表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
295/398

血は未だ赤いままだ

 首都近郊にエルフが出没中という噂は、人々を不安にさせた。それが夜半を過ぎても収まらず、なおも森から続々と出現していると伝わると、リディアから逃げ出そうとする人々が港に押し寄せ、パニックとなった。


 船には限りが有り、おまけにこの騒動では、一度出て行った船がまた戻ってくる保証はない。だから何としてでも乗り遅れまいとする人々の間で座席の奪い合いが始まり、それは金持ちと貧乏人との小競り合いに発展した。


 こうなるともはや憲兵隊だけでは捌ききれず、本来ならば一人でも多くの応援が欲しいはずの帝国軍は、人々を誘導するために森ではなく街に向かわねばならなくなった。


 騒ぎは港だけの話ではない。本当にエルフがやってきたらこんな壁など殆ど意味が無いのだが、それでも城壁の中は安心するからか、人が詰め掛けた城門付近で押し合いへし合いが発生して、たくさんの怪我人が出ていた。


 いつもならばそれをヒーラーが治して事なきを得るのだが、今はそのヒーラーが役立たずで使えない。やがて応急処置をする人の数も足りなくなり、放置された怪我人が泣き叫ぶ凄惨な現場があちこちに出来上がった。


 しかしそんな騒ぎも最初の一日だけだった。


 初めこそ苦戦を伝えられていた銃士隊がある時を境に盛り返し、エルフを森に封じ込めているとの情報が入ると、夜が明ける頃にはパニックも徐々に落ち着き始めた。実際に、首都まで戦火が広がることがなかったのも幸いした。


 因みに、その立役者は宰相であるとの噂が立ったが、殆ど誰も信じちゃいなかった。寧ろ、こんな時に人気取りの一貫で嘘を流すなどけしからんと腹を立てる人のほうが多いくらいだった。


 エルフの襲来は一晩中続き、翌朝にピークを迎えた。森から出てくるエルフの数が尋常ではなく、5隊では捌ききれなくなると、クロノア達隊長は銃士隊を2つ3つの小隊に分けて対応した。


 本来なら1体のエルフにつき50人規模の隊員が対応するのが基本だったが、実際のところ、射撃の腕さえしっかりしてればその半分以下でも致命傷は与えられる。人数が減ったことでエルフと戦うという恐怖感は増したが、身動きも取りやすく待ち伏せ攻撃の方は返ってやりやすくなったと、新システムは問題なく機能した。


 というのも、銃士隊も焦っていたが、何故かエルフの方も焦ってる感じだったのだ。


 エルフというのはそれなりの知能があるはずなのだが、今の彼らは完全に無警戒だった。目的も無くただ漫然と飛び出してくる感じで、そこに危険が潜んでいるなどとは全く考えてないようなのだ。普段のエルフは人間に異常な関心を示して、何が何でもそれを殺そうとする傾向があった。だから、いつもならクロノアのような魔法使いが囮になって、キルゾーンに誘い込むのがセオリーだったのだが、そんなことをしなくても、進行方向に待ち伏せしてれば、エルフは勝手にやってきた。


 但馬が何かに押し出されているようだと言っていたが、どうやら本当にそうらしい。


 2日目のピークが過ぎると、徐々にエルフの数は減っていき、3日目になるとようやく一息つけるくらいにまで数が減ってきた。銃士隊の面々は、そこで一旦集まって、情報交換を始めた。


 すると但馬がどこからともなく現れて、その輪に加わった。まるで見ているかのような動きに(実際にレーダーマップで確認していたのだが)何も知らない銃士隊の一般隊員は驚いていた。


 情報交換する隊員たちの関心は、まず森の中で何が起こっているのかということに集約された。


「閣下が仰っていたように、まるでエルフは何かに押し出されてるかのように森から出てきてます。こちらの伏兵など一切考えていないようで、実際、隠蔽が間に合わなかったことも度々あったにも関わらず、問題なく処理できました。追い込み漁でもやってるような感じです。こうなると疑問なのは、エルフは一体何に追われているのかということです。もしも森の中で未曾有の事態が起きているのだとしたら、我々はそんな、エルフが追い立てれるような危機に対抗できるのでしょうか……」


