控えい控えい!
パリパリと脳みその中で静電気が走るような感覚がした。色を失った視界の端っこの方から、今、ゆっくりとした軌跡を描いて一本の矢が但馬を目掛けて飛んできていた。
見えていれば避けるのは容易い。だが、避ける必要はないだろう。とっくにリーゼロッテを含めた複数傭兵たちが反応していて、放っておいても但馬に到達する前に叩き落としてくれるはずだ。
それよりなにより、この状況で分かることはただ一つ。
エマージェンシーモードが発動したと言うことは、相手は但馬に殺意を向けたと言うことである。
ズシン……っとした衝撃とともに、重力が軽くなる。
どうやら、亜人の一人が矢を叩き落としたことで、但馬の危険レベルが下がったのだろう。
シャンっと金属の擦れる音がして火花が散った。
リーゼロッテが剣を抜き、亜人達がものすごい素早さで雑木林の中にいる襲撃者を取り囲むように展開し始める。
「殺すなよ! 出来れば怪我もさせるな!」
「かしこまりました」
但馬の叫びにリーゼロッテは短く返すと、殆ど予備動作無しで雑木林の中へと飛び込んでいった。完全に虚を突くその動きに、味方の亜人たちまで欺かれたのか、数瞬の後、彼女に遅れてバタバタと後に続いていった。
「エリック! ラッパ!」
但馬が叫ぶと、それを呆然と見ていたエリックはハッと思い出したかのように、腰に吊るしていたラッパを吹き鳴らした。
パッパラッパパー!!
沖に停泊する船への合図である。これによってヴィクトリアは援護射撃の準備を始めるはずである。
尤も、実際に撃たれたらまずいので、そうなる前になんとか収拾をつけなければならない。モーゼルと約束した手前、下手を打つと今後の国同士の付き合いにも影響が出てしまう。
リーゼロッテ達が、上手く相手に怪我をさせずに無力化出来ればいいのだが……
但馬は姿勢を低くして、砂浜にあった流木の影にうつ伏せに隠れると、その彼女の飛び込んでいった雑木林を見た。エリックが但馬の背後に走りこんできて、弓を構えた。二人が警戒していると、
「……え!? これはっ……!」
すると雑木林の方角から、リーゼロッテの困惑する声が聞こえてくる。
「ちょっと待ってください! ……待ってください! 待ちなさいっ!!」
あの人を喰ったような性格をしたメイドにしては、やけに焦りを感じさせる声だった。
そんなにヤバイ相手なのだろうか?
まさか、セレスティアに統率の取れた軍隊なんかいないと高をくくっていたが、考えてもみれば戦争に勝利した亜人の集団なのである。但馬の傭兵団と同じくらいの戦力があってもおかしくはない。
彼女に任せておけば平気だと思っていたが、せめて援護しなければと慌ててレーダーマップを表示すると、しかし、雑木林の中の光点は統率の取れた動きどころか、まるで蜘蛛の子を散らしたかのようにバラバラに逃げ惑っているように見えるのだった。
そして、
「きゃあああああぁぁ~~~っっ!!!」
っと、ものすごく甲高い悲鳴が轟いて、但馬は思わずビクッと体が硬直した。その強烈に危機感を煽る叫び声には、電車の中で痴漢冤罪でも掛けられたかのような圧力があった。
「なんだ……相手は女か?」
背後のエリックがボソッと呟く。
雑木林の中ではリーゼロッテたちと襲撃者たちとの鬼ごっこが始まっていた。
すると……
「やだあああ~!!」「離せえ~! は~な~せ~っ!!」「うわああ~~~んっっ!!」「殺されるっ!」「助けて~!」「パパー! ママー!!」
今度は立て続けに、情けない悲鳴が上がって来たのである。
但馬とエリックは顔を見合わせた。流石にこれはおかしい。女性と言うよりも、まるで子供みたいだ。
困惑しながら様子をうかがっていると、
「こらっ! 待ちなさい! 待ちなさい、あなたたちっ! こらぁ~っ!」
雑木林の中ではリーゼロッテが相手を捕まえるのに相当苦戦しているようだった。数千人の歩兵の銃撃を掻い潜り、敵陣に真正面から突っ込んでいった猛将である。その彼女の悪夢のような動きが、今は完全に殺されていた。
らしくないな……と思っていると、やがて追っかけるのを断念した彼女が落胆するように、肩をガックリと落としながら雑木林から出てきた。顔には引っかき傷があり、彼女の自慢のメイド服の裾が泥だらけで台無しだった。
どうやら、先ほどの予感は正しかったようだ。彼女はその両脇に、大暴れする子供を抱えていたのである。
「なんだあ? マジでガキだったのか!?」
エリックが素っ頓狂な声を上げる。
彼女に従う亜人達も、みんなそれぞれ同じように小さな子供を抱えて出てきた。
「うえぁうぉえああうぅぅ~~!!」「おぎゃあああああ!」「うばあぁあああ~!」
甲高い子供たちの泣き声で、静かだった浜辺は騒然となった。もはや泣くというよりも絶叫といった方がいい感じだ。
