聖域にて
男は名をガブリールと言った。
山頂から現れた山伏の集団はティレニアの貴族階級のようなものらしく、彼らが現れて暫くすると、バタバタと村人たちがやってきて道端にひれ伏した。
まるで時代劇の大名行列でも見てるような光景に現実感を忘れそうになったが、その中にランの姿が含まれているのを見つけた但馬は、なんだかムカムカしてきて、村人たちを仕事に戻すように目の前の男に言った。
ガブリールはどうやら但馬の心中を察したらしく、慌てて村長に面を上げるように言い、恐縮する彼に向かって、いいからさっさとどっか行きやがれと遠回しに言った。
村人たちはすごすごと引き下がり、みんな家に入って戸を閉じた。気がつけば、さっきはあんなに立ち上っていたのに、今はどこの家からも煙が上がっていない。放牧されたヒツジ達の群れが自由気ままにゴロゴロしていた。
この世界は絶対王政が主流だが、どこか牧歌的なものが感じられて、ここまであからさまに階級制度のようなものを見せつけられるのは初めてだった。ティレニアではこの上下関係が絶対であり、それは国内に入った外国人も例外ではないらしい。
「エリオスさんが同行しちゃいけないって言うのか?」
但馬がギロリと睨みつけると、ガブリールは苦し紛れの冷や汗をかきながら、
「駄目ではなく、推奨しないと言っているのですよ。世界樹の聖域には基本的に人は近づけられませんから、彼が来たところで手前の集落で待ってて貰うことになります。それでよろしいのでしたら止めはしませんが……正直申し上げますと、奥様がティレニア人であるならば、ここで待っていた方が無難だと思いますよ。知ったらしゃべりたくなる。だがそれを奥様が知ったら悲劇だ」
ティレニア人は聖域に近づくことは許されない。そのこと自体を語ることすらはばかられるらしい。だからそれをエリオスがうっかりランに話してしまったら、彼女の立場がまずくなると言うわけだ……
まるで脅しみたいで極めて不快だったが、問題は但馬個人の話ではない。エリオスがどうするか、彼が決めることである。
エリオスは暫く沈思黙考していたようだが、結局、行っても行かなくても後悔するだろうから、手前まででも付いて行くと言った。本当はもう護衛でもないのだから、今後のことを考えて残ってくれても良かったのであるが、
「何を水臭いことを言ってるんだ。こうして社長と旅をするのも随分と久しぶりだろう。せっかくなんだから、最後まで付き合わせてくれ」
エリオスのその言葉により同行が決まると、これ以上の問答は無用とばかりに、但馬達は山頂へ向けて出発した。
早朝にも関わらず、朝食も取ってないのに、もう出発するのかとも思ったが、この村が5合目ということは、ここから先の道のりも昨日と同じくらいの時間がかかると言うことである。
山伏集団に促されて輿に乗ると、アナスタシアも同様に別の輿に乗せられていた。エリオスが徒歩なところを見ると、はっきりと差がつけられている。アナスタシアの正体は恐らくバレているのだろう。ガブリールはさっきの一悶着の間も、彼女にはここに残るようにとは一言も言わなかった。
多分、エリオスはそれに気づいていたのだろう。アナスタシアの肩越しの彼と目があったら、何食わぬ顔でウインクを寄越してきた。何かあった時は力になるということだろうか、やはりエリックと違って本物の護衛は違う……いや、あれはあれで役に立ってるんだが。
道中は暇で、巫女のことについて尋ねようかどうしようか迷ったが、多分、エリオスや山伏たちがいる間は教えてくれないだろう。仕方ないから黙って輿に揺られていると、グーッとおなかの虫が騒ぎ始めた。
するとガブリールは待ってましたとばかりにニコニコしながら振り返り、
「朝食が未だのご様子ですね。大御所様のために、本日はこのようなものを用意させていただきました」