 要約するとこんな感じの不安が隊員たちの頭の中にはあるらしく、クロノアが口にするとみんな不安そうな顔をしていた。それに対して但馬は、少し考えるような素振りを見せると、


「多分、それは無いと思うな」

「と言いますと……?」

「もしエルフが何かの危機に泡を食って逃げ出してきてるのだとしたら、それはもうとっくに人類に牙を剥いてておかしくない。何しろ、あのエルフだぞ? 例えば山火事が起こったところでも、魔法を使って簡単に鎮火してしまうだろうし、火山爆発とかなら、俺たちだってすぐ分かるさ。だから自然災害は考えにくい、なら、こいつらが怯えるような物は一体何だって話だ。そんな魔王みたいものが仮に現れたのだとしても、エルフと人間、淘汰されるのは人間の方だろう」

「確かに……」

「それに、エルフってのは意外と表情があるじゃないか。人間を見ると、さも嬉しそうに残忍な笑みを浮かべるだろう? 怯えているのなら怯えているような顔をしてるさ。今のあいつらはそんな感じじゃなくって、ただ漫然と、仕方なく外に出てきてるって感じじゃないか?」


 隊員たちがお互いに顔を見合わせて確認しあっている。誰もエルフの表情までじっくりと見ていることは無かったが、よくよく思い返してみると、確かにあの化物はそんな素振りを見せていなかったような気がする。


「それじゃ一体、何故エルフはこんなに大挙して我々を襲いに来たんでしょうか」

「いや、だから襲いに来たんじゃなくって、追い出されたのは本当だろう。ただ、それは他のエルフの手によってじゃないか?」

「閣下は、エルフがエルフを攻撃していると考えておられるのですか?」

「多分な……場所によっては衝突もあったかも知れない。森の奥の方のことだから、はっきりとしたことは分からないけど……」


 但馬はそう言うと、棒きれを拾って地面にいくつもの円を書き始めた。


「俺達が今までに倒してきたエルフの生息域を調べてみると、エルフってのは思ったよりも縄張り意識が強い生き物だっただろう? 一体のエルフを見かけたら、その5キロ四方くらいに他のエルフは見当たらない。お陰で俺たちは急激に国土を拡大することが出来たわけだ。一体を倒しただけで、それだけの広さを解放出来るんだからな」


 但馬はそのエルフの縄張りを示すかのように、円を規則正しく並べた。


「エルフがどうしてこんなに縄張りを意識するのか? って言えば、あいつらの生態に答えはある。エルフは人間や亜人と違って、食べ物を取らず、森に漂うマナからエネルギーを得て暮らしている。そんな生活をしているからか、無駄な動きは一切せずに、まるで木みたいにじっとしているわけだが……つまり縄張りってのは、エルフが生きていくだけのマナを確保するための範囲のことじゃないのか」


 たくさん並んでいるエルフの縄張りを示す円の一つを、但馬は塗りつぶした。そしてその塗りつぶした範囲を、徐々に広げていきながら、


「ところで、この範囲が広がったらどうなる? このところ、ヒーラーが能力を失ったり、異変が続いている。もしも、森の中で生成されるマナが少なくなっていて、一体一体のエルフの縄張りが広がっていたとしたら……」

「それで、玉突き事故みたいにどんどん追い出されていたというわけですか!」

「多分ね。この間、リーゼロッテさんがエルフが弱くなったって言ってたけど、弱い個体から押し出されてると考えれば辻褄も合うだろう。追い出されて出てくる奴らは、行き場を失い目的もなく森から出てくるから進路も読みやすい」


 話を黙って聞いていた銃士隊の面々から、安堵の溜息が漏れた。エルフ襲来という謎の現象を前に、最悪の事態も考えていたが、この宰相の言ってることが確かならば、今さえ乗り切れば終わりは見えてくるはずだ。


「おーい! みんな持ち場に戻ってくれ! エルフが現れたぞ!」


 森を策敵していた斥候から、第二波がやって来たと報告が入った。銃士隊は持ち場に戻るために、また散り散りに散っていったが、もう最初の頃のように不安な顔をしている者は居なくなっていた。


