呪い
「閣下! 大変です! 郊外の森からエルフが現れ、近くの村を襲い始めました!」
執務中に兵士がノックもせずに駆け込んでくるのも始めてなら、その内容も始めてで、状況がいまいち飲み込めない但馬はたっぷりと数十秒くらい、ぼけーっと兵士の顔を見つめていた。
ようやっと現実に戻って来た但馬が、ハッとして、
「どういう状況?」
と尋ねると、焦りがそうさせるのだろう、兵士は但馬にイライラとした口調で、
「はっ! 郊外に街を拡張中、その工事現場に突然エルフが現れたとの報告です」
「なんでエルフが出るようなところで工事してんの!?」
「もちろん、そんなことはありませんでしたよっ! 現場は森から数キロメートル離れている平地で、その近くの森も数日前に銃士隊によってエルフが一掃されていたはずなのです」
「え!? それじゃ、エルフが森から出てきたって言うの??」
兵士はじれったいとばかりに何度も何度も頷きながら、
「そうです! その通りです! 報告で聞く限りでは! 報告は工事現場から逃げてきた作業員からのもので、現場では作業員数名が命を落とした模様です。現在、駆けつけた憲兵隊が応戦している模様ですが、引き上げてきた作業員の話では、かなり一方的な状況だったと……その憲兵隊からの報告も上がってこない以上、全滅している可能性が高いかと」
兵士の慌てっぷりといい、その報告内容といい、タダ事じゃないと判断した但馬は、ようやく頭の回転が追いついてきたといった感じに、指示を出し始めた。
「すぐに銃士隊を向かわせよう……エリック! クロノアを呼んできてくれ。あいつ、今どこにいるかわかるか?」
「多分、駐屯地の練兵場だと思う」
「そうか。じゃあやっぱり駐屯地で合流しよう。リーゼロッテさん!」
「お伴します……」
このところ、エリックに代わって但馬の護衛についていたリーゼロッテが、すでに準備を整えて待っていた。国内では傭兵団の白装束ではなく、いつものヒラヒラのメイド服を着ているくせに、こっちのほうが強そうに見えるから不思議だ。
「近衛隊はライフルを装備して。現場には俺が向かおう」
「はっ! 我ら近衛の名にかけて、閣下をお守りいたします!」
現場へ向かう但馬を近衛兵たちが先導した。その物々しい雰囲気に、何も知らない市民たちが目を丸くしていた。先頭に立つ騎兵が苛立たしそうに通行人を追い散らす。何か良からぬことが起きたのは明白だった。
駐屯地に差し掛かると、中からクロノア率いる銃士隊が出てきて、何も言わずに近衛兵の隊列に加わった。
クロノアは但馬の横に馬を寄せると、
「エリック君から多少話は聞きましたが……平地にエルフが出たのですか?」
「どうもそうらしい」
「本当なんですか? うーん……信じられませんね。私も既に何体もエルフを倒している身ですが、そんなことは初めてです。何者かが化けてるという可能性は?」
「あるかも知れないけど、そう決めつけるのも早計だろう。エルフが出たって言うからには、相手は魔法を使うはずだ。どっちにしろ気を引き締めてかからねば」
「確かにその通りですね……部下たちにも、そう伝えに戻ります」
クロノアは但馬の意見を聞くや、ハッとした表情をしてから、部下たちの士気を引き締めるために隊列に戻っていった。
銃士隊はすでに国内で100を超えるエルフを仕留めていて、こと対エルフ戦では世界で右に出るものがいないスペシャリストだった。だから、報告を聞いても到底信じられなかったのだろう。
それを裏付けるように、クロノアによって発破をかけられた隊員たちは、但馬や近衛兵たちよりも明らかに困惑の度合いが強く見受けられた。
そんな具合にみんながみんな半信半疑ながらも、問題の現場に到着すると、そこはガラデア会戦最大の激戦地コリントスもかくやという有り様であった。
元は柱であったであろうコンクリ片があちこちに飛び散って、建物を建てるために掘り返された基礎はボコボコに穴が開いている。まるで空襲でも受けたかのように、周辺の草木が焦げ付いていて、木々の焼ける匂いと、人間が焼ける臭いとが入り混じった、なんとも言えない悪臭がたちこめていた。
あれと一度でも戦ったことがある者なら、間違いなくこういうだろう。これはエルフの仕業だと……
だがそれと同時に信じられなかった。兵士の報告通り、そこは森から何キロも離れた見通しの良い草原で、とてもエルフが現れるような場所じゃなかったのだ。
「……応戦した憲兵隊らしき死体が見つかりました」
現場に到着した但馬が呆然と辺りを見回していると、建物の瓦礫の山を調べていた兵隊から報告が上がった。恐らく、建物に隠れてエルフとやり合おうとしたが、逆に一網打尽にされたのだろう。
