そんなこと、俺が知るか
現場は凄惨なものだった。アナスタシアを襲撃したサリエラの自爆と、それに巻き込まれた憲兵隊の手足がちぎれ飛んであちこちに転がっており、博物館の前衛オブジェみたいな黒ずんだ首なし遺体が、今も大地に根を生やしたかのようにしっかりと、地に足つけて立っていた。
街に近いこともあって、すぐに応援の憲兵が次々とやって来たが、全員が全員、その悲惨な現場に尻込みしていた。サリエラの雇ったゴロツキ達も恐れをなして、もう抵抗はやめて大人しく事情聴取を受けていた。
襲われたアナスタシアは、今でもショックを受けたままの状態で、腰を抜かしてへたり込んでいた。顔色は真っ青で血の気が失せ、寒くもないのに唇まで紫色をしていた。ブルブルと小刻みに震える姿が痛々しく、但馬や憲兵が優しく声をかけても聞こえてないようだった。
こんな時に女性が居ればいいのだが……これ以上、現場の空気を吸っていたら、彼女がどうにかなってしまうかも知れない。但馬がそう言って指示を出すと、アナスタシアは憲兵に両脇を抱えられて、現場から少し遠ざけた馬車の中に入っていった。
そのアナスタシアを助けたトーと、ティレニアの山伏集団は、自分達は協力者でこいつらとは関係ないからと、巻き込まれる前にさっさと退散しようとしていたが、すぐに憲兵隊に呼び止められ、
「暫く居ねえ間に、面倒くせえ国になったもんだな……」
と、溜息を吐いてから、答えられる範囲でならと、素直に事情聴取に応じていた。
アナスタシアが襲撃される……その情報をリークしてきたのは、どうやらトーだったらしい。詳しいことは本人に聞いてみないと分からないが、まだかつての上司である大蔵卿と繋がりがあったのだろうか。大蔵卿は行き先は知らないと言っていたのだが……水臭い。
なにはともあれ、あの不良社員がまたリディアに戻って来たのだ。その懐かしい姿に、本来なら再会を祝して感激するところだったのだが、雰囲気が最悪で残念ながらそうはいかなかった。
トーは耳糞をほじくりながら憲兵隊の聴取を終えると、ムスッとした表情を隠さずに但馬の元へとやって来た。二人はお互いに顔を見合わせると、どんな挨拶をしていたか忘れちまったと言った感じに、黙ってその場に腰を下ろした。
「よう。久しぶりだな。リディアを出てから、どうしてたんだ」
視線の先には、青いイオニア海が広がっている。二人並んでぼんやりとそれを眺めながら但馬が呟くと、その波音を聞きながらトーは淡々と口を開いた。
「リディアを出た後はコルフで隠居生活してた。去年、おまえが来たのも知ってるし、エリオスのおっさんのことは度々見かけてるぜ」
「コルフに……おまえ、コルフの出身だったのか?」
トーは頭を振った。
「いいや。今更隠すことでもねえ、ティレニアだ。アナスタシア・シホワ。こいつの実家がティレニアの五摂家の一つだってのは、知ってるな?」
「ああ」
「俺はそのシホウ家の人間だ……だった。家がなくなっちまったからな。ま、それで血縁が無くなるわけじゃないから、アナスタシアとは従兄の関係に当たると言えば分かるか」
トーはそう言うと、路肩に転がっていた小石を拾い、ブンッと海に向かって放り投げた。それは放物線を描き飛んでいったが、海までは届かず、砂浜の上にドサッと落っこちた。
「シホウ家はいわゆるティレニアの元首の家系だが、格付けで言えば五摂家の末席、あの四人の部下みたいなもんだった。おまえもあいつらに会ったんなら知ってるだろうが、あいつらは生まれてからずっと、あの聖域で暮らしている。それどころか、生まれるのもあの中だ。巫女が聖女のクローンだってのも、もう知ってるな?」
但馬は頷いた。
