立食パーティー
戦争に調停に講和会議にセレスティア探訪にと、ここ半年以上ずっと一処に留まること無く、まるで旅人みたいに動き続けていた。そろそろ疲れもピークに達していたが、大使館でエリオスの子煩悩っぷりを見せられ、久々に再会したアナスタシアと親子みたいなやり取りを交わす姿を見ていたら、旅の疲れなんか一片に吹き飛んでしまった。
思い返せば、最初はこの三人だったのだ。シモンが死んで、親父さんたちの家では上手く行かなくて、家を借りて二人で暮らし始めた。一階に大きな工房がある以外は、狭い台所と寝るだけのスペースしかないような家で、但馬が夜更かしをしていると、いつもアナスタシアがやってきて、工房のソファで眠っていた。
会社は今とは比べ物にならないくらい小さくて、まだ電灯もなくて、アルコールランプと月明かりを頼りに、目をシバシバさせながら徹夜で発明品を仕上げていたら、早朝にエリオスがやって来て地獄のトレーニングに無理矢理連れだされ、毎日体がバキバキになるまで鍛えられた。
あの日々が遠い昔の出来事のように思えてくる。エリオスと別れてからも、まだ1年くらいしか経っていないというのに、なんだかとても懐かしい気分だった。
あの頃は、みんなとどんな会話をしていたのか、今となってはもう思い出せない。だからだろうか、久しぶりだと言うのに、なんだかちょっとよそよそしい感じだった。
それをアナスタシアがからかって、但馬達は顔を見合わせて苦笑いする。本当はアナスタシアみたいに泣けたらいいのに、男同士だと冗談を言い合うことくらいしか出来ないのだ。
そんな風にアナスタシアの大活躍で、昼間は大使館で懐かしい話に花を咲かせた但馬達は、夜は着飾ってロレダン邸の立食パーティーに出席することになった。
久しぶりに会ったエリオスは、かつての武人らしさも兼ね備えながらも、やけにタキシードも似合っているというか、だいぶ着慣れている感じだった。こちらに来てからは、やはり大使として貴族と会合することが多かったらしく、あちこちのパーティーに出席しているうちに、だんだん馴染んできたらしい。
その言葉の通り、パーティー会場に到着するや続々と挨拶にやってくる出席者の全てを、エリオスは把握していて、一人一人どこの誰だと苦もなく紹介してくれた。しかも時折、その出席者たちと冗談を交えて談笑する姿が、あまりにも様になってるから、但馬は思わずエリオスの皮を被った別の誰かが化けてるんじゃないかと目をこすったくらいである。
そんな印象をロレダン総統に語って聞かせて見たら、彼は苦笑しながら、
「いやいや、彼はよくやっていますよ。就任当初はガチガチでしたが、慣れてくると随分と社交的になってきて、おまけに貴族にも引けをとらないくらい博識ですな。宰相閣下のために、相当勉強なされているのでしょう」
それから彼はウインクして声を潜めて、
「お子さんが生まれてからは特に、若いお父さんたちの間で人気者ですよ。あの貫禄ですから、頼りにされているようです。彼もずいぶん若返った感じですね。最近ではこちらが紹介しなくても、いろんなパーティーに引っ張りだこです」
「あんな子煩悩になるとは思ってませんでした。久々に会ってびっくりしましたよ」
「ははは! そうですね。でも、前々からそう言う傾向はあったんじゃないでしょうか。いきなり、ああはなりませんから」
まあ確かにそうかも知れない。言われてみれば、エリオスの方が遠慮している感じだったが、リオンはかなり懐いてる様子だった。但馬やアナスタシアが面倒を見られない時は、密かに面倒見てくれていたようだし……
まあ、あの身体で子供好きじゃ、軽く事案にされそうだから、ずっと胸に秘めていたのかも知れない。それが自分の子供が出来て爆発したのだろうか。
「それにしても……今日到着したばかりだと言うのに、こんな立派なパーティーまで開いてもらって、ありがとうございます」
「いいえ。本来なら国賓として、もっと盛大に歓迎したかったところなのですが……」
「お忍びで来たつもりだったのに、よく俺の到着がわかりましたね」
「まあ、我々も商人ですから、商人の情報は船よりも早いですよ」
どうやら、但馬が便乗できる輸送船を探してる時点で、コルフ船籍の船主達に感づかれていたらしい。二人がたまたまエトルリア人の船に乗ったから気づかなかったが、コルフの商人たちのネットワークでは、但馬が到着する何日も前から訪問が知られていたようだ。
「流石ですね。隠密行動なんか筒抜けですか」
「閣下は特に目立ちますから。ですが、帝国の電話に比べたら亀のようなノロさですよ。娘の手紙でいつも自慢されて悔しがっておりました。今回の講和会議では、わざわざ我が国にも便宜を図っていただいて大変ありがたい」
総統はチラチラともの問いたげな目配せを送ってきた。どうやら、講和会議で決まったフラクタル開発の件に興味津々の様子である。元々素通りするつもりだったからうっかり忘れていたが、