もう何年も優勢であったから忘れてしまいそうになるが、本来ならエルフは人間に狩られるようなものではなく、シェルターに隠れた人間をそのシェルターごと吹き飛ばすことの出来る、狩る側の生き物なのだ。
「これが、エルフか……」
恐らく、生きたエルフと対峙するのは初めてなのだろう。但馬を護衛するためについてきたはずの近衛兵の何人かが、絶望的な表情で恐れ慄いていた。顔色は真っ青を通り越して土気色をしている。これが普通の反応なのだ。
但馬はハッとして右のコメカミをポンと叩いた。その雰囲気に中てられてしまって、自分まで萎縮してしまっていたが、この中で最も索敵能力に長けているのは自分なのだ。緊張している場合ではない。
かくして、但馬が索敵を開始すると、そのレーダーマップはおよそ1キロくらい前方に動く赤い点を見つけ……
「あっちになにか居るぞ!」
そちらを指差すと、リーゼロッテとクロノアの2人は黙って剣を抜いて彼の前に立ちはだかった。
1キロとは言っても、見通しの良い平原である。そこに何かが居るのは、誰の目にも明らかだった。どよめく近衛兵たちを押しのけて、銃士隊が半円状に広がっていく。本来ならばこの隊形で、伝導体で作ったカゴを被って電磁的に擬態をするのであるが……既に目視で捉えられているくらい近づかれてはどうしようもない。
こりゃあ駄目だ……死人が出る。但馬はそう判断すると、
「俺が行こう」
と、マナを操り始めたが、それを制するかのように、
「いいえ、閣下。我々にもプライドがあります。ここは私にお任せください」
エルフ退治の専門家としての自負がそうさせるのか、普段の彼からは想像できない程の、威圧感を孕んだ声でクロノアが言い切った。
隊長のその言葉を聞いた銃士隊は覚悟を決めて、ライフルに弾丸を装填すると、もはや隠蔽することはせずに、立ったままクロノアの指揮を待っていた。どうせ隠れても無駄なら、この体勢のほうが都合がいい。元々、射撃の才能を買われて配属された兵士たちだから、止まっている的ならば2~300メートル先でも当てに行けるはずだった。
前方から迫り来る影が徐々にはっきりと見えてくる。どこか青っぽい肌をした小人。目と耳が異様に大きくて、その表情はなんだか不敵に笑って見える……いや、人間を小馬鹿にしているように思えるのだ。それが周辺のマナを集めて、ユラユラと蜃気楼のように揺れながら近づいてくる。
「総員構え!」
クロノアの合図で銃士隊がライフルを構える。流石、百体にも上るエルフを屠ってきただけあって、この緊迫感の中でも動作には一糸の乱れも見受けられなかった。対して、近衛兵達の方はまごついて、どうすればいいか分からないと言った感じで但馬の方を見ている。ただ、有り余る職業意識から但馬を守ろうとして、全員が但馬の前に出ようとしていたが、ライフルを構えるものと、慣れている刀剣を構えるものとでバラバラだった。多分、役に立たないだろう……
どうする……? 近衛兵は下げるべきか……? 但馬が迷っていると、クロノアが動いた。
「エリザベス様。どうにかして、エルフに一発魔法を撃たせたいと思います。私が先行し、エルフを挑発しますから、あれが魔法を詠唱しだしたところで、狙いを逸らしてくれませんか」
戦闘態勢に入ったエルフには攻撃が通じない。その周囲に立ち籠めるオーラが、あらゆる物理攻撃を遮断してしまうからだ。だから、普段は伏兵を用いて油断を誘うのが定石なのだが、先に発見されてしまっては意味がなかった。
故に、この状況で隙を作れるとしたら、エルフが魔法を使い、マナを放出した直後しかないとクロノアは考えたのだろう。
「作戦は了解しましたが、私のほうが前に出ますよ……屠龍」
「あっ! ちょっとっ!」
クロノアが止めるのも聞かず、リーゼロッテはさっさと駈け出して行ってしまった。そのあまりにきっぱりとした態度に唖然とする。クロノアとしては、危険な役割を自分が担当したかったのだろうが、実際問題、彼女の方が前衛に向いているのだから仕方ない。
クロノアは一瞬焦った様子だったが、こんな時に格好つけてる場合ではないとすぐに思い直し、自分も彼女を援護するために詠唱に入った。
「主よ、我に力を与え給え……万物の理、因果の交わり、悪龍の鱗を貫きし我が槍にて断ち切らん……」
前方ではエルフと交錯したリーゼロッテの剣の音が響き渡っていた。凝縮されたマナの塊のような2つのオーラが、まるでぶつかり合う剣から発する火花のように散っている。
彼女のその攻撃はあまりにも速く、そして無駄のない動きは洗練されていた。初めてエルフと戦った時とは比べ物にならないほどの激しい猛攻が、人間には絶対に倒すことが不可能とされたエルフを追い詰めていく。すると……
ジャッ……!