 襲撃3日目は2日目までと違って大分楽になっていたが、それでも断続的にエルフは現れた。銃士隊は交代で休憩を取りつつもかなり広範囲でエルフに対処出来るようになっており、但馬の負担も大分軽くなっていた。


 4日目になると流石に首都の騒ぎも落ち着いてきて、帝国軍の増援が郊外の街に物資を運んできてくれた。手持ちの携行糧食を食べ尽くしていた隊員たちは、炊き出しの温かいスープを飲んで英気を養うと、また戦場へと戻っていった。


 そして5日目になるとようやくエルフの襲撃も途切れがちになり……もはや少ない人数にわけずとも、元の5部隊体勢で十分に活動が出来るようにまで戻り、5日間にも及んだ大襲撃は、ようやく終わりが見えてきた。


 その頃になると、増援の亜人斥候も、帝国軍の後方支援も十分になっており、銃士隊同士お互いの連携も取りやすくなっていた。そうして余裕が生まれてくると、やがて隊員たちの間でエルフを倒した数を競いあうようになってきて、それを面白がった帝国兵が後方でトトカルチョを始める始末となった。


 しかし、規律が緩くなるとどんなミスが起こるか分からない。


 それを嫌ったクロノアは、兵隊たちのトトカルチョの現場を見つけると、彼らのノートを取り上げて、きつく叱りつけた。すごすごと帰る帝国兵の背中を睨みつけながら、後で駐屯地の将軍たちに文句をつけてやろうと思いつつ、ノートを眺めていたら……


 ところが、見ればその賭けノートに、自分の部下の名前もあることに気がついて、がっくりと項垂れる羽目になった。


「おまえら何をやってるんだ! 今、帝国は瀬戸際に立たされていて、俺達がしっかりと支えなければいけない時なんだ。お遊びなんかして、ミスを犯したらどう責任を取るんだ! みんな死んでしまうんだぞ!」

「そうは言っても隊長……もう大分落ち着いたじゃありませんか。エルフの方もワンパターンで黙っていてもこっちの罠に嵌ってくれますし……それに、我々がやらなくても、宰相閣下が全部片付けてくれますよ」

「なんだとぉ!?」


 クロノアは悪びれもしないその隊員を殴ってやろうかと睨みつけていたら……ふと見れば、他の隊員たちも何か言いたげな顔をしながら、クロノアの方を見ている。彼は何がそんなに不満なんだろうと思いつつ、隊員たちの目が彼の持つノートに集中していることに気づいた。


 何を言いたいんだ? こいつらは……クロノアは渋面を作りつつ、ノートの中身を覗いてみたら、


「これは……それぞれの部隊が、エルフを倒した数なのか?」

「はい。どの隊が一番エルフを倒せるか競争してたんですが……」


 但馬の倒した数が圧倒的に多かった。


 トトカルチョは4日目の昼ごろから始まり、それを亜人斥候やら帝国兵やらがカウントしていたようであるが……自分自身も前線に出ていたクロノアだって、未だかつて無いほどの数を殺してきたはずなのだが、そこに書かれている但馬の撃退数は常軌を逸していた。


 クロノア達、銃士隊の2倍とか3倍とか、そんな話ではないのだ。その数字を信じるならば、リンドスの平原に現れたエルフのおよそ八割を但馬が片付けたことになる。しかも、これは自己報告ではなく、彼がエルフを倒したところを目撃した、亜人斥候や帝国兵の報告を加算したものなのだ。


 だからこれは但馬が倒した全てではない。ところが、それによると、彼は数十キロに及ぶ範囲をたった一人でカバーし、数分に一体のペースでエルフを殺し続けているのだ。


 銃士隊が発足してから、この騒ぎが始まるまでに倒したエルフの数は百数十体。これを上回る数を、但馬は一晩で倒したことになる。


 こんなことが現実にあり得るのか? 何かの間違いでは無いのか……? いや、それよりなにより、この男はいつ寝ているんだ……?


