教育熱心
「私の父はリディアでも少しは名の知れた発明家でした。そのため、日中は忙しく、子供の世話になんてかまけてられない人でした。だから小さい頃の私はお母さんにベッタリだったのですが、そのお母さんがある日死んでしまいます。甘えん坊だった私は、それから父に沢山迷惑をかけるようになりました。母が居なくなって寂しかったから、ずっと一緒に居て欲しくて、父のお仕事の邪魔をしたのです。
そんな具合に、私のことを持て余してしまった父は、私を修道院に預けることにしたんです。母が熱心なクリスチャンだったのもありますが、きっとわがままを言う私が手に負えなかったのでしょう。
しかしそこは悪徳で、寄付金を毎月払っている頃は良かったのですが、それが滞ると手のひら返しをされました。周囲から隔絶された環境の修道院では、悪い貴族たちの買春が横行していて、院長はお金儲けのために売春婦に部屋を貸し出していたのです。
私はそこで、自分もお金を稼ぐように強要されました。とても嫌でしたが、大人に逆らうことなんて出来ないし、生きていくには仕方ないと言われたらどうしようもありませんでした。
それに、同じような子供たちも沢山いたから我慢出来ました。中には信仰のためにおかしくなる子も居ましたが、その理不尽な環境で生き残るすべもまた宗教だったのです。私の友達は、それでも神に祈れば許されるのだと言って、私達を安心させてくれました。
でも、そんなのおかしいですよね。宗教では、そんな風に子供が我慢することを教えているのでしょうか。違うでしょう。
今、戦争で大勢の子供たちが親を無くし、私と同じように施設に預けられる子が増えています。私はそう言う子供たちが無条件で助かる世界であって欲しいです。子供たちが生きるために、何かを犠牲にすることはあってはいけないと、私達大人が無くしていかなきゃって思うんです。
最後に、私には友人であるザビエル神父と、リディアの孤児院の共同経営者のジュリアが居ます。彼らは信用のできる大人だから、もしも少しでも子供たちのことを思ってくれるなら、どうか寄付をお願いします。ご清聴ありがとうございました」
アクロポリスへ帰ってきた但馬は港から宮殿へと向かう最中、アナスタシアのことを聞き及び、皇国議会へ足を向けた。ブリジットを馬車に残し、彼が議会に入ると殆ど同時に彼女の演説が始まり、真剣に話を聞き入る人々で議場はシンと静まり返っていた。
アナスタシアはそんな中で赤裸々に自分の半生を語ったが、その顔は濃いベールに覆われていた。それは彼女のプライバシーを保護するという意味もあったろうが、恐らくはリリィに対する配慮であろう。
彼女の演説が終わると議場のいたるところから拍手が沸き起こった。本会議ではないから出席者は疎らであったが、それでも結構な数の議員たちが、彼女の話を聞いて同情し涙を流していた。だが、但馬はいくら自分の胸が苦しくっても、涙を流すことはなかった。
その後、同情する議員達がどよめいている中で、アナスタシアの代わりに例の婦人会のメンバーらしき人物が出てきて、皇国内の子供たちの人権がどうとか、虐げられる女性の権利がああだとか言い始めて、議会はいわゆる女性解放運動みたいな様相を呈してきた。
正直、アナスタシアが利用されたとか、そんな風に非難したいわけじゃない。多分、彼女自身もその立場を利用しているのだろうし、自分がとやかく言う権利もない。それより気になったのは、ここでは……皇国の首都アクロポリスでは、女性が政治に積極的に関わろうとしていることだった。
そんなこと、こんな産業革命すら起きてない、中世世界であり得るだろうか?
