タイタニア登山
立食パーティーから一夜明け、但馬は早速とばかりにティレニアに向かうことにした。
コルフの商人や議員たちは残念がったが、どうせ帰りにまた立ち寄ることになるので、商談やなんやはその時にでもということで、総統に挨拶を済ませると、但馬はアナスタシア、エリオス、ランを連れてコルフ島を発ち、ティレニア半島に入った。
ティレニアの首都である霊峰タイタニア山は、標高およそ3400メートルと、富士山よりは低いがそれに匹敵する高さで、素人が案内無しで登るのはかなり危険な山であった。場合によってはアナスタシアに何も話さず、単独で忍び込もうかとも思っていたのだが、どうやらそれは無謀だったようである。
おまけにタイタニア山は、エトルリア聖教と対をなすティレニア正教の聖地であるが、観光地ではないからガイドは居らず、滅多に登ろうとする者はいないらしい。ティレニアは本当にどこまで行っても秘密主義の国である。
ランはこの中腹の村で生まれ育ったらしく、5合目までは庭みたいなものだと言っていた。尤も、そこから先は聖域とされ、行ってはいけないらしく、詳しいことは何も知らないらしい。
それにしても、もしもランが居なかったらお手上げだったと思うと、人の縁とは本当に不思議なものである。始めて出会った日のことを思い返せば、こんな日がくるなんて誰が想像出来ただろうか。ましてや、エリオスと子供を作って、2人がコルフで暮らしてるなんて、思いもよらなかっただろう。
そのエリオスとは本当に長い付き合いで、かつてはどこへ行くにもいつも一緒だった。ゴールデンコンビ復活だなとばかりに、道中は懐かしい話でもしながら行こうと思ったのだが、ちょっとしたトラブルでエリオスがしょげ返っていて、それどころではなかった。
出発前、ランが乳母にアトラス君を預けようとすると、たった数日間のお別れを惜しんだエリオスが、最後に一度抱っこさせてくれと言ったのだが、愛おしそうに抱きしめるも盛大に泣かれてしまい、それが尾を引いているようだ。
「あんなに好きなのに、未だに泣かれちまうんだぜ、あいつ」
案内人として先頭に立っていたランが、振り返りながら零すように言った。山に入る時の決まりで、民族衣装を身にまとった彼女のすぐ後に、但馬が続き、少し遅れてアナスタシアに慰められながらエリオスと続いた。
全然舗装されていない山道は思った以上に険しく、4人は地面を見つめながら縦列になって黙々と進んだ。整備された登山道とは違い、殆ど獣道といった程度のつづら折りをひたすら登り続けたが、太陽が中天を過ぎても未だに道半ばと言ったところだった。
途中、沢でお弁当を広げたが、長旅で疲れていたアナスタシアが辛そうだったので少し休憩することにすると、
「それにしても社長は本当に体力が付いたな。最初にバテる役回りは、昔だったらアナスタシアではなくて社長だったのに」
「なんだか悔しいなあ……」
2人がステレオでディスってきたので、但馬はプンプンと怒りながら、
「うっせえな。昔は体の使い方が分からなかっただけだよ。聖遺物手に入れてからなんか変わったんだよね」
「そう言えばおまえ、いつの間にかエリオスに勝つくらい強くなったそうだな。どれ、休憩がてら私とも一勝負してみないか?」
「冗談じゃない。勝ったって言っても条件付きだ。暑いから勘弁してくれ」
「言われてみればコルフって何だか暑いよね。リディアより暑い気がする」
沢に素足をつけていたアナスタシアが振り返りながら言った。彼女の言ってることは本当だ。こんな山道だと言うのに、マントを着ていると暑いものだから、とっくに脱いでいた。但馬は頷いてから、
「ああ、フェーン現象の影響だろうね」
「フェーン現象?」
「うん。丁度コルフのある辺りは一年中貿易風が吹いてて、ティレニア山脈の向こう側から山を越えて風が吹いてくる。風はその山越えの際に、元の温度よりも暑くなる傾向があるんだ」
気圧の関係で、気温は標高が高くなるほど低くなる。だから地上から吹き上げる風は山を越える際、山頂に向かって徐々に温度が下がっていくのであるが、水は熱しにくく冷めにくいので、水を含んだ風は十分に冷やされない。
その風は山の頂上付近で霧や雨になって水分を放出した後、今度は乾いた空気となって斜面を降りることになる。すると今度は気温の変化を阻害する水分が含まれないから、理論通りに温度が上昇することになり、結果として山を登る前よりも頂上から降りてきた風の方が暑くなるわけだ。
