あれは……俺だ
「……電力? 電力の供給設備だって!? これが?」
「そうです」
ガブリールは何の衒いもなくそう言い切った。但馬は何を言っていいかわからなくなった。
人里離れた山奥まで、富士登山みたいな過酷な山登りをして、いざ辿り着いた先には、彼の想像を絶する施設が建てられていた。いや、世界樹の遺跡というもの自体が、但馬にも理解不能なロストテクノロジーで作られたものだったから、ある意味想定内ではあったのであるが……
問題は、そこに居た男が、当たり前みたいに静止衛星軌道だとか、メガソーラーだとか、マイクロ波送電だとか言う、但馬が生きた時代でも少々特殊な人しか使わない言葉を使っていることだ。
こいつは一体、何者なんだ?
聞きたいことははっきりわかってるのに、遠回しな言葉しか出てこない。決定的な言葉が出てくるのを、恐れているみたいである。
「なんで、こんな設備があるんだ?」
「こんな山の上ですからね、発電施設なんて考えられるのは風力発電くらいのものですが、メンテナンス性や発電力を考えれば、そんなの非効率的でしょう?」
「それで、大気圏外で発電しているってのか……?」
「そうですよ」
但馬はうんざりするように続けた。
「そもそも、どうしてこんな大掛かりな設備が必要なんだ。俺が今まで行ったことのある世界樹には、こんなの無かったぞ」
「他は世界樹だけで完結するからでしょう。ここにはそれだけの施設が存在しますので」
「それは一体……」
「もちろんお見せしますよ。こちらへどうぞ」
ガブリールはそう言うと、また背後を振り返って世界樹の方へと足を向けた。ここの世界樹の入り口も、他のものと同じで何か不思議な力でカモフラージュされていて見えなかったが、舗装された石畳が続いているせいで、どこにあるかはバレバレだった。
彼はその入口に立つと、その前にある認証パネルのような板に手をかざし、
「言うまでもないでしょうが、お二人もご自分で認証して入ってきてください。それが決まりですので」
と言って、掻き消えるように姿をくらました。おそらく、世界樹の中に入っていったのだろう。但馬がその後に続いて入り……そう言えば、アナスタシアが遺跡に入るところを見たことがなかったことを思い出し、不安になって振り返ると、何事も無く彼女が入ってきてホッとした。
いや、ホッとしていいのだろうか? 敵地とは言わないが、他人のテリトリーで無防備すぎるかも知れない。そう思い、改めて但馬は気を引き締めた。
遺跡の中の作りは、メディアやセレスティアと同じだった。中に入るとすぐに半円形の廊下が左右に続いていて、所々に私室らしき部屋の入り口が見える。多分、いつもと同じだろうと思いつつも、一応、中を確かめてみようと、但馬が入ってすぐの部屋のドアを開けようとしたら……
「あれ?」
いつもならすんなりと開くはずのドアがうんともすんとも言わない。もしかして壊れているのかと、しつこくドアノブをガチャガチャやっていると、先へ行こうとしていたガブリールが慌てて戻ってきて、
「うわあ! 大御所様、そこは同僚の私室ですので勘弁してやってください」
「私室……えっ? ああ、もしかして、おまえってここに住んでるの??」
「そうですよ。私達、管理者はここで暮らしています。他の世界樹だって、ちゃんと職員のプライベートスペースがあるはずだと思いますが……」
「ああ、あったあった。でも基本的に空っぽだったから、一体、何の部屋なんだろうって思ってたけど」
最初の印象通り、遺跡の研究員なり職員なりの生活施設だったようだ。実際に使われているところを見てみたいと思っていたら、
「大御所様がどうしても中を見たいというなら、私の部屋でしたら構いませんが」
と言うので、遺跡の中心部に行く途中にあるガブリールの部屋を、遠慮無く見せてもらうことにした。
彼の私室に入るとすぐにコーヒー豆の香りがした。
そちらの方へ目をやると、昔ながらの安っぽいコーヒーメーカーが置かれており、その横には手巻きのコーヒーミルなんてものまであった。それは確かにありふれたものでしかなかったが、この世界ではあり得ないものなので、なんだか明晰夢でも見せられてるような気分になって、クラクラした。