「最初は俺達も貢献できるんだ。国を守るために頑張ってるんだって思ってたんですが、それを見たらそんな自尊心なんか吹き飛びましたよ。俺たちは単に生かされていただけです」


 隊員のいうことは尤もだ。もしも本当に、これだけの数のエルフが襲来していたのであれば、自分たちの抵抗など殆ど無意味のはずだった。だから、但馬に助けてもらった彼らは感謝すべきであるのだが……誰も彼もがなんとなくしっくり来ないと言う顔をしていた。


「あの人、本当にこれだけ凄かったんなら、どうして俺達にエルフ狩りなんてやらせてたんですかね……」


 エルフを狩れるのは自分たちだけだという、その自尊心を彼らは踏みにじられた気がしたのだろう。


 もちろん、それは子供じみた嫉妬でしかなかったが、それでも言わざるを得なかったのだろう。


「宰相閣下の担当された平原の東側は、広大な範囲の森が枯れているらしいですよ。閣下の魔法が焼きつくしたのか、それともマナを吸い尽くしてしまったのか……これで国土が広がるって、他の隊の奴らが呆れながら言ってましたが」


 別の隊員達も呼応する。


「あの人、本当に人間なんですかね……」「すごすぎるよなあ……」「もしかして、エルフが化けてるんじゃないかって思えてならないんですが」

「そいつは酷いなあ」


 すると、彼らの背後から穏やかだが有無を言わせぬ響きをもった声が聞こえてきて、隊員達は背筋が凍りついた。


「俺がエルフだったら今頃おまえは死んでるよ。それくらいで納得してくれないか」


 見れば、いつの間に現れたのか、クロノアを取り巻く隊員たちのその背後に、但馬がひっそりと佇んでいた。まるで蛇に睨まれたカエルのように、数人の隊員がダラダラと冷や汗を垂らしている。


 クロノアははぁ~……っとため息を吐くと、真っ青になりながら但馬に頭を下げ、


「閣下、私の部下が大変失礼いたしました。後でキツく言っておきますので、どうかご容赦ください」

「いいよいいよ。彼の気持ちも分かるんだ。最初から俺がやれば良かったんだ。みんなそう思ってることだろう。俺もそう思うよ」


 彼はサバサバとした顔でそう言ったが、そうしなかった理由はクロノアにも分かった。


 但馬がそれほど怒ってないことを知った隊員たちは、ホッとした表情で言った。


「あざーっす!」「閣下が居れば百人力っすね」「俺達も、出来る範囲で頑張ります!」


 結局、こうなるからだ。


 クロノアたち銃士隊は、エルフ退治というものは、自分たち以外には出来ない神聖な仕事であると思っていた。自分たちが命がけで国を守っているから、人々は平和で暮らせているのだと、自分の仕事に誇りを持っていた。


 だが、その困難で勇気の要るはずの仕事は、但馬にとっては朝飯前の出来事で、銃士隊の能力など児戯に等しかったのだ。


 隊員たちは……だったら始めっからお前がやればいいじゃないかと、それはつまらぬ嫉妬だとわかっていても、考えざるをえないだろう。


 しかし、但馬は一人しかいないのだ。例え彼にどれだけの力があったとしても、この場に居なければ意味が無い。もしも戦争が長引いていて、今もエトルリア大陸に居たとしたら、今回の襲撃でリディアは滅んでいたかも知れない。


 だから最低限対処できる力はつけさせねばならないし、その仕事を取らないように立ち回っていたのだろう。


 大体、実際に銃士隊の仕事を但馬がやったとしたら、それじゃ彼は他の仕事はどうするのか……今まで彼が挙げてきた功績の数々を考えれば、ただエルフを狩ることだけで終わらせていい才能でないのは明白なのだ。


 だが、こうして彼がその力の片鱗を見せるだけで人々は依存する。自分よりも、彼がやった方がいいのだと、既にクロノアの部下の隊員の中にもやる気を失っている者が出始めている。


「いい加減にしないか、貴様ら!!」


 クロノアは自分の中で身震いするものを感じて、その恐怖を払いのけるかのように怒鳴りつけた。隊長が突然上げた奇声に、隊員たちがぎょっとして、すぐさま背筋をピンと伸ばした。


