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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第一章
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月もない静かな夜

 翌朝、頭痛と吐き気と、またやっちまったのかぁ~……という後悔と共に、但馬は留置所で目覚めた。ここのところ飲み屋屋台が居なかったので難を逃れていたが、正月も三が日が過ぎれば、月が1つだろうと2つだろうと、普通に飲み屋屋台がやってきて、むしゃくしゃしていたのもあって、当たり前のように飲んで、2~3杯ひっかけたところで、これまた当たり前のように記憶が飛んで覚えてない。まあ、留置所に居るということは、きっと何かやらかしたのだろう。


 取り敢えずOMRにゲロってから、ブリブリやって、朝食でも持ってきてくれないかしらと、看守がやってくるのを待っていたら、


「おい、詐欺師。面会だ」


 と言って数日前と同様、看守がブリジットを連れてやってきた。彼女がやってきた時、ちゃんとしてるのは初めてだ。ズボンを下げて見せたほうが良いだろうか。


 われ、何回やらかしゃ気が済むんじゃと、コンコンと憲兵に説教されてから詰所を出ると、


「先生~……本当に何回やらかせば気が済むんですか?」


 と呆れた素振りでブリジットにまで説教された。それはあれだ、この世の酒を飲み尽くすまでじゃなかろうか……などと登山家理論を振りかざしたら怒られそうだったので、はいはいと頭を下げて、黙って小言を聞いていた。


「で、なんか用事? 別に俺の身元引受人ってわけでもないだろ」

「身元引受人なんですよ、おかげさまで。以前も言いましたよね。先生があんまりやらかすから監督役に任命されたって」

「ああ、そうだったっけ」


 そんな設定もあったなあ……水車小屋に入り浸っていたせいか、あんまりにも職場放棄してくれるものだから、すっかり忘れていた。


「でももう、見張りもお役御免だろう? 王様の依頼もこなしたし、それなりの信用は出来たと思うけども」

「それなんですけど、今日はお別れを言いに来ました。国王の覚えもよろしい方を、これ以上監視するのも失礼だろうと……監視じゃありませんよ?」


 今更取り繕うなよ。とっくに知ってたっての……口には出さないが。


「今回の件が終わって、丁度切りもいいことですし、明日から暫く街を離れるもので」

「あ、そうなの?」

「はい。それで今日はこれを渡しに来ました」


 そう言うと彼女は持っていた紙を但馬に手渡した。紙と言っても但馬が作った植物性のものではなく、羊皮紙をクルクルとポスターのように巻いたものであったが。


 但馬は受け取った紙を開いた。


「今回の成功報酬だそうです。インペリアルタワー内に銀行がありますから、そちらで受け取ってください。先生、酔っ払って無くしちゃいそうですし、口座を開設することをおすすめしますよ」

「はぁ~……小切手か、これ。初めて見たよ」


 多分、地球のとは大分違うのだろうが。


「それにしても、銀行まであったんだな」

「はい。個人商店を相手に国が融資を行ってます。この国には、元々商人ギルドがありませんでしたから。そんなわけで、国内の商店主の情報が集まりますから、最近では貿易商の窓口にもなってます」


 商人ギルドはあったのか、冒険者ギルドは無いくせに……まあ、ぶっちゃけそんなもの常識的に考えて成り立つわけないから、無くて当然なのだろうが。大体、どうしてもそういう仕事をしたいなら、普通に便利屋を掲げて仕事を取ってくればいいと思う。うちの近所にもあったけど、1万円で何でもやってくれたぞ。まあ、ファンタジーとしては落第かも知れないが。


「先生もすでに国内でも有数の商人として認識されてますから、融資の相談があったら遠慮無くお訪ねください」

「あ、そうなんだ」


 本人の知らないところで、気がつけば商人になっていたらしい。ダーマ神殿みたいなところで転職したり、それっぽいイベントは何も無かったが……まあ、実際こんなもんだろう。


 それに商人というのは悪く無いかも知れない。金を稼ぎやすいし、各地の商人たちから情報も仕入れやすいだろうし、いずれ交易をするようになれば、仕事でエトルリアや北の大陸にも行けるかも知れない。


