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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
305/398

きらきら光る

 遡ること数時間前。但馬の護送が始まると言う噂を聞きつけて、拘置所の周りには群衆が詰めかけていた。


 拘置所は憲兵隊本部のある詰め所のすぐ側にあり、要するに中央公園沿いに存在したが、場所が場所だけにインペリアルタワーからは直接見えないような位置に隠すように置かれていたため、中央広場からはほんの少し細い道を通らねばならなかった。そのせいであろうか、但馬の護送が開始されると、憲兵隊本部の前の通路には、両脇にずらりと憲兵が並んで、まるで凶悪犯でも護送するかのような花道を作っていた。


 そんな中、見世物のように但馬が現れると、花道の前に陣取った新聞記者達が無遠慮に写真を撮り、聞いたところでどうしようもない質問を浴びせかけた。更には、一体いつから陣取っていたのか、最前線には反但馬の民衆ばかりがずらりと並んでいて、落ちぶれた彼に向かって憎悪の野次を飛ばした。


 但馬は広場の入口に止められた馬車まで、そんな罵詈雑言の中をわざとノロノロ歩かされ、完全に神経衰弱していた彼は、挙動不審な視線を左右に小刻みに動かしている。まるで病人みたいで哀れなその姿に、大半の者が同情したが、残念ながら、そんな中でも一番大きな声はやはり彼に対する罵声だった。


 そして長い花道をこづかれるように歩かされ、ようやく馬車に辿り着いたは良いものの、その馬車にもまた群衆が取り囲んでいてすぐには動かせず、彼は興奮するヘイター達の中でいつまでも留め置かれた。まるで拷問みたいな仕打ちに、やがて遠巻きに見ていた彼の支持者が苛立ちを隠しきれず声を上げると、それを待っていたと言わんばかりに反但馬勢力が煽りだし、気がつけばあちこちで小競り合いが起こっていた。


 殴り合いと罵り合いの声が聞こえてくる。


 但馬は馬車の中で、そんな声だけを聞いていた。


 耳をふさいで目を閉じても、群衆たちの小競り合いのせいでガタガタと馬車が揺れ、そのたびに但馬はビクビクと怯える羽目になった。どんなに彼が強かろうと、心は人間なのだ。


 こんなのは耐えられない。頭がおかしくなりそうだ。だが、自分はそれだけのことをしてしまったのだ……そんな風に、但馬が自分を責めて、顔色を真っ青にしている時だった。


 コツンコツンと何かがぶつかる音がしたかと思うと、馬車のはめ込み窓ガラスが突然バリンと割れて、石が馬車の中に飛び込んできた。


 但馬が驚いて身を竦めて小さくなると、


「いい加減にしろっ!」


 広場に居た全ての声をかき消すかのような一喝が聞こえ、続いて、ドスンッ! ……っと、地響きがして地面が揺れた。するとガタガタと揺れていた馬車がピタリと止まり、先程までの騒ぎがウソのように、広場はしんと静まり返った。


 但馬が何事かと馬車の窓からこっそり外を覗いてみたら……


「エリオスさん?」


 巨大なメイスを地面に叩きつけて、ひと睨みで群集を黙らせた巨漢の男が馬車の前で仁王立ちしていた。しかし、彼はコルフに居て、こんな場所にはいないはずだ。一体どうしたことだろうと思って見ていると、


「閣下の護送と言ってる割りには人手も少なく、不手際がすぎるのではありませんか。誰の差金ですか。そちらがそう言うつもりであるなら、こちらも実力行使してもいいんですよ」

「……クロノア?」


 群衆を抑えようとしてまるで役に立っていなかった憲兵隊に、クロノアが食って掛かっていた。彼はいつものライフルではなく、自分の聖遺物を抜いていた。その刀身が緑色のオーラに包まれているのを見て、ヘイター達がたじろいだ。彼は魔法使いで、これだけの群衆を相手にしても、活路を作るくらいのことは出来ると言っているのだ。


