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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第八章
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他人の恋路

 他人の恋路と言うものくらい、どうでもよくって、そのくせ歓心を惹くものもない。


 古今東西、英雄は色を好んだものだし、神話の世界もグチョングチョンのすったもんだが殆どだ。くっだらない芸能人の惚れた腫れたですらニュースになるのに、それが友人知人レベルにまで降りてきたら、これほど面白いものもないだろう。特に女性はこういう話が大好きである。


 その日、ブリジットとリリィとの晩餐は、リーゼロッテの話で持ちきりだった。


 昼間クロノアに告られた彼女は、その場を逃げ出した後、なんだかよく分からないパワーに突き動かされて、街中を駆けずりまわった挙句に、その勢いで宮殿でお茶をしばいてたブリジット達のところへ転がり込んで来たらしい。


 世界最高と呼ばれるサンタ・マリア宮殿のセキュリティを掻い潜り、突然飛び込んできた彼女にビビりつつ話を聞いてみれば、はじめはお一人様がどうだとか婚期がああだとか、要領を得ない片言の単語を口走って分けがわからなかったそうであるが、取り敢えず茶でも飲んでよと、落ち着かせてから更に詳しく尋ねてみれば、男性に愛を告白されたんだけどどうしたら良いだろうかと相談してきたものだから、二人は15時のワイドショーを見ながら駄弁るママ友みたいにキャアとなった。


 彼女らに言わせれば、いいオバ……もとい、年上の女性が顔を赤らめモジモジしながら、恋愛相談をする様は大層可愛らしかったらしく、普段世話になってることもあったから、二人は興奮しながらもなんとか力になってあげようと耳をそばだてた。


 リーゼロッテは、どうやら脈があったらしい。


 ただこういうのには慣れてないから恥ずかしいのと、自分の方が年上過ぎるのが相手にとって重荷にならないかと、そんなことを気にしていたそうで、相手が告白してきたんだから、そんなことは重々承知の上でのことだろうと慰めつつ、受け入れるならどういう段取りになってるのかと尋ねたところで、彼女が返事もせずに逃げ出してきたことが発覚し、何やってんだこのお馬鹿と、取り敢えずクロノアに謝りに行けという話になった。


 それで愚図るリーゼロッテを引っ張って、ブリジットがクロノアのいそうな迎賓館までやってきたところ……玄関から入ってすぐのロビーで彼にしなだれかかりながら、ミツバチのダンスみたいにケツをぶるんぶるんしていたマルグリット・ヒュライアを発見し、後は但馬も見ての通りだったそうである。


 因みにあの後、駈け出して行ったリーゼロッテをクロノアが追いかけていったのであるが、本気になった彼女を捕まえられる人類など存在するわけがなく、徒労に終わったクロノアは顔を真っ青にして、現在、実家で寝込んでいるらしい。


「どうしてそこで全力を尽くすんだ。あのメイドは……」

「まったくですね。師匠は恋の駆け引きってものを分かってません。私だったら、ほんのちょっぴり手を抜いて、好きな人に捕まえて貰いたいです」


 ……本当か? 敢えて突っ込まないが、こんな風にブリジットにまで呆れられるリーゼロッテが、ちょっと気の毒に思えてきた。


 思い返せばねずみ講の時、エリック達が但馬の適当にでっち上げた大嘘を信じちゃったくらい、この世界は自由恋愛という概念が希薄なのだ。ピュアなのだ。要するに、普通なら書物なりテレビなりで得られる知識すらないわけで、長いこと三十路をこじらせたリーゼロッテが、いきなり求愛されたら多少のぼせ上がってしまっても仕方ないのかも知れない。


 しかし、彼女だって10代20代の頃があったのだから、それなりに甘酸っぱい経験の一つや二つ無かったのだろうか。


「そうじゃのう……そう言う話は全く聞かなかったのう……」

「そうなんですか? 師匠は女の私から見ても魅力的な女性だと思いますけど、アクロポリスの男性は何をしてたんでしょうかね」

「ふむ。もしや、余のせいかも知れぬの」


 ブリジットが非難がましくアクロポリスの男たちを糾弾すると、リリィがちょっと難しい顔をしながら言った。


「リズはここにおった時は余の忠実な従者で、職業意識が強かったせいか、余に近づこうとする男が現れると、極端なくらいに威嚇して追い払っておったのでな、みなに怖い印象を持たれてしまったのかも知れぬ……宮殿内でも、近衛の兵隊どもには恐れられておった」

「職業意識ってのはそんなこと無いだろうと思うけど……まあ、ビビられてたのはあるかもね。あれ? でもクロノアってその頃から好きだったんだろ。どんだけマゾっ気が強かったんだ、あいつ」

「そうじゃのう……クロノアは良く理由をつけては剣の勝負を挑んでおった。当時はなんとも思わなんだが、あれがリズの気を惹きたくてやっていたのであれば……こてんぱんに伸してしまったリズもあれじゃが、クロノアも相当なものじゃな。しかしそう考えると、実は余に近づいてくると勘違いして、自分の縁と気付かずに追い払っておったのもあるやも知れぬ。どちらにせよ、余のせいであるな。目が見えて居れば、相手の様子に気づいてやれたかも知れぬが……可哀想なことをした」


 確かにそれは大いに有り得るだろうが、シュンとしているリリィを見てると居た堪れなくなったのだろうか、ブリジットが慌てて付け加えるように言った。


「リリィ様が気にすることじゃありませんよ。それよりも、今回はもうハッキリしてるのですから、私達で応援してあげましょうよ。あの師匠が、最初に頼ってきてくれたんです。なんとかして上げなきゃ」

