優雅な仕草で吟遊詩人の元へと近づいていった。


「ボンジュール、マドモアゼル。あなたに出会えた幸運を神に感謝致します。これはお近づきの印です(意訳:YOU、俺のものになっちゃいなYO!)」


 そして警戒する彼女の手を取って貴族らしく手の甲にチュッとくちづけると、挨拶代わりのウインクしながらそう言った。


 すると、吟遊詩人はギョッと目を丸くして彼の手を振りほどき、次の瞬間、サクッと何かが刺さるような音がして……


 アーサーは何だかお腹がこそばゆいなあ~……っと思って自分の腹部を覗いてみたら、


「……な、なんじゃこりゃああ~~~!!」


 サックリと例の聖遺物がお腹に突き刺さっていた。


 そして彼は意識を手放した。本日二回目の失禁と共に……


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