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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
303/398

もう泣くのは飽きました!

「エリザベス様……お別れに参りました」


 リディア首都リンドス、旧ローデポリス市街中央区、その最も中心にあるリディア王宮の門扉の前で、クロノアは肩を落としながら、リーゼロッテに詫びるように言った。


 門番に立っていた歩哨は、気を利かせて門扉を離れ、変わりに広場を巡回し始めた。


 リーゼロッテは、兵隊たちが声が届かないくらい離れたのを見計らってから尋ねた。


「お別れとは、また唐突でございますね。一体、どういうことです?」


 わざわざ彼女に言わなければならないような、何か深刻な事態でも発生したのだろうか? リーゼロッテは首を傾げた。と言うのも、アクロポリスで愛を告白されてから、1年以上が経過しているが、未だに二人は恋仲にまで発展していなかったのだ。クロノアはその間、ずっとアプローチを続けていたが、但馬に輪をかけて奥手なリーゼロッテが、未だにうんともすんとも言わなかったからである。


 今日も今日とて、クロノアから呼び出しを食らった彼女は、デートの誘いか何かかと警戒しつつもウキウキしていたところ、思いもよらぬセリフが出てきて戸惑った。


 もしかして押して駄目なら引いてみようと言う作戦とかなら、その手には乗らないと言ってしまえば済む話だが、しんみりとしつつもどこか悔しそうなクロノアの表情を見ていると、どうやらそうでもないらしい。


 果たして、お別れとはどういうことかと詳しく尋ねてみれば、


「実は……先日、議会と対立し、勢いで銃士隊を辞めると言ったは良いものの、見事に肩透かしを食った挙句に軍隊に復帰が出来ず、今は途方に暮れてるところなのです。中央で出世が見込めないのであれば、もう帰って来いと実家にも言われているのですが……しかし私は悔しくて悔しくて……あのお方があのまま終わるとは思えないのです。そこで、迷惑は承知で私は閣下についていくことにいたしました。とは言え、行き先は人里離れた孤島ですから、こんな田舎暮らしでは、もはやあなたに胸を張って愛を囁くことも出来ません。今まで散々ご迷惑をお掛けしましたが、そういったわけで今日はお別れをお伝えしに参った次第で……」

「馬鹿ですか、あなたは」


 リーゼロッテは、はぁ~……っと長い溜息を吐いて言った。


「あなたがそうであるように、私が簡単に主を変えるような薄情な女だとお思いですか? はっきり申し上げて、社長との付き合いは、私のほうが長いくらいなのですよ。今となっては私の部下である亜人傭兵団(ホワイトカンパニー)の面々も、彼を主と認めておりますし、となれば、彼の行くところに我々が付いて行くのは当たり前じゃないですか。これから同じ所へ行こうと言うのに、お別れも何もありませんよ」

「えっ、そうだったのですか!?」


 クロノアは目を丸くした。何故なら、リーゼロッテは但馬がやらかして以降、ずっとブリジットの側に居て、一度として拘置所の但馬に面会すらしたことが無かったからである。だからクロノアは、よっぽど彼女が怒っていて、但馬と縁を切るつもりで居るのだと考えていたのだ。


「そんなわけないじゃないですか。アナスタシアだって、同じ家で暮らしていた、私の家族みたいなものですよ。社長が彼女に密かに恋慕していたことも……はっきり言って誰だってわかっていたことですからね。もしかしたらこういう事もあるのではないかと、多少なりとも覚悟はして居りました。ただ、今は女である私が傍にいては社長も目障りでしょうし、何よりブリジット様の方がお可哀想ですから、こうして王宮で厄介になっていると言うだけです。だから、すぐにとは言えませんが、ブリジット様がお元気になられましたら、私も合流するつもりですよ」

「そうだったんですか! 私はてっきり、ここでお別れかと思っていたのですが……それにしても、本当によろしいのですか? 自分で言うのも何ですが、我々の行き先は、飲水にも事欠くくらいの、お世辞にもまともな土地とは言えないようなところですよ?」


