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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
296/398

バロネット

 市民から通報された最後のエルフを片付けたあと、但馬はようやくやってきた馬車に無理矢理押し込まれた。


 クロノアは無言で抗議するかのごとく、但馬の背中をグイグイと押して馬車に乗せると、外から見えないように深くフードを下ろして、


「王宮に帰るまで絶対に人に見つからないように。もし誰かにまた戦うことを強いられても相手にせず、我々に任せてください。こっそり戦おうなんてしないでくださいね。あとでエリザベス様に聞きますからね。王宮にまっすぐ帰ってなかったら酷いことになりますからね」


 と言ってから、御者に最重要任務だと口が酸っぱくなるくらいに言い含めていた。大げさだなと思っていたら、更に彼の三人の部下が馬車を囲むように付いて来て、もう絶対に但馬に仕事させないようにと言う彼の強い意志を感じさせた。


 まあ、しかし、もういいだろう……


 昨日までだったらまだ敵の数も多くて、無理をしてでも但馬が戦わなければならなかったが、流石にそろそろエルフの方も打ち止めのようで、銃士隊に任せても問題ないはずだった。


 それに、リーゼロッテが言っていたように、エルフが弱くなってるのも事実だった。


 但馬は馬車の椅子に深く腰掛けて、その体重を預けた。途端にドッと疲れが押し寄せてきて、背板に沈み込んでいくような感覚がした。腫れぼったい瞼を閉じると、ジンジンと頭痛がしてきた。


 実際のところ、限界なんてとっくの昔に超えていた。


 だが、自分の身体が限界を迎えようとも、マナさえあれば但馬はいくらでも動けるのだ。以前、少し考察してみたが、この世界の人々はマナの恩恵を受けている。ことに魔法使いはそれが顕著で、身体機能を補うエネルギーをマナから得て、異常な身体能力を発揮している。


 だから、但馬くらいの魔法使いになってしまえば、眠らなかろうが、身体がボロボロであろうが、周囲のマナが尽きるまで動き続けることが出来るわけだ。


 銃士隊の誰かが言っていた、エルフみたいだと言う比喩は間違いではない。恐らく、エルフと言う生物も、彼と同じようなメカニズムで動いているはずなのだ。じゃなければ、あんな小さな身体で数百人もの人間を相手に、一方的な殺戮を行えるはずがない。既に何体か捕らえたエルフの死体を解剖してみたところ、あいつらにはせいぜい人間の子供程度の筋力しかないはずなのだ。


 かつて、但馬は自分が亜人ではないかと悩んだことがあった。今となっては、それはエルフと置き換えた方が良かったんじゃないかと皮肉に思える。


 ガタガタと馬車に揺られながら首都へと運ばれていく。身体の方もガタガタで気を抜いたら身動き一つ出来ないくらいだったが、不思議と眠気は全く襲ってこなかった。緊張しているもあるだろうが、多分、目をつぶると、嫌なことを思い出すからだろう。瞼の裏で血管がドクンドクンと音を立てている。毛細血管がいくつも千切れている感じがする。


 馬車の進む郊外の街は、どこもかしこも無人だった。エルフが出たという噂が流れて、みんな逃げ出してしまったのだろう。整然と建ち並ぶ団地はどれも幾何学的で、まるで旧共産圏の廃墟を見ている感覚を覚えた。


 無人の街を行くと、エルフの襲撃から守っていたつもりだったが、本当にここへ人は帰ってくるのだろうか……何か間違ったことをしてるんじゃないだろうか……そんな不安を覚えてくる。


 しかし旧ローデポリス市街に入ると、一転して人が多くなった。


 城壁外から逃げてきた人々が避難キャンプを作っているのか、道のど真ん中にも関わらずあちこちにテントが張られている。御者がこれ以上進めないと言うので、但馬は城門の外で馬車を降ろされ、徒歩で市街に入っていった。銃士隊の隊員が近寄ってきて、さっと但馬にフード付きのマントをかぶせ、彼を先導するように城門をくぐる。


 多分、クロノアに命令されて王宮までついてくるつもりだろうが、彼らだって仲間が戦ってる最中にこんなことをしているのは気が引けるだろう。但馬が、そろそろ彼らを解放してやろうと思って、憲兵隊や近衛兵がいないかとキョロキョロしていると、


