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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
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トリエル行

 アクロポリスを発って一週間が経過しようとしていた。


 但馬波瑠を乗せた帝国一番艦ヴィクトリアは、北エトルリア大陸北方の外洋上を東へ向けて進んでいた。


 トリエルへ向かう航路は、普通ならばアクロポリスの目の前に広がるエーゲ海を東に進み、ティレニア半島と北エトルリア大陸の間の海峡を通って、ティレニア海へ出るルートが一般的であった。内海を通った方が、波が穏やかだからだ。


 だが、この海峡は島嶼が多くて結構な海の難所でもあり、ヴィクトリアのような巨船は座礁を恐れて、結局外洋を進まざるを得なかった。


 ティレニア海に入ってしまえば穏やかな海なのだそうだが……どうしても遠回りしなくてはならない。思えば、リディアとティレニアは隣国なのに、ここまで縁がないとは、本当に近くて遠い国家である。


 しかし、そんな具合に仕方なく取った航路ではあったが、結局のところ、外洋を通るルートは理に適っていたかも知れない。


 北エトルリアの北の海は、海流が東から西に流れているのだが、代わりに偏西風が西から東に吹いてるので、風にさえ乗ってしまえば意外とスイスイ進むのである。そして、帰りは海流に乗ってしまえばいいので、シルミウムの北岸は外洋であるにも関わらず、かなりの数の漁船が操業していた。


 はっきりとした三角帆を持つ船こそ見当たらなかったが、それでもこれだけの数が居れば、知らず知らずのうちに揚力を利用してる船もあるだろうから、但馬が作らなかったとしても、放っておけばその内、この国から外洋船は誕生していたことだろう。


 商人と漁師の国というのは、どうやら伊達ではないらしい。


 シルミウム海峡を北へ抜け、岸から離れ外洋へ出て、偏西風に乗って沖合を航行すること4日。やがて前方に真っ白な山脈がそびえ立つ陸地が見えてきた。国中が鉱山であると言われるトリエルである。


 船員たちの陸地発見の声を聞いてから、但馬はゆっくりと船室を出て、甲板へと向かった。


 トリエルの山の急峻な斜面を見ていたら、まるでフラクタルの山々のように見えてきて、リディアに帰ってきたような錯覚を覚えた。しかし、吹き荒ぶ風が冷たいのと、その頂きが例外なく真っ白な冠雪に覆われているのを見れば、ここが極寒の北国であることを、嫌でも思い出させられた。


 船がかき分ける波しぶきが飛んで、耳が凍り付きそうな冷たい風が頬を掠めて行った。彼はファーの付いたフードを目深にかぶり、白い息を吐きながら船首の方へと歩いて行った。


 船首には先客が居た。長剣を杖のように突き立て、じっと前方を見据えながら、リーゼロッテがまるで船頭のようにトリエルの山々を見上げていた。揺れる船の上でもピンと背筋を伸ばして微動だにせぬ姿は思わず見惚れるほどであった。流石にいつものメイド姿では無かったが、厚手のコートの裾から覗くひらひらのスカートを見ると、どうやら下には着ているらしい。寒くないのかなと思いつつ、


「そんな格好じゃ、お腹冷えちゃうよ。ただでさえ、羊水腐ってるのに」

「羊水が腐るわけないじゃないですか、常識を知らない人ですね」


 倖田來未に言ってくれ……ぼやきながら横に並ぶ。


 但馬はセレスティアへ行くにあたって、同行者にリーゼロッテを連れてきた。エリックだけでも良かったのだが、トリエルの代表者であるVPと話した際に、彼がメディアの亜人達と会ったと言っていたので、なにかあったときのためにホワイトカンパニーの傭兵たちを数人連れてきたのだ。


 メディア戦争終結後、戦場を求めてセレスティアへと渡って行った今の彼らがどういう生活を送っているか分からない。セレスティアではまだ内戦の火種が燻っているとの噂もあり、もしも殺伐としたやり取りになったら事だから、かつての仲間である彼らに期待したわけである。戦闘になんかならず、楽しい再会になれば良いのだが……


