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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
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最期の思い出

 但馬の様子がおかしいとブリジットから連絡が入ったのは、彼が領地入りする数日前のことだった。


 電話を受けたリーゼロッテは、心配する彼女に大丈夫だと気休めを言ったが、内心では今更だと思っていた。そんなことは1年前からとっくに気づいていたのだ。


 1年前のこと。シルミウムで調査を命じられた彼女は、エリックとダラダラ仕事をしつつ、突然やってきたクロノアにドギマギしつつ、無愛想なシロッコにダメ出しされつつ、渋々仕事をしている最中、突然、大事にしていた父親の形見である聖遺物が無くなった。


 アクロポリスの世界樹で似た現象を経験していた彼女は、すぐに但馬に何かがあったのだと察知して、シルミウムの調査を男たちに任せ、自分は最速の方法でコルフへと向かった。


 最速と言っても何しろ大陸を縦断するような距離であるから、それでも1週間はかかってしまい、結局、彼女がコルフに到着した時には、とっくに但馬とアナスタシアはリディアへ帰ってしまっていて、何にもならなかったのだが……


 彼女は、主人のピンチに駆けつけることが出来なかった自分を歯がゆく思いつつも、どうにかこうにか気を取り直し、彼に同行していたエリオスに、その時の状況を詳しく尋ねてみた。


 それによると但馬はティレニアの王族みたいな連中と揉めたらしい。戦闘になりかけて、実際に剣も抜いたのであるが、相手の親玉の必死の謝罪で大事には至らず、全員無事に下山は出来た。その様子からして、突っかかっていったのは但馬の方だったようだが……ただ、どうしてそうなったのか、その理由を聞いても、エリオスにも詳しくは教えてくれなかったそうだ。


 但馬の忠実な部下である彼はそれで納得できるのかも知れないが、リーゼロッテはそうはいかなかった。だからアナスタシアに聞けば何か分かるかも知れないと、リディアに帰ってきてから彼女に尋ねてみたのだが、その彼女も何か知っているような素振りではあったが、頑として教えてくれなかったのだ。


 もちろん、納得は出来なかった。だが、しつこく聞いているうちに、その様子がどこか怯えてるようにも見えてきて、悩んでいるのは但馬だけではないと気づいてからは強くは聞けなくなり、それ以降はもう無理に尋ねないようにしていた。


 問題の但馬の方はそれ以来、いつも以上に自分の仕事に邁進しているようで、傍から見ると特におかしな感じはしなかったし、周囲も気にしてない様子だった。だが、以前にも一度やらかしているが、この男が妙に仕事に根を詰める時は、怪しいと思っていたほうがいいのだ。


 そう思って、リーゼロッテはこの一年間、出来る限り彼のそばで見守ってきたが、そのほころびが段々と出始めてきているようだった。


 国内で辣腕を振るう彼は、例えば新興の企業や移民たちからは、絶大な権力を利用して頭を押さえつけてくる傲慢な権力者として忌み嫌われ、長くリディア王家に仕えていた保守系の貴族たちからは、王権を簒奪しようしてるのではないかと警戒されつつあった。


 実際には全くその逆で、彼は自分の立場に無頓着だし、寧ろやめたいとすら思ってる節があった。でなければ、自分の立場を危うくするようなデモ集会を取り締まらないわけはないのだ。だから彼に近しい人間であれば、そんな勘違いはしないのであるが、しかし、最近の彼は何を焦っているのか妙に強引なところがあり、彼を支える者たちからも苦言が出る始末であった。


 今日もそれと似たようなことがあったらしく、会議のために久々にハリチの研究所へやってきた但馬は、朝も早くから待ちきれないとばかりにいそいそ出かけていったくせに、午後になる前に意気消沈して帰ってきた。


 どこか興奮気味な姿を見ると、何かが上手く行かなかったのは明白であったが、使用人たちには何も告げず、帰ってくるなり不貞腐れるように自分の部屋へと閉じこもってしまったので、何があったかは見当がつかなかった。


 ただ、場所が場所だけに、大方の予想はついた。多分、親父さんあたりと喧嘩にでもなったのだろう。その証拠に、夕方を過ぎて日が傾いてきた頃、但馬の屋敷にその張本人が訪ねてきた。


