……本当に、やり直せないのか?
帝国議会。欠席は無し。喚問席に但馬が座っている。
「前代未聞だ!」「皇帝は神聖にして不可侵の存在。それをここまで蔑ろにするとは……」「不敬だ! いいや、冒涜だ!」
議会は紛糾した。
「……本当に、そんなあり得ないことをやったんですか? 何かの間違いでは」「目撃者はいくらでもいる。それが何よりの証拠」「宰相ともあろう者が港で女に抱きつき、あまつさえいやらしく接吻をしていたとは、嘆かわしい」「恥を知れ」「我々の品性まで疑われる」「重罪ですな……死刑ですか?」「前例が無いので何とも……法の番人たる陛下があの通りですし」「ならば我々で裁くべきです!」「死刑にしろ、死刑に!」「死ね!」「……しかし、またエルフが現れたらどうするんですか?」「…………」「…………」「…………」
沈黙。
「あのー、よろしいでしょうか?」「なんだ!」「被告は今回の件のみならず、以前よりその立場を利用して私腹をこやしていたと言う嫌疑がかかっております」「S&H社への抗議デモですか。しかし、それは何の証拠もなかったのでは?」「なにか見つかったのか」「はい」「なんだと!? 言えっ!」「電話の交換手を行っている者の証言なのですが……実は、亜人から万能とも呼べる血清が見つかったとの話がありまして……」「血清? どういうことだ」「亜人の血を利用すれば、どんな病気もたちどころに治せるという情報を、被告は公開せずにこっそりと隠していたのです」
どよめき。
「何故そんなことを?」「決まっている、独占のためだ」「ちょっと待て。もし、その情報が公開されていたら、今回、ヒールが使えずに死んでいった者達は助かったかも知れないじゃないか」「なんだと!?」「いや、血清はヒールとは違うから」「そんなのわからないじゃないかっ!」「被告のせいで人が死んだのか」「その証言は本当なのですか? どうしてそう都合よく秘密を握れたのですか」「本当です。電話の交換手は、繋げている電話の内容を聞くことが可能なのです。本人が言っていたのだから、間違いありません」「それは盗聴じゃないかっ! 交換手が聞いてるかも知れないと思ったら、電話では何も重要な話が出来ないではないか」「この事態において些末なこと」「これから気をつければいいのです」「問題は、被告が人類にとって重大な事実を隠していたということです! そして、そのせいで無辜の民が大勢死んだ!」「そうだそうだ!」「とんでもねえ野郎だっ!」
議会ざわつく。
「大体、被告は自分勝手になんでも都合よく決めすぎるのです!」「それもこれも、自分の会社の儲けのため」「S&H社の独占は、もはや覆しようのない事実だ」「まったくです。被告は行政の長なのですよ? なのに官公庁の仕事の殆どが、被告の会社で占められている状況はおかしいでしょう」「それなのですが、さらにとんでもない話がありまして」「まだあるのか!?」「はい。聞くところによると、大蔵省の仕事をS&Hの番頭が手伝っていたとか」
どよめき。
「国庫を預かる大蔵省の内情を、一企業が知るなんてありえますか!?」「大蔵卿、これは不祥事ですぞ」「しかし、彼の協力が無くてはカンディアの不正は見抜けなかった」「そんなのは後付の理論ですよ」「大蔵卿と職員が怠慢なだけです」「ちょっと待って、その時の資料は本当に無事なのか? 何か足りなくなったり、こっそり書き換えられたりしてたらわかりませんよ」「いや、内情を知るだけでも入札に有利」「道理でS&H社ばかりが公共事業を取っていくはずだ」「汚職ではないか!」「そいつも証人喚問しろ」
怒号が飛び交う。
