内戦の勝者
辺境伯を名乗る老人モーゼルに連れられ、但馬達は陸路でトリエル首都ポルタの地へと向かった。海岸線の道路は、国の主要な幹線道路らしかったが、せいぜい人が足で踏み固めた程度の獣道で、雪に埋もれてしまって道案内がなければ気づかないほどだった。
一昔前のリディアも、雪が降らないだけで似たような物だったから、バカにするつもりは無いが、アクロポリスに滞在していた時に感じたテクノロジーの差は、ここ北の最果てまで来たら、もう覆しようのないものだった。トリエルの集落のレベルは、恐らく初めて訪れた時のメディア程度のものだろう。
それにしても、但馬達が上陸した漁村は首都から10キロほど離れた集落であったのに、どうしてそんな場所に都合よく辺境伯が現れたのだろうか。疑問に思っていたら、山の上からキラキラと光が反射するのを見てその理由が分かった。
山がちなトリエルの地では、沿岸付近でもない限り、陸路での移動が限られるから、ちょっとした連絡くらいなら、鏡を使った独自の光通信技術が育っていたのだろう。
山の上に居た見張りが外洋の遥か沖合を航行するヴィクトリアを発見し、それを麓の辺境伯に知らせたのだ。そして彼は山の上から絶えず送られてくる情報を頼りに、ヴィクトリアの上陸地点を予測し、先回りしていたというわけである。
但馬がモーゼルに訪ねてみたところ、彼はよく分かったねといった感じにあっさり肯定し、あとは狼煙や伝書鳩を使ってると教えてくれた。人の手の入ってない山奥には、熊や狼が生息しているらしく、山の向こうとの連絡には細心の注意を払わねばならないそうである。
そんな具合に通信手段が発達したからか、それを教える学校のようなものも自然と作られたようで、やがて但馬達がポルタの街に差し掛かると、町外れの開けた場所に、大きな敷地を持った施設が見えてきた。
その建物の前にある運動場らしき広場では、子供たちが雪合戦のような遊びをしていて、まだ距離は随分あったが、モーゼルの声が聞き取りづらくなるくらいの大騒ぎをしている。
まるで自分の記憶の中にある小学校みたいだと思いながらマジマジとその中を覗き込んでみたら、よく見ると、その子供たちは人間の子供も亜人の子供も一緒くたになっていて、別け隔てなく付き合っているようだった。
アクロポリスで知り合った亜人達は、但馬が作ったハリチのことを羨ましそうにしていたが、ここも負けず劣らず亜人にとってはいい場所じゃないか。そんな風に考えつつ、ところで、ここでは何を教えてるのかと尋ねてみたら、
「文字の読み書きと、礼儀作法。あとは鉱石の種類を教えてるんだ。うちの国は実物がいくらでも手に入るから、そいつを手に近くの鉱山に実地で見学にいかせることもある。フィールドワークってやつだな」
なんだかメディアの寺子屋と似たようなことをやっている。
メディアの方はレンジャーになるために、森の植生を中心に学んでいるが、こちらは子供たちを炭鉱夫にするために、鉱石の勉強を取り入れてるようだ。
但馬はその違いに感心し、炭鉱夫にするために教育を行っているのかと尋ねてみたら、モーゼルに言わせれば、どうやらそれだけではないらしい。
「そいつもそうだが、どっちかってえと人格形成のためって方が大きいな」
「へ……? どういうことですか」
「言葉を覚えなきゃ、人間は考えることすら出来ねえ。母語は人格を形成する最も大切な一要素だから、特に力を入れて教えておいた方がいいじゃねえか。そう思うだろう?」
思った以上の答えが帰ってきて、但馬は思わず狼狽した。
確かに、どうやら人間は、頭のなかで母国語を使って物事を考えているようである。18世紀の後半くらいから、まずドイツの思想家たちの間で、そのような考えが生まれてきた。早くはイマヌエル・カントの著作にも、その言及がみられるそうだ。
実際、それは我々にも馴染みやすい考え方だろう。我々は黙って考え事をしてる時、まるで頭の中で自分が喋ってるように言葉を操ってる。人によっては映像で記憶するタイプなんてのもいるそうだが、そう言う人でも頭の中では言葉が踊ってるはずである。
だから例えば、海外からやって来たバイリンガルがどことなく幼く感じるのは、彼が頭の中で一旦母国語で考えてから、それを翻訳するというワンクッションを置いているので、どうしてもたどたどしく感じてしまうわけだ。
