雪崩式投資術
シルミウム軍は慌てふためいてた。恐らく、ダルマチア子爵アウルムが、ようやく自分の置かれた立場に気づいたのだろう。大将の動揺は軍全体に波及し、遠くに潜んでいた但馬にも、その焦燥感が手に取るように伝わってきた。
彼は覗き込んでいた双眼鏡を下ろすと、待たせていた犬ぞりに乗った。御者のウララが振り返り、
「お兄ちゃん、もう良いの?」
と尋ねてくる。
彼女には、兄ではないと明確に伝えていたのだが、それじゃなんと呼べば良いのかと困惑しているところ見てると、今更閣下だの但馬様だのと呼ばれるのもバカバカしくて、結局、無理に訂正はせずそのままにしていた。
但馬が首肯するのを見届け、彼女が手綱を操作すると、突然動き出した橇の上でバランスを崩したエリックが抗議の声を上げる。
「いてて、急に動かすなよ」
「気を抜いてる方が悪いだろ」
「そうは言ってもこう寒いと体がかじかんじゃって……あいつら、よくやるよなあ……俺はあっちじゃなくってよかったよ」
厚手のコートを着ながらブルブル震えるジェスチャーをする彼が指差す先では、アスタクス軍が塹壕を掘っていた。彼らは殆どあたたまる場所のない農地で、ずっと穴を掘り続けているのだ。見ているだけでも寒くなってくる。
尤も、実はその役目は交代制で、夜になるとそれこそ塹壕に隠れて双子山の陣地と入れ替わっているのだが……目的が塹壕堀りではなく、実は農地に植えられた球根の回収であるから出来る芸当である。仮に見つかってしまっても、ここを守りぬく必要など皆無で、逃げちゃえばいいだけの話だ。
「それにしても、どうしてこんな雪の下に植えてるんだよ? 春になってから植えればいいのに」
「休眠打破って言ってな。冬を越さないと開花しない植物があるんだよ」
小学校の理科の実験で、スイセンの水耕栽培をした経験があるなら、育てる前に球根を冷蔵庫に入れることを知ってる人も居るのではないだろうか。一部の植物は、こうして冬眠を行わないと、いつまでたっても春が来ないと勘違いして、成長を始めないのだ。
暖冬の翌年に桜の開花が遅れることがあるが、あれもこれが原因である。今年は開花が遅いと思ったら、思い出してみると良いだろう。
「だから、チューリップは秋に植えて、春の開花を待たなきゃいけないんだ。お陰で、今回の作戦が成立したわけさ」
「あいつら、雪の下に球根が植わってるなんて知らずにバンバン砲撃してたんだろうな……ちょっと気の毒になってきた」
「商人を自称するくせに、自分たちが何を取引してるのか知らずにいるから、こんなことになるんだよ。自業自得だ」
「辛辣だねえ、先生は。にしても、球根価格が暴落しただけで、どうしてあんなにまでなっちゃったんだい? 先生の作った会社は、本当につい最近まで世界一の大金持ちだったんだろう?」
「まあな。てこってのは知ってるか? 釘抜きなんかに使うやつ」
20世紀の経済学者、ジョン・K・ガルブレイスによれば、投機はどの時代も基本的には変わらず、投機家がてこを発見することに始まるそうである。
単に大恐慌とだけ言えばこれを指す、悪名高き1929年の大恐慌も、やはり同じように投機家達が、てこを発見したことが始まりだったそうだ。
1914~18年の四年間もの長きに渡り、総力戦を繰り広げた第一次世界大戦は、ヨーロッパ社会に壊滅的なダメージを与え、これにより欧州の世界に対する影響力は殆ど失われてしまった。
逆に大戦期に軍需品の輸出で好景気に沸いていたアメリカは、欧州から潤沢に供給される資金と、その資源的裕福さもあって一気に世界のリーダーへと躍り出た。そして1920年代に入ると、アメリカは狂騒の20年代と呼ばれる華々しい成長を見せ始め、世界中の富がアメリカに集中するようになっていった。
するとお金がだぶついていた株式市場では投機が盛んに行われ、20年代の後半には“信用買い”という言葉が流行語になるくらい、アメリカでは株式投資が日常的に行われるようになったのである。
人々が株式投資に熱狂したのも当然のことで、当時の投資の運用率は国の公定歩合を大幅に上回っていた。FRB(アメリカの中央銀行みたいなもの)の設定した公定歩合が5~6%にもかかわらず、ブローカーズローンと呼ばれる証券会社向け銀行(この銀行に集まった資金が、一般投資家に貸し出され信用取引に使われる)の預金利息はその倍を越えていたのだ。