「いつまでもグジグジと、情けないことばかり言いやがって! おまえらは自分の仕事に誇りを持てないのか! 閣下に劣るのはある意味仕方ない。だが俺達が居なければ、失われた命がたくさんあったことも事実なんだぞ! 襲撃初日、この平原で最初にエルフを迎え撃ったのは誰だ! その後も迫り来るエルフから身を挺して首都を守ったのは誰だ! 閣下が来てくれるまで、俺達が支えたからこそ、被害もなく首都は今でも平和を保っていられるのだぞ! 確かに華々しいものではない。だがこれが俺たちの仕事だ! もっと自分の仕事に誇りを持て! 俺たちはそれだけのことをやったんじゃないかっ!!」


 ゼエゼエと荒い息をして、唾液を飛び散らせながらクロノアがまくし立てると、隊員たちはさっきまでも倦怠感が嘘のように、目をギラギラとさせて背筋を伸ばしていた。いつも余裕たっぷりのクロノアが、こんなに怒ったことは珍しく、普段の姿からは想像できないほどだった。


 それもこれも、自分たちがやる気を見失いかけていたからだ。言うまでもなく、銃士隊は大切な仕事なのに、但馬と比べたことで自分を卑下して、命がけの仕事を大したことのないものと思い込み始めていた。もし、このまま続けていたら、どんなミスが起こるかわかったものではない。クロノアはそれを気づかせてくれたのだろう。


 隊員たちは自分たちの隊長の豹変に驚きつつも、その真意を悟って寧ろ感謝した。そうして士気を回復した銃士隊を見て、但馬も空気を察し、


「いや、なんか悪いね、俺もおまえの部下を挑発するような言い方して……」

「いいえ、閣下は何も悪くありません」

「……そう? それじゃあ、そういうことにしとこう。俺も持ち場に戻るとするか」

「いいえ、閣下! それよりももう、閣下は首都にお戻りください」


 但馬が背中を向けてまた森へと戻ろうとすると、クロノアがそれを遮るように飛び出し、但馬の目をまっすぐに見つめながら言った。


「襲撃も一段落がついて、もう我々だけでも対処し切れます。閣下が前線にいる必要はありません」

「しかし」

「恐れながら、閣下! あなたはいつ、寝ているんですか?」


 クロノアが唐突にそう言うと、銃士隊の隊員の中の数人が、アッと奇声を発した。多分、何人かはその重大な事実に気がついたのだ。


「この賭け事のノートに書かれた目撃情報を辿ると、あなたは数分に一体のペースでエルフを狩り続けている……私だって、交代で睡眠くらい取りますよ。なのに、あなたは変わりがいない。いつ、眠っていたんですか!?」


 今度こそ、その場にいる全員がどよめいた。彼らは先程のノートの数字を思い出した。あれだけの数のエルフと戦い続けていたとしたら、睡眠はおろか、休憩すら取れていないのではないか……


「初日、二日目に比べたら、昨日今日はまだマシな方でした。それなのにこのペースで戦い続けていたとしたら……あなた、この5日間で、一度でも寝た記憶はあるんですか!?」

「いや、たまに記憶が飛んでたから、その時にちゃんと眠ってたよ」

「それは気絶してるって言うんですよっ!!」


 リンドスの平原に、耳をつんざく怒声がこだました。他の部隊や帝国兵が、何事かと目を丸くしながらこちらを見ていた。クロノアに、キャラクターが変わるくらい怒鳴られた但馬は、苦笑交じりに言った。


「そうは言っても、俺がやらなきゃみんな死んでいたかも知れないじゃないか」

「仮にそうだったとしても、あんたが死ぬよりはマシです。閣下、我々が何故戦っているのか、あなたにもおわかりでしょう?」


 それはたった今、彼が言ったとおりだ。彼らは一般市民を守るという誇りを胸に、命を賭して戦っている。例えここで死んだとしても構わないという気概で戦い続けていたのだ。但馬は本来なら彼らに守られる立場であり、その守られる対象に逆に守られているのでは本末転倒だろう。


