エーリス村
去っていくイケメンの背中を睨みつけながら、但馬は腹立ちまぎれに足元の雪を蹴り上げた。雪の礫が舞い上がり、粉雪のようにサラサラと散った。
彼はその場にしゃがみ込むと、雪をギュウギュウ握って雪玉にすると、おもむろにそれをコロコロと地面に転がし始めた。
「しゃらくさい」
プンプン怒りながら雪玉を転がしていくと、段々それが大きくなっていく。
それを見ていたクロノアは、人間の頭くらいの大きさになったところで、但馬が何をやってるのかを悟り、肩を竦めてから、同じように雪玉をコロコロ転がし始めた。
いい大人が雪だるまなんかを作ってる姿がよほどおかしかったのか、通りすがりの子供が指を指しながらゲラゲラ笑い、母親らしき女性にひっぱたかれた。
別に雪遊びをしたいわけじゃない。本当はさっさと立ち去りたかったのだが、ムカつくことにイケメンの方が先に、自分たちが帰る方向に向かって歩いて行ってしまったから、このまま行くと追いかける格好になってしまうのが嫌だったのだ。
追いついてしまったら絶対気まずい思いをするだろうし、かと言って、イケメンの歩調に合わせてやるのは癪に障る。仕方ないから時間を潰そうと思ったのだが、じっとしてるとイライラするので、勢いで雪玉を転がし始めたらこの有り様である。
「閣下……アウルムの話をどうお考えで?」
但馬とイケメンが話している最中、クロノアは一切口を挟まず、腰に佩いた聖遺物に手を置いたまま周囲を見渡していた。自分の実家の話だし、本当は内容が気になっていただろうに、それでも上司の邪魔をしてはいけないと心得ていたのだろう。ガルバと言い、クロノアと言い、皇家の男は基本的にお堅いのかも知れない。
「どうもこうも、国益だけを考えれば、あいつの言うとおり、シルミウムと組むのが一番うま味があるだろうよ」
「では、閣下はシルミウムと組むよう、ブリジット陛下を説得なされるおつもりなのでしょうか?」
「んなわきゃない。さっきも言った通り、あんな話に乗るつもりはサラサラ無いよ」
但馬がはっきりそう言うと、クロノアはホッとした表情を見せた。
「それを聞いて安心しました。では、帝国はアスタクス側について、シルミウムと一戦交えるんですね」
「それもないよ。現状をブリジットに報告したらそうなりそうだけどな……」
「では、閣下は一体どうなされるおつもりなのでしょうか……?」
「文字通り、手も足も出ないんだよ!」
但馬は吐き捨てるようにそう言い放つと、大きくなった雪玉をフンガーっと掛け声を上げて持ち上げた。慌ててクロノアが駆け寄ってきて逆側を持ち、二人は雪だるまを完成させた。
ゼエゼエと息を切らしながら、但馬は手も足もついてない雪だるまの頭を、ぽんぽんと叩いた。
「なんとかギャフンと言わせてやりたいんだけどね……本当に侵略戦争をふっ掛けるくらいしか方法がない。しかし、そうしたくっても、何しろシルミウムは遠いだろう? 兵站が伸びきっちゃって、陸軍はロクな攻撃も出来ないだろうし、せいぜい海軍を派遣して沿岸都市に嫌がらせするくらいだ」
しかも、そうしたら相手はすぐに賠償金を支払って許しを請うと宣言してるのだ。恐らく、ホントにそうするつもりだろう。なら、この行為にどんな意味があるというのだろうか。
「相手は商人だけあって合理的なんだよ。真正面から攻めても、あの手この手で武力衝突を回避しようとしてくるだろう……リリィ様を抑えられてるのも痛い。最悪の場合、切り札として使ってこられると、何が起こるかわからないぜ」
「でしたら、ガルバ伯爵の言うとおり、リリィ様をアナトリアが保護するのはどうでしょうか」
「そんなことしたら、本当に皇国と全面戦争になるぞ。負けはしないだろうが勝つのも無理だ。言いたかないけど、ビテュニアを包囲してるのだって、相当無理してるんだぞ? 全土を制圧なんて不可能だ」
「なるほど」
「あとはそうだなあ……敵の敵は味方ってことで、アスタクスを支援するくらいだけど、そうするには先に戦争を終わらせなきゃだから、ホント、何のために今まで戦ってきたのかってことになる。おまけに、そうしたところで、ただの嫌がらせにしかならねえ」
