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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
287/398

暗雲

 親父さんとの会談の翌日、ハリチの工場では新たにロケットエンジン開発が始まった。寝坊して午後から出社した但馬がいそいそと工場へ訪れると、すでにプロジェクトを開始していた新たな開発チームがやってきて、昨日の会議で聞いた時から是非挑戦したいと思っていたと嬉しそうに語っていた。


 プロジェクトリーダーは万全を期して親父さんが努め、それを補佐する技術者達も、ここ2年間で内燃機関の開発に従事していた、エンジンの専門家ばかりだった。何もかも一から創りださねばならない環境故に、必然的に材料工学にも精通した彼らであれば、きっとやってやれないことはない……但馬はそう確信し、自分は早いうちに設計を仕上げるからと言って首都へと戻った。


 やらなければいけないことはまだまだ沢山ある。ただロケットを飛ばすだけでは回収の見込みすら立たない。ミサイルと違うのだから、無線通信機が必要だろうし、地上に着陸するための帰還システムも必要だ。幸い、リディアは赤道近くの国で基地に出来そうな土地の候補は沢山あるし、場合によっては海外領土に作るのもありだろう。


 それよりもまず問題なのは、この無謀で金がかかる挑戦を、本社の金庫番を相手に、いかに説得するかと言うことである。


「何を言ってるんですか社長!」


 首都リンドスへ帰った但馬は、いつもならば帰還の報告を兼ねてインペリアルタワーのブリジットの下へ行くのが常だったが、その日は真っ先にS&H社の本社へと向かった。


 その頃のS&H社は、インペリアルタワーのある中央公園前の賃貸ビルから、西区ターミナル駅前の一等地に10階建てのビルを建てて移転していた。近くにはコルフ大使館もあり、但馬の目論見通り、西区ターミナルは、今となっては副都心として立派に成長を遂げていた。


 インペリアルタワーより大きくはないが、本社ビルも周辺と比べるとかなり目立つので、リディアの新たなランドマークとして、待ち合わせに使われたり、目の前の広場に屋台が出たりして人が集まって、観光地としても知られていた。


 但馬はその最上階にある社長室とは名ばかりの、フレッド君の執務部屋までやってくると、オーシャンビューの映えるガラス張りを前にモジモジしながら、開発費の無心をした。


 すると案の定と言うかフレッド君は即座にブチ切れた。


「そんな無駄なことに使うお金がどこにあるっていうんですか!? 我が社は確かにリディア一の大企業ですけど、大企業故に大勢の社員を抱えていて、もう無駄遣いなんて出来る立場じゃないんです! そうでなくても、リディアが世界経済の中心となった今となっては、ライバル企業もあちこちに出来ちゃいましたし、ちょっとの油断が命取りになることだってあり得ます! 社長には、もっと健全な目を持って会社運営してもらわなければ困りますよ!」


 大人になって大分落ち着いてきたが、相変わらず声が大きいフレッド君のギャンギャンと言うお叱りを、但馬は耳に指を突っ込みながら交わすと、


「そんなこと言わずにさあ。お金の心配なら、俺の給料全部当てちゃっていいし、本命の小型エンジン開発の方もやらないわけじゃないんだ。あっちが順調だから、その仕上げだけ他に任せて、最先端の開発チームは次に回そうって話で。自家用車が売りだされたらきっと凄いぞう? こんな道楽なんて些細なもんだって分かるくらいに儲かるはずだから、それを当て込んで、さ」

「仮にそうだとしても、このロケットってのは何の役に立つんですか!? 具体的に!」

「え? うん、そうだなあ……具体的にって言われちゃうと困っちゃうけど」


 フレッド君はプンプンしながら、


「エンジンみたいに、後で必ず役に立つのがわかってるならともかく、何の役に立つかもわからないものにはお金を出しづらいですよ。もちろん、ここは社長の会社ですから、方針決定には従います。でも、開発陣をそちらに回すってことくらいしか出来ませんよ? あとは全部社長のポケットマネーでお願いしますからね!」

「わかったわかった。それで十分だよ」


 但馬は最低限の約束を取り付けてホッと胸をなでおろした。国務大臣になってしまってからは、フレッド君には会社を任せっきりで、年々頭が上がらなくなってきていた。因みに、貴族化してからはハイソサエティな付き合いも広がり、若いこともあってものすごくモテるらしい。悲しいことだが女性経験は但馬よりも上であることは間違いない。


 因みに、フレッド君は但馬の会社と言っているが、株式会社化して但馬の持ち分を減らして以来、事実上、既にS&H社は彼の物になっていた。この会社の筆頭株主は、実は副社長であるフレッド君の祖父なのだが、若いのが天狗になってはいけないからと言って、本当のことを知らせて居ないのだ。