っと、空気を切り裂くような音がして、続いて、
ブワッ!
っと、霧のように鮮血が舞った。
いや、どこか青みがかったそれは、血と言うよりも、何かおぞましい物の体液と表現した方がいいとも思え、もはやそれがかつて人だったとは誰も想像がつかなかっただろう。
その場を取り巻く人々は驚愕に打ち震え、その姿に見入っていた。信じられないことに、リーゼロッテの剣がエルフに届いたのだ。
まさか、この世にエルフと互角の勝負を演じる人間が居るとは思わなかった。兵士たちからどよめきの声が漏れる。もしかしたら勝てるのでは……?
しかし、彼らのそんな淡い期待を裏切るかのように、
「くぅーーっっっ!」
ガンガンガンッ!
っと、鋼のハンマーが鉄を打ち付けるような衝撃音が耳障りに響いたと思えば、攻勢に立っていたリーゼロッテが、あっという間に守勢に回り、あまつさえエルフの攻撃によって、紙切れのように弾き飛ばされた。
もうもうと土煙が舞い、ゴロゴロと石ころみたいに人影が転がっていく。傷だらけのリーゼロッテは十数メートルも弾き飛ばされ、血しぶきを上げながらも、どうにか気合だけで膝立ちしていた。
そこへ追い打ちをかけるかのように、エルフが詠唱を開始した……だが、
「血の盟約に従い閃光と化せ。神の雷。我はリュダの末裔。主の御名において力を示せアスカロン!」
その隙をクロノアは見逃さなかった。
エルフがリーゼロッテに迫ろうとするその瞬間を捉え、間髪を入れずに詠唱を完成させると、彼の聖遺物が虹色にきらめき、信じられない熱量を帯びたレーザー光線のような光を発する。
それはリーゼロッテに気を取られていたエルフの脇腹を一瞬で捉え、その衝撃によって詠唱中だったエルフは苦痛に体を捻るように倒れこんだ。
瞬間、エルフが完成した魔法が、跪くリーゼロッテを掠めて遥か後方へと飛んでいった。
それは1キロ以上も先にある森へと到達すると、
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
っと、火山の爆発のような音を立てて木々をなぎ倒し、見が竦むほどの炎を吹き上げた。
もしもあれが彼女に直撃していたら……ゾッとして身をすくめる但馬や近衛兵たちとは違って、しかし、銃士隊の面々は自分たちの隊長を信じていたようである。
「撃てええええええーーーーーーっっっっ!!!」
腹の底までビリビリと震えるような号令が草原にこだますると、
パパパパパパーーーーーーンッ!!
っと、火薬の爆ぜる音が辺りに響き渡った。
その音と同時に、エルフが体をくねらせて血しぶきを上げた。右に左にキリモミしながら倒れる様は、まるでダンスを踊っているかのようだった。
距離は200メートルはある。その全弾が命中したとは思えないが、少なくとも致命傷を与えたことだけは確かだろう。
崩れ落ちるエルフは、まさか自分が人間たちにやられるとは思っていなかったのだろう。その時、始めてそれがかつては人間だったと思わせるような、驚愕の表情でこちらを凝視した。ガクリ……っと膝をついたエルフは、そのまま地面に倒れ伏す。
勝ったか……?