帝国がアスタクスを支援したら、恐らくアスタクスが勝つだろう。そして彼らはオクシデント地方を手に入れるだろうが……帝国には何の益にもならない。せいぜい、アスタクスとの関係が改善されるくらいのものだ。
「溜飲が下がって、関係改善もされるなら、いっそそれでも良いかも知れないけどねえ……いくらなんでも、国家をあげてするのが嫌がらせだけなんて、情けなくて話にならないよ」
「う~ん、上手く行かないものですね。ならば、相手は商人なのですし、商売でギャフンと言わせるのはいかがでしょうか」
「……例えば?」
「それはわかりませんが……」
クロノアはお手上げのポーズをした。商売で仕掛けると言っても、そもそも、国交が無い国に取れる手段は何もない。関税をかけようにも元から取引がないのだし、相手の縄張りに出向いていって商売の邪魔をしようにも、こちらが圧倒的に不利なのは否めないだろう。
「けどまあ、考え方は悪くないな。よし、それじゃそれも含めて、一度作戦会議と行こうか」
そうして但馬とクロノアは、ホテルで留守番をしているエリックと合流するために、宮殿前の坂道を下りて繁華街へ向かった。
アクロポリスは大きな街であったが、繁華街は一つしか無かった。聖堂やら教会やらがあちこちにあるので、あまり盛り場を作りたくなかったのかも知れない。
そのため、先ほどイケメンの後を追いかけるのを躊躇わされたように、街の殆どの機能が一箇所に集まっているのだ。但馬の泊まってるホテルも、イケメンの取引所も、タイユバンも同じ区画にあるわけである。
そんなわけで、ホテルに帰る途中にイケメンの取引所があったものだから、さっきの今でバツが悪い但馬たちは、そこを迂回するように遠回りを選んだのだが……
お陰で、最高級の店が並ぶ路地から離れ、少々治安の悪い道を通ることになってしまい、案の定、そんな場所を貴族のマントを羽織った二人が通り過ぎるものだから、客引きがひどく、1ブロック歩くだけでも結構な時間を食わされてしまった。
そんなこんなで日は完全に陰り、夜の帳が降りる頃、どうにかこうにか元の道に戻ってきた但馬たちは、うんざりしながらホテルへ急ごうと最後の路地を曲ったところ、行く手の方から何やら男女の言い争う声が聞こえてきた。
繁華街なのだから、そういうこともあるだろうと、あまりジロジロ見ないように通りすぎようとしたのだが……そう思いつつも、但馬は何かが気になって、ふと足を止めた。通りすがりに横目でチラリと見た時、見知った顔がそこにあったからだ。
行き過ぎたクロノアが但馬がついて来てないことに気がついて振り返ると、彼は揉めている男女の方を熱心に見ている。クロノアはてっきり但馬が喧嘩する男女を止めようとしているのだと思い、
「失礼……女性に対し、少々乱暴なのではありませんか? 何か揉め事でしたら、私で良ければお聞きしますが」
但馬が巻き込まれてしまわないようにと、パッと男女の間に割って入った。どこかの護衛とは大違いの反応である。しかし、男は突然口を挟んできたクロノアに腹を立て、
「何だ貴様は! 関係ないやつはすっ込んでろ」
「そうしたいところですが、私も貴族の端くれ。嫌がる女性を放ってはおけないのです」
「……貴族様なら、尚更放っておいてくれ。こいつは俺の娘で、これはただの躾だ。聞き分けがないから説教をしてるだけなんだ」
まさか親子だとは思わなかったクロノアはバツの悪そうな顔をしてから、一応、それが本当かどうか女性に尋ねてみると、
「はい、本当です。ちょっとした口喧嘩だったんですけど……私のことを心配してくださったのですね。ありがとうございます」
助けようとした相手にそう言われてしまってはどうしようもない。赤っ恥をかいたクロノアは苦笑しながら、男に謝罪をしようとした。
ところが、改めて男の方へ向き直ると、その顔がまるで幽霊でも見たような表情に変わっており、クロノアはキョトンとしてしまった。
何かまずいことでもやってしまったのだろうか?
首を捻るが、何も思い浮かばない。よくよく見ると男の視線の先はクロノアではなく、その背後だと気づいた。しかし彼が振り返っても、そこには但馬がぽかんとした顔をしてこちらを見ているだけだった。
すると、男は但馬の顔を見てこんなに驚いているのだろうか?