「あいつらも同じようなもんなんだ。巫女を育て、施設を管理するためだけに、あの中で創りだされた存在だ。ただ、こいつらは巫女と違って聖女のクローンじゃない。聖域の中で、お前は奇妙な肉塊を見たと思うが……」
「あ、ああ……あの薄気味悪いやつか。あれはなんなんだ?」
「俺もよく分からねえが、あれはあのままで遺伝子的に『人間』であるらしい。つまり、なんつーのかな……あいつらは、あの肉塊から分裂して生まれてくるんだよ。あいつらは全員が全員あの肉塊のクローンで、人間ではない……いや、人間なんだが、普通の人間じゃないんだ。ややこしいなあ」
トーはそう言うと、バリバリと音を立てて頭を掻きむしった。多分、自分の言葉が足りなくて悩んでいるのだろうが、但馬はその言葉だけで彼が何を言わんとしているか、おおよその見当がついた。
あの時、ティレニアの世界樹の中であれを見た時、但馬は言いようの知れぬ嫌悪感に苛まれた。あの感覚はそれほど間違っていなかったわけだ。
「だからサリエラは今頃、また聖域の中で新たに誕生しているはずだ。あいつはさっき死んだが、その死は殆ど意味が無い。とは言え、気に病むなと言っても、しょうがねえんだろうがな」
トーはそう言うと、いつか毎日のように見ていた面倒くさそうな表情で、また石を拾っては放り投げていた。多分、その言葉はアナスタシアに向けて言ったものだろう。
そこで一旦会話が途切れると、但馬は一番気になってることを尋ねた。
「おまえはアーニャちゃんの従兄だっつったか? 本当なのか?」
「ん、ああ……まあな」
正直、そんなこと考えたことすら無かったが……言われてみれば道理で、S&H社に居た頃のトーは、何故かやたらとアナスタシアに突っかかるような言動をしていた気がする。奴隷だ使用人だと言うたびに但馬が怒っていたのだが……従兄であることを隠していたのならば頷けるものがあった。
尤も、彼がアナスタシアを悪く言っていたのはそれだけでは無くて、また別の複雑な事情があったらしい。彼はティレニアからリディアに来た頃の話と、どうしてその後ティレニアには帰らず、隠遁生活を送っていたのかを訥々と語った。
「俺がリディアに来た理由は、今更言わずとも分かるだろう。アナスタシアの母親が死んだ後、あの四人は新たな巫女を誕生させようとして失敗し、その理由が娘にあるんじゃないかと思い当たった。すぐに探しに行きたかったが、しかしあいつらは聖域から出られない。そこで、先代がやらかしてしまったせいで、お取り潰しにあっていたシホウ家の人間に、家を再興したいなら代わりに娘を……アナスタシアを探し出して連れて来いと命じたんだ。そのうちの一人が、俺だ。
シホウ家は長く続いた家系だったから、一族は俺を含めてもごまんといる。元は五摂家の一つで、ティレニアでは絶大な権力を握っていたが、先代のせいで凋落して、みんな困っていたんだな。裏切り者を探しだせって言われ、俺たちは血眼になって探した。大体の奴は、最後に消息を確認したセレスティアに向かったが、俺は反対方向のリディアに来た。理由は、みんなで同じ場所を探しても仕方ないだろうって、
そんな程度の理由だったんだが……これが大当たりだった。
リディアで先代を見つけた俺は、目的の娘の方を攫おうと思い、奴の行動を見張っていた。奴は相当苦労しているらしく、売春宿を経営したり、粉挽きをやったり、本当だったらティレニアで何不自由なく暮らせたお大臣さまが、ひでえもんだった。尤も、それで同情するつもりもなく、俺は虎視眈々と娘を攫う機会を狙ってたんだが……ところが、この頃、例の水車小屋にはアナスタシアは居なかった。
