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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
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講和会議②

 不況期の経済政策というものは、みんな言ってることがバラバラで、どうも正解とされるものが無い。そのくせ、マスメディアに出演する経済学者たちは(そうでない者も)、決まって自分の言う政策こそが正しいと、大言壮語するのは何故だろうか。実際問題、失敗したところで不況が続くだけであり、これ以上悪くはならないから、言ったもの勝ちになると思ってるからではなかろうか。


 面白いことに経済学にはナントカの法則という言葉が沢山あるが、実はそのどれもこれも法則とは呼べない。仮説や経験則のことである。


 証明しようにも地球規模での経済活動など、神様でも無い限り全部把握するのなんて不可能であるし、ある法則の証明のために統計を取ろうにも、そもそも特殊な経済状況を説明するためにその法則を定義してるわけだから、ランダム抽出した一部でしか測れないわけである。


 だから、テレビに出てくるような偉い経済学者たちも、実は真実ではなくて経験則を語ってるにすぎない。あまりにも景気のいいことばかり言うものだから、後で調べてみたらポジショントークだったなんてこともある。大体、経済学者が本当に経済のことに明るいのであれば、どうして大学の教授達は金持ちじゃ無いのか。みんな冴えないサラリーマンみたいな顔をしているではないか。


 しかし、それじゃあ、経済学ってのは嘘っぱちで役に立たない学問なのか? と言えば、もちろんそんなことはない。好況期の経済状況に関しては非常によく言い当てているようだし、金融政策やインフレ抑制では彼らの経験則が役に立っている。だが、これが不況期になると、途端に怪しくなってしまうのだ。


 不況というのは人間界の常識すらガラリと変えてしまう、物理学でいうところのスケールが違う現象か何かなんじゃなかろうか……


 ともあれ、不況を語るに当たって、大恐慌の頃の経済学者たちの動向について軽く触れておこう。


 1929年。世界最大の不況に至る歴史的な大暴落(ブラックサーズデー)の数日前、誰の目にも明らかなほど異常な高値をつける株式市場について、アメリカの経済学者アーヴィング・フィッシャー教授は、『株価は恒久的に続く高原状態に達したのだ』と言って、株価の更なる上昇を予言した。


 教授は物価指数、投資理論、資本理論に多大な貢献をしており、当時アメリカの最高権威の経済学者として知られていた。そんな偉い先生が大丈夫だと言うのだから、みんな馬鹿になって投機を行った。ところが結果は、株価は大暴落をはじめ、高原状態どころか、いつ果てるとも知れない下落をその後数年間も続けたのである。


 更に悪いことは続いた。その後訪れた不況対策として、経済学者たちはこぞって労働者の賃金を下げるようにと主張したのだ。労働者の賃金を下げて、商品を安く供給し続ければ、やがて経済は回り出す。そうしたら、また労働者の賃金を上げることが出来るのだから、今はみんな我慢すべきだと言ったのである。


 ところが、これに従った結果、大暴落前は3%台であったアメリカの失業率は、4年後には24%を越えるほどにまで落ち込んでしまったのである。


 こうして経済学者達の権威は完全に失墜したわけであるが……


 絵に描いたような転落劇を笑うことなら誰でも出来る。問題は、どうしてこんなことになってしまったのかということである。


 それが何故かと言えば、経済学の始祖とも呼べるアダム・スミスが自由放任主義を説き、国家の介入(過度な公共事業)は市場を歪めると主張したから。そして、需要と供給を説明するセイの法則によれば、供給があれば、必ずそこに需要が生まれるという考え方が、古典的な経済学者達には支配的だったからである。


 フランスの経済学者セイの法則とは簡単に説明すると、需要と供給が一致しない時、価格が柔軟に変動するなら、調整を経てそのギャップを埋めると言うものである。


 需要に対し供給が少なければ、値段を上げて需要を減らすか、もしくは、供給を増やして需要を満たせば、受給のバランスは一致するだろう。逆に供給に対し需要が少なければ、値段を下げて需要を増やすか、もしくは供給を減らせばいいと言うわけだ。


 ところで、企業が意図的に操作出来るのは、供給の方だけである。だから、人間が供給を増減して需給バランスを調整するわけだが、これをまとめると、供給を増やせば(値段が下がって)需要も増えると言う結果になる。