強面の亜人傭兵達もこれにはたまらず、どうしたらいいのかと言った感じに但馬の方を見つめている。そんな顔をされても困る。
「社長、申し訳ございません。半分くらいに逃げられてしまいました」
「いやまあ、相手が相手だから仕方ないけど……それにしても元気いっぱいだなあ」
「まったく……どうなさいますか? まだ子供ですし、この調子では尋問しても意味がなさそうですが」
但馬としてもうるさいから逃がしてやりたいところだったが……
とっつかまえた子供たちの手に、弩が握られているのを見ると、そういうわけにはいかないようだ。やはり、先ほど但馬を襲ったのは、彼らで間違いないらしい。
「しかし、妙だな……」
上陸していきなり有無をいわさず攻撃されたのは、まあ、ある意味想定の範囲内ではあった。モーゼルから聞いていた事情を鑑みれば、セレスティアの亜人達が外からの訪問者を必要以上警戒する気持ちはわからないでもない。
だが、真っ先にやって来たのが子供と言うのは、流石に想像すらしていなかった。なにしろ、セレスティアに子供なんかが居るとは思っていなかったのだ。
何故なら、亜人は亜人同士で子供を作れない。
但馬がメディアの亜人たちと出会って、知った事実だ。彼らは世界樹の中で作られ、自分たちだけでは増えることが出来ない。エルフか人間か、他の種族との交配でしか繁殖することが出来ず、また生まれてくる子供もその他種族のどちらかだ。
もしかして、セレスティアの世界樹もまた、メディア同様、亜人製造措置だったのだろうか。
「ん……?」
但馬が疑念に頭を悩ませていると、続けざまに妙な感覚が脳裏をよぎった。なんだか、この子供たちを見ていると違和感を感じるのだ。
しっぽが生えている亜人も居るが、みんながみんな生えているわけではない。しかし頭部には猫耳がついてたり蛇眼をしていたり、分かりやすい特徴が見て取れるのが亜人であるのだが……
「あれ……? まさか、この子たちって……」
ところが、目の前の子供たちには、そんな特徴が無いのである。
ジュリアみたいな、ゴリラや猿の亜人というのも居るにはいる。もしかしたらそれなのかとも思ったが……全部が全部そうだと言うのは、まずあり得ないだろう。すると、
「完全に人間だよな……これ」
そう思って左のコメカミを叩き、鑑定魔法を掛けてみると、但馬の鑑定結果にはキメラの文字ではなく、ヒューマンの文字列が並んでいた。
間違いなく彼らは人間だ。
どういうことであろうか? 人間と亜人の子供は人間になる。つまり、セレスティアに人間がまだ残っていて、その彼らと亜人とが結婚して子供を産んだとか、そういうことなのだろうか?
だがモーゼルとの会話では、そんな話は一切出てこなかった。十数年前に、人間と亜人が別れて戦ったと、そう言う風にしか言っていなかったはずなのだが……
「社長……」
但馬がそんな具合に首をひねっていると、リーゼロッテが押し殺したような声で言った。
「囲まれたようです」
ふと雑木林の方を見ると、複数の人間の気配がした。
「……みたいだな。今度は隠れる気は無さそうだね」
それもそのはず、数が尋常では無いのだ。
気配は広範囲に広がり、レーダーマップを表示してない但馬にも分かるくらいだった。10人20人では済まないはずだ。どう考えても100人以上はいそうな雰囲気である。
さっき逃げた子供たちが、大人を呼んで戻ってきたのだろう。子供だと思って手加減したのが仇になった。リーゼロッテ達の顔が曇る。責める気はさらさらないが。
セレスティアにどれくらいの人口が残ってるか知らないが、かなりの人数が出張ってきたのは間違いない。周囲を取り巻く人間の気配が、雑木林のすぐ中ほどで止まる。
光の関係でこちらから林の中は見えないが、さっきみたいに弓矢で狙われているとしたら、流石にこの数は脅威である。
撤退すべきかどうするか悩んでいると、その林の中から、一人の白髪の老人が歩み出てきた。
「……子供たちを放せ。放せば見逃がしてやる」
老人は但馬たちをまっすぐ睨みつけると、背筋をピンと伸ばしてそう言った。
決して声は大きくないのに、ズッシリと腹まで届くようなバリトンには、言外にそうしなければ殺されるというような迫力が篭っていた。
但馬はゴクリと唾を飲み込みながら、
「待って下さい! せめて話だけでも聞いてもらえませんか?」
「駄目だ。子供たちを放したら、さっさと出て行け」
「トリエル辺境伯から話も聞いてきました。ある程度の事情も知ってますから」
「……子供たちを放すんだ」
まるで話にならない。問答無用と、目つきがそう言っていた。あれだけ友好的な態度を見せたトリエルですら、説得を断念した理由が分かった気がした。しかし、何故ここまで頑なに嫌がるのだろうか……?