 ところで、


「そう言えば、リーゼロッテさんの故郷ってセレスティアになるの? 確か勇者の作った国なんだよね……あれ? するってーと、こっちもリーゼロッテさんが相続する権利があるのかしら」

「……今更、私がメディアの女王だなんて考えてる人は誰もおりませんよ。セレスティアだってそうです。また国を押し付けられたらたまりませんので、その時は社長がなんとかしてくださいよ」

「まあ、いいけどね……」

「私の故郷はシルミウムです。セレスティアには渡ったこともございません」

「え? そうだったの??」


 リーゼロッテとも結構な付き合いになるが、過去のことは殆ど聞いたことが無かった。会社経営者としては大問題かも知れないが、どうほじくり返してみても悲惨な過去しか出てきそうにないので、あまり根掘り葉掘りと聞けなかったのだ。


 それにしても、勇者の娘なのだから、てっきり彼と行動していたものとばかり思っていたのだが……


「そう言えば、まだ話したことがございませんでしたね。私の母は、父に送られた刺客だったのですよ」


 すごい言葉が出てきて思わず咽てしまった。


 但馬がゲホゲホとやってると、彼女は苦笑交じりに背中をポンポンと叩いてきた。てっきり冗談かなと思ったが、その表情を見ていると、どうやら本当のことらしい。


「父はアスタクスの亜人奴隷解放のために、一時期シルミウムに身を寄せていました。その有力商家から、身の回りの世話をするようにと差し出されたのが母だったのです。母は貴族ではありませんでしたが、魔法の才能があり、商家が闇から手に入れた聖遺物を与えられ、父の護衛兼世話係として付き従っていました……ですが、その実態はいわゆる埋伏の毒、命令が下った時、いつでも父の寝首をかくことが出来るように、父の信頼を得るのが仕事だったのです。


 父にはヴィクトリアさんという恋人がおりましたが、大陸の水が合わなかったのか若くして逝去なされ、その後は独り身を貫いていたようです。母はそんな父の寂しさを突いて、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしながら、ついに寵愛を勝ち取りました。そんな時にシルミウムとの間にゴタゴタが起こったのでしょうね、母の主である商家から父の暗殺命令が下されたのです。


 しかし、あの父が遅れを取るわけがありません。母は呆気無く返り討ちにされたのですが……撃退された母はその時、私を身籠っていました。それで、命までは取られず放逐されたのですが、手加減されたと思った母は父を憎み、以来生涯を賭けて父を襲撃し続けていたようです」


 母親の執念は凄まじく、まだ幼かったリーゼロッテはシルミウム中を転々として暮らし、勇者が現れると人に預けられたそうだ。


「私は幼い頃、寝物語に母の父に対する憎悪を聞かされて育ちました。いつか父を討ち取ることを目標に、母から英才教育を受けて過ごしていたのです。だから、小さい頃の私は父を憎み、父のことを恐ろしい悪党だと思っていたのです……」


 それまで、難しい顔をしながら淡々と語っていたリーゼロッテは、ふっと柔らかく息を吐いた。どことなく穏やかな表情に見えた。


「ですが、そんな母も最後は父のことを庇って死んでしまったんですよ。父は敵の多い人でしたから、刺客は母だけではございませんでした。そんな襲撃者から、母は自分の身を呈して、父を助けてしまったんです。


 それを聞かされたとき、初めは私は何がなんだか分かりませんでした……ですが、すぐにその理由はわかりました。母が死んでから暫くして、私を引き取りに来た父に会った時、私は父を一目見るなり、分かってしまったのです。ああ、母は父のことが本当に好きだったのだなと……


 本当は、父とずっと一緒に居たかったのに。その生命を狙うことでしか、一緒にいることが出来なかったんですよ」


 薄々そうなんじゃないかと思っていたが、思ってた以上にヘヴィな話に、但馬はしんみりとしてしまった。なんとなく前々から感じてたリーゼロッテのファザコンじみた性格と、行き遅れてしまった理由がわかった気がした。普段はぐうたらなくせに、妙に世話好きなところは、きっと母親譲りだったのだろう。