 それが分かった但馬は溜め息を吐くと、


「そう……だな。俺の本来の仕事はこれじゃない。人にはそれぞれ役割ってものがあるんだ。俺は自分の仕事に戻るとしよう」


 と言って、その場を銃士隊に任せて首都に帰ろうとした。しかし、クロノアはそれを引き止め、


「いえ、仕事になんか戻らないでちゃんと寝てください。部下の何人かを王宮まで護衛につけますから。おいっ! 誰か閣下のために馬車を用意しろ。後方支援部隊に言って、大至急郊外に回せ」


 但馬はそこまでしなくってもいいのに……と思ったが、クロノアはもはや聞く耳を持たなかった。


 クロノアは思い出していたのだ。エリオスがコルフに行く際、後を任された時に、但馬は何かあると異常に仕事をし始めると……今回はエルフの大襲撃と言うイレギュラーな事態があったが、それを差し引いても、今の但馬は少しおかしい気がする。


 きっと何かあったのだ……


 それが何かと尋ねても多分教えてはくれないだろう。だからせめて、王宮にいるはずのリーゼロッテにだけは知らせておこうと彼は考え、部下にその旨を伝えようとした。


 だが、それはもう手遅れだった。但馬はやり過ぎたのだ。


 前線で戦い続けていた彼らは知らなかったが、但馬がエルフを狩り続けているという噂は半信半疑ながら首都にまで届いていた。その噂は日が立つにつれて徐々に現実味を帯びていき、実際に目撃者も出てきたことで、今となってはリンドスで知らない者は居ないほどに広まっていた。


 3日目以降、応援に来た帝国軍の後方支援部隊も既にその噂を把握しており、実際に但馬の実力を見た彼らの依存は、その時既に始まっていたのだ。


 ヒーラーの奇跡の力がなくなった時、世界は混乱を始めた。特定の神様に祈ったら傷が癒えるなんて、こんな曖昧な力に人々が依存しきっていたせいで、まともな医療が育っていなかったからだ。人間はあまりにも自分にとって都合の良い力があれば、あまり深く考えずに簡単にそれに依存してしまえる。信じたい方を選んでしまう。


 但馬の力もそれと同じだ。彼が実際にエルフを倒せると判明し、それが銃士隊よりも頼りになると知ったら、人々の希望はすぐにそちらへと向かった。後方支援に集まる情報は四苦八苦する銃士隊ではなく、まず但馬へと向かい、亜人斥候たちも彼の方へと偏っていった。


 あの撃破数8割という数字はこうして生まれたのだ。


 その証拠に、但馬のために馬車の用意をと言ったクロノアの元へは、その馬車よりも先にエルフ発見の知らせが入ってきた。但馬達が屯するキャンプに、帝国軍の兵隊が、助けを求める女性市民を連れて駆け込んできたのである。


「閣下! ここにいらっしゃいましたか。またエルフが現れました、至急お戻りください!」


 兵隊は、その場に銃士隊の面々がいるにも関わらず、但馬を見つけると真っ先にそちらへ向かった。その露骨な姿はもう銃士隊のプライドを傷つけることはなかったが、たった今クロノアが懸念していた通りに、国全体による但馬への依存という危険性を想起させた。


 このままにしていてはまずい気がする……クロノアはそう判断すると、但馬と兵隊の間に割って入り、


「待て! 閣下は今お疲れなのです。エルフの方は我々が向かいますから」


 と言って兵隊の注意を引こうとしたが……そんなクロノアの前に、更に割りこむような格好で、切羽詰まった女性市民が飛び込み、但馬にすがりついてきた。


「そんなこと仰らずに、宰相様、助けてください! もう一刻の猶予もないのです。私達の住む場所がスラムだからって、兵隊さん達が後回しにしたせいなんですよ! そのせいで、もうエルフはすぐそこまで来てしまっているのです! あんな場所でも、私達にとっては大切な場所なのです。子供たちと、親兄弟が寄り集まって暮らしている、大切な家なのです。それが壊されてしまったら、これから先、どうやって生きて行けばいいのか……お願いします、助けてください!」


