シア戦争
アスタクス軍が北進を開始した。
その噂はすぐにアクロポリス中に広まったが、市民たちはそれを聞いても、ふーん、あっそ……と言った感じで、さして気にもとめなかった。
アナトリア帝国とアスタクスが休戦調停を始めてから、すでに1ヶ月以上が経過しており、それだけの時間が経っていたにもかかわらず、一向に進展しないそれは、今ではすっかり庶民の関心から忘れ去られていたのだ。
それよりもこのところの好景気のお陰で、市民たちはお貴族様から乞食までもが、信じられないような大金持ちになっていたので、そっちの方ばかりに目がいってて、どの国がどの国と戦争をしようが、誰が不幸になろうが野垂れ死のうが、まるで気にならなかったのである。
だからせいぜい、北進したと言うならば、狙いはオクシデント地方にいるシルミウムであろうから、つい最近の大相場で一人勝ちしてる状態の彼らが、アスタクスに攻められるんならそれは天罰だ、ざまあみろくらいにしか思わなかった。
ぶっちゃけ、どうしてこんなことになってるのかすら、誰も覚えちゃいなかったのである。
対して、当事者であるシルミウム軍、ダルマチア子爵アウルムは焦っていた。
方伯の嫡男として、オクシデント地方の総大将を任されていたのであるが、まさか本当に戦争になるとは思いも寄らず、先手を打たれて右往左往していたのだ。
アウルムは……いや、シルミウム軍そのものが、謀略は得意であったが戦下手であり、正直なところ自信がなかったのだ。いや、それよりも、苦手な戦争をしたくないから謀略の限りを尽くしていたというのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。
味方に引き込んだはずのアナトリア軍は、アスタクスがビテュニアの横を素通りしても、何もしないで見過ごしたらしい。話が違うではないかと抗議の使者を送ったのだが、すぐにその使者は追い返されて、一体どこへ文句を言いにいけばいいのか? と涙目で帰ってきた。
元々、アナトリアとシルミウムは裏取引しかしておらず、同盟関係はないのだ。
それどころか、シルミウム軍はアスタクスの支援と言う名目で、オクシデント地方に軍隊を派遣していたから、寧ろ形の上では敵対関係だったのだ。
但馬とは、そのオクシデント地方を制圧した後、改めて外交筋を通して同盟を組む予定であり、その瞬間、アナトリア軍がティーバのアスタクス軍を打ち破り、シルミウムが議会に働きかけてアスタクスを分割する算段だったのである。
しかし、その窓口である但馬が見当たらない。
真っ先に裏切りを考えたが、その次の瞬間には金貨五千万枚の賠償金と、世界一となった自分たちの投資信託会社が脳裏にちらついて、バカバカしくなった。
こんな状況で裏切る者など、果たしているのだろうか?
国家予算十数年分の金貨と、黙ってても金を生み続ける金の卵だぞ?
確かに、但馬は世界一の金持ちと言っても過言ではない大商人であり投資家でもあった。だから金には靡かないと考えても不思議ではないのであるが、だったら初めから自分たちの会社など作らず、アウルムをボロ儲けさせようだなんて考えないのが普通ではないか。
大体、但馬にはずっと監視をつけており、彼がアスタクス勢力と接近したという報告は一度も受けていない。そして実際に、彼は毎日取引所にいて、あとはトレーダー達と豪遊してるくらいのものだった。
じゃあ、但馬はどこへ行ったのだろうか。
もしかしたら、何者かに襲撃されて連れ去られた可能性はないだろうか。考えてもみればあれ以来、アスタクス方伯が何も言わずに黙っていたのはおかしい。但馬や自分に対する恨みはひとしおだろう。
しかし、彼の側には常に豪傑と名高いクロノアが付き従っていたし、彼自身がその能力を隠しているが、但馬はエルフさえも一撃で粉砕するほどの能力の持ち主なのだ。簡単にやられるわけがない。
だから、一体何があったのか、彼を探しだして問いただしたほうがいいのだろうが……そうしたくとも、その間もアスタクスはオクシデントへ向けて進軍を続けているのである。
「ええい……仕方ない。手の空いている者は但馬を探せ。他の者は私に続け」
