単極誘導
朝、シモンが起きだしてくると、但馬が父親と店先で親しげに駄弁っていた。
何がどうしてこうなった?
確か但馬は昨晩、父親にいきなり突っかかられ、更にはシモンとの親子喧嘩に恐々としていたはずだ。仲良くなるような隙は一切なかったと思うのだが……
「……勇者様の命令でマスケット銃は10丁ばかり試作された。俺も試し打ちには参加したのだが、その威力には驚かされたよ。だが、北部大陸は硝石は比較的容易に手に入るのだが、火山が少なくて、硫黄を手に入れるのが難しくてな。何回か試射しただけで結局は使われなかった」
「じゃあ、やっぱり軍隊に配備しようとしてたんですか……」
「多分な。はるか雲の上のことだから俺にははっきりしたことはわからん。その頃には、帝国はもう階級社会が徹底されていて、自由の名のもとにロディーナ遠征を成功させようなんてプロパガンダを延々と続けていた」
「勇者はこっちの大陸へ攻め込もうとしてたんですか??」
「……と言われている。だが、あの優しかった勇者様がそんなことするとは到底思えんし、意気軒昂なのは、何故か殆どが反亜人の連中だったんだ……勇者様の奥方は亜人なのだが……そうこうしているうちに、首都でクーデターが起きてな。帝国はいくつにも分裂して、各地で争いが起きた。そして俺達はあの土地を捨てて逃げてきたんだよ……」
勇者は亜人と結婚してたのか……これは初耳だった。晩年の彼はおかしくなったと聞いたが、彼がおかしくなったのか、それとも彼の周囲がおかしくなったのか、どうやらシモンの父親の話では、良くわからないらしい。この世界の亜人に対するスタンスも良くわからないので、勇者に関する評価はまだ下さないでおいたほうがいいだろうか。
そんな感じで話をしていると、シモンがひょっこりと現れた。
「……なんで、あんたら仲良くやってんの?」
「さっき散歩中の親父さんと偶然会って、新年のあいさつしてたら流れで。つーか、別に俺たちは喧嘩してたわけじゃないからなあ」
父親が同意するようにコクリと頷く。シモンはなんだかすっきりしないのか、かと言って喧嘩するよりはずっといいので、まあいいかと、苦いものを噛まずに無理矢理飲み込んでるような、複雑な表情をしていた。
「それよりシモン、昨日は頼みそこねちゃったんだけど、仕事だ」
「ん?」
「また水車で使う新しい機械を作って欲しいんだよ。設計自体は簡単だけど、回転軸の接触部がちょっとでも曲がると困るから、その点は慎重にやってほしい」
「どんなんだ?」
シモンに機械の発注をすると、細かい注文をつけるために、そのまま工房にこもって二人で機械の制作を行った。途中で父親に助言をもらったりして、やがてそれなりのものが完成すると、二人は早速動かしてみようと水車小屋へ向かおうとした。
「……え? 親父もついて来るの??」
「ああ。おまえが作った紙という物を見せてみろ。本当に出来てるんならな」
「まあ……出来てるけど。なんでそんな上から目線なの?」
授業参観で親が教室の後ろに並んでるような心境だろうか。シモンはなんとも形容のしがたい嫌そうな顔をしていたが、それなりに思うところもあったようで、特に文句も言わずに受け入れた。
どちらかというと父親のほうが少し緊張気味に見えた。話の経緯からすると、その気持は分からなくもない。
親子を連れて、今となってはもう通い慣れた道をテクテクと歩いた。目的地が水車小屋と言う名の売春宿であるから、通い慣れたと言ってしまうとあれであるが……とまれ、新年だと言うのに、初日から相も変わらず物乞いに精を出す乞食を尻目に水車小屋までやってくると、
「あら……珍しいわね。いらっしゃい」
と、普段より少し真面目なトーンでジュリアが来客を迎えた。シモンの父親はご無沙汰していますと小さくつぶやき、目礼をして室内へと入っていった。
元々、ここのメンテナンスは彼がしていたそうだから案内はいらないんだろう。彼に続いて中に入る。そして暗い廊下を右へ左へ曲がりくねりながら、やがて日の差すドアにたどり着く。
水車小屋の動力室に入ると、ここ数日はお馴染みになったアナスタシアと娼婦の子供たちが、手持ち無沙汰に但馬を待っており、彼が姿を表したのを見るや否や、おせえんだよこの野郎と、容赦なく蹴りを飛ばしてきた。
アナスタシアは、但馬たちと一緒に入ってきたシモンの父親に気づくと、珍しく少し驚いた表情を見せた。多分、売春婦になってしまってからも、この国に帰ってきてからも、初めて会うんじゃなかろうか……まるでキャバ嬢が父親と出食わしてしまったかのような……例えが例えになってないが、なんとも言えない気まずい空気が流れた。
