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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
242/398

合理主義者の駆け引き

 ガルバ伯爵の家を出た時には陽はだいぶ傾いており、東の空には夜空が広がっていた。


 それでも2つの月が昇る空は明るくて、白い雪が月明かりを反射すると、街灯もないような街なのに、ローデポリスの中央通りよりも輝いて見えた。


 こんな夜なら散歩するのも悪く無いだろう。


 ホテルまで馬車で送ると言われたがそれを辞退し、但馬は徒歩で来た道を引き返すことにした。それに考えたいことも色々あったのだ。


 久々のホームなのだからと、リーゼロッテは屋敷に残り、代わりにクロノアが護衛を買って出て付いてきた。本当なら彼もリーゼロッテと一緒に居たかっただろう。だから、別に護衛など要らないと言ったのだが、クロノアに苦笑交じりに、


「伯爵はあの通りお堅い人物ですから」


 と窘められ、エリックのことを思い出した。


 全く損な性格である。他人の従者にまで口出しするような真面目な性格だからこそ、伯爵はかつて愛した人が目の前で奪われても、傷つけられても、未だにこの国のルールに従おうとしているのだろう。


「閣下はどうなされるおつもりですか?」


 但馬がぼんやりと考え事をしながら進んでいると、その空気を察したのか、目立たないように背後から付いてきていたクロノアが尋ねた。


「リリィ様を助けてくれって言われたけど……具体的に何していいか。場合によっては連れて逃げてくれって言うけどね、だったら伯爵がそうすりゃいいだろ。俺に頼むのは筋違いだ」

「……意外ですね。閣下はリリィ様のことをお友達のように思っておられるのかと」

「もちろん、そう思ってるよ。だが、俺達がこの国に来た目的を思い出せ。戦争を止めに来たんだぞ? リリィ様を助けるってのは、逆に戦争をふっかけるような行為じゃないか」


 そんなことを但馬一人で決めるわけにはいかない。少なくとも、ビテュニアにいるブリジットとウルフには話を通さねばならないだろう。


 ……まあ、恐らくは、現状を知ったらブリジットがキレて、結局戦うことになるのだろうが。


「だとしても、情報収拾を急いでこれからの対策を講じてからだ。また勢いだけで戦争になったら、今度こそ目も当てられない」


 “また”と言うのは、もちろん身に覚えがあったからだ。


 そもそもアスタクスと戦争になった原因であるカンディア併合は、先帝が彼らの陰険な謀略にキレたからだった。


 尤も、先帝はゲーリック家の当主であったし、リリィを狙われた皇国の支持もあったから、当時はこれが最善だと思っていたが、今となって思い返してみれば、これがずっと重荷になっていたのだから、やはり勢いだけで動いてはいけないと反省させられる。


 それにしても、亜人商人がリディアにちょっかいをかけていたのは、この頃からわかっていたはずなのだ。本来ならこの正体を突き止め、少なくとも警戒を怠るべきでは無かったのだが……あの頃、但馬は精彩を欠いていたし、イオニア海交易が好調とあって、大臣たちも忘れてしまったのだろう。


 大体、その正体が、まさか海を越えて大陸も越えた先にあるシルミウムだったとは、思いもよらないではないか。一体、何千キロ離れてるのだ?


「それにしてもシルミウムの狙いは何なのでしょうか……アスタクス方伯もおっしゃってましたが、コルフなどという飛び地を手に入れても仕方ありませんし、ましてや当時のリディアは今と違って危険地帯だったでしょうに」

「それは……多分」


 但馬は言って良いのか一瞬迷ったが、いい加減付き合いも長いし、もはやクロノアを警戒するのは意味無かろうと思い、


「メディアに世界樹があったのは知ってるな? 多分、やつらの狙いはそれだろう。あそこの施設も世界樹と言うだけあって、人類にとってはあり得ないほど有益なサービスを提供してたんだよ」