「やあ、リズ。久し振りだね。ご主人様は居ますか」


 会議を終えた後、そこに一緒に出席していたリオンを伴って、彼は屋敷にやって来るとリーゼロッテにそう言った。その様子がサバサバしているところを見ると、どうやら彼の方には何のわだかまりも無いらしい。但馬が一人で不貞腐れているというところだが……


「社長は帰ってくるなり部屋に閉じこもって、誰も通すなと仰ってました。一体、何があったんです?」


 彼女が尋ねると、親父さんとリオンは、う~ん……っと難しそうな顔をして肩を竦め、ちょっと苦笑しながら昼間の出来事を話し始めた。


 その仕草がそっくりなところを見ると、2人はまるで親子みたいだったが、本当に小さかった頃は、寧ろ嫌われていたらしい。


 リオンは但馬と別れてハリチで暮らし始めてからは、医師であるサンダースに師事して微生物学者として花を開いた。彼は師匠を手伝って、新薬の研究や菌の培養を行っていたが、それと同時にアナスタシアと一緒に作ったハンググライダーの改造もやっていて、休日になると高原に出かけて行っては、ちょくちょくと飛ばしていたらしい。


 同じ頃、高騰する首都の地価に耐えられず、S&H社の工場もハリチへと続々と移転してきていた。すると高原でグライダーを飛ばすリオンはすぐに評判になって、日曜日になると勝手に技師たちが集まってきて、やがてクラブ活動みたいになっていった。


 クラブ活動とは言っても、部員は工場で働く技師達だから、やることはどんどんエスカレートしていき、初めはちょっとした修正やら素材の交換だけだったのだが、次第に主翼の大型化、操縦席の確保、バランスを取るための尾翼の作成と進んでいって、やがて本物のグライダーに近づいていった。


 機体が大型化することのメリットはより多くの揚力を得ることだが、同時に離陸速度が上がっていくというデメリットがあり、こうなると人間、動力も付けたくなるのが人情で、丁度その頃、工場で開発中だったエンジンを取り付けたら面白いんじゃないかと言う話になった。


 リオンから相談された親父さんは、船舶のスクリューの研究をしていたこともあり、それは面白そうだから是非やってみようということになって、トントン拍子に今回の会議で提案するつもりだったのであるが……


「社長は俺達なんかより、もっと先を見据えてたみたいでね。リオンちゃんが発表するより先に、もっと凄いこと言い出してしまって、みんなガッカリしちゃったんだが……ただ、俺は話を聞いてても、どうにも彼が無茶を言ってるようにしか思えず、彼の意見に反対したんだ」

「無茶を……?」

「無茶と言うか、焦ってるような感じなんだ……本当なら段階を踏んで進んでいかなければならない道を、一足飛びに駆け抜けようとしてると言うか。誰も通ったことのない道でそんなことをしたら、足を踏み外して真っ逆さまに落ちてしまうかも知れないだろう? それで、社長には何かが見えてるのかも知れないが、他の人達はそうでないから、もっとゆっくりやっていこうと提案したんだが」


 但馬はそれには納得しきれず、もう良いと言って不貞腐れたかのようにして帰ってしまった。


 この態度に若い技師たちも困惑し、会議は意気消沈して、一旦はお開きになりかけてしまった。だが、機転を利かせたリオンがクラブの仲間と飛行機を作りたいと提案すると、俄然盛り上がり始めた。やはりみんなこう言う話が好きだし、先ほどの但馬の目的にも近いから、やってみるのも悪く無いんじゃないかと話がまとまったのだが、


「ただ、多分、社長はこれでも満足しないと思うんだ。だから、何がそんなに気に喰わないのかと、ちゃんと話し合ってみようかと思ってね、今日は来たんだけど……」

「なるほど……」


 リーゼロッテは親指の爪をガジガジと噛んだ。


 但馬には誰も通すなと言われているが、相手は彼が最も頼りにしている一人である。追い返すよりは寧ろ通したほうが、彼の機嫌も直るのではないだろうか。


 それに、自分では聞けないことも、親父さんなら聞き出せるかも知れない。


「社長はご自分の部屋に閉じこもっておいでです。誰も通すなと言いつけられておりますが、あなたを追い返したと言ったら、逆に怒られるかもしれません。一応、ご来訪の旨をお伝えしてみましょう」