「先生はこれから、どうなさるんですか?」


 そんなことを何となく考えていたら、ブリジットが質問してきた。


「どうしよっかなあ……本当は製紙工場を作る予定だったんだけど……」


 まさか木材はありませんなんて言われるとは思わなかった。大量生産の道が閉ざされて、あてが外れた格好だ。


 材料の確保が難しくなった現状、あまり大々的に紙漉きをやると自分の首を絞めかねない。高単価を維持しつつ、主に国相手に商売してくのが無難なんだろうが……それだと手堅いかも知れないが、アナスタシアの借金を返すまで、どれくらい時間がかかるだろうか。


 どうしたものかと首を捻っていると、ブリジットが辺りをキョロキョロと警戒するように見回してから、小声でこっそりとつぶやいた。


「リディア王ハンスは先生に国内に留まってくれることを望んでます。もしも無計画に国外へ出ようとしたら、すぐに追手がつくと思いますよ」


 それは紙の製法を国外に持ち出されるのを警戒していると言うことだろうか。なんにせよ、普通に船に乗って国から出ようとしたら、とっ捕まると言うわけか。しかし、どっちにしろ、当てずっぽうで動き回るつもりはすでに無い。


「いずれは世界を見て回りたいんだけどね。すぐにどっかに行こうってつもりはないよ。まあ、出来れば本拠地はエトルリアに構えたかったとこだけど……」


 国王の話では、リディアはこの大陸どころか、人類の生存圏でも端っこに位置しているようだった。正直言って拠点を構えるには不向きな土地といえよう。だが、代わりに経済的に発展しているようだし、人や物は集まりやすい。


 それに、今では勇者をただ追いかけるだけではなく、ガッリア大陸のエルフや、勇者がやってきたと言う南の島も、本当にそんなものがあるのかどうか、気になりつつある。だから暫くは腰を落ち着けて、情報収集を先に行ったほうがいいかも知れない。


 帰りたいという目的ははっきりしているのだが、取っ掛かりが殆ど無いからな……


「そうですか、なら良かったです。もしも何か困ったことがありましたら、いつでもご相談ください。駐屯地に居ますから」


 但馬が国内に留まると言うと、ブリジットはホッとした表情でそう言った。もしかしたら、自分が逃げたら追っ手として彼女が派遣されるのかも知れない。説得するにはうってつけの人材だし、それに忘れちゃ困るがキチガイみたいに強かったしなあ、このおっぱい……但馬は以前に見かけた彼女の剣さばきを思い出してゾッとした。


 そして、ごきげんようと言って彼女は去っていった。その姿は可憐で人の目を惹きつけるには十分なものだった。いつも柔和な笑みを浮かべて人懐こく誰からも好かれるような性格をしてた。実際、何人かの人が通り過ぎるときにちらりと彼女を盗み見ていた。なんで92Gなのだろうか。本当にそれだけが残念でならない。


 但馬もごきげんようと返すと、城門をくぐって街から出た。昨日はシモンとギクシャクしてしまったが、取り敢えず今日も水車小屋で待ってれば、いずれやってくるだろう。


 今後の話をつめておかねばなるまい。


 会社を設立して管理職としてやってくのか。それとも職人として出来る限り仕事を独占するか。アナスタシアの身請けについても、一度白紙に戻して話し合ったほうが良いだろう。


 現実の話をしてしまえば、但馬ならばすぐに彼女を助けることが出来るのだ。ただ、それを積極的にする理由がない。自分はあくまで善意の第三者なのだ。なんせ、いつか居なくなってしまうのだから。


 そんなことを考えながらスラムまでやってくると、いつものように水車小屋の周りに娼婦とジュリアが居るのが見えてきた。但馬は手を振って挨拶すると、


「そういやジュリアさん。アーニャちゃんの借金てどのくらい残ってるの?」

「アーニャちゃん? ああ……あの子の借金なら、残り金貨1千枚くらいよ~」


 わあ、計ったような数字だな……但馬の懐に金はある。彼女を助けるに十分な金なのに、だけど今これに価値はない。


 室内に入り、水車の動力室へ行くと、スラムの子供たちが勝手に苛性ソーダを電気分解して作っていた。彼らは電気にご執心のようで、作った薬品で蟻とかミミズとかカエルとかを殺しては大いに喜んでいた。