と言って、竹皮に包んだ何かを渡してきた。何というか、テレビや漫画、時代劇なんかでよく見かけるようなあれである。まさか……と思って包みを開けると、そこには真っ白な米と海苔で作られた握り飯があった。ご丁寧にたくあんまで添えられている。
「大御所様のお好みに合いますよう、特別に作らせました。米も海苔も麓の村で作られたものです。お口にあえばよろしいのですが」
「……その大御所様ってのは、一体なんなんだ。どうして俺のことをそんな風に呼ぶのか教えてくれないか」
「それはここではちょっと。聖域に着きましたら、自然とお分かりになるかと」
こんな所まで来て、まだ秘密主義のようである。そこまで隠す必要は何なのか、聖域には一体何があると言うのか……但馬はモヤモヤとするものを感じながらも、自分からはどうしようもないことなので、我慢して輿に乗っていた。
それにしても、本当に酷い道だった。
険しいことは険しいのだが、それ以上に狭くて砂や小石がゴロゴロとしていて、こんな道で輿を担ぎながら、よく足を滑らせないものだと感心するくらいだった……いや、足を滑らせられたら困るのは但馬なのだが。
エリオスを見ていると、山を歩き慣れた山伏と違って彼は相当苦労しているようで、何度も足を滑らせながら、どうにか最後尾にくっついていると言った感じである。大した速度でも、大した傾斜でもないのだが、彼の息が荒いのはここが高山だからだろうか。
こんな道を輿を担いだまま登り切るなんて人間業じゃないな……と思っていたら、案の定と言うか、途中の山小屋で交代の人員が待機していた。どうやら、朝食のおにぎりを作ったのもここだったらしい。昼に食べる用に、また別の弁当を渡される。
エリオスの疲れを考慮して、しばしの休憩の後にまた輿に乗って出発した。
朝靄はとっくに晴れていたのだが、今度は雲に突入したらしく、辺りは真っ白でほんの数メートル先も見えない程だった。
そんな雲の中で正午を迎え、最後の山小屋に到着すると、
「これ以上先は危険ですんで、輿からは降りていただきます」
「危険って……」
「見ればわかります」
道先案内人らしき数人の山伏以外を山小屋に残し、但馬達は最後の道のりを徒歩で登り始めた。ガブリールが言うのは、ここは大体八合目だそうだから、そろそろ山頂が見えてきてもいいのだが、雲のせいで殆ど何も見えない。
道はどんどん険しくなり、もう殆ど道と呼べなくなっていた。道幅は更に狭くなり、一度道を逸れてしまったら、戻ってくるのは困難だろう。場合によってはリーゼロッテと2人で侵入しようと考えていたのだが、こんなの絶対無理だと悟らされた。何しろ、蹴り飛ばした石が、どこまでもゴロゴロと転がっていく先が見えないのだ。まるで奈落のようである。
極めつけは吊橋とは名ばかりのロープ三本しか渡されていない橋を、綱渡りの要領で渡る羽目になり、流石にこれには悲鳴が上がった。
「おまえらティレニア人は、なんでこんな馬鹿げた場所に街なんて作ったんだ!」
但馬が嘆くようにそう叫ぶと、ガブリールは苦笑しながら、
「街といいますか……世界樹がありますからね。そこに自然と管理者である我々が住み始めたというのがホントのところでしょうか」
「世界樹って……聖女が作ったんだよな」
かの聖女の最期は謎とされているが、その理由がよくわかった。こんな場所、普通に考えて人が近づくはずがないからだろう。そろそろ歩き疲れてきた但馬は、うんざりするようにボヤいた。
「何を考えてたんだろ。こんな場所に作る必要なんてあるのか」
「恐らく、御所様は天候に左右されにくい場所を選んだのでしょう」
「え……?」
「ほら、見えてきましたよ」
ガブリールの声に顔を上げると、ようやく雲を抜けた先に信じられない光景が見えていた。
こんな標高の高い、あり得ない場所に天を衝くような巨木が、ひっそりと佇んでいるのである。
彼の言うとおり、雲はいつの間にか眼下にあって、世界樹の周りは空色の他にどんな色も見当たらなかった。そんなコバルトブルーを背景に、世界樹の緑が異常なくらいくっきりと映えていた。
