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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
284/398

焦燥

 北エトルリア大陸がシルミウム革命で混乱する中、遠く離れたガッリア大陸のリディアもまた揺れ動いていた。国内に失業者が増加し、スラム化した市街地で、仕事を求める労働者達のデモ集会が盛んに行われていたのだ。


 ここ数年間の急激な人口増加で首都リンドスは空前絶後の好景気に沸いていたが、それでも増え続ける労働者人口に、需要が追いつかなくなってきたのだ。元々、移民労働力の供給先は彼ら自身が住むための住宅建設と言う公共事業が柱だったのだが、住宅需要が満たされると、公共事業も頭打ちとなって来ており、現在、少し経済が停滞気味になっていた。


 もちろん、国内産業が成長していなかったわけではない。今となっては、リディア国内はS&H社だけではなく、様々な新興企業が軒を連ね、工場が乱立していた。それらが作りだす商品需要も、元からある旺盛な消費意欲と、増え続ける人口がカバーしていたのであるが……ところが、その好景気を当てにして、海外からどんどん安い商品と労働力がリディアに向かってきてしまい、熾烈な価格競争が起こっていたのだ。


 経済のグローバル化は、所得格差を先進国のそれから後進国のそれまで広げる。企業は労働力を海外に求めれば良いが、労働者はそうは行かない。結果、仕事を得るために、海外の安い賃金に合わせていかなければならなくなり、デフレに陥る。


 それを避けるためには重い関税をかけるか、通貨安を誘導するのが手っ取り早いわけだが、今となってはイオニア海経済の中心地で、周辺諸国の最終消費先になってしまったリディアで、それをやったら、地域経済に混乱を来すことは必至だ。


 それの何がいけないのか。簡単にいえば、アメリカがいきなり鎖国をしたら、物が売れなくなって世界は大恐慌に陥るだろう。その好き嫌いはともかくとしてだ。


 もちろん、リディア政府も手をこまねいて見ているだけではなく、色々と手を打っては居たが、残念ながらそれは開発が行き届いた首都よりも海外に向いていた。その方が開発余地もあり、リターンが大きいからだ。だから植民地へ行けば仕事はあるのだが、首都の雇用は頭打ちになっていた。


 移民ならともかくとして、元からのリディア市民は海外に出稼ぎなど行きたくない。結果、富めるものと貧しきものが明確となりつつあるリディアでは、格差是正を求めて特に若者を中心とする失業者たちが、デモを頻繁に起こしていたわけである。


 当初、議会はこれを封じ込めようと集会を禁じる法案を提出した。無軌道な若者たちが集まると、暴動を起こすこともしばしばあったからだ。しかし、それは但馬によって却下された。


 デモ隊は結局鬱憤ばらしも兼ねている向きもあったから、これを封じてしまうと失業者たちの不満がくすぶり続け、暴動の火種を育てる結果になりかねない。取り締まりを強くすれば、活動が地下化するだけであり、当局の目から見えなくなってしまう方が危険であろう。時を同じくして、北エトルリアでシルミウム革命が起こったものだから、これには議員たちも黙るしかなくなった。


 しかし黙って見ていても事態は良くはならない。もはや安い賃金で働く移民を排除することは出来ないのだから、彼らの所得が急激に増えることもないだろう。首都に住む若者には、それを受け入れてもらうしかないのだ。


 だからそれを受け入れさせるためにも、彼らの求める通り、格差の方をどうにかしなければならないわけだが……


 ところで、レミングが集団自殺をするという話を聞いたことがあるだろうか?