 子供は残酷だなあ……と軽く引きながら、作業机で熱心に何かを書き綴っていたアナスタシアに声をかけた。


「おはよう、アーニャちゃん。何書いてるの?」


 彼女は以前からよく紙を欲しがって、但馬は玉葱と交換で余った紙を渡していた。他にも国王へのプレゼン用に作った鉛筆の失敗作をあげたのだが、それを使って何かを書いているようだった。


 他人の日記を盗み見るようなことはよろしくないので、ずっと気にはなっていたがスルーしていた。しかし、今日は仕事も一段落して、シモンもいないので手持ち無沙汰だった。だから彼は聞いてみることにした。


「アンナじゃなくて……アナスタシア」


 彼女はそう呟くと、困ったような顔……と言うか、いつも困ったような顔をしていたのだが、より一層困ったように眉根を寄せると、紙を一枚こちらに寄越した。


『すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、

「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」

 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。

 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」

 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

 そこでイエスは身を起して女に言われた、

「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」

 女は言った、

「主よ、だれもございません」

 イエスは言われた、

「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」』


 但馬はクリスチャンではないし、聖書を読んだこともない。だが、これは知っている。聖書の有名な一節のはずだ。


「……修道院で読んだの。忘れないように書いておこうと思って……」


 彼女の手元には何枚もの紙束があり、それにびっしりと小さい文字が書き綴られている。


 但馬は思わず息を飲んだ。もしかして、これが全部聖書の写しなのだろうか?


「書いておくって……昔読んだ本の内容を覚えてるわけ?」


 彼がそう尋ねると、彼女は当たり前のようにコクリと頷いた。その動作があまりにもスムースだったから、まるでこっちの方がおかしなことを聞いているように思えてきたのだが、これってかなり凄いことではないだろうか?


 しかし、感嘆の言葉をいくら投げかけたところで、彼女の顔は困ったままだった。きっと彼女にしてみれば当たり前のことで、但馬が紙を作ったり、電気を使って薬品を作ったりするほうが、よっぽど凄いと思ってるようだった。


 自分の知識は、ただ既存のものを借りてきているだけなのだが……そんなことを言っても詮無いので、押し黙るしかない。


 結局、その日はシモンが来ないまま、彼女の書き取りをぼんやりと見て過ごした。彼女のそれが完全記憶能力なのか、それとも篤い信仰心のなせる技なのか。なんにせよ、彼女の気持ちを踏みにじった修道院の中で、彼女にとってその記憶は、とても重要なものだったのは間違いないのだろう。眉間に深く刻まれたその皺の中には、きっと聖書の言葉が刻まれているのだ。


 やがて、夕方になって彼女が夕食の用意をする間、子供たちがあまりにも殺しすぎるので、いい加減にしろと円盤を取り上げ、代わりに折り紙などをして過ごした。やはり紙飛行機が一番評判が良くて、よく飛ぶ折り方を教えてやったら、彼らは熱心にそれを真似したり改造したりし始めた。


 結局、シモンが来ないまま夕飯を終え、外はすっかり暗くなって、娼館の営業時間になってしまった。


「ナースチャ!」


 早速、客が来たのだろうか、ジュリアに呼ばれてアナスタシアが出て行く。


 こうなったらシモンはもう絶対来ないだろう。どうしようか、彼の家を訪ねていこうか……それとも、暫く放っておいた方が良いのだろうか……


 そんなことを考えながら、但馬もそろそろ街に戻ろうと動力室のランプを消して、廊下へ出た時、


「ハァハァハァハァ……アナスタシアたん、アナスタシアたん。ちゅきちゅき、アナスタシアたん。ベロ出して、ベロ……ジュバジュブブブブジュバブブブ……」


 豚みたいな男がアナスタシアに伸し掛かるように壁に追いやり、その唇に吸い付いていた。男は殆ど身動きの取れない彼女の顔をベロベロと舐め上げ、興奮した素振りで下半身を彼女の下腹部に押し付けている。


「ここじゃ駄目。ちゃんと部屋までいこ?」

「ハァハァ……うん、早くいこいこ! アナスタシアたん、ハァハァ……」


 豚は非力な彼女を引きずるかのように、部屋の中へ引っ張っていった。


 バタンと扉の閉まる音がする。


 ギシギシと、立て付けの悪い小屋が揺れていた。今までは聞かないように、聞かないようにと自分に言い聞かせてスルーしてきた。だって、こんな防音設備もろくに整ってない小屋だから、耳をすませばいろんな音が聞こえてくる。


