もう良いです……
アルミニウムという元素は、地表で3番目に多い非常に有り触れた元素であるが、人類の長い歴史の中で、それが金属として利用されだしたのは、せいぜいここ100年位のことである。
以前にも軽く説明したが、どうしてそんなに発見が遅れたのかと言えば、要するにイオン化傾向が強すぎてアルミニウム元素は化合物になりやすく、自然界には単体で存在しづらいのが原因だ。
アルミニウムは明礬の英語読みアルムが語源であり、大昔からその存在自体は知られていたが、この明礬からアルミ元素だけを取り出す方法が見つからず、それが金属であることが分かるのは、19世紀まで待たねばならなかった。
しかも、そのやり方が分かっても方法が難しすぎて量産には向かず、当時のアルミニウムは銀よりも価値が高かった。それを画期的な方法で量産にこぎつけたのが、いわゆる氷晶石を使ったホール・エルー法と呼ばれる電解精錬法である。
アメリカの化学者ホールと、フランスの化学者エルーは、同時期に別々の場所で全く同じアルミの精錬方法を発見した。この2人には面白い共通点があって、実はこんな歴史的な発見をした2人は、同じ年に生まれて同じ年に死んだらしい。そのくせ、生涯を通じて面識は一切なかったそうで、腐女子ならばエルー・ホール法の可能性を見出してしまいそうな、非常に奇妙な縁があったそうだ。
そのホール・エルー法と言うのは簡単に説明すれば、材料であるアルミナ(酸化アルミニウム)に、融剤の氷晶石を混ぜ、超高圧電流をかけてドロドロに溶かすと言う方法である。すると、溶けた溶媒の中でアルミニウムは陽イオンとなり、陰極に付着する。
こうしてアルミニウムは簡単に精錬出来るようになったのであるが……しかし、この方法もまだ完全ではなくて、材料であるアルミナが自然には少なくて、材料費が高くつくのが問題だった。
これを解決したのが、オーストリアの化学者バイヤーである。
彼はアルミナを含むが不純物の多いボーキサイト(60%くらいがアルミナ)から、不純物だけを洗浄して取り除く方法を発明した。その方法は非常に簡単で、高温で溶かした水酸化ナトリウムでボーキサイトを洗い、熱で乾燥させるというものであった。
その頃のボーキサイトはただの土であり、これによって材料費がほぼ0となって、アルミニウムの価値は大幅に下落した。そんなこんなで、アルミニウムが工業的に生産されるようになると、ジュラルミンなどの合金が開発され、一躍工業素材の主役に踊り出ることになったのである。
ところで……余談であるが、ホール・エルー法でアルミ精錬を行うには、必ずバイヤー法も使うから、バイヤー・ホール・エルー法と呼んだほうが良いのではないかという説もあるらしい。3人はどういう集まりなんだっけ?
変態の話をしよう。
変態と言っても日本が世界に冠たるHENTAIのことではなく、金属が結晶構造を変える変態のことである。
鉄は変態の多い金属で、温度によって結晶構造がコロコロと変わる。常温では体心立方構造の状態で存在し、900℃付近で面心立方構造に変化し、更に1400℃まで温度を上げると元の体心立方構造へと戻り、やがて1500℃あたりで溶ける。
この結晶構造によって一般に金属は脆弱性が決まる。金属原子がどのように並んでいるかが肝心で、一般に体心立方構造<面心立方構造<六方格子構造の順に強度が増すと言われる。ただの鉄が思ったよりも柔らかいのは、結晶構造が問題なのだ。
その鉄を硬くするために、人間は炭素を混ぜて鋼を作ったわけだが……実は、鉄は低温の体心立方構造のままだと炭素とあまり馴染まないらしい。そのため900℃以上1400℃以下の面心立方構造の状態に変態させてから、水につけて一気に冷却するという、焼き入れという作業をするのだそうだ。こうすると鉄は多くの炭素を含んだまま体心立方構造に戻り、常温でも硬い鋼になるのだ。
さて、1903年。ドイツの化学者ウィルムは、上司に軽い薬莢を作りたいから、アルミニウムで真鍮くらい硬い合金を作れと命じられた。真鍮が銅と亜鉛の合金だったから、試しにアルミに銅を少量混ぜてみたら、狙い通りに硬くて軽いジュラルミンが出来た。
彼はこのジュラルミンをもっと硬く出来ないかと思って、鋼が焼入れすると硬くなることを思い出し、試しにやってみた。ところが、結果は硬くなるどころか、寧ろ柔らかくすらなってしまい、これは失敗だとがっかりして一度は諦めたのだが……