すると、銀行でお金を借りてブローカーズローンに金を預けたら、弄せずしてお金が手に入ることになる。当然、それに気づいた人々はそれをやったし、貸し手である銀行がそれに気づかないわけがないから、彼らもそれをやった。
銀行がFRBからお金を借りて、株式市場にせっせと流してしまったのである。
それで銀行はボロ儲けするかも知れないが、言うまでもなく投機はどんどん加速する。株価は連日急騰を続け、証券取引所は空前の出来高を更新し続ける。これじゃ中央銀行がお金をばら撒いているのと変わらないではないか。
FRBは何か良からぬことが起きていることはわかっていたが、それが何なのか、はっきりしたことは分からず、結果的に銀行に対し、株式投資に行う目的であるなら、公定歩合通りの貸付は行えないと言う『通達』を行った。そしてブローカーズローンの『監視』を行ったのであるが……しかし、それが精一杯だった。
信用取引に水を差した格好のFRBは大批判を受け、これ以降、積極的な介入はまったく行わなくなったらしい。
逆にブローカーズローンの方はFRBから借りれなくなったのなら、海外から借りればいいじゃないと、海外向けに出資を募った。公定歩合ほどではないが、8~10%の利子を払っても、十分に儲かったからだ。
これには言うまでもなく海外の投資家が飛びついた。欧州はもちろん、極東の香港や日本からも、続々と出資は行われた。他の国だって公定歩合は5%程度なのだから、自国の銀行で借りて、アメリカの銀行に貸し付ければそれだけで儲かるのである。
かくして、世界中のマネーがアメリカに集中し、もう誰の手にも負えなくなった。FRBのやったことは全く意味を成さなかったのだ。
アメリカの投機熱は留まるところを知らず、未来永劫続くかのように思われた。しかしもちろん、物事には終わりがやってくる。
この大狂乱の末期、20年代末には、投資信託会社が続々と登場し、一大成長を遂げるのであるが……一般人から広く出資を募り、その資金でプロが投資を行う投資信託会社がこぞって設立されたのには、もちろんワケがあった。
この時期に登場したのは会社型投資信託と呼ばれるものであったのだが……これは会社を設立し、他の一般企業のように社債や株式を発行して出資を募り、その出資金を投資するという仕組みだった。
会社型投信は、普通の会社のように何か商品を作るわけじゃない。商品は運用益そのものを株主に配当すると言う仕組みなのであるが……
これを上手く使った“てこ”が発見されたのだ。
その仕組みは以下のとおりだ。
会社型投資信託は普通の会社と同じように、社債や優先株、普通株を発行して出資を募る。ここでは仮に、それぞれ5千ドルずつ集めたとしよう。
投信はこの1万5千ドルを投資して、半年後には50%の利益を得たとする。(当時はこれが普通だったというから頭が痛くなるが……)すると、会社の資金は7500ドル増えて22500ドルになる。
ここで、この会社が解散するとしよう。
解散する会社はまず、社債と優先株の持ち主に出資金を返還し、残ったお金を普通株主に分配すると言う方法を取る。この際、社債と優先株の持ち主に額面通りの5千ドルずつを返すと、残った資金は12500ドルになる。
つまり、普通株主は5千ドルを出資して、12500ドルのリターンを得るわけだ。普通に投資していたら50%の利益しか得られなかったはずが、この方法なら150%に化けるのである。
やってることは信用取引そのものなのだが、担保は会社の集めた資金そのもので他には必要ない。いうなれば何もないところから大量の資金を集められるわけである。
狐につままれたような話であるが、この話はまだ終らない。
仮にこのような投資を行うA社があり、そこに出資するB社があるとしよう。因みにB社も会社型投資信託で、A社と同じ方法で出資を募り、その資金を全部A社に投資したとする。
するとA社に投資した資金は半年後に150%の利益を加えて返ってくるが、B社もA社と同じことをやってるわけだから、この時、B社の普通株の運用益は450%になる。それじゃもしB社に出資するC社が存在すれば……?