 リーゼロッテは肩をすくめると、


「私は元メディアの女王ですよ。もし、社長に出会わなければ、下手をすれば今頃、あの電気も通わない小さな集落で、亜人達に囲まれて生活していたかも知れません。それに比べたら大したことじゃありませんよ。ハリチだって、出来たばかりの頃は、立派な箱だけが建っていたど田舎でしたしね。あなたの方こそ良いのですか? 無理をせずにお国に帰れば、地位も出世も約束されたようなご身分でしょう。一旦帰って、社長が復活なさってから、再度合流されてもよろしいのでは」

「そんなの、つまらないじゃないですか」


 クロノアは即答した。


「閣下でしたら、きっとそうおっしゃいますよ。今は少々、元気を無くしておいでですが、時が経てばまたいつものように、我々には想像もつかないような方法で、離島暮らしを快適なものに変えてくれますよ。その現場に居られないなんて、人生を損しているようなものじゃないですか」

「そう……ですね」


 その言いっぷりが本当に但馬みたいだったから、リーゼロッテは思わず苦笑した。なんやかんや、この異国出身の貴公子も彼に影響されているのだろう。彼だけではない、自分も、そしてみんなも。


「あの社長なら、それくらいやってくれるでしょう。それに、そう考えているのは、何も私達だけじゃないようですよ」


 リーゼロッテはそう言うと、クロノアの肩越しに遠くの方へ視線を向けた。彼が一体なんだろう? と振り返ると、王宮に続く坂の下から「お~い!」と手を振りながら歩いてくる二つの影が見えた。


 一人は威風堂々たる巨漢の男、エリオスである。


「エリオス様!? どうしてここに……? あなたはコルフに居るはずでは」

「久しぶりだな、クロノア。大使の仕事ならやめてきた」


 するとエリオスは無責任なセリフをケロリとした顔で吐いた。クロノアもリーゼロッテも、彼があまりにもあっけらかんというので、思わず流しかけたが、


「え? ……大使の仕事って、勝手にやめられるものなんですか?」

「さあ、知らん。知らんが、俺は社長に頼まれたんで、渋々やっていただけだからな。彼がこの国の宰相で無くなったのなら、いつまでも大使をやってる理由もないだろう。それに、俺は社長の子飼いだ。放っておいても、どうせ議会からお役御免の通達が来ただろうよ」

「いや、でも奥さん子供もいらっしゃるでしょう? こんな急な引っ越し、大丈夫だったんですか?」

「それならコルフに置いてきた」


 エリオスはこれまた何でもない事のように言い切った。但馬から、エリオスが子煩悩になっていたと聞き及んでいたリーゼロッテは思わず目を丸くしたが、


「なあに、親はなくとも子は育つと言うだろう。それにランはコルフの議員だからな。俺と違って簡単にやめるわけには行かないさ。ロレダン総統が良くしてくれるし、部下も置いてきたし、乳母もいるからアトラスの世話は心配ない。それよりも、今は社長の方が心配だ。彼はなんやかんや、赤ん坊よりも手がやけるところもあるからなあ」

「た、確かに……そうかも知れませんが、本当にそれで良かったんですか?」

「良いんだ。社長がまた元気になったら迎えに行けばいいのさ。それほど時間もかからないだろう」

「はあ……ところで、そちらの方は?」


 クロノアがエリオスと一緒に来たもう一人の方に話を向けると、リーゼロッテが恭しく礼をしてみせた。


「トーさん、お久しぶりでございます」

「だから、さん付けはやめろってばよ」


 トーはそう言って忌々しそうにタバコを取り出すと、門番の兵隊に煙たそうな顔をされながらもスパスパと吸い始めた。


 クロノアが感じが悪いな……と思いながら見守っていると、エリオスが言った。


「彼はトーだ。社長が会社を興した時、いろいろと面倒を見てくれた、まあ、いわゆる創立メンバーの一人なんだ。途中で居なくなってしまったんだが……俺も知らなかったんだが、いつの間にかリディアに帰ってきてたようだな、港で出迎えられた時は驚いた。本当に、おまえ、いつ帰ってきたんだ?」