実験から数年が経ち、また同じ実験を繰り返していた彼は、念のため数日間放置していたジュラルミンを再度硬度検査してみた。すると驚いたことに、それは以前よりも非常に硬くなっていたのである。
ジュラルミンは焼入れ(溶体化処理)後、20時間ほどで硬さが最大に達する。実は金属には特定の温度でゆっくりと硬さが増していく、時効硬化という現象があるのだが、融点の低いアルミニウム合金だと、それが常温で行われる。
これは非常にありがたい特徴で、ジュラルミンは焼き入れ直後は常温で柔らかいから加工がしやすく、その後放置しておけば鋼のように硬くなる、とても便利な素材なわけだ。
おまけにジュラルミンを含むアルミ合金は、鉄と違って低温で面心立方構造をもっており、低温耐性も高いという特徴があった。これが意味するところは、鋼は宇宙空間では脆くなってしまうが、アルミ合金ならそうはならないと言うこと……
つまり、アルミ合金は軽くて、加工しやすくて、そのうえ丈夫で、低温にも耐えられると言う、宇宙開発には欠かせない金属であると言えるだろう。
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ロケットエンジンが欲しい。
但馬がそんなことを言い出したのは、久々に彼がハリチの工房での開発会議に参加した時のことだった。
親父さん率いるS&H社の開発チームは、およそ2年ぶりにもなる社長の参加を大いに喜び、気合を入れてこの間に作った成果物を持ち寄っていた。彼が国政や戦争で忙しい間も、開発チームは次々と新商品を開発していたのだ。
その中には但馬が制作を急がせたディーゼルエンジン、それを改良した点火プラグ式のエンジンもあり、それを乗せた新型の自動車なども披露してくれた。ディーゼルエンジンは船舶や発電所にも使われ、海軍工廠で新しい船が現在建造中であるそうだ。
エンジンの部品には最近作られるようになったアルミ合金も使われ、まだまだ軽量化などの改良の余地が残されており、ゆくゆくは一家に一台自動車が持てるような世界が来ると、若手技師たちは夢のように語った。
但馬はその一つ一つを満足そうに頷きながら聞き終え、これだけの発明をこの短期間に成し遂げた開発チームを素直に賞賛しつつも、どこか上の空だった。
開発主任である親父さんはそれを少々気にかけながらも、同じように若手技師たちを褒めつつ、今後はエンジンの小型化と自動車の製造に注力していこうと会議をまとめようとした。
そんな時に、但馬が言い出したのである。
「……ロケットエンジン?」
但馬は頷いた。
小型の内燃機関がようやく出来たばかりなのに、今度はロケットエンジンを作れなどと言われても、彼らはその存在すらちんぷんかんぷんで首を捻るしかなかった。但馬はそれをイライラした口調で、少々強引に説明をし始めた。
ロケットエンジン……と一口に言っても、燃料を燃やして動力を得るという動作原理自体は普通のエンジンと変わらない。違いはそれによる推進方法で、普通のエンジンは燃料の爆発によって得られた力でクランクを回し、車輪やプロペラを回して推進力にするが、ロケットエンジンやジェットエンジンは、爆発し膨張した気体をノズルから思いっきり噴射し、その反動を推進力にする。
例えばスケボーに乗ってる人が、後方に向かってボールを放り投げたら、その反動でスケボーが前進するだろう。そのまま100個、200個と、次々にボールを投げ続ければ、スケボーも前進し続けるはずだ。ロケットも要するにあれと同じ方法で飛んでいる。
だから設計コンセプト自体は、寧ろ車のエンジンよりも簡単だったりする。ノズルに繋がった燃焼室に、燃料と酸素を供給し、後は適切なタイミングで点火する仕組みが作れれば、それだけで良い。
問題はその推進方法から、燃料を含む機体重量の全てを、エンジンの力だけで飛ばさねばならないから、その重量次第でとんでもないエネルギーが必要になることだ。接地した車輪を回して動く自動車とはわけが違うのだ。
しかし、高エネルギーを得るからには、燃料を大量に燃やす必要があるが、燃焼というものは酸素が無ければ起こらない。燃料を大量に燃やすためには大量の酸素が必要であり、何も考えずにボケっとエンジンを吹かしていたら、周囲の空気中からあっという間に酸素が尽きてしまう。