その感覚を無くすためには、バイリンガルは母語ではなく第二言語で思考すればいいはずだが、しかし、普通はどんな聡明な人でも母語(第一言語)と第二言語とでは語彙力に開きがあるせいで、そう簡単にはいかないのである。第二言語で物事を考えようにも、第一言語なら普通に知ってる単語が第二言語で見つからなければ、その人は結局第一言語で考えるしかなくなってしまうからだ。
そんな具合に、第二言語で物事を上手く考えられないように、人間は言葉を知らなければ、そのこと自体を考えることすら難しいわけである。だから幼年期から青年期までは、外国語よりも母国語を磨いたほうが良いと考えられるわけだが……
実を言うと今更だが、但馬はこの世界で単一言語を使っている。そもそも、この世界は人類の生存圏が狭いから、そこで生きている人々の言葉は方言程度の違いしか存在しないのだ。
その共通言語というのも、聖書を元にしたからか、若干ラテン語っぽい訛りはあったが、ぶっちゃけ英語そのまんまだった。
だから但馬は殆ど意識すること無く、この世界で初めて出会ったブリジットたちと、ベラベラ当たり前のようにしゃべっていたわけだが……ところで、単一言語しか無いと言うことは、言語が人の考え方に影響を及ぼすという考え自体、気づくのは相当難しいはずだ。
だから、よくモーゼルがそんな思想に至ったなと思わず感心したのであるが……
「……勇者が?」
「ああ。この学校ってシステムは、大昔に勇者が作っていったんだよ。あの野郎は、うちに来て奴隷解放を唱えてみたはいいものの、俺達が仲良くやってたからすぐに態度を改めたんだ」
「へえ」
「ところで……悪気は無いんだけどよ。おめえさんとこの亜人さんと、俺達の国で暮らす亜人とでは、印象が違うと思わねえか? なんつーかその……俺達の育てた方が……」
「イキイキとしていますね」
「そうだろそうだろ? だけど、大昔はそうじゃなかったのよ。おめえさんとこの亜人さんと同じで、どことなく虚ろっつーか、感じが違ったわけよ。それを見て、勇者のやつが言ったんだわな。おまえさんたちが亜人と仲良くやってるのは分かった。だがそれじゃまだダメだ。働かせる前に、もっと教育してやってくれってな」
トリエルの人たちはそう言われても、自分たち自身も教育を受けたことが無いのが殆どだったから、どうして良いかわからなかった。それでも勇者が言うことを真に受けてやってみたところ、それまでどことなく生気が感じられなかった亜人達が、みるみる人間と同じように成長し始めたらしい。
亜人は生まれが特殊だから、人間ならば当たり前のように経験するはずの、言語獲得のプロセスが歪なのだろう。亜人達は基本的に親がなく、言葉の拙い亜人だけの環境で育ってきたせいで、メディアの亜人は語彙力が非常に乏しいのだ。
なるほど、そんなカラクリがあったかと但馬は納得した。勇者は奴隷解放をしているどこかの段階で、亜人の成長に差があることに気づいたのだろう。そしてモーゼルに学校を作ることを勧めたのだろう。
それにしても、道理でひと目見ただけで、それが小学校っぽいなと思ったわけである。勇者が作れば、そりゃそうなるはずだ。
但馬が感心しながらその光景を眺めていると、子供たちが外を歩いているモーゼルのことに気がついて、元気いっぱいの挨拶を交わしてきた。その笑顔は、人間の子も亜人の子も変わりがない。
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トリエルの中枢であるモーゼルの館は、とても立派な洋館風の木造の建物だった。3階建ての狭くはないが、広くもない洋館で、モーゼルはここに使用人を除いては一人で住んでいるらしい。近所にはVP……アルザスも住んでいて、二人が共同経営で国中の鉱山を取り仕切っているそうである。
モーゼルには家族が居ないのかと言えばそんなことは無く、5人の息子と他家に嫁いだ2人の娘がいるらしい。息子たちはそれぞれ独立して鉱山を経営していて、後継者はそのうちの誰かになるはずだと彼は言っていた。トリエルでは、一人前の男は山の一つや二つを持っているのが当然らしい。
騎士や聖遺物、エルフや魔法なんて、ある意味ファンタジー世界からやって来たものだから拍子抜けしたが、現実の領主の後継者問題なんてのも、多分こんなものなんだろう。切った張ったの前に、国を経営しなきゃならないのだから、その手腕が問われるわけだ。
「それで、おめえさんがた、トリエルには一体何しにきたんでい?」