 そんな二人が馬車の前で、分かっているだろうな? と言わんばかりに通行の邪魔をする群衆を睨みつけると、彼らは冷や汗を垂らしながら道を開けた。その迫力は尋常ではなく、ただの一般市民では堪えきれないだろう。何しろ、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた本物の(つわもの)である。


 道が開くと御者が飛び乗ってきて、すぐに馬車を動かし始めた。ところがその御者をよく見れば、小競り合いで石を投げつけられた時に逃げ出した、最初の御者ではなく……


「トー……!? 一体、どうして」

「いいから黙って座ってろ。顔は出すなよ、見つかると面倒くさいから」


 彼がそう言うように、また暫くすると人混みが増えて、さっきみたいにヘイトスピーチを飛ばしてくるおかしな連中が現れた。但馬を揶揄する言葉に、一般市民がぎょっとして振り返り、たちまち道が混雑する。


 どうやら、但馬の進行ルートがバレているらしく、ところどころで反但馬のヘイター連中が待ち伏せしていた。よほど但馬に恥をかかせたい連中がいるようだ。何故か知らないが街は殺気立っていて、但馬を乗せた馬車の進行を邪魔するかのように、あちこちで小競り合いが発生している。


 それをエリオスが睨みつけて解散させると言うことを幾度も繰り返し、馬車はゆっくりと市街地を走った。


 やがて西区の城門までやってくると、ようやく人混みは捌けて馬車はスムースに動き始めた。交代の憲兵がやってきて、馬車の護衛を始めると、一息ついたエリオスとクロノアがお役御免と馬車に乗り込んできた。


「閣下、お迎えに上がりました。嫌がらせは予想できたのですが、全てを排除することは出来ませんでした。力及ばず申し訳ございません」


 クロノアがそう言って頭を下げるが、但馬は彼らに会わせる顔が無いと言った感じに、俯いて黙りこくっている。顔面蒼白で、完全に心が弱り切っているようだった。予め事情を知らされていたエリオスが、


「トーから何があったかは聞いた。去年、タイタニア山に登った時、そんなことがあったなんてな……社長は悪く無い」


 しかしそう言っても但馬が顔を上げることもなく、慰めを言えば言うほど苦しそうにするだけだった。覚悟はしていたが、やはり相当弱っているらしい。時間が解決するまでは、そっとしておくしかないだろうと、エリオス達はそれ以上は何も言わずに、黙って馬車に揺られていた。


 そんな風に無言のまま馬車は進み、やがて西区の駅前ターミナル付近に近づくと、またしてもヘイトの群衆が待ち構えていた。しかも今度はS&H社に対するデモ隊も兼ねているらしく、規模も人数もこれまでとは桁違いで、そこを突っ切って行くのはどう考えても無理である。


 此処から先は一旦馬車を降りて汽車に乗り換える予定になっているので、さっきみたいに動けないことはないだろうが……その汽車に乗る前に見つかってしまうと、またいたずらに時間を食ってしまうのは目に見えている。


 この護送計画を考えた連中に憤りを覚えると同時に、どうしたものかと思案に暮れていると……


「……クロノア隊長、こちらです」


 馬車の中にクロノアを見つけた男が薄暗い路地からひょっこりと現れて、こっちに来いと手招きをした。シロッコである。


 彼に促されるまま馬車を路地へと向けると、シロッコは憲兵隊とともに馬車を先導し、狭く薄暗い路地を通って、うまいこと駅まで誰にも見咎められずに案内してくれた。憲兵達はこの辺の裏道を熟知しているのだろう。どうして最初からそう言う人材を配備しなかったのかと、憤りを覚えたが……


 ともあれ、彼のファインプレーで駅へ辿り着いた一行は、誰にも見つからないように但馬を囲んで線路を渡り、どうにかこうにかホームまで辿り着いた。ホームには但馬の護送のために用意された汽車が待っており、足早にそちらへと向かっていると……


「あ! お~いっ! 先生! エリオスさん!!」


 コソコソ隠れてるこちらの気持ちを知ってか知らずか、列車の前で脳天気に手を振りながらぴょこぴょこと飛び跳ねている二人の男の姿が見えた。エリックとマイケルである。


 エリオスは、ハァ~……っと呆れた素振りで溜息を吐くと、走っていってその脳天気な二人組の頭をポカリとやった。彼らは何で殴られるの? といった感じに涙目で不平不満を言ったが、すぐに駅の周りに居た野次馬が騒ぎ出したのを見て、こいつはヤバイと慌てて頭を下げていた。