 企業は、生産すればするだけ、物が売れると言うのだ。


 本当かな? とも思うが、確かに新車が1円で売ってたら、誰でも飛びつくことだろう。もしかしたら、いずれ誰かに売れるかも知れないし、取り敢えず買っておこうという気にはなる。実際、好況期であるなら、この法則は成り立つようなのだ。


 話を大恐慌期に戻すが、不況とは企業がいくら生産しても物が全く売れないことを指す。つまり供給に対し需要が低い状態のことを指すわけだが、セイの法則に当てはめれば、労働者の賃金を下げて値段を安くし、じゃんじゃん生産すればまた需要は戻ってくるのだと、当時の経済学者達は主張していたわけである。


 しかし、実際には不況が改善されるどころか失業者は増える一方だった。


 困った経済学者たちは、それは目先の給料が減るのを嫌がる労働者達が、自分の意志で仕事を休んでいるからだと言った。今の時代にそんなこと言ったらなぶり殺しに遭いそうだが……これを自発的失業と呼んだわけだ。


 当時の世界では、完全雇用が成り立つと信じられており、失業者はみんなこの自発的失業者と思われていた。仕事は探せば必ず見つかるものであり、失業者が発生するのは、雇用のミスマッチから転職をしようとしてる者や、家が裕福で意図的に働いていない者がいるだけなのだと考えられていた。


 しかし、本当にそうなのか? 何しろ労働人口の4人に1人が失業者だ。ほんのちょっと歩けば誰でも分かるくらい、街は失業者で溢れている。仕事を求めて職業安定所に列を作る人達がいる。


 これらの人々が、本当に、自分のわがままで働いていないのだと言うのだろうか?


 いくら何でもこれはおかしいと感じたイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、当時の経済学の常識を疑い始めた。そして非自発的失業はあるとの考えから、セイの法則が間違っているのではないかと見当をつけた。


 それではセイの法則を踏まえ、今度は不況期の受給のバランスについて考えてみよう。


 需要が供給に対して大きい場合、これはさっきと変わらない。需要があるのだから、それに満たない分を作れば物は必ず売れるだろう。逆に供給が需要より大きい場合、さっきは価格調整をして値段を下げれば売れると考えたのであるが……


 ところが、現実問題、不況になるとこれが売れない。仮に自動車が1円で売られていても、誰も買わなくなる時が来る。何故か。


 それは、価格調整を行うために労働者の賃金を減らした結果、労働者が物を買えなくなってしまったからだ。


 需要というのは購買者が物を欲しがってる尺度であるが、購買者がいくら物を欲しがっていても、そもそもお金が無ければ買えないのだ。物が欲しいどころか、今はみんな給料が減ってるから買いたくない。買い手が不在であれば、企業がいくら物を作っても、やっぱり物は売れないわけである。


 市場には売り手と買い手がいる。そして買い手には労働者自身も含まれるのを忘れてはならない。セイの法則を信奉する古典経済学者達は、そのことを失念していたわけである。


 需要には限度があり、要するにお金が無ければ、いくら供給を増やしたところで需要は増えない、ケインズは有効需要というものが存在すると説いた。すると企業は物を無尽蔵に作り続けることは出来ないのだから、生産が縮小してラインが停止し雇用を止める。こうして非自発的失業者が生まれていたと言うわけである。


 さて、大分大雑把かも知れないが失業者が発生していた理由が分かった。では、不況から脱するにはどうすればいいだろうか。


 今、買い手が不在なために企業は生産を縮小している。不況を脱するためには、まず失業者を減らさねばならない。だが、いま失業している人たちが一斉に元通りに働き出したら、企業はまた供給過剰に陥ってしまう。好況期だったらセイの法則が成立し、価格調整が起こって需要と一致するわけだが、先も述べた通り不況期だとそうは行かない。


 イタチごっこであるが……ならどうすればいいだろうか。簡単だ。過剰供給なのにそれを減らしたくないなら、需要を増やしてやればいい。民間企業にはそんなことは出来ないが、国家ならそれが可能だろう。