 但馬は彼女の父親ではないが、それに近い存在として親近感を抱いていた。だから、彼女には幸せになって欲しいと思っていた。今日はその話を聞いて、その気持ちが強くなった気がした。


「ま……クロノアから逃げまわってるうちは駄目だろうけどな。いい年したオバサンだから恥ずかしいのはわかるけど、そんなんじゃ婚期を逃すぞ」

「誰がオバサンですか、ぶち殺しますよ……社長こそ、最近は妙に、アナスタシアのことを意識して避けていませんか」


 からかうつもりがカウンターを食らって、但馬はドキリと心臓が鳴った。顔には出ていないだろうが、背筋を冷たい汗が流れていく。やっぱり、避けてるように見えてしまうのか……リーゼロッテに気づかれていたとなると、多分、気づいてるのは彼女だけではないのだろう。


「もしかして、ブリジット陛下と、何かあったのですか? あの日、少々様子がおかしかったようですが……」


 しかし、その理由まではわかっていないようだ。代わりに彼女は別のことが気がかりのようだった。


「この間の世界樹での出来事か……あれは、俺も気になってんだけど」


 先日、ウルフの付き添いで世界樹へ行き、但馬が一人で帰った後、ちょっとした騒動があったらしい。ブリジットは但馬が帰った後も遺跡の中でグズグズしていたようだが、ウルフとリリィが外で談笑している時だった。


 遺跡の中から悲鳴が聞こえ、二人は大慌てでブリジットの下へと駆けつけた。


 すると彼女は遺跡の最奥の部屋の中で、頭から血を流して倒れており……すぐさまリリィがヒールをかけて事なきを得たが、もしもたまたま彼女が駆けつけることが出来なければ、危険な出血量だったらしい。


 何があったのか、やがて目を覚ましたブリジットに尋ねてみると、


「え? 私、倒れていたんですか?」


 彼女はまるで他人事のように目をパチクリさせてから、ポンと手を叩いて思い出したかのように生体ポッドを指さし……布がかぶせてあるから、何だろうと思って剥がしてみたら、中からリリィが出てきて仰天し、悲鳴を上げて駆け出したら、ガツンと壁に頭をぶつけて、気がついたらこうなっていたと言ったらしい。


 筋が通っているから本当のことだろうが……なんとなくしっくり来なかった。本当に、それくらいで彼女がそこまで取り乱すだろうか? いやまあ、結構抜けてるところがあるから、あり得るといえばあり得るのだが……


 なんにせよ、遺跡の奥で何か起きた時は、駆け付けられる人間が限られているのだから、あそこには一人で近づくことは禁止ということで話はまとまった。


 結局、その日は頭を打ったせいか一日中様子がおかしかったのだが、但馬が出発するまでには普段通りに戻っていたので、それほど気にしないでいるのであるが……先代の死因も考えると、本当なら一緒に居てあげたほうが良かったのかも知れない。


 そんなことを考えている内に、船は陸へと大分近づいていた。


 甲板からでも沿岸が一望できるくらいに陸が迫ってくると、海岸線からもこちらが見えたのであろう、漁港から船が漕ぎだしてきて、こちらを遠巻きにしながらグルグルと旋回し始めた。


*******************************


「へえ、おまえさんがた、リディアの人らかい。そりゃまた、えらい遠くから来たもんだなあ」


 錨を下ろし、船を沖に停泊させた但馬は、リーゼロッテとエリック、その他数人を連れて上陸用舟艇で陸へと上がった。


 トリエルの海岸線は狭く、少し内陸にいったらすぐに山になってしまう地形は、本当にリディアとそっくりだったが、一面の雪景色と数十メートルはありそうな巨大な杉の木を見ていると、今度は逆に別世界に来たような気分にさせられた。