ジェット機はそうならないように、飛び続けて無ければならない。移動してれば酸素が無くなることは無いし、それに、高速で移動しているのにはメリットもある。
走ってる車から外に手を出すと、おっぱいの感触が……もとい、空気抵抗で後ろに飛ばされる感じがする。速度が増せば増すほど空気抵抗も大きくなるが、その代わりに手のひらにぶつかる空気の量も増えるから、止まっている時よりも沢山の酸素が手のひらの中には存在してることだろう。
ジェットエンジンはそうして高速で飛び続けながら、エンジン内部に取り込んだ空気を圧縮しつつ、燃料を爆発させている。速度が増せば一度に取り込める酸素の量も増えるから、空気の薄い高高度でも飛び続けられると言うわけだ。
しかし、空気の存在しない宇宙空間だとそうはいかない。だからロケットは、必ず燃料を燃やすための酸素(酸化剤)を積んでおり、エンジンに燃料と一緒に供給する仕組みを持っている。
この燃料と酸化剤の両方を積んで飛ばすジェットエンジンのことを、いわゆるロケットエンジンと呼ぶのだ。
「まずはジェットエンジンを開発し、高高度飛行を行い。最終的には人間を乗せて、宇宙に飛び出せるくらいのエンジンを作って欲しいんです」
会議に出席していた技師たちはどよめいた。まだ空を飛ぶということ自体が夢物語だと言うのに、さらにその上に飛び出せというのだ。
「既に腐食耐性の強いジュラルミン合金も開発されてます。これを機体の軸に使えば強度の問題はないはずです」
「閣下は本当にそんなことが可能だと思うのですか……?」
何しろ誰もそんなものは見たこと無いのだから、ロケットというアイディア自体に懐疑的な者がそう質問してきた。
「もちろんです。可能でなければ提案していません。ジェットエンジンの開発と平行して、まずは無人の小型ロケットを飛ばす準備をしましょう。実際に小さなロケットが高高度に達するのがわかれば、後はそれを大きくしていくのだから、決して夢物語じゃなくなるでしょう?」
但馬がはっきりとそう断言すると、若い技師たちは盛り上がった。何しろこれまでいくつもの発明をしてきた男がそう言っているのである。きっとやってやれないことはないのだろう。
丁度、国内での自動車エンジン開発が上手く行き始めていたこともあり、会議場は一気にテンションが上がってきた。あの大きくて不便だった蒸気自動車を、ようやく小型化出来る算段がついたと思ったら、今度はもっとスケールのでかい、空飛ぶ機械を作ろうと言うのだ。夢も広がるだろう。
しかし……そんな空気に水を指すような声が上がった。
「いいや、それは駄目だ。社長。俺はそいつを許可できない」
それを黙って聞いていた、開発主任であるシモンの親父さんが、盛り上がる若手たちの声を遮るようにして言った。その声があまりにも断定的な響きが含まれていたものだから、彼だけは常に自分の味方であると思っていた但馬は驚いて尋ねた。
「どうしてですか? 今の国内の技術者のレベルなら、これくらいの加工は出来ると思うんですが」
「言ってることは理解できるし、多分出来るんだろう。だが、何しろ今までに前例のない事だ。しかも君の言うそのロケットというのは、恐らく液体酸素のような不安定なものを使うんだろう? 俺も技師の端くれだ。蒸気機関なら右に出るものは居ないと思ってるし、最近では若いのに混じって新しいエンジンもいじってる。だからそれが爆発したらどんな事態が起きるかくらいは想像出来るさ」
「しかし実験に事故は付き物でしょう。危険を恐れていては何も出来ない」
「だが無茶は出来ないんだ。実を言うとここ数ヶ月ほど、工場の常勤ヒーラーたちが続々と退職しているんだよ。体調がすぐれないとか、ヒールが使えなくなったとか、色々と理由をつけられてるが、多分他の工場に引きぬかれてるんだろう。今、国内は増え続けた工場のせいで、ヒーラーが足りなくなってしまったんだ」
「……え?」
それがどういう意味かは言うまでもない。ヒーラーはただの医療スタッフではなく、危険な仕事とは切っても切り離せない存在となっている。何しろ、硫酸のような薬品を被ったとしても瞬時に何もなかったように治せてしまうのだ。
だからこの世界の人達は、どこか危険に対して雑なところがあった。普通ならやらない無謀なチャレンジも、結構平気で行ってしまう者も居る。