「ありがとう、助かるよ」

「いえ……それで、一つ相談があるのですが……」

「……? なんだい?」

「このところ社長の様子がおかしいのは、工場長さんもお気づきかと思いますが、実は1年前にこんなことがありまして……」


 リーゼロッテが相談を持ちかけると、親父さんは真剣になって耳を傾けてくれた。


**********************************


 机に突っ伏してウトウトしていた但馬は、ハッと目を覚ました。書斎の壁には振り子式の柱時計が飾られていて、それが規則正しくカチカチと音を鳴らしていた。埃っぽい部屋のカーテンの隙間から日が差し込み、見ればもう夕方過ぎのようである。どうやら、少し眠ってしまっていたらしい。


 背筋を伸ばし、欠伸をかましたところで、昼間の自分のことを思い出し、気分が滅入ってきた。


 会議ではみっともないところを見せた。このところ、夜も眠れぬ焦りからか、少し精彩を欠いていたのかも知れない。親父さんと会うのも数ヶ月ぶりなのに、喧嘩別れするような真似をして、今は心底恥ずかしかった。本当は、今日は家に招いて食事をする予定だったのに、誘いもしないで帰ってきてしまったが、後で謝りがてらホテルまで迎えに行ったほうが良いかも知れない。


 しかし、どの面下げて会いに行けばいいのやら……溜息を吐きつつ、但馬はカーテンを開けた。


 窓には西日が差し込んでいた。元々、ハリチは山の斜面のせいでほぼ西からしか太陽が当たらない。しかし午後の日差しはキツイから、基本的にカーテンを閉めて過ごしているせいで、せっかくの絶景も意識しなければ拝めない。


 カーテンから覗く海には、いま丁度、太陽が沈もうとしていた。海面がキラキラと輝いて、はっとするほど美しかった。ある意味見慣れた光景でもあったが……


 但馬は遮光板を取り出すと、それを翳して太陽を見た。


 あの太陽は偽物だ……


 1年前、勇者病の足跡を辿って辿り着いたティレニアの世界樹で教えられた世界の秘密は、今考えても到底信じられないようなものだった。


 この世界は一度滅び、その滅んだ原因であるパルサーの影響から脱するために、地球ごと太陽系から飛び出してしまったと言うのだ。


 但馬はその話を聞いた瞬間、今までの謎を覆っていたベールが音を立てて崩れていくかのような衝撃を受けた。妙に気温が低いのも、どこにも惑星が見つからないことも、人類がこうして無事に生き延びていることも……


 だからあの瞬間は、すぐにそれは真実だと、殆ど疑うこと無く信じてしまった。だが、今にして思えば、本当にそうなのだろうか。


 例えば、地球の周りを偽の太陽が回ってるのだとして、その質量はいかほどの物なのだろうか。その潮汐力はどうなってるのだろうか。公転周期はどのくらいなのだろうか。あれはどのくらいの熱量を持っていて、地球をどのくらいの距離から照らしているのだろうか。


 殆ど日食が起こらないことや、一日の長さに違和感を感じさせないところからすると、地球からかなり離れたところをゆっくりと回転していると考えるのが無難だろうが……あれだけの熱量を持つ天体が、そんなに離れた場所で、なお地球の引力から脱しないでいられるとは考えにくい。


 もしかして、勇者が儀式を行っても無駄だと言ったのも、それが原因なのではなかろうか。


 実はあの太陽はもうとっくに地球の引力圏から脱しており、今はどんどん遠ざかっている最中で、だから何をしてももう手遅れであり、巫女を犠牲にすることもないと言ったのではなかろうか……


 もちろん、希望的観測に過ぎない……いや、寧ろ絶望的観測と言った方がいいような事柄だが、ティレニアの摂家を止めた勇者の存在を考えると、何か素直に信じてはいけないような気がするのだ。