「次から次へと」「たった一人に権力を集中させた報いです」「しかもあんな若造に」「被告の暴走を止められなかった大臣たちの責任でもありますぞ」「私が何よりも許せないのは、国の大切な技術が他国に流出していることです」「アスタクスに渡った鉄道技術は、将来禍根を残すに違いない。アスタクスは敵国ですぞ!」「それは昔の話ではないか」「被告が勝手に決められることがまずいのです。それもこれも、S&Hの独占のせい」「ロンバルディアに肩入れしすぎなのも問題ですな」「被告の領地から貿易がしやすいからですよ」「そんな浅ましい理由で……我が国の大事な技術を漏洩するなぞ言語道断」「電力や貨幣、次に大陸と戦争になったら、我々は勝てるかわかりませんよ」「シルミウムを混乱させたのも、自分の会社の儲けのためです」「方伯と密約があったのでは……?」「そうでなければおかしい。金の動きを精査した方がいいはずだ」「きっと何かを隠しているぞ!」
紛糾。紛糾。紛糾。だんだん、収拾がつかなくなってきた。
「隠していると言えば、エルフを倒せる能力を持ちながら、何故被告は今までその事実を隠していたのか!」「今回の騒動を見れば分かる通り、銃士隊を組織する意味はあったのでしょうか」「全部、一人で出来たのではないか」「税金の無駄だ」「どうして今までやらなかったんだ!?」「いい加減にしろ」「この国がエルフに脅かされており、その排除が国是であることは、閣僚であるならば共通の認識です。ましてや被告は宰相と言う立場でありながら、どうしてこれを放置していられたのか」「今までエルフの犠牲になった遺族たちがこのことを知ったら、一体どう思うでしょうかね」「被告が戦ってさえ居れば誰一人死ぬことは無かったんだ!」「いい加減にしろ」「被告は独善が過ぎます」「ハリチを使い物にならなくした罪も大きいですぞ」「確かに被告の領地かも知れないが、ハリチは今や帝国経済の第二都市、彼のせいで失われた利益は計り知れませんな」「失われたと言えば、国内の優秀な技師が犠牲になったのも、被告のせいではありませんか」「彼らが生きていれば、今頃我が国はますますの発展を夢見ていられたはず」「代わりに被告が死ねば良かったんだ」「惜しい人材を次々と犠牲にしてよくのうのうと生きていられたものだ」「挙句の果てに今回の不始末」「どう責任を取って……」「いい加減にしろって、言ってんだろおおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーーーっっっ!!!!」
ウルフ、絶叫する。ガンガンと机を削るかのように、クラウソラスを振り回して発狂。
「ぁぁぁああぁぁあああぁぁっぁあああっっ!!! ああっ! どいつもこいつも、黙って聞いてれば好き勝手言いやがって、いい加減にしろっ!! 貴様らこれまでの但馬の貢献をまるで無視して、よくもそこまで悪しざまにこき下ろせたもんだなっ! これが我が国の議員の質かと思うと情けなくなってくる! この中で全く但馬の世話になったことがないと言う者はいるのか! この国がここまで大きくなったのは誰のお陰なのか! アスタクスに技術が流出するだああ……? その技術を最初にこの世界にもたらしたのは一体誰だと思ってるんだ!! 世界中の人々が便利な暮らしが出来るようになったのは誰のお陰か! 貴様らは全くその恩恵を受けてないと言うのか?」
「……いや、しかし公爵閣下……これは喚問でして」
「何が喚問だ! 何が裁判だ! ただの私刑ではないかっ! それも卑劣な方法で、自分たちのことは棚に上げて、数に任せて好き放題言いやがって……おまえら恥ずかしくないのかっ! 今まであいつにどれだけ世話になったと思ってんだっ! ああ、そうか! そんなに言いたいんならひとりずつ俺が聞いてやる! 言いたいことがある奴はそこへ並べっ! どうした、貴様ら、聞いてやるって言ってるぞ! それでも但馬を批判できると胸を張って言い切れる者だけ残って続けろ!!!」
誰も残らなかった。