幾何級数的に利益が増えていくのが分かるだろうか。
笑ってしまうが、当時はこのような取引が本当に行われていた。察しのいい人ならもうお分かりかも知れないが、このA社とB社とC社はグルで、それぞれがお互いの株を買うということまでやっていた。因みに、これをやったのはゴールドマン・サックスの共同出資会社だったそうだから、一般人にはどうしようも無かったことが窺える。
「ってな感じで、てこってのは恐ろしいもんで、本当に信じられないペースで資金が膨れ上がっていくもんだから、みんなおかしいと思ってても夢中になってしまう。でもそれは株価が上がってるうちだけの話であって、下落に転じたら、同じ速度でお金がなくなっていくのは当然だろう?」
「それをチューリップを使ってやったわけ?」
「そう言うこと。イケメンと投資信託会社を次々設立し、それぞれの会社にお互いの株を買わせつつ、必ずチューリップをそのポートフォリオに組み入れるようにしておいたんだ。あとは頃合いを見計らってチューリップを暴落させれば、グループの末端ではその下落に耐えられない会社が出てくる。どうせみんなグルなんだから、どっかの株価が下がれば、全ての会社に影響が出るからね」
何千倍と言うレバレッジをかけて上がった利益は、株価が下がれば何千倍という速度で損失を生み出すのだ。
そして一社が倒産したら、お互いに株を持ち合っているので、全ての会社が連れ安する。すると出資をしていた一般投資家の中から弱気筋が出てくる。チューリップにはもしかして価値がないのではと思い始める。チューリップを売れば売るほど、投資信託は利益を減らしていくわけだから、その利益を当てにした投資を行っていた投資家も、ついに耐え切れなくなる。
売りが売りを加速し、あとは連鎖倒産するだけだ。元々、これは実態のないバブルなのだから、一度売られだすと呆気無いものだ。
「俺達の作った会社はそうして全部が経営破綻しちゃったわけ。会社はイケメンの実家、ダルマチア銀行から借り入れを行っていたから、銀行には回収不能の不良債権だけが残って、こっちも経営破綻。かくして世界一の大富豪は、一夜にして世界一の借金王になっちまったのさ」
「えぐいな……何も残らずすっからかんなのか」
「いいや、借り入れはチューリップを担保にしてるから、春になったら世界中から何万株というチューリップの球根がダルマチア銀行に届けられるんじゃないか? 良かったな。株が好きなんだろう。きっと本望だろうよ」
但馬の皮肉たっぷりのセリフに、エリックは苦笑しつつも、ふとあることに気づいた風に言った。
「でもさあ、それにしたって、ちょっとここのチューリップが被害を受けたからって、どうしてあのイケメンがそこまで大打撃を受けるんだ? チューリップは何もこの村でしか作ってないわけじゃないだろうに」
「その通り、仮にここのチューリップが根こそぎやられたところで、全体としては大した被害にはならないよ。でも、もうそんな話じゃないんだよ。アクロポリスでチューリップの先物をいじってる連中は、基本的に現物を知らないんだ。どこで誰がどんな風に育ててるのか、下手したらそれが球根植物だってことすら知らないだろう。だから、アスタクス方伯がガンガン売り浴びせた挙句、これからエーリス村に行って球根を根こそぎ刈り取ってやるって息巻いたら、きっと大暴落が起こるに違いないって思い込んじゃうわけ。現に、そのせいで倒産する会社が出てきたら尚更だ」
人間というものは面白いもので、相場が上昇してるうちはそれがどんなにおかしなことでも、目をつぶって幸せでいられるくせに、下がりだすと極端に狼狽しやすい。
すると、それまで借金してでも投資をし続けていた連中が、少しでも利益を残そうとして一斉に売りに出す。相場が暴落すると、株の利益をあてにして信用取引していた者は追加の証拠金が払えなくなるから、担保にしていた株が自動的に売られる。株が売られればまた相場が下落するから、追証が追証を呼んで、ついに市場には売り手しかいなくなる。
しかし、全員が売り手になってしまえば、値がつくわけがない。哀れ、市場は大暴落だ。