 女性はそう言って但馬の腰にしがみついた。クロノアはそんな女性を引き剥がそうとしながら、


「ですから、それは我々がなんとかしますから!」

「そこをなんとか! お願いします!」

「自分が何をしているのか、わかっていますか!? 閣下から離れなさい!」

「お願いしますっ! お願いしますっ! 後生ですからあ……」


 女性はクロノアの言葉には耳をかさず、但馬に向かって土下座すると地面に額を擦り付けた。その哀れな姿は同情を誘ったが、いつまでもそうさせているわけにはいかなかった。


 クロノアと兵士は彼女の両脇を抱えると、無理矢理地面から引き剥がした。すると女性は手足をバタつかせて、必死になって暴れだす。


 そんなヒステリーを起こした女性に兵士たちが手を焼いていると、


「ああ、いいよいいよ、これくらい」


 それを見ていた但馬が溜息を吐いてから、右のコメカミに指を突き立てながら小首を傾げるようなポーズを取った。


 一見して何をしているのか、周囲の誰にも分からなかった。彼の視線は問題のスラム街の方を向いており、じっとそっちの方を睨みつけているようだった。すると、暫くして突然、辺りがぼんやりと霧のように霞んできた。


 それが何かと思ったら、周辺の草木から流れ出てくるマナであり……それは但馬を中心に渦巻いて、濃密なオーラを形成する。


 聖遺物もなく、詠唱もなく、見たこともないような方法で、但馬はマナを操っていたのだ。


 しかもそれは魔法の素養がない者でも、はっきりと分かるくらい、尋常ならざる力を感じさせるものであり……


 その場にいる誰もが、まるで見とれるかのようにその光景に釘付けとなり、緊張して生唾を飲み込んだ。


 と……突然、前方に閃光が走ったかと思うと、続いて、ドオオオーーンッ! と、耳をつんざく爆音が頬をかすめていった。


 見れば、4~5キロも先の方で、信じられない規模の火柱が上がっている。


 助けを求めていた女性はその光景を目の当たりにすると、引きつけを起こしたように硬直し、そのまま飛んできた爆風に煽られて尻もちをついた。


 女性が、波に翻弄される木の葉のように、ゴロゴロと転がっていく。


 まるでエルフみたいだ……


 クロノアの脳裏に、先ほどの部下の軽口がよぎった。それは比喩でも何でもない。こんな馬鹿げたことが、この世にあって良いのだろうか……


 それは多分、その場にいた誰もが思いついた感想だったに違いない。


 但馬は魔法を行使すると、レーダーマップから光点が消えるのを確認してから、助けを求めてきた女性にもう大丈夫だと言おうとして振り返った。すると女性は爆風に煽られて、はるか遠くにゴロゴロと転がっていた。彼は大慌てで彼女の元に駆け寄って行くと、


「大丈夫ですか?」


 と言って手を差し伸べた。しかし……


「ひぃーっ!」


 パシッと音がして、但馬の伸ばした手が払いのけられた。その瞬間、爪でも引っ掛かったのだろうか、指先に鋭い痛みが走り、但馬は反射的に手を引っ込めた。


 鮮血が飛び散り、但馬の指先から血が吹き出ている。


「貴様っ! 何をするっ!」


 それを見たクロノアと、銃士隊の何人かが、カッとなって剣を引き抜いて飛び出してきたが、但馬はそれを慌てて制した。但馬が手を翳すと、今度は銃士隊の隊員すらも緊張して硬直していたが、但馬はそんな彼らの姿に気づかなかった。


 目の前の女性は恐怖におののき、但馬のことを引きつった表情で見上げている。彼はそんな顔をしなくてもいいのにと思いながら、傷ついた指先をくわえると、


「血は未だ赤いままだな」


 と言って、ニヤリと笑った。


 クロノアはなんだか悲しくなった。そんなことは言わないで欲しいと言いたかった。だが、その場に居る誰も、その言葉に答えることは出来なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。よろしければ是非!
― 新着の感想 ―
主人公の自業自得みたいなとこはちょくちょくあるけど、それを考慮しても宰相になってらからの主人公が可哀想すぎて同情せざるを得ない
こわれちゃった
[一言] 見てられなさすぎる。だんだんと但馬が人間じゃなくなってるみたいで悲しすぎる。救いは無いのか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