 つまり、奴隷の供給である。


 当時のメディアの世界樹は、亜人製造装置が稼働し続けており、ポコポコと子供が生まれ続けていた。彼らは従順で人の言うことを良く聞き、学習能力が高く、身体的にも優秀だ。そして多分、シモンの親父さんたちが首ったけになる辺り、人を引き付ける魅力もあったのだろう。


 彼らは奴隷の供給元を失いたくなかったから、リディアを押さえつけておきたかったのだ。当時のリディアは経済成長の真っ最中で、人口も増加して、もう間もなくメディアを飲み込もうとしていたところだった。


「そんなことが……世界の暗部として、シルミウムに奴隷商人が跋扈していたというのはもっぱらの噂でしたが、そこまでだったとは」

「リリィ様を暗殺した後は、それを理由にアスタクス辺りをふっかけて、リディアを奪おうと思ってたんじゃないかな。それでイオニア海に海賊を……シルミウムの船を派遣していた。でも失敗した」


 突如現れた巨大帆船に太刀打ちが出来ず、撤退を決めたシルミウムは、恐らく、全てがアドリア海に消えていったら正体がバレると思ったから、一部の船がフリジアに逃げ込んで、アスタクス方伯に責任をなすりつけた。


 更に、自分たちの関与がばれないように、間者を使って帝国とアスタクスを争わせているうちに、今度はオクシデント制圧に利用しようと考えたのではなかろうか……


「……だとしたら、私は許せませんね。なんとしても、シルミウムにギャフンと言わせねば気が済みません」

「多分、ブリジットも同意見だろうよ。そして、そう考えているのは、なにも俺たちだけじゃないんだろう……ほら、おでましだ」


 憤慨して周囲の警戒を怠っていたクロノアは、但馬にそう言われてハッと振り返った。


 気がつけば、但馬達を中心にして、複数の気配があちこちに散らばっていた。


 但馬が右のコメカミの辺りを叩きレーダーマップを表示する。建物や柱の影に隠れているが、ざっと見積もって20人はくだらない数が、彼らを取り囲んでいた。


 クロノアのアクロポリスでの評判は知らないが、少なくともブリジットに認められるくらいの腕前である。その彼を警戒しての人数と考えるべきだろうか……


 いや……亜人商人のミルトンは、但馬の能力を知っていた。だとしたら、これはみんな但馬を警戒してのことだろう。


 その取り巻きの向こうから、自信満々の笑みを貼り付けた男が、ギュッギュッと雪を踏みしめながら近づいてくる。吐く息がブリザードのように後方へと流れていく。


 見くびられるのは腹も立つが役にも立つ。だが買いかぶられるのは慣れていない。だからどんな顔をしていいか分からず、但馬はただ黙って男を睨みつけた。


 すると男はそれ以上近づくのをやめ、肩を竦めて相好を崩し、


「そんなに警戒しないでください。念の為に護衛を連れているだけで、あなた方に危害を加えるつもりはありません」


 ダルマチア子爵アウルムは、その端正な顔に、女達がうっとりするような微笑を湛えて、但馬に笑いかけた。


「ハッキリ言って虫唾が走る」


 そういうのは女相手にやってくれと言おうとしたら、本音のほうがマッハで漏れていた。まあ、今更取り繕う必要も感じないので、但馬は特に訂正もせずにブスッとした顔を隠さずにいた。


「これは手厳しい。嫌われたものですね……」

「おまえに好かれるような要素など何もないだろう。どの面下げてここに来た」


 するとイケメンは芝居がかった慇懃丁寧なお辞儀をして見せてから、表情を引き締め、但馬の目を真っ直ぐと捕らえ、


「まずは謝罪を。そして、改めて提案に参りました。帝国宰相、但馬波瑠様。どうか、我々のご無礼をお許し下さい。よろしければ、場所を変え、暖かい場所でおくつろぎになって、私のお話を聞いてはもらえませんでしょうか」


