どうやら、そういうものらしい
講和会議の準備で忙殺される中、勇者病の調査は遅々として進まなかった。アクロポリスに居て、人を使って調べてる限りでは、これが限界なのだろう。リディアに帰ってしまったら、もっと解決は遠ざかってしまうはずだ。何しろ、但馬はリディアに居た時、勇者病なんて言葉は思い出しもしなかったくらいなのだから。
ここまで来たら、いっそセレスティアまで行って自分の手で調べたいと思ってはいるのだが……リディアを出てそろそろ半年、いい加減に国を空けているのも限界だった。今は戦後処理があるから、この場に留まっているが、但馬の仕事自体はリディアで積み重なっており、大臣たちで処理しきれないものは随時送られてくる。
従って、国外に居るというのに国の仕事に忙殺されて、殆ど余裕が無かった。色々と調べたいのは山々なのだが、せいぜいがシロッコを使って人づてに調べるのが関の山で、それを歯がゆく思いつつも、仕方ないことと半ば諦めつつあった。
しかしこの時、焦っていたのは但馬だけではない。実はウルフもそうだったらしい。
多分、罪人であるネイサンの面通しをしにいった時からずっと心に秘めていたのだろう。ある日、講和会議の資料を作りつつ、ブリジットの仕事を補佐していたら、彼女がふと思い出したかのようにこう言った。
「そう言えば聞きましたか? 兄さんが世界樹に入りたいって、シリル殿下に正式に申し込んだようですよ」
「……世界樹に? なんでまた」
初耳であった。世界樹は但馬自身も、アクロポリスに入った時から真っ先に行きたいと思った場所だった。あそこに行けば、メディアの世界樹で分からなかったことが、新たに判明するかも知れないと思ったからだ。幸い、その機会を伺っていたら、皇王の方から入って来いと許可が出て、更に勇者の残した伝言を知ることが出来たわけだが……
ウルフは世界の秘密を解き明かすとか、そういった理由はないはずである。かと言って、物見遊山に遺跡を見学したいなどと言い出す奴でも無かったし、一体どうしたことだろうと首をひねっていたら、
「試したいんだそうですよ。兄さんはクラウソラスには選ばれませんでしたが、もしかしたら、世界樹に別の聖遺物を与えられるかも知れないんじゃないかって」
「聖遺物……ああ! そういう事か」
アクロポリスの世界樹はメディアの物とは違って、聖遺物の製造装置と言う側面もあった。皇国は、この世界樹から聖遺物を与えられた人物を、貴族として各地に封土していったのが始まりである。
長い歴史の中でそれを乱発しすぎたために、一時的に封印されていたが、今でも皇国内で目立った功績を上げたものを表彰して、世界樹に入る権利を与えることはあり、近年に貴族化した者も居ることは居るそうだ。
ただ、これはあくまで皇国内の表彰に限ってのことであり……アスタクスやシルミウムのような地方領での賞罰や、他国と認定されたアナトリア帝国は、そもそも世界樹の中に入る権利はないはずだった。
「それを無理を言って入らせてくれって、何を考えてるんでしょうね、兄さんは。どうせ何も得られるわけないのに」
「おまえって兄貴には辛辣だよね……まあ、ダメ元で試してみたいだけだろう。成功したら儲けモンだし。それで、殿下はなんて言ってるの?」
「……公にすると問題になるでしょうから、内密にすることを条件にOKしてくれたみたいです。一部有力議員の方は、寧ろ積極的に賛同してくれたそうですよ」
多分、もしも本当にウルフが聖遺物を得られたら、それを理由に皇国の優位を説けるだろうし、恩にも着せられるからだろう。
「本当にダメだった時、傷つくのは兄さんなのに……」
ブリジットがぼそっと呟いた。なんやかんやいって、ウルフのことを心配しているようである。
実際のところ、彼が聖遺物を得られるかどうかと言えば……但馬の見立てでは、恐らく無理だろうと思っていた。
というのも、彼の鑑定魔法に依ると、
『Wolf_Gaelic.Male.Human, 179, 75, Age.28, ,,, Alv.17, HP.137, MP.0, None.Status_Normal,,,,, Class.Duke_of_Anatolia, Lydian,,,,, Sword.lv3, Command.lv9,,,,,,』
大体こんな感じで、見ての通りウルフはMPを持っていないからだ。
少なくとも但馬が今までに出会った魔法使いは、例外なくこのMPが1以上あった。因みにこの値は、但馬の物と比べて、いくら魔法を使ったところで上下しない。それは多分これが最大MPを表記しているからであり、つまり0と言うのは、魔法の素質が無いことを意味していると考えられた。