「ティレニア半島の向こう側は丁度ティレニア海って海になってるから、東側で吹き上がる風は特に多くの水分を含んでてこの現象をより強調する。だからコルフは年間を通して気温が高く感じるわけだね」
「クックック……」
但馬がいつものように滔々と薀蓄を垂れていると、エリオスが含み笑いを漏らしながら、
「そうだった。社長はいつもこうだったな。そうやって薀蓄を垂れて、みんなをポカーンとさせるのが得意だった。なんだか懐かしいな」
「なんだよ。なんか悪いことしてるみたいじゃんか」
「そんなことはない。懐かしくて……嬉しかったんだ。もっと色々聞かせてくれ」
「そうかい? それなら……」
「エリオスさん。先生にそんなこと言ったら止まらなくなるよ?」
そんな具合にアナスタシアに茶々を入れられつつ、講釈をたれながらの休憩をはさみつつ、但馬達は夕方までに5合目の村まで登ってきた。
村は標高およそ2000メートル強と言ったところだろうか、羊やヤギの牧畜を飼ってる他は、ハリチの高原とよく似ていた。森林限界をとっくに超えており、周囲にはまったく高木は見当たらず、景色は一変してとても見晴らしがよくなっていた。
眼下にはどこまでも青いイオニア海が広がっている。
これだけ高ければもしかしてリディアまで見渡せるんじゃないかと思ったが、流石にそこまで見えるわけがなかった。大体、見えるんならリディアの海岸から、タイタニア山頂が見えなければならないんだから、ちょっと考えればすぐ分かるだろう。
村に着くと村長らしき人物が出てきて、摂家から面倒を見るように言われたと伝えられた。
村にはお偉いさんが泊まるための宿泊施設があり、但馬達は国賓としてそこに案内されると、ランだけが村長宅へ連れて行かれることになった。どうやら、ティレニア人は客人と同じ屋根の下に泊まることが許されないらしい。
ランはエリオスの奥さんだと言ったのだが(厳密には違うが)、婚姻関係であろうとティレニアの女はこうするのが決まりだと言われては為す術もなかった。ランも掟だからとサバサバとしていたが……後で聞いた話では、国のこういうところが嫌でコルフに出てきたと言っていた。ティレニアは、これまで何度も思った通り、やはり閉鎖的で秘密主義の国のようである。
そのランに高山病対策として、急に体を休めるのはいけないと言われて、但馬達は村に到着したらすぐに近くの湖まで散歩に出掛けた。高山は酸素が薄いから、血中の酸素濃度がおかしくなって、体に変調を来すものが出てくるらしい。
正直、朝から登山をしてクタクタだったのだが、翌日動けなくなってしまっては何のためにここまで登ってきたのか分からなくなる。だから、言われた通り入念に体を動かしておいた。
湖の辺りにはススキが生えており、トンボの群れがその穂先を奪い合うように飛び交っていた。その椅子取りゲームを飽きずに眺めていたら、突然アナスタシアが指を高く掲げ、するとその指先にトンボがとまった。
それがとても夕陽に映えて見えたから、心に焼き付けておこうとぼんやり眺めていたら、隣でエリオスがパチリとカメラのシャッターを下ろしていた。
護衛をやっていた時に持っていたカメラである。元々は、但馬に近づいてくる人物を記録するためのものだったが、今は大使の仕事で出会う人々を覚えておくために使っているらしい。パーティー会場で、来る人全部の顔と名前を言い当ててたのは、どうやらそういうカラクリがあったかららしい。
そんなことをやっていたら、いつの間にか日はだいぶ傾いて、そろそろ夜が来そうだった。三人は慌てて村への道を戻り始めた。
夕食後、三人が食休みに外で星を眺めていると、丁度首が痛くなる頃合いに、ランが寝藁を持ってきて地面に敷いてくれた。但馬達がそこへごろりと横になると、彼女は明日の朝にでも山頂から迎えの案内人が来ると言って、また村長の家へと戻っていった。
星を眺めるくらい、一緒に居てもいいだろうに……明日、ティレニアのお偉方に会ったら、この閉鎖性をなんとかしろと文句を言ってやろうと心に誓う。
「本当に星が綺麗だね。こんな風に言ったらおかしいかな、何だか空気が透き通っているみたい」
