絶対安静っ!
お久しぶりです。それじゃ再開します。しばらくはストックがあるので毎日更新ですが、その内力尽きるかと。そしたらまた割烹で何か喋ると思いますんで。では。
空が暗くなったような気がする。そんな声が上がり始めたのは、かれこれ一年ほど前の事になる。
足掛け5年もの長きに渡って続いたフリジア戦役に勝利し、大陸から意気揚々と凱旋したアナトリア帝国軍を出迎えてくれたのは、見違えるほどに成長した首都ローデポリスの姿であった。
帝国が破竹の勢いで勝ち続けている最中も、移民は次々と海を渡ってきたようだ。やはり人間、負けるよりは勝ち馬に乗りたい心理が強いのか、戦争の結果が人口の流入にそのまま繋がったらしい。
元々10万人だった人口は、今では5倍以上に膨れ上がり、街中コンクリートの建物が所狭しと立ち並んでいる。
そして、地価が高騰し、市内に住めなくなった人々が、どんどん街を囲む壁の外側へと移っていったために、ついに首都ローデポリスはロードスの都市国家とは呼べなくなって、リンドスと呼ばれるようになっていた。
市内はドーナツ化現象が著しく、オフィスの多い昼間は人で賑わうが、夜は人気がなくなって閑散としているようである。
尤も、それで壁を取っ払うというわけにはいかないので、市内が特別変わったわけではない。相変わらず、東西に長いメインストリートが通っていて、それを中心に碁盤の目のような街が広がり、西高東低の地域格差は、寧ろ広がっているようだった。
リディアの中核インペリアルタワーのある西地区は、リディア鉄道のターミナルが近いこともあってますます昼間の人口が増えてきており、往来はいつも人でごった返していた。逆に東地区は一時的に移民によるスラム化が進んだせいで、元々の市民が居住を嫌がり、港湾地区を中心にドヤ街を形成しはじめた。こちらは昼間の人口が少なく、夜になると飲み客や屋台が集まってきて、今ではすっかり不夜城といった趣きである。
中央区は王宮があるため開発は比較的緩やかで、特に皇帝の居城を見下ろすような高い建物は建ててはならないという決まりがあったから、商店街の一角を除いては特に変わりはなかった。但馬が屋根を吹き飛ばしてしまった自宅も、戦争で大陸を駆けまわっている間にすっかり修復され、元通りになっていた。
大使としてコルフに行ってしまったエリオスの離れをそのまま残して置きたかったのと、但馬の荷物が多かったことと、家主が事故物件を嫌がったので、屋敷を買い取ったのだが、今でも誰も住むこと無く家の中は埃をかぶっている。
そして、開発の手が入れられない中央区が隣にあるせいか、西地区は特に開発具合が著しく、今では高層ビル(と言っても10階程度だが)が建ち並ぶ立派なオフィス街になっていた。かつて但馬がアナスタシアと2人で暮らした街の一角にも大きなビルが建っており、当時の面影はどこにも見当たらない。シモン家もとっくの昔に引っ越しをして、中央区の工場の近くに移っていた。
オフィス街の道は全てアスファルトで舗装され、かつて存在した路地裏の汚泥地域は埋め立てられ、下水道に取って代わった。その点はとても過ごしやすくなったのであるが、ほぼ全ての建物が電化されているからか、西区の空は電線で覆われて少し薄暗かった。需要がある限り電話線を引いていたのだが、電話の普及が思ったよりもずっと早く、無計画に増やした電線が完全に街の景観を損ねていたのである。開発チームにクロック回路の設計を急がせているが、真空管だけでどこまでやれるかは不明だ。
他にも、ここまで高い建物が次々建つとは思わず、日照権のようなルールがなかったせいで、オフィス街はどこもかしこも空が狭くて、一日中どことなく薄暗かった。
だが、そんな比喩表現を抜きにしても、確かに空は暗くなったような気がする。
皇帝ブリジットは、インペリアルタワーへ向かう車中で空を見上げながら、最近巷でよく聞くそんなうわさ話を思い出していた……
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一年前……勇者病の調査のためにティレニアへ向かった但馬は、リディアに帰ってきてから、全くその話をしなくなった。軍隊を引き連れていたために、ゆっくりと凱旋したブリジットのことを、先に帰っていた但馬が出迎えてくれたのだが、久しぶりに会ったその顔はどこか疲れて見えた。