やはり、この街の人々は洗練されている。つまり、教育がされているわけだ。学校もないような国なのに、恐らく、その識字率は相当高いレベルにあるはずだ。じゃなきゃ、こんなことは起こりえない。世界の中心だと言うのは伊達ではないのだ。
実は、そのことに気付かされたのは、今回のセレスティア見聞の副産物だった。あの北方の大陸へ行く道すがら立ち寄ったトリエルで、まず初等教育の現場を見て……続いて訪れたセレスティアでは、一昔前のリディアに匹敵する科学技術の萌芽を見せられた。
セレスティアは非常に過酷な環境である。一年のうち、半分は雪に埋もれていて、作物は中々育たない。人々が寄り添って協力しながらじゃないと、とても暮らしてはいけないし、確固たる技術がなければ遅かれ早かれ限界が訪れただろう。
だから勇者が居なくなってからも、自然と科学技術が発展していったのだろうが……それにしたって、たったあれだけの人数で、あそこまでの発展を遂げるのは、ものすごいことではないか。仮に勇者がそれだけの教育を施していたとしてもである。
それで、ふと、思いついた。
但馬は普段から、亜人の成長ぶりを凄い凄いと思っていた。だが、その亜人と同じく、元は世界樹で作られた存在であった人間も、もしかしたら凄いんじゃないのか。
その凄さとは、亜人と違って身体的な成長はそこそこだが、この世界の人々は、頭の方が生まれつき相当良いのではなかろうか。
思えば、フレッド君は金勘定につけては天才的だし、アナスタシアは聖書を丸暗記するような特技を持っている。そして、親父さんは確かに立派な技術者であるが……それにしたって、但馬の言うことを理解するのが早すぎはしないか。
そして、アクロポリスの市民のこの洗練のされかたである。アクロポリスの人々は、どう見ても一人一人が自分で考え、自分の責任で行動している。まるで民主主義国家の現代人のようではないか。
元々都会人であり、貴族中心の社会は裕福であるから、教育が行き届いていたのは確かだろう……だが、一般市民にまで拡大しているとなると、彼らは元から聡明だったと考えるのは、早計だろうか。
ところで、勇者がセレスティアに辿り着いたのは、今からおよそ50年ほど前。その頃の彼は、熱心な教育は行っていなかったようだ。
ツヴァイの話によると、せいぜい身内の数人に……例えるなら、但馬がフレッドくんやリオン、親父さん相手に講釈を垂れる程度のことしかしていなかった。
ところが、彼は晩年になればなるほど、教育熱心になっていったようなのだ。
彼が死ぬ5年ほど前、セレスティアで子供たちの義務教育が行われるようになったらしい。しかも彼はそれに飽きたらず、トリエルの亜人たちを教育するようにモーゼルに進言もしている。
それを受け入れたトリエルでは、今でも初等教育が行われており、どうやらあの国の子供たちは、ほぼ例外なく読み書きが出来るそうなのだ。正直言って、これは識字率が30%以下と言われた中世にあって、ものすごいことではないか。実は、それが気になって、リーゼロッテにシルミウムはどうなのか調べて来いと、お使いを頼んだわけであるが、恐らくは似たような結果が出てくると予想している。
それにしても、勇者は何故このような方針転換を行ったのだろうか。打てば響くような彼らの学習能力が面白くなってしまったからだろうか。理由としては少々弱すぎるが……まあ、彼が晩年、何を考えてそうしたのかは、ティレニアに行って、新たな情報を仕入れてからまた考えればいいだろう。
その前に、しなきゃいけないことがある。
但馬がそんなことを考えながら議場の婦人会の訴えを聞いていると、演説を終えたばかりのアナスタシアが彼を見つけてテクテクと歩いてきた。但馬は身を引き締めると、近づいてくる彼女に唇だけで会釈した。
「先生、見てたんだ。なんだかすごく久し振りだね。アクロポリスに来てからずっとバタバタしてて、なかなか会う機会がないね」
「そうだね。ここ数日はちょっと北の方に行ってたんで」
「そう言えば、セレスティアに行ってたって本当? あっちは今、どうなってるのかな。私はもうよく覚えてないんだけど……」
「……そうだね。長くなりそうだから、また後で話すよ」
「ふーん」
アナスタシアはベールが落ち着かないのかパタパタと手で仰ぐようにしている。風でめくれて顔が見えてしまいそうだったから、そっとつまんで元に戻すと、彼女は恥ずかしそうにモジモジしていた。
「それは、リリィ様への配慮?」
「うん、そうした方がいいって。みんなに似てる似てるって言われるけど、そんなに似てるかなあ……でもかえって気楽だよね」
「そうか」
「どうだった?」
「え?」
「さっきのお話、一生懸命考えたんだけど、上手くみんなに伝わったかな」
良かったと言っても、悪かったと言っても傷つきそうなことを聞かれても困るだろう。