 そして一行は、これ以上ヘイター達に見つかる前にと、急いで客車の中に飛び乗った。


 全員が乗り込むと、間もなく汽車は汽笛を上げて発車した。エリオスは列車が街を出て草原地帯に入ったのを確認してから、改めてエリックとマイケルをじろりと睨むと、


「馬鹿者が。市街の騒ぎを知らないのか? 社長に嫌がらせをする連中のせいで、あちこちで暴動が起きていたんだぞ。もしここでまた連中に見つかったら、面倒くさいことになったところだ」

「えっ!? そうだったんですか? いや……駅はずっと静かなもんだったから」

「そういや、変な連中が会社の前に居ましたね。あいつら一体何なんです?」

「こっちが聞きたいくらいだ。流石に、ここから先はもう居ないと思いたいが……」


 そんな風に三人が話している時だった。


「……みんな、どうして……」


 それまで俯いて、一言もしゃべろうとしなかった但馬が、ぼそっとか細い声で呟いた。注意していなければ聞き取れないくらい小さな声だったが、その場にいる全員がちゃんとそれを聞き取った。それは言葉が足りない疑問であったが、彼が言いたいことはなんとなく伝わってきた。


 どうして集まったのかと、彼は聞きたかったのだろう。


「それはもちろん、社長についていくために決まっているだろう。これから不便な離島暮らしで、君がまともに生活できるとは思えないからな。その点、俺達は軍隊経験が長くサバイバルに長けている。仕方ないから世話をしてやるのだ」


 エリオスがそう断言すると、但馬は困った顔を隠そうとしなかったが、それでもようやく顔を上げた。


「実は、勢いで軍隊をやめたは良いものの……再就職もままならず途方に暮れていたところなのです。ですが、いつまでもくよくよしてても仕方ありません。せっかくですから暫くゆっくりしようかと。ハリチの近辺は海がとても綺麗で、羽を伸ばすには申し分ないリゾートです。丁度閣下が引っ越されるそうですから、だったら暫くご厄介になろうかと思いまして」


 続いてクロノアが言い訳にもならない下手な言い訳をすると、それを聞いていたトーが噴き出して、


「リゾート気分か、そりゃあいいな。俺もまあ、似たようなもんさ。ティレニアとも縁を切っちまったし、何して生きていこうかって思ってたんだが、そういやあ、おまえ、俺が会社やめるときに一緒に世界一周しようぜって言ってたろ。それを思い出してなあ。どうせ島流しに遭ったんなら、いっそ島から島を渡り歩いてやろうぜ。リンドスにさえ戻らなければ文句ねえだろ」


 エリックとマイケルが続く。


「実は俺、今の職場から独立して、ハリチにレストランを出そうかと思って。元々、ハリチで働いてたから、あっちに戻りたかったんですよ。それにほら、復興特需ってのがあるんでしょう? 稼がなきゃ!」

「俺はマイケルに付き合ってあっちで漁師でもしようかなって。俺が獲った魚を料理して店に出すんだ。あっちにはリオンも居るし、先生の新居も近いから、遊びに行きやすいしね」


 そんな中、シロッコだけが、本当に申し訳無さそうな顔をして、


「……俺は、養わなければいけない弟妹がいるんで、申し訳ないんですが……でも、島までの道中、閣下の護衛だけはさせてください。俺がここまで出世できたのも、みんな閣下のお陰なんで……」


 5者5様の言い分に、但馬はホロリと涙を零した。だがすぐにその目元を拭うと、またこの世の終わりみたいな顔をして俯きながら、絶望的な口調で言った。


「みんな……こんな奴なんかのために、そんなことしないでくれ……みんなは知らないだろうけど、俺はブリジットを裏切るだけじゃなく、もっと許されないことをしたんだ……みんなを……犠牲にしようとしたんだ……なのにこんな風に優しくされたら、どんな顔していいかわからない」


