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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
241/398

希望の子

 ガルバ伯爵と共に料理店タイユバンを出た但馬たち一行は、通りで馬車を捕まえ分乗して伯爵の私邸へと向かった。


 アクロポリスに来てからは殆ど雪ばかりで、交通機関が麻痺していたから常に徒歩で移動していたが、本来なら市中には乗合馬車が網の目のように巡回しており、移動に困らないそうである。昨日まではどこにも居なかった除雪作業員たちが、今朝からあちこちで忙しなく動き回っていた。


 もっとも、市外に一歩でも出たらやはり馬車は役に立たないので、この近辺の人々の移動手段は、もっぱら馬橇(ばそり)を用いているそうである。あまり聞き慣れない言葉であるが、開拓時代の北海道ではメジャーな乗り物だったようで、競馬ファンならばんえい競馬の名前でお馴染みかも知れない。あれである。


 そういった背景があるからか、この国の馬はハリチのものとは違って、どれも大型で足が太かった。きっと速くはないが、馬力は段違いなのだろう。ノッシノッシと雪を踏みしめながら歩く馬の背中を眺めていると、なんとも頼もしく見えた。


 ガルバ伯爵の私邸は宮殿にほど近い閑静な住宅地にあった。その敷地面積は近所でも最大であるらしい。さすが皇族といったところであろうか。家の前には衛兵の詰め所があり、主人の帰宅に気づくとさっと出てきて敬礼をし、続いて馬車にリーゼロッテの姿を見つけると嬉しそうに手を振った。


 そう言えば、アクロポリスに居た頃は、この家にお世話になっていたんだっけと思いだし、


「リーゼロッテさん、つもる話もあるだろうし、お家の方に挨拶してきたら?」

「いえ、私もすでにアナトリア帝国の将兵の身ですから」


 と言ってガルバと但馬の会談に同席することを望んだ。ホワイトカンパニーは但馬の私兵集団で、軍属というわけではないのだが……もしかしたら、お堅いガルバ伯爵の前だから猫をかぶっているのかも知れないと思い、特に突っ込まないことにした。


 門の前に馬車を止めて、玄関のアプローチを歩いていると、次々とお屋敷の中から使用人が飛び出してきて、恭しく伯爵に頭を下げた。


 ガルバ伯爵のギレム家……と言っているが、本来ならば兄であるシリル殿下が継ぐべきはずの家だったようで、


「スライドして私にお鉢が回ってきたのです。名門といえば聞こえは良いですが、でかいだけで、ただ手入れが面倒なだけの家ですよ」


 と、貧乏人が聞いたら嫉妬で狂いそうになるようなセリフをほざいていたが、使用人の姿をみれば彼が敬われていることはよく分かった。みんながみんな“ガルバ伯爵の”ギレム家とわざわざ言うのは、彼が主人であることをことさら強調しているからなのかも知れない。


 屋敷に入り、使用人に先導されて応接室に入ると、すぐさまコーヒーを持った別の使用人がやってきて、芳しい香りを振りまきながら来客に振る舞ってくれた。


 そんな使用人たちが物音一つ立てずに一礼して去って行くと、ガルバ伯爵はようやく本題に入れると言った感じに口を開いた。


「まずは昨日の非礼を詫びましょう。皇王陛下もリリィも、貴君のことを無条件で信用しているようでしたが、私にはどうしても信じられなくてね。あなたがその……あの時の勇者の生まれ変わりだということが」


 生まれ変わりと言うわけではないのだろうが……説明が面倒くさいので但馬はこっくりと頷いた。


「別に気にしてませんよ。信じられないほうが普通だと思うし。ぶっちゃけ俺もそうだったし。大体、俺の扱いなんて国が変わろうが何しようが、どこまでいっても同じようなものだし」


 但馬は自虐的に謙遜したが、伯爵はピンと来ないのか首を傾げていた。但馬は口角を上げるだけの笑みを作ると続けた。


「それより本題に入りましょう。リリィ様の婚約について、議会が口出し可能ってのは本当なのですか?」

「本当です」


 伯爵は頷くと、少し遠い目をしてから、


「何から話し始めればよいか……皇国が聖遺物を輩出する世界樹を中心として興った国家であることは知っていますね?」

「それならこないだ皇王様から聞きました。1千年前、この地に残された聖女リリィのクローンが興した国ということも」

「そこまで知ってるならお分かりでしょうが、皇室が一つの家系として存続していられるのは、聖女リリィの血筋、特に世界樹へ入れると言う資質があるからです。逆に言えば、その資質がなくなってしまったら、皇室の権威は失われてしまうでしょう」