 はぁはぁと息を荒げる声。


 わざとらしい娼婦の喘ぎ声。


 軋むベッドの音。


 粘膜の絡みあう粘っこい音。


 性を貪る獣たちの欲情が、否応なしに耳朶に叩きつけられる。


「……ぷはぁっ!」


 いつのまにやら止めていた呼吸を再開すると、但馬は酸欠でガンガン痛む頭を叩きながら、わざとドスドスと足音をたてて廊下を突き進み、そして逃げるように水車小屋から飛び出した。


 駆け抜ける青年のシルエットを月が浮かび上がらせる。


 物凄く、胸糞の悪いものを見た。


 わかっちゃいたけれど、頭のなかで理解しているのと、実際に見るのとじゃ全然違った。


「なんであの子があんな目に遭わなきゃいけないんだ。彼女が何をしたってんだ」


 憤りを覚えても、しかしあの豚はかつての自分自身なのだ。自分だって事情を知らず、彼女を買おうとしたではないか。


 胃がキリキリと痛む。


 但馬はその得体のしれない感情を、ただ怒りに転嫁するしか方法が無かった。


 彼は市街に戻ってくると屋台に駆け込み、無我夢中で酒を煽った。


 普段なら2杯も飲めば気分が良くなるのに、その日は何杯飲んでも一向に酔いが訪れる気配がなかった。


 なんだか今日は辺りが薄暗い。


 公園のベンチにも、薄っすらと見える火山島の噴煙も、インペリアルタワーも、今日はやけに静かに見えた。


 今日はもう月がなく。この世界にきて、こんなにも静かな夜は初めてだった。

 

******************


「貴様ああああぁぁ~~~っっ!!! ここで何をしてるのかぁっ!!」


 ドカンッ!!!


 っと、ケツを強かに蹴り飛ばされて、但馬は強烈な痛みをこらえつつ、呻きながら体を起こした。


 見上げると、もはやお馴染みとなったウルフとかいう近衛兵が、目を血走らせてギラギラと但馬を睨みつけていた。なんでこいつはいつ見ても怒ってるんだ。更年期障害なのか。


 しかし、そんなことを気にする余裕も無いほど、今日は頭がガンガンに痛んだ。目の前がぐるぐると回って焦点が合わない。絶えず吐き気が襲ってくる。胃がまるで別の生き物みたいに収縮する。


 あまりの気持ち悪さに、その場でゲェ~っとやったら、


「きっさまああああああ!!!!!」


 もはや遠慮なしと言った感じに、ものすごい勢いで何度も何度も蹴り飛ばされた。


「なっ! なにしやがんだっ、ちきしょうめっ!!!」


 これにはさすがの但馬も怒ってウルフを睨みつけたのだが……しかし、すぐにいつもとは様子が違うことに気がついて……怒りはどこかへ霧散した。


 睨んでいるのはウルフだけではない。360度どこを見渡しても、その場にいるすべての人々が但馬を非難がましく睨んでいる。しかもその数が尋常じゃない。


 驚いて潜り込んでいた植え込みから這い出ると、但馬は公園がいつもとはまるで違う様子であることにようやく気づいた。


 公園にはものすごい数の軍人が整然と並び、彼らの持つパイクの穂先がギラリと陽光を反射して、まるで光のじゅうたんのようになっていた。その数はざっと見ても千人単位の規模である。そして公園を取り巻く環状交差点(ラウンドアバウト)には騎兵が並び、その勇姿をひと目見ようと、沿道には人々が列をなして詰めかけているのだった。


「なんじゃこりゃ、運動会でも始まるのか?」


 もちろんそんなわけがない。


 植え込みから引きずり出された但馬は、そのまま近衛兵たちに羽交い締めにされて、沿道にポイッされた。二日酔いでふらふらの頭で何事が起きたのかと公園を見やれば、


 パラパパッパパ~~ッ!!! パパパパ~~~ッ!!!