 だがそんな彼の悩みを打ち消すくらい、あっけらかんとした声でエリオスが言った。


「もういいんだ、社長。君が何をしたかというのは、ある程度トーから聞いている。それでも俺は君についていこうとしてるんだ。クロノアだってそうだ。そうだろ?」

「ええ、もちろんです。それに、ここにはいらっしゃいませんが、エリザベス様も後でいらっしゃるはずですよ。だから寂しくなんかありません」

「……なんだおまえ、もしかして女が来るからって付いて来たんじゃないだろうな」


 クロノアが言うと、トーとエリックとマイケルの三人が結託して彼をおちょくりはじめた。


「え!? 決して、そんなっ!」

「かあ~……嫌だねえ、女連れで、何もない辺鄙なところに島流しなんて……やることなんか一つしかないじゃねえか」「めくるめく官能の世界……」「うらやましいっ!」

「いや、ちょっと。何を言ってるんだあんたたちはっ!」

「怒るのは図星の証拠だ」「近寄らないでくれ、淫乱が感染る」


 息がぴったりなのは、同じ路地裏でウンコ掃除をさせられた仲だからだろうか……珍しくクロノアが真っ赤な顔をして抗議し、エリオスが窘め、エリック達が悪乗りする。それをシロッコが呆れながら見ていた。


 そんな具合にみんなで馬鹿話をしている間も汽車は走り続け、やがてメアリーズヒルの駅へと到着した。憲兵隊が到着を告げると、エリオスが先頭に立って、仲間たちがまた但馬を隠すように周りを取り囲んだ。首都から1時間も汽車に揺られたところにあるような街だから、もう先程のような嫌がらせのデモ隊も居ないだろう。


 そう思いながら、エリオス達が汽車を降りると……


 しかしそこには、明らかに但馬の到着を待ち構えていたとしか思えないような群衆が、駅のホームから溢れんばかりに詰めかけていたのである。


 エリオス達はあっけに取られた。但馬の影響力が大きいことは分かっちゃいたが、こんな所に来てもまだこれだけの群衆が、但馬を責めるために集まったのだろうか。だとしたら、もう彼は立ち直れないんじゃないか。そうまでして彼を追い詰めたいのかと、エリオスは怒りを通り越し、絶望さえ感じていた。


 ところが……


「あっ! 宰相様だ!」


 汽車から降りてきた一行を指さし、群衆の中にいた子供が大声を張り上げた。


 その声に但馬がドキッとして足を止めると、突然、駅に集まっていた群衆が彼らを取り囲むように集まってきたかと思うと、一斉に両手を挙げて、


「ようこそ、宰相様、メアリーズヒルへ。私たちはあなたのお越しをお待ちしておりましたっ!」


 歓迎の言葉を口にすると、笑顔で但馬のことを出迎えてくれたのである。


 また嫌がらせをされると警戒していたのは、彼らの杞憂だったのだ。


 さっきまでひどい目にばかり遭わされていた一行は、一瞬、何が起こったのか分からず、ぽかんと口を半開きにして立ち尽くしていた。すると小さな子ども達が花輪を持って駆け寄ってきて、但馬、エリオス、クロノア、トー、エリックとマイケルの6人の首にさっと掛けた。


 そんな中、シロッコ一人だけが群衆の作る輪から離れていったかと思うと、彼の行く先に帝国軍の軍楽隊が現れ、合図とともに演奏を開始した。


 思わぬ歓迎ムードの中で、一行が戸惑っていると、それに輪をかけたような驚きぶりの憲兵たちが、何か事情を知ってそうなシロッコの元へと詰め寄っていった。護送を任された彼らは、メアリーズヒルでは馬車を乗り換えるだけで、こんな歓迎式典など聞いていなかったのだろう。


「いいじゃないですか。首都ではあんなひどい目に遭わされたんだ。誰の思惑か知らないが、どこに行っても敵だらけ、あんたたち憲兵は役立たずで……その点、こちらの方々は、閣下の流刑が決まってからずっと、自分たちに何か出来ないかと相談されていたんです」