だから無駄なことは止めろと言ってやることは簡単なのだが……彼の気持ちを察すると言えるわけもなく、もしかしたら例外的に反応するかも知れないと思って、但馬は黙っていた。
ブリジットはそんな但馬の心の中など知る由もなく、
「リリィ様も立ち会うそうですし、どうせだから私も見に行こうと思ってるんですけど……先生もご一緒しませんか?」
「そうだなあ……実は、もう一度内部を詳しく調べたいと思ってたんだ。前回は調べ尽くす前に、皇王様が来て勇者の話になっちまったんで」
「でしたら、改めて内部を調査させて欲しいと、私の方からお願いしておきますよ。後で皇王様のところへ伺いますから」
「そう? 悪いね」
「いいですよ。師匠も居るんで、楽しいですよ」
相変わらずクロノアから逃げまわってるリーゼロッテが、最近では皇王の私室に入り浸っているらしい。そっちの方も気になったが、まずは前回調べられなかった、世界樹の端末でもいじってみようかと思い、但馬はブリジットに話を通してくれるように頼んだ。
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翌朝、許可が下りたウルフは世界樹へとやってきた。但馬が内部を調べた時同様、非公式であるから周囲にも聖堂にも殆ど人が居なかった。彼らはそんな中を信者のフードを目深に被って世界樹の根本までやって来た。
立会人はリリィ、ブリジット、但馬の三人だけであり、本当に散歩がてらちょっと覗きに来たといった塩梅である。
前回はガルバ伯爵によって世界樹に入る際の注意点などを厭味ったらしく講釈されたわけだが、今回は特にそう言ったイベントもなく、リリィがウルフの手を引っ張って入り口まで連れて行ったら、内部ですることを軽く説明し、後は彼に任せた。
中ですることと言っても、要するに中央にある台座に手を触れるくらいのことで、後は世界樹が勝手にやってくれるから何も難しいことはない。恐らく、魔法の素質があるものが触れれば、例外なく何かの聖遺物を創りだすだろうから、結果はすぐに分かるはずなのだが……
ウルフが世界樹に入っていってから、十分経っても、二十分経っても、彼は外に出てくることが無かった。
「どうかしたのかのう……?」
とリリィがそわそわしていたが、但馬もブリジットも、何かアクシデントがあったとは考えなかった。
大方の予想通り、世界樹は彼に応えてくれなかったのだろう。恐らく、彼はそれに納得が行かずに、何度も何度も、言われたとおりに中央の台座に手を置いているのだろう。
その儀式を邪魔してやるのは、こちらとしても忍びないからと、三人は黙って世界樹の外で立ち尽くしていた。だが、流石に小一時間ともなると不安にもなってくる。
それで結局、こわごわと中を覗いてみたのであるが……案の定と言うか何というか、内部ではトラブルも何もなく、ただウルフが台座の前でぼんやりと立ち尽くしているだけだった。
但馬とブリジットは目配せし合い、二人で頷いてから彼の背後まで歩み寄っていった。
わざと足音を立てていたし、彼の髪の毛が風に揺れたから、気づいてないとは思えない。放心しているのか、それともこちらを振り返るのが嫌なのか、分からないが、いつまでもそうしては居られないので、但馬が代表して彼の前へと回りこんだら……
「……お前、泣いているのか?」
立ち尽くす彼は涙を流し、焦点の合わぬ目で、ただ呆然と宙を見つめていた。
「才能に恵まれたお前達には到底わかるまい。この無念、この悔しさ……ただ、魔法が使えないからと、親には見捨てられ、世間に馬鹿にされ、妹に負けて相続権を無くし、それでも頑張ってきたのだ……何も、お前みたいな大魔法が使いたいわけじゃない。少しくらい、応えてくれたっていいじゃないか」
そんな彼の独白と震える肩を見て、ブリジットは事情を察し、その場を但馬に任せて外に出て行った。しかし、任されても但馬にも何も出来ることは無く、ただじっと黙って彼の気が済むまで待つより無かった。
やがて、彼が落ち着きを取り戻し、室内がしんと静まり返ると、深い深い溜息の後に彼は言った。
「すまない。つまらないことに付きあわせたな」
「別に……俺もここに用事があったんだ。そのついでさ」
「用事か……そう言えば、おまえは何かを調べているようだな、殿下に聞いたが」
「あの人、案外口軽いね」
まあ、口外無用とは言っていないので構わないが……ウルフは眉を顰めながら、
「勇者病……だったか? 確か、一時期リディアでも見かけた、おかしな集団のことだったな……そんなもの、この中を調べて何がわかるというのだ? まるで関係が無さそうだが」
