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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
293/398

嫌だ。先生とは一緒に居られない

 議会の抵抗、サリエラの襲撃とその死、そしてトーとの再会。今日一日だけで、もうこれだけのことが起きているというのに、但馬にとって、その日はまだ始まったばかりだった。


 トーとの会話でぐったりと疲れていた但馬は、それでも気力を振り絞ってアナスタシアのことを迎えに行くと、多分、彼女もこの一日の密度にあてられていたのだろう。とんでもないことを言い出した。


 アナスタシアは、自分がティレニアに行って、儀式を受けると言うのだ。


「ティレニアに行くって……何言ってんだ! 意味が分かって言ってるのか?」

「でももう、仕方ないんじゃないかな……」


 アナスタシアは但馬の方は見ずに、項垂れたままだった。まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく小さな声は、もう答えは決まっていると言いたげな、そんな印象が強かった。


「ねえ、先生は今回の異変に気づいてたの? ヒーラーが力を無くしたり、エルフが森から出てきたり。その理由が太陽の異変のせいだって」

「それは……」

「気づいていたのなら、どうして教えてくれなかったの?」

「それは、もしかしたらって程度だったから。絶対とは言い切れないんだから、憶測の域を脱しない内は黙ってたんだ。それに、言ったら君は傷つくかも知れないし……」

「それでも言って欲しかった。ティレニアでのことは、先生と二人の秘密だったから、みんなには内緒にしていたのはわかるんだけど。私たちは、お互いに何か分かったことがあったなら、共有すべきだったんじゃないかな」

「……そうかも知れないけど」

「責めてるわけじゃないの。ううん、やっぱり責めてるのかな。さっき、サリエラが本当のことを教えてくれた時に、自分でももうどうしようもないことが起きてるんだって、やっと分かった気がするの……私のせいなんだ。もっと早く気づいて、私が儀式を受けていたら、この異変は食い止められたかも知れないって」


 淡々と言う彼女の言葉は何も間違っちゃいないだろう。だが、その考えを受け入れるということは、彼女自身の死をも受け入れることと同義なのである。但馬は叫ぶようにして言った。


「そんなこと分からないよ! あいつらは絶対そうだって信じてるのかも知れないけど、少なくとも勇者は儀式は無意味だと言っていたんだし、まだ何か方法があるのかも知れない」

「でも、無いとも言い切れないでしょう。今、こうして、本当におかしなことが起きてきてしまったんだもん……勇者様の方が間違っていたのかも知れないじゃない」

「しかし……君は儀式をするって言うけど、それを受け入れたらどうなるかわかってるのか? 君はもう君じゃ居られなくなる。今まで生きてきた何もかもを忘れて、別人になってしまうんだぞ?」

「……先生や、みんなのことを忘れちゃうのは悲しいけど……」

「そうだろうとも。だったら……!」

「でも、どうせ発狂して死ぬんなら、その時自分が何になっていたって同じだよ」


 但馬は天を仰いで大げさに言った。そんなオーバーリアクションをするタイプではないのに、何だかもう動いていないと落ち着かないのだ。


「そうじゃない! そんなことどうでもいい! なんでアーニャちゃんが犠牲にならなきゃならないんだ!」

「……本当なら、お母さんがやらなきゃならなかったんだ。娘の私にその義務が回ってきたとしても、仕方ないんじゃないかな。それに、あの優しかったお母さんが犠牲になるよりは、私で良かったかなって思うよ」

「そんなわけあるか! 親の義務を娘が背負わなきゃならないなんておかしいよっ」

「だって、他に適任者が居ないんじゃ、どうしようもないじゃない! 私以外に誰かいるなら、代わって欲しいよ……でも、誰も代わってくれないんじゃ……私が死ななきゃ次の巫女が生まれないんじゃ……もう諦めるしかないじゃない!」