「閣下……こちらです」


 路地裏からコソコソと、但馬に向かって手招きしている男の姿が見えた。


「シロッコか……?」


 銃士隊が警戒して但馬の前に立ちはだかったが、但馬が自分の部下だと言うとすぐに道を開け、彼らも一緒に路地裏へと入っていった。


 路地裏は表通りの混雑とは打って変わって閑散としており、そこにシロッコが連れて来たらしき憲兵隊がずらりと並んでいた。数は5~6小隊くらいあり、なんだか異様な雰囲気だった。


 銃士隊員もそれを感じ取ったのか、路地裏の出入り口を確保するように動いたが……


「そんなに警戒しないでください。我々は、この辺の路地裏を警らしているだけですって。閣下が居ない間も、市内で色々あったんですよ」


 シロッコはそう言うと、相手が警戒するからといって、自分の部下らしき憲兵隊たちを下がらせた。そして但馬を先導するように路地裏を歩き始める。但馬は銃士隊にここまでで良いからといって、その後を追った。銃士隊は少し迷っていたようだが、結局、踵を返すと元来た道を戻っていった。


 シロッコは但馬が追いついて横に並ぶのを待ってから、


「閣下が居らっしゃらない間、市内は酷いものでした。エルフ襲撃の第一報が入ってからすぐに市外から避難民がやって来て、街が人であふれたんです。みんな船に乗って海外に逃げたがるものだから、港はパニックになって、憲兵隊と帝国軍とでこれらの整理をしていました」

「そうか……本来なら俺が陣頭指揮をとるべきだったんだろうが」


 するとシロッコは彼らしく無く、鼻で笑ってから、


「帝国議会も初めはそう言って閣下を糾弾していたようですよ。間もなく、その閣下がエルフ退治の最前線に立たれているという報告が入り、初めは半信半疑といった感じでしたが……」


 まあ、話だけ聞いて信じろって言う方が無理だろう。但馬が魔法使いだというのは、噂でしかなかったのだ。普段は聖遺物すら持っていない。何しろ、それを持っていたら但馬が何者であるかが分かってしまうだろうし、リーゼロッテが持ってるほうが相応しいと思っていたからだが……


「なんにせよ、議会が機能してくれてたんなら良かったよ。ちゃんと避難誘導もしてくれたみたいだし、作ったかいがあったようだ」

「とんでもない!」


 するとシロッコが憮然とした態度で言った。


「閣下がエルフを片付けている間、大臣を中心として対策会議が開かれたのですが、議員の半数以上が出席しなかったんです。色々と理由をあげていましたが、どうやら奴ら真っ先に逃げ出したみたいですよ、今頃、海の向こうで一息ついてるところじゃないですか」

「……マジか」

「彼らがやったことは、議員の特権を利用して、一般市民を押しのけて船に乗っただけです。あなたが作った議会は、この緊急事態に何の役にもたちませんでしたよ」


 それがよほど悔しかったのだろう。シロッコはいつもの抑揚の薄い声でありながら、きつい言い回しで議会を詰った。但馬はそれに少々ショックを受けつつ、


「それでも、俺達が戦争に行ってる間は留守のリディアをよく守ってくれたじゃないか」

「それは対岸の火事だったからでしょう。戦争はこちらが攻める側で、本土は一度として攻撃されることはなかった。実際に攻められて来たらこの通りです。それに、この国の格差が最も進んだのは、あなたが居ない間でした。つい最近、それを是正したのはあなた自身じゃありませんか」


 シロッコは相当議会に不信感を抱いているようだった。議員たちの行動を聞くにつれて、そう思うのも仕方ないことだと但馬も思った。それでも、人気のない路地裏で、彼とこんな話をしていると思うと、なんとも非現実的な感じがした。


 路地裏は薄暗く、通りに面した窓はどこも閉まっており、二人の話す声が壁に反響していた。手入れする者が居ないから薄汚かったが、一昔前の汚物の山と比べてみれば雲泥の差である。


 それにしても、表通りの混雑と比べて、裏通りはどうしてこんなにも人気がないのだろうかと疑問に思っていたら、


「市内の比較的裕福な人達は、襲撃が始まってすぐに国外に避難しましたから、この辺の建物は今空き家が多いんですよ。そこに市外から避難民が入ってきて、一時的に治安が悪化し、空き巣や強盗が絶えなかったのです。それで治安維持のために封鎖しました。あなたはさっき、表通りの混雑に驚いていらっしゃいましたが、留置場の方も酷いものですよ……因みに、捕らえられた殆どは移民です」