結局、アウルムは自分の責務を果たさざるを得ず、会社と取引所の運営を部下に任せると、砦のあるオクシデント地方エーリス村へと急いだ。
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アウルムがエーリス村入りし数日後、部下たちの報告通り、アスタクス軍がこの山奥深い渓谷の村へと進軍してきた。
その数は3万とも4万とも言われているが、正確な数は分からなかった。ただ、分かることは、こんな山奥に殺到するような人数ではないと言うことだけだろうか。それはつまり、アスタクス方伯が本気でシルミウム軍を潰しにきたということだ。
古来より城攻めには3倍の兵力が必要だという、3倍の法則というものが尤もらしく語り継がれている。実際には何の根拠もない数字であるが、まあ、そのくらい城攻めは難しいのだということであろうか。
対するシルミウム軍はおよそ1万。それによると、アスタクス軍は力押しでの砦攻略を決意したと考えても差し支え無いだろう。
しかし、初陣に近いアウルムはそれでも比較的落ち着いていられた。歴戦のアスタクス方伯が率いた3倍の軍隊が目の前に居てである。どうしてかと言えば、それでも堅牢な砦が落とされる気がしなかったからだ。
エーリス村の戦域を改めて確認してみよう。
シルミウム軍はエーリス村に隣接するようにあるダム湖に砦を建設し、そこに物資を運びこんで要塞とした。砦には1万のシルミウム兵が、1年は堪え忍べるくらいの物資が既に運び込まれていた。
ダム湖はオクシデント地方の山脈にあるイリア山の中腹にあり、フィア岳と呼ばれる峻峰から流れ出す水によって削られて出来たイリア渓谷の一番奥に存在した。周囲は険しい山々に囲われていて、そこへ近づくにはダム建設の際に作られた隧道を通り抜けねばならない。
更に、シルミウム軍はそれを見下ろすように、エーリス村とイリア渓谷の間にある小高い丘陵地の上に本陣を構え、そこに砲台を築いて、隧道に近づこうとする部隊を一方的に攻撃できるようにしていた。
しかも、使用される大砲はカンディアからちょろまかした帝国製であり、射程はアスタクス軍よりもずっと長く、この陣地からはエーリス村全域が狙えた。村の入口にある橋は既に落とされており、村に近づくにはアスタクス軍は渡河をしなければならないが、大砲に狙われ続けては橋頭堡も築けないだろう。
更に、丘陵は2つの小高い丘で構成されており、シルミウム軍はダムに近い方を砲兵に守らせ、もう片方にはライフル兵を伏せさせていた。シルミウムは帝国のライフルを解析し、ミニエー弾をコピーしており、すでに弾は潤沢に調達してあった。ライフルはヴェリア攻防戦の際、3千人のアスタクス兵を根絶やしにした兵器である。これにより防衛される陣地が堅牢でないわけがないだろう。
対するアスタクス軍は、積雪のために野戦砲が使えなかった。運ぶだけなら橇を使えば可能であるが、大砲は弾を撃つ際に必ず反動があるので、地面に固定しないと倒れてしまうから、橇に載せたまま撃つことは出来ないのだ。
どうしても使いたいなら、積雪をかき分け地面を露出し、ぬかるんだそこに杭でも立てて大砲を固定すれば出来るだろうが、そんなことをしている間に敵にやられてしまうだろう。
歩兵の持つ小銃の方もアナトリア帝国の模造品で、ライフリングの施されていないそれではシルミウムの陣地に近づくことさえ出来ないはずだ。
もし仮に、それでもアスタクス方伯が多大な犠牲を払って丘陵地帯を制圧したとしても、シルミウム軍はダムの砦に逃げ込めば良い。
砦は背後に峻険なイリア山を、手前にはダム湖を抱えた天然の要害であり、攻めるにはダム湖を渡るしか無いが、もちろんそんなことをしたら良い的にしかならないだろう。
従って、敵が三倍いようが、やられる要素は殆どなかった。極めつけはシルミウム軍は、食料が豊富な砦に篭もることが出来るが、アスタクス軍は現状では野営するしか無く、3万も4万も兵が居ては糧食がすぐに不足するはずであった。つまり短期間で勝敗を決しなければ勝ち目はないわけであるが……
歴戦の智将と呼ばれ、錚々たる顔ぶれの将軍たちを従えたアスタクス方伯が一体何を考えているのか、アウルムには分からなかった。