特に投資信託などは借金しか残らないから、一銭でも売れなくなり、お互いに株を持ちあっていた投信は全滅する。市場に満ちていた金はどこへやら、まさに泡のように弾け飛んでしまうのだ。
「ほらみろ、今まで自信満々だった奴らが、おかしな動きをしだしたぞ」
但馬がそう言うと、隧道からシルミウム軍の歩兵隊が続々と出てきた。
どうやら、とっくにアウルムの頭はおかしくなってしまっていたのだろう。
本来なら、シルミウム軍は守備側なのだから、ダムに篭っていればアスタクスは手を出せないのだ。だというのに、何が悲しくて自分の方から出てこなければならないと言うのか。
アウルムはきっと、目の前で掘り起こされ続けるチューリップの球根を見ていられなくなったのだ。もうとっくに手遅れなのに、これ以上損害を出したくないという焦りから、塹壕堀りをやめさせるための部隊を外へ出さざるを得なくなったのだ。
装備の差に自信があったのもあるかも知れない。
シルミウムの兵士は案の定ライフルを所持しており、その命中精度でアスタクス軍を圧倒していた。しかしアスタクス軍は塹壕に身を潜め、それに応戦すると、結局、双方ともに決め手を欠き、戦況は膠着状態に陥った。
確かに、射撃精度で言えば、シルミウムのライフル兵の方が明らかに優れていた。しかし、そんなことは、ここに来る前からみんな知っていた。
「お兄ちゃん、もうそろそろだよ。ここから先は林の影に隠れてられないから、下から丸見えだと思うけど……」
「構わない、もうこのまま行っちゃおう。どうせあいつら血が上っちゃってて、俺達に気づいても、何をやろうとしてるかまでは思いつかないだろう」
但馬達が乗ってきた犬ぞりが雑木林から外へ出た。
快晴と言ってもよいくらいの気持ちいい青空の下で、新雪の上を橇がグングンと加速していく。彼らがどこへ居るのかといえば、実はエーリス村の農場を大きく迂回し、イリア山に登っていたのだ。
眼下には農場の隅々までが見下ろせ、そこで無駄な銃撃を繰り返している両軍の姿が仔細に見えた。犬ぞりでこのまま真っすぐ進めば、やがてエーリスダムの水源にぶつかり、その手前を左に曲がれば隧道へと向かう位置である。
遮蔽物のない斜面の上に出た但馬たちは、農場にいる全ての兵士から見えただろう。
彼らの姿を確認すると、アスタクス軍は塹壕陣地を捨ててじわじわと後退を始めた。
シルミウム軍がもう少し冷静であったなら、それが何かの罠であることに気づけたかも知れない。
尤も、冷静であるなら守備側に優位な陣地を捨てて、野戦を仕掛けてくるわけがないのだから、結果は変わらなかっただろう。
彼らはアスタクス軍が撤退すると見て、更に追い打ちをかけるべく、ずずずいっと農場へと足を踏み入れた。
流石に、塹壕を出てしまうと、射撃精度でシルミウム軍が有利になる。気の毒なアスタクス軍の数人は、そのせいでライフル射撃をその身に受けてしまった。血しぶきが上がるとシルミウム軍は色めき立ち、アスタクス軍を追う足を早めた。
しかし、そんな時だった。
ドンッ! ドンッ! ……と、彼らの頭上で大きな爆発音が聞こえた。
見上げると、イリア山の斜面の上で、白い雪が煙のように立ち上っていた。但馬たちが、雪の中に爆弾を埋めて、それを爆発させたのである。
人が踏み入らない新雪に爆弾を撃ちこんだら何が起きるかは言うまでもない。その爆発により、ただ被さるように乗っていたサラサラの新雪が崩れ、斜面を滑り落ちていく。初めは些細なものかも知れないが、滑り落ちていく雪が周りの雪をどんどんと巻き込み、重力加速度を受けた雪の波が徐々にスピードを上げていく。ついにはその雪の波は広範囲に広がり、平地にたどり着くまで留まることを知らない雪崩となるのだ。
雪の斜面を猛烈な勢いで駆け下りてくる雪崩を前にして、シルミウム軍は慌てて撤退しようとした。
しかし、こんな雪山の足場の悪い積雪の上である。今更気づいたところで後の祭りであった。
但馬たちの起こした雪崩は、雪煙を上空数百メートルまで巻き上げ、農場を覆い尽くさんばかりの白い雪煙で埋め尽くす。
それを本陣で見ていたアウルムは崩れ落ち、がっくりと膝をついた。