「ああ……」

「故に、皇室の婚姻は慎重を期さねばなりません。特に皇王は基本的に、資質が最も高い者がなるものですから、次代に資質を引き継ぐ子供を遺しやすいはずです。そんな皇王が自分勝手に選んだ相手と結婚してしまっては、下手をすると皇国の存亡の危機に繋がりかねない。だから、皇王には、確実に次代に資質を残せるような相手と結婚するように、議会が強力に口出ししてくるわけです」

「口出しだけ? 権限を移譲してるわけではないの?」

「はい、当たり前ですが、皇王は皇国の最高位権力者ですから」

「じゃあ、突っぱねようとしたら突っぱねられるんじゃないか」

「ええ。ですが、殆どの場合、皇室は議会の言うことを最大限考慮せざるを得ないのです。皇室は、大昔の出来事のせいで、行政権と国庫を議会に握られています。何か商売をしているわけではありませんから、皇王の収入は議会から枢機院を通じて与えられるものに限られるのですよ」


 但馬は深く頷いた。


「なるほどなあ……ん? でも、議会が配偶者を決めてしまうなら、選帝権ってのは何だったんだ?」

「選帝権は皇太子が皇王として即位する際、その可否を問う権利です。故に、皇太子を決めるときには威力を発揮しますが、配偶者を決めるときは関係ありません。今とは違い、昔は皇王以外の皇族の中にも、資質を持って産まれる子供が多かったのです。その頃の選帝侯は、それぞれ自分に都合のいい子供を皇太子にしようと暗躍していました。今はそれが逆転した格好ですね。尤も、今となっては議会には各国を代表する議員も含まれますから、全く影響がないとは言い切れませんが」

「ふーん……でも変だな。確かに、今代は女皇様だからそうしないと仕方ないかもだけど、男子だったら議会に承認を得るなんてことしないで、ハーレムでも作ったほうがいいんじゃないの?」


 するとガルバ伯爵は天を仰いでからブルブルと頭を振り、実に嘆かわしいと言わんばかりに盛大にため息を吐いてから言った。


「……あなたも父なる主の子、キリスト教徒ではないのですか? そのような発想が出ること自体があり得ない。我が皇国はエトルリア聖教の庇護者にして、敬虔なクリスチャンなのですぞ」


 物凄い胡散臭い目つきでジロリと睨まれ、但馬はタジタジになった。因みに駄洒落ではない。ぶっちゃけ、彼はキリスト教徒では無かったが、この場面でそれを言ってしまったらどうなるか分かったもんじゃないから、言葉を濁して適当に相槌を打った。


 正直、非効率的でしかないと思ったが、何しろヒール魔法の奇跡の前では、この世界がキリスト教に感化されてしまうのは仕方ないことである。その結果、実際に皇室が存亡の危機に立たされたわけだから、バカバカしい話ではあったが……


「そんなわけで、どうせ口出しされるのだから、皇室は大昔から許婚を議会に選ばせる傾向がありました。先代も、先々代も、そして今代の皇王ジャンネットも、議会が決めた相手と結婚したのです」


 そう言うガルバの顔が曇りがちなのは、噂では彼は兄であるシリル殿下と王配の座を争ったからだろうか。ちょっと興味はあったが、下衆の勘繰りは慎むべきである。


「しかし、リリィに関してはその必要がありません。彼女は聖女の生まれ変わりですから、どんな相手と結婚しても、その子供はきっと高い素質を受け継いで生まれてくるに違いない。だから、兄はリリィの結婚相手を今までのやり方ではなく、家柄や人柄、魔法的な能力を重視して選ぼうと……つまり世間一般のやり方で決めようと考えたのです。そして出来るだけ早く若くて優秀な男と結婚し、将来的に沢山の子供を産んでもらいたい。そうした方が彼女の幸せにも繋がると考えたのでしょう。私もそれに賛成でした」


 そう言いながらガルバは遠い目をした。その表情を見ているだけでわかるが、結果は上手く行かなかったと言うわけだ。


「当初、兄がリリィの相手を皇室以外の者から決めると言い出した時、議会は大反対しました。議会はリリィの正体を知りませんし、世界樹を失えば皇国は持たないのですから、当然でしょう。ですが、リリィの見せるあまりに強力な奇跡の数々は、議員たちを黙らせるには十分なものがありました。そして、元々議会議員だった兄の説得によって、彼女なら、血筋を残す相手よりも、能力を残せる相手を選んだ方がきっと上手くいくと思うように世論を誘導出来たのです」


