再会
潮風に吹かれながらじっと海面を見つめていたら、いつの間にやらキラキラと波間が煌めいて、雲の切れ間から燦々と太陽が顔をのぞかせていた。
日が高くなってきたのは気のせいではないはずだ。太陽の眩しさに手をかざし、目を細めて遠くを臨むと、船の上下に合わせて蜃気楼のように陸地が見え隠れした。
但馬はほんの一月半ほど前は、雪に埋もれたセレスティアに居たと思ったら、今度は赤道近く灼熱のイオニア海を遠望にしていた。行動範囲が広がったのはいいことだが、これじゃ体が持たないなと漠然と頭の片隅で考えながら、揺れる甲板の手すりに体を預けた。時差が殆どないのが唯一の救いである。
バシャバシャと海面をオールが叩く音に混じってカモメの鳴き声が聞こえてくる。
何十人もの男たちが掛け声をかけてガレー船を漕ぐ様は、久しぶりに見たらかなりの大迫力だった。このところ、ずっと帆船にばかり乗っていたから忘れがちだが、世の中の船は未だに大半はガレー船なのである。
そんな両舷の狭い船の中央付近で行き先を眺めていると、やがてティレニア・タイタニア山から流れる川の河口に、小さな人工島が見えてきた。最後に訪問してから何年が経っただろうか、世界で唯一の商人による共和国家、コルフである。
講和会議の閉幕後すぐに、但馬はアナスタシアを伴って、民間船に便乗してアクロポリスを発った。
帝国軍はまだビテュニアに駐屯しており、そちらに合流して陸路を行ったほうが遥かに安全なのだが、何しろ時間がかかりすぎる。海路を使って直接コルフへ向かった方が圧倒的に早かったからだ。
アクロポリスとコルフは元々イオニア海へ通じるアドリア海で繋がっており、上手く海流に乗りさえすれば、ガレー船でも3日くらいで走破できる。お互いに経済の中心地だけあって、定期船が非常に多く、戦前から活発に交易を続けていたようだ。
その定期船の船長に言わせると、アドリア海は穏やかで海流がはっきりしているために、非常に美味しい航路だそうだ。特に、リディアの品物はまずコルフかカンディアに集まるので、ドル箱路線と言っていいらしい。
そんなわけで但馬はS&H社の伝を頼って、アドリア海で海運を行っている会社の船に便乗して、コルフへと向かっていたのであるが……
やがて船の前方にコルフが近づいてくると、港には沢山の人達と、式典のために集まったらしき鼓笛隊の姿が見えた。お忍びのつもりで誰にも言わずに来たのであるが、人の口に戸は立てられないというのだろうか。
但馬とアナスタシアがコルフ港へ到着すると、港を覆い尽くさんばかりの人たちに出迎えられた。
タラップが堤防に降ろされ、但馬とアナスタシアが姿をあらわすと、その前にサッと赤絨毯が引かれ、両脇を正装した美男美女が立ち並び恭しそうにお辞儀をした。ただの運搬船に便乗してきたので、乗組員たちが突然の出来事に戸惑っていた。但馬は苦笑する船長に挨拶してからタラップを降りた。
鼓笛隊の演奏が快晴の空に高らかと響いた。吹き抜ける風にマントがなびく。但馬が歓迎に応えて笑顔でタラップを降りていると、一際目立つ大柄な男性の影が見えた。流石、どこにいても目立つなと思いながら、彼に向かって手を振ろうとしたら、そんな但馬の横をトントンと足音を立ててアナスタシアが駆け下りていった。
狭いタラップがグラグラと上下に揺れる。手すりにしがみつく但馬を尻目に、アナスタシアは悠々と港へ駆け下りると、赤絨毯の先で待っていたエリオスに向かって飛びついた。
およそ1年ぶりくらいに再会した二人は本当に嬉しそうで、人目をはばからず抱き合う姿は、まるで本物の親子のように見えた。