チンッ……チンッ……っと、リーゼロッテが腰に佩いた剣を爪弾く。まるでブリジットの癖みたいだ。エリックは沖に停泊するヴィクトリアの方をしきりに気にしている。
せめて仲間と相談したいところだが……下手に口を開くと、相手が警戒しそうで躊躇われる。そんな風に但馬と老人がジッと睨み合っていると、林の中にいる他の大人たちも焦れてきたのか、ジリジリとこちらへ弓矢を構えながらにじり寄ってくるように姿を現した。
その数はざっと見積もっても100はくだらない。それだけの矢尻に狙われていると、針の筵にくるまってるような息苦しさだった。
と……突然、沖合に浮かぶ船の方からクラリオンの音が響いてくる。
パッパラッパパー!!
短い一小節の音色が響き渡ると、険しい顔をしてエリックが但馬の方へ目配せしてきた。
それはヴィクトリアから増援を送るとの符丁だった。恐らく戦場の見張りが但馬達が囲まれていることに気づき、慌てて対応を始めたといったところだろう。錨が巻き上げられ、砲門がこちらへ向けられる。
沖合で武装した水兵を乗せた上陸用舟艇が下ろされると、それを見ていた亜人達がざわついた。
このまま放っておいたら本当に戦闘になってしまう。やめさせたければ、エリックにラッパで合図させればいいのだが……
「ええいっ……くそっ!」
時間がないと判断した但馬は最初で最後の賭けに出た。
彼が突然、亜人に向かってダダっと二三歩詰め寄ると、驚いた亜人達が一斉に狙いを彼に絞った。
それを見ていたリーゼロッテは、ぎょっとして但馬の前に飛び出した。
すると、そこですかさず、但馬はザンっと砂浜に跪き、
「控えい控えい! この御方をどなたと心得る!」
リーゼロッテへ恭しく敬礼しながら、こう叫んだのであった。
「恐れ多くも先の副将軍……じゃない。セレスティアが正統後継者、勇者タージマハールが一人娘、エリザベス・シャーロット妃殿下であらせられるぞ! 各々方、セレスティア国主たる殿下に弓引くとは無礼千万! その罪、万死に値する!」
但馬が早口にまくし立てると、亜人達がポカンと口を開いた。
「ひどいっ! 私にはもう押し付けないって言ったではありませんかっ!」
対して、リーゼロッテの方は険しい目つきを但馬に浴びせかけてきた。但馬はその視線を無慈悲に切って捨てると、
「うるさい。どうせメディアから渡ってきたはずの亜人が居るならバレバレなんだ。今はこの窮地をぬけ出すのが先だ」
とは言ったものの、状況は対して変わっていなかった。
目の前の女性の正体を明かされた亜人達は、一瞬戸惑いを見せたが、それで弓を下ろすようなことまではしていない。考えてもみれば、この亜人達が勇者の名前を聞いただけで大人しくなるとも限らないのだ。彼らがなんで内戦を始めたのか分かってないし、始まった時にはもう勇者は死んでいたのだから。
もしかしたら……ここにいる亜人たちが勇者を暗殺した可能性も否定できないのだ。
だが、但馬はそれは無いだろうと踏んでいた。亜人は忠誠心が強いのだ。メディアの亜人たちと付き合っているだけでもそれは分かる。
そんな但馬の行動は、少なくとも相手の気を引いたようだった。白髪の亜人はこちらを疑念の目つきで見つめている。どう反応していいか困ってるようだ。あとひと押しと判断した彼は、
「ほらリーゼロッテさん、勇者の形見あるでしょ。俺がやった小太刀を出してよ」
「……仕方ありませんねえ……その代わり厄介事は全部社長が面倒見て下さいよ。私は彼らにお願いされると断りづらいのです……」
「分かった分かった」
やがて諦めたらしきリーゼロッテが溜息をつきながら、腰の辺りにはいていた小太刀の方を引き抜いた。
その刀身がキラリと光を反射すると、但馬たちを取り囲んでいた亜人たちから感嘆の息が漏れる。
その効果は覿面だった。先程まで、あれだけ頑なだった亜人達のうちの数人が、それを見ただけで呆けたように弓を下ろした。リーダーらしき白髪の亜人も明らかに戸惑いの表情を見せている。すると森の方から数人の亜人が飛び出してきて耳打ちをした。身振り手振りでこちらを指さし、何か言ってるようである。