 大体、あの4人を信じる根拠がどこにあるのか。


 但馬よりも色々と知ってそうなことは確かだが、その目的はアナスタシアを謎の儀式の生け贄にしようとしている連中である。しかも、そうしなければ世界が滅びてしまうと本気で信じてるのだ。嘘を吐いてでも、但馬を従わせようと考えていたとしても、おかしくはないだろう……


 しかし、やっぱりあれは嘘だと思おうとしても、何か決め手があるわけでもなく……勇者が儀式をやめた理由が、本当に先ほど考えたような事なのだとしたら、お手上げなわけで……だからそれを確かめるためにも、宇宙を目指したいのであるが……今の但馬にはとても手が出せない状況だった。


 親父さんの顔が目に浮かぶ。彼の言ってることは尤もなのだ。


 いくら但馬がこの世界で有数の大国の宰相であっても、宇宙を目指すプロジェクトを立ち上げようとなると、流石に無謀過ぎるだろう。まず、国家としてそれをする意味が無いし、言うまでもなく技術が追いついてない。それを無理矢理やったところで、事故が起きて取り返しの付かない事態に陥るのは目に見えてるし、仮にロケット開発は上手く行ったとしても、果たして月面基地(セレスティア)を目指せるようなものまで作れるだろうか。しかも、その猶予は殆ど無いのだ。


 はっきり言って無茶苦茶だ。


 だが、それが出来なければ世界はどうなってしまうのだろうか……? 仮にティレニアの連中が言っていることが本当だとしたら、太陽の無い地球は間もなく氷に閉ざされてしまうだろう。そうなってからやっぱり儀式をすると言っても、果たして間に合うかどうか。しかも、それをするにはアナスタシアを犠牲にしなければならない。


 アナスタシアを犠牲にする……考えるだけで胸が苦しくなる。


 どうしてあの子がこんな目に遭わなければならないのか。


 もうとっくの昔に、色んな物を失ってて、これ以上奪われるようなものなんて、それこそ命くらいしかないと言うのに。


 その命までをも差し出せというのか。


 やっと、普通の女の子みたいに、笑えるようになって来たというのに……そんなのは絶対間違っている!


 コンコン……ドアがノックされる音がする。


「社長、今少しよろしいでしょうか」


 但馬は努めて冷静な口調を作ると、ドアの向こうに言った。


「……なに?」

「お客様がいらしております。工場長さんです」

「親父さんが?」

「はい。誰も通すなと仰られておりましたが、彼を追い返すのはどうかと思い、一応お尋ねしてみたのですが……」


 丁度彼に謝ろうと思っていたところだった。向こうから来てくれたというのならありがたい。昼間、おかしなところを見せてバツが悪かったが、


「いや、機転を利かせてくれて助かるよ。丁度、彼に謝りに行こうと思ってたところなんだ。通してくれる?」

「かしこまりました」


 そう言うや否や、ガチャリとドアが開いて、親父さんが入ってきた。通しても良いかと聞いてくるくらいだから、当然、応接室にでも待たせているのだと思ったが、但馬が断るとは考えずに、最初から連れてきていたようだった。


 だからそれは寝耳に水で、但馬は完全に無防備な状態で彼を迎えることになってしまった。本当は彼が来る前に顔を洗って衣服を整えるつもりだったのだが……


 親父さんは部屋に入ってくるなり、


「やあ、社長。急に押しかけて悪かったね。昼間のことだが……泣いてるのか?」


 但馬の顔を見て怪訝そうな顔を見せた。但馬は慌ててゴシゴシ目を擦り、


「いや、ついさっきまで机でうたた寝してたもので……顔を洗ってくるんでちょっと待っててもらえますか」


 彼はそう言うと、自室の続きに備え付けられた洗面所で顔を洗ってきた。


 但馬が帰ってきても、部屋の中はなんだか気まずい雰囲気のままだった。正直、こんな姿を見せたくは無かったが、さっきは完全に不意をつかれた。


 泣いていたのかと聞かれると、確かに但馬は泣いていたかも知れない。実を言えばこのところ、アナスタシアのことを考えると悲しくて仕方がなかったのだ。それは恐らく、但馬がどこか諦めていたからかも知れない。しかし、彼はそれを認められなくて、自分の本心を隠してただがむしゃらに走り続けていた。