 それは血が繋がって居ないとは言え、存亡の危機を迎えていた皇国に希望を与えてくれたリリィに対して、良かれとおもった親心であった。


 しかし、それをシルミウムは利用したのだろう。


 彼の国は、皇室がリリィの結婚相手を探し始めるや真っ先に手を上げて、周辺に金をばら撒きダルマチア子爵アウルムが選ばれるようにした。


 その本心はどうあれ、行為自体は咎められなかったので誰も不審には思わなかった。皇室と繋がることはメリットが大きいので、貢物をしてでも周りの支持を得ようとするのは、誰もがやっていたことだったからだ。


 それに、アウルムは家柄がよく、見栄えもよく、そして大金持ちだったから、あとは周囲の賛同が得られれば、彼が選ばれるのも時間の問題だった。


 そしてついに昨日、リリィの婚約者としてアウルムが皇室と議会の双方から認められ、婚約披露晩餐会が開かれたのである。


「ところが、そうして後に引けなくなったところでシルミウムは、オクシデントの領有を目論んで進軍を開始したのです。このような卑怯な振る舞いをする相手とリリィを結婚させるわけには行きません。従って、枢機院は反対に回ったのですが、いかせん、先に述べた通り、皇王の婚姻は議会の承認が必要ですから、彼らがシルミウム支持に回ってしまうとどうにもならないのです」


 枢機院とは、宮内庁みたいなものだろうか、宮殿で見かけた従者たちを統括する省庁だそうだ。


 昨日の騒動から一夜明けて、ガルバやその枢機院がリリィの婚約を白紙にしようと動き出したところ、議会は既にシルミウムに抑えられていたようである。おそらくは進軍する前から根回しを終えていたのだろう。


「……そう言えば、昨日の騒動の際にシリル殿下がイケメンのことを見ながら、約束が違うとかなんとか言ってたんだけど」

「あの馬鹿兄貴が、そんなことを言ってましたか……」


 ガルバは、はぁ~……っと、長い長い、落胆のため息を吐いた。眉間にしわを寄せ、彼は首を小さく振りながら、


「恐らくは何かの見返りに騙されたのでしょう。考えられることは一つしかありません。晩餐会を早めるように言われたのです。実は、リリィとの婚約発表は、もっとずっと後の予定だったのですよ」

「そうなの?」

「ええ。何しろ、今はアスタクスとあなた方の国が戦争をしている真っ最中でしょう? そんな時に中央で、やれ婚姻だめでたいなどと言ってられますか。少なくとも、休戦が決定するまでは世間に公表する予定は無かったのです。調停が始まったことでその目処は立ちましたが、それでも急ぐ理由にはなりませんでした。ですが、このところシルミウムは再三に渡って公表を早めるように皇室をせっついており……」


 但馬はチッと舌打ちした。


「調停が始まって、俺と方伯が接触する前に、足場を固めようとしてたってわけか……冷静になって話し合いを始められたら、自分たちが裏工作して戦争を長引かせていたってことがバレてしまうから」

「恐らくはそうでしょう。そうやって、いずれ自分たちが皇室に入るということを世間に知らしめてから、軍隊を進めたわけですな。そうすれば心理的な抵抗が少なくなるでしょうから……彼らは、アナトリアと戦っているアスタクスを支援するためと言って正当化してますが、オクシデント地方の制圧が目的なのは明白です」

「へえ、俺にはアスタクスを分割しないかって提案してきたんだけど」

「……あの下劣な亜人共めが」


 ガルバは、落ち着いた雰囲気の彼には珍しく、吐き捨てるように言った。


 その亜人差別を隠さないストレートな物言いもそうであるが、シルミウムを亜人と言い放つのも気になって尋ねてみると、


「但馬殿はシルミウムのことをどのくらいご存知で?」

「ぶっちゃけ、殆ど何も知らないよ。リディアからは遠すぎるし……」


 但馬がそう言うと、ガルバはむっつりとした顔をしたままシルミウムという国のことを話し始めた。


「シルミウムという国は、かつての勇者戦争時、コルフと共に、いち早く奴隷解放を宣言した国家でした。そして、奴隷解放を拒否したアスタクスが勇者によって蹂躙されてる中、彼を支援していたのがシルミウムなのです。それは長年のライバルであるアスタクスを傷めつける理由もありましたが、彼らの血筋にも関係があります」