 但馬は、自分の足が震えていることに気がついた。胃がキリキリと痛む。アナスタシアが死ぬなんて、そんなこと考えるだけで苦痛なのに……彼女はもう、諦めようとしている。


 どうにかして引き止めたい。だが、アナスタシアに簡単に論破されてしまうくらい、彼にもこれといったアイディアはなかった。どうすればいい……? どうしたらいいのだろうか……


「頼むよ……まだ他に何か方法があるかも知れないんだ。それを一緒に探していこう」

「探しているうちに世界が滅びてしまったら、どうするの? たった一年で、こんなにも世界は変わっちゃったんだよ? 滅びた後に見つかったって、それじゃ意味ないよ」


 アナスタシアは何か悟りきったかのように、滔々と話し続けた。それが強引に自分の主張だけを続ける教信者のそれに似ていて歯がゆかったが、だけど但馬は何も言い返せなかった。


「ねえ、先生。リディアはガッリアの森に囲まれてるでしょう……エルフが森から出てくるようになったら、きっと酷いことになるよ」

「そうかも知れない。でも、そうならないように警戒態勢を取るし、影響はエルフにもあるってリーゼロッテさんも言っていたんだ。人類はまだ戦える。それだけの人員も装備もちゃんとある。なんだったら俺が……俺が全部片付けたっていいんだ」


 腹をくくれとトーは言った。そうだ、腹をくくるのだ。もう、それしか方法が無いというのなら、仮にただの人間爆弾になり下がっても……エルフを狩るだけの機械になるとしても……彼女が犠牲になるよりはそっちの方がマシだ。


 しかし、但馬のそんな決意を前に、アナスタシアは首を振った。


「そうじゃない……そうじゃないの。先生に戦ってなんて欲しくないし、他のみんなだってそうだよ。だって……私にはもう力がないんだよ? 人が傷ついて倒れていても、それを見ていることしか出来ないんだ。ヒーラーがいないってことは、これからはみんな怪我が出来ないってことなんだよ」

「そんなの今までの方が、おかしかったんだってば。こんな力があるから、みんな勘違いしてるけど、これが普通だったんだ。大体、戦場でだってヒーラーが居ないことはある。何でもかんでも治せるからって頼りがちになるけど、本来ならばこんな力なんて計算のうちには入らないんだ。あり得ないはずなんだ。大体、対エルフ戦は元々、相手の攻撃をまともに受けたら死に直結するんだ。それでも、今まで百体を超えるエルフを狩ってきたんだから、こんな力なくっても、やってやれないことはないはずなんだ」


 但馬がまるで反論を許さないかのように、矢継ぎ早に言う。


 だが、アナスタシアは、そんな彼の言葉をたった一言で跳ね除けた。


「でも、親父さんは死んだじゃない」


 アナスタシアの声が突き刺さる。


「本当なら、助けられる命だった。私が今までどおり、ちゃんとヒール魔法が使えていたなら……ううん。私じゃなくっても、あの時、誰かがヒール魔法さえ使えたなら……親父さんは死ぬことは無かったんだ。それもこれも、私が儀式を拒んだせいなんだよ。なのに……私だけがこうして生きているなんて……おかしいよ」

「君が全部背負い込むようなことじゃない。君にはどうしようもないことだったろう!? そんなこと言ったら俺が……俺がもっとしっかりしてれば……」

「そんなの分かってるってばっ!」


 アナスタシアは彼女らしくない大声で叫んだ。よほど興奮しているのか、顔が紅潮して真っ赤な目尻には涙が滲んでいた。


「私のせいじゃないなんて、そんなことはわかってる。先生のせいだってこともない。こんなの、誰だって、どうしようもないことじゃない! ……そんなことは分かってるよ。なのに……なのに先生は苦しんでるじゃないっ! 自分のせいだって、苦しんでいるじゃないっ! みんながみんな、苦しんでいるじゃないっ! その原因が何なのかわかってるのに、私は黙って見過ごせないよ!」