「それじゃ、俺はブリジットに帰還の報告にいかなきゃならんから。なんかあったら電話で連絡してね。あっちの執務室にいるんで」

「あ、社長! 待ってください!」


 フレッド君の気が変わる前にと、但馬がそそくさ社長室から出ていこうとすると、後ろから呼び止められた。


「なんだよ。今更前言撤回しても遅いぞ?」

「そんなことしませんよ。それより、今出て行くとマズイですよ!」


 彼はそう言って手招きした。なんだろう? と首をかしげ、彼に促されるままに窓から外を覗き込んでみたら……


「S&H社の独占を許すなー!」「独占反対ー!」「但馬波瑠は、利益の再分配をしろー!」「独裁者から国民を守れー!」


 本社ビル前の広場で、何やらプラカードを抱えたラップとか刻みそうな集団が叫んでいた。いつかどこかで見たことのある光景に、なんじゃこりゃ? と口をあんぐりしていたら、


「社長が本社に入ったのに気づいて来たんでしょうね……最近、こう言う嫌がらせが後を絶たないんですよ!」

「独占なんてしてないだろう。なんでこんなことされにゃならんのだ」

「ライバル会社がうちから仕事を奪うには、足を引っ張るのが一番手っ取り早いですからね……なのに社長が、あの手の卑劣漢たちを取り締まろうとしないから!」


 フレッド君が珍しく語気を強めて怒っていた。いつも大声だが、どこか愛嬌のある彼にしては珍しい。それくらい、頭に来ているようだ。


 但馬が取り締まらないというのは、デモ隊のことだろう。


 リディアは労働人口を移民に頼っているのに、それを排除するようなことをしていてはお話にならない。言論の自由や結社の自由の認めて、様々な意見を聞く体勢を維持しなければならないだろう。そのためには、寛容性(リベラリズム)が一番重要な要素と言えた。


 リベラルと聞くと毛嫌いする向きもあるだろうが、耳の痛い意見を最低限聞くだけはしなければ、多様性は保てないだろう。民主国家にとって、その寛容性は最低限必要な一要素であることは間違いないのだ。まあ、リディアは民主国家ではないのだが……


 但馬はそう言った理由で、届け出さえすれば、誰でも集会やデモが行えるように認めているのであるが……


「こんな私怨みたいなやり方は、そもそも認めてないんだが……憲兵はなにやってんだ?」

「すぐに来ますよ、見ててください!」


 彼の言うとおり、間もなく駅の方から憲兵隊がやって来て、デモ隊を追い散らそうとした。しかし彼らは何やらごちゃごちゃと言って粘り(恐らく、権利が認められてるとかなんとかゴネてるのだろう)、やがて埒が明かなくなった憲兵隊が次々と応援を連れてきたところで、ようやく解散した。


 プリプリと怒っているフレッド君が言うには、最近ではこういうことがよくあることらしい。


「こりゃあ、明らかに素人の手口じゃないな。やり慣れてるっていうか……」


 現代風に言えば街宣右翼とかプロ市民みたいなものだが……対象が一企業ということは、多分、正体はマフィアみたいなものだろう。もしかしたら、こういうビジネス(しのぎ)が成立してるのかも知れない。


 それを裏付けるように、フレッド君が続けた。


「この前、タチアナさんが教えてくれましたけど、一昔前のコルフでよくあることだったそうです。あっちが取り締まりを強化したから、まだ緩いリディアに流れてきたのかもって言って、謝ってくれてました。悪いのはあいつらなのに!」


 長らく商業国家をしているコルフからとなると、本格的にマフィアが上陸してしまったのかも知れない。これを取り締まるのはかなり根気がいるだろう。面倒なことになった。


 それにしても、タチアナから聞いたということは、彼女はよくここに遊びに来てるのだろうか。戦争でブリジットと一緒にエトルリアに行ってしまったせいで、大使になったばかりの彼女のサポートがあんまり出来なかったのが気がかりだったのだが……


「はい! ご近所さんですからね。うちで新商品開発したら挨拶に持ってきますし、そのお返しでたまにお菓子を持って遊びに来てくれます」


 エリオスもそうだったが、どうやら但馬があれこれ手を回さずとも、それぞれの大使はお互いに今の生活を満喫しているようだ。遊び……と言う単語は気になったが、慣れない異国の地でホームシックに掛かられるよりは、そのくらい気楽な方が良いだろう。これからはブリジットの遊び相手にもなってくれるだろうし。