そして、勇者病は解決し、もう誰かが罹ることもないから調査もやめたんだと言ったっきり、彼はそれ以上何も語らなかった。その様子から察するに、明らかにティレニアで何かがあったのだが、そこで何があったのかを尋ねても言葉を濁してしまうのだ。
ブリジットは但馬を信頼している。いや、心酔しきっているというか、信仰に近い感情を抱いている。だから、彼が気にするなと言うのなら、それ以上無理に聞き出そうとは思わないのであるが……元気がないその姿を見ていると、なんだか自分まで悲しくなってきてしまうので、出来る範囲で元気づけてあげたり、原因を探ってみたりもした。
しかし、一緒にティレニアへ行ったはずのアナスタシアも黙して語らず、久しぶりに一時帰国したエリオスにこっそり尋ねてみても、彼も何も聞かされなかったと言われて、あっという間に手詰まりになってしまった。
エリオスが言うには、ティレニアの聖域に入った但馬は重鎮たちと揉めていたそうだが……遠回しにそのことを尋ねても、但馬はムスッとするだけで何も答えてくれないのだ。
仕方ないのでそれ以上は尋ねること無く、努めて平静を装っていたのであるが、それ以来但馬はどこか落ち着きが無く、妙によそよそしかったり、交わす会話もギクシャクとしていた。ずっと宮殿で一緒に暮らしているというのに、これではたまらない。
おかしなことといえば今朝もそうだった。朝食の時、但馬と何気ない世間話をしていたのだが、このところ巷で噂の空が暗くなったという話題に触れると、彼はムキになってそれを否定しだしたのだ。
世間では、去年と比べて太陽が元気がなく、もしかしたらもうすぐ太陽が燃え尽きちゃうんじゃないか、などという根も葉もない噂がたっており、ブリジットはそんな馬鹿げたことあり得ないよねと言うつもりだったのだが……
彼女が口にするより先に、それを制すかのように但馬が早口で否定の言葉をまくし立てたのだ。朝食の席は妙な雰囲気になってしまい、その空気を察した彼はバツが悪そうに席を立つと、一人でさっさと登庁してしまった。どうせ、行く場所は同じなのだから、一緒に出ればいいというのに……
それにしても、何がそんなに気に食わなかったのだろうか?
状況からすると、太陽が燃え尽きると言う噂に烈火のごとく反応したようにも見えたのだが、この手の非科学的な絵空事を、あの但馬が信じてるとは到底思えないし、でも他に見当もつかないし……ブリジットは車の中で空を見上げながら、色々と原因を考えていたのだが、結局何も思い浮かばなかった。
空が暗くなったかどうかは知らないが、少なくとも彼女の心は暗くなった。
ブリジットは鬱々とした気持ちを抱えながらインペリアルタワーまで登庁すると、近衛兵たちを引き連れて長い階段を登り始めた。
大陸から帰ってきてからも、皇帝の仕事はそれほど多くなかった。但馬と優秀な大臣たちが仕事の殆どをやってくれたし、陳情や国の取り決めは議会が中心となって片付けてくれるので、殊更彼女がやることはなかったのだ。
だから彼女のやることと言えば、大臣たちからの報告を聞くことと、貴賓客との謁見くらいのものであったが、そんなものが毎日毎日あるわけもないので、基本的には暇だった。
80過ぎても遅くまで仕事をしていた先代のことを思い出すと、なんだか自分が怠け者になった気分である。だが、そう言うわけではないのだろう。但馬という才能が現れたことで、仕事が効率化されたお陰なのだ。もっと早く彼が居てくれたら、祖父ももっと楽が出来ただろうに……
そんなことを考えつつ、15階建ての階段をえっちらおっちら登り切ると、謁見の間の前に、今日の客が来て座っていた。
「あ、お義姉さん!」
「ご無沙汰しております、陛下」
謁見の間の前にはカンディア公爵ウルフの連れ合いであるジルが腰掛けており、登庁してきたブリジットのことを見ると立ち上がり、恭しく出迎えてくれた。
嬉しい再会にブリジットは感激し、駆け寄って彼女の手を取った。