「は……は……ハル? ばばば、馬鹿な」
但馬は勘違いしたクロノアを止めようと、背後から引き留めようとしていたところだったのだが……
そんな但馬が近づいていくと、それまで不機嫌そうだった男の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。
「これは夢だ……何かの間違いに違いない……う~ん」
そして、そんなことを口走って、男は目を回しながらフラフラと但馬達が来た方向へと歩いて行ってしまったのである。
一体、どういうことだろう? とクロノアが首をひねっていると、残された女性の方が但馬のことを見て、
「やっぱり、ハルお兄ちゃんじゃないの?」
と言って、但馬の顔を下から見上げるようにジロジロと見つめた。
彼女は、数日前にイケメンの取引所で出会った、チューリップの球根を売っていた少女だったのだ。
*********************************
少女の名前はウララと言った。
辺りもすっかり暗くなっていたし、送って行くと言ったのだが、ついさっき父親と喧嘩したばかりなのに、今帰ったらまた喧嘩になるからと、まだ暫くその辺をぶらついてると言うものだから、放っておくのも可哀想だし食事でも奢ってやると言ってナンパした。
とは言っても、但馬とクロノアでは年頃の女の子の相手なんて出来ない。ナンパしておきながら二人して困ってしまったのだが、ホテルでエリックと合流したら、彼は年下の女の子の扱いが上手くて助かった。
シモンやマイケル、アナスタシアといった幼なじみと、小さい頃からよく遊んでいたからだろうか。
そんなわけで四人でタイユバンへと行くと、たまたま食通が店にいて、ご馳走を奢ってくれることになった。
彼は但馬が買った球根の生産者であるウララの顔を覚えていたらしく、彼は店の奥からすっ飛んでくると、彼女の手を握りしめ、ブンブンと嬉しそうに上下しながら、あれで大層儲かったからと言って、ホクホク笑顔で歓待してくれた。
そう言えば、儲かったら奢ってくれと約束していたのを思い出し、どのくらい儲けたのかと尋ねてみたら、目ん玉が飛び出そうになった。どうやら、チューリップ相場はあれからまだまだ上がっているらしい。
さて、そんなこんなでタダ飯にありつけた但馬は、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、少女に父親と喧嘩してたが、一体何があったのかと尋ねてみた。
少女はめったに食べられないような高級料理を一心不乱にかき込んでいたところで、但馬にいきなり尋ねられて思わず喉をつまらせたが、水をごくごくと飲み終わると、
「実は、私たちはエーリス村の出身なんだけど……」
と話し始めた。
この辺の地理には詳しくないはずなのに、どこかで聞いた名前の村だと思ったら、シルミウムが進駐してきてるという、今一番ホットな土地である。
なんと彼女の父親はその村長なのだそうだ。
エーリス村は山奥の小さい村だったが、フラート川の氾濫を防ぐダムがあるため、皇国から直々に依頼され水門の管理をしているそうだった。そのため、村民はみんな皇国民として誇りを持っていた。
ところが村長が金に目が眩んで裏切ってしまったらしい。
始まりは、ダムの管理施設を作るという名目で、外部から人がやってきて、ダム湖の辺りに立派な砦を築き始めたことだった。
何分、古い建物であるから修繕が必要だと常々感じていた村民は、誰も特に不思議に思わずそれを見守った。何より、外からやってきた彼らは羽振りがよく、村に沢山のお金を落としてくれたので、印象が良かったのだ。
エーリス村は土地柄から産業に乏しく、主に農業と畜産物から作るチーズが収入源であるそうだ。リリィが結婚するという噂を聞きつけて、去年からはチューリップの作付もおこないはじめたのであるが、するとそれが意外と当たって村の新たな収入源となった。
だから今年もたくさんの球根を育てていたのであるが、そんなおり、外から来た者達はそのチューリップ畑に目をつけて、どうせならアクロポリスで売りだしてはどうかと勧めたらしい。
販路はたくさんあったほうが良いので、村長はその勧めに従いシルミウムの取引所で売り出した。
すると珍しいチューリップの球根は、あれよあれよという間に値上がりし、信じられない額で売れてしまったのである。どうやらあのチューリップバブルは、シルミウムが一枚噛んでいたのだろう。
ともあれ、一夜にして大金持ちになった村民たちはそれに気を良くし、さらにチューリップの作付面積を増やして、来年の春の収穫を楽しみにしていたのだが……つい数日前、突然、村に軍隊が進軍してきて状況は一変した。
ダムに砦を作ってたのはシルミウム軍だったのだ。
それにしても、こんな大胆な行動がどうして取れたのだろうか。どうも裏取引があったらしく、村長はアクロポリスでシルミウムに歓待され、王侯貴族のような暮らしをしている内に、フラート川の水門を守るという村民の誇りを失ってしまっていたのだ。