なんとなく、気恥ずかしいような気がして、ちょっとだけ歩を緩める。こうして三人で会うのはいつぶりだろうか。思えば、元は三人で一つの家族みたいだったのに。エリオスは暫く見ないうちに感じが変わったのだろうか、アナスタシアに笑いかける顔は、どうも以前よりも丸くなった感じだった。
但馬は、自分もすぐに駆け寄って行きたい衝動を抑え、ゆっくりとタラップを降りると、まずは赤絨毯の真ん中でニコニコしている、ロレダン総統の元へ挨拶に向かった。
「お久しぶりです、総統。陛下の即位式以来ですね。お元気そうでなによりです」
「宰相閣下こそ。娘がいつもお世話になっております。大陸では大変ご活躍だったようで、こちらまで評判が届いておりましたよ」
「どうせろくでもない噂でしょう」
「とんでもない。復興のための大陸鉄道の輸出は、閣下なくしては成り立たないことでしょう。我が国にも一枚噛ませていただけたようで」
「それについてはこれからご迷惑かけます。またうちの官僚の方からお願いに上がると思いますが……良かったら今晩、酒でもどうです」
「よろしいですなあ」
但馬と総統が話をしていると、端っこの方で再会を喜び合っていたエリオスがアナスタシアの肩を抱きながらやってきた。
アナスタシアは笑みを浮かべつつもその目は真っ赤で、よほど感激した様子が窺えた。アナスタシアも随分と感激屋になったものだ。出会った頃はいつも不安そうな顔をしていて、感情を表に出すような子ではなかったのだが……
二人共、いろんな人との出会いがあって、きっと良い方に良い方にと変わって来ているのだろう。
但馬が手を差し出すと、エリオスがガシっとその手を握った。
「社長! 久しぶりだ。大使になったら、すぐに仕事ぶりを見に行くと言っていたくせに、もう一年も経ってしまったではないか。待ちわびていたぞ」
「ごめんよ。大陸の方で、ごちゃごちゃやっててね。中々来る機会がなかったんだよ……本当にすぐ来るつもりではいたんだよ?」
「冗談だ。もちろん知ってるぞ。本当は、社長が戦争に駆り出されたと聞いた時は、すぐにでも駆けつけたかったのだが……危険はなかったのか?」
「な~んも。俺は後方をうろついてただけだからね」
「そうか。ならいい。そうだったな、君は元々、危険には近寄らない慎重な性格だった」
エリオスにはそう言われたが、最近はどうだろうなあ……と、但馬は苦笑した。
エマージェンシーモードが発動するようになってから、何だか結構危険に対してもアバウトになって来た気がする。前はそれこそエリックくらいヘタレだったはずなのに、気を引き締めねばなるまい……いや、エリックを馬鹿にしてるわけじゃないのだが。
エリオスは、そのエリックが居ないことに気がついたらしく、
「ん……? そう言えばエリックはどうしたんだ? クビになってしまったのか」
「いや、ちょっとシルミウムにお使いに行かせてるんだ。ちゃんと役に立ってるよ?」
「そうか。シルミウムには何しに?」
「ここではちょっと……」
「ならいい。さあ、社長。積もる話もあるだろうが、早速大使館に来てくれ。使用人共々、社長の到着を待ちわびていたんだぞ」
そう言うとエリオスは、アナスタシア同様、但馬の肩もぐいっと抱いて来た。アナスタシアの顔が近づくと、彼女はなんだか気恥ずかしそうに笑った。コルフの陽気がそうさせるのか、暫く見ないうちに、エリオスは大分陽気な性格に変わっていたようだ。
但馬は苦笑しながら彼の腕をかいくぐると、