「それなんだけどよ……」


 エリオスに話を振られると、トーはボリボリと後頭部を掻き毟りながら、


「おまえらには話しておかないといけねえと思ってよ、エリオスのおっさんにも話さないで、こうしてみんな集まるのを待ってたんだが……正直あまり人に聞かせていい話でもないんだ。少し、河岸を変えないか?」

「ん? どういうことだ?」

「但馬がとっ捕まった理由だよ。どうせ、あいつは何も喋んないだろうからな……知りたいだろう?」


 トー以外の三人は顔を見合わせた。


 但馬が逮捕されたのは、言うまでもなく不敬罪である。アナスタシアとの不倫がバレて、それを弁解するどころかブリジット相手に別れてくれと迫ったと聞いたのだが……もっと他に理由があったのかと、三人は首を傾げたまま、トーに促されるように場所を変えた。


 王宮の脇の小道を抜け、高級住宅街の町並みを行くと、やがて王家のプライベートビーチに突き当たる。リーゼロッテが巡回の近衛兵に軽く会釈してから、4人でぞろぞろと浜辺に降りて行くと、トーはキョロキョロ辺りを見回して誰も居ないことを確認したあと、おもむろに話を始めた。


「……それじゃあ、社長はアナスタシアの命を助けようとして?」


 トーは1年前にティレニアであった出来事から、最近のサリエラの事件までの経緯を淡々と話して聞かせた。話を聞いていくうちに、徐々に但馬が追いつめられていった背景が分かり、三人は驚愕した。


「儀式をしなければどっちにしろみんな死んじまうから、アナスタシアの命を助けるってのは語弊があるが……他に言いようもないしな。あいつは世界が破滅することよりも、一人の女と最期まで添い遂げることを望んだんだ。つまりまあ、言い訳しないのはそのせいだろう。あいつは一度はおまえらのことも犠牲にする選択をしたもんだから、今更会わせる顔もないって感じじゃないか」

「では、アナスタシアはもう……?」

「ヒーラーの力が戻って来ていないから、はっきりしたことは分からないが……まあ、多分もう儀式は行われて、この世にアナスタシアという人間はいなくなってることだろう……運がよければ、聖女リリィとして暫くは生きられるかも知れないが、それはもう、俺達の知らない別人だ」


 トーはそう言うとぐるりと三人の顔を見回し、


「但馬に付いて行くというなら、おまえらは知っておくべきだと思ったんだ。形はどうあれ、おまえらは裏切られたんだよ。だからもし、これを聞いておまえらに納得いかないという気持ちが芽生えたなら、悪いことは言わないから盲目的に信じてついていくのはやめたほうがいい。まあ……そんな利口な奴なら、初めから付いて行くなんて言わないだろうがな」


 するとクロノアは力強く頷いて、


「無論です。寧ろそのような理由があったと知って、改めて閣下の清廉さを実感いたしました。自分の好きな女性のために、世界を相手にするなんて素晴らしいことじゃありませんか。私には到底出来そうもない。決めました。私は今後、何があっても、閣下のおそばを離れることは致しませんよ」

「ああ、そうかい。そりゃ良かったよ……エリオスのおっさん……は聞くまでもないか。リーゼロッテ。あんたはどうする?」


 するとリーゼロッテは少し考える素振りを見せた。当然、ついてくるだろうと思っていたエリオスとクロノアは、意外そうに目を丸くし眉をつりあげていたが……


 彼女が考えていたのは別に付いて行くのをやめようと思ったとか、但馬を見損なったとかそういうわけではなかった。


 考え込んでいた彼女は、三人に注目されていることにようやく気づき、ハッとした素振りを見せてから、歯切れが悪そうにトーに向かって言った。


「社長についていく、いかないと言う話は置いておいて……その話を、ブリジット様にも教えて差し上げることはなりませんか?」

「姫さんに……? そりゃまた、どうして。知らないほうが良いんじゃないのか。余計ショックを受けるかも知れないし」


 なにしろ、世界と天秤にかけても但馬が選んだ女が相手なのだ。それを知ったら、そんな相手に到底太刀打ち出来ないと、ブリジットは負けを認めるしかなく、余計辛くなるのではないか。