 そんなへりくだった態度ですら様になるようなイケメンに対して、但馬はハッキリと嫌悪感を隠さない目つきで言い放った。


「その必要はない。こちらにその意志はない。それに、謝罪というものは当事者の意識の問題であって、そんな上辺だけのものをいくらされても意味は無い」

「そうおっしゃらずに、話だけでも聞いてはいただけませんか?」

「こんなに大勢で取り囲んでおいてか?」

「……これは失礼いたしました」


 イケメンがそう言ってパチンと指を鳴らすと、彼の従者らしき者たちが困惑の表情を浮かべながらも、結局は主人の命令を忠実に実行した。


 但馬達を取り囲んでいた男たちが、蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていく。


「背後に居る3人はなんだ。保険のつもりか?」


 それでも動かない人影を指差して但馬がそう言うと、従者たちは真っ青な顔をして、その未だに潜んでいる者の方へと駆けていった。


 イケメンはその姿を険しそうな目つきで睨みつけながら、


「私の部下がとんだ無礼を。彼らは但馬様のことをよく知らないのですよ」

「ああそうかい。奇遇だな。俺も自分のことがよくわからないよ。おまえは俺のことを良く知ってるそうだけど、良かったら詳しく聞かせてくれないか」


 イケメンは苦笑しながら、


「申し訳ありません。気に障ったのなら謝りましょう。ですが、私も禅問答をしに来たわけじゃありませんので。どうかひとつ、話だけでも……」


 但馬は、はぁ~……っと、長い長い溜息を吐いた。正直、今すぐ助走をつけて殴りつけてやりたいところだったが、こうしていても始まらない。但馬は耳糞をほじりながら面倒くさそうに言った。


「5分くらいなら聞いてやる。言いたいことがあるなら好きにしろ。あいや……やっぱ出来るだけ簡潔に」


 するとイケメンは我が意を得たりと言った顔つきで話し始めた。


 と言っても、彼の話はそんなに難しいことではない。単に、今までのことを水に流して、改めて仲良くしませんかという、向こうにばかり都合のいい話であった。


「まずはこれまでの非礼をお詫びしましょう。我が国の亜人商人が貴国の秩序を乱し、邪な考えであなた方を惑わしたことは、我々の不徳のいたすところでした。また、当艦隊がフリジアに寄港したばっかりに、貴国がアスタクスと戦争になってしまったことも、偶然とは言え我々の不注意が招いたことでした。重ねてお詫び申し上げます」

「ただ謝られてもねえ……」

「もちろん、ただとは言いません。もしも許していただけるのであれば、こちらには賠償を支払う準備があります。それで一つ、水に流してはくれませんか?」


 その開けっぴろげなお願いに開いた口が塞がらなかった……


「……あのなあ、そんなんで許されるんなら、世の中戦争なんか起きねえんだよ。実際、おまえらのせいで戦争が起こってるんだぞ? 死んだ者達の身になってみろ。おまえらの行為は、傷口に塩を塗るようなもんだ」

「では、どうすれば許してもらえるのでしょうか。もし許してもらえるのであれば、我々はできうる限り、アナトリア帝国の意に沿うつもりでいるのですが……」


 しかし、ではどうすれば良いのか? と問われてしまうと、他に方法も思いつかない。但馬は渋面を作るのが精一杯だった。


「許せないのであれば、アナトリア帝国はシルミウムに攻めこむおつもりなのでしょうか。ですが、もしもそうなったとしても、やはり我々はお金を払ってどうか許してくださいと言うことしか出来ません。あなたの国は強すぎますからね……まともに戦っても勝ち目なんかない」

「今まで散々振り回しておいてよく言うな」

「いやいや、それはこちらのセリフですよ……」


 何を言ってやがるんだ、このイケメンは……と、但馬が胡散臭そうな目つきで藪睨みすると、彼は唇の端っこを引きつらせながら、


「普通なら、今頃リディアはガッリア大陸に封じられているはずだったのです。アスタクスはあれでも世界最強の国家だったのですよ? それを蹴散らした上に、焦ってクーデターを起こしても、そんな餌には食いつきもせずに、一直線にビテュニアを落としにきた手腕は、我々には想像もつきませんでした。まるで魔法でも見ているようでしたよ……」


 なるほど、こいつらかすればそう見えるのか……但馬は少し納得しかけたが、すぐに首を振るって気を引き締めた。褒められたところで、彼らがやったことは許せるようなものではない。