 国を大きくし、権力を駆使し、あらゆる資源を集めて、時に人に恨まれながら、ロケットを作るために彼は走り続けていた……例えどんなに無謀であったとしても。


 そんな決意を知らぬ親父さんは、彼に会いに来て驚いた。さっきの但馬は、見間違えじゃなければ、多分泣いていた。男だって泣きたくなる時はあるだろう。しかし、昼間の会議の感じからすると、どうやら相当切羽詰まったものがあるのだろう。


 リーゼロッテが相談してきたことからすると、どうやら1年前にティレニアへ行った時になにかあったらしいが……


 親父さんは但馬に勧められるままに応接セットに腰掛けると、恐らく昼間の態度やさっきの姿を見られて気が引けてるのだろうか、モジモジとしている但馬に向かって言った。


「昼間は悪かったね。みんなが居るのに、恥をかかせるようなことをして。少し意地悪になってしまった。もう少しちゃんと話を聞けば良かったんだ」

「いえ、俺の方こそ無茶なことを言ってすみませんでした。実はここんところよく眠れてなくって、あの後、少しうたた寝してスッキリしました」

「そうかい? ならいいんだけど……いや、よくないか。社長、昼間も感じたんだけど、君は一体、何をそんなに焦ってるんだい?」


 但馬がそうやって話を逸らそうとすると、それを見透かしたかのように親父さんが尋ねてきた。恐らく、元々の来訪の理由もそれを問いただすためだったのだろう。まとっている雰囲気がそう言っていた。


「いや、焦ってるというか……実は最近、よく眠れなくって、いつもイライラしちゃって余裕がなくなってるんだと思います。明日にでもサンダース先生に相談しようかと思ってるんですが」


 それでも但馬は本当のことを言えるわけがないと思い、話を逸らそうとしたのだが……すると親父さんは溜息を吐きつつ、


「それは本当のことだろうけど、そうなった理由ではないね? 実は、ここに来る前に、リズにも頼まれたんだ」

「……あのメイドめ」

「怒らないでやってくれよ? そうして、みんなが気にするくらい、今の君には余裕が感じられないんだよ……彼女が言うには、ティレニアで何かがあったようだけど。一体、何があったんだい?」


 但馬は歯ぎしりした。リーゼロッテには隠し切れないと思っていたが、何も親父さんに言うことは無いだろうに……やはり、あとでとっちめてやろうと、ヒシヒシと怒りを噛み締めていたら、


「アナスタシアのことなのかい?」


 親父さんがそんなことを言い出して、但馬は息を呑んだ。彼はそんな様子を見て、やっぱりかと言った感じに、口をへの字に曲げて難しそうな顔をしながら続けた。


「やっぱりそうか……実は、家内も言ってたんだが、あの子もティレニアから帰ってきてからどこか上の空なんだ。孤児院の友だちがいるだろう? 彼女の手伝いをしてても失敗ばかりだから、一度リフレッシュしてこいって言われて、それで数カ月前にうちに来たことがあったんだ。普通なら、君のところかここに来るはずだろう? なのにそうしないでうちに来て……家内は喜んでいたが、2~3日したら、また戻っていった。でもやっぱり駄目らしい」


 ドキドキと心臓が鳴っていた。1年前、リディアに帰ってきてから、実はアナスタシアとは殆ど会っていない。会っても、彼女に良い知らせをもっていけないのが気が引けて、なんとなく避けてしまっていた。もし、本当に儀式をしなくても大丈夫なのかなと問われても、胸を張って平気だと言えないのだ。


 その態度が彼女にプレッシャーを与えていたのかも知れない。但馬ではなく、親父さんのところに行ったのなら、きっとそうだ。彼女のことを心配しているつもりで、自分は一体何をやっていたのか……但馬は手で顔を覆った。


 親父さんは但馬のその姿を見て確信を持ったらしく、続けて言った。


「もし、彼女のことで何かを悩んでるのなら、俺に言ってくれないか? 水臭いとか、俺に頼れとか、そんなことを言いたいわけじゃない。君は俺になんか頼らなくても、十分に一人でやっていけるし、おせっかいだということは分かってる。ただ、アナスタシアは、俺にとっても娘みたいなものなんだ。君のことだってそうだぞ? だから、アナスタシアが苦しんでいる姿は見たくないし、それにもしも君が、その彼女について悩んでいるんだとしたら、親としてこんなに心配なことはないんだよ」