「わあ、いつこちらへいらしたんですか? 言ってくれれば出迎えたのに」
「はい。先ほど港に到着したばかりで、宮殿にお伺いするよりは、こちらで待たせて頂いたほうが早いかと思いまして……」
「そうだったんですか。それにしても、近いうちに遊びに来るって聞いてましたけど、いつとは聞いていませんでした。嬉しい誤算ですね」
「そうなのですか? 主人が宰相閣下にお手紙を送ったはずのなのですが……」
「え? 先生に……?」
もしかしたら、朝食の時に伝えるつもりだったのかも知れない。あんなことになってしまい、忘れてそのまま出て行ってしまったのだろう。これまた但馬らしくない失態に、ブリジットは眉を顰めた。本当に、最近の但馬はどうしてしまったのだろうか……
「どうかされたのですか、陛下? 顔色がすぐれないようですが」
その彼女の機微を察したジルが、首をかしげて尋ねてくる。ブリジットは慌てて首を振って、その考えを打ち消した。
「いえ、なんでもありません。流石に15階まで昇ってくると疲れちゃいますよね」
「ええ、そうですね。こちらに居た頃は、毎日ここを昇っていたのだと思うと信じられない思いです。久しぶりに昇ったら、息が切れて大変でしたよ」
「あはは。カンディアの宮殿は空調も効いていて快適ですもんね。でも、リディアも捨てたものじゃありませんよ。いつまでこちらにいられるんですか? 新しく出来た街や名所をご案内しますよ」
「陛下にそのようなことは……」
「水臭いこと言わないでくださいよ。私のお姉ちゃんじゃありませんか」
「もったいないお言葉です。ところで、今回はそのことについてもお話があって、リディアまで参ったのですが……」
但馬や大臣たちから予め聞いていた話では、ジルはウルフの名代としてカンディアの特産品を皇帝に朝貢しにきたはずだった。言い回しを変えれば要するに、おみやげを持って遊びに来たというのが本当だが、彼女の様子を見ていると、どうもそれだけじゃなかったらしい。
何か大切な用事でもあるのだろうか……?
いつまでも立ち話ではなんだからと、ブリジットは謁見の間にジルを招き入れると、扉を閉じて二人きりになった。そのまま奥の私室へいくつもりだったが、玉座までくるとジルがここで良いというので、ブリジットは促されるままに玉座に座ると、
「アナトリア皇帝陛下にご報告がございます」
ジルは慇懃丁寧にブリジットの前に跪くと、恭しく頭を垂れて言った。
「実はこの度、私は主人であるカンディア公爵の子を授かるという栄誉を賜りました。公爵は皇帝陛下の血を分けたご兄妹にあらせられる身、誰よりもまず、陛下にご報告せねばとこうして馳せ参じた次第であります。つきましては、私めが高貴なるリディア王家の子を産むことを、どうかお許し下さい」
何しろ、ウルフとブリジットは年がそこそこ離れているから、ジルは彼女が物心ついた頃から、兄の許嫁だったのだ。幼馴染か姉妹と言い換えてもいいくらいの付き合いである。
だから、ブリジットは最初、彼女が何を言ってるのか分からなくて、たっぷり1分位はボケーっと頭を垂れるジルのつむじを見つめていた。そして、あまりにも静かで、返事が返ってこないことに不安を覚えたジルが、恐る恐る顔を上げたところでようやく、
「え……ええ!? ええええーーーーーーーーーー!!?」
っと、絶叫じみた奇声を上げると、
「ほほほ、本当ですかあ!?」
ブリジットは、跪くジルの顔を覗き込もうとして床に寝そべっては、そのはしたない姿に慌てて抱き起こそうとしたジルの顔をピシャンと両手で固定して、じっと目を見つめながら問いただした。
ジルはおっかなびっくり、
「え、あ、本当です……」
「きゃああーーーっ!!」
反応が劇的すぎて若干引いているジルを放ったらかしにして、ブリジットは悲鳴を上げると、嬉しそうに謁見の間でホップ・ステップ・大ジャンプを敢行した。
多分、ウルフがここに居たら、問答無用で怒鳴りつけられそうな行儀の悪い行いだったが、気持ちが抑えきれなかった。
あの兄に赤ちゃんが生まれるのだ。いつもムスッとしてて高圧的で偉そうで、そのくせちょっと頼りない兄ではあったが、ブリジットに残された唯一の肉親なのだ。こんなに嬉しいことはない。