「そっか。取り敢えず、こう言うことが起きてるってことは参考になった。あの集団の背後関係を調べて、場合によっては議会で対処するよ」

「そんな面倒なことしないで、不敬罪で取り締まっちゃえばいいじゃないですか!」


 但馬はケラケラと笑った。


「不敬罪って。俺は王族じゃないぞ」


 するとフレッド君はオーバーリアクションで、盛大な溜息を吐きつつ、


「宰相は皇帝の政務補佐で、その言葉は陛下と同等に扱われます。立派に不敬罪の対象ですよ!」

「だとしても、気に喰わないからってポンポン首を刎ねてたら、いずれ人がいなくなっちゃうだろう。ある程度は寛容であるべきなんだ」

「社長のそれは度を越してると思いますけど!」

「そうかなあ~」


 なんだか最近は小言が多くなってきた気がする。昔の素直だったフレッド君はどこへ言ってしまったのだろうか。逃げ時を失った但馬が、冷や汗をかきながらお小言を聞いていると、やがてその空気を察したか、フレッド君は仕方ないと言った感じに肩を竦めてから、


「まあ、偉ぶらないところが社長のいいところでもありますしね。でも、社長が損をしてまで貫くようなポリシーじゃないと思いますから、気をつけてくださいね!」

「分かったよ。それじゃ、俺はそろそろ帰るから……」


 但馬はホッと溜息を吐くと、これ以上怒られないうちに退散しようと入り口まで歩いて行った。そしてドアを開いて出ていこうとしたところで、ふと、もう一つの用事を思い出して引き返してきた。


「そうだったそうだった。忘れるところだった」

「あれ? 未だ何かありましたか!?」

「うん。実はハリチで親父さんと話してた時に言われたんだけど、工場の常勤ヒーラーの数が少なくなって困ってるって。なんか他社に引き抜かれてるようだけど」


 するとフレッド君は眉を顰め、


「そうなんですよ……これも嫌がらせの一環だとおもうんですけど」

「危険な作業もする現場だから、ヒーラーがいないのはまずいだろう。多少、色をつけてでも、最低限の数は揃えておいてよ」

「そうですね、わかりました!」


 フレッド君はすぐに承諾してくれた。しかし、何か気になることがあるらしく、


「でも、変なんですよねえ……」

「変って何が?」

「はい! うちから引きぬかれてるのも確かですし、国内のヒーラー需要が大きくなったのも本当なんですけど、それにしたってうちの高待遇で定員割れしちゃうとは考えづらいですよね?」

「そうだなあ……」

「もしかしてなんですけど……元々の数が少なくなっちゃったんじゃないでしょうか?」

「元々の数って……国内のヒーラーの数が?」

「はい! 確かに、そんなに沢山いる才能じゃないんですけど、うちの会社が出来てからは、需要に応じて沢山のヒーラーさんがリディアにやってきてたはずなんです。その数が、ここ1年は目に見えて減ってきてるような」


 但馬は、う~んと唸ると、


「……アスタクスの方でも、復興特需や大陸鉄道なんかの計画があるから、そっちに流れてるのかも知れないな。フリジアやアクロポリスで募集をかけてみたらどうだろうか」

「そうかも知れませんね……わかりました! やってみます!」


 但馬はフレッド君とそう確認しあうと、社長室から出て行った。


 本社前の広場にはもう誰もいなくなっていて、先ほどの騒ぎが嘘みたいだった。宰相としてインペリアルタワーにばかり居る但馬は気付かなかったが、こんな騒ぎが最近はよくあるらしい。待遇改善を求めるデモ隊や、格差是正を訴える集会の話などはよく聞いていたが、それを真似してあちこち歪みが出てきてるのかもしれない。


 これは一度、取り締まりを強くして、国内の歪みを正さねばならないかも知れない……但馬はそんな風に考えながら、馬車に乗ってインペリアルタワーへと向かった。


 しかし、この時の但馬の決意は、ほんの些細なものだった。フレッド君の不満も大して気に留めていなかった。但馬はそれらの異変をすぐに忘れてしまうと、頭の中はロケットのことでいっぱいになってしまったのだ。


 彼にとって、一番の懸案事項は確かにロケットだったかも知れない。だが、但馬はもっと危機感を持つべきだったのだ。国内はこの時、但馬の緩い治安維持体勢を突いて、マフィアやデモ集団が幅を利かせて徐々に乱れつつあったし……


 フレッド君の違和感の通り、国内のヒーラーは本当に数が減っていたのだ。


 そして、ついに異変が訪れる。


 ある日、但馬が執務室で仕事をしていると、慌てた近衛兵が駆け込んできて、一大事を告げた。


「閣下! 大変です! 郊外の森からエルフが現れ、近くの村を襲い始めました!」


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