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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
302/398

そいつぁ、出来ない相談だ

 但馬の裁判が結審したのは、それから1週間も経たない日の事だった。これほどのスピード判決が行われた背景には、彼がいつまでも不名誉な状態を晒していることをウルフが嫌ったことと、判決が長引いて但馬の派閥が息を吹き返すことを恐れた、貴族たちの焦りがあった。


 ウルフがキレたせいで議会は一旦解散されたが、かと言って皇帝の権威を傷つけた但馬の罪を無かったことにするわけにもいかなかった。あの喚問の翌日には有識者を集めた委員会が開かれ、裁判はその議事録を元に執り行われ、結局、彼は私財没収の上、流刑に処されることとなった。いわゆる、島流しである。


 その流刑先としては、ハリチ近傍の無人島が選ばれた。無人島とは言え、海岸から泳いで渡れるような距離にあり、脱走しようと思えばいつでも脱走出来そうな島である。何故そんな中途半端な場所が選ばれたのかと言えば、恐らく、エルフの大襲撃の記憶が誰の脳裏にも浮かんでいたからであろう。商売敵の但馬を遠ざけたかった富裕層は、当初レムリアへの強制移民を強硬に主張していたが、最終的にはトーンダウンした。但馬が脱走して再度権力を握られることよりも、またあの時のようにエルフが襲ってくることのほうが怖かったのである。


 それは結局、但馬が居なければあの危機を乗り越えられなかったと認めているようなものである。だったら、初めから島流しなどしなければいいのに……こんな都合のいい使われ方は許せないし、但馬さえ居れば他の部隊は要らないと言わんばかりの決定に、対エルフ部隊としてプライドを傷つけられた銃士隊は抗議して、隊長のクロノアが辞任したのを切っ掛けに、除隊するものが相次いだ。おまえらが考え直さねば、エルフと戦う者が居なくなるぞと言いたかったわけである。


 ところが、そんな抗議に対して議会は懐柔には動かず、補充要員を帝国軍内から簡単に選んだ挙句、銃士隊を解散し、新たにライフル部隊を現在の5倍規模で組織するという暴挙に出た。銃士隊の特殊性は認めるが、ここまで戦術が固定的になってきたら、数で押せると言いたいのだろう。そしてそれは事実だった。


 銃士隊は見誤ったのである。銃士隊は但馬に同情的な、いわゆる但馬派と目されており、そんな彼らが自発的にやめてくれるのは、議会にとって好都合だったのだ。クロノアはこの行動を後に後悔することになる。


 因みに、この決定をした富裕層は事件の当初、真っ先に国外へ逃げ出した連中であり、但馬に多少なりとも感謝していた人々の怒りを買った。リディア国内は、議会とそれに排除された軍閥。富裕層と一般層との間で、どんどんと軋轢が増していった。


 さて……そんな火種が燻ぶる国内情勢もさることながら、新たに皇帝の資質問題というものも議会では話し合われていた。もちろん皇帝は神聖にして不可侵の存在であり、ブリジットを責めているわけではない。ただ今回の事態を受けて、彼女が女性であることが問題視されたのだ。


 但馬とブリジットの付き合いはリディア人の誰もが知るところであり、二人が婚約状態にあるという噂は既成事実化しつつあった。シロッコが彼に王になれと言ったように、国内には、ゆくゆくは但馬が皇帝になると考えている向きは少なくなかった。だがそう考えると、不安要素が見えてくる。実際にはそんなことにはならなかっただろうが、仮にもし、但馬に野心があって、リディア王家から王権を簒奪し、彼が皇帝となってから今回の不倫が発覚していたらどうなっていただろうか。


 そこまででなくても、例えばもし、今回の事件が二人が結婚した後に起こっていたら……もし、後継者が生まれた後だったら……島流しでは済まなかっただろうし、ブリジットと彼を引き剥がすことも難しかったはずだろう。