寝藁の上でゴロゴロしていると、アナスタシアがポツリと呟くように言った。上空はバケツをひっくり返したような天の川が輝いており、その一つ一つの星の重量が感じられるくらい、間近ではっきりと見えた。寝っ転がりながら夜空を眺めていたら、どっちが上下かわからなくなって、吸い込まれてしまいそうな気分になった。
「空気が透き通っているかは分かんないけど、澄んでいるのは本当だろう。フェーン現象の時にも言ったけど、気圧の低い高山の上では、空気中に含まれる水蒸気が霧や雨になって乾燥するから、冬の寒い夜みたいに星がよく見えるんだ」
「じゃあ、もっと高いところに登ったら、もっと綺麗になるの?」
「山頂で見たら、もっと綺麗だろうね。大昔は大気の影響が少ないからって、天文台は山の上に建てられたくらいだから」
「じゃあ、空の上で見たらもっと綺麗に見えるね」
「そうだね。でも、それよりももっともっと上空にまでいっちゃうと、今度は見え過ぎちゃって逆につまらなくなる」
「そうなの?」
「うん。実は星がまたたくのは、この空気中の水蒸気やゴミが風に吹かれて光を屈折させるからなんだよ。だから大気がない場所まで行ってしまうと、星は全く輝かなくなる。なんていうか、白い点のような灯りがあちこちにポツポツとある感じになる」
「う~ん……想像できないよ」
「要するに、あんまり見えすぎても面白く無いから、今見てるくらいの星空が一番綺麗だなってことさ」
「……セレスティアの星空はどうだった? あそこも確か、星が綺麗なところだった」
但馬とアナスタシアが星空談義していると、エリオスが口を挟んできた。
「そうだなあ……何しろ寒くって夜に出歩くような機会は殆どなかったから、ちょっと見たってだけだけど、とても澄んだ綺麗な空をしていたな」
但馬はエリオスもまたそのセレスティア出身であることを思い出し、
「そう言えば、昨日今日とバタバタしちゃって、まだ言ってなかったね。周りに聞き耳を立てる者もいないことだし、話しておこう。実はセレスティアの内戦は終わってたんだけど……」
彼にセレスティアであった出来事を掻い摘んで話して聞かせた。
セレスティアの内戦が始まった原因。その勝敗。世界樹が稼働して、人間の子供が遺跡から出てくることが止められなくなったこと。
エリオスは但馬が話すことを黙って聞き終えると、低い唸り声を上げ、
「う~む……そんなことが」
恐らく、相当ショックだったのだろう。何度も何度も、溜息のように唸り声を上げながら、彼は続けた。
「俺はセレスティアの何というのか、先住民の家系だったんだ。尤も、物心がついた時にはもう勇者様が街を作ってくださっていたから、両親がどんな生活をしていたかはよく知らない。だが、よほど酷かったことは分かる。それくらい、両親は勇者様に感謝していたからだ。
そんな両親に育てられたから、俺は当たり前のように勇者様を尊敬して育った。いや、両親に限らずセレスティアの先住民は殆どがそうだったろう。社長がリディアでやったのと同じで、きっと彼らの生活も劇的に変わっただろうからな。
それで俺は勇者様のお役に立てるような仕事として、彼の護衛になったんだ。だから、その行政官たちと言うのも知っている……」
エリオスは話を一旦区切ってから、何かを諦めるような素振りで首を振り、後を続けた。
「勇者様を殺したのが彼らだったと言われても……とても信じられない。ショックだ。だが……言われてみればそんな節もあったかも知れないな。
勇者様がお亡くなりになった後、俺は彼が亜人に殺されたと聞いても、どうしても信じられなくて、そ
れを確かめに行こうとした。だが、彼らにしつこく止められたんだ。みすみす死ににいくようなものだと言われたら、確かにそうだったし、戦争が激化して難民が発生してくると、護衛が必要だと言われて、命令に背くことも出来なかった。
そうこうしていると、やがて難民をロディーナ大陸の方に逃がすからと言われ、その警護のために船に乗ることになった。俺は難民を逃したら、すぐに戻るつもりでいたんだが、トリエルに着いた後、いくら待っても迎えの船なんて来なかったんだ。行政官達は、必ず迎えを寄越すと言っていたのだが……
恐らく、厄介払いにされたんだろうな。俺は本当に犯人が亜人なのか、最後まで疑っていたし、戦闘になっても彼らと殺しあえたかどうか……正直分からなかった。それを見透かされていたんだろう。