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ともあれ、何の変哲もない冬のある日、シルミウム-アスタクス戦争(シア戦争)は開戦した。
建国以来、500年以上に渡ってライバル関係を続けてきた両国の間では、これまでも度々衝突があったが、海峡に隔てられた両国の軍隊が実際に戦うのは、実に100年ぶりの出来事であった。
ロンバルディアとの戦いや、60年前の勇者戦争以来、この100年間ずっと戦争を繰り広げていたアスタクス軍は、練度の点では明らかにシルミウム軍を上回っていたが、装備の面で劣っており、同数の兵隊同士の衝突なら拮抗するか、シルミウムが若干上であっただろう。
しかし、傭兵が中心のシルミウム軍は大将であるアウルムへの忠誠心は皆無であり、逆に方伯軍はアナトリア帝国との戦争を耐え抜いて、なお方伯に付き従う兵士たちであったから、士気の点では明らかに上だった。
アスタクス方伯はまずティーバから連れてきたおよそ3万の兵隊を、渓谷の入り口にあるエーリス村第二農場へと布陣させた。彼はここに簡単な兵糧庫を作ると、持ってこれるだけ持ってきた糧食を詰め込んだ。
シルミウムの偵察兵が見た限りでは、その糧食では騎兵まで連れてきたアスタクス軍は一月も持たない計算であり、後続の兵站部隊が来るか、よほど短期決戦を想定しているかでないと辻褄が合わないそうである。
これに対し、シルミウム大将であるアウルムは、アスタクスの速攻を警戒し、2つあるエーリスの丘陵地の手前側にライフル兵を布陣させ、全方位を狙えるようにした。
エーリス村のすぐ横にある丘に置かれたシルミウム軍本陣は、唯一の懸念があるとしたらこの丘陵地であり、ここを取られると丘陵の影に隠れた敵は大砲で狙いづらく、逆に鬱蒼と茂った森林に隠れながら接近される危険性があった。
そのため、虎の子であるライフル兵を突出させたのであるが……アスタクス軍はこの動きにはまるで反応を示さず、やがて本陣で部隊を2つに分けると、およそ1万の兵を街道を通ってエーリス村手前まで進ませた。
部隊は街道の橋が落とされていたため、更にエーリス村に近い奥まった場所から渡河を敢行しようとしたが、長射程のシルミウム軍からの攻撃により渡河を断念、そのまま双子山を迂回して村の手前に陣地を張り、降雪に備えてテントを立て始めた。
更に軍をふた手に分けて、双子山の間からエーリス村の農場へと歩兵隊を進軍させた。
この、丘陵ではなく、エーリス村を遠巻きに取り囲むような動きに、シルミウム軍は戸惑った。明らかに本陣狙いなのだが、攻めるにしては戦力が分散し過ぎている。おまけに遠い。自分たちの陣地は小高い丘の上にあり、仮に敵が十倍いても、真っ向からならまるで怖くないのだ。数をかけねば落ちるはずがない。だが、方伯の本陣は相変わらず渓谷の外にあり、一向に動く気配がない。
籠城戦は明らかに方伯が不利だ。かと言って他に狙いがあるとは思えない……アウルムは無駄になった丘陵のライフル兵を、少数を残して本陣へと帰還させると、今度は隧道の出入り口を固めた。農場へ布陣したアスタクスの歩兵隊が、損害覚悟で隧道へ突撃するのを警戒してのことである。
尤も、実は隧道の出入り口は積雪の心配がないので、初めから野戦砲が置かれており、仮にアスタクス軍が隧道へ殺到してきたとしても、大砲を一撃したら、中に入った可哀想な兵隊は即死するか鼓膜が破れて三半規管に大打撃を受けるだろう。故にライフル兵は保険に過ぎず、相手次第で臨機応変に対応させるつもりだった。
そして農場のアスタクス軍の動きを見守っていたのだが、すると、彼らは雪をかき分け雪洞を作ると、兵隊たちはそこへ身を隠すように入り込んだ。雪原の中で姿が見えないのは確かに不安にさせられる行為であったが、それに何の意味があるのか分からない。
目眩ましのつもりだろうかと、偵察をイリア山側から回りこませてみれば、アスタクス軍が作っていたのは雪洞ではなく、積雪をどかして地面を露出させたあと、更に掘り進み、雪の下に塹壕を掘っているらしかった。
雪を掘り身を隠す。ここまでは分かる。だが地面まで掘る意味が何なのか、さっぱり意味が分からない。アスタクス方伯は狂ってしまったのだろうか?
