お嬢様は、淫売ですよ!?
てっきりティレニアの観戦武官がやって来るのだと思ったら、やって来たのはマルグリット・ヒュライアだった。もちろん、こんなやつを呼んだ覚えはない。それにしてもファンデルワールス力程度のつながりさえあれば、どこにでも擦り寄ってきやがる。ヤモリみたいなやつである。
確か、初めて出会った時は、カンディアで南部諸侯のご婦人方のまとめ役みたいな役回りだった。あの時はよほどの有力者なのだろうと思っていたが、あれもこうして人脈を得るためにストーキングを続けた賜物だったのだろう。実際、あの後は南部諸侯に参加してなかったようだし。
そんなコバンザメみたいな女であったから、大方ここへやって来た理由もくだらないものだろう。そのバイタリティは賞賛に値するかも知れないが、疲れるので但馬はさっさと追い返そうとカバンから塩を取り出していたら、
「おや、あなたはいつぞやの……確か閣下のお知り合いの方でしたか」
「あら、たった一度しかお会いしておりませんのに、私ごときを覚えておいで下さいますとは光栄ですわ、クロノア様」
「え? 自己紹介しましたっけ……申し訳ない、私はあなたの名前を思い出せません。無礼をお許し下さい」
「いいえ、クロノア様。私が一方的に貴方のことを存じ上げているだけですわ」
「それはまた、何故」
「まあ、クロノア様。噂通り慎み深いお方ですこと。あなた自身はお気づきになっておられないのかも知れませんが、アクロポリスにお生まれになった貴公子が、アナトリア帝国へ渡って稀代の英雄として凱旋したと、このところ、アクロポリスの社交界で貴方様を知らぬご婦人方はおりませんわよ」
「え? そ、そうなのですか? いやあ、そんな大したものでは無いのですが……なんだか恥ずかしいですね」
「恥ずかしがることなんてございませんことよ。自信をお持ちになって」
但馬が手間取っているとなんだか和やかに会話が続いていた。それにしてもカメレオンみたいに、相手次第でコロコロ態度が変わる女である。実際、前世は爬虫類が食虫植物みたいな女だから、このまま放っておいたらクロノアがパックンチョと食べられてしまうかも知れない。
「おいこら、ヒュライア。男漁りならよそ行けよそに。俺の部下に色目使ってるんじゃねえよ」
「あら、酷いわ、但馬様。私達がいくら気の置けない仲とは言っても、それは言いすぎじゃありませんこと?」
「誰と誰が仲良しだって? 図々しいにも程がある」
一瞬でも隙を見せるとあり得ないくらいに距離を詰めてくる女である。達人か。
「閣下、恐れながら……女性に対して、少々乱暴が過ぎるのではないでしょうか」
但馬達が不穏なやり取りをしていると、それを見ていたクロノアが、早速情にほだされてしまったのか、そんな但馬を窘めてきた。彼は基本的に但馬に意見するようなキャラではないのだが……メグは見た目だけなら貞淑そうな貴婦人だから、簡単に騙されてしまうのであろう。
但馬は呆れながら言い返した。
「思い出せ、クロノア。そいつはアウルムと一緒に居た女だぞ。おまえが思ってるような女じゃねえ、見た目に騙されるんじゃあねえよ」
「……そう言えばそうでしたね。ですが、仮にそうだとしても、女性に対してはもう少し紳士であるべきかと」
「だからそんなんじゃねえっつのに。ああ、もう、面倒くせえな。分かった分かった。分かったからよ、おまえはちょっとロビーにでも行ってろ、すぐに追い返すからよ」
「はあ……閣下にも苦手な方がいらっしゃるのですね」
但馬がプンプンしながら追い出すとクロノアは苦笑し肩を竦めてから、メグに向かって一礼して外へ出ていこうとした。
すると彼のために道を開けようとしたメグが、長いスカートの裾を踏んで、よろよろとよろけて倒れそうになった。
「おっと危ない……」
クロノアは彼女の背中にさっと手を差し伸べると、軽々とその体を抱きとめた。今にも倒れそうになっていたメグがあたふたと慌てふためきながら、バランスを取ろうとして、ギュッとクロノアの二の腕にしがみつくと、ポヨンポヨンと形の良いバストが腕に当たった。その柔らかな感触に、クロノアの顔がほんのりと赤くなっていく。
「あらやだ、私ってばドジっ子」
「大丈夫ですか、お嬢さん。気をつけてくださいね」
「ありがとうございます、クロノア様。あなたが居なければ、大怪我をするところでしたわ」
「怪我がなくて何よりです。それでは、私はこれで……おや?」
腕に当たる柔らかな感触を努めて気にしないようにしながら、クロノアがメグの腕を振りほどき、外へ出ていこうとしたら、クイッと後ろに引っ張られた。
「キャッ」
見れば、抱きとめた時に、ほつれた彼女の髪の毛が、クロノアの上着のボタンに絡まってしまったらしい。
頭を引っ張られたメグがカクンっと首を曲げて、再度クロノアに抱きつくようにして、その胸に頭を埋めた。そして上目遣いに見上げながら、
「嫌だわ、私ったら。あなたのことを引き止めたくて、きっと後ろ髪が惹かれたのですわね。ごめんなさい、すぐに解きますから、そのままじっとしていらして?」
「あ、あの……顔が近いですよ」
「でも、こうでもしないと私の髪が、あなたに引っ張られて痛いのですわ。すぐに済みますから、そのまま……そのまま……」
ジャキッ……!