迎えが来なければ俺に出来ることは何もなかった。俺は失意のまま、最後に命令されたことを忠実に守って、難民たちを護衛してリディアまでやって来た。そこでやることがなくなってブラブラしていたところ、先帝に雇われて傭兵をやっていたんだが……」
エリオスはそこまで一気に語り終えると、なんだかスッキリとした感じで続けた。
「騙されたのかと思うと、本当に悔しい……だがそのお陰で、社長に出会えたのだから、何とも言えない皮肉を感じるな。社長が勇者様の生まれ変わりだということも含めてな」
「生まれ変わりじゃないけどね……」
「勇者病だったか……結局、それが何だったのかはわからなかったんだろう?」
「う、うん」
すると彼は穏やかな口調で続けた。
「だったらもう気にするな。社長は自分が何者かと、ずっと考え続けてるようだが、俺だってそんなのは分からないんだ。そんな俺でも、ある日、ああこれだな……と思えるような、やりがいのある仕事は見つかったんだから、いずれ君にもそういう日が来るだろう。思えば、人間なんてものは、そうやって一生自分探しをして生きていく生き物なんだろう。その日が来るまで、自分が自分じゃないなんて思ってたら、みんな迷子になってしまう」
エリオスがそう言うと、なんだかしんみりとした空気が流れた。久しぶりに会った彼は、本当にどこか憑き物が落ちたかのように穏やかになっていた。多分、彼が言うとおり、天職を見つけたのだろう。それが大使として色んな人と会うことだったとは、正直、それを勧めた但馬も意外だったのだが。
思えばアナスタシアだって、始めて出会った頃と比べたら雲泥の差があるくらい明るくなったのだ。そうやって人は変わっていくし、自分も変わっていくのだろう。まあ、但馬の場合は変わりすぎてるから困ってるわけだが……
少なくとも、まったく変わらない人間など居ないのだ。
「変わらないものがあるとしたら、星の輝きくらいのものだろうか……」
但馬がそう呟くと、エリオスを挟んだところで寝っ転がっていたアナスタシアが、
「あれ? でも先生、なんとかいう星が消えちゃったって、騒いでたことあったよね」
「いや、まあそうだけど……それ以外は殆ど変わらないってこと」
実際にはほぼ毎日、どこかしらが変わってるようだが……地球からは遠すぎて見えなかったり、星が多すぎて気づかないってだけで。
「これは詩的表現なの。カッコつけなの。そんなこと言い出したらキリがないんだから、茶々を入れないでくれたまえ」
「いやしかし、確か他にも消えたと言ってなかったか」
「……そんなこと言いましたっけ? うふふふふ」
ベテルギウスの超新星爆発以外は特に変わったことはなかったはずだが……彼の記憶違いか何かだろうと一瞬思いかけたが、
「それで一度イオニア海を一周してコルフまで来たことがあっただろう。ほら、このカメラで何度も夜空を撮影して、おかしいおかしい、あり得ないって呟いていたじゃないか」
「……ああ! 惑星のことか」
ベテルギウスが消えていることに気がついてすぐに、但馬は他にも消えてる星が無いかと調べたことがあった。すると、月が一個増えている代わりに、惑星が見当たらないことに気がついたのだ。
全天の星々の中で、月の次に明るく輝くのが惑星である。特に明け方や夕方に輝く金星は、まだ他に星が出ていない頃だから余計に目立つはずなのだ。それが見当たらなかった。
他にも木星が見つからないことは、生物の存在する惑星としては致命的な欠点になるので、大騒ぎしていたわけだが……どうせ騒いだところでどうしようもない話しだったし、記憶が一部戻った頃には殆ど気にならなくなっていた。
「そう言えばそうだったなあ……今のところ実害がないから忘れてたけど。太陽系は本当にどうなっちゃったんだろうね。惑星が無くなってたり、月が2つに増えてたり……いや、4つだ」
他にも、見慣れぬ双子星が見えるはずだった。他の星と比べると明るいから、もしかしてこれが惑星なのではないか? と考えたこともあった。だがその軌道を調べてみると、月と同じく、地球の公転軌道を動いている。だからこれも月なのかも知れないと思ったのだが、
「よくわからなかったんだよね。望遠鏡で見ても遠すぎるからか、月と違って地表が見えるわけではなくて、なんだかボーッと光ってるだけで。実態がないみたいに。これ以上詳しく調べようもなかったし、他にも気になることが沢山ありすぎて、その内忘れちゃったんだけど」