但馬の傭兵団の亜人達が、あっと小さく声を上げる。興奮したようなその表情からすると、彼らはメディアを出て行った亜人たちに違いないのだろう。
話が終わると白髪の亜人は手を上げて、周囲に弓を下ろすように指示した。
「我々の仲間が、あなたを知っていると言っている……本当に、そちらは勇者様のご息女なのか?」
「……ええ、まあ。不本意ながら」
リーゼロッテが渋々答えると、但馬たちを取り囲んでいた亜人たちから大きなどよめきが起こった。
「女王様だ」「メディアの奴らが言ってた」「それじゃあれは……」「間違いない」
彼らは弓を下ろすと、口々につぶやきながら、林から出てきてこちらの方へと歩み寄ってきた。マジマジと見つめる瞳には、もう敵意は感じられない。その顔はまだ半信半疑ではあったが、どこか安堵にも似た表情に見える。
どうやら、一先ずは危機を乗り越えたようである。
但馬はもう危険はないだろうと判断すると、子供たちを解放してやるように亜人たちに言った。子供たちは自由になると半べそをかきながら大人たちの方へ駆けて行く。
「子供たちを解放してくれて感謝する。あなた方は、いい人のようだ」
白髪の亜人が代表して但馬達の方へと歩み寄ってくると、沖合に浮かぶヴィクトリアからまた合図のラッパの音が聞こえてきた。エリックが慌てて波打ち際まで駆けていって、沖に向かってラッパを吹いた。オールを漕いでいた水兵たちのボートはそれで止まり、沖の方でスーッと方向転換を始めた。
但馬はほっと一息ついた。最初はどうなることかと思ったが、少なくとも話くらいは聞いてもらえるようである。
亜人達は物珍しそうな表情で但馬たちを取り囲み人垣を作った。かなりの気配を感じていたが、本当に100人以上の亜人が林に潜んでいたようである。みんな口々に、勇者だ、娘だとつぶやきながら、こちらを値踏みするような顔をしていた。
白髪の亜人……それは近くで見たら明らかに老人であったが……彼はその人垣を割ってリーゼロッテの前まで歩み寄ると、
「それで、あなたが勇者様の娘さんなのだな?」
「ええ、まあ。父をご存知で……」
彼女が肯定すると、その老人ははぁ~と感嘆の溜息を漏らし、マジマジとリーゼロッテの顔を見つめた。そして、それまで見せたことのないような柔らかい表情で、
「目元がお父さんにそっくりです。実に懐かしい……あなたのことは、メディアから来た仲間から聞き及んでおりました。お会いできて光栄です」
老人が丁寧にそう言って手を差し出すと、ちょっとふてくされたような感じだった彼女もシャンと背筋を伸ばして、「こちらこそ」と手を握り返した。
老人が何者かは分からないが、その見た目からするとこの亜人の集団の長老といったところなのだろう。きっと勇者とも長い付き合いだったのだろうし、もしかしたら、メディアからずっと付き従ってきた生き残りなのかも知れない。
但馬はそんな老人とリーゼロッテの邪魔をしてはいけないと思い、二人の元から一歩引いて、彼らが会話を終えるのを待つことにした。
しかし、そんな但馬に気づいた老人が慌てて彼の方へ向き直ると、
「お待ちなさい。私が用があるのはあなたの方だ。こちらのお嬢さんが勇者様の娘さんであるなら……」
リーゼロッテと尽きぬ話もあるだろうに、リーダーとして但馬と話すことを選んだのだろうか。とても真面目な老人である。その場を離れようとしていた但馬は足を止めると、老人の方へ向き直った。
すると老人は彼の目の奥を覗きこむかのような、実にまっすぐな瞳で見つめながら、続けてこう言ったのである。
「あなたが但馬波瑠……勇者様の生まれ変わりなのですね?」
「……え?」
その言葉は完全に不意打ちで、
「先程までの無礼をお許し下さい。我々はあなたが来るのを待っていました。勇者、但馬波瑠よ。どうか、我らを助けてください。我らには、あなたの助けが必要なのです」
但馬はポカンと馬鹿みたいに口を開いたまま、老人の顔をマジマジと見つめていた。