「もしかしたら、関係あるかも知れないと思ってだ。それこそ、調べてみないと分からねえ」
「ふーん。そうか……しかし、見たところ、ここは行き止まりだぞ?」
「カモフラージュされて見えないだけで、まだ奥があるんだよ。ここの入り口もそうだったろう?」
ウルフは部屋の奥の方を目を細めながら覗き込んだ。彼の目には、つなぎ目一つ見当たらない、ツルツルの壁にしか見えないのだろう。
「はあ……世界樹という遺跡は、本当に奇妙な場所だな。何をそんなに隠したがっているのだろうか」
何をと言えば、リリィのクローンであるが……そう言えば、それを知っているのは、但馬とリーゼロッテとアナスタシアだけであった。ペラペラと誰かに喋るような類のものではないし、ブリジットにもまだ言っていない。まあ、この後、恐らく奥に一緒に付いてきたがるだろうから、言わないわけにはいかないのだろうが……
と、考えた時に、但馬はふと思いついた。
「そういやあちょっと試したいことがあるんだけど、おまえ、ちょっとこっち来てくれる?」
「おまえとはなんだおまえとは……」
但馬が部屋の左奥までやって来て手招きすると、ウルフは胡散臭そうな目つきでぶつくさ言いながらやってきた。試してみたいことというのは、要するにウルフがこの先に行けるかどうかだ。普通に考えたら、魔法の素養がない彼には資格が無さそうであるが……
「ちょっと、ここに手をついてみてくれる?」
但馬に促されて彼が壁に手をやると、
「う、うおっ!? な、なんだこれは! なにがどうしてこうなった!?」
ウルフはあっさりとカモフラージュされた壁の向こう側へと行ってしまった。
もしかしたらと思ったが……世界樹の遺跡のセキュリティを、魔法を使えないウルフは突破した。
魔法を使えるはずのガルバ伯爵やクロノアは通れないのに、何故、ウルフが通れたのだろうか。
それは彼のALVが高いからだ。
ALV……今となってはアクセスレベルの略であることが判明しているが、これは世界樹の機能を利用するための権限の強さを表しているらしい。但馬は最初、リリィが居なければメディアの世界樹の端末を動かす事が出来なかったが、その後レベルが上昇したお陰で一人でも動かせるようになった。
メディアの世界樹がALVをチェックしてるなら、アクロポリスの世界樹も同じように奥へ続くゲートのセキュリティをチェックしてるんじゃないか……但馬はそう思い、ウルフに試させたのだが、どうやら彼の仮説は正しかったようである。
以前、リーゼロッテがここを通れるのでは? と考えた根拠も、実はALVの高さだったのだが……ともかく、これで世界樹の利用は魔法の素養のあるなしとは関係ないことが分かった。
「先生、どうかなさたんですか? あれ? 兄さんは……?」
何の心の準備もせずに壁抜けをさせられたウルフが遺跡の奥で大騒ぎしていると、その声を聞きつけたブリジットとリリィが中に入ってきた。但馬が奥を指差すと、ブリジットは目を丸くしながら、
「先生がおっしゃってた、遺跡の奥ですか? ……もしかして、先生さえ居れば、誰でも入れるんじゃないでしょうか」
「それはない。クロノアとエリックは入れなかったから」
但馬がALVのことを説明すると、彼女は分かったんだか分からないんだか微妙な表情を浮かべながら、
「取り敢えず、兄さんがうるさいから、黙らせませんか?」
と、いらいらした感じで言った。仲がいいのか悪いのか、良く分からない兄妹である。
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但馬達が遺跡の奥へやってくると、時間が経って少しは落ち着いていたウルフが、それでも冷や汗を垂らしながら出迎えてくれた。取り繕ってはいたが、外に声が漏れていたから、彼が取り乱していたことは知ってる。しかし但馬は黙ってやることにした。武士の情けである。
因みにリリィは奥へ行くと気分が悪くなるからと言って、一人外で待ってるらしい。恐らく、自分のクローンがプカプカと浮いてるような場所には、目が見えないからと言って、あまり近づきたくないのだろう。
まだ興奮冷めやらぬゲーリック兄妹を引き連れ最奥の部屋へとやって来たら、そのリリィのクローンが入ってるはずのカプセルが、何やらシーツみたいなもので覆い隠されていた。
以前来た時にはそんなものは無かったから、恐らくリーゼロッテがあの後こっそりやって来て隠したのだろう。何というか、カプセルの中のリリィは出会った頃と同じ外見をしていて、幼くて、Aカップで、ついでに全裸だったのだ……