こういったアンティークが好きだと言う彼の部屋には、他にもラムネ瓶の一輪挿しや、いわゆるビードロの金魚鉢が吊るされていた。中身は空っぽだったが、代わりに丸くて綺麗な小石が詰まっており、麓から運んできたもののようである。
全て一品物だと言うそのデザインにも驚いたが、使われてる素材にも目がいった。コーヒーメーカーなんてのは、明らかに合成樹脂で出来ているようにしか見えない。
どこでどうやって手に入れたのか謎なものは他にもある。部屋は6~8畳の広さがあったが、入ってすぐ右手にはドミトリーのような二段ベッドがあったが、個室であることを示すかのように、上段には雑多な物が散らばっていた。
部屋の奥には、部屋の壁から突き出ているテーブルの上に、但馬の生きた時代ですらオーバーテクノロジーと呼ばざるを得ない、半透明のモノリスがあって、その中央には他の世界樹の遺跡でも見た、モニターに映るGUIの画面が見えた。つまりそれはコンピュータか何かなのだろう。
私室だからあんまりジロジロ見ないで欲しいと言われ、めまいを起こしながら部屋から出る。ガブリールは仲間を紹介するからと施設の奥へと向かっていった。奥とは、他の世界樹同様、遺跡に入って左手奥のことだ。
その左手奥の観音開きの扉の前まで但馬たちがやって来ると、ガブリールは扉を開く前にくるりと振り返ってから、
「大御所様。いかがでしょうか。ここに来るまでに、何か思い出しませんでしたか?」
但馬は首を振った。
「いいや、なにも。本当に、俺は何かを忘れてるというのか? 例えば前世の記憶とか、勇者の記憶とか言われても困るぞ。俺は勇者じゃないんだから」
「そうですか……それは残念です」
するとガブリールは少し困った表情を見せてから、すぐに思い直したようにいつもの軽い調子に戻り、
「我々は大御所様に何かを隠すようなことはいたしません。ここから先で見るものに関しては、全て大御所様の望まれるままに情報を開示します。二度手間になりますから詳しいことは省略しますが、その途中で我々の役割や目的が分かるでしょう。大御所様に思い出してもらいたいことも」
「ああ」
「では、よろしいですね」
何がどういいかよくわからないが、ここから先のことを知ったら引き返せないとでも言うのだろうか。そんなのは言うまでもなく今更である。但馬が黙って頷くと、ガブリールは扉をコンコンとノックしてから、最奥の部屋へ足を運び入れた。
その部屋の他の世界樹と全く同じ作りだった。
その広さ、謎の生体ポッドが並んでいるスペース、最奥にはモノリスがあって、いつも但馬がやっていたように、コンピュータの画面が起動されている。
その中央のだだっ広いスペースに3人の男女が居て、一人はセレスティアでガブリールと話していた時に乱入してきた青年で、あとの2人は大柄な男性と、小柄な女性。どちらも、但馬とアナスタシアの顔を見るや目を丸くした後に、喜びの笑みを浮かべた。
「25年ぶり……いや、1000年ぶりでしょうか。我々がここに揃うのは」
そんなことを誰かが呟く。1000年って……どういう意味かはこれから話して聞かせてくれるのだろうか。
そんな時、コポコポっと水泡が音を立てるような音が聞こえて、生体ポッドの中で何かが揺れた。見れば、いつもなら人間の胎児のようなものが入ってるそこには、グロテスクなブヨブヨした肉の塊が浮かんでいた。心なしか水の色もおかしい気がして、言いようの知れない不安を感じさせる。
但馬は眉を顰めながら尋ねた。
「あれは、一体……?」
「ああ、驚かれましたか? ……あれは成分分析からすると、どうやら人間のようです。あの肉の塊のようなものは、人体を構成するアミノ酸が複雑に絡まって出来ているんですね」
「人間? アミノ酸? なんでこんなもんが……」
「他の世界樹と同じですよ。他では胎児から培養しているのに対し、ここでは人体から錬成する……とでも言えばいいでしょうか。特殊な方法で人間や亜人のクローンを作り出しているようなのです」