但馬たちを館の応接室に通すと、モーゼルの使用人がそれを待っていたかのように、タイミングよく茶を持ってきた。使用人に礼を言い、出された茶をズズズッと飲むと、それは温かいだけでなく、とても甘かった。砂糖が入ってるのかと思って二口目を含んだら、モーゼルがそう尋ねてきたので、但馬は慌てて答えた。
「えーっと、実は俺達はセレスティアの調査に来たんですよ」
「セレスティアに? そりゃまたなんで」
「理由は色々あります。まずは彼の地には世界樹があるそうですし、その調査を。それから、我が国を出て行った亜人の方がセレスティアに渡ったと聞いたんで、その消息を訪ねようかと。今ここには居ませんが、船に彼らの仲間が乗ってるんですよ。まだ他にもありますが、結局、最たるものは純粋に興味からですね。勇者の作った国の話はあちこちで聞くんですが、内戦が始まってからの情報は全然入ってこないんで、今どうなってるか気になってるんです。VPさんに尋ねても、彼もよくわからないとおっしゃってましたし、だったら自分の目で確かめてみようかと」
「アルザスの野郎が……」
モーゼルは唇を尖らせて難しそうな顔を見せた。その姿を見ていると、どうやら彼らはセレスティアのことを何か隠してるように思えてならない。
但馬はアルザスから受け取っていた、彼の紹介状をモーゼルに手渡すと、
「突然の訪問というご無礼をお許し下さい。一応、トリエルに来る前にVPさんに話を通して、こうして紹介状を書いてもらったんですが……彼がこちらへ連絡を入れるよりも、我々の船のほうが速いもんですから、こうしてアポイントもなく直接来させて頂きました。紹介状にも、その旨を書いてくださってると思いますが……」
「確かにそう書いてらあなあ……」
モーゼルは拡大鏡らしきものを取り出してくると、顔を遠ざけ、目を細めながら手紙の文字を追いながら、ボソッと気のない素振りで言った。
「ありゃあ、キャラック船とか言ったか、おめえさんの乗ってきた船は」
「……え? ご存知なんですか?」
外洋航行能力を保有する船舶を作り、操船する技術は、今のところアナトリア帝国にしかないはずだった。それが船を遠くから一目見ただけで、その種類まで言い当ててくるとは思わず、但馬は面食らった。
そう言えば、最初に接触した漁師もそうだったが、やはりトリエルの人たちは三角帆を持った船の存在を知っているらしい。
モーゼルは拡大鏡を外すと、目をしばしばさせながら言った。
「セレスティアってのは海流の都合で、向こうから渡ってくるのは簡単なんだが、こっちから行くのは難しいんだ。あっちには元々、大昔にトリエルから渡って行った開拓民が住んでたんだが、中々交流が難しかった。支援してやりたくっても、海を渡れるのが冒険心に満ちた熟練の船乗りだけじゃなあ……ところが、あの勇者が現れてな」
勇者は初め、自分で作ったヨットに乗ってセレスティアに渡って行ったらしい。恐らく目的は、但馬と同じく世界樹の調査だったのだろうが……最初のうちはトリエル人も、小型の船で海峡を渡る彼のことを無謀なやつだと思っていたが、彼が頻繁に行き来しているのを見て考えが変わった。
何だか分からないが、とにかく勇者は海峡を自由に渡れるらしい。だったら彼にあっちの人たちの様子を見てきてくれるように頼むようになった。向こうに行くのが難しかったから、そのうち別々の国になってしまったが、元々セレスティアはトリエル領だったから、彼らがどうしてるかずっと気になっていたのだ。
そんなわけで交流の橋渡しを始めた勇者は、次第に船を大型化させ、ついにはトリエルとセレスティアの定期航路を就航させた。その彼が作った船の種類が、但馬が乗ってきたヴィクトリアと同じキャラック船だったわけである。
「多分、あの大きな帆に秘密があるんだろうが、俺たちは山の男だからよ、どうやってんだが分からねえが、ありがたく利用だけさせてもらって、あとは気にしなかったんだ。向こうの連中もそれなりに元気に暮らしてるって知って、俺達もホッとしたしよ。
定期船で交流を始めて暫くすると、勇者の野郎が向こうにテンサイとジャガイモを持って行った。あっちは春が短くて作物が中々育たなかったようだが、お陰で食糧事情も改善されて、感謝されたらしいな。そのテンサイで砂糖を作ってこっちと貿易を開始すると、段々とあっちに渡ろうとするのも出てきた。
特に、勇者が南の方から奴隷解放して連れ来た亜人達は、みんなセレスティアに渡って行った。そうして人口がどんどん増えていくと、やがてセレスティアは国のようになっていった」