 そうならなかったのは不幸中の幸いであったが、皇帝が女性である限り、今後、そうならないとも限らないわけである。ましてや、彼女はまだ但馬に未練タラタラなのだ。


 非常に不謹慎で不愉快な話ではあったが、そう言われてしまうと皇帝の兄ウルフも考えざるを得なかった。議会のみならず、国民も同じくそれを不安に思っているらしく、長子相続を求める声が日に日に高まっても居た。


 元来、リディアの王権を得るには、王家の象徴たる聖遺物クラウソラスの継承が必要だったが、ここまで科学技術的に発展した今の帝国において、魔法の素質ははっきりいって問題にはならない。


 だからもしもブリジットに何かがあった場合、ウルフが後を継ぐのは何の問題もないのであるが……だが、今これを認めてしまうと、後継者としてブリジットを選んだ先帝の権威をも傷つけてしまうことは必至である。


 そんなこんなで、結論から言えば、この問題は先送りされて、暫定的な措置だけがとられることになった。当たり前だが、王様をポンポン変えていては国が乱れてしまう。かと言って、今のブリジットが資質を問われるのも、ある程度は仕方がない。ならば、当初の体制通り、ウルフが摂政として彼女を補佐し、今後落ち着くまで彼女の公務を執り行うことにしたのである。


 思い返せば、元々、但馬を宰相として任命したのは、摂政であるウルフだったのだ。ブリジットはまだ若く、女性でもあるから、兄であるウルフが国政を執り行うというのが、先帝の遺言だった。そしてウルフは、自分よりも内政に長けた但馬を宰相に据えていたというのが本当なのだ。それを元に戻すだけなら、誰も傷つくことがない。


 そんなわけで、ウルフは王権の象徴であるクラウソラスを一時的に預かると、皇帝の代弁者として玉座に座り、議会の承認の下に宰相の仕事を引き継いだ。こうして彼は、一時的にせよ、世界最強の帝国の絶対権力者になったのである。

 

********************************

 

 リディア西港に帝国軍艦ヴィクトリアが停泊していた。当初、世界最初の帆船で出来た軍艦として一時期は旗艦も務めたその船は、長い航行距離もさることながら、北方海域まで走破したことが祟ったか、大分老朽化が進んでいた。


 カンディア公爵の乗艦として、便宜上艦長を務めるウルフはヴィクトリアに乗船すると、艦橋へは向かわずに甲板に立った。彼の乗船を確認すると、船は間もなく動き出し、離岸して沖へと離れていった。要するに、事実上の艦長は他にいるわけである。


 ウルフは甲板に立ったまま、離れていくリンドスの町並みを眺めていた。


 かつて、ローデポリスと呼ばれたあの小さな街は、今ではもう見る影もない。辛うじて、街のランドマークでもあるインペリアルタワーだけは変わりなかったが、それを取り巻く町並みはすっかり変わってしまった。


 巨大なビルが立ち並び、空を覆い尽くさんばかりの電線があちこちにつながっている。海岸には発電所やコークス炉の黒煙が上がっており、街が見えなくなっても、昼間なら黒煙が、夜間なら街の明かりが遠くまで届き、そこに人の営みがあることを連想させた。


 ヴィクトリアのすぐ脇を、鋼の船がボオオーッと汽笛を上げて追い越していった。ヴィクトリアを先導する護衛艦で、小型だが足はあっちの方が何倍も速い。帝国海軍は、もう殆どの船が鋼船に置き換わっており、このヴィクトリアも今回の航海が最後で、来年の今頃は別の船が同じ名前をつけているはずだった。


 その新たなヴィクトリアは、S&H社の技術顧問シモン・シニアの最後の開発品であるディーゼルエンジンを搭載した、世界最初の船になる予定であった。リディアにとってヴィクトリアと言う名前はやはり特別であり、まだ事件を起こす前の但馬が巡航速度20ノットは余裕だと得意気に語っていた。普通ならば話半分に聞くところだが、彼が言うのだから本当なのだろう。