つまり、いつも見ていたあの施設の進化版といったところだろうか……中央の生体ポッドからは管が伸びていて、その周りに横倒しに置かれた別のポッドにつながっている。クローンはこちらから出てくるらしい。詳しい話を聞いたら頭がどうにかなりそうで、それ以上は聞かなかった。
ただ、なんとなくなのだが、あれを見ていると不安になる。人間を冒涜していると言うか、あってはならないと言うか……
但馬がよほど不安な顔をしているからだろうか、その雰囲気を察したらしいガブリールが、生体ポッドを隠すように立ちはだかり、気にするなと言った感じで、今度は但馬の前でうずうずとしていた三人の男女を紹介した。
ビデオ通話でもちらっと見かけた青年はミハイル。大柄な男がラフィール。小柄な女はサリエラと言うらしい。ガブリールと合わせて4大天使が勢揃いである。わかりやすくて助かるが、なんとなく腑に落ちないものを感じるのは、おそらく五摂家なのに、4人しかいないからだろう。もう一人の摂家……シホウ家と言うのはなんだったのだろうか。
尤も、情報の出どころは、あまり詳しくないはずのランであるから、もしかしたら何か勘違いがあるのかも知れない。その点も後で尋ねようと思いつつ、それよりも先に、但馬は今一番気になっていることから尋ねた。
「それでガブリール……あの外の受電設備で得た電力は、何に使われてるんだ? あのポッドなのか?」
「いえ、違います」
ポッドの方は他の世界樹と変わらないらしい。それじゃ何が違うのかと言えば、
「まずはこちらを御覧ください」
ガブリールがそう言うと、他の三人が奥の端末の前に移動してそれを動かし始めた。見たところ、他の施設と変わらないように思えたが……よく見ると、操作パネルはいつものモノリス一つだけではなく、隣にも何か突起のような……と言うか、かなり巨大な、コンテナくらいの大きさの何かが部屋の奥で横倒しになっていた。
ミハイルと呼ばれる青年が操作パネルを弄ると、そのコンテナから、キーンと耳障りな音が聞こえてきた。どうやら何かの機械が稼働したらしいが、一体何が動き出したのか分からない。黙って見ていたら、やがて奥のモニター画面がパッと切り替わり、
「……え!?」
画面いっぱいに動画が流れ始めた。
映画とは違い、ホームビデオで撮影されたのであろう映像は、やけに暗くて手ブレが酷かったが、被写体のピントだけは合っていた。
仲間内で楽しむだけのホームパーティで、なんとなく撮影されたであろうそれは、別に物語性もなく、他人が見てても退屈なだけだった。
だが、そんなものを見たことのなかったアナスタシアは、但馬の横で感嘆の溜息を漏らし、
「うわ……なんか凄いね。どうなってるの、これ? 先生、分かる?」
原理はつまるところ活動写真であるのだから説明は可能だ。いつもの但馬だったら、写真とパラパラ漫画を使って説明を試みるだろうが……
その時の彼は、それどころじゃなかった。とてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。
「あれは……俺だ」
但馬が震える声でそう呟く。
アナスタシアがポカンと彼の顔を見上げる。
「え……?」
「あそこに映ってるのは……俺だ」
ホームビデオの中では、それぞれの楽器を持った男たちが、今まさに演奏を開始しようとしていた。トランペットを片手に、無駄に明るい顔をしながらグータッチして回る金髪の青年、良いからさっさとしろと言わんばかりに不機嫌そうな顔をしたコントラバスの初老の男性、苦笑してそれを見守るピアノの青年、その他諸々。
そんな彼らがポピュラーなジャズナンバーを演奏し始めた。その演奏が決して上手くないのも、素人の撮ったプライベートな映像だからだろう。誰が見ても、ただのつまらない記録映像でしかない。
だが、但馬はそこに映っている内の、一番奥でピアノを演奏している男を指さし、
「あれは……俺だ。俺が映ってる」
但馬が言うも、きっとその言葉が腑に落ちなかったからだろう。アナスタシアは暫く固まってから、
「え!? でも、先生とはまったく似てないし、別人だよ?」