 シルミウムは商人国家と言えば聞こえがいいが、その商品には奴隷も含まれていた。


 実は大昔、亜人を奴隷労働力として利用し始めたのはシルミウムであり、漁業が盛んなその土地柄から、ガッリア大陸で亜人を捕まえてきて独占的に売りさばいていたのも彼らであった。アスタクスは言わばその顧客だったのだ。


 そんな彼らの扱う商品である亜人は、以前にも幾度か述べた通り、元々は人間よりも優秀な個体であるから、中には頭角を表すものも出てきた。奴隷商の手伝いをしているうちに徐々に仕事を覚えていき、やがて人間のパートナーとして活躍するものが現れたのである。


 すると当然、人間との間に子供を作る者も出てくるわけだが、アナスタシアがそうであるように、人間と亜人のハーフは必ず人間として生まれる。つまり、シルミウム人は隠しては居るが、亜人の混血が多いわけである。


 そんな亜人ハーフは生まれながらにして差別を受けているから、大きくなってもロクな職業に就けない。そのため、世間には賤業と呼ばれる金貸しになったり、旅芸人になったり、ギャングに身をやつしたりしていったわけだが、得てしてそういった者達は力を持ちやすい。


 シルミウム貴族たちは金に困ると金貸しに頼り、金貸したちは金を貸す見返りに色々と商売に便宜を図ってもらう。そうこうしている内に、気がつけばシルミウムの社会は、亜人商人たちに牛耳られるようになっていったというわけである。


 但馬は思い出した。イケメンと取引所で会話した時、彼が家業を口にすることを憚ったのはそう言う理由があったのだ。


「つまり、初めは奴隷として連れてきた亜人たちと立場が逆転しちゃったのか。それで亜人奴隷の解放に積極的だったんだな。じゃあ、アウルムにも亜人の血が流れてる可能性が……?」

「間違いないでしょう。ですから、私は反対だったのです。しかし、それを証明する手立てもありませんし、今更亜人を差別するような者も居りませんから」

「唸るようなお金の前では関係ないだろうしな……実態はどうあれ、家柄も文句なく良いわけだし」

「それでリリィの婚約者に決まったわけですが……よもや、このような大それたことを考えていようとは」


 シルミウムは皇室の権威を利用して、係争地の実効支配を推し進め、エトルリア大陸に進出したあと、ゆくゆくはライバルを蹴落として世界の王者として君臨するつもりなのだろう。


 それだけを聞くとその野心はあっぱれにも思えるが……


 とにかく、やり方が汚い。多くの関係ないものたちを巻き込みすぎている。


 特に、アナトリア帝国なんかはとばっちりもいいところだった。


 今にして思えば、ミルトンなる亜人商人がメディアの世界樹を利用していたのも、シルミウムがバックに付いていたのだろう。彼らはあの頃からリディアに触手を伸ばしていて、あわよくば国を乗っ取り、亜人奴隷の供給源を永久に確保しようと画策していたのだ。


 それが上手く行かなかったから、今度はライバルとぶつけ、二虎競食させている間に、大陸進出の準備を着々と進めていたのだろう。それは現在実を結び、オクシデント地方は彼らの手に落ちようとしている。


「……私は正直なところ、シルミウムが何をしようが一向に構いません。ですが、リリィがこのような卑劣な輩に嫁ぐのだと思うと、腸が煮えくり返る思いがするのです。なんとかこれを阻止したい、しかし議会を味方につけた彼らに、我々は手も足も出ないのです」


 ガルバが悔しそうに唇を噛みしめる。血が滲んでポタリポタリと服を汚していたが、彼はそれすら気づけ無いようだった。


 それを見ていられなくなったリーゼロッテが寄って行ってハンカチを手渡そうとすると、彼はようやくその痛みに気づいたと言った感じに、自分のハンカチを取り出して口に当てた。そのシルクのような艶のある白いハンカチが、ベッタリとした赤に染まっていく。きっと心の方がずっと痛かったのだ。


 そして彼は、沈黙に支配される室内で、吐露するように昔話を但馬に聞かせた。


「ジャンネットと私達兄弟は幼なじみでした。いえ、同族はみんな兄弟みたいなものでしたから、1つ年上の彼女は私にとってはお姉さんでしょうか。私は、体が弱いくせにお姉さんぶって、いつも私のことを可愛がってくれる彼女のことが好きだったのです。だから子供の頃、いつか彼女と結婚出来たら良いなと漠然と思っておりました。


 ですが歳を重ねる内にそれが難しいことがわかってきます。彼女は皇国に残された唯一の希望で、皇王になる宿命を背負った身。その婚姻相手は議会が決めるのです。いくら私が彼女を好きでも、一緒になるためならなんでもすると言っても、そんなものは何の意味も持たない。