 ネズミの仲間であるレミングは、増えすぎると謎の集団自殺を図るという噂があり、その噂を元にディズニーがやらせ映画を作ったせいで、世界に広く広まってしまったと言う逸話である。


 やらせ映画と断っている通り、実際にはレミングに集団自殺するなんて習性はなく、その映像はカメラの外側でスタッフがレミングを追い立てて撮っていたという、動物愛護団体真っ青な映像だったそうだが……火のないところに煙は立たないとも言うだろう。噂が立ったからにはそれなりの理由があるはずだ。


 実際のところ、大昔からスカンジナビアの森では、レミングが数年に一度大量死することがあるらしく、それが噂の元になったのだ。


 どうしてそんなことが起きていたのか? 理由は案外単純だった。


 ネズミはねずみ算式に繁殖する。ところが、森の食料は劇的に増えることはなく、大体毎年一定量だから、レミングが毎年増え続けると、どこかで食料が足りなくなる年が出てくるだろう。


 これが大量死の正体で、餌が足りなくなったレミングは食料を奪い合って共倒れするか、餌を求めて大移動を開始するのだが、その途中で不慮の事故で死んだり、湖に跳び込んだりすることもあったろうから、それが巡り巡って集団自殺の噂になっていったと言うわけだ。


 一般に、生物と食料の関係というのはどれも同じで、天敵がいなくて無秩序に増え続けると、レミングと同じことが起こりうる。


 実は人間にも同じようなことが度々起きている。かつて医療が発達していない時代、農村では毎年のように子供を産むのが一般的だった。しかし、労働力が増えても作付面積が劇的に増えるわけじゃないから、ある時食料が足りなくなり、口減らしをしなくてはならない事態に直面した。


 人口論を書いたマルサスは、人間が幾何級数的に増えるのに対し、食料はあくまで算術関数的にしか増えないから、いつか食料の受給が逆転する。これが貧困の正体で、社会制度の改変で回避できる類のものではないと彼は説いた。これをマルサスの罠と呼ぶ。


 実際にはその後の農業改革や産業革命、医療の発達によって回避され、人口はそれこそ幾何級数的に増えていったのだが、それでも彼の言うとおり、貧困はなくならなかった。格差が生じることは仕方ないことで、科学技術の発展や、社会制度ではやはりどうにもならないのだろう。


 ところで、格差というのはどういうものだろうか。


 大富豪や大貧民を、テレビカメラがドキュメンタリーで追ったところで、何かが分かるとは思えない。実は、社会に格差が生じていることを簡単に視覚化出来る方法がある。


 とある社会集団、ここでは擬似的な国民国家とするが……そこで国勢調査を行って、全国民の所得を低い順から並べてグラフにしてみよう。国内で最も所得が少ない人をS1、二番目をS2とする。それをS1, S1+S2, S1+S2+S3……とドンドン累積していく。


 これを左から順に並べていくとグラフはカーブを描くように増えていくが、このカーブの曲がり具合が急であればあるほど、その社会で格差が生じていると考えられる。これをローレンツ曲線と呼ぶ。


挿絵(By みてみん)


 例えば、最も格差が生じている社会と言うものを考えてみよう。最も格差がある社会とは、たった一人が富を独占し、国民全てが無償で奴隷奉仕する社会であろうが、このような社会のローレンツ曲線を描いてみると、そのグラフは原点から横軸に沿って一直線に進み、最後にいきなり垂直に折れ曲がるはずだ。


 国民の9割が貧民で、1割が大富豪なんて国家も似たような曲線を描くだろう。このように、カーブが直角に近づけば近づくほど格差が酷くなっていると言える。


 ところで、このたった一人が富を独占するという社会は、現実にあったらどうなるだろうか? その独占者が神でもない限り、きっと他の国民に袋叩きにあって殺されるのではなかろうか。ここまで極端な例でなくても、カーブがキツければキツイほど、社会で暴動が起こるリスクは高くなるはずだ。


 このローレンツ曲線のグラフを2つにして、上下逆さまにしてくっつけてみよう。すると長方形の中に2つのカーブで囲まれた部分が出来るはずだ。このカーブで囲まれた部分が、全体の半分(0.5)を越えると、一般にその社会では慢性的に暴動が起こる危険があると考えられている。これをジニ係数と呼ぶ。


挿絵(By みてみん)


 実際に調べてみると、ジニ係数が0.5を越える国家は、南米やアフリカ南部に集中していて、この地域で紛争が起こりやすいことから考えても、この指標はそこそこ当てになると言っていいだろう。