 二人はまるで睨み合う彫像のように微動だにしなかった。沈黙が場を支配する。二人の様子がおかしいことに気づいた憲兵たちが、遠巻きに様子を窺っていた。多分、波音のせいでその内容は聞き取れてないだろう。だがもし、聞き取れていたのなら、こんな荒唐無稽な話、彼らはどんな顔をしただろうか。


「ねえ、先生……私はね、もしも先生に出会わなければ、もうこの世には居なかったと思うよ。あの水車小屋から抜け出せなくて、お父さんも死んじゃって、借金だけが残されて、本当だったらとっくに世を悲観して死んでいたかも知れない。だから多分、あの頃の私のままだったら、サリエラがやって来て儀式をしろって言ったら、きっと喜んで受け入れてたと思うよ。だって、あの頃の私には目的が無かった。ただ漫然と日々を浪費していた。そんな私に生きる意味を与えてくれたのが、先生やみんなだったんだ」


 アナスタシアは、何かを悟りきったかのような、とてもスッキリとした、穏やかな表情を浮かべていた。但馬はこの顔をどこかで見たことがあるように感じた。記憶の紐を手繰っていくと、それは但馬のお祖父ちゃんが、死の間際に見せた顔だった。死を受けいれた人の、顔だった。


「私が今まで生きてこれたのは、先生やみんなのお陰。だから、私はみんなが居るこの場所を守りたい。この場所が、何か理不尽な暴力に晒されていて、それを守れるのが自分だけなんだとしたら、私は喜んで命を差し出すよ」

「そんなの、嫌だよ。悲しすぎるだろう……」

「悲しくても、それでも先生には進んで欲しい。もう、この世界に巫女が必要なくなるように、次の子が理不尽な運命に翻弄されないように。先生はみんなを導いて、世界を変えて欲しい。時間さえあれば……先生なら、絶対それが出来るから」


 但馬は首を振った。最初はゆっくり……段々と早く。終いには気が狂ったみたいに。涙の雫が飛んでいって、彼女のほっぺたにポタポタとぶつかった。


「俺は……そんなに強くないよ。君の犠牲の上に平和が訪れても、きっと俺は立ち直れないと思う。俺が今救いたいのは君だけだ。君さえ救えないと言うのに、他の誰を救えっていうんだよ」


 親父さんの姿を思い出す。あの優しい声はもう聞こえない。


「俺達の中から、たった一人が欠けただけで、こんなに苦しいのに……今度は君が犠牲になるなんて、悲しすぎて、辛すぎて、想像もできない、したくない……俺には絶対、耐えられないよ」


 アナスタシアは俯いた。但馬が弱音を吐くたびに、彼女の顔がドンドンと地面に吸い込まれていくかのように項垂れていく。今、一番つらいのは誰なのかはわかっていた。だから、彼女にだけは、そんな顔をさせたくないのに……但馬にはそれが出来なかった。


「俺だって、一人で生きてこれたわけじゃないんだよ。誰も知らない、見知らぬ土地で、たった一人放り出されて……君がいたから頑張ってこれたんだ。君が側に居てくれたからなんだ。俺たちは、ずっと一緒に生きてきたじゃないか。水車小屋から始まって、あの狭い二階建ての家から、ハリチのお屋敷まで……俺のリディアの思い出には、全部君が登場するんだ。この国のどこへ行っても、君の姿が思い浮かぶんだ。あの頃、間違いなく君は俺の生きる目的だった。そんな君が居なくなってしまったら、俺はもう、どこへ行っていいか分からなくなってしまう」


 そして但馬は、言ってはいけないことを口にした。


「それに……ずっと一緒に生きていこうって約束したじゃないか。あのカンディアの最後の日、君は待ち合わせに来なかったけど……本当は来るはずだったんだろう?」


 それは、冷静さを欠いた但馬の、起死回生の一言になるはずだった。


「レベッカから聞いたんだ。君は来るはずだったんだって。あれからずっと、君は俺のことを遠ざけようとしてると思ってた……でも違ったんだろう? 君は来るはずだったんだ。なら、あの時約束したみたいに、今度こそずっと一緒に暮らしていこうよ。俺は君と居たいんだ……ずっとずっと、一緒に生きていきたいんだ」