「ガルバ伯爵に何かを言われたようですが……本来なら、我々もここまで強引な行動を起こすつもりは無かったんですよ。ですが、あなた方の進軍は早すぎた。調停が始まった時点で、我々の関与が白日の下に晒されるのは必至、お陰で計画を急がざるを得なくなったのです」

「今度は責任転嫁か? 汚い手ばっかり使いやがって、今更仕方なかったで済むわけねえだろ。初めからやらなきゃ良かったんだ、そんなこと」

「ですが、これが我々のやり方なのですよ」


 するとイケメンは、今度は開き直って堂々と言ってのけた。


「あなただって、心から納得は出来なくても、頭では理解しているはずだ。国家に真の友人は居ない。あるのはただ自国を優位に立たせるという意思のみ。従って、敵を陥れるなら、どんな奸計でも厭わず実行すべきだ。我々は、アスタクスという目の上のたんこぶを潰すために、自分たちの流儀を貫いただけです。そして、あなた方に利用価値があったから利用した」


 その通り、ひどい言い草だが理解は出来る。シルミウムは一貫して、自分たちの利益を追求するためにしか動いてない。それが陰謀や奸計と呼ばれるもので、卑怯で、卑劣で、やられた方はたまったものじゃないのだが……


「ですが、その利用価値も敵と潰し合わせるよりは、味方に引き入れた方がずっと良いと改めて考えるようになったのです。ですから、こうして今日はあなたにお願いに参った次第で……」

「……つまり、何が言いたいんだ?」

「以前にも一度言った通り、我々と組みませんか? シルミウム、アナトリア、ロンバルディアでアスタクスを分割するのです。あなたがたの軍事力なら、それが可能だ」

「ふざけんじゃねえ」


 自然と口から言葉が突いて出た。以前、同じ提案をされた時は、何も言い返せなかったのに。それは何故なのだろうか。


「しかし、そうした方が合理的ですよ?」


 イケメンはなおも食い下がる。確かに彼の言うとおりだろう。


 色々なことが判明して、もう憎しみは殆ど無かったが、帝国は未だにアスタクスと戦争中であった。だが、もはや勝っても負けても後味が悪く、賠償金が支払われる保証もない。


 この戦争を急いで片付けて、憎きシルミウムを攻めるにしても、こうも国土が遠いんじゃ、兵站線は伸びきって、ちょっとした失敗で窮地に立たされるのが目に見えている。賠償金を払うと言うのであれば、それで済ました方が絶対にいいのだ。


 それどころか、彼らの提案に乗って、アスタクスを分割するほうがよっぽどうま味があるだろう。


 南部諸侯の独立は保証される。議会はすでにシルミウムが抑えているから、誰にも文句は言わせない。アスタクス方伯を封じることで、ガラデア平原の交易は自由化されるだろうし、その他にも色々恩恵があるだろう。


 だが、それでも……頭で理解は出来ても、納得出来ないことはあるのだ。リリィの顔が脳裏にちらつく。連れて逃げてくれと頭を下げた、ガルバ伯爵の顔を思い出す。勇者の同情、皇王の希望、リーゼロッテの愛情、その他いろんな人の思いがあったろう。だがそんなの関係ない。何が一番嫌かって……


 リリィが、アナスタシアと、同じ顔をしていることだ!


「我々、シルミウムは商人国家です。利益を最大限まで拡大する政策を続けていたまで。貴国には多大な迷惑をお掛けしましたが、これが我々の流儀だと誇りを持って言いましょう……ご一考を」


 そう言うとイケメンは返事も聞かずに帰っていった。


 彼は自信があったのだろう。但馬は、自分自身で思っている以上に合理主義者だ。損をするようなことは基本的にしない。だから、放っておいてもシルミウムの障害にはならないと思ったのだろう。


 だが、そんな但馬は今、殺伐とした目つきでイケメンの背中を睨みつけていた。誰にだって触れてはいけないことがある。彼はいずれ、それを思い知ることになるだろう。


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