「そうだった……どさくさ紛れに巻き込んでしまって申し訳ない。実は、戦争にならなければ早いうちに、電話線を引けないかとお願いに伺うつもりだったんですよ。やはり、リディアは人の生存圏から隔絶されてますからね。いくら定期航路が出来たと言っても不安だったんです。そんなわけで、これからもご迷惑おかけしますが」
「こちらとしてはフラクタルの開発も出来て一石二鳥ですよ。あそこは一時期、海賊の根城にされていたり、イオニア海の治安の不安要素でしたから。今は帝国海軍のお陰で鳴りを潜めていますが。それにしても思い切りましたね、工事を行うにしても、かなりの難工事になるでしょう」
「俺としては、リディアとコルフの間に、もう一つ街を作れないかと考えてるんですけどね。そこそこの入江が見つかれば、山を削って埋め立てをして、なんとかならないかなと……」
「街ですか!? 閣下はいつも我々の想像の上をいきますな」
但馬と総統が立ち話をしている間も、エリオスはあちこちから呼ばれて楽しそうに談笑していた。彼の腕には着飾ったアナスタシアがぶら下がっていて、彼女の美貌もまた若い男の出席者たちを惹きつけたようだった。
しかし、若い男たちはアナスタシアの気を引きたいようだったが、エリオスの貫禄の前ではかなわず、エリオスもまた手慣れた感じで軽く冗談を飛ばすと、すごすごと退散する彼らのプライドを傷つけない程度に笑いに変えていた。
普段ならこんなパーティは嫌がって端っこにいるのだろうが、アナスタシアもそんな彼に心底頼りきってると言った感じで、傍から見るとまるで父娘のように思えるくらい仲良さそうだった。
但馬は総統との会話を終えると、ワイングラスを取って壁際まで逃げてきた。偉くなってからも、一通りの挨拶が終わったら、大抵ここが定位置だった。但馬が人見知りするところがあったのも確かだが、なんやかんや、端っこに居たほうが全体を見渡しやすいという利点もあった。
それにしても、久しぶりに再会したエリオスは、随分と華やかになったものである。但馬と居た頃は落ち着いていて、あまり感情を表に出すようなタイプではなかったが、元々はこういうタイプだったのだろうか。本音を言えば、彼を大使に推した時は、下手したら自尊心を傷つけるかも知れないと思っていた。でも、こうして意外な面を引き出せたとしたら、本当に勧めてよかったと思った。
「遅れてすまない」
但馬がそんな風に壁の花になってワイングラスを傾けていたら、すっと背の高い女性が近寄ってきた。引き締まった体にイブニングドレスがよく似合っている。室内だと言うのに顔を隠すような大きなサングラスをつけていた。
相変わらず、自分の目付きの悪さを気にしているのだろう。そんなことよりも、そのワイルドな口調や仕草を直したほうがいいんじゃなかろうか。彼女はまるで駆けつけ三杯みたいな勢いで、テーブルに置いてあったグラスワインをぐいっと飲み干した。
「やあ、ランさん。お久しぶり」
「仕事が忙しくてね。おまえが来てるってのは知ってたんだけど、なかなか抜けられなかったよ」
「もう仕事してるの? 産後の肥立ちって言うし、無理しないほうがいいんじゃない」
「いつ生まれたと思ってるのさ。もう半年も経ってるんだ、いつまでも寝っ転がってはいられないよ」
どうやら、アトラス君は但馬が戦争のためにイオニアへ向かった直後に生まれたらしい。すぐに連絡を入れたそうだが、運の悪い事に彼はその頃はもう海の上に居たようだ。
「それを知ってエリオスのやつ随分ソワソワしてたからさ、気になるんなら行ってやれって言ったんだけど」
「とんでもない! 出産直後の奥さんを置いてきたら、有無をいわさず追い返してたところだよ」
するとランは苦笑して、
「そっくりそのまま同じ事言って、絶対にここから離れようとしなかったよ。そのくせ、毎日家の中でうろうろソワソワしてるから、いい加減に頭に来てガラガラを投げつけてやった。あの頃は鬱陶しくって仕方なかったね」
「そっか。ランさんにも迷惑かけちゃったね……ガラガラなんて、生まれてすぐにもう買ってたのかい?」
「エリオスの奴がどこからか手に入れてきてさ。乳母の手配もそうだ。私はそういうことに気が回らないから助かったけど」
「エリオスさん、すっかり赤ちゃんに首ったけだね」
「気持ち悪いだろう?」
ランはものすごいしかめっ面をしたかと思うと、舌を突き出してゲーッとやってみせた。二人はひとしきり笑いあった後、
「……コルフに来たってことは、アナスタシアに話したんだな?」
「ああ。なんか自分の名前がティレニア系だからって、ある程度予想してたみたいで、全然驚かれなかったよ」
「そうか」
「それで、バタバタして悪いんだけど、出来るだけ早急にティレニアに入りたいんだ。入国の手続きとか頼めないだろうか」