彼の姿を探したら、方伯は相変わらず第二農場の本陣に居て、そこで馬を使って大規模な雪かきをしていると報告が上がった。
すると、騎兵隊はそのために連れてきたのだろうか? しかし、兵糧庫を作るための雪かきのために、大量の飼い葉が必要な馬を連れてきたとしたら、とんちんかんにも程があるだろう。
おまけにアスタクス軍は、陣容を現在のように整えると、特にこちらを攻めるわけでもなく、それぞれの陣地で降雪に備えて、雪洞を掘ったり、テントを張ったりする以外に何もしてこなかった。双子山の部隊に至っては、テントを張ったあとは山に入って薪を拾い集め、キャンプファイヤーを始める始末である。
アウルムはこの謎の動きに翻弄され、そして気がつけば、アスタクス軍はこれまで一切攻撃を行ってきていないのである。
流石にこれは何かの罠ではないかと、シルミウム軍は困惑したまま幾度も軍議を行った。まさか、こんな山奥深くまで、3万人も連れてハイキングにでも来たわけもあるまい。
正直なところ、ここまで意味不明な行動をされると不安になってくるのであるが、それでもシルミウム側から何かアクションを取ることは出来なかった。なにせ、自分たちは守備側なのだ。守備側が先制攻撃なんて、前代未聞だろう。
だから結局、シルミウム軍はその日は斥候を出すくらいしかやれることがなく、何も起きないまま日が暮れた。夜になるとキャンプファイヤーは一層明るく輝き、酒盛りでもしているのであろうか、方伯の陣地からは陽気な歌声まで聞こえてくる始末だった。
シルミウム軍はこの奇行にいよいよ不安を募らせ、夜通し警戒を続けては疲弊するのであった。
……翌朝。前日に引き続き、特に動きのない第二農場と双子山にかわって、村のすぐ近くの農場の方では動きがあった。
一夜明けて、歩兵が掘り進んだ塹壕が、ほんの少し隧道の方へと前進していたのだ。
それは本当に数メートル程度の微々たるものであったが、シルミウム軍は色めきだった。
あれはきっと、塹壕をこっそりと前進させ、隧道へ迫るつもりなのだろう。第二農場や双子山の陣地は、そのカモフラージュのために騒ぎを起こしていたに違いない。
その証拠に、シルミウム本陣から砲撃を開始すると、前日は射程外のはずだったアスタクス軍の塹壕陣地に、弾が届いたのである。
これは間違いない。アスタクス軍は地面を掘り進んで、シルミウム軍に迫ろうとしているのだ。
そう判断したダルマチア子爵アウルムは、本陣の大砲を全て農地へと向けて、猛烈な砲撃を加え始めた。一時間に数十発にも及ぶ砲撃を、朝から晩まで続けられた農場の塹壕陣地は、雪が飛び散り、地面がえぐれ、あっという間にボコボコになった。
アウルムはその光景に満足し、これで敵の狙いを挫いたと判断すると、その日は枕を高くして眠ったのであるが……翌朝に、昨日あれだけ攻撃した塹壕陣地が前進しているのに気がつき、驚愕に震えた。
シルミウム軍は絶えず偵察を出している。それによると双子山陣地に、本陣から増援が来たという話もない。すると、農場の塹壕はあれだけの砲撃を食らってもほぼ無傷で、未だに前進をつづけているわけである。
考えてもみれば射撃は、基本的には水平に飛んで行くから、仮に飛んで行く方角が正確だったとしても、地下にいる敵には当たらない。地面に当たったらバウンドして、塹壕の上を飛び越えてしまうのだ。おまけに周囲は雪に埋もれており、命中する前に威力がそがれる。塹壕の中にいる敵には、ピンポイントで直撃しないと効果がないのである。
この事実はシルミウム軍にはショッキングだった。1キロ先の穴の中を正確に狙えるような技術はない。すると、このまま塹壕を掘り進まれてしまうと、いずれエーリス隧道にまで到達してしまうのではなかろうか……
しかし、それには1日に数メートルしか前進できない塹壕を、何ヶ月もかけて掘り進めねばならないし、そもそも、流石に隧道の真下と行って良いくらいにまで近づいてしまったら、何発か撃たれたら直撃は免れないだろう。極めつけは、仮に隧道に辿りつけたとしても、こんな狭い道を通って、その先に居るライフル兵と大砲には敵うわけがないのだ。
では、一体これはなんなのだろうか。
何故、アスタクス軍はこんな無意味な行動をとり続けているのだろうか。
果たして、アウルムとその部下たちがいくら考えても分からなかったその理由は、まったく予期せぬ所から判明するのであった。
「アウルム様! アウルム様! 至急、アクロポリスにお戻りください!」
今日も今日とて、一切の戦闘が無いシルミウム軍が、その日何度目かも分からなくなった軍議を開いている最中、許可もなく伝令の将校が飛び込んできた。
機密性が高い軍議を開いてる最中である。絶対にあり得ないその行動に、アウルムは一瞬、ムッとしたが、どうせ会議は膠着状態で何の意見も出てないところであった。それに、自分たちが今、戦争をしていることくらい、この伝令だって分かっているだろう。