ともあれ、太古の昔とは言え、彼らにとっては遥か未来のテクノロジーとしか思えない部屋に入ったウルフ達は、感嘆の息を漏らし、施設の機械を遠巻きに眺めながら、部屋の中央に二人寄り添うようにして固まっていた。多分、近寄ったら壊れてしまうような気がするのだろう。なんとなくその気持ちは分かる。
そんな中、但馬がつかつかと最奥にあるモニターの前まで進み、手近の端末に手を翳すと……
「う、う、うおっ……!? ななな、なんだそれは??」
モニターに画面が表示されると同時に、ウルフが緊迫した声を上げた。
「古代の機械を動かしただけだよ……これくらいで驚いてたら身がもたないぞ」
「そ、そうか……凄いな。ところで、俺は場違いではないのか? 何をやってるのかさっぱり分からんし、外で待っていた方が良かったのではないか」
「萎縮するのもいいけどよ、そもそも資格がなければこの中は入れないんだから、堂々と構えてろよ」
「そ、そうか」
「それに多分、この端末も動かすだけなら、おまえにだって出来るはずだぞ。もしもの時のために覚えておけよ」
但馬がそう言うとウルフは目を丸くし、
「なにィ? いや、しかし、俺はついさっき、他ならぬこの世界樹に、魔法は使えないと言う烙印を押されたばかりじゃないか。それなのに動かせるものか」
「これは魔法じゃないからな。いや、魔法だって正確には魔法じゃあないんだけど……って、あー、もう面倒くさいな。とにかく、おまえはおまえが思ってるほど駄目な人間じゃないんだから、そんなに卑屈になるんじゃないよ」
但馬が呆れるようにそう言うと、ウルフはフンッとそっぽを向いて難しそうな顔をしていた。魔法が使えないというのが、彼にはどうしようもないほどコンプレックスなのだろう。その気持ちは、正直但馬にはわからなかったが、少しでも気楽になれるならと思って彼は続けて言った。
「世界樹を管理する資格ってのは、魔法の素質とは関係がないんだよ。世界樹はマナを司っているんだが、そのマナを生み出すためのエネルギーに、魔法を使っていたら本末転倒だから、考えてもみれば、世界樹を管理するのに魔法の素質は必要なかったんだ。
ただ、世界樹ってのは、古代文明の叡智の結晶だから、それを一つ手に入れただけでも絶大な力になりうる。だからこれを利用できる人間は、もっと別の資質が必要ってわけだ。俺はそれをアクセスレベルって呼んでるんだけど……おまえはその値が高い」
「……なんで、おまえにそんなことが分かるんだ」
「俺にもよくわからないけどね。なんでか知らんが分かるんだよ……この世界のずっと高いところ。雲よりももっともっと上空に、世界樹を束ねる施設が浮かんでるんだ。それは目には見えない電気とマナの力を利用して、この世の全ての人間を監視している。そして人間一人一人のデータを収集してるようなんだが……俺には……俺とリリィ様は、そこに蓄積された情報を得ることが出来るんだ。因みに、そのデータ自体は、この端末からも見れるんだけど」
但馬がモニターの前の端末を操作すると、画面上に新しいウインドウが開いて、素っ気ない文字列がずらずらとスクロールしていった。ここまでは以前、メディアの世界樹でも発見していたのだが……
「こんな具合に……クエリーがわからないから、一覧しか表示できないんだが、多分、大昔の人はこうして人類を監督していたんだろう。世界樹では他にも、マナや亜人の製造装置だったり様々なサービスが受けられる。
でも、こう言う施設を誰でも利用できちゃったら困るだろう? 例えば、野盗や奴隷商人やらに……実際には、勇者がドジって利用されちゃってたんだが……そういうのに悪用されないように、アクセスレベルってのが必要なわけだ。
でまあ、そう考えると、この値が高い人の傾向ってのが分かる。要するに、知名度や影響力、人類に対する貢献度の高さが数値化されたものなんだろう。みんなにリーダーだって認められてる人が動かせるわけさ。
だから思い返せば、実は今までに知り合った王族はALVが軒並み高かったんだ。先代も10を越えていたし、ブリジットは今や皇王様を越えて世界のトップに立っている……俺とリリィ様を除いてだけどな」
「……おまえとリリィ様は一体、なんなんだ? どうしてそんな途方も無い資格を持っているんだ。この世界を統べる、神か何かなんだろうか」
「まあ、それは無いと思うけど……一応、先代にも話をしていたし、ブリジットも知ってることだから、おまえにも話しておこう。俺はエトルリア皇国が成立するよりも遥か以前……数千年前、いや、もしかしたら何万年も大昔に存在したはずの、超古代文明の生き残りなんだよ。どうやら、そういうものらしい」