「そうかも知れません……いえ、でももしかしたら逆かも知れません。何故なら、ブリジット様はアナスタシアとも友達なのですよ。友達に恋人を取られたと恨むよりも、彼女にも事情があったのだと知っていた方が、気が休まるんじゃないかと思うのです」

「ふーん……そう言うもんかね」


 トーは腕を組んで少々考えていたようだが、結局は頷いて、


「そうだな。惚れた腫れたが関わらなければ、普通に姫さんにも話していたことだ。俺には女の気持ちなんかよくわかんねえし、あんたに任せるよ……まあ、あんたがそんな繊細な心の持ち主なら、この男ともう少しどうかなっててもおかしくないと思うんだけどな」

「トー。私の心は繊細で、とても傷つきやすいんですよ? ……理解出来ると言えるまで、語り合いましょうか、拳で」

「だからそう言うところを言ってんだろ」


 腕まくりして追いすがるリーゼロッテから、トーは逃げ回りながら言い訳した。クロノアはそれを見ながら、真っ赤な顔をして苦笑していた。


 その後、間もなく護送が始まるとされる但馬の元へ駆けつけると言う三人を見送ってから、リーゼロッテは王宮へと戻った。


 門番の敬礼を受けながら門扉をくぐり、かつて前庭だったところをブリジットが練兵場にしてしまった場所を通って王宮に入ると、先ほどエリオスやクロノアが来ていたことを気にしてか、王宮付きの侍女たちがそわそわしながらやってきた。別に彼女とクロノアとの進展を気にしているわけではなく、あの二人が来たのなら、但馬に関する何かがあったのだろうと思ってのことだった。


 但馬が居なくなって以来、王宮の侍女たちはかなり落ち着きを欠いていた。但馬本人は嫌われていると思い込んでいたようだが、実際のところ、とっくの昔に彼女らも、彼のことを主人であると認めていたのだ。それを知ったら但馬は喜ぶよりも、また責任を感じるだろうから黙っていたが、本当なら王宮勤めの誰一人として、怒っていないと言うことを伝えてあげたかった。


 リーゼロッテは侍女たちに、エリオスたちは但馬の護送に付き合って、そのまま離島まで付いて行くと伝えに来たのだと説明した。すると侍女達はホッとした顔を見せた後、すぐに表情を曇らせて、また但馬がここに戻って来ることはあるのだろうか? と尋ねてきた。


 但馬が戻って来るということは、ブリジットとよりを戻すということだし、男女の話だからどうなるかは分からないと言うと、もっと二人を自由にさせて上げたほうが良かったのだろうかと後悔しているようだった。尤も、おかしなことが起こらないように彼女らが見張っていてくれたから、今回はこの程度で済んだのかも知れないので、リーゼロッテは職務に忠実であっただけなのだから気にするなと、彼女らに気休めを言ってからその場を後にした。


 但馬はいつも王宮で肩身が狭い思いをしていたようだが、実際にはこんなものなのだ。なんやかんや侍女たちも彼の心配をしているし、それは近衛兵達も同じだった。隊長のローレルだってそうなのだ。もし彼が但馬のことをなんとも思ってなかったら、殴りつけたりなんかしなかった。黙って引っ捕らえるか、その場で切り捨てていただろう。


 ままならないものである。リーゼロッテは溜息を吐きながら回廊を進み、ブリジットの寝室へと辿り着いた。


 ドアをコンコンとノックして中に入ると、天蓋付きのベッドの上で、布団を頭までかぶったブリジットがゴソゴソとイモムシみたいに動いていた。但馬との関係が破綻してから、彼女は日夜人目をはばからず泣き続け、ずっとこの調子だった。食事も喉を通らないらしく、リーゼロッテや侍女たちが必死になって説得して、ようやく1日に1食、それもパンの切れ端を口に含むといった程度で、日に日に痩せていく姿は、まるで不治の病でも患っているようだった。