考えてもみれば、あれはなんなんだろう。なんであんなのが二つ仲良く並んでるんだろうか。
「その星って、今どこにあるの?」
「えーっと、確か明け方に中天に見えたはずだから、今はまだ登ってない。もう何時間かしたら東の空から見えてくるはずだけど……」
「ふーん」
そんな風に星空談義をしながら空を眺めていると、知らず知らずのうちに三人は口数が減ってきて、宿泊所まで戻るのが億劫になって来た。そろそろ帰ろうかと言う話になったのだが、アナスタシアが、せめてその双子星が見えるまで見てようと言い出して、毛布を被ってウトウトとしていたら……
ガサガサと言う草がざわつく音が聞こえて、但馬はハッとして目を覚ました。
辺りはうっすらと靄が立ち込めており、かろうじて見える空の一番高いところに、件の双子星が輝いていた。東の空が紫色に白んでいて、どうやらもうじき、朝が訪れようとしているみたいだった。
昨日の慣れない山登りのせいで、体がすっかり疲れきっていたのだろう。会話もなく、暖かい毛布に包まって星空を眺めていたら、いつの間にかそのまま眠ってしまったようだ。
明け方の山の上は肌寒く、風が吹き抜けると但馬はブルっと体に震えを感じた。するとまたガサガサと音がなって、そっちを見ればエリオスが大きな体を小さく丸めて寒さに耐えているのが見えた。因みに、アナスタシアの方はスースーと快適そうな寝息を立てていた。
これが歳の差なんだろうか……諸行無常だ。但馬は合掌すると、使っていた毛布をエリオスにかけてやり、自分は一足先に起きて顔を洗いに井戸まで歩いてきた。
農家の朝は早いと言うが、村の人達ももうとっくに起きだしているようで、遠くの牧草地にヒツジの放牧をする人の影が見えた。村のあちこちからは白い煙が上がっており、恐らくは朝食の用意を始めたのだろう。その光景を見ていたら、但馬の腹がグーッと鳴った。
但馬達の宿泊所はシンと静まり返っていて、人の気配はなかった。自分たちの朝食はどうなってるんだろうか……あとで村長の家で聞いてみようと思いつつ、冷たい井戸水で顔を洗っている時だった。
シャン……シャン……
っと、金属がこすれ合う音がどこからともなく聞こえてきて……
シャン……シャン……
っと、その音が大きくなるにつれて、山頂へと続く道の方から、何やら大勢の人影が近づいてくるのが見えた。
なんだあれは?
但馬がポカーンと口を開けて見ていると、眠たそうに目を擦りながらエリオスに引っ張られたアナスタシアが朝の挨拶をしてきた。
「おはよう……二人共よく眠れたかい」
「そんなこと言ってる場合か。社長、あれはなんだろう、警戒を怠るなよ?」
さっきまではくたびれたおっさんみたいだったくせに、エリオスは護衛時代の雰囲気に一瞬で戻っていた。こういう時は流石に頼りになるなと思いつつ、警戒しろと言われてもどうすればいいかわからないので、ぼんやりと音のする方を眺めていたら……
山頂へ続く道の方から、ランが着ていた民族衣装をちょっとアレンジしたような、ニッカボッカみたいに足首だけすらっとした、なんだか日本の山伏みたいな格好をした集団が見えてきた。錫杖をシャンシャンと地面に叩きつけながら、それがゆっくりゆっくりと近づいてくる。
数は30名ほどだろうか……先頭を歩く二人以外は、何か神輿のようなものを担いでいて、その上に人影が見えた。よっぽど偉い人でも乗ってるのだろうか……?
その山伏の集団は村に入る手前で立ち止まると、担いでいた輿を地面に下ろし、そのうちの一つからひょっこりと小柄な男が姿を現した。
遠目には殆ど顔も見えない。だが、但馬はその男が誰かすぐに分かった。
男は輿から降りるとキョロキョロと周囲を見回してから、但馬達の方をロックオンし、小走りに駆け寄ってくる。
エリオスが2人の前に立ちはだかろうとすると、但馬はそんな彼の肩を叩いて、代わりに自分が先頭に立ち、やってくる男を迎えた。
男はそんな但馬の数歩手前までやって来ると、さっと腰を落として跪き、
「お迎えにあがりました、大御所様」
そう言うと、恭しくお辞儀をして頭を垂れた。それはセレスティアの遺跡で繋がったテレビ電話で会話した、あのティレニア人の男だった。