周囲に何も無いせいか、ティレニアの世界樹はやけに小さく見える気がした。でも、手を伸ばせば届きそうなくらい近く見えるのに、そこにたどり着くまでまだ一時間以上も歩かされたことを考えると、どうやらそれは錯覚のようだったらしい。
空気が薄くてすぐに息が上がってしまい、急ぎ足すら出来ないのも大きかった。ここまで登ってくると草もろくに生えておらず、うつむきながら歩いていると、まるで賽の河原で延々と石を積み上げる亡者のような気分であった。
そうして苦労して登って行くと、やがて途中で何度も立ち寄ったのと同じ作りの山小屋が見えてきた。他と違って数軒の建物があることから、途中の休憩用の山小屋ではなく、おそらく集落のような場所なのだろう。どちらにせよ、ここが終点のようである。
案内人の山伏たちが深々とお辞儀をして、エリオスを誘うように手招きした。世界樹まであと歩きでも数百メートルといったところだが、どうやら彼はここまでのようである。こんなところまで来てゴネても仕方ないし、エリオスも疲れてるようだから、素直にここで別れ、但馬とアナスタシアはガブリールに先導される格好で、更に頂上へ向けて歩き始めた。
但馬もアナスタシアも、もうクタクタだと言うのに、悔しいことにガブリールは息一つ乱していない。きっと慣れているからだろう。本当に、忍びこもうなんてしなくて良かったと、ぜえぜえと荒い息を吐き出しながら但馬は汗を拭った。
……そして、ようやく辿り着いた世界樹の根本は、メディア、エトルリア、セレスティアのものとは違って、まるで別世界のようだった。
地面は白い砂で覆われ、驚くほど平坦な敷地内は、石畳の道路でそれぞれの施設が結ばれている。小川のせせらぎのような音が聞こえたと思って見てみると、色とりどりの花壇の向こう側に、信じられないくらい透明な噴水が見えた。
世界樹の根っこには、いつもの遺跡の入り口があったが、その周辺にも様々な施設が立ち並んでいた。
山小屋からは角度があって見えなかったが、世界樹を取り囲む防壁の内側には、いくつもの白いドームが見えた。それが世界樹を中心に幾何学模様を描くように建てられており、なんだか悪の結社の秘密基地みたいな印象を感じさせた。
更によく見るとドームの中央にある両開きのスリットから、何か望遠鏡のようなものが突き出しているのが見えた。秘密の軍事施設じゃなければ天文台にしか見えないので、もしかしたら本当に望遠鏡なのかも知れない。だが、それだと何本も同じものがあることが解せないだろう……あれは一体なんだろうと尋ねてみたら、
「望遠鏡みたいですか……? まあ、ある意味それに近いですけど。大御所様はこの世界の空を見て、不思議に思ったことはありませんか。何かが足りないと」
「ベテルギウスのことか?」
「いえ、夜空じゃなくて……日光の方です」
「日光におかしなところだって? ……ああ」
一瞬、何を言われてるのかと首をひねったが、すぐに思い当たった。
「もしかして、紫外線のことか?」
「流石、大御所様。既にそこまで気づかれていましたか」
気づいていると思ったから質問したのだろうに……いちいち歯に何か引っ掛かったような物言いをするなと思っていると、先頭を歩いていたガブリールはくるりと振り返り、人指し指を立てながら、まるで授業でもするみたいに滔々と語り始めた。
「紫外線が少なすぎるのは、この世界の太陽光が元々偏ってるからなんです」
「どういうことだ?」
「大御所様もこの空に……宇宙空間に何か色々仕掛けがありそうだってことは気づいていたでしょう?」
そう言いながら、彼は立てていた人差し指をまっすぐ上空に突き立て、
「例えばこの赤道上、静止衛星軌道上には、メガソーラー衛星が飛んでいるんです。これらのドームは、そのマイクロ波送電の受電施設なんですよ」