「本当に、信じられない話だ……」


 これだけのことをする男を、わざわざ遠ざけようとするのがこの国の選択だとは……ウルフはとても信じられなくて溜息が出た。どうして人々は、あんなに彼を恐れるのか。


 但馬がこの国にもたらしたものは、どれもこれもこの国にとって必要なものばかりだった。そりゃ、戦争の道具も作ったが、もしもそれが無ければ、帝国はアスタクスに勝てず、下手をすれば滅んでいただろう。今回のエルフ騒動だってそうだ。言うなれば、リディアと言う国は、彼によって生かされていたのである。


 ところが、彼が力を発揮すれば発揮するほど、人々は彼を恐れていった。彼のことをヒーローとして、ただ崇めていればすむような子供ならば良いのだろうが、彼の商売敵やライバル(と思ってる者)達は、たまったものじゃないのだろう。特に、エルフを殺し尽くしたのは大きいはずだ。実を言えば、但馬がその気になれば、彼らは命の保証が無かったのだ。そうとは知らず今まで彼の足を引っ張ってきた者達は、生きた心地がしないだろう。


 ウルフは魔法が使えない。剣の才能もない。かつては父に憧れ、必死になって剣技を学んできたものだが、妹の騎士ごっこにすら敵わなかった。それが悔しくて悔しくて、枕を濡らしたこともある。だが、今にして思えば、それで良かったのかも知れない。


 強い力は身を滅ぼすとは、望まぬ敵を作ってしまうということだ。幼い頃は、権力を得たものが傲慢になって隙を作ってしまうことだと思っていた。自分は強くなっても、絶対にそうはならないぞと心に誓ったものだが……実際には避けては通れない、どうしようもないものだったようだ。但馬のことを見ていると、つくづくそう思う。


「ウルフ! ここに居たのか。船が動き出しても、艦橋に上がってこないからどうしたのかと思ったぞ」


 ウルフが海を眺めながらそんなことを考えていると、その艦橋から叔父であるマーセル大将が降りてきた。


 マーセルは亡母の弟で、数少ない血縁の一人だった。ウルフはこれからリディアに入り、ブリジットに代わって国政を執り行う。その間、カンディアが留守になるが、但馬が失脚した今となっては帝国軍のトップはマーセルであるから、軍事基地としての側面も強いカンディアを任せるなら、彼が適任だろうと考えていた。


 その引き継ぎのために、今回は同じ船に乗船していたのだが……


「マーセル叔父か。少し街の景色を見ながら考え事をしていたんだ」

「……まだ、リディアが見えるかな」


 マーセルは手をかざして、目を細めながら水平線の向こうを熱心に見ていた。海岸はもう見えなかったが、まだインペリアルタワーや、あちこちから立ち上る黒煙は見えていた。二人は甲板に並んで、会話も無くそれを見送り、やがてそれが見えなくなった頃、マーセルはおもむろに言った。


「考え事だって?」

「ああ、これからのことを少し。俺もブリジットも、但馬に頼りすぎていたかも知れないと思ってな。あいつが復活するまで、俺がなんとかしなきゃならん」

「そうだなあ……おまえらは結局、全部丸投げだった。それで上手く行ってたから仕方ないんだろうが、反省しなくちゃな。でも、具体的にはどうするんだ」

「まず、議会をどうにかしなければならんだろう。但馬の鳴り物入りで作ったものだが……結局、あれは足かせにしかならなかった。あれだけの男を利用するでもなく、排除するでもなく、足を引っ張るだけで、今は飼い殺しにしようとしている。正直言って、あるだけ無駄だろう」

「ふーん……それで、おまえは但馬が復帰するのを待とうと言うのか?」


 ウルフは力強く頷いた。


「もちろんだ。あの男があのままで終わるわけがない。今は全くダメダメだが、やがて時が過ぎれば気も紛れ、必ずや復活するだろう。だがその時に、議会があったら彼の復帰を邪魔するはずだ。そうならないよう、議会を潰そうと思ってるんだ。だから力を貸してくれ」