 メアリーズヒルは新興市街としては歴史が古く、リディア最初の工場地帯として発展した。その代わりに、長時間勤務や児童の無償奉仕などの問題で、打ち壊し騒動が起こり、その後の工場法の制定へと繋がった。


 その際、工場と労働者の間に立って法律の制定に尽力し、更には多大な孤児院への寄付を行っていた但馬は、この街の偉人として尊敬されていたのだ。


 シロッコと憲兵隊が揉めている間にも軍楽隊の演奏や町長の祝辞などの式典は続き、最後に孤児院の院長であるジュリアが、沢山の子供たちと一緒に出てきて挨拶をした。


「まあまあ、宰相さん。お久しぶりです。宰相さんのお陰で、あれから孤児院の暮らしぶりも良くなり、この子たちもこんなに元気に育ってくれました。あなたの寄付してくれたお金で、新たに寄宿舎や学校が建てられ、恵まれない子供たちが救われました。なのに私たちはあなたのピンチに何も出来ませんでした。だからせめて、今日はほんの少しばかりでも、私達の歓迎を受けてくれませんか」


 ジュリアがそう挨拶すると、彼女の周りを取り巻いていた子供たちが、


「宰相先生、よろしくお願いします」


 と言ってニコニコしながらお辞儀をした。みんな血色がよく、身なりの良い服を着て、とても屈託のない笑顔をしていた。


 但馬が困惑していると、シロッコが戻って来て、


「小一時間ばかりですが、寄り道を許可してもらえました。さあ、閣下。あなたがこの国で行ってきたことを、ご自分の目で確かめてください」


 背中を押されて一歩踏み出すと、子供たちが寄ってきて但馬の手を取った。そのまま引っ張られるようにして歩いて行く彼の後ろを、エリオス達が誇らしげに付いて行った。ジュリアは彼の隣に並ぶと、


「宰相さぁん、この度はなんて言っていいか……わからないけれど、私達は、あなたの味方よぉ~? あなたには、それだけのことをして頂いたんですもの。だから今日は、せめてこの子たちの歓迎を、どうか受け入れてあげてねえ~」


 そんなジュリアや孤児院の子供たちに引っ張られて、但馬はメアリーズヒルの山側、少し高台になったところにある、立派な学校へと連れてこられた。孤児院はいつの間にか、周辺の子供たちをも集めた学校へと姿を変え、恵まれない子供たちも、街の子供達と同様の教育が受けられるようになっていたのだ。


 学校の周囲には小川が流れ、農場と牧場と、恐らく子供たちが面倒を見ているのだろう、家畜小屋があって、広い運動場の片隅には花壇や養蜂箱が置かれていた。建物はとても立派で、コンクリ造の大きな教室棟らしき建物の周りに、体育館と別館がそれぞれ並んでいた。食堂があるのだろうか、もうじき昼を迎えようとしていたその別館から、給食の美味しそうな匂いが漂ってくる。


 但馬たちは体育館まで連れて行かれると、建物のどまんなかに用意してあった木の椅子に座らされた。一体何が始まるのかな? と思って見ていると、体育館奥に作られたステージの幕が上がり、子供たちによる演劇が始まったのである。


 子供たちが考えたというその演目は、勇者が王様に頼まれて龍を退治しに行くと言うありきたりな内容で、演技だってお世辞にも上手いとは言えなかった。だが、その日のために一生懸命練習してきたことと、なんとかお客を楽しませようとしている雰囲気は伝わってきて、それは但馬の胸を打った。


 演劇が終わって拍手も収まると、今度はもっと年少の子供たちが出てきてステージの上に作られたひな壇に並んだ。そんな小さな子供たちがたどたどしい言葉遣いで言うには、今度は合唱を聞かせてくれるらしい。ステージの手前には大きなグランドピアノらしきものが置かれてあって、そこにジュリアが腰掛けたかと思うと、何の前触れもなく、おもむろに曲が始まった。


『Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are』


 それはいつか、但馬が子供たちに聞かせて上げた曲で……その時はまだ、但馬は孤児院の子供たちに恐れられていて、アナスタシアを連れて行こうとする悪いやつだと思われていた。