但馬はカバンに手を突っ込んではじめに触れたハサミを取り出すと、一片の躊躇いも見せずに、ザックリとメグの髪の毛を切り落とした。
最初、自分が何をされたか分からなかったメグは固まっていたが、
「……ギャアアアアアアアアアアア!!! ななな、なにすんのさっ! このチンパンジー!」
すぐにヤイヤイ騒ぎ出した。
「やかましいわい、この淫売が」
「女の髪を切ることが、どれほどの罪か知らないの!?」
「先っぽをほんのちょっと切っただけじゃねえか。ほっときゃそのうち伸びてくらあ」
「きいいいっ! 謝罪と賠償を要求する! 謝罪と賠償を要求する!」
「本性が駄々漏れてんぞ、クソビッチ。おまえがおっぱいグイグイ押し付けてる隙に、手品師さながらボタンに髪の毛絡ませてたのを、俺が見逃すとでも思ったか」
「ドキィッ……!? い、や、ち、違いますわよ? クロノア様。そんなの根も葉もない噂、但馬様の妄想ですわ」
「……では、私はこれで。閣下、あまり女性に恥をかかせないであげてくださいね」
そう言うとクロノアはそそくさと部屋を出て行った。
「あ~ん、クロノア様あ~! 違うのよ。違うのよ!」
尚も言い訳に走ろうとしているメグの頭をひっぱたきながら、
「はいはい、もういいから。それで今日は一体、何の用で来やがったんだよ。マジで男漁りに来たってんなら、膣に電球突っ込んで腹パンすっぞ、こんちくしょう」
「うきぃぃいいっ! あんた、本当に私には容赦無いわねっ! 男はみんな、私に優しくしてくれるのに……もしかしてホモォ? ホモなのねっ!」
「誰がホモだ……って、用事がないならホントに帰れよ。俺はこう見えて結構忙しいんだぞ? ったく……それにしてもよくおまえ、セキュリティ突破できたな。おまえがアウルムと親しくしてたのなんざ、みんな知ってることだから、てっきり今頃捕まってるか国に逃げ帰ってるとばかり思ってたのに……しぶといやつめ」
するとメグは、ハッと思い出したと言った感じに、
「そうそう、そうだったわ。今日はそれでやって来たのよ。あ~ん! 但馬、助けてよ~……アウルムなんかただの踏み台なのに、みんながメグのこと誤解するのよ。シルミウムのことなんて、何も知らないのに、法廷に立てとか議会で喚問するとか」
「踏み台て……利用価値が無くなった男にはとことん容赦無いやつだな、おまえ」
あれ? ……ってことは但馬もそうなのか? ともあれ、
「ま、自業自得じゃねえのか。あっちにもこっちにもいい顔してるからこんなことになるんだ。これに懲りたら、ちったあ義理人情ってのも考えるようにすんだな」
「うっさいわねえ……戦争にならないように全方位と仲良くして、戦争になったら全方位に土下座する。これがうちのやり方なのよ、ほっといてちょうだい」
どこぞの国と似たような外交姿勢である。なんだか聞いてて耳が痛かった。
「まあ、胸を張ってそう言い切れる姿勢は評価するがね。で、なに? アウルムと仲良くしてたから、おまえ、なんか疑われてるの?」
「そうなのよ。今回の戦争に関して、アウルムから何か聞いてなかったか? 何か預かってないか? もしかして、おまえが唆したんじゃないか? って」
「で? 何も知らなかったの?」
「知らないわよ。そんなのどうだっていいじゃない。私は男にちやほやされて、後は面白おかしく生きていければそれでいいんだもん。そう言ってるのに、信じてくれないの」
「……多分、そう言う姿勢で居るから、方々に要らぬ恨みを買ってんじゃねえのか。意地でも牢屋に繋いでやるって意志を感じるな」
「あ~ん。助けてよ」
「知らんがな。悔い改めよとしか言いようが無いぞ」