と、誰もが思ったその瞬間。エルフは最後の力を振り絞って、周囲に向けて何やら魔法を放つのだった。
パシャッ……
っと、水風船でも割れるような音がしたかと思えば、途端に銃士隊の何人かが糸が切れた操り人形のように倒れていく。彼らを真っ二つにしようとした魔法の刃が、腹をかすめて飛んでいったのだ。
まだエルフは絶命していない。誰かが止めを刺さなければ……
「こんのおおおおぉぉーーーーーーっっっ!!!」
すると、エルフに最も近い場所にいたリーゼロッテが、すかさずそれに向かって突進していった。もはや絶命寸前のエルフは抗しきれるはずもなく、彼女がまるでゴルフクラブでも振るうようにエルフを切り上げると、それは蹴り上げられた風船のように、ポーンと宙を飛んでいった。
放物線を描いて飛んで行くそれは、まるで藁人形のようだった。
トサっと鳥でも着地したかのような軽い音が聞こえた。あれだけの恐ろしい重圧を加えてきたものが、たったそれだけの体重しか無いことに誰もが驚かされた。絶命したエルフは、人間の子供と同程度の大きさでしかないのだ。
それでも念には念を入れて、リーゼロッテはとどめを刺すべく追いすがり……ザンっと剣を突き立てる姿を見て、ようやく、その場にいた兵士たちが安堵の息を漏らした。
「勝ったのか……?」
近衛兵の誰かがそう漏らすと、いつもは威風堂々とした態度の彼らが、次々と力が抜けたように地面に腰を降ろしていった。
だが、銃士隊の方はそうはいかなかったようである。
「ヒーラー! おい、ヒーラー早くっ!」
エルフの最後の一撃の犠牲になった数人が昏倒している。呼ばれたヒーラーたち駆け寄って行くと、近衛兵の中で心得のあるものも、はっと自分の使命を思い出したかのように、慌てて彼らの後に続いた。
但馬は部下とリーゼロッテの両方を心配してまごついているクロノアの肩をポンと叩くと、血しぶきを立てて倒れた銃士隊の方へと向かった。それを見てクロノアはリーゼロッテの方へと走って行く。エルフの最後を見届けるために、彼の部下の何人かがその後に続いていった。
倒れた兵士は腰のあたりをざっくりと切り裂かれていた。
恐らく、腹を真っ二つにしようとして狙いが逸れたのだろう。それで致命傷に至らなかったようではあるが、そのギザギザの傷口からは骨が見えていた。めちゃくちゃ痛そうだ。尤も、普通なら早く縫合して包帯でぐるぐる巻きにすべきところだが、こちらにはヒーラーが複数いる。
但馬は顔を顰めて、兵士を治療しているそのヒーラーに、
「早く塞いであげてよ、これじゃあ可哀想だ」
と言った。傷口が塞がってないのは、彼がまだ詠唱を開始していないからだと思ったからだ。ところが、ヒーラーは慌てたように何度も何度も詠唱を口走っており……
見れば、じわじわと傷口が塞がっては行くものの、そのスピードが遅すぎる。その間も傷口からはドクドクと血が流れ出しており、昏倒する兵士の表情が、いつの間にか苦痛から無表情に変わっていた。
もしかして、あまり経験のないヒーラーなのだろうか? 但馬がプレッシャーをかけたせいだろうか。なんにせよ、このままにしてはおけない。
「おいっ! 誰か止血っ! 消毒した布で傷口をギュッと抑えろ! 早くっ!!」
慌てて彼が叫ぶと、衛生兵が飛んできた。戦場では負傷者の数に比べてヒーラーの数が不足しがちだから、もちろん、最低限の応急処置を行える兵士も居る。しかし、銃士隊のような特殊部隊は、そうならないように十分なヒーラーを配属してあったはずなのだが……
「おいっ! 衛生兵っ! こっちも頼む!」「こっちもだっ!」「すまないっ! 急いできてくれないか!!」
ところが、おかしなことに、あちこちから但馬と同じように衛生兵を呼ぶ声が聞こえてくるのだった。
どういうことだ? そう言えば国内にヒーラーが不足しているとフレッド君が言っていたが、まさかこんな重要な部隊までもが、練度不足のヒーラーだらけになってしまったと言うのだろうか?