「なるほど。俺も議会を潰すのは賛成だ。大体、(まつりごと)はトップが決めるものだろう。わけのわからん輩に口出しさせるものじゃあない」

「そうか。マーセル叔父が協力してくれるなら心強い」

「だが、但馬を復活させる……そいつぁ、出来ない相談だな」

「……え?」


 ブスリ……


 っと、自分の中で何かが根こそぎ持ってかれるような感覚がした。


 息苦しくもないのに、何故か呼吸がやたらと浅くなる。


 急激に力が入らなくなっていき、気がつけば膝がガクガクと震えていた。


 口をパクパクさせながら、ウルフは何が起きたのかと、下半身を確かめようとしたら……


 自分の腹に、鋭利な刃物が突き立っているのが見えた。


「う゛……ぐ、が、はぁ……」


 ワナワナと震える手でそれを抜こうとするが、筋肉が収縮してびくともしない。だが、そんなことはする必要もなかった。マーセルは震えるウルフの手を引き剥がすと、彼に突き刺さる剣の柄を握って、乱暴にウルフの腹を蹴り飛ばした。


 傷口がどんどん裂けて広がっていく。ズルズルと剣が引き抜かれたその跡から、蛇口を捻るかのように血液がドクドクと溢れだした。


「かっ……かはっ……かはっ……!!」


 ドンッ! ……っと倒れこんだウルフの周りを、あっという間に血だまりが染めていく。


 誰かに助けを求めようと手を伸ばすと、それを取り囲むように、艦艇の乗務員達が半円を描いて彼のことを冷たい視線で見下していた。


 ウルフは薄れていく意識を必死に繋ぎとめながら、驚愕の視線でマーセルを見上げつつ、掠れる声で言った。


「な゛ん……で?」

「なんでも何もそういうことだよ。クーデターだ」


 マーセルはそう言って剣を一振りし、刃先からウルフの血を飛ばして鞘に収めた。そして、まるで汚いものでも見るかのような視線で、ウルフの傷口をツンツンとつついた。


「ぐぅ……ぐわああああああーーーーーっっ!!!!」


 意識が持っていかれる。頭の中が真っ白になる。激痛で全身が硬直しているくせに、糞尿を漏らしているのか、ケツのあたりが暖かくなった。


 と、その時だった……


 ウルフが涙を浮かべながらマーセルを睨みつけると、その背後からゲラゲラ笑いながらとある男が現れた。


 ネイサン・ゲーリックである。


「な……何でここに……?」


 どうして死人がここに居るのか?


 ウルフは今度こそわけが分からず、目を白黒させながら、再度なぜかと問うた。意識を保っているのもやっとの状態で、這いつくばるウルフを見ながら、ネイサンは嬉しそうにペラペラと喋った。


「お久しぶりですねえ、公爵……いや、ウルフよ。俺が死んだと思ったか? 死んだと思ったよなあ! 残念! お前たちが殺したのは、俺の影武者でしたあ~。カンディアで拘束されたときには、既に入れ替わっていたんだよ。バーカ」


 ケタケタとまるで小動物の鳴き声みたいに甲高い声でネイサンは嘲り笑っている。この時をどれほど待ち望んでいたのだろう、勝ち誇る彼は腹を抱えて涙を流しながら、いつまでもいつまでも耳障りな声で笑いこけていた。そんな彼に代わり、マーセルが後を引き取って続けた。


「カンディアでクーデターを起こしたのはな、ありゃ俺の仕業だ。本当は、おまえはヴェリアの地でアスタクスにやられて死ぬはずだったんだよ。方伯から使者が来なかったのは、俺のところで止めていたからだ。そして、方伯の陣営に情報を漏らしてたのも俺だ。ヒーラーが皆殺しにされ、おまえが死にかけたのは、始めっから、ネイサンと一緒にリディアを乗っ取るつもりだったからだよ。


 ブリジットは強いが単純だからな、お前が死んだらキレて前線に出てくるのは目に見えていた。だが、馬鹿だからあの方伯相手には絶対に敵わなかっただろう。カンディアを使えなくしておけば、早晩、兵站面で行き詰まって無駄に兵を減らしていたはずだ。そうなってから背後を突いて、あいつを亡き者にしようと考えていたんだ。だが、最大の誤算があいつだった。但馬波瑠だよ。