 っと、クラリオンの鳴り響く音が聞こえてきて、容赦なく二日酔いの但馬の頭を傷めつけた。


 ギンギンギンギンと頭を締め付ける。


 涙がにじんで視界が歪んだ。


 そんな但馬の事情などお構い無く、クラリオンの音色が変わるたびに、中央広場の兵隊たちが、右足、左足と足を踏み出し、石突きで地面を叩くのだった。


 ガンガンと脳みそが揺さぶられる。


 死にそうになりながら、憎たらしいクラリオンを奏でる男を見てみれば……


「……シモン?」


 そこには、かつて海岸で初めて出会った時のように、皮の鎧をつけたシモンが高らかにクラリオンを響かせているのだった。


 彼のラッパで、数千の兵隊が動き出す。


「おいおいおい、なんじゃこりゃあ……シモン! お~い! シモーン!!」


 但馬がそう叫ぶも、同じように沿道から兵隊たちに声援を送る人々の声で、彼の声はシモンに届かない。そうこうしていると、インペリアルタワーの中階にあるテラスから、国王が姿を表し、手を振った。


「オオオオオオオオオォォォォォオォォオォォォーーーーーーーーー!!!!」


 その瞬間、まるで地響きのような歓声が沿道を埋め尽くし、そして但馬の脳みそを容赦なく揺さぶった。彼はもはや頭痛を通り越して、麻痺のようになってしまった頭を抱え、涙目で事の成り行きを見守っていたら、


「先生! 先生じゃないか」


 一人の男が近寄ってきた。シモンの父親である。


「先生も、バカ息子のことを見送りに来てくれたのかい」

「見送りって……一体、これはなんの騒ぎです?」

「何って、出陣式じゃないか。これから、メディア国境に向けて、リディア軍が進軍を再開する」


 中央広場に建てられたお立ち台に、隻眼の男が立ち、何やら演説を打っていた。


 但馬はぽかんと口を半開きにしたまま突っ立ってそれを聞いていたが、頭に何も入ってこない。


「はあ? ……出陣?」


 もしかして、クリスマス休戦が終わっちゃったの??


 パラパパッパパ~~ッ!!! パパパパ~~~ッ!!!


 再度、クラリオンがあちこちで鳴り響く。


 それを合図に軍隊は回れ右をして、先頭の方から行進曲(マーチ)に乗せて進軍を開始した。


 但馬は慌てて叫んだ。


「シモン! シモーーン!!!」


 彼の隣に立つ、父親も同じように息子の名前を叫んだ。沿道に詰めかけた人々が、それぞれ思い思いの言葉を叫ぶから、但馬の声は声援の一部になってかき消されてしまった。


 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。


 軍隊がマーチに乗せて通り過ぎていった。


 但馬たちの前を通るとき、ちらりとシモンがこちらに目線を送った。


 しかし、彼は何も言わずすぐに目を逸らすと、クラリオンを高らかに鳴り響かせ、去っていった。


 鼓笛隊が行進曲(マーチ)をかき鳴らし、パイク兵の隊列を先導しながら練り歩く。


 英国軍(ブリティッシュ)擲弾兵部隊(グレナディアーズ)


 彼らの鳴らす曲目は、但馬にも馴染み深いものだった。どうしてこんなところでこの曲が? そう言えば、勇者は南の島国ブリタニアから来たとか言っていたんだっけか……


 頭の隅っこでそんなどうでもいいことを思いながら、但馬は行進を続ける軍隊の隊列を、ただただ呆然と見送った。


 どうして、シモンは休戦が明けることを教えてくれなかったのだろうか?


 昨日、少しギクシャクしたからだろうか? いや、休戦明けの日程なんて、そんなの前から決まっていたはずだ。タイムリミットがあるのなら、どうして言わなかった?


 アナスタシアを助けるために、金儲けをしてるのだと言っていたじゃないか。そのために但馬にも協力してくれと言っていたじゃないか。


 彼女をどうする? まだ何も決まってないんだぞ?


 但馬はシモンの突然の行動に戸惑った。しかし、一度行進を始めた軍隊を止めることなど出来るはずもなく。彼はその後姿をただ見送るより他なかった。


 行進曲(マーチ)が続く。一糸乱れぬ兵隊たちの軍靴の音が、規則正しいリズムを刻んでいた。


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