「……何が言いたい」

「国内の保守勢力は我慢の限界に達していますよ。国を守る気がない者がいくらやって来たところで意味はなかったと言って、これらの排除を求めています。今回、未曾有の災害に見舞われたことでそれが浮き彫りになりました。騒ぎが落ち着いたら、国が二分される可能性が高いです」


 シロッコの言葉はやたら危機感を煽っては居たが、現実味を帯びていた。


 散々、国内の分裂を避けようとして色々やってきたのだが、結局こうなってしまうのか……


 但馬は落胆したが、と同時に、なんだかどうでもいいような気にもなっていた。元々、国内の平穏を保とうとしていたのは、何としてでも宇宙開発への道筋をつけようと躍起になっていたからだが、その道が見えなくなってしまった今となっては、もう焦ったところで仕方ないのだ。


「対策会議はあなたが居ないこともあって、何も決まらない、まとまらない状況でした。大臣も議員も、みんな浮き足立っていて、何も考えられない感じで……そこに居ない者の悪口を言ってお茶を濁すのが精一杯。特にやり玉に上げられたのは閣下でした」

「そりゃ、悪いことしたな……」


 シロッコは不愉快そうに首を振ってから、先を続けた。


「ですが、皇帝陛下だけは落ち着いたもので、あなたが前線に立って戦っていらっしゃると知ったら、宰相閣下にまかせておけば何も問題ないと涼しい顔をしていました。議員たちはそれでもまだ、あなたの実力を疑っていたようですが……今、あなたを見くびっていた奴らは、恐怖していますよ。あなたが居ないことをいいことに、散々悪口を言った挙句、つい最近、あなたに逆らっても居ましたからね。後悔しても遅いでしょうが」


 それはハリチの復興法案を出したところ、誰の協力も得られなかった時のことだろう。彼らは累進課税法案の報復のつもりでやったのだろうが、そんな時にエルフの襲撃騒動が起きてしまったのだから、生きた心地はしないだろう。


 但馬は、なるほどな~……っと、他人事のようにぼんやりと聞いていた。それじゃあ、この後議会に行って、改めて復興支援協力をお願いしたら、すぐにまとまるのかなと、その程度のことしか考えていなかった。


 しかし、そんな但馬とは打って変わって、シロッコは目が醒めるような、とんでもないことを言い出した。


「閣下。綱紀粛正するなら、今しかありませんよ」


 寒くもないのに、背筋に冷たいものが流れていく。但馬は耳を疑った。


「……粛清?」

「現在、国内はあなたへの求心力がかつて無いほど高まっています。逆に、逃げ出した者に対する評価は地に落ちました。人々は命が助かったことに対する安堵と共に、彼らに対する怒りに燃えています。これを粛清し、議会を解散し、閣下がこの国の最高権力を握るなら、今がチャンスです」

「……おまえは何を言ってるんだ。俺はこの国の宰相だぞ?」

「我々は、あなたに王になって欲しいのですよ」


 彼のその言葉に呼応するかのように、突然、路地裏から屈強な憲兵達がゾロゾロと出てきた。どの面構えも精悍で、真剣そのものだった。


 恐らく、彼らは但馬の号令さえあれば、縦横に走る市内の路地裏を駆けて、但馬に敵対する勢力を粛清すると言いたいのだろう。


 但馬はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「馬鹿なことを言うんじゃない。おまえらは、ブリジットに対する忠誠心はないのか?」

「もちろん有りますよ。ただ、それはあなたとブリジット陛下がこれから作る、王家に対してのものです。議会にではありません」


 議会という言葉が出るたびに、シロッコたちは不快そうな顔を隠そうともしなかった。よほど腹を据えかねているのだろう。有事に逃げ出してしまったと聞いたら、但馬もそう思うのはやむを得ないとは思ったが……


 シロッコは畳み掛けるかのように続けた。


「ブリジット陛下はあなたに心酔しておられます。将来、お二人がご結婚なされることも間違いありません。陛下はあなたになら王権を禅譲なさっても構わないと考えているでしょう。一部の保守勢力は、血統を重んじあなたの血が王室に入ることを嫌がっておりましたが、こうしてエルフが襲ってきた今となっては考えを改めているはずです」

「おまえらは、俺に独裁者になれとでもいうのか……?」

「元々、あなたが居なければ、この国はここまで発展することは無かったでしょう。とっくの昔に、ここはあなたの国なのです。寧ろ我々には、閣下が何を嫌がられているのかがわかりません」