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但馬がアナスタシアとの逃避行を企てたあの日から、一ヶ月が経過していた。エルフ騒動の影に紛れて、初めこそそれほど知られていなかったが、騒動が落ち着いてくると、宰相が拘置所に繋がれているという噂はあっという間に広がった。
エルフを撃退した立役者である彼が何故そんな目に遭ってるのか。
わけが分からない市民たちは、最初は助命嘆願をしに拘置所に詰め掛けたが、やがて徐々に事の真相が明るみに出て、噂が広まっていくにつれ言葉を失った。
皇帝と宰相、蜜月関係だと誰もが信じて疑わなかった二人だったのに、よりにもよって不倫とは。
何かの間違いであって欲しかったが、何しろ但馬がやらかしたのは港と言う衆人環視のど真ん中で、はっきりとアナスタシアを選ぶと宣言したことを、その場に居た誰もが覚えていた。おまけに、それでも但馬のことを信じ、拘置所へ面会に行ったブリジットが泣きながら出てきたのを見て、人々の頭から同情と言う言葉はすっかり失われた。
それまで但馬を英雄視していた若年層は落胆した。皇帝との結婚を認めつつあった保守層は激怒した。そして議会で足を引っ張ったり、デモ隊を組織して嫌がらせをしていた富裕層は報復を恐れ、これを好機と捕らえて彼のことを糾弾した。そんな彼らが火をつけて回ったせいか、怒りの炎を燃え上がらせた市民たちの声は、日に日に強まっていった。
事態を受けて、慌ててリディアへ渡ってきたウルフは、本当なら但馬のことを許してやりたかったのだが、もはや妹とその彼氏の話という次元ではなくなってしまった。議員の誰かも言った通り、皇帝は神聖で不可侵なのだ。その権威を傷つけた但馬は、最低でも不敬罪は免れない。何らかの罰を与えなければ収まりがつかなかったのである。
そんなわけで、但馬の罪を問う証人喚問が議会で行われたわけであるが……結果はご覧の有り様だった。議員は基本的に富裕層の集まりであり、彼らは但馬を許すよりは吊るしあげて排除する方向へと向かっていったのである。
議員たちが全て出て行った議会の中心で、すすり泣く声が響いている。
但馬は今日、喚問席に無理矢理連れて来られた時から、終始この調子だった。話を聞きつけてやってきたウルフが面会したときもそうだったし、聞くところによると、復縁を迫ったブリジット相手にもこうだったそうである。しかも、彼は申し訳なくてとか、感極まって泣いているわけではなく、不倫相手が居なくなってしまったことが悲しくて泣いているのだ。正直言って見ていられなかった。
但馬が育てていた養女のことは知っている。カンディアで面識があったし、その彼女に命を助けられたこともあった。但馬が大事にしていることも知っていたし、多分、気があるのだろうなと、薄々は勘付いていた。だが、まさかここまでとは思わないだろう。
ウルフは溜息を吐いた。
「……本当に、やり直せないのか?」
返事は返ってこなかった。
尤も、それは無意味な質問だ。仮に、但馬がこれに応じたところで、もはや世間が許してくれるはずがない。ブリジットだって喜ぶとは思えないし、何よりもウルフ自身もしっくりこないだろう。
それでも、ウルフは二人が別れてしまうと言うのが残念でならなかったのだ。但馬は妹を任せるには十分な相手だったし、なにより、この国に必要な人材であることは間違いなかったからだ。
だが、そうやって縛り付けていたせいで、彼がこうして苦しんでいたのだとしたら、それは自分の不徳のいたすところでもあった。何しろ、さっき見たとおりなのだ。彼の、この国への多大なる貢献の裏で、あんな嫉妬じみた足の引っ張り合いが生じていたのに、ウルフはそれに気づかなかったし、それを正す術もなかった。
おまけに今に限って世間一般の目には、不倫をした但馬の方が悪くて、彼らの声の方が正論に聞こえるのだ。エルフの大襲撃で、散々但馬に命を救われておきながら、今まで手を抜いて来たことが悪いと言う意見までもが、まかり通ってしまうのである。