 事件が起きてから1カ月が過ぎて、このところようやく食べる量も増えてきたようだが、それでも相変わらず食は細く、一日中部屋に閉じこもりっきりで、見るに耐えない状況だった。


「ブリジット様、お加減はいかがですか?」


 リーゼロッテが椅子を引っ張り出してきて、ベッドの脇に腰掛けると、そのベッドの上のイモムシがもぞもぞと動きだけで答えた。相変わらず調子の悪そうな彼女のことを見ながら、リーゼロッテは同情しつつも、


「先ほど、エリオス様が宮殿の前まで来ていたのですよ。社長の護送が始まると言うので、クロノア様と一緒に新天地まで付いて行くとおっしゃっておりました。私も宮殿勤めが長かったので、数多くの主従関係を見てまいりましたが、彼ほどの忠臣は中々お目にかかれないものですね。そうそう、それから懐かしいことに、トーも一緒に来ていたのですよ」


 そしてリーゼロッテは彼が教えてくれた、但馬がブリジットを捨ててアナスタシアと逃げようとしたことの顛末を語って聞かせた。アナスタシアがティレニアの巫女と呼ばれる存在だったこと。彼女の命を犠牲にして儀式を行わなければ世界が滅びてしまうかも知れないこと。但馬は儀式を回避すべく足掻いていたが失敗したこと……


 アナスタシアは自分が犠牲になることを一度は諦め、但馬と決別してリディアを去ろうとした。しかし、その寸前のところで但馬が彼女に追いついて、そしてあの逃避行が起こってしまった。


「……それは、本当ですか!?」


 やはり、このようなことを聞かせるのは酷だったのかも知れない。淡々と話して聞かせている最中も、布団を被ったまま微動だにせず、顔も見せないブリジットのことを見ながら、リーゼロッテは一瞬後悔しかけた。


 しかし、彼女がトーから聞いたことを話し終えると、それまで布団の中から出てこようとしなかったブリジットは、ガバリと布団をはねのけ飛び上がるようにして起き上がり、まるでリーゼロッテに食って掛かるかのように、顔を近づけ目を覗き込みながら、らんらんと輝く瞳でそう問い返してきた。


 その豹変ぶりにリーゼロッテは目を丸くしながら、


「え……ええ、確かだそうです。トーは元々、ティレニアの由緒ある家系の者で、実はアナスタシアと従兄の関係にあったとか」

「そんなのはどうでもいいのです。それよりも、先生はアナスタシアさんのことを助けようとしてあんなことをしてしまったんですね?」

「は、はい」

「そうですか。なら……まだ脈はありますね」


 ブリジットはそう言うと、その大きな胸を抱えるように腕組みをし、にやりと笑ってみせた。


 あっけに取られながら更によく見てみれば、たった今まで彼女が潜り込んでいた布団の中には、フード付きのコートに包まれたパンや果物、そして短剣といくらかの硬貨、他には下着などの着替えが隠されていた。


 しかも、てっきりブリジットは寝巻きを着ているとおもいきや、その服装は膝丈のチュニックに厚手のタイツと、まるで旅装のような出で立ちだった。


「……ブリジット様、そのお姿は一体?」


 これはなんのつもりだろうかとリーゼロッテが尋ねてみれば、興奮気味にベッドの上で飛び跳ねていた彼女は、ウッと息を飲んでから、まるで不貞腐れた子供みたいに口を尖らせつつ、


「もう泣くのは飽きました!」


 と言い放った。


「ベッドの中でいつまでもウジウジしてても仕方ありません。先生は今日、護送されるのですよね。だったら私もエリオスさんたちみたいに、先生にくっついて行くことに決めたんです」