 半分とまではいかなくても0.4を超えたあたりで暴動は起こりうるようで、0.5に近い中国では度々暴動が起こっているし、最先進国であるアメリカでもロス暴動のような大事件が起きている。


 因みに、日本はどうかと言えば、0.38あたりで、大規模暴動と呼べるような事件は中々記憶に無いのではなかろうか。


 ……しかし、本当にそんなに格差が少ないのか? 2000年代から延々と続くデフレ不況や、昨今の圧迫感からとても信じられないと言う向きもあるだろう。


 実はこれにはからくりがあって、日本の税引き前所得のジニ係数は0.5をゆうに越えている。それを累進課税によって、0.4以下にまで引き下げているのだ。


 つまりあの金持ちに非難轟々の累進課税は、国内の暴動を抑えることに一役買っていると言えるわけである。


******************************


「累進課税法案反対!」


 リディア議会に累進課税法案が提出されたのは、シルミウム革命が勃発してすぐの出来事だった。


 宰相但馬波瑠は相次ぐ労働者のデモ集会に対応すべく、格差是正を求めてそれまで一律であった所得税の累進課税の導入を提案した。それと同時に最低賃金についても見直しを進め、国内に出来つつある格差を抑え、富の再分配を主張した。


 これにはほぼ全議員からの猛反発が上がり、


「こんなことをされては、金持ちであればあるほど、仕事をする意欲が削がれます。金持ちは何も人を騙して私腹を肥やしてるわけじゃありませんよ? 金持ちには金持ちになるだけの理由があって、それは一生懸命仕事をしたからじゃないですか。そんなご褒美を奪うような真似をされたら、何だか悪いことでもしてるように思えてきて、誰も一生懸命働かなくなりますよ」

「確かに、そういう懸念もあります。だから、企業減税はそのまま続けて、所得税だけを対象にしているんです。民間投資を続けて、企業が社会に富の再分配を行ってくれるのであれば、それを阻害するつもりはありません。問題は、今のリディアでは、個人に富が偏ってきていて、実際にデモ集会が頻繁に起こってきていることです。そのような社会がどうなったか、つい最近あなた方も知ったのではありませんか?」


 但馬がそう言うと、議場がざわついた。相変わらず法案反対のヤジは飛んできたが、シルミウム革命のことを思い出した議員の中では(ほぞ)を噛みながらも、少なくとも但馬の意見だけは聞いておこうと態度を改めたようだった。


 但馬はその騒ぎが収まるのを待ってから、予め用意しておいた資料でリディア国内の格差が広がっていることを示した。実は去年リディアに帰ってきてからすぐに国勢調査の準備をして、つい最近、それが終わったばかりだった。


 そして、彼はその結果として出た識字率の高さから、今のリディアがシルミウムと同じような社会状態になっていることを予言し、


「あの国で起きたことは、今のリディアでも十分に起こりえます。先日行った国内初の国勢調査で出た結果ですが、我が国の識字率は50%を軽く超えていました。最近増えた移民の中にはシルミウム出身者も居ます。つまり、今デモを行っている人たちは馬鹿ではなく、最近、シルミウムで起こったことを正確に理解する能力があるんですよ」


 団結すれば貴族にだって勝てるし国家を揺るがすことも出来る。フランス革命が起きたのはアメリカ独立戦争の直後であるが、元々、その独立戦争にフランスが参戦したのはイギリスに嫌がらせをするのが目的だった。だが、皮肉なことにそれは、市民に自由のために戦う意識を植え付けることに繋がった。アメリカ人はあのイギリス正規軍に勝ったのだ。自分たちも、やってやれないことはない。


 戦争後のリディアでも、同じような意識が芽生えていると考えられた。アスタクスは大国であったが、その殆どの戦域でアナトリア帝国は勝利した。かつては魔法使いが一人いるだけで戦場は一変したが、銃が主流となった今の戦場では、彼らはコソコソと逃げまわるしかなくなった。もう、貴族なんか怖くないのだ。言うことを聞かせる番だ俺達が。