「そんなこと言わずにさ。ね? もしメグのお願い聞いてくれるなら……メグのこと、好きにして、いいんだよ? 宰相さんだけ、特別……」
しなだれかかって来るメグを払いのけつつ、
「だから、そう言うのは相手を選んでやれっつってんだろ」
「じゃあどうしろってのよ。お金? お金が欲しいの? それとも誰か、こっそり殺って欲しい相手でも居るのかしら。そう言う人脈もあるにはあるけど……」
金、暴力、セックス。それしか頭の中に無いのだろうか、この女は……話をしている内に、どんどん知能指数が低下していってるような気分になってきた。
「ああ、もういいもういい、面倒くさいな。どうせ、おまえが何かしたなんて、俺も思っちゃいないから、適当に話しつけといてやるよ。それでいいんだろ?」
「え? ホントに!? きゃあ、宰相様ったら、太っ腹……ううん、案外良い腹筋してるわね。本当に一回くらいだったら抱いても良いんだぞ?」
メグはパアッと瞳を輝かせると、但馬に抱きつきながら腹筋を指でグイグイ押しつつ、少女のように無邪気に笑った。好意をギュンギュン押し付けてくるその態度は、一次接触に不慣れな童貞ならイチコロだろう……但馬だって、あと数カップ小さかったらやばかったに違いない。
「ええいっ! 離せ離せ、必要以上にスキンシップを取ろうとするんじゃない。まったく……」
「あら、そう? そんな照れなくってもいいのに」
「でも次はないぞ。いい加減に俺を頼るのはやめろ。おまえには貸ししかないんだからな」
「あ、そうそう。そうなのよね」
メグは但馬から離れつつ、目をキョロキョロさせながら、
「貸しばっかり作るのは、私も本意じゃないわ。だからさ、今日はあなたにプレゼントを持ってきたのよ。受け取ってくれる?」
「プレゼント……?」
「うん。実は門前払い食らわないように、ここに来る前にもう、あなたの部屋に届けるように送ったんだけど……」
部屋を見渡してもそんなものはどこにもない。
「ここに無いなら多分寝室の方ね。侍女が気を利かせてそっちに届けたんでしょ。流石、中央の使用人は分かってるわね」
「おい、おまえ、俺に何を送った?」
どう考えても嫌な予感しかしない。
彼女は気色満面に笑みを浮かべると、屈託もなく言い切った。
「きっとあなたが喜ぶものよ。あなたの心の赴くままに、なんだって好きにしていいわ。今晩はクタクタになるまで可愛がってあげてちょうだい。じゃ、私は目的を果たしたから、そろそろ帰るわ。アデュー」
「おいこらっ!」
そう言ってマルグリット・ヒュライアは、嵐のように現れて嵐のように去っていった。徹頭徹尾、自分勝手な女である。助けてやる義理なんざ、これっぽっちも無いのに……やっぱり早まったかなと思いつつ、但馬は踵を返すと、部屋の奥の扉から寝室へと足を踏み入れ、
「ふがふが……ふがーーーっ!」
ベッドの上に転がされてる女の子を見つけてズッコけた。
少女は乳首丸出しのあられもないエロ下着を身につけ、縄でぐるぐる巻きにされて、ベッドの上に縛り付けられていた。猿轡を噛まされた顔は真っ赤で、涙混じりの目が血走っている。
確か、アナスタシアの友達のレベッカだったか……変態貴族に性奴隷にされ、ようやく助けられたと思ったら、今度はメグみたいな淫乱の使用人にされたという、絵に描いたような不幸な少女だ。
大方、メグに騙されてここに連れてこられたのだろう。カンディアで別れた後、その身を案じていたが、きっと今でも、我儘で意地悪なメグに散々いじめられては、ひどい目に合わされているのだろう。
但馬は気の毒に思いつつ、このままにしてはおけないと、ベッドに縛り付けられている彼女の元へと駆け寄った。遠くから見ても酷いものだったが、近くで見たらもっと酷かった。その下着は下着の概念をこれでもかと言わんばかりに蹂躙した、局部も乳首も丸出しの、どこに目をやればいいか分からないような代物である。