「別人でもなんでも、あれは俺なんだ……俺が……生きていた頃の俺なんだ」
アナスタシアは但馬の顔と映像とを交互に何度も見返している。多分、但馬に何を言われているのか、まだイマイチ理解しきれていないのだろう。
但馬だってそうだった。なんでこんなものがここにあるのか……
バイトの面接で好成績を収めた但馬は、民間宇宙飛行士候補生として、通っていた大学を休学してアメリカに留学した。その後、アメリカの大学を優秀な成績で卒業した後、オルフェウス社に雇われて本格的な訓練が始まった。
独身で天涯孤独で東洋人のハーフだった彼には友達も居らず、放っておくと休養日も一人で訓練に明け暮れてしまうから、気のいい同僚たちに、いつもこんな感じでホームパーティに連れだされた。
その内、ジャズピアノが出来ることがわかると、音楽好きな友達が出来て、宇宙飛行士として偉くなるに連れて、社交ダンスとピアノは但馬の特技として広く認知されるようになっていった。火星探査機のお披露目パーティでも弾かされたことがあった。
そう、有名になるに連れて、いつも彼の周りにはビデオカメラがあった。
「でも、なんでこんなものがここに……」
「他にもありますよ。あなたが日本の子供たちに授業をする風景や、訓練の様子を記録したドキュメンタリー番組。キュリオシティー01の発射はもちろん、これはあなたではありませんが、火星の衛星軌道に乗ったキャプテンの歴史的な映像もあります。そう言う記録映像の他にも、様々な人類の記録がここには詰まっているんですよ」
ガブリールがそう言うと、端末を動かしていたミハイルが他の映像を別ウィンドウで表示しながら、ウィキペディアのような辞書や、各分野の学会論文のデータベースなどを次々と表示してみせた。
「これは過去のありとあらゆる知財が蓄積されたライブラリです。1000年前。自然科学の知識や、映画や音楽のような芸術のアーカイブを、御所様はここへ残してからお隠れになられました。来るべき日、御所様が復活し、また我々人類を導く日のために、ここにご自身の記憶の全てを残したわけです」
「復……活?」
「そうです。そのための研究の一端を、あなたは既にエトルリアで見ているはずです。皇女リリィは御所様のクローン……元々は御所様が現世に長く留まるため、延命されるために作られた存在でした。ところが、これは上手く行かなかった。それで御所様は、より高度な施設をつくるためにここへやってきて、あの発電設備を駆使し、そして作られたのが、ここにあるライブラリと、そこにあるクローン製造装置なのです」
ゴポゴポと、水泡が弾ける音が耳障りに響いた。ポッドの中で気味の悪い肉塊がユラユラと揺れる。まるで意志もないそれが返事でもしているようだ。
「もうおわかりでしょう。巫女は来るべき聖女復活のために、御所様に作られた存在です。数十年おきに誕生し、そして天にお隠れになった御所様と交信する、チャネラーの役割を果たしていました。ですが、今を遡ること25年前……その巫女の教育を行っていた男が事件を起こしました」
但馬の隣にいるアナスタシアが、ギュッと彼の服の裾を掴んだ。誰の話をしているのかは明白だった。
「生まれてきたばかりの巫女は幼く、儀式に耐えられるようになるまで、我々、五摂家が面倒を見る習わしとなっていました。シホウ家はその家系の一つで、巫女を家族として迎え、教育し、育てるのが任務でした。ところが、その当主の男が、事もあろうに巫女に恋をしてしまった……
もちろん、それは許されることではありません。事が発覚すると、我々は彼を罷免し、巫女と引き剥がそうとしました。すると彼は巫女を連れて逃げ出してしまった。何故なら、巫女はいつか聖女を復活させるための器になる存在……時が来たら降霊を行い、御所様の記憶を宿した巫女は、人格が入れ替わる。そう、別人になってしまうからです」
人格が入れ替わる。別人になる。勇者病とは、まさしく、このことではないか……
心臓が、まるで別の生き物にでもなってしまったかのように、信じられない速度で鼓動を打ち続けていた。但馬は目眩がするのを抑えられなかった。