アスタクス軍が野戦砲を持ってこなかったのは、なにも馬橇では運用が難しかったと言う理由だけではない。あんなものを、こんな雪深い山奥で撃ちまくったら、何が起こるかわからないではないか。
だから、方伯はこのエーリスに来てもシルミウム軍を包囲するだけで、積極的に攻めようとはしなかった。それは、ただ一度きりの機会を逃さないためである。彼らを挑発しすぎて大砲を沢山撃たれ、もしそれが山に直撃して雪崩が起きてしまったら、警戒して今回の作戦は通用しなかったかも知れないだろう。
そのため、アスタクス軍はのんきにキャンプファイヤーなんかやったりして、だらしのないところを見せていた。ついでに、包囲にはいくつもの穴を開けておいて、シルミウムの伝令が通りやすいようにもしておいてやった。
そうすれば、アクロポリスから人生終了のお知らせを持って、彼の従者がやって来るだろう。あとは見ての通りである。
もうもうと立ちこめる雪煙が消えると、真っ白な霧の中から辛うじて生き残った兵士たちが、体中を雪で真っ白にしながらよろよろと出てきた。雪の下に埋もれた味方を救助しようと、一生懸命雪を掘り起こそうとする者もいる。
しかし、アスタクス軍がこの好機を逃すわけもなく、塹壕から撤退していた兵士たちが反転攻勢に出て、ボロボロになったシルミウム軍に襲いかかった。
本来なら装備の差で簡単にはやられなかったであろうシルミウムの兵隊は、雪崩のせいでその装備を失っていたり、仮に持っていても雪のせいで不発に終わったりと散々で、あっという間にアスタクス軍に肉薄された。
そうなると多勢に無勢、とても敵いっこないシルミウム軍は味方の救出を断念、隧道は雪崩で埋もれてしまったから、エーリス村の方へと撤退していった。そのまま丘陵の上の本陣に戻ろうとしたのだ。
しかし、追撃のアスタクス兵が接近してくると、本陣のアウルムはビビって味方が居るにもかかわらず、大砲を撃ちこんできた。
敵味方の別なく、何十人もの兵士が吹き飛び、真っ白な雪が鮮やかな血の色に染まっていく。
シルミウム兵はそれこそ必死になって、自分たちが居ることをアピールするが、本陣からお構いなしに飛んで来る砲撃の前に為す術もなく命を散らしていった。
最終的には、流石にこうなっては仕方がないと、アスタクス軍が撤退していったが……それで味方に砲撃をされたシルミウム兵達が納得するわけがなく、本陣へ帰参した彼らはアスタクスの司令部と、遠巻きに見ているだけでも分かるくらい揉めに揉めているようだった。
シルミウムは昔ながらの傭兵中心の軍隊である。だから元々、総大将に対する忠誠心などかけらもない。おまけに、アウルムが大損をぶっこいたということは、とっくに知れ渡っていたから、報酬を受け取れるかも定かでない相手に彼らが従うわけがない。
こうなってはもう戦線を維持することさえ不可能である。完全に士気崩壊したシルミウム軍は覇気がなく、間もなく夜が訪れようとしているのに、篝火も焚かずにどの兵隊も項垂れている。
だから、もう応戦を断念し、アウルムは砦へ撤退しようと考えた。砦にはまだ1年は篭もれる物資があるのだ。そこで味方の援軍を待とうと……しかし、その彼の最後の決意までをも完全に挫く出来事が起きた。
今度は砦のすぐ横にそびえ立つフィア岳の中腹から爆発音が上がり……真っ白な雪が雪崩となって、彼らの自慢の砦を襲ったのである。
……その晩、丘陵の上で進退窮まったシルミウム軍から脱走兵が相次いだ。
渓谷の出口に包囲網を敷いていた方伯軍は、夜通しやって来る脱走兵を拘束し続け、それは翌朝には一軍に匹敵するくらいの数にまで膨れ上がった。
それじゃあもう、丘陵の上にはどれくらいの兵士が残っていただろうか。
翌日、夕刻を待たずして、シルミウム軍が降伏を申し入れてきた。方伯はそれを許さず、総大将の首を取るまで戦うと言ったが、最終的には彼を人質に取り、シルミウム方伯と交渉をすべきとの部下の勧めに従い、これを受け入れた。
こうして、アナトリア帝国とアスタクスの戦争のどさくさに紛れて始まった、シルミウムの野望は挫かれた。
シア戦争は、シルミウムによるオクシデント進駐後、たった1ヶ月ほどの期間で、ほぼ一戦もすることなく、あっけなく幕を閉じたのである。