 信じられるか? 俺達が半年以上かけても攻めあぐねた方伯を、たった1ヶ月で退けて、おまけに、敵の本拠地まで乗り込んでってけちょんけちょんにしたんだぞ。ありゃあ、紛れも無く天才だよ。いや、天災と言ったほうが良いか。今にして思えば、あれだけの力を秘めておきながら、そんな素振りは一切見せずにやりやがったんだ……リディアを乗っ取りたきゃ、こいつをなんとかしなきゃなんねえが、こんな化物に勝てるかってのよ。だから俺もネイサンも、一度は諦めたんだが……


 だが、まさか奴が自滅してくれるとはなあ! 本当に助かったぜ! あいつが居なくなってくれたお陰で、世界最強と謳われる帝国軍は、今や俺の思いのまま。周りの連中も寄ってたかって足を引っ張ってくれて、俺達に味方してくれるとくらあ。こんな絶好機を逃してなるものか」


 ウルフは薄れゆく意識の中で、どうにか言葉を繋いだ。


「どうして……そんなことして何になるんだ。おまえは一体、何が望みなんだ」

「望みだって? そんなの決まってる。世界征服だよ!」


 頭がくらくらして、貧血のせいか目を開けているはずなのに、ウルフにはもう何も見えなかった。ただ、滑稽で、馬鹿馬鹿しいその答えが、頭の中でグワングワンと回りだして、まるで全身に虫でも這っているかのような怖気を感じた。


 この男を止めたい。どうにかしたい。


 だがもう、指先ひとつ動かない。


「世界……征服? そんな……ことで……」

「そんなこととは何だ、そんなこととは。そもそも、世界征服はおまえの父親ハウルの野望だったんだぞ。あいつは無尽蔵に湧き出る亜人兵を使えば天下が取れると本気で信じていた。そのために勇者に直談判にまで行ったんだ。ま、死んじまったけどな……俺はそんなあいつの野望に乗って、リディアまでやってきたんだよ。姉さんの嫁ぎ先ってのはあったが、そうでもなきゃ、こんなど田舎に来る理由なんてないだろう?


 ところが、ハウルが死んじまったら、後は最悪だった。先帝は平和主義者で、後継者であるおまえたちには野心が足りない。当てにしていた亜人兵も、勇者が居なくちゃ言うことを聞くわけないし、俺は就職先を間違えたと思ったね。だからもうリディアを去るつもりで居たんだが……そんな時に現れたのが但馬だ。


 震えたねえ……ただのとっぽい兄ちゃんだと思っていたら、とんでもねえ兵器を次々作りやがる。更には魔法戦の弱点を見ぬいて、それまで最強を誇った魔法兵を過去のものにしやがった。こいつが居れば天下が取れると喜んだもんだ。あとは先帝が死ねば、おまえらを焚きつけるのなんてわけもねえし、フリジアで鉄砲を弄りながら俺は毎日ウキウキしてたね。


 ところが、こいつのほうが難物だったわけだ。蓋を開けてみれば先帝に輪をかけたような平和主義者で、議会なんて要らんものを作って文民統制を始めやがった。予算が無ければ軍隊は動けないからなあ。あいつはそのことも知ってたわけだ。情けない奴らめ……男だったら天下を狙わんでどうする。今のリディアだったら、いつでもそれが可能なんだぞ。


 だがもう但馬は居ない。聖遺物を持っていないブリジットなぞ恐るるに足りん。これを屈服させて、ゲーリック家当主の座をネイサンに譲らせれば、国民も文句を言えないだろう。国軍は俺が掌握しているし、逆らえば殺すまでだ。問題は、エトルリアに技術が渡ってしまったことだが……


 なあに、今ならまだ戦艦ハンスゲーリックがある。これにアスタクスは太刀打ち出来ない。あの爺さんさえ殺しちまえば、この世に俺達に逆らえる国は無いだろうよ。そうだ! いつまでも先帝の名前なんてつけているのはおかしいからな、戦艦の名前もネイサンゲーリックにしようぜ」