軍隊に追い出されてしまった村民は行き場を失い、アクロポリスに来て村長に抗議したが、彼はみんな儲かったのだから良いだろうと言って取り合わなかった。
確かに村民たちの手には、一生かかっても稼げないくらいの金貨が握られていた。しかし、そのお金で故郷を失ってしまった彼らが納得するわけがない。
村長が追いつめられると、今度は激怒する村民たちをシルミウムが出てきて追い払った。可哀想な村人たちは、首都で騒ぎをおこしたかどを咎められ、街から追い出されて散り散りになってしまったそうだ。
ウララは自分が売っていたチューリップにまさかそんな裏があるとは思いも寄らず、また父親である村長がやったことにショックを受け、村民たちに変わって苦言を呈したのだが、すると彼は子供が口出しするなと激怒し、口論になっていたところに、但馬とクロノアが偶然通りがかったのだそうである。
「それじゃ今、村は軍隊の駐屯地にされちゃってるの?」
「うん……村の人達はそう言ってる。ダム湖は大きいけど周囲に何もないから、いくら砦を作っても軍隊が篭もれる程じゃないのよ」
「人数はどのくらい? 目立つ兵科は? 配備はどんな風に……」
「ちょっとちょっと先生。そんな一度に聞いてもウララが困っちゃうだろ」
但馬が興味津々で尋ねていたら、エリックに窘められてしまった。但馬がシュンと項垂れると、ウララはクスクスと笑って、
「私も詳しいことは知らない。自分で見たわけじゃないもの。村の人達に聞けば分かると思うけど……」
「今は聞きづらいもんな」
「うん……」
場が暗くなってしまいそうだったので、但馬は話題を変えた。取り敢えず、こういう時は故郷の話を聞くのが鉄板だろう。ぶっちゃけ、興味もあった。
「エーリス村ってのはどんなとこなんだ? 田舎って言っても、ピンきりだろ」
「本当にど田舎よ。山にあるのはうちの村だけで、あとは物好きな木こりや世捨て人が自給自足で暮らしてるくらいね。村は300人ほどの小さな集落で、周囲の山は険しくて、おまけに凄い背の高い杉の木で覆われているから、地元の人もあまり入っていかない。私達の村はそんな山の斜面を掘って作った、ダム湖へ繋がるエーリス隧道の出入り口にあって、春の間はヤギやヒツジを放牧してるの」
「隧道……トンネルか。ダムは500年位昔に作られたんだっけ?」
「うん。そう聞いてる。隧道はダムを作るために掘られて、今のエーリス村はその時の資材置き場兼土木作業員の宿舎跡だったみたい。ダム建設に従事した人たちが、そのまま住み着いたのね」
「じゃあ、かなり由緒正しい村なんだなあ」
「そうよ。村の人達も誇りに思ってる……それなのにまったく、お父さんと来たら、お兄ちゃんみたいなこと言って……」
お兄ちゃんとは、リディアで死んだらしい但馬に似ているとか言うお兄ちゃんのことだろうか……正直、そっちも気になるので、機会があったら聞いてみたいところだ。それよりも、
「地元民なら周辺の地理に詳しいよな? ちょっと描いて見せてくれる」
「いいけど……」
但馬がそう言ってノートを取り出すと、ウララは上等な紙の束が珍しいらしく、マジマジと見入ってから、おっかなびっくり地図を描き始めた。
あまり期待していなかったのだが、思ったよりも絵心のある彼女の書き出す地理を見ながら、
「ここがダム湖で、この辺の砦があるの?」
「うん」
「で、隧道がこう通ってて、その出入り口に村があると……」
「大きさはこんな感じ」
ウララは自分の描いた地図を指差し、村の境界線をなぞってみせた。
それによると、ダム湖すぐ側は隧道のある山を挟んで開けており、結構な広さの盆地になっていた。集落の家々はその盆地に散らばるように点在するのかと思いきや、ほとんどの家が隧道の出入り口あたりに密集しているようである。
それもそのはず、
「この辺の盆地は、みんなの畑と放牧地なのよ。だから来年の春には、このあたり一面がチューリップ畑になるはずね」
「この広い盆地を埋め尽くす程のチューリップか……さぞかし壮観なんだろうな」
但馬は色とりどりのチューリップが咲き乱れる姿を想像してみた。作り物めいたあの花弁が風に揺れ動く様は、きっと目を楽しませてくれるに違いないが……多分、今の相場だといくらいくらだと考えてしまって、そんなものには目もくれないのだろうなと但馬は思った。
実際、これだけの面積に作付けられたチューリップ畑は、時価総額にしてどれほどになるのだろうか……
「ん……待てよ?」
その時、但馬の脳裏に天啓が閃いた。
ダルマチア子爵アウルムは、シルミウムを商人国家と言った。彼らは重金主義者で、彼らにとって国を強くすると言うのは、金勘定のことなのだ。それが本当ならば、そこに付け入る隙があるのではないだろうか……
そして但馬は、地図をじっと見つめながら、ある一つの考えを巡らせたのである。