「そうしたいけど、先に港に集まった皆さんにご挨拶しなきゃね」
と言って、総統を伴って群衆の間に入っていった。リップサービスも兼ねた但馬の演説が始まると、人々の目がキラキラと輝き出す。
エリオスはその後姿を、それは嬉しそうに……そして懐かしそうに眺めていた。
*****************************
コルフのリディア大使館は、議事堂から二町ほど離れたメインストリート沿いにある、街でも特に賑やかな場所であった。広さはさほどでもなかったが、他の建物とは明らかに違う重厚で真新しいコンクリートの壁が目立つ、三階建ての要塞みたいな建物である。
どうやらコルフ側は相当気を使ってくれたようで、大使を交換しようと決めた時に、わざわざ街で一番いい場所に、リディア式の大使館を建ててくれたらしい。
但馬たちが馬車でやって来ると、大使館から使用人兼事務員がバタバタと玄関へと出てきて整列し、一斉に、それは見事なお辞儀をした。まるで軍隊みたいに統率された動きに、主人の性格が見えてきて思わず苦笑する。その人選も館の主の意向が存分に発揮されたのか、見るからに屈強な若い男女で構成されていた。
但馬はそんな使用人達の中に、かつての自分の護衛の姿も見つけて、その一人一人に再会の挨拶を交わした。すると、彼らは誇らしそうな顔をして、とても感激しているようだった。自分たちのことなんて覚えてないと思っていたらしい。そんなわけないだろう。
そんな具合に懐かしい面々と話に花を咲かせていたら、奥の方からこの場に似つかわしくないと言うか、寧ろこっちのほうが大使館員にふさわしいだろうと言いたくなるような、人当たりが良さそうな、柔和な雰囲気の女性が出てきた。
よく見るとその腕には小さな赤ん坊が抱きかかえられており、但馬がおや? っと思ってエリオスに訪ねようとしたら、
「社長! 見てくれ、俺の息子のアトラスだ」
但馬が聞く前に、彼は赤ん坊の方へすっ飛んでいって、本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべて教えてくれた。
人当たりの良い女性は乳母だそうだ。仕事で忙しい両親の手伝いとして、大使館で雇っているそうである。父のエリオスは全権大使、母のランは国会議員と、サラブレットのような赤ん坊は、多分生まれて1年も経ってないだろうに、すでに大物の貫禄を備えているようだった。
どっしりとした体格、ギロッと鋭い目つき。まだ赤ん坊なのに手足がやたらと大きくて、その両手は空気でも掴もうとしているのか、常にニギニギとしていた。
エリオスは乳母から赤ん坊を手渡されると、まるで神々しい何かをそっと手のひらに包んでいるような感じで、但馬の方へ連れてきた。
但馬が触れたら壊れてしまいそうなその小さな命に感嘆の息を吐いていると、
「ほ~ら、アトラス君。社長さんだよ~。お父さんの上司で、いつかお前のご主人様になるお方だよ~。それじゃ、お父さんと一緒にご挨拶しよっか? ね? 『こんにちわ、僕アトラスです、こんにちわ』」
すると、エリオスがいきなり裏声を使っておかしなことをやり始めた。
え……なにやってんのこの人……
あまりにも想定外の出来事に、素面を通り越して表情を失くした但馬を、エリオスの部下たちがあちゃ~……と言った感じの引きつった表情で見ている。
ツボに入ったのか、アナスタシアがほっぺたをプクッと膨らませたかと思うと、クルッと後ろを向いて肩を震わせていた。
何が……起きたんだ?
……あれ? この人、こんなキャラだったっけ?