『Up above the world so high, Like a diamond in the sky』


 あの頃の孤児院はこんな立派な建物なんかではなく、海に近くて藪蚊の多い雑木林にあって……親に捨てられたばかりの子供たちはみんな痩せこけて、不安そうな顔をしていた。


『Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are』


 でも、埃被ったピアノを弾いて見せたら、みんな興味津々で……但馬は子供たちとすぐ仲良くなれたのだ。


 あの時のあれが、こうして生きていたのか。


 軽やかなピアノの音色と子供たちの元気な歌が体育館に響き渡る。


 それはとても幸せそうで、人々の心をウキウキさせるような爽やかな歌声だったが、なのに、但馬は流れる涙を止めることが出来なかった。


 どうしてこんなに泣けてくるのか。感情を司る脳内の組織が、馬鹿になっちゃったんだろうか。


「ああ! 宰相先生が泣いてる! 変なのー!!」「やーい、宰相先生の泣き虫~!」「泣き虫だー!」「ちょっと男子ぃ~? やめなさぁいよぉ~!!」


 曲が終わって拍手が止むと、但馬の様子に気づいた子供が笑い出した。男の子たちが但馬のことを泣き虫だとからかうと、女の子たちがそんなことを言っちゃいけないと行って怒りだした。それを先生たちが止めようと、オロオロと立ち回り始めると、体育館はまるで本物の体育の授業みたいな騒ぎになった。


 但馬はそんな騒ぎの中心で慌てることもなく、ただ椅子に座ったまま喜びを噛み締めていた。本当に些細なことかも知れないが、自分がやってきたことが、こうして結果として残ったのだ。今はそれが何よりも嬉しかった。


 騒ぎが終わって落ち着きを取り戻すと、ジュリアをはじめとする先生たちの謝罪があって、その後は何事も無く歓迎会は続いた。但馬にはもう涙はなく、その後はずっと笑顔で居られた。とても貴重な時間だった。


 やがて日が中天を過ぎて午後になり式典は終わった。


 但馬は暗い体育館から出てくると、キンキラの太陽と地面の照り返しで、目眩がするほどの眩しさを感じた。


 瞼をパチパチさせながら目を慣らそうと努力していたら、学校の外を取り囲むようにして、駅にいた軍楽隊がこちらの様子を窺っているのが見えた。きっと、但馬が逃げたりしないように見張っていたのだろう。


 楽しい時間は、そろそろ終わりのようだった。


 ここを出たら但馬はまた馬車に揺られて、誰も住んでない島に流される身だった。だが、もうそんなことは気にならなかった。新しい土地に行ってもやっていけるぞと言う、そんな気持ちが芽生えていた。単純かも知れないが、朝と比べて但馬の足取りは軽やかだった。


「社長。少しは元気になったみたいだな」


 そんな彼の心境の変化がわかるのであろうか、穏やかな声でエリオスが話しかけてきた。


 エリオスは但馬に同行するために、幸せな家庭を捨ててまでここに来てくれたのだ。なのに但馬は彼の顔を、今日は一度としてまともに見れていなかった。彼に合わせる顔がないと言えば聞こえは良いだろうが、それは結局、自分のことしか考えてない証拠だ。彼は今の自分が恥ずかしくなった。


「エリオスさん……うん。子供たちのお陰だ」


 但馬はそう断言すると、今日はじめてエリオスの顔をしっかりと見て話しを続けた。


「俺はアーニャちゃんを犠牲にしないで済む方法を考えて、そのためにいろいろ頑張ってはみたんだけど……でも結局助けることが出来なくて、自分はこの大帝国の宰相なんて有利な立場でありながら、何も出来ない愚か者だと落胆していた。どうせ何も出来ないなら、そんな自分がいつまでも未練がましく国に残っていても仕方ないと、自暴自棄になっていた。


 でも違った。こうして小さいながらも自分が残してきた足跡を見つけられたんだ。俺が捨てようと思っていた世界に、健気にもこうして残っててくれたんだ……それが残っている内は、まだ無責任にこの世を捨てるわけにはいかないよ。