おまえも知っての通り、その頃、アナスタシアはアクロポリスの修道院にいた。先代は、勇者が死に、巫女も死んだことで、今度はその娘であるアナスタシアが狙われると考えて、あいつのことを隠していたんだよ。そして、娘は死んだことにして、売春婦にもそう言うように指示していた。けどまあ、そんなんで隠し通せるわけがないだろう。俺はすぐに修道院のことを突き止めると、アクロポリスへ向かった。
しかし……向かったは良いが、そこは胸糞悪いところだった。アクロポリスの修道院であいつを見つけた俺は、そこで年端もいかないガキどもが体を売らされてることを知った。先代はアナスタシアを隠したまでは良いが、ろくに寄付金が払えなくて、娘は窮地に立たされていたんだ。奴はきっと教会の善意にすがったつもりなんだろう、だが、現実はシビアだ……俺が見つけたアナスタシアは死んだ魚のような目をしていて、攫うまでもなく、修道院のやつらに言えば、金で簡単に買い取ることが出来たんだよ」
そしてトーは、とても長く重苦しい溜息を吐いて、
「哀れでね……」
吐き捨てるように言った。
「正直、こんな生活続けさせてても、こいつは死んだも同然だったろう。だが、俺があそこから連れだしたところで、ティレニアで儀式のために殺されるだけだ。
なにやってんだろうって思ってさあ……目の前に目的の物があるっつーのに、俺はそれを手に取ることが出来なかった。結局、俺は何をすることも出来ず、アクロポリスを発ってリディアへ戻って来た。だが、リディアに戻って来たところで、やっぱり何かが出来るわけでもない。悔しくてね……情けなくて……せめて文句の一つでも言ってやろうと、ある日、先代の元へ行って正体を明かしたんだよ。
先代は俺が彼を始末しに来た暗殺者か何かだと思ってたようだ。自分のせいで家が潰れちまったんだから、いつか報復者がやってくるって覚悟していたらしい。実に落ち着いたもんだった。案の定、娘のことを尋ねたらしらばっくれてたが、ところが、俺は既にアナスタシアをアクロポリスで見つけたことを伝えると、途端に命乞いを始めてね……ああ、こいつにとっては自分の命よりも、娘のほうが大事なんだなと思ったら……なんだか無性に腹が立ってきてな……それで、俺は奴に教えてやったんだよ。おまえの娘がアクロポリスで何をやらされてるかってのをな」
そしてトーは、自虐するかのような、カラカラと乾いた笑いを漏らした。
「そしたら、首くくって死んじまったよ。よっぽどショックだったんだろう。追手が来て、娘の居場所もバレて、それどころか守ろうとしていた娘がもう傷物にされてると言う事実に、あいつは打ちのめされたんだろう。サリエラが言っていたことは本当だ、俺があいつの父親を殺したようなものなんだ」
数瞬の沈黙が流れる。きっと、トーはこのことに、ずっと負い目を感じていたのだろう。だがひねくれ者の彼が素直にそれを認めることも出来ず……それが、アナスタシアに対するあの態度に繋がったのではないか。
「……先代が死んだ後も、俺はリディアに留まった。今更ティレニアに帰って、何もかも包み隠さず話す気にはなれなかったんだよ。寧ろ、その後やってくるシホウ家の連中に嘘の情報をリークして、アナスタシアの存在を隠そうと思った。別に、先代に同情したわけじゃねえ。俺がアナスタシアを守ってるんだと思って、いい気になろうとしてたわけでもねえ。どっちかっつーと、自分にムカついてたんだろうな。
だが、いつまでもこんなこともしてられねえ。こんなことして、ガブリール達の言う世界の終焉が訪れても困っちまうから、俺はこれからどうしようかって悩むようになっていた。そんなある日、おまえが現れたわけだよ。