 但馬はガクリと肩を落とした。


 今まで、一人で突っ走ってきたが、改めて考えてもみれば、これは自分一人の問題では無いのだ。アナスタシアにはアナスタシアの人生があるのだし、彼女のことを心配している人たちだっているだろう。


 自分は、アナスタシアや、その人達の気持ちすら蔑ろにして、自分勝手に振舞っていただけなんじゃないか……


 彼女のことを放置して、不安がらせるだけ不安がらせて、でも、自分はまだ何も出来ていない。本当に、何もかも一人で出来ると思ってるのか? 出来るんなら、今朝だって不貞腐れて帰ってくるようなことは無かったんじゃないのか。


 そして但馬は心が折れた。


「実は……」


 但馬は、やがて諦めるように、ポツリポツリと今までにあった出来事を白状した。


「アーニャちゃんはティレニアの巫女と呼ばれる存在で……」


 親父さんに話しているうちに、だんだんと感極まってきてしまい、冷静になろうとすればするほど、涙が出てきて止まらなくなった。


「彼女が犠牲にならなければ、世界が滅んでしまうって言われて……」


 終いには、しゃくり上げるような感じになって来て、上手く伝わってるか自信も無くなってきた。後から後から涙が流れ出し、心底、自分が情けなかった。


「自分が死ぬのなら多分諦めもついたと思う。だけどそれじゃ駄目なんだ。犠牲になるのはアーニャちゃんで、俺はただ見てるだけなんて……彼女が犠牲になるなんて、とても俺には耐えられないんだ」


 鼻をズルズルと鳴らしながら、やがてすべてを吐露した但馬は、悲しくて悲しくて顔を上げることが出来なかった。


 その時、自分が追い詰められていることに気がついた。本当は、どこかでとっくに諦めていたのだ。


 でも、それを認めてしまったら、アナスタシアは死んでしまう……


 アナスタシアを助けるつもりなら、代わりに世界が滅んでしまう……


 だからいつか決断しなければならない。だが、そんな決断なんて、彼には到底出来そうもなかった。


 親父さんは、シクシクと泣き崩れる但馬のツムジをぼんやりと見ながら、今言われたことを噛み締めているようだった。そして彼はどうして但馬がロケットエンジンなんて、無謀なことを言い出したのかを理解した。


 しかし、理解したところで、どうしようもないことにもすぐ気がついた。これは大事になったぞ……と彼は思ったが、どこかサバサバとしたものを感じてもいた。それは多分、逆に事が大きすぎたからだろう。


「そうか……そんなことが」

「それで俺、誰にも言えなくて……」

「そうだろうなあ……」


 親父さんは呆然としながらそう言うと、大きくため息を吐いてから、


「分かった。それじゃあ、昼間言ってた、あれを作ろう」


 と言って、但馬の肩をポンと叩いた。


 その仕草があまりにも気安かったので、但馬は勢いで顔を上げた。ひどい顔だった。


「……え?」

「君は自分を責めているようだけど、君があれを作ろうと言い出したのは、まだ諦めて無いからだろう? だったら、やろうじゃないか。君の判断は間違ってない。仮に可能性が1%も無いとしても、アナスタシアを助けられる可能性があるのなら、それに賭けなきゃ嘘に決まっているだろう」


 但馬は親父さんの瞳を覗き込んだ。それは哀れみとか同情で、気休めを言ってる感じではなかった。どこか悟りきった人のような目をしていて、穏やかではあるが、確固たる決意を秘めたものを感じさせた。


「でも、そんなこと本当に出来るんでしょうか……」


 但馬は自分で言っておきながら、そのあまりの荒唐無稽さに恐れをなして、臆病なことを言い出した。親父さんは苦笑しながら、


「正直、難しいとは思う。仮に出来たとしても、人間を運ぶところまでは出来ないかも知れない。おまけに、時間が殆ど無い。だけど、やらないで後悔するよりはやって後悔したほうがずっとマシだ。俺達にはまだやれることがあるんだから、最後まで足掻いてみようじゃないか」