「そうじゃの……勇者よ。お主もそれで良いじゃろうか?」


 なんで自分に聞くのだろうか……別にそんなつもりはさらさら無いのであるが、世間一般的には、やっぱりあれの主人と見做されているのであろうか……まあ、実際、寄生されてるのだけれども。


 但馬は肩をすくめつつ、


「良いも悪いもないよ。このままじゃパラサイトシングル一直線なんだから、寧ろクロノアにはなんとしてもあれを貰ってもらわねば」


 ボヤくように呟くと、ブリジットとリリィはきゃあきゃあと喜んで、明日からの作戦を小学生女子みたいにあれこれ提案し始めた。但馬は二人のそんな楽しげな光景をぼんやりと眺めつつ、昼間のレベッカの言葉を思い出していた……


 もし、あの時、アナスタシアが待ち合わせ場所に来ていたら……今、この場に自分は居たのだろうか。


 ブリジットと恋仲になり、領地を拡大し、帝国の宰相にまで上り詰め……戦争に駆り出され、世界各地を走り回り、大勢の人を殺した。


 リーゼロッテとの縁はあるが、クロノアはきっと自分の部下じゃなかったろう。すると果たして、今日みたいにクロノアは彼女に告白するような機会があったのだろうか……帝国とアスタクスの戦争は、どういう結末を迎えていたのだろうか……


 自分は、アナスタシアと、今頃何をしてたんだろうか……


「……先生?」


 ブリジットの声にハッと我に返る。


「先生? どうかされたんですか? さっきから呼んでるのに……」


 走っても居ないのに、何故か心臓がバクバクいっていた。但馬は努めて冷静に、


「いや……ちょっと疲れてるのかな。ぼーっとしてただけさ」

「ならいいですけど。先生はお忙しい方ですから、ご自愛下さいね」

「ありがと……で、なに?」

「はい?」

「いや、何か話しかけてたみたいだけど」


 すると彼女はポンと手のひらを叩いて、


「そうでした。実は夕食前、シリル殿下から先生に言伝を預かっていたんですよ。いつでも良いから宮殿の私室まで来るようにと」

「ああ、そうか。わかった」

「会議の打合せかなにかですか?」

「まあ、そんなとこかな」

「そうですか。それで、私達もご飯を食べたら、皇王様のお部屋まで遊びに行くつもりだったんですけど、殿下との用事が済んだらご一緒しませんか? 実は、師匠が逃げ込んできてて、アナスタシアさんもいらっしゃいますよ」


 遊びの提案をするブリジットはとてもイキイキしていた。しかし、但馬は口だけで薄っすらと笑いながら、


「……楽しそうで何よりだ、ブリジット。ところで、他人の恋路に首を突っ込むのもいいけども、仕事の方もちゃんとやってんだろうね」

「うぐっ……えーっと、それはその」


 ブリジットの大きな黒目が、あっちこっちに飛び回っていた。


 但馬達が国を空けてから、そろそろ半年に近づこうとしていた。その間、国の政治の方は、残った大臣と議会が執り行っている。


 帝国議会は初めこそ慣れない議員たちがギクシャクしていたが、一度軌道に乗れば合議制が上手く機能して、但馬が居なくても政務は滞り無く行われているようだった。閣僚が政策に沿った新法案を提出し、議会で議論し、成立したら即施行される。


 ただ、帝国は絶対君主制であるから議会の決定はあくまで形式にすぎず、法律を公布するのは皇帝の役目だった。


 そのため、法案は成立するたびに条文化されてブリジットの元に届けられ、そこで彼女が追認するか、遡及的に無効にするかが決定すると言う仕組みになっていた。もし、彼女が法案を否決した場合は、仮発行された法律で行われたものが無効になってしまうから、可及的速やかに決定をくださねばならない。


 但馬が見る限り今のところ問題は起こっていないが、しかし彼女はこの作業に苦手意識を持っており、後回しにする傾向が強かった。どこの世界でも法律というものは変わらないのか、言い回しが変な方向に難しくて、読んでいるうちに脳みそが痒くなってくるそうだ。


 それでも、ビテュニアまではウルフがブリジットの尻を叩いていたから困ることはなかったのだが、アクロポリスに入ってからは、但馬が甘いせいか作業が徐々に滞りがちになっていた。


 多分、言わなければ、この後も遊び呆けてやらないつもりだったのだろう。


「仕方ないなあ……」


 但馬は溜息を吐くと、首をすくめてシュンとしているブリジットに言った。


「殿下との用事が終わったら見てあげるから、俺の部屋に持ってきな」

「え? よろしいんですか? 先生は朝からずっと働きっぱなしなのに」

「そう思うなら、ちゃんと態度で示してくれよ。今日は朝まで寝かせないぞ」

「うっ……大胆なことを言われてるような気がするのに、ちっとも嬉しくないのは何故でしょうか」

「ブリジットよ、諦めよ。仕事人間を好きになってしまったお主の負けじゃ」


 別に仕事人間と言うつもりはないのだが……但馬は、またキャイキャイと楽しげに語らう二人を眺めながら、食後のワインを傾けた。


 女皇の部屋へ遊びに行こうと言う話題はもう出てこなかった。


 今、アナスタシアと会ったら、どんな顔をしていいのか、分からなかった。


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