最初は勇者病患者の一人だと思っていた。だが、おまえのやる阿呆な出来事を見ているうちに、こいつはどうも違うって思うようになっていった。水車小屋に入り浸って、助平なことでもしてんのかと思えば、実際には紙を作ったり発電機を作ったり、こんなこと俺らティレニア人からしてみれば、伝説の勇者くらいしかあり得ないだろう? 特に、ヴィクトリア山での広範囲の発光現象が決め手だった。俺は思った。あれがおまえの仕業だとしたら……こいつは勇者に間違いないと。
そんで俺は皇太子派の中に潜り込んで、おまえのことを監視していた。あとは知っての通りだ。おまえと会社を経営してるうちに、勇者の娘がやってきたり、亜人商人がちょっかいかけてきたり、メディアの世界樹で、おまえが勇者のことを知ったりな。でも一番変わったのは、アナスタシアが徐々に人間らしくなっていったことだった」
そう言ったトーの横顔は、どこかホッとして見えた。口には出さないが、多分、彼も嬉しかったのだろう。
トーはその安堵の笑みを隠そうとするかのように、唇を尖らせながら続けた。
「あの、死んだ魚のような目をしてた奴が、友だちができて、たまには笑えるくらいにまで回復したんだ。おまえは童貞で根性無しだから、あいつを傷つけるようなことはしないだろうし、だったら、父親を殺した俺がいつまでも側にいるのもおかしいだろう。そんで俺は会社をやめてティレニアに戻り、聖域に入ってあいつらに直談判したのさ。
おまえらの探している巫女は、勇者と一緒にいる。手を出したらおまえらきっと殺されるぞと……あと、俺は勇者と友達だから、機嫌を損ねたら痛い目に遭うかも知れねえぞと」
「脅迫じゃねえか」
「どうでもいいだろ、そんなこと。まあ、そんなわけでよ、あの四摂家は巫女を探すのをやめて、おまえらの動向を注視するに留めていたのさ。勇者が儀式をやるなと言うなら、あいつらにはどうしようもないからな……」
長い長い、トーの話が終わった。彼はリディアから去った後、ティレニア人がアナスタシアにちょっかいを掛けられないようにしてくれていたらしい。あの頃の平和な毎日は、彼が守ってくれていたのだ。それを嬉しく思う反面、どうして話してくれなかったのかとちょっとだけ腹もたった。
まあ、多分、それを知ったら、今みたいに但馬が苦しむことが分かり切っていたからだろうが……
それにしてもどうしてあの四人は但馬をこんなにも恐れるのだろうか。いや、それ以前に、あの世界樹のデータベースを使えば、アナスタシアを見つけ出すのももっと簡単だったのではないか。
「あいつらはどうして自分たちで探しに出なかったんだ? 聖域から出れないっつってたけど、サリエラは普通にここまで出てこれたじゃないか」
「物理的に出れないわけじゃない。あいつらは単に、古の契約に従ってるだけだ。聖域の中で、おまえは太古のデータベースを見たな?」
「ああ」
「あれを見てどう思った」
「どうって……」
「太古の知識が結集したデータベースだ。簡単な検索で何もかもが分かってしまう。おまえはリディアで様々な物を生み出したが、あいつらはその気になれば、桁違いの発明品を創造できるはずだろう?」
「そう言えば……どうして、あいつらはそうしないんだ?」
「もちろんしたさ、およそ千年前に」
千年前、聖女が死に、最初の但馬がティレニア帝国を作った後……あの4人組は代替わりを重ねながら聖域を守り続けていた。巫女を育て、儀式を続け、たまに見つかる但馬波瑠を監視するという代わり映えのしない生活を続けていた彼らは、ある時、退屈からか方針を変えて自分たちで人類を支配しようと考えた。
何しろ、彼らの手元には古代文明のあらゆる知識が詰まったデータベースがあり、セレスティアの世界樹ではいくらでも人間を製造出来るのだ。
その頃の人類は、まだエルフに怯えながら原生林を切り拓いているところで、はっきり言って物の数ではなかった。聖域を守る仕事に飽きてきていた4人は、そしてティレニア人を率いてエトルリア皇国へ侵攻した。