少女が涙目で但馬の顔を見上げている。
「ふがふがっ! ふぐあっふっ!」
「あわわわわわ……ごごご、ごめんよっ! できるだけ見ないようにするから」
但馬はそう言って、出来るだけあさっての方向を見ながら、ぐるぐるにふん縛られた少女の縄を解こうと手を伸ばした。それでも否応なく目に飛び込んでくる少女のきめ細かい肌にドギマギし、ポケットのモンスターがムクムクとウェイクアップしそうなのを般若心経を唱えながら堪えつつ、こんな状況で泣かれでもしたら、一体どうしたら良いだろうと思いながら、どうにか彼女の縄を解いたら……
「あんの淫売があああーーっ! ぶっ殺してやるっっ!!!」
自由になったレベッカは目を血走らせながら、ベッドの上に跳ね起きると、鼓膜を突き破りそうな勢いで毒づいた。
そのあまりの迫力に、勃起しそうになっていたチンチンはキュッとなって、代わりに乳首が勃起した。
但馬は背筋を伸ばしてピンと気をつけすると、
「うひっ! すみませんすみません! 君がここに縛り付けられてたのは、決して僕が強要したわけじゃないんですっ! ヒュライアのやつが勝手にしたことなんですっ!」
「そんなことは百も承知ですよ……ああ、もう、あのお嬢様はっ! やることがいつもいつもいつも……極端なのですからっ!」
「あ、怒ってないの? そりゃ良かった……興奮してるところ申し訳ないが、少し声のトーンを落としてくれない? 誰かやって来たら、俺が君を襲ってるようにしか見えないんで」
ここには冤罪をかけられても逃げこむ線路も無いのだ。但馬が手近にあったガウンを差し出しつつ、シュンと萎縮しながらお願いすると、レベッカはハッとなって自分のあられもない姿を隠した。
「お、お見苦しいものをお見せしまして、大変失礼致しました、旦那様。あの……誠に恐縮ではございますが、何か他に羽織るものでもお貸し願えませんでしょうか?」
「えーっと、そう言われても、女物の衣服がそう都合よくあるような性生活はしてないんで……くっ。着替えはすぐに持ってこさせるから、それまで待ってよ」
「男物のズボンでも何でも良いんです、すぐにお嬢様を追いかけねば」
但馬に遠慮しているのだろうか、それともやっぱり男が怖いのだろうか。レベッカはソワソワとしながら、一秒でも早く部屋から出て行きたそうな素振りである。
「あ、気になるんなら俺は外に出てるから、安心してよ」
「そうじゃありません、旦那様……」
するとレベッカは、眉根をくいっと寄せて困ったといった表情で続けた。
「まずはご無礼をお許し下さい。実は、先程からここに縛り付けられていたせいで、クロノア様との会話が聞こえてきて、どうやら想い人と上手く行かなかったご様子……」
「……ああ、別に聞かれて困るような話じゃないからいいけど。それが?」
「すぐに追いかけねばクロノア様が危険です」
なんのこっちゃ、話が飛躍しすぎて、さっぱり分からない。何を言ってるんだろう、この子は……? と首をひねっていると、レベッカはイライラした調子で、
「いいですか、旦那様。あれが失恋したばかりの男性を見つけて、放っておくとお思いですか?」
そして力いっぱい実感を込めて言い放つのだった。
「お嬢様は、淫売ですよ!?」
そのあまりの言い草に、但馬は思わずむせ返ったが、
「えらいこっちゃ!」
「クロノア様はロビーにいらっしゃるんでしたっけ? お嬢様の毒牙に掛かる前にお助けしなくては」
二人は大慌てで衣服を整えると、取るものもとりあえず部屋から飛び出した。