夏休み明けに久しぶりに会ったらメガネの委員長が黒ギャルになっていたくらいの変わりっぷりだ。但馬は脳みそが耳から飛び出そうになりながら、それでも何か返事を返してやらねばと、緩慢な動きでエリオスに話しかけようとした。
するとその時だった。多分、その但馬の表情があまりにも動かなかったせいで、赤ん坊が不安になったのだろう。ヒックヒックとシャクリ上げたかと思ったら、
「おぎゃああああああ~~~~~~!!!!」
信じられないほど盛大な声で泣き出した。
「わっ! わっ! 俺が悪いの!?」
多分そんなことはないのだろうが、泣いている赤ん坊は無敵である。どうすればいいか分からなくて、但馬がぎょっとして固まっていると、大慌てでエリオスが巨漢らしからぬ俊敏な動きで、赤ん坊を高い高いしてあやし始めた。
「ほ~ら怖くない怖くない! べろべろばー! いないいないばあ! べろべろばー! いないいないばあ!」
しかし、ぶっちゃけ、笑えばいいのか泣けばいいのか、但馬にも分からないくらい、もう、その顔が必死なのである。これじゃ赤ん坊が泣き止むわけがなかった。耳をつんざくほどの大音量の鳴き声にパニックになる。なんだか追い詰められたような気分になった但馬は、苦笑いしてそれを見ている乳母に助けを求めようとしたが……
「エリオスさん、そんなに乱暴に扱っちゃ駄目だよ」
横で腹を抱えながら見ていたアナスタシアが、ひとしきり苦しんだ後、呆れた素振りで彼から赤ん坊をひったくるように取り上げると、
「よしよし……アトラス君はいい子ですね。よしよし……」
と言って、手慣れた手つきで胸に抱くと、さっきまで豪快に泣き叫んでいた赤ん坊は、ピタッと泣くのをやめるのだった。まるで魔法でも見ているようだ。
それにしても本当に手慣れたものである。彼女がニコニコしながら、ぐずつく赤ん坊の背中をぽんぽんと叩くと、彼は胸に顔を埋めて眠たそうに目を閉じた。
「おおっ……凄いな、アナスタシア。赤ん坊の扱いなんていつ覚えたんだ」
「水車小屋に居た時。赤ちゃん連れてる仲間は大勢居たから、子守は得意だよ」
「……そうだったな」
しんみりするエリオスと対象的に、息子のアトラスの方は大分落ち着いたようだった。自分を抱きしめるアナスタシアに体重を預けると、すぐにその胸の中でうとうととし始めた。
するとアナスタシアは赤ん坊を抱いたままユラユラと体を揺らし、
「眠れ~眠れ~、子供は寝るのが仕事~、起きてる時も可愛いけど~、寝てるほうがもっといい~」
なんか調子っ外れな歌を歌い出した。
思わず脱力して倒れそうになったが、こっちでは割りとポピュラーなのか、周りの人達はまったく動じる様子がない。エリオスともアナスタシアとも結構長い付き合いなのだが、今日は二人の意外な一面ばかり見せつけられる。
それにしても……赤ん坊を抱いているアナスタシアは絵になった。まるで本当に絵画の世界から飛び出してきたかのようだ。流石、フリジアで聖女と呼ばれただけはある。
但馬は、いつかこんな子をお嫁さんにして、自分にも子供が出来たなら、きっとエリオスのように、馬鹿みたいに幸せになっちゃうんだろうな……などと考えていると、
「ところで社長、姫とはどうなのだ?」
ドキリと胸が高鳴った。自分は何を考えているのだ?
「ど、どうって?」
「子供はいいぞ、社長。俺はアトラスが居るだけで、生きる気力がメキメキと湧いてくるんだ。何しろ俺の子だから、きっとそれなりだと思っていたのだが、いざ生まれてみたらこんなに可愛くて仕方ない生き物はいない。毎日がバラ色だ」
そう言ってエリオスはウキウキと、いつ果てるともない息子自慢を始めるのだった。
リディアで一緒に暮らしていた頃を思い出しても、彼にこんな一面があるとは思いも寄らなかったが……
大使の仕事を無理に押し付けた格好になっていたが、久しぶりに会った彼が思った以上に幸せそうで、但馬はほっと胸をなでおろすと同時に、ちょっとだけしんみりするのだった。