ところが、そんな彼らに立ちはだかるものが居た。何代も前の但馬である。
「その時、あの四人は相当増長していたんだろうな。突然出てきた過去のお前に止められても、侵攻をやめず、逆にお前のことを攻撃した。結果は言わずとも分かるだろう。こてんぱんにやっつけられたあいつらは、もう二度と下界に手を出さないと誓わされた。その時の約束が今も生きているんだ」
「それでやたらと俺のことを恐れていたのか……でも、そんな大昔のこと、俺は知らないし、今のあいつらには関係ないんじゃないの。気にし過ぎだと思うんだが」
「それはどうかな。例えばおまえ、あいつらが今の人類には絶対に太刀打ち出来ない兵器で、世界征服を始めたらどうする?」
それこそ核戦争でもおっ始めようと思えば彼らは出来るのだ。だが、もしもそんなことになったなら……
「なるほど……放ってはおかないだろうな」
「あいつらはエルフすらも超越する力を持ちながら、お前には手も足も出ないことを知ってるのさ。逆に聞きたいが、おまえこそ一体何なんだ。その気になれば全人類を従わせるくらいわけないのに、こんなまだるっこしいことをして、まるで当たり前の人間みたいに傷ついている」
トーの言葉に但馬は少々むかっ腹を立てた。彼の弁は何でもかんでも力でねじ伏せればいいと言ってるようなものだ。確かに、但馬はそれが出来るだろうが、そうやって自分の言うことを聞くだけの人間を集めたところで何になると言うのか。腰巾着の専横を許したシルミウムが、どうなったか知らないわけもあるまい。
「そんなこと、俺が知るか」
但馬がそう言うと、トーは懐にしまっていた紙巻たばこを取り出し火を点けた。それを美味そうに吸い込みながら、
「俺は知らない……か。そうだな。だが、そろそろおまえは己を知ったほうが良い。おまえはこの世界をどうしたいのか。サリエラが飛び出してきた通り、いよいよ世界はおかしくなってきた。もう時間はそれほど残されていないのかも知れない。なのにおまえは何をやってる? 本当にあんな調子で、ロケットなんて作れると思っていたのか?」
「それは……少なくとも俺は本気だった。でも……駄目なものは駄目だったんだ」
「そうかな」
トーは立膝に肘をついて頬杖をつきながら、プラスチックみたいに透明な瞳で但馬の顔をジッと見つめた。そしてタバコの煙を吐き出しながら、
「おまえが本気だったのなら……どうして、ティレニアの四人を頼らなかった」
「……え?」
「おまえが本当に宇宙へ飛び出したいというのなら、ティレニアのデータベースは重要な資料じゃなかったのか。あの四人を従わせれば、更に高度な技術を用いた製品を作ることだって出来る。なのにおまえはやらなかった。その結果が……」
トーはそこまで言うと口から出かかった言葉を飲み込み、最後まで言わなかった。だがそれで十分だった。その言葉は但馬の胸に鋭く突き刺さった。
その通りだ。何も言い返せなかった。どうして自分はティレニアの、あのデータベースのことを忘れていたのか……あれを使おうとしなかったのか。
ティレニアの四摂家を敵と認定してたからかも知れない。だが、敵の手にあろうが無かろうが、本気で宇宙を目指すのであれば、あれが必要なことは馬鹿でもわかるはずだ。頼るのが嫌なら、奪えばよかったのだ。本気だったらそうすればいい。なのに但馬はそうしないで、自分一人で考え、結局堪えきれずに親父さんを巻き込んだ。
それがハリチの事故につながり、そして彼が死んだのだ。全部但馬のせいじゃないか。
「腹をくくれよ、但馬。おまえが何を選ぼうと、誰もおまえのことを恨みやしない。そんな資格はないからな。アナスタシアを救うのか、それとも世界を救うのか……両方を選んでる時間は、もうないかも知れないんだぜ」