それが勇者の作ったセレスティアと言う国の興りらしい。聞いていたのとは違い、亜人を引き連れた勇者が力を得るために、新天地に国を作ったというのではなく、どうやら自然と出来たものらしい。最初の『国民』は、元からセレスティアに居た、大昔のトリエルの開拓民の子孫で、そこにアスタクスから逃げてきた亜人が加わり、最後に勇者を慕う人たちが渡って行ったそうだ。
ところが、話はそれでめでたしめでたしとは終わらなかった。
「そんな経緯があって、セレスティアでは勇者がリーダーになって国を治め始めた。元はトリエル領だったが、今更そんなもの主張する気にもならなかったんで、砂糖の交易もあったから、まあ、俺達は仲良くやっていた。あっちでは面白いことをやってたらしくってよ、畑も順調に増えて、不思議な方法で家畜も育てて、暮らしぶりが良くなってくると、こっちには無い物に惹かれて結構な数の人が海を渡っていった。
それから結構な年月が流れて、セレスティアは勇者の国だってのがもう既成事実化してた頃だったかな。急に定期船が途絶えて、どうしたのかなと思ってたら、海の向こうから難民が次々やって来たのよ。セレスティアで戦争が始まったって。
そりゃあ一大事だから、俺達もただ指をくわえてるだけじゃなくって、船乗りたちにちょっと様子見てこいよって、無理を言って見てきてもらったのよ。そしたらまあ、本当にあっちではドンパチやっている。どうしてそんなことになっちまったんだか、流れてくる難民に理由を聞いたが、良く分からない。ただ、一つだけ分かったのは、セレスティアの奴らが人間と亜人とに別れて戦ってたみたいなんだな……
そうこうしていると、勇者が殺されただなんだって話が聞こえてきて、収集がつかなくなった。俺たちはどっちに味方するってわけにもいかないから、結局は難民を受け入れる他には何も出来なかった。
今から大体、十五年くらい前の話だ……あの頃は海の向こうからひっきりなしに難民が渡ってきたんだが、今はもう滅多なことでは誰も来なくなった。だから、セレスティアに行っても殆ど人間なんか残っちゃいないだろう」
モーゼルはここまでを一気に語り終えると、但馬のことをジロリと睨めつけるようにしながら言った。
「それでも行きたいのか?」
但馬が殆ど間髪入れずに、
「それでも行きたいです」
と言うと、彼は但馬を見つめたまま、暫くジッとして動かなかったが、やがて諦めたように溜息を吐くと、
「どうしてもと言うなら仕方ねえ。アルザスの手紙にも行かせてやれと書いてある、おめえさんの従者……そこのおねえちゃんは、勇者の娘さんなんだって?」
但馬の後ろで黙って立っているリーゼロッテを指差し、モーゼルがそう言うと、指を刺された当人がゆっくりと首肯した。
「娘がお父さんの故郷に行きたいってんなら、そんなの誰も止められやしねえよ。ただ……おめえさんよ。おめえさんを男と見込んで、一つだけ頼みがある。だから、約束してくれないか」
「……なんでしょうか?」
「おめえさんの乗ってきた船。あれは軍艦だろう? 見たことのない筒がずらっと並んでやがるが、あれがシルミウムの海賊どもをこてんぱんにやっつけた兵器なんだろう」
「ええ、まあ……」
「あんなもんで乗り付けて、セレスティアの連中を脅かしたり、あまつさえ危害を加えたりしないでやってくれねえか。出来れば別の船に乗り換えて欲しいくらいなんだが」
もちろん、危害を加えるつもりなんて無かったが……ヴィクトリアに乗ってきたのは、未知の海域を踏破する能力があるからだけではなく、行き先が内戦中の国であるからだった。上陸したら何が起こるか分からない。だから橋頭堡を確保するためにも、軍艦に乗ってきたわけだが……
相手の出方次第では確約は出来ないのであるが、どうしてモーゼルがそんなことを言い出すのだろうかと、但馬が返事を躊躇していると、
「ここまで来たら白状するが……セレスティアの内戦は、実はもうとっくに終わってるんだ」
「え!? そうなんですか?」
だったら尚更、どうしてそこまで行かせたく無さそうなのだろうか。
「それは、戦争の結果を中央の連中が知ると、きっと面倒くせえことになるから、黙っていたんだ。これだけ言ったら分からねえか……?」
なんだろうか? 但馬が困惑して首をひねっていると、
「勝ったのは亜人なんだよ」
モーゼルはそう言うと、しかめっ面をして腕を組んだ。