「決めたって……そんな無茶苦茶な。みんな困ってしまいますよ?」

「そんなのもう知りませんよ。どうせ私が皇帝をしててもみんな跡継ぎのことしか考えてないじゃないですか。そんなんだったら、先生の居ないこの国に未練なんてありません。邪魔な王権は兄さんに押し付けて、私は今度こそ自分の好きなように生きるんです。先生に愛されなかったのは、それは悲しいですけど……でもそんなの関係ない。私は元々、先生の家来になりたかったんですからね。先生が嫌がってもとことん追いかけてやるんです。先生がアナスタシアさんと添い遂げようとしたように……私だって世界が崩壊しようがなにしようが、先生につきまとうことをやめられないんです」


 ブリジットがカラリとした表情で言ってのける。リーゼロッテは思わず感嘆のため息を漏らしていた。


「先生がアナスタシアさんを追いかけた気持ちはよくわかりますよ。もしもあの人が、誰かを犠牲にしても平気なような人なら、こんなに好きになったりしませんからね。私と付き合っている間、アナスタシアさんとこっそり逢引きしてたり、はっきりと先生に嫌われたと言うわけではないのなら、それはそれで良いですよ。私は2番めでも3番目でも、先生に少しでも好きで居て貰えれば、それで良いんです」


 そして彼女は、自分の師匠の顔を真剣に見つめながら、


「だから師匠、私が愛する人の元へ向かうのを止めないでください」


 と言って、深々と頭を下げた。


 リーゼロッテはそんな弟子の姿をうっすらとした笑みを浮かべて見つめていた。それは東洋人特有のいわゆるアルカイック・スマイルで、恐らく彼女の父の癖が影響したものだろう。


 但馬もよくそう言う表情をしていたなと思いつつ、リーゼロッテは、


「そう……ですか。凄いですね」


 と言うと、ブリジットの頭をポンポンと優しくなでて、顔を上げるように促してから、彼女が滅多に見せることのない、母性に満ち溢れた穏やかな表情で続けた。


「私はそこまで人を好きになったことがありませんから、その情熱がどこから湧いて出るのかはわかりません。ですがあなたのことを、羨ましくも思いますよ。実を言えば、私の母もそんな感じだったそうです。勇者様は聡明な方でしたから、母が主人に言い含められて近づいてきたことはわかっていたようです。母も最初はそんなつもりだったようですが、追いかけて追いかけて追いかけているうちに、段々と情が湧いてきて、父のことが大好きになり、最後には愛を勝ち取ったようです」

「そうなんですか? それは素敵な話ですね」

「はい。だから、私はあなたを止めません。寧ろ、諦めないあなたのことを応援しますよ。今の社長には……あなたのような方が必要なのです」


 リーゼロッテがそう言うと、最近泣きっぱなしで涙腺が緩んでいたブリジットはうるうると瞳を震わせた。


 二人はガッチリと握手を交わすと、こっそりと窓から王宮の外へと出て行った。


 こんなことをしてもすぐに彼女らが居なくなったことなど気づかれてしまうだろうし、その行き先だってバレバレなのだが、それがわかっていても彼女らは、まるで儀式のようにそうすることをやめなかった。


 ブリジットが但馬に会いに行くときは、いつだってそうだった。誰かに言えば必ず止められるから、いつもこっそりと城から抜けだした。そして、ほんのちょっとばかし彼と会うために、彼女は全力で街を駆け回ったのだ。


 だけどそうして彼の元に遊びに行っても、いつも彼は他の女の子に夢中で、彼女のことは友達としか思っていなかった。それでも彼女は続けた。いつかその愛を勝ち取るために。


 だからこれでいいのだろう。どんなにすれ違っても、拒否されても、彼を追い続けることこそが、彼女の愛なのだろうと、その時のリーゼロッテはそう思ってた。


 そう、思っていたのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ブリジット凄いよ……魅力的なキャラすぎる……報われてくれ…… [一言] って思ってたのに最後の一文!!不穏すぎる一文!!!!!!!!やめれ!!!!!
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