トーは少し喋りすぎたと言って、タバコの火をもみ消してから立ち上がった。但馬はそんな彼を見上げながら言った。
「なあ……本当に、あの太陽は偽物なのか? あの太陽は偽物で、数十年おきに燃料投下が必要だ。でもこんなことってあり得るのか? あり得たとして、いつまでも続けてられるわけがないだろう。その燃料ってのもいつまで持つのか……今回の異変だって、もっと別の理由があるんじゃないか? 勇者は儀式は無意味だと言った。彼は、何を思って巫女を助けたんだ?」
真っ赤に燃えるあの太陽が偽物だと言うのなら、あれが燃え尽きた後、この世界はどうなってしまうと言うのだろうか。ヒールが使えなくなっただけで、この騒ぎだ。これから先、沢山のエルフが森から出てきて、人類を襲い始めたとして……それでも、但馬はアナスタシアを助けたいのだろうか……
トーは但馬のそんな疑問を少し考えこんだ後、苦笑混じりに、
「そんなこと、俺が知るか」
と言って去っていった。
彼らしいと言ったら彼らしい、無責任な答えであった。だが、これ以上の答えは多分誰も持ちあわせていないだろう。結局、行って確かめてみるしか他に方法はないのだ。そしてそれは不可能に近い。
但馬は暫く、その場で放心したかのように考え込んでいた。寄せては返す波の音が、ずっと耳にこびりついている。
やがて日が傾きかけた頃、
「……あいつ、どこ行ったんだろう」
久しぶりの再会なのに、何も言わずにさっさと帰ってしまうところは相変わらずだった。
但馬が尻についた砂を叩いて立ち上がると、恐らくそれを待っていたのだろう、憲兵がやってきて、現場検証が終わったことを告げた。
サリエラの雇った男たちは拘束され、既に首都に向けて連行されているそうだ。アナスタシアが乗っていた馬車の御者は、高飛びしようとしていたところを、港で確保されたらしい。
ティレニアの山伏たちは、協力者として何のお咎め無しに解放された。大蔵卿の言っていた信頼筋とは、結局トーの事だったのだろう。彼らはあの後もつながりがあったのだろうか。首都に帰ったら尋ねてみようと思いつつ、但馬はアナスタシアが乗っているはずの馬車へと向かった。
馬車の回りには憲兵が立っていて、どうやら彼女のことを護衛していてくれたらしい。事情聴取はとっくのとうに終わっていて、詳しいことは襲撃者の方を締めあげて聞くから、彼女はもう帰っていいと言われた。
但馬は憲兵に礼を言うと、馬車の扉を開けて中にいる彼女に声を掛けた。
アナスタシアはさっきと比べれば大分落ち着いて見えたが、相変わらず気の毒なくらい青ざめていて、暗い車内に居るのに窓の外も見ないで、自分の足元だけを見つめていた。但馬が入ってきたことに気づいていないのか、ぼんやりとしていて触れたら消えてしまいそうだった。
「アーニャちゃん。帰ろう」
そんな彼女を気遣って但馬が優しく声をかけると、その時、初めて但馬に気づいたのか、彼女はピクンと動いてから、ゆっくりと但馬の方へ顔を向け……
「ううん……帰らない」
と言った。
「帰らないって? ああ……首都の家の方に帰ろうって言ってるわけじゃないよ。ジュリアさんの孤児院まで送るから、そこまで一緒に行こう」
それでもアナスタシアは頭を振った。まだショックが抜けきってないのだろうか。何がそんなに気に入らないのだろうかと首を傾げていたら、
「先生……私、ティレニアに行こうと思う……」
アナスタシアはチラチラと何度も但馬の顔を見ては、勇気が出ないのか結局足元を見つめたままで、
「ティレニアに行って、儀式を受けようと思う」
蚊の鳴くような小さな声で、そう呟いた。