 それでも可能性があるならと、私は彼女の伴侶として立候補をしました。彼女も気心の知れている私の気持ちに喜んでくれたのですが……しかし、私には魔法の才能が兄ほどはありませんでした。結果、私は伴侶として不適格とされ、議会は彼女の相手として兄を選んだのです」


 彼は苦々しそうに言うと、がっくりと肩を落とした。きっとその時のことを思い出しているのだろう。目には薄っすらと涙さえ浮かんでいた。


「本音を言えば、他の誰にとられるよりも悔しかった。しかし、それこそ他の誰かよりはマシだと自分に言い聞かせ、私は彼女の結婚を祝福しました。それに、兄を通してですが、私たちは本当の家族になれたのですから、それで満足しようと思ったのです。ところが……彼女は一人目の子供を死産すると、以降は子供を産めない体になってしまった……


 元々、体の弱い彼女に子供を産めなどと、それも健康で素質を持った赤ん坊を産むまで頑張れなどと、望むのは酷な話だったのです。ですが、皇国は追いつめられた身ですから、どうしても彼女にその大役を押し付けねばならない。その結果、彼女が傷つき、皇国に存亡の危機が訪れてもです。


 悲惨でした。世継ぎの希望が絶たれた枢機院は動揺し、事情を知る議会の重鎮たちは、保身からあらぬことを口走る始末。国民には死んだ子供を生きてると嘘を吐かねばならない。私はそのせいで彼女が傷つき、こっそり泣いていることを知っていましたが、かと言って彼女に掛ける言葉も見つからず、おまけに居所を知っていても、それが世界樹の中では近づくことさえ出来ない。私はこの時ほど、無力感に苛まれたことはありませんでした」


 最愛の人を兄貴に取られた上に、その人は子供を産めない体に……但馬はガルバの心境を慮ると、その苦しみに何も言えなくなってしまった。


 もはや右を見ても左を見ても、絶望しかない状況だった。この時、ジャンネット女皇は死を選ぼうとさえしていたのだ。しかし……


「そんな時に勇者が現れ、リリィを私たちに託してくれた。私は、アスタクスで大暴れをしていた彼のことを誤解していましたから、始めのうちは警戒してリリィのことも愛せませんでした。


 しかし、そんな私に対しても分け隔てなく、叔父上叔父上と慕ってくれるあの不思議な力を持った子に、私の心も次第にほだされていきました。それに、あの子がジャンネットの心を癒やし、皇国に希望をもたらしてくれたことに変わりはありません。私はいつしか彼女のことを本当の娘とさえ思うようになりました」


 ぎゅうっと洋服の裾を摘まれ、隣を見たらリーゼロッテがボロボロと涙を流していた。


 アクロポリスに居た時、彼女はこの家でお世話になっていたらしい。ガルバにとても良くしてもらったと言っていたのは、きっと彼女が勇者の娘で、リリィのことを大事に思っていたからだろう。


 みんな、リリィのことが好きなのだ。彼女はこの国の希望だった。


「その、私達の希望を……私の最愛の娘を、政争の道具として扱うような輩になんか、渡したくない。それがこの国の法を捻じ曲げることだとしても、この国が危機に見まわれようとも……あの子にそんな思いをさせるくらいなら、いっそ滅びてしまえばいい。


 ……兄がリリィのためにしたことは純粋に厚意からでしょう。私もいい考えだと思いました。ですが、残念ながら私たちは世間を知らなすぎた。取り返しの付かないことをしてしまった。私たちに、力がないばっかりに。


 だから、但馬殿……いや、勇者様。もしもあなたに出来るなら、リリィを救ってやってくれないでしょうか。いっそ、あの子を連れて逃げてくれても構わない……あなたがたの帝国なら、皇国全体が相手であっても、敵ではないでしょう?」


 それはとても国のことを思って今まで我慢してきた男のセリフとは思えなかったが、それくらい、彼にとってリリィが大事なことがひしひしと伝わってきた。


 但馬は唇を噛み締めた。


 口先だけなら任せておけと言うことは出来る。だが、それでも確約できない己の立場を考えると、とてもそんなことは軽々しく口に出来なかった。


 ハゲ散らかしたおっさんが、今、恥も外聞もなく、目の前で嫌いな相手に頭を下げているというのに、それでも帝国にとって利益がないからと返事も出来ない自分のことが、但馬はとても悔しかった。


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