ウルフは再度、長い長い溜息を吐いた。
「まさかおまえが、女で失脚するなんてなあ……」
実を言えば想像もできなかった。別に馬鹿にしてるわけではない。但馬の年齢で、これだけ金と権力をもっていて、女遊びにうつつを抜かすこともなく仕事に邁進しているような男が居るだろうか。この男は、なんやかんや清廉であり、だからこそ妹を任せても安心だったわけだが……今にして思えば、この不自然さは何か爆弾でも抱えている証拠ではないかと、見抜けなかった己の不徳を悔いるところであった。
だがもう過ぎたことを後悔していても仕方がないだろう。
「おい、但馬いつまでもメソメソしてるんじゃない」
ウルフはそう言うと、黙って自分の鞄の中から一本のワインを取り出した。ジルに用意させたワイングラスは、さっき怒鳴り散らしたせいでパリンパリンに割れていた。彼は辛うじて残っていた2脚を持って、但馬がうなだれている喚問席に歩いて行くと、
「今年のカンディアワインだ。おまえのために持ってきてやったのだ。ほら、せっかくだから飲もう……おまえとこうやって差し向かいで飲むのは初めてだな」
ビンを傾けて、なみなみとグラスにワインを注いだ。そしてぐいっと飲み干すと、また自分の分だけワインを注いだ。高級なワインの飲み方では無いが、そんなことを気にしていられるような気分じゃなかった。
「飲めよ。おまえ、酒が好きだっただろ」
但馬の前にグラスを差し出しても、彼はまったく反応しなかった。ウルフは困った眉毛をしたまま笑窪を作ると、自分のワイングラスを置いて、但馬の手を取りグラスを持たせた。それでも但馬は俯いたまま顔を上げなかった。ウルフは構わず、ワイングラスをカチンと合わせると、また美味そうにそれを飲み干した。
「懐かしいな。よく酒に酔っ払ったおまえを留置所にぶち込んでやったっけ。おまえは強くもないくせに、すぐ調子に乗って飲み過ぎるから、しょっちゅう騒ぎを起こしていたよなあ……今回も似たようなものだ。大したことじゃない。気にするなよ」
あの頃のウルフは近衛隊の副隊長で、いずれ女王になる妹を守るために立派な騎士になろうとして、いつもイライラしていた。こうして様々な経験をした今となっては、そんな決意など馬鹿馬鹿しいくらい些細なものだったと思うが、当時は魔法が使えない自分のせいで妹が犠牲になったことが悔しくて、自分が惨めに思えてきて、どうしようもなかったのだ。
その気持ちは今も持ち合わせているが、やり方は変わったと思う。大事な人を守ることと、武力はイコールではない。もっと自分なりのやり方で見守ってあげれば良かったのだ。それが分かったのは、この国を支えてくれた全ての人のお陰であるが……それが分かるまでその最大の責任を、この男にばかり押し付けてしまっていたのかも知れない。
「あまり美味くないな……まだ若いからかな」
そうだ。但馬はまだ若いのだ。なのに自分のせいで、今はこんなにもしょぼくれている。償わねばなるまい。
若さとは未熟だということだけではない。いくらでもやり直しが利くはずなのだ。考えてもみれば、この男がこのまま終わるはずがないだろう。ならば、また彼が元気になるまで、今度は自分が支えてやらねば。もう妹の恋人でも、部下でもなんでもない……自分の友だちとして。
「飲めよ、但馬。飲んでもう、忘れちまえ」
ウルフはそう言ってグラスをあおった。但馬は未だにピクリとも動かない。もう無理に飲ませようとは思わなかった。
そうしてウルフは黙々と酒を飲み続けた。後には、何本ものボトルが転がっていた。しかし、酔いは一向に訪れようとはしなかった。彼はただ機械的にアルコールを流し込み続け、やがて酔いつぶれるまで、まるで壁にでも話しかけているかのように、延々と独り言を続けるのだった。