「そんな風になっちゃったらマズイですよ。幸い、今は軍隊の統制も取れており、国民の皇帝への忠誠は揺るぎないと思われます。逆に、我々金持ちに対してはやっかみもあってか、敵視といっていい感情が芽生えつつある。彼らはシルミウムの構図を投影してます。大切な皇帝陛下を、悪い商人共が利用していると。だから、我々がそうでないことを、示さないといけない時期に差し掛かってるんですよ」


 そんなのはただの妄想だ。やるんなら自分だけでやれ。そんなヤジがあちこちから上がったが、最初に比べれば明らかにトーンダウンしていた。やはり、実際に革命が起きていることが彼らにプレッシャーを与えていたのだろう。


 そんな中、法案に絶対反対という議員がイライラしながら但馬に向かってこんなことを口走った。


「さっきからあなた、シルミウムシルミウムって言うけどね。あの国を扇動したのはあなただって専らの噂ですよね? 亡命者の救出に向かったアスタクス方伯が、そんなことを漏らしてたそうじゃないですか」


 議会がどよめいた。但馬は議員をギロリと睨みつけた。


「方伯の動きは預言者みたいだったじゃないですか。もしかして本当に、あんたがやったんじゃないの。ここで法案を通すためにさ。あの革命でどんだけの人が死んだか知ってますか? この人殺し」

「なんだと……もういっぺん言ってみろこの野郎!」


 議員の挑発に乗るように、但馬が立ち上がって怒鳴りつけると、議会は騒然となった。


 この若い宰相は常に冷静で、こんな怒りを見せるタイプではなかったはずなのだ。それが顔を真っ赤にしながら相手を怒鳴りつけ、あまつさえ席を飛び出して向かってくる姿を見た議員たちは動揺し、彼を止めようとしてあちこちから手が伸びてきた。


 但馬がそれを振り払うように叩きつけると、議会は一触即発の雰囲気となり、あちこちで小競り合いのような騒ぎが起こった。


 皇帝ブリジットはそれを議会の最も高いところで、ギョッとしながら見ていた。


 この一年、但馬はちょっと怒りっぽくなったようだが、こんなことは初めてだ。戸惑う大臣たちが事態を収集するまで、議会はまるでおしくらまんじゅうのような揉み合いを続けていた。


 結局、この大騒動の後、落ち着いた議会が採決を取ると、法案は辛くも通過した。しかしその採決は半々と言っていいほど割れており、但馬はそれだけ多くの敵を作ることになってしまった。


「先生。お怒りは御尤もですが、あれはちょっとやり過ぎだったのでは?」


 議会終了後、ムスッとした顔で一人執務室へと向かう但馬の後を、ブリジットが追いかけてきた。そのすぐ後ろには三大臣も居り、


「そうですぞ、宰相殿。貴方の言う、国内で最も恨まれているお金持ちこそ貴方なのですから、議会に居る彼らこそを味方につけねば割にあわないでしょうに……宰相殿はまるで逆のことをおやりになる」

「それでも誰かがやらなきゃいけないでしょ」


 不機嫌そうな表情を隠そうともせずに、但馬は吐き捨てるように言った。仮に全てを敵に回したとしても、立ち止まっている暇はないのだ。但馬には、もう殆ど時間が残されていない。


「何をそんなに焦っているのですか?」


 差し込む陽の光は以前と変りなく映った。だが、それは偽物で、あとどのくらい輝き続けていられるかわからないのだ。その徴候が出始めている。


 そうなる前になにか手を下さねばならない。勇者は何かを知っていたようだが、但馬はまだ彼の記憶を思い出すことが出来なかった。だから、彼にやれることはただ一つ……出来るだけ早く、宇宙に到達する手段を見つけるのだ。


 だが……そんなことが本当に出来るのだろうか?


 あまりにも馬鹿げていて、口にしたらすぐに心が折れてしまいそうだった。それでも自分は奥歯を噛みしめて突き進むしかないのだ。そんな決意を秘めながら、但馬は彼を気遣うブリジットたちに返事もせずに先を急いだ。


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[良い点] ああ〜〜〜〜どんどん後年の勇者になってきてる……最初は飄々としてたのに……精神が少し幼いんだろうな……ああ〜〜〜雲行きが…………
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