 需要を増やすとはつまり購買者が増えればいいわけだから、政府が企業から物を買って、購買者の役割をすればいいだけの話である。


 ただ、だからと言って政府がプレイステーションや自動車を買うわけにはいかないから、代わりに公共事業を行って雇用を生み出し、労働者に賃金を与える。賃金を得た労働者は生活に余裕が出てきたら、また嗜好品なども買い出し、経済が回り出すという寸法だ。


 公共事業というものは、平時にやり過ぎれば確かに市場の競争原理を阻害するが、不況期であれば寧ろ役に立つのですよと、ケインズは説いたのである。


 この考え方は古典経済学者たちには敬遠され、国家社会主義に繋がる危険な思想だと言われ批判された。そのため、欧米ではなかなか実行されなかった。しかし、若い人々には比較的受けがよく、ケインズの信奉者は増えていった。この背景には、フィッシャー教授の例があるように、経済学者たちが権威を失墜していたことと、ケインズが経済学者と呼ばれるよりも投資家と呼ばれることを好み、彼自身が投資家として(浮き沈みは激しかったようだが)成功していたことがあるのだろう。


 さて、この彼の信奉者には日本の高橋是清が居り、日本は世界に先駆けて彼の理論を実践し、大不況からの奇跡的な回帰を遂げた。残念ながら高橋蔵相はその過程で軍部の恨みを買い、226事件で暗殺されてしまうのだが、ケインズの主張が正しいことは、こうして徐々に浸透していった。


 余談ではあるが、ケインズ主義をいち早く実践した国の中にはナチスドイツも含まれており、アメリカのニューディール政策もまたケインズの理論を元にした政策であったが、それを推し進めた一派の中に、戦後ソ連のスパイが混じっていたことが発覚したことも付け加えておこう。


 アメリカはそれが切っ掛けでマッカーシズムと呼ばれる強烈な反共産主義にシフトしていく。古典経済学者たちが国家社会主義的と揶揄したのは、多分に嫉妬ややっかみが大きかったろうが、あながち的外れではなかったのかも知れない。


******************************


 OHPに映し出されるスライドを駆使しながら、ウルフは居並ぶ各国の経済閣僚たちを前に不況の脱出法を説明した。見たこともないプレゼンテーション法に圧倒されたのか、私語一つ飛ばずに、出席者はみんな真剣に話を聞いてくれた。


 公共事業を行い雇用を創出し、その労働者達の消費を当てにして不況からの脱出を図るという考え方は概ね受け入れられた。破壊されたアスタクスのインフラ整備は、早急にやらねばならなかったし、そこに資金を注入して、消費を促そうと言う考えは分かりやすかったからだろう。


 ただ、既に破綻している銀行が多数あり、その不良債権処理のために公的資金を注入するという考えを示した途端、あちこちから反対意見が飛んできた。銀行といえば破綻した殆どがシルミウムのもので、助ける義理がないからである。


 だがウルフは強硬にそれを主張した。


「もちろん、我々が助ける義理はない。だが金融機能が麻痺した状態では、仮に労働者に賃金を与えたところで、巡り巡って不良債権の処理に使われてしまうのが落ちだ。要するに、一時的に金が出まわっても、どこかで借金の返済に使われてしまい、銀行は貸し渋り、企業は設備投資を行わず、また物が売れなくなる。それでは本末転倒だろう。それに、公的資金はタダでやるというわけではない。有利な条件で貸し付けるのであって、最終的には返してもらう」

「しかし、そんな資金をどこから調達するというのですか。どの国も不況で台所が苦しいのは同じです。それとも、アナトリア帝国が出してくれるというのですか?」


 現在の帝国なら可能かも知れないが……もちろんそんなことはしない。


「それはシルミウムに出させる。元々銀行破綻はシルミウムの国内問題であるし、彼らが出すのが当然だ。その上で、賠償金もきっちりと支払ってもらおう」


 ウルフのその言葉に議場がどよめいた。


「ですから、そんな金はどこにも無いと言ってるのですが」

「無ければ作ればいい。シルミウムはこれより管理通貨制に移行し、その実験場となってもらう。そのシルミウムの通貨発行によってアスタクスのインフラ整備を行うのだ」


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