 どこかさばけた表情で、彼はそう言いながら但馬の肩をポンポンと叩いた。そして、涙を流す但馬のことをぐいっと引っ張って、そのままギュッと抱きしめた。


 おっさんに抱きしめられても、嬉しいはずがないのに……但馬はあんなに苦しかった胸の痛みが、今は熱い別の何か変わっていることに気がついた。


 どうして一人で悩んでいたのだろう。こうして、一緒に考えて、一緒に悩んでくれる人が自分には居るというのに、どうして、自分はいつも一人だと思い込んでいたのだろうか。


「俺は息子を失くした。もうこれ以上、2人も3人も失くすわけにはいかないんだ。社長、君が出来ると信じているなら、きっと出来る。今までずっとそうだったじゃないか。だから、もう迷うこと無く突き進もう」


 彼の胸を借りて涙を流す但馬は、力強く頷いた。それが頭突きみたいになってしまって、親父さんがよろけていたが、泣きじゃくる彼には、もう気にしている余裕もなかった。


 物心ついてからずっと、但馬には父親が居なかった。もしも、居たらこんなに頼りになっただろうか……いいや、きっと普通の父親じゃ、こんなに頼りにならないだろう。但馬にとって父親というものは、彼一人しか居ないのだ。


**************************************


 その後、泣き疲れた但馬はどこか清々した気分で、これからのことを親父さんと話し合った。金と必要な知識と設計は但馬が担当し、それを親父さんと弟子たちで形にしていく。はっきりいって、会社としては最低の判断だったが、それでももう2人の腹は決まっていた。あとは本社のフレッド君をどう説得するか……その日、但馬の屋敷に泊まった親父さんと2人で、夜遅くまで作戦を練っていた。


 まるで子供の悪巧みみたいなやり取りを、リオンが自分も混ぜてほしそうに何度も覗きに来ては、持ち前の人見知りを発揮して、シュンとしながら帰っていった。そんな姿をどこかホッとしたような顔で見守りながら、リーゼロッテが珍しく夜遅くまで給仕に立っていた。


 話し合いは深夜にまで及んだ。最終的には但馬がウトウトしてきてお開きになった。若い但馬の方が親父さんよりも先にダウンしてしまったのは情けなかったが、本当にここのところずっと寝不足だったのだ。ホッとしたことで、どっと疲れが押し寄せてきたらしい。


 心地よい疲労感に包まれながら、但馬はベッドに潜り込んだ。こんなに晴れがましい気分は久しぶりだった。胸のつかえが全部取れてしまったようだ。


 その晩、但馬は数カ月ぶりに深い眠りについた。お陰で翌朝はとんでもなく寝坊してしまい、起きた時にはもう親父さんは家に居なかった。きっと、工場に向かったのだろう。ハリチにもS&H社の工場はあって、今では寧ろこちらがメインとなっている。


 但馬は寝ぼけ眼を擦りながら、自分も後で行ってみようと思いつつ、朝食をとりに食堂へと向かった。


 一夜明けて、但馬はティレニア人たちの言う、終わりが近づいているなんてことは、やっぱり嘘なんだなと、どこか気楽に考えられるようになっていた。その日は朝から天気が良くて、太陽が暗くなったなんて嘘みたいなぽかぽか陽気だった。あの太陽が偽物だなんて、馬鹿げていると思えるくらいだった。


 しかし、残念ながらそれは希望的観測に過ぎず……終わりは確実に近づいていた。


 それは世界の崩壊という意味でもあり、但馬の精神的なものでもあり……


 昨晩、酒を酌み交わしながら2人で無謀な夢を語り合ったそれが、親父さんとの最期の思い出となったのだ。


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― 新着の感想 ―
ええええ〜〜〜〜
[一言] うそやろ親父さん!!!??!
[良い点] 突っ走って、勝手に申し訳なくてアナスタシアに話しかけられないの、ずっとずっとずっと同じことを繰り返してるよ〜〜〜〜! タジマってプライドがないようでいて、かなりかっこつけで、責任感が強くて…
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