 アナスタシアはじっと地面を見つめたまま動かない。


 長い……それは長い沈黙が流れた。


 やがて、アナスタシアは拳をギュッと握り締めると、低く唸るような声を絞りだすようにして言った。それは、拒絶の言葉だった。


「嫌だ。先生とは一緒に居られない」

「何でなんだ! どうして君はそこまで自分を犠牲にしようと……」

「違う! そうじゃない!!」


 耳をつんざくような、アナスタシアの絶叫が木霊する。


「だってあなたは、姫さまを選んだんじゃない!」


 但馬は心臓を射抜かれたように固まった。それは愚かな男が見せた未練の、あっけない幕切れだった。


「先生にはもう、一緒に生きていくパートナーが居るじゃない。どうしてそんな人が、私と一緒に生きていきたいなんて言えるの!」


 彼女の声が突き刺さる。


「私があなたのことを好きなんて、誰だって分かってることじゃない。一緒に生きていきたいなんて言って、だったらどうしてあの時すぐに姫さまを選んだの。まるで私に当てつけるみたいに、私に出来た、初めて気の合う友達を、どうして先生は選んだの」


 但馬は何も言い返せない。


「先生と一緒になんか居られないよ!」


 そして……アナスタシアは、まるで親の敵でも見るような視線で、但馬のことを睨みつけた。


 ふうふう……っと、興奮した彼女が息を整える。全身がブルブルと震えている。怒りで、もう立っているのもやっとと言った感じで、視界は多分、涙で滲んでなにも見えなかっただろう。


 アナスタシアは呼吸を整えると、自分を落ち着かせるように淡々と言った。それは決別の言葉だった。


「本当はもっと早く離れるべきだったんだ……だって、このまま一緒に居たら、先生は姫さまと……私とは別の女の子と結婚して、私はそれを祝福しなければならないんだ。ううん、もう殆ど、そうなってるじゃない……! あなたは事実上、姫さまと婚約してて、彼女と一緒にお城で暮らしてて、私の居る家になんてもう帰ってこないじゃない! なのに私と一緒にいたいなんて、一体何を言ってるの? あなたはどうして、彼女の恋人になったの? 彼女を選んだのは欺瞞だったの? 地位や名誉が欲しくって、彼女のことを利用していたとでも言うの? そんな最低男を、私は好きになったことはないっ!」


 彼女は言った。それは多分、彼女の残り少ない人生の、唯一の希望だった。


「もし……もしこのまま私と一緒にいたら、あなたはそんな最低な男になってしまう。そんなの……そんなの絶対嫌だ……だからせめて、あなたのことが好きなまま……死なせてよ」


 彼女はそう言うと、但馬のことを押しのけて、馬車から飛び降り、街道を一直線に駆けていった。


 但馬は彼女を追うことも出来ず、振り返ることすら出来ず、ただ馬鹿みたいに口を半開きながら、合わない視線を、馬車の中へと向けていた。


 日が暮れる。もう間もなく、夜が来る。もう明日なんか来なくていいのに……太陽なんて沈んでしまえばいいのに。だけどあの偽物の太陽は、また明日も昇ることだろう。


 過去にはもう戻れない。やってくるのは辛い現実と、明日だけだ。


 何を間違ってしまったのだろうか。どこで間違ってしまったのだろうか。どうすればよかったのだろうか。いくら後悔しても、答えは見いだせない。


 頭のなかで彼女の言葉が、ぐるぐるぐるぐる回っている。それは鋭利な刃物のようにザクザクと、彼の胸をいつまでもいつまでも抉っていた。


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[一言] つらすぎてしぬ
[一言] しんどい。映画化しない?このへん。 常にアーニャちゃん√IFを考えてしまう。
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