詳しいことを聞きたいが、目の前のヒーラーは、今も必死になって詠唱を続けている。それを邪魔するわけにはいかない。但馬は自分にやれることがないと察すると、せめて彼の精神を圧迫しないようにと、その場から離れた。
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状況は最悪だった。
結局、あの後、エルフの死骸の検分を終えたクロノアが帰ってくるまでに、一人の兵士の命が失われた。ヒーラーはみんな手を抜いてるようには見えなかった。驚いた衛生兵たちも、適切な応急処置を施していた。それでも、ざっくりと腹部を切り裂かれた兵士は、血を流しすぎたショックで、そのまま帰らぬ人となってしまった。
リーゼロッテと共に現場に戻って来たクロノアは、自分の部下が死んだと知ると、呆然と立ち尽くし、そんなことはあり得ないと首を振った。
彼が言うには、ヒーラーたちは部隊の発足時から配属されている熟練兵で、今まで幾度も命を救ってくれた古強者達だったのだ。部隊の兵士たちからの信頼も篤く、本人たちもプライドを持って仕事をしているはずだった。
だから、まさか自分がこんなドジを踏むとは思わず、ヒーラーたちは全員が全員、真っ青な顔をしていた。誰も彼もが、事態を上手く飲み込めなかったのだ。
「もしかして、エルフの呪いか何かでしょうか……?」
傷口の塞がる速度は、明らかに普段とは比べ物にならないくらい遅かった。まるで、本当に呪いでも掛けられているかのようだった。
だが、そんなことは今までに一度も無かったのだ。銃士隊はこれまでに100を超えるエルフと戦っており、今回のように傷を負うことだってあった。なのに、今回だけ呪いのようなものがかかると言うのは腑に落ちないではないか。
「でも、前例が無いといえば、今回のやつはこれまでと違って、森から這い出てきたってやつでしょう? 呪いの線も捨てがたいのでは」
誰かが言う。言われてみれば、どうしてこのエルフは森の外へ出てきたのだ?
エルフの生態は謎が多かったが、今となってはある程度のことは分かっている。エルフは生きるために大量のマナを必要とするがゆえに、森みたいなマナに満ちた空間で、あまり動かずに、それこそ木のようにじっとして過ごしていることが確認されている。人間が近づいてきたり、亜人に誘導されないかぎり、移動するということは滅多にしないはずなのだ。
「では、亜人がエルフを追い立てたんでしょうか?」
「可能性はあるだろうが、今更、リディアにそんなことをする勢力が居るとは思えないな。それに、可能性だけで言ったら、馬鹿な人間が度胸試しで森に入ってエルフを呼び込んでしまったということもあり得る」
考えだしたらキリがないだろう。それよりも、今気になるのはヒール魔法が効きづらくなっていると言う呪いの方だ。
「でも、本当に呪いなんでしょうか」
クロノアが言う。
「呪いと言うのは、取り敢えずの比喩さ。おまえが言った通り、彼らが熟練のヒーラーなら、こんなこと呪いでも掛けられなければあり得ないだろう?」
「ええ、そうなんですが……」
クロノアはそう言うと、やはり腑に落ちないといった顔つきで……いきなり、自分の剣を抜くと、
「……つっ!」
その鋭利な刃で自分の二の腕を軽く傷つけた。一直線の傷口から、じんわりと球のような血がにじみ出てくる。見ているだけで痛そうだ。
「おい、おまえ、なにやってんだ!?」
「物は試しですよ……お疲れのところすみませんが、誰かヒール魔法をかけてくれませんか」
隊長が言うと、慌ててヒーラーの一人が駆けつけてきて、彼に手をかざして祈りの言葉を唱え始めた。
それは何度も見た光景だった。ヒーラーがキリストを称える言葉を唱えると、周囲から緑色の光が集まってきて、術者と患者を光の繭のように覆うのだ。すると物理的な外傷はみるみると塞がっていき、場合によっては、欠損した手足が生えてきたりもする。
言い方はあれだが、ありきたりな奇跡の光景が始まるはずだった。ところが……
「これは一体……」
先ほどと同じだった。クロノアの傷はじわじわと塞がってはいくものの、その進みは非常に遅く……驚いた別のヒーラーが駆け寄ってきて、二人同時で行っても、その速度は一向に上がる気配が見受けられなかった。
但馬は眉を顰めてその光景をマジマジと見つめた。
「どういうことだ……? この土地自体が呪われてるのか? それとも……」
世のヒーラーの力が衰えているとでも言うのだろうか……?