するとランはウンウンと二回頷いて、
「実は、今日はそれで遅くなったのさ。なんだか知らないが、ティレニアの中央はおまえが来ることを既に知ってたみたいで、上司から直々に案内するように命令された……どういうことなのかは聞かないほうがいいんだろう?」
「まあ、出来れば……エリオスさんには後で話すつもりだけどね」
「そうしてくれ。中央のことはティレニア人でも詳しいことは知らなくってね。こうしてコルフの議員になっても教えてもらえないから、知ったら色々と面倒になりそうだ」
「かもね」
「そんなわけで、おまえが望むなら、明日にでも案内してやることも出来るけど、連れて行ってやれるのは聖域の手前までだ」
「聖域?」
ランは厳かに頷いて、
「首都サウスポールは3000メートル級の高山であるタイタニア山の上にある山岳都市なんだ。いや、都市というか、山頂を取り巻く集落全てのことをそう呼んでいる。世界樹は山頂にあるんだが、そこは聖域と呼ばれ、国民は近づくことすら許されないのさ。だから、私が案内できるのはその手前にある村までってことになる。尤も、高山病対策もあるから、元から一日で登り切るのはお勧めしないんだけどね」
「そっか……じゃあ、明日は山小屋で一泊とかするのかな」
「ああ。そのためのコテージが、既に抑えられてるらしいね」
至れり尽くせりだ……あの、セレスティアの世界樹の端末で偶然に知り合った男……あまりにも唐突で、ろくに会話も引き出せなかったが、確か最初に自己紹介してきた時は、四摂家と名乗っていた。ランが言うには世界樹を守る神官かなにかの家系らしいが、多分、あいつが色々と手を回しているのだろう。
但馬がやって来たことにはどうやって気づいたのだろうか。世界樹での通信では、いついつに行くとまでは言わなかった。もしも不思議な力で監視されてるというならお手上げだが、気づかれるようなヘマはしてないつもりだった。
まあ、下から見上げると案外わからないものだが、上から見下ろすとよく見えるものだ。もしかしたら港の歓迎式典を見て勘付かれたのかも知れない。だからお忍びで来たかったのだが……
「ラン!」
エリオスが女房が来たことに気づいて手招きをする。ランは面倒くさそうに手を振り返してから、最後の一杯とばかりに別のグラスを手にとってぐいっと飲み干した。
「議員なんてやらされてるせいで、こう言う席では旦那と一緒に居ないと、いちいちうるさいんだよ。私はアクセサリーじゃないぞ」
「そう言えば、まだそのミラーグラスつけてるんだね」
「御蔭さまで重宝しているよ。タチアナが換えを送ってきてくれるんで、今では種類も豊富なんだ」
「言われてみれば……俺があげたのとは違ってデザインが凝ってるね。なかなかオシャレじゃないか」
「自分の目ん玉も取っ替えられればいいのに」
プハーッと吐き出す酒臭い吐息に、但馬は苦笑を返すことしか出来なかった。ランも元々はエリオス同様、SPのような仕事をしていたのだが、但馬と関わったばっかりに、気がつけばコルフの議会議員になっていた。堅苦しい生活をさせられて、うんざりしてるといったところだろうか。
「ありがとうね」
しかし、愚痴の後に出てきた彼女の言葉は、思いがけない感謝の言葉だった。サングラスのことだろうかと首を捻っていたら、
「それもだけど、おまえがエリオスを大使に推したのは、私に気を使ったんだろう」
「ああ……いや、それだけじゃないけどね……でも推して良かったよ。思った以上に適任だったみたいだし」
「本当は一人で産んで育てるつもりだったんだ。けど、アトラスが産まれてからの毎日は、嘘みたいに幸せだった。全部おまえのお陰さ」
そう言うとランは唇をクイッと引き上げて笑窪を作った。サングラスに隠れてその瞳は見えなかったが、もしかしたらもう、そんなものは必要なくなってるんじゃないだろうか。
彼女もエリオス同様、出会った頃の殺伐とした雰囲気は鳴りを潜めて、柔らかい雰囲気になっていた。
エリオスの元へ向かったランと入れ替わりにアナスタシアがやって来る。但馬がグラスを手渡すと、彼女はそれを受け取り隣に立つと、
「エリオスさんもランさんも、背が高いから格好いいね」
「うん、本当にね」
但馬は同意して、少し考えてから、
「……アーニャちゃんも似合ってるよ?」
と、付け加えるように言うと、彼女は一瞬だけ嬉しそうな表情を見せてから、すぐにプクッとほっぺたを膨らませて、
「そう言うのは、一番最初に言うべきだよ」
と言って、不貞腐れたようにカチンっとグラスを重ねてきた。
エリオスもランも、久々に会った二人はまるで別人みたいに変わっていた。でも、アナスタシアもこんな顔を出来るくらい、いつの間にか凄く変わっていたんだなと……あの狭い2階建ての家に2人で暮らしていたころを思い出して、少し懐かしく思った。
あの頃は、いつかこんな日が来るなんて到底及びもつかなかったのだ。