 まるで戯ける子供みたいにマーセルが提案すると、興奮したようにネイサンが同意した。彼らはもう、この世の全てを手にしたような気分に酔っているかのようだった。


「それは良い提案だ、マーセル」

「そうだろう? 大将。そして俺達が世界征服した暁には、ちゃんと俺をどっかの王にしてくれよ。世界中の美女を犯して孕ませてやるんだ。そうだ。おまえの嫁さんのジルもいい女だったな。おまえが死んだら俺が面倒見てやるよ。ガキの方も任してくれ。しっかり潰しておくからよ、ガハハハハハ」


 その言葉で、ウルフの中に残っていた、小指の先ほどの炎が燃え上がった。


 それは消えかけたロウソクが最後の一瞬だけ見せる炎のように、メラメラと明るく輝いていた。


 ウルフはギラギラする眼光を二人にぶつけながら、腰に刷いていたクラウソラスを引き抜くと、それを甲板に突き刺し杖のようにして、もはや動かすことも困難なはずの体を必死になって起こした。


 そして、震える膝で上半身をグラグラ揺らしながら剣を構え、


「そんなことは……させない」


 それを見て、ネイサンがゲラゲラと笑う。


「そんなことはさせないだって? 魔法も使えないお前が、聖遺物を引き抜いてなんになる。そう言えば、おまえは剣も下手くそだったなあ……どれ、なんだったら俺が稽古してやろうか? ハッハッハ!」


 ウルフはそんな風に嘲笑うネイサンを睨みつけて微動だにしなかった。無理矢理起き上がったせいで、彼の腹からまた血がダクダクと流れ出した。その流した血液の量からして、もういつ死んでもおかしくないほどだった。


「おまえなんかに……リディアは渡さない」


 それでも抜身の剣を手にしたまま鋭い眼光を浴びせ続けるウルフに恐れを為したのか、ネイサンはブルっと身震いすると、


「な、なんだ。本当にやろうってんなら、やってやろうじゃないか……」


 そう言って自分の剣を引き抜いた。


 するとウルフはフッと口端だけで笑みを浮かべたかと思ったら……ポイッ……っと、手にした剣を海に放り投げたのである。


 放物線を描いて光剣クラウソラスが海へと落ちていく……


 やがて、ポチャンと音がして、船上には抜身の剣を手にしたネイサンと、無手のウルフが気の乗らないお見合いみたいに無表情のまま睨み合っていた。


 何のつもりなのだろうか……? ネイサンは初め、ウルフが何をしたいのかが分からず、首を捻っていたが……みるみるうちに顔を真っ青にすると、


「この野郎! 貴様、聖遺物を海に捨てやがったな!!」


 その通り、ウルフの狙いはこれだった。クラウソラスは王家の象徴で、ゲーリック家の当主はこれを使用することが出来て初めて当主と認められる。リディア王と僭称するには、最低でもこの聖遺物が必要なのだ。


 怒り狂ったネイサンは、無手のウルフを袈裟斬りに切り捨てると、そのまま欄干にぶら下がるようにして気を失った彼を、更に強かに蹴り飛ばした。それでも怒りが収まらないネイサンは、彼の体を持ち上げ、そのまま海にボチャンと投げ捨てた。


 泡立つ海の水が、最初は真っ白から、やがて真っ赤に染まっていく。


「あ、おいっ! 死体でも無いよりはあったほうがいいんだぞ……あ~、あ~……無茶しやがってよう……後々面倒なことになるぞ」

「フンッ! どうせあの傷じゃ助かるまい。死んだのは確認したから構わんさ。おい、水夫共! 死体の方は良いから、クラウソラスを海の底から引き上げろ!」

「で、出来ません!」

「なにぃ~? 俺の言うことが聞けないというのかっ!」


 苛立つネイサンは、またカッとなって癇癪を起こしかけたが、すぐに水夫が拒否した理由が分かった。ウルフが落ちた時に出来た泡の周りを、特徴的な背びれを持った巨大な魚が泳いでいるからだ。