実際、どんな心境なのだろうか。二人は見つめ合ったまま、むっつりと口をつぐんで黙りこくっていた。
だが、やがてアナスタシアが先に、感情がフラットな彼女らしく、いつもの眉間だけ皺の寄った複雑な無表情を作ってみせると、軽くちょこんとお辞儀して、何事もなかったように昨日作っておいた紙を取って戻ってきた。
但馬はそれを受け取ると、
「おお、ちゃんと出来てるじゃん」
と言って、未だにドギマギしているシモンの父親に手渡した。
彼は受け取った紙を裏表にして、ためつすがめつ確かめては、うーんと低い唸り声を上げていた。隣で息子がドヤ顔を決めているのだが、そんなのも気づかないくらい緊張した面持ちで、なおかつ熱心に見ている。
低木でパルプを作ったものは結局和紙みたいなものだから、昨日のサトウキビと同じくらいに、しっかりとしたものが出来上がっていた。
そして、砕木パルプの方も特に問題なく紙になっていた。ただし表面が茶色く、古紙のようにペラペラしていて安定性に欠ける感じだ。まあ、くしゃくしゃと丸めて揉んでみれば柔らかく、ケツを拭くには都合が良さそうだったのだが……
何故、こんな風に柔らかいのか? 砕木パルプのように機械的に処理しただけのパルプは、繊維の結合が弱いのだ。
樹木の細胞は主にセルロース、ヘミセルロース、リグニンと呼ばれる高分子で形成されているのだが、このうちリグニンという分子は、木部という木を頑丈たらしめている組織に多く含まれるものであり、これがパルプ内に残っていると、セルロース同士の繊維の結びつきを阻害してしまう。
樹木は年々太くなっていくが、これは樹皮のすぐ内側にある細胞の分裂活動によるものである。この細胞組織は、外側に木が成長するのに必要な栄養を運ぶための師部というものを作り、内側に木部を形成する。木部は簡単にいえば死んだ細胞で、硬く、木を支える骨のような役割を担っている。
ところで、低木であれば木部は通常、木の皮のすぐ内側に固まっており、樹皮を剥いてしまえば殆ど除去出来るのだが、大木はそうはいかない。大木の成長は、春から夏にかけて一気に成長し、冬に葉を落として冬眠状態になることは誰もが知っていることだろう。この季節による成長スピードの違いによって、木には年輪が刻まれるわけだが、困ったことにこの年輪に木部が残ってしまうのだ。
年輪だけを避けて木を削りだすなんてことは難しく、結果的に大木由来のパルプはリグニンが大量に混入してしまうわけだが……ところで、もしも、このリグニンだけを除去することが出来ればどうだろうか?
「出来るの?」
「出来る。そのために今朝、仕掛けを作ってもらったわけだ」
その方法とは、苛性ソーダ、いわゆる水酸化ナトリウム水溶液で煮込むことだ。これを蒸解というが、これによってパルプ中のリグニンは除去され、黒液と呼ばれるタール状の液体として抽出される。また、使用した水酸化ナトリウムは、この作業にだけ必要な物なので、パルプと黒液を取り出して残った水溶液は、何度でも再利用が可能である。
さて、この水酸化ナトリウムの精製方法は、以前に述べたとおり、食塩水の電気分解から得ることが出来るわけだが、
「電気……ってなに?」
珍しく、アナスタシアから質問が来た。基本的に必要なこと以外喋らない子であるが、本当は水車動力や機械に興味があったのかも知れない。思えば、この水車は彼女の亡くなった父親が使っていたものである。
「電気ってのは、要は雷のこと。空がビカビカって光るだろう? あれのことだよ」
「……雷が降ってくるのを待つの?」
「いや、そんな悠長なことはしてられないから。簡単に言えば、人工的に雷を作り出すんだよ」
電磁誘導。ハンス・クリスティアン・エルステッドにより発見され、後にマイケル・ファラデーによって体系化された電気と磁気の法則。磁界内で運動する伝導体は、その磁界と直行する向きに電気を生じる。また、その逆も成り立ち、電流の周囲には磁界が発生する。小学校の理科の実験で、鉄心に銅線を巻きつけたコイルに電気を流し、電磁石を作った経験は誰にでもあることだろう。
この際、流れてるのは電流で、誘導されるのは磁力であるが、それじゃ今度は逆に電気を流さず、コイルの鉄心に磁石を近づけたり遠ざけたりしたらどうなるだろうか? その場合は電気が生じるのだ。電気と磁気は相互関係があって、お互いに誘導しあう性質がある。これを利用したのが発電機の仕組みなのである。
ところで、ここで一つアイディアを出そう。今度はコイルではなく、静止する磁界内で鉄の円盤を回転させたとしたら、一体どうなるだろうか?