浮かれきった彼女は体力の許す限り謁見の間をグルグルと走り回ってから、ハッと何かを思い出したかのように、ハァハァと息を取り乱しながらジルの元へ帰ってくると、
「おめでとうございますっ! いいえ、ありがとうございますっ!」
「は、はい! ありがとうございます。えー……っと、私が王家に連なる子を産むことを、お許しくださるでしょうか?」
「許すも許さないもありませんよ。こちらからお願いします。どうか赤ちゃんを産んでください! 何人でも産んでください! 毎日産んでください!」
「毎日はちょっと……」
「冗談ですよ……うふふふ。やったあ~!」
ブリジットはそう言うと、また両手を挙げて謁見の間を飛び回った。ここ最近、但馬のことで暗かった気持ちがウソのように晴れやかだった。
別に自分が産むわけでもないのに、兄妹に新しい命が授かったことが、こんなにも心躍る出来事だとは思いもよらなかった。両親を相次いで亡くし、祖父を失ってからは2人っきりの寂しい家系だったのだ。そのくせ、戦争をだらだらと続けて、一度は兄を失いかけるという失態も犯した。本当に何をやっていたのだろうか。
思い返せば、兄だからと言って、ウルフには甘えっぱなしだったかも知れない。戦争を始めたのは確かに先帝だったかも知れないが、それを続けたのは他ならぬ自分なのだ。
今にして思えば、先帝が亡くなった時に、すぐに和平へ向けて動き出せばよかったのだ。死の間際、祖父もそれを望んでいたはずだった。あの時は自分に力がなく、兄や但馬に頼り切りで、自分の権力を掌握することに精一杯だった。それで色々とウルフに押し付けてしまったのだ。
でも今はもうそんなことはない。戦争にも勝利して自分の基盤は盤石だ。もう兄に頼るばかりでなく、彼をねぎらってあげるくらいにならなければ……
そうだ!
ブリジットは思いついた。王位継承権を、生まれてくる赤ん坊にあげるのはどうだろうか。
もちろん、放っておいても継承権は発生するが、今後、もし自分に子供が生まれたら、この子の順位はどんどん下がっていってしまう。だから兄の子供に継承権の第一位を与えると宣言したらどうだろうか。
正直なところ、ブリジットが皇帝になる時、一番ネックだったのは彼女が女性であることだった。貴族の証である魔法の腕前は言うまでもなく、武人としても他に引けをとらないブリジットであったが、女だと言うだけで色々と言われたのだ。
但馬が貴族や議会議員に陰口を叩かれるのも、実はそれが大きいはずだ。但馬はこのまま行けばブリジットと結婚し、ゆくゆくは彼の子供が皇帝になる……それが、旧態依然としたリディア貴族たちは嫌なのだろう。
だから直系男子に継がせると言ったら、もう但馬の足を引っ張る者もいなくなるのではないだろうか。いつも歯がゆい思いをしていたが、これは案外いいアイディアかも知れない。但馬は権力に固執するタイプではないし……
もちろん、自分勝手に決めるのではなく、但馬やウルフとも相談して決めることであるが、生まれてきた子が男の子だったら、こういう選択肢もあり得るわけだ。
ただ、女の子が嫌なわけじゃないので、ジルにプレッシャーをかけてしまうからこのアイディアは胸に秘めておこう……ブリジットは部屋の中をグルグルとスキップしながら、そんなことを考えていた。
それにしても……一時帰国したエリオスも言っていたが、赤ちゃんというものは、どうしてこんなに人を幸せな気持ちにしてくれるのだろうか。
兄の子供が誕生するというだけでこんなに嬉しいのに、もしもそれが自分の子供だったらどうなっちゃうんだろうか……
ブリジットの脳裏に但馬の顔が過ると、ボンッと擬音を発して、彼女の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていった。
それを傍から微笑ましそうに見ていたジルが、いよいよ走り過ぎて酸欠でも起こしたのかと勘違いして、慌てて駆け寄ってくる。
「わぁっ! 絶対安静っ!」
ブリジットはそう叫ぶと、ピューッと義姉の元へと飛んでいって、そして改めて祝福の言葉と、抱擁を彼女と交わすのだった。