S&H社の技師たちが、こんなにも早く内燃機関を開発できたのも、そういう無茶が出来たからと言うところが大きいのだ。
「一体、どうしてそんなことに……?」
「ヒーラー需要が大きいことと、そのヒーラーの数が減ってるのと両方だろうな。それから……うちは元々、国内でも最も条件が良い会社だったから今まではどうにかなってたが、最近では他社も力をつけてきて、高待遇で彼らを引き抜いてしまうんだ。うちの足を引っ張れば、得をする会社も多いしなあ」
「そんなことで……わかりました。それじゃ更に高待遇で呼び戻しましょう」
「それじゃあ、他の社員たちがやる気を無くすぞ。特に、それでも残ってくれたヒーラーたちが」
「能力がある人が高待遇を得るのは当然でしょう? それに、ヒーラーが必要なことは絶対じゃないですか」
「……うーん。確かにそうかも知れないが……いや、それでも俺は、社長の言うロケットには反対だ」
頑なにそう言いはる親父さんに、但馬はムスッとしながら言い返した。どうして邪魔をするようなことをするのか。
「どうもこうも……それを作ることによって、会社になんの利益があるんだ? そんなことよりも、今せっかく出来上がった車のエンジンを改良し、量産して世界に売りだしたほうが絶対にいい。一日でも早くその体制を作り出すのが先決だろう……これは本来なら俺じゃなくって、君がいうことだぞ?」
但馬はウッと息を呑んだ。確かにそうだ、会社の方針としては圧倒的に正しい。何も言い返せない但馬は、それでも諦めきれず苦し紛れに、
「それじゃあ、俺のポケットマネーで……」
「やるなとは言わないが、やはり俺は工場長としてそれを阻止するぞ。国も大きくなって人口も増えた、競争が激化して今は会社も過渡期だし、これだけの社員を抱えた我が社だからこそ、社長の道楽に付き合ってるわけにはいかないんだ」
「道楽とはなんだ!」
「社長……一体どうしちゃったんだい? 君はおかしなことを言う奴ではあったが、他人を巻き込んで無茶を言うやつじゃなかった。最近は、大臣たちとも揉めていると言う噂も聞く。何か君が焦らなきゃいけないことでもあったのかい。頼りないかも知れないが、良かったら、俺に話してくれないか」
確かに但馬は焦っていた。焦ってでも、早く宇宙に到達できる方法を見つけなければ、太陽が燃え尽き、世界は暗闇に包まれ、人類は滅亡する……もしくは、アナスタシアを犠牲にしなければいけないのだ。
しかし、そんな荒唐無稽な話、誰に言えるというのだろうか……
但馬は心配する親父さんの顔から視線を逸し、何も言えずに俯いた。親父さんはガックリと肩を落としてため息を付いてから、
「言えないなら無理に聞き出すつもりはないさ。でも、さっきから言ってる通り、君の言うロケットエンジンの開発には反対だ。実際やってみないと分からないが、人間を飛ばせるくらい大きなものを作るとなると、事故が起こったら大惨事だぞ? そう言う危険なことに、部下を巻き込ませるわけにはいかない。もっと予算が湯水のように使える、国家プロジェクトとか、そういうところでやるものじゃないのか」
そして元気の無い但馬を気遣うように、
「ただ、君の言う燃焼には酸素が必要というのはまだ盲点だったな。今作ってる新型のエンジンの吸気口にファンを付けて、圧縮した空気を取り込めるような仕組みを作ってみよう。それが上手くいったら、さっきのなんだ、ジェットエンジンとか言う物の開発を始めようじゃないか。そうだなあ……2年か3年あれば……」
それじゃ間に合わない。但馬は首を振って踵を返すと、
「もう良いです……」
と言って、会議が終わってもないのに、スタスタと部屋から出て行ってしまった。
それがあまりにも唐突で、まるで不貞腐れた子供じみていて、今まで但馬のそんな姿を見たことが無かった若手技師たちは目を丸くした。
親父さんはそんな彼の後ろ姿を追いかけようとしたが……すぐに部下たちが動揺していることに気づいて手をパンパンと叩き、会議を続けるよう周囲に促した。
新型のエンジンの他にも、まだまだ色んな報告があった。アルミを使った新素材や、合成樹脂の研究など。それを但馬に報告するのを楽しみにしていた彼らは、少しガッカリしながらも、親父さんのために会議を続けた。
親父さんは、もしかしたら頭を冷やした彼が戻ってくるかも知れないと期待したが……残念ながら、結局、但馬はその後戻ってくることは無かった。