 シロッコの口調はいつもどおり平板だった。だが、彼と但馬を取り巻く周囲の憲兵たちの表情は真剣そのものだった。何人かの顔は見たことがある。但馬は敵も多いが、憲兵や近衛兵にはなんやかんや好かれていた。そんな彼らが自分のことを頼りにしてくれていたんだなと思うと、嬉しい気持ちもあったが……


 但馬は大きく深呼吸をした。多分、お為ごかそうとしても、この場は誤魔化せそうもない。彼らが本気なら、但馬も本気でぶつかっていくしか無いだろう。


「おまえらが本気だってことは分かったよ。だから俺も本音を話そう。実を言えば、俺はブリジットに忠誠を誓ったつもりはないんだ。あの子は友達だし、彼女だし、今となっては婚約者みたいなもんだし、付き合いが長いから助けるのが当たり前だってくらいの気持ちしか無い」

「だったら」

「まあ聞け。つまり、俺はおまえらみたいに、この国をどうしたいなんて考えたことはないんだよ。リディアにやってきた頃、俺はただの根無し草で、いつ行き倒れるか分かったもんじゃなかった。それを助けてくれたのが先帝陛下なんだ。おまえらは忘れてるかも知れないが、俺はリディア王国最後の貴族で、ハンス王最後の臣下なんだよ。俺が忠誠を誓ったのは彼だけで、その先も後もない。そして、その彼の墓前に誓ったんだ、ブリジットを支えて行くと。だから、その誓いを違えるつもりは毛頭ない。俺は元々、アナトリア帝国宰相なんかではなく、リディア王国准男爵ってだけなんだ」


 但馬はアナトリア帝国で出世し、戦争に行く前は男爵だった。戦争中に略式で子爵になった。言えばいつでも伯爵になれる。だが、そんなものいくら貰ったところで、彼には何の価値も無かった。彼がいつも誇りに思っているのは、リディア准男爵の称号だけだった。


「おまえらの言ったことは聞かなかったことにするよ」


 但馬がそう言うと、シロッコは珍しく落胆する表情を隠さなかった。いつも表情の薄いやつだと思っていたが、あれはポーカーフェイスだったのだろう。能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼の中に眠っていた野心はまさにそんな感じだ。


「あなたがその気にさえなれば、この強大な帝国は意のままなのですよ?」

「そんなの端から興味がないよ」


 但馬はこれ以上の問答は無用だとばかりに踵を返すと、近くの路地から表通りの方へと歩いて行った。但馬を王にするために集まったと思われる憲兵達が落胆する中を通り抜ける時は、まるで針の筵を歩いているようだったが、残念ながら但馬は王の器ではないだろう。


 但馬は、いつも傷つき、悩み、大切な人たちを失い続けている。最強の魔法使いだと言っても、人の形が変わるわけでもない。


 表通りをフラフラになりながら歩いていると、道行く人と肩がぶつかった。


 通行人はフードを目深に被った但馬を見ても、それが誰かは分からず、ただくたびれてボロボロの姿を見て、


「ちっ……浮浪者が」


 と、忌々しそうに唾を吐いてから去っていった。せいぜい、そんなものなのだ。


 中央通りから王宮へ向かう通りへ入ると、昔通ったカフェが見えた。アナスタシアが働いていて、王宮から一本道で来れるから、よくブリジットも遊びに来ていた。三人でパフェをパクツキながら、いつも他愛のない話をしていた。夕方になると店を従業員に任せて、アナスタシアと一緒に家まで歩いた。家に帰るとお袋さんが夕飯の支度をしていて、親父さんが一生懸命リオンの気を引こうとしておもちゃを作っていた。アナスタシアがお袋さんと一緒に台所に立つと、但馬はエリオスを呼びに離れまで言って、彼はいつも必ず一度は遠慮してから、申し訳無さそうに食卓を囲んだ。


 あのカフェは、こんな通りにあったんだっけ……


 道路はアスファルトで固められ、両脇の店はもう見覚えがない。人々は都会人らしくやたら早足で、店はこんな時だからか閉まっており、従業員の姿は見えなかった。そう言えば、凄く制服のデザインに凝った記憶があるのだが、どんな感じかもう忘れてしまった。確かリーゼロッテがやたらと褒めていたから、多分、アナスタシアが着たらきっとものすごく可愛いんだろうが……


 まぶたを閉じても、もうその姿は思い出せなかった。但馬は重い体を引きずるようにして、王宮へと続く坂を登って行った。


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