「何があった……言え」
彼はむかっ腹を立てつつも、よほど緊急性が高いのかと思い、伝令に先を促した。
「ははっ、はいっ!! 申し上げます。たった今、いえ、ですからもう数日前なのですが、とにかく! アクロポリスの取引所が大パニックになり、我々も手をつくしたのですがなすすべなく、気がつけばいつの間にか」
「結論だけ簡潔に述べろ」
「わ、分かりました……」
要領を得ない伝令に苛立ち、アウルムがぎろりと睨むと、すると伝令はゴクリと生唾を飲み込んで、真っ赤になりながら、
「我がダルマチア銀行が破産しました」
さしものアウルムも初めは何を言われているのかさっぱりわからず、たっぷりと数十秒かけてから、
「……どうして?」
たったそれだけの返事しか返せなかった。伝令は目を充血させ、ブルブルと震えながら、
「わかりません! あちこちで突然借金の返済が滞り、追証を払えなくなった投資家の担保株が続々と売られ、市場が大暴落を始め、あれよあれよという間に、不良債権が不良債権を呼んで、今まで好調だった投資会社が次々と連鎖倒産を始めたのです!」
「だ、だからどうしてだ!? 何があったんだ?」
「だから、わかりません! 気がつけばこうなっていたのです。ただ……きっかけはチューリップでした」
「チューリップ?」
すると伝令は何度も何度も頷いて、
「はい。初めはちょっとした動きだったんです。突然、どこからともなくチューリップの先物が売られ始めて、最初はなんてことなかったのですが、ある一定水準を越えたところでいきなりドカッと大暴落を始め……そしたらそれに釣られて次々と他の商品も暴落を始め、我が銀行で信用取引を行っていた客達が次々と破産して、倒産して、夜逃げして、借金だけが残ったんです!!」
「だから、何故そうなるのだ! ええい、くそっ! では、投資会社の方の資金で補填しろ。但馬には俺から言っておく」
「それが、無理なんです!」
「だから何故……いや、そうか。投資会社は銀行の融資を受けているから、それが焦げ付いているんだな? だったら、別の会社の資金を一時的に充てて……」
「それも無理なんです!」
「だから、何故!?」
「最初に倒れたのが、アウルム様たちの投資信託会社だったんですよ!」
アウルムは今度こそ自分が何を言われてるのか分からず思考停止した。そりゃあそうだろう。普通に考えてあり得ない。何しろ、彼の会社はぶっちぎりで世界一の評価額をつけられた、巨大投資グループだったのだから。
「本当に、何が起きてるのか、まるでわかりませんでした。チューリップ相場が崩れると、アウルム様の会社の一部が急激に経営不振に陥り、あれよあれよという間に倒産。するとその株式を持っていた別の会社が連鎖倒産し、次から次へと借金だけを残しながら会社が倒産していったんです。最終的に、一般投資家は株を放棄して逃げればよかったのですが、我々機関投資家は逃げる事もできず、ただ借金だけが残された会社の株だけを持って、アウルム様の投資信託会社が倒産すると、そこに資金を注入していたダルマチア銀行も持ちこたえられず……」
アウルムはフラフラとよろめいた。
たった今まで軍議をしていた将軍たちを見るも、誰も彼と目を合わせようとしない。
哀れみの目で見るものが居るならまだマシだ。この全てが傭兵で、彼らはシルミウム軍が金をちゃんと払ってくれるのだろうかと、そんな目つきをしているのである。
アウルムはその空気にとても耐え切れず、あちこちにぶつかりながら、軍議を行っていたテントから外へ出た。足にまったく力が入らず、雪の中に顔面からダイブすると、慌てて従者たちが駆け寄ってきて、彼を支えた。
眼下には塹壕を掘るアスタクス軍が見える。背後にはキャンプファイヤーをしながらのんきに歌うアスタクス軍が。方伯の本陣は渓谷の外で雪かきを行っているらしい……
何なのだこいつらは……
何のためにここに居るのだ……
こいつらのせいで、自分はアクロポリスから出る羽目になり、会社に適切な指示を出すことが出来ずに、取り返しの付かない事態に陥ってしまったのだぞ。
「ちくしょうめっ!!」
アウルムが叫ぶと周囲の兵士たちがビクリと震えた。
その大声に気づいた農場のアスタクス兵もチラリとシルミウム本陣を見上げたが、すぐにまた塹壕堀りに戻っていった。
どうしてそこまで穴掘りなんかに夢中になってるのだろうか? そんなことしても何の意味もないだろうに……
「……いや」
その時、アウルムの脳裏を嫌な予感がよぎった。それが何かが彼の頭の中で鮮明になるに連れて、彼の顔は驚愕に震えていった。
あの場所はなんだ?
エーリス村の特産品はなんだった?
アスタクス軍は塹壕を掘っているのではない。
「あいつら……チューリップを掘り返していたんだ」