 だってアーニャちゃんに頼まれたんだ。彼女が世界を守るから、残された世界の方は俺に任せると。俺はそんな彼女の最後の願いまで破ろうとしていた。彼女が居なくなったことが悲しくて、とても動けそうもなかったけど……もし、彼女のことを思うなら、俺は動き出さなきゃならない。


 俺は彼女みたいに全てを助けることは出来ない。彼女と世界を天秤にかけたら、今でもやっぱり彼女の方を選んでしまうだろう。情けないけど、それが俺の限界なんだと思う。だからもう諦めて、俺には俺のやれることだけをやっていこうと思うよ。世界全ては無理だけど……せめて、アーニャちゃんが残した、この孤児院の子供たちだけでも、元気に暮らしていけるようなそんな世界を作る手助けを、俺はこれからやってこうと思う」


 但馬はエリオスに向かって真正面からそう言うと、申し訳無さそうに笑った。そして、二人の会話に聞き耳を立てているみんなに向かって、


「俺は、この小さな子供たちだけが、幸せに暮らしていければそれで良いんだ。もう天下国家をどうこうしようなんて考えちゃいない。だから、みんな俺に付いて来てくれるって言うけど、無理はしないで欲しい。島には俺一人だけで行くよ。みんなそれぞれの生活を送って、たまに俺のことを思い出してくれたら、それでいいんだ」


 するとエリオスははぁ~……っと溜息を付き、コルフ大使時代に培ったオーバーリアクションで、肩を竦めてお手上げのポーズをしてから言った。


「馬鹿だな、社長は……そのそれぞれの生活というのが、君に付いて行くと言うことなんだろう」


 あっけらかんとそう言い放つエリオスがなんだか無責任すぎて但馬は戸惑った。彼はわざわざ、幸せな家庭を捨ててまで、ここに駆けつけてくれたのだ。


「しかし……」

「しかしもかかしもない。君は俺に大使の仕事を押し付けた時もそうだったが……みんながみんな、出世に興味があるわけじゃないんだ。ここにいるみんなは、君と何かをしたいって、そう思って集まった者達なんだぞ。なのに遠ざけようとしてどうするんだ。君はずっと俺達のリーダーで、俺達の生活に責任があると思い込んでいるようだけど、そんなことはない。俺達も君と同じなんだ。俺達は俺達で、勝手にやりたいことをやってるだけだ」


 そしてエリオスは、但馬の頭をコツンと叩いてから、まるで子供に言い聞かせるように続けた。


「君は自分の力不足をいつも嘆いているが、はたから見れば滑稽でしか無いぞ。完璧を求めているのは君自身で、敵は己の中にある。誰も、君が完璧だなんて思っちゃいないんだ。大体、社長はどっちかといえば……お調子者とか、馬鹿野郎とか、そんなもんだろ?


 会社を興したばかりのころを思い出せ。君が失敗することなんて、日常茶飯事だった。当たり前のこと過ぎて、今更何とも思わないぞ。全ての責任を放り投げて、女と逃げだしたから何だって? 実に君らしい選択じゃないか。そのまま突き進めばいいんだ。なのに、そうやって放り出した後のことまで、自分の責任みたいに考える。馬鹿じゃないのか。


 君が責任を放り出して逃げ出したのなら、後のことは俺がやる。俺も無理なら、他の誰かがやるだろう。じゃなきゃみんな死んじゃうんだから。君はこの世界を一人で動かしてるわけじゃない。宰相なんてやらされて、責任に押しつぶされそうになっていたせいかも知れないが、そうやって誰かがやればいいことにまで責任を感じるのは、本当に馬鹿馬鹿しいぞ」