ふと、つい最近、親父さんやフレッド君と話した時のことを思い出した。
このところ、S&H社のヒーラーが他社に引き抜かれたり、もしくは色々と理由をつけてはやめていく……新たに雇おうと思っても、何故か国内にヒーラーが少なくなっている。
色々な理由とは、どんなものだったのだろうか。話の流れから、他社に引き抜かれたヒーラーが嘘も方便と適当なことをでっち上げているのだと思っていたが……
もしかして、そのやめていったヒーラーたちは、自分の力が弱くなっていることに気づいて、職務が全うできないと思ったからなのではないか……?
「失礼ですが、あなた方は最近、自分の力が衰えたというように感じたことはありませんでしたか?」
幸いなことに、ここには数人のヒーラーが一堂に介しているのだ。わからないことがあれば聞けばいい。もしやと思った但馬が、そんな風に率直に訪ねてみると……
果たして彼らは質問に対し、お互いに顔を見合わせてから……
「実は……」「もしかして、おまえもか?」「気のせいじゃなかったんだ……」
兵士たちからどよめきが起きる。ヒーラーが力を失くすことはあるが、こんな何人も同時に起こることは普通では考えられない。
エルフが森から出てきたことといい、ヒーラーが力を失いつつあることといい……どうも、なにか良からぬことが起きているような……
おかしなことはそれだけではなかった。
ヒーラーに起きた異変について但馬たちが話し合っていると、何か腑に落ちないものでも感じたのであろうか、珍しくリーゼロッテが口を挟んできた。
「社長……先ほど、エルフと戦った時なのですが」
「ああ、リーゼロッテさん。知らないうちに腕を上げたなあ。さっきはもしかして、あのまま倒しちゃうんじゃないかと思ったよ」
但馬がそんな風に褒めそやすと、彼女は難しそうな表情をしながら、
「いいえ、私はそんなに変わってないと思います。寧ろ……私ではなく、エルフのほうが変わったと言いますか……もしかして、弱くなっていたのでは?」
「……え?」
「もちろん気のせいかも知れません。もう一度戦う機会があれば、はっきりするでしょうが……」
出来ればそんな機会はないに越したことはない。だから気のせいだろうと言って、リーゼロッテは兵士たちから距離を取るように、数歩下がった。
と、そんな時だった。
パカラッ……パカラッ……! っと、馬の走る音が遠くから聞こえてきた。見れば、一人の近衛兵が早馬を走らせて、こちらへ向かって必死の形相で走ってくるところだった。彼は前方に但馬たちを見つけると、一瞬ホッとした表情をしてからすぐにそれを引き締め、難しい顔をしたまま馬を寄せてきた。
嫌な予感しかしない……
但馬は下唇を噛みしめると、どうせ用事があるのは自分であろうと、早馬が走ってくる方へと自分から歩み寄っていった。すると、但馬の姿を見つけた兵士は、彼の下まで馬を走らせてくると、その馬から飛び降り、
「閣下! 至急、首都までお戻りください!」
「何があったの?」
今度はなんだ。もしかして、エルフが首都近辺に現れたのだろうか? それとも、ヒーラー不足で病院でも潰れたのだろうか……しかし、事態は但馬の予想の範疇を超えていた。
「はっ! つい先程、閣下の領地ハリチにて、大規模な爆発事故が発生した模様です! 何かの薬品が燃えているのか、爆発は断続的に起こり続け、その余りの火の勢いに、消防も近づけず、未だに炎上を続けている模様です!」
但馬は、自分の血の気が波のように引いていくのを感じた。首都ではなく、領地……そこでは今、誰が何をやっていたか……
彼は、ようやく絞りだすようにして尋ねた。
「……出火元は?」
「閣下の工場と思われます! 現在、街中に延焼を続けており、街は火の海、多数の犠牲者が出ている模様です。重傷者の中には工場長のシモン様の姿もあるようで、ロス卿が現地と電話でやりとりをしているところですが、状況が芳しくないからと……閣下……閣下!」
但馬はへなへなとその場にへたり込んだ。
どうしてこのタイミングで、こんな最悪の事故が起きるのだ。
たった今、ヒールが効かなくて命を落とした兵士が居た。
そして今、ハリチは火の海で、親父さんが重症だという……
ここにいるヒーラーたちが、同時に力を失ったのは偶然ではないはずだ。だったら、ハリチに今いるヒーラーたちはどうなんだろうか。
但馬は絶望的な状況のなかで、それでもこの場でへたり込んでいる場合ではないと、なんとか現場へ向かおうとした。
しかし、腰から下の力が抜けてしまって、中々思うように立ち上がることが出来なかった。