「ちっ……血の匂いでサメが寄ってきたんだな」

「どうする、これじゃ聖遺物を引き上げられんぞ」

「何、クラウソラスが落ちた場所はわかってるんだ。あのサメも死体を食い終わったら、いずれどっか行くだろう。それから拾いに行けばいい」


 ネイサンは吐き捨てるようにそう言うと、ウルフを突き落とした欄干に背をもたれてぐるりと辺りを見回した。さっきまでウルフを取り囲んでいた水夫たちが、彼の前で隊列を組むと恭しく頭を下げる。


「さてウルフは片付いた。次はブリジットだ。マーセル、絶対やれるんだな?」

「聖遺物さえ持っていなければ、あれはただのちょっと強いだけの剣士だ。何の問題もない。それよりも但馬の方だが……」


 議会で吊るし上げられていた但馬を見る限り、今の彼に何かが出来るとは思えなかった。だが、それでもウルフが死に、ブリジットが捕まったとなると、あの男が黙って居るかどうかは疑わしい。


 何しろ、エルフを子供扱いするような魔法使いだ。まともにやりあったら、それがライフルで武装した大軍隊であっても勝てないかも知れない。だから、彼にバレる前に、確実にその息の根を止めておかねばならないのだが……


「大丈夫だ。それなら手を打ってある……おいっ!」


 不安がるマーセルにネイサンはそう言うと、艦橋の方に居た男に向かって声を掛けた。


 呼ばれた男は静かに歩み寄ってくると、ネイサンに向かって跪き、恭しく臣下の礼を取ってみせた。


「殊勝だな。だが、おまえを完全に信用したわけじゃないぞ」

「心得ております」

「俺の信頼を得たかったら、何をすればいいか分かっているな?」


 すると男は顔を上げて、自信満々に一段トーンの上がった声で力強く答えた。


「はっ! お任せください。閣下の……但馬の弱点は熟知しております。必ずや、彼の者の首を落としてご覧に入れましょう」


 男はそれまでの癖から思わず閣下と口走ってしまったが、すぐに思い直して但馬と呼び捨てにした。ネイサンはその裏切り者の姿を見て、愉快そうに笑った。


「というわけだ、マーセル。こいつと協力して、まずは但馬を亡き者にしてくれ。ブリジットはその後だ」


 彼はそう言うと、あとの作戦はマーセルに任せ、もうこいつには用はないと言った感じにクルリと向きを変えて、また海の方を見つめた。


 作戦は順調だ。ウルフは死に、ブリジットも但馬も殺す算段はもう既につけてある。あとはさっき落としたクラウソラスがあれば完璧だが……ウルフの落ちた辺りは、未だに白い泡がプカプカと浮いている。そしてその周りをぐるぐると泳いでいる、背びれの大きな魚もまだ見えていて、探しに行くのは難しそうだった。


「……ん?」


 と、その時……ネイサンはあることに気がついた。上から見ているせいで一瞬勘違いしたが、


「なんだ、あれはイルカじゃないか。おいっ、水夫共! 貴様らの目は節穴かっ!」


 先ほど降りるのを拒否した水夫が驚いて、欄干から身を乗り出して海の中を凝視した。言われた通り、それがイルカだと確認した水夫は言い訳したが、ネイサンはそんな水夫を許すこと無く、背中を蹴り飛ばして、海に落っこちた彼に向かって、さっさとクラウソラスを探しだせと癇癪を起こした。


 イルカはそんな彼らのいざこざをあざ笑うかのように、いつまでも優雅に泳ぎ続けていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] いや、ウルフ助かるルートまだあるぞ。きっとある。じゃないとまじでアーニャちゃんの献身が報われない。アーニャちゃんが救おうとした世界が人類がこんなクズばかり(いやクズじゃない人達もいるんだろ…
[良い点] これまでの現象や心理心象に至るまで細かに説明がされてる部分においては感嘆した。 [気になる点] その上で納得がいかないのはこの但馬の精神構造である。 主人公は齢も25を超えているのに、精神…
感想一覧
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