 但馬がなんて返事していいか分からず眉根を寄せて困っていると、エリオスが少し真剣な表情をしてから、


「アナスタシアの代わりに生きるんだろう……だったら、子供たちの前で、いつまでもそんな顔をしてるんじゃない」

「……そうだね」


 但馬がこくんと頷くと、彼を取り巻く仲間たちからホッと安堵の息が漏れた。なんやかんや、元気が無い但馬のことを気にして緊張していたらしい。


「閣下は皇帝陛下ではないのですから、国の利益だけを考えてればよかったのですよ。そこに住む人々の幸せまで考える必要は無かったのでは。もっと気楽に行きましょう」


 場が弛緩して緊張が解れたのか、クロノアが続けた。


「失敗したら辞めさせられるだけだし、誰かが尻拭いすりゃ済む話だろ。実際、今こうなってせいせいしてるだろ、おまえ……?」


 投げやりとも言えそうな台詞をトーが言い放った。子供たちが周りにいるせいで、タバコが吸えなくてイライラしてるようだ。


 但馬はポリポリと頭を掻いた。こうして、自分の心境を吐露することだって、思い切りのいることだと思っていたのだが、仲間たちはそれすらも馬鹿らしいことだと思っていたようだ。


 但馬が何だか恥ずかしい気がして口をつぐんでいると、すると背中をバンと叩かれて、


「もっと面白おかしく生きようぜ」「また、あぶく銭を稼ごうよ」


 エリックとマイケルが屈託のない笑みを浮かべていた。この二人はいつも楽しそうで、本当に見習いたいくらいである。


 そんな具合に但馬たちに会話が戻って来ると、やはり但馬が元気ないことに気づいて、いろいろ気を配っていたのか、ジュリアがニコニコしながらやってきた。


「あらあ~、宰相さん。楽しそうなお話してるところ悪いんだけど、そろそろお別れよねえ? 最後に、子供たちで育てたお花を受け取って欲しいんだけど~……」


 すると、遠くの方で小さな子供たちが、抱えきれないほど大きな花束を抱えて、モジモジとしながら但馬が来るのを待っていた。学校の花壇で育てた花を見繕ってくれたらしい。子供たちが毎日水やりをして、大事に育てられたのだろうか、瑞々しい色とりどりの花が惜しみなく使われた花束は、とても大きくてとても可愛らしかった。


「こんなの貰っちゃって良いのかな」

「良いのよ~。これくらいしか出来ないけど、宰相さんには本当に感謝してるのよ~? 気持ちだけでも受け取って」

「……もう宰相じゃないけど。ありがとう」


 但馬はそう言って子供たちの前に歩み出ると、ふと思い立って、それを取り囲むように整列している子供たちに向かって言った。


「みんな、今日は本当にありがとう。みんながどのくらい事情を知ってるか分からないけど……俺はいろいろやらかして、今日、ここに来るまで最悪な気分だった。でも、みんなのお陰で元気になれたよ。俺はもう宰相じゃないけど、この国にいる限りは、みんなのために尽力したいと思う。それがどんな形になるか分からないけど……また会う日まで、期待して待ってて欲しい。みんな、元気でな」


 子供たちから拍手が起こる。


 但馬のスピーチを聞いて、仲間たちが本当に嬉しそうにしていた。


 花束を抱えた子供たちが、満面に笑みを浮かべて但馬の方へと歩いてきた。但馬は照れくさそうに頭を掻くと、それを受け取ろうとして子供たちに歩み寄った。


 花束は本当に大きくて、大人の但馬でも一抱えはありそうな代物だった。それを数人の子供たちが協力して、大事そうに掲げて持ってくる。彼はそれを受け取ろうと近寄る。


 と、その時……彼は花束の間に、きらきら光る筒状の異物が差し込まれている事に気がついた。


 おや、これは何だろう……?


 メッセージカードか何かだろうか。それとも、他に何かおかしなものでも紛れ込んでしまったのだろうか。そう思って手を伸ばした瞬間だった……


 閃光が走り、目の前が真っ白になる。こんなに至近だと言うのに、やっぱり音よりも光のほうが早くやってきた。


 ドオオオオオオーーーーーーンッッッ!!!!


 っと、但馬の耳にその轟音が届いた時。彼はもう意識を手放していた。


 但馬の腕が吹っ飛び、血しぶきが舞う。


 子供たちの数人が犠牲になった。


 阿鼻叫喚の地獄絵図が始まるのは、それから間もなくの事だった。


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