どうして、この子がこんな目に遭わなきゃならないのか。
そんな悲しいことは言わないで欲しい。
何も考えずにそんな風に言えたらきっと楽なんだろうが、いつだってそんなことは言えなかった。
「どうかな……ちゃんと伝わったと思うけど」
「なかなか先生みたいに、上手く出来ないね」
……但馬は薄く笑ってから話題を変えた。
「ところで……このあとどうするの? アクロポリスに来てからは、ずっと皇王様のとこに居るみたいだけど、もしかして、こっちで就職するつもりなのかしら」
「ううん。ジュリアも待ってるし、寄付金も集まったから、講和会議が終わったらリディアに帰るよ」
「そうか……皇王様はなんて?」
「一緒にリディアに行くって言ってる。嬉しいけど、そんなこと言われても困るから……リリィ様に後のことを頼んでるけど」
「それだけアーニャちゃんのことが気に入ったんでしょう」
「リディアに帰りづらくなっちゃうよ……」
一緒に居た時間が長かったからか、お互いにかなり情が移ってるようだった。それにしてもリディアに帰る……その言葉が自然に出るくらい、彼女にとっての故郷はもうあの常夏の国なのだろう。かつて両親と暮らした極寒のセレスティアではなく、ましてやティレニアなんて頭の片隅にもあり得ないはずである。
但馬は言った。
「でも、帰る前に、ちょっと寄り道しないか?」
「寄り道?」
アナスタシアは怪訝そうに首を傾げた。ベールに隠れてその表情は窺えないが、きっといつもみたいに眉毛だけが困ってるのだろう。
「うん、実は今度はティレニアに行こうと思ってるんだけど……」
「ティレニア……?」
「君に一緒に行って欲しいんだ」
「別にいいけど、どうして私が?」
「実は……さ。ところで君は、ご両親とセレスティアに居た時のことは覚えてる?」
「え? ……ううん、あんまり。すごく小さい時だからなあ。リディアに来てからならよく覚えてるけど」
「そのご両親が、セレスティアに行く以前に……二人がどこで知り合ったとか、そう言う話は聞いてないのかい?」
「……え?」
殆ど正解を言ってるようなセリフだったから、アナスタシアは目をパチクリしていたが、そんな具合に、但馬が歯切れ悪そうにしていると、いつの間にか周囲を貴族たちが囲んでいた。どうやら、但馬がアクロポリスに帰ってきたことに気づいて、挨拶に来たらしい。
流石に、こんなところで彼女の出自について話すなんて出来ないと思った但馬は、
「あ~……それも、後で話すよ」
「ふーん……」
アナスタシアは肩を竦めると、
「途中でコルフに寄るなら、エリオスさんに会えるね」
と言って無邪気に笑った。
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その後、議場に現れた但馬のことに気づいた貴族たちが挨拶にやってきて、それで彼がアクロポリスに帰ってきたことが知れ渡ると、今度は講和会議の出席者が次々やってきて、質問攻めにされた。留守中、ウルフが代わりに頑張ってくれたお陰で、賠償問題や景気対策は但馬が居なくても片付いていたのだが、やはり人づてになってしまうと完璧には伝わらなかったからか、細かな点を色々と尋ねられたのだ。
そうこうしているうちに、いつの間にか外はすっかり暗くなっていて、馬車で待たせていたブリジットが不貞腐れていた。議場に現れたらきっと混乱するだろうと思っての配慮だったが、こんなに時間を食うんだったら素直に二人で裏口にでも回るべきだった。持ち帰ったお土産を餌に、どうにか機嫌を取る。
迎賓館まで帰るとウルフがやってきて、暫く見ない間にすっかりやつれていた彼がセレスティアのことを聞きたがったので、帰還の挨拶がてら、シリル殿下のところへ一緒に行って、ブリジットとリリィも呼んで、セレスティアで起きていた出来事を、包み隠さず語って聞かせた。
まさか、リリィだけでなく、人類全体も、実は大昔に聖女に作られた存在だったとは……この世界のルーツを知った彼らは、最初は大いに戸惑っていたようだが、元々リリィの正体を知っていただけあって、ある程度の心構えは出来ていたらしく、暫く経ったらすぐに状況を飲み込んでくれた。
ただし、エトルリア聖教教主であるリリィに言わせれば、人間が神に作られたものでないというのは、やはり相当ショックであるらしく、秘密を知った者がセレスティアで内戦を起こした行政官たちのようにならないとは限らない。だから、彼の地の世界樹も封印した方がいいということで話がまとまった。
問題はそれをどう管理するかということであるが……その人選はなかなか難しく、結局、但馬がアクロポリスにいる間には決まらなかった。
そして講和会議はまもなく終わり……
世界が平和を求めて次なる時代へと向かおうとしはじめた時、但馬はアナスタシアを伴って、ティレニアの地へと向かおうとしていた。