 上陸した場所は小さな漁港で、但馬達が本来目指していたトリエルの首都ポルタの北10キロほどの位置にあるそうだった。どうやら若干、船が流されていたようである。


 そんな小さな漁港ではあったが、トリエル人達は外洋からやって来た巨大な船を見てもあまり驚かず、どことなく落ち着いても見えた。その理由を尋ねてみたら……


「いや、そりゃおめえ、似たようなもんを見たことがあるからだよ」


 寝耳に水である。どうやら漁師は最初、但馬達がセレスティアからやって来たのだと思っていたらしい。


「え!? それじゃ、セレスティアにも外洋を航行できる船があるんですか」


 勢い込んで訪ねてみるが、漁師は首をかしげながら、


「どうかなあ……最後に見かけたのは、なんせ十年以上も前とくらあ。もう無いんじゃねえかな」


 話を聞いてみると、どうやらその船は数十年前、勇者がセレスティアに国を作ろうとしていた時期に目撃されたらしい。なんてことはない。勇者も但馬と同じように、外洋を航海出来る帆船を作っていたのだろう。


 興奮して、他にも何か変なものは見なかったと訪ねてみたが、漁師はそれ以上は特に何も知らないと言った。それよりも、但馬達が何者かということの方が気になっているようだった。


「こりゃ失礼しました。俺たちはリディアから来た……親善大使みたいなもんです。実は今回、この船でセレスティアまで行こうと思ってまして、物資の補給のために、ポルタの港に寄港させてもらいたかったんですが……少し行き過ぎちゃったみたいで」

「ははーん。そいつぁ災難だったな。けど、おめえさんら、いきなり押しかけてっても追い返されるだけだぜ? 紹介状は持ってんのかい」

「それなら大丈夫です。VPさんに書いてもらって来たんで」

「VP……? 誰だい、そいつぁ」


 と言われてもVPはVPでしかない。トリエルの代表団だと言っていたが、国ではそんなに有名じゃないのだろうか……? 考えてもみれば、但馬も日本の国連大使とか、名前すら知らなかったような気がする。ところが、


「代表団だったらアルザス様が率いていったけどよ、VPなんて名前は知らねえぜ」

「え……? アルザス?」


 今度は逆に、但馬の方がそんな名前に心当たりが無かった。どういうことだろうか? トリエルの代表団を騙って偽物が跋扈してるというのだろうか……いや、流石にそんなことは無いだろうし……


 そうして但馬と漁師が顔を見合わせながら戸惑っている時だった。


「ヴァイス・プレジデント」


 漁村の方から白髪の男性が、杖をコツコツと突きながらやって来た。


 長袖から覗くむき出しの手の甲も、首全体を覆ったひげ面にも、深い年輪が刻まれてしわくちゃだったが、山の男らしいガッシリとした体格は、まだ40代と言っても通用しそうなくらい壮健だった。年をとってるんだか若いんだか、よく分からない印象を醸しだしたその男が近寄ってくると、漁師は驚いて道を空けてペコペコと頭を下げた。


「VPってなあヴァイス・プレジデントの略語だよ。あの野郎、先方に粗相がないようにと思って、立派な肩書くれてやったのに、きっと肩書と名前ととっちらかって、面倒くせえからVPとだけ言ってやがんだなあ。ガキの頃から要領は良いんだが、どっか抜けてやがんだよ」


 男はそう言って溜息を吐くと、腰をかがめ、ぐいっと手のひらを差し出し、


「手前は、エトルリア皇国は極北トリエルの地を先代、先々代、先祖代々お預かりしております、名はモーゼル、辺境伯を名乗らせて頂いております。今朝方、沖合にて貴国の船舶を発見し、その重武装を我が国に向けるのであれば一大事とばかりに、失礼ながら行き先をずっと追いかけさせて頂きました。本来ならば国交の無い貴殿を上陸させるわけにはいかないのでありますが、我が友アルザスの名が出てくるところ、どうも喫緊のご様子。つきましては今回のご訪問の件、詳しくお聞かせ願えませんか」


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