この場合、円盤の中心点と外周部に電位差が生じるのだ。これは単極誘導と呼ぶ原始的な直流発電法なのだが……この円盤発電には極めて興味深い特徴がある。即ち、
・磁石を固定して円盤を回転させると電気が流れる。
・円盤を固定して磁石を回転させても電気は流れない。
・磁石と円盤を一緒に回転させると電気が流れる。
特に、この三番目の特徴は直感的にも理解し難いだろう。理解し難いついでに言えば、逆に止まってる円盤に電気を流せば、円盤がモーターのように回転しだすのである。これを単極モーターと言うのであるが……
「まあ、今はモーターのことは置いておいて……百聞は一見にしかずだから。今朝作ってきた機械を動かしてみようか」
シモンと作ってきた装置はシンプルな作りだ。鉄の円盤を、リング状の磁石で挟み込む。それを絶縁体のゴムを使って貼り付ける。そして中心に車軸として、鉄心をくっつけてコマ、もしくは画鋲のような形にする。
後はそれを水車動力で高速回転させるのだが、この中心部から伸びている鉄心は導体だから、鉄心と円盤の外周部にそれぞれ銅線を接触させると、
バチバチバチバチッ!!
と、火花が散るという寸法だ。
「これが電気。今、この導線内に電気が……雷の成分っていうのかな? が通り過ぎたの。それが空気中で火花を散らした」
「……先生、こういうのって、どうやって知るの? 紙だけでも十分凄かったのに」
シモンが目をパチクリしながら呆れるように言った。日本人をやってれば高校で習うんだが、そんなこと言っても仕方ないので、但馬は苦笑しながら、まあ、ちょっとね……と言って誤魔化した。
「それで、これを使って何をするの……?」
とアナスタシアに問われる。
やることは決まっている。電気分解だ。
とりあえず、まずは飽和食塩水を作ってくれと、港で手に入れてきた塩を渡し、適当な鍋に作ってもらった。
その間にシモンと作った単極発電機に接触させる銅線部分を、安定のために銅板で作ったブラシに変え、そこから伸ばした銅線の先に、グラファイトを粘土で固めて焼成した炭素棒、要するに鉛筆の芯を繋いで、それを作っておいてもらった食塩水につける。
すると、やがてブクブクと沸騰するかのように、炭素棒の周りに気泡が生じはじめた。
「この気泡は有毒だから、窓開けて換気してね?」
と言うと、顔をくっつけるように珍しそうに見ていたアナスタシアが、慌てて窓を開けに飛んでいった。
食塩(NaCl)は以前にも述べたとおり、水中ではNa+とCl-というイオンの状態で溶けている。水(H2O)自体も、液体としてはH+とOH-というイオンの状態で存在しており、これらが電極の+-に引き寄せられると、+側ではCl-が電子を放出して結合し、塩素ガスが発生する。そして-側ではH+が結びついて水素が発生する。
この結果、水溶液中はどんどんH+とCl-が失われていき、やがてNa+とOH-だらけになって、最終的にその2つが結びついて、NaOH、水酸化ナトリウムが生成されるわけであるが、
「まあ、実際は塩素が水に溶けるんで、正極側で次亜塩素酸ってのが発生して、出来上がるのはその混合液なんだけど……」
その出来上がった溶液を、水で希釈してからさらに電気分解していくと、どんどんどんどんCl-が放出されていき、やがては水酸化ナトリウム水溶液だけが濃縮されて出来るというわけだ。
本来なら、アスベストや水銀、イオン交換膜という膜を用いて、この次塩素酸と水酸化ナトリウムが混ざらないようにするのだが、ないものは仕方ないので、遠回りではあったが、但馬はこの方法を用いた。
リグニンを抽出する溶液は、一度作ってしまえば何度でも再利用が可能なので、多少時間がかかっても問題無いだろう。
そう考えていたのだが、やはり見ている方は飽きるのだろうか、
「もっと早くする方法はないのか?」
とシモンが言う。
「電圧を上げればもう少し早くなると思うけど……上げ過ぎると電極が持たないだろうしな。早くなってもあとちょっとって感じじゃないか?」
「どうすりゃいいんだ?」
「円盤を大きくするか、回転を早くするか、磁石を強くするか、この3つだ」
「うーん……この水車じゃ、これ以上は難しいな」
コイルを用いて電磁石を作り、磁力を強くしていくという方法もあるが……正直、皮膜はゴムを使うしかないし、十分な巻数を稼ぐのが難しそうだ。
そんなことを考えていたら……
「……もっと、力強い水車があればいいのか?」
この小屋に来て、殆ど喋らずにじっと息子たちの作業を見守っていたシモンの父親が、おもむろに声を発した。
その場にいた全員が振り返る。
その注目に、一瞬、たじろいだ父親であったが、すぐに気を取り直すと、
「このすぐ近くにあるんだ……もしかしたら、君なら役に立ててくれるかも知れない。ついて来なさい……」
そう言って、彼は返事も聞かず、水車小屋から外へと歩き出したのだった。