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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
239/398

正義の味方

 賑わう会場から外へ出ると、城へと続く回廊は肌に突き刺さるような寒さだった。


 背後の分厚い扉がピタリと閉じると、中の喧騒ももう聞こえてこない。晩餐会場であるホールを警備する近衛兵らしき兵士の横を通りすぎて、コツコツと床を鳴らしながら進んでいくと、ふと、自分の足音に別の足音が重なっていることに気がついた。


 立ち止まって背後を振り返ったら、アナスタシアがパタパタと駆け寄ってきた。侍女に紛れてこっそり覗いていたのだろう。彼女は但馬の横に並ぶと、


「……先生、いつダンスなんて覚えたの?」

「元から知ってただけだよ。小さいころ、バレエやってたからね」


 正直、思い出したくない記憶だったが、そのお陰で、宇宙飛行士になってから上流階級(ハイソサエティ)な会合では重宝がられたから、文句も言えなかった。今日やったようなスタンドプレーに走ると、みんな確かに喜んでくれた。それが自分の母親の姿に重なって、少し寂しかった。


 但馬がそんな記憶を回顧していると、アナスタシアが非難がましく続けた。


「リリィ様が困ってたよ。あんなに振り回した挙句に放置したんじゃ可哀想じゃない」

「……そう? みんな、リリィ様と仲良くしたいんだよ。その切っ掛けになったんなら良かったじゃないか」

「リリィ様はそんなの望んでないと思うけど。お姉さまが婚約者の人の邪魔しにいったら、ホッとした顔してたもん」

「あの人も大概だなあ。騒ぎを起こさなきゃ良いけど」

「……先生はリリィ様の結婚に賛成なの?」


 もちろん、そんなわけはない。イケメンの顔を思い出すだけでムカムカする。もしも可能ならばぶち壊してやりたいところであるが、しかし……


「そうだね。悪い話ではないと思うよ。皇国が方伯たちと血縁を深めるのは、この国にとっていいことだろうし、シルミウムは金持ちだそうだから、リリィ様の相手としては不足はないでしょう。そもそも、これは他国の問題なんだから、帝国宰相である俺が首を突っ込んでいいような話じゃないしね」

「……先生は、本当に帝国の人になっちゃったんだね」

「俺はずっとリディア人だったけど?」


 するとアナスタシアはゆっくりと首を振り、


「嘘だよ。初めて先生に会った時は、どこから来たのか分からない、得体のしれない異邦人だった。やることなすこと滅茶苦茶で、みんなに迷惑ばかりかけていた」


 その言い草に思わず苦笑が漏れた。


 確かに、彼女の言うとおりだった。自分はどこから来たのか自分でも分からない根無し草で、日々をのんべんだらりと暮らすことを夢見て、あぶく銭を稼ぐ算段ばっかり考えていた。


 あの頃のことを思い返すと、懐かしくも思う。しかし、自分の正体が何者であるかが分かった今では、もうそんな風には思わなかった。


「いつか、先生が話してくれたことは本当だったんだね。この間の女皇様のお話を聞くまでは、先生が熱に浮かされて言ったのか、もしかしたら夢だったんじゃないかなって思ってたんだけど……」

「……もしかして、今まで信じてくれてなかったの??」

「だって、信じられないじゃない」

「そりゃまあ、確かに……」


 但馬は、うんうんと頷いた。


「だから、本当は何度も確かめようと思ったんだけど」


 アナスタシアもどこまで彼が本気だったのか、あの後何度が確かめようとしたようだった。だが、あまりにも荒唐無稽な話で切り出しにくく、ブリジットという恋人がいる手前、二人だけの秘密の話と言うのもしにくかった。


 だからこうして彼の言葉を追認するような出来事が出てきて、彼女は驚いているらしい。


「この世界は、本当に一度滅んじゃったの? 確か、遠い空の星が爆発したんだっけ」

「ベテルギウスね。夜空に輝く三連星の左上の方に、とても明るい星があったんだ」


 但馬がそう言うと、アナスタシアは眉をいっそう顰めて、


「空にはあんなに沢山の星があるのに、またいつ爆発するか分からないよね。そうしたら今度はどうなっちゃうの?」

「いやいや、星が爆発すること自体はよくあることなんだ。今も宇宙のどこかで起こってる。問題は、それが地球の近くで起こること。その星が太陽よりもずっと大きいこと。そして、その自転軸がこちらを向いていること。それだけの偶然が重なることはまず無いから、今後数十億年経っても、もうあんなことは起こらないだろうよ」


 尤も、そんなあり得ないことが起きてしまったから、こんな未曾有の大災害になってしまったわけなのだから、今後起こりえないとは言い切れないわけだが……可能性がほぼゼロの危機に備えておくなんてことは出来ないから、やはり気にしても始まらないだろう。


 それよりもベテルギウスがまた悪さをするほうが可能性としてはあり得る。三連星の左上には、今はポッカリと穴が開いているが、そこには目には見えないガンマ線パルサーが存在するはずなのだ。


 その不規則にガンマ線を放出するパルサーが、またいつ地球に向けてガンマ線を飛ばしてくるかは未知数なわけで……


「……ん?」


 但馬はふと、違和感をおぼえた。


 月が離れていってしまったのは、ガンマ線の影響なのだろう。その元凶を放置したままでは、新しい月を持ってきて安定させたところで、また同じことが起こってしまうではないか。


 いや、そもそも、パルサーが発するであろうガンマ線の放射に、地上に居る自分たちはどうして耐えていられるのだろうか。普通に考えてあり得ない。


 もしかして、元凶はもう排除したのか? でも一体どうやって?


 但馬が新たな謎に頭を悩ませている横で、アナスタシアの方は逆にホッとした顔をして、


「そっか、もう起こらないんなら安心だね」


 そう彼女がいうから、但馬はそれ以上何も言えなくなった。まあ、現状、何も起こってないのだから、気にしても仕方ないのだろう。その点も含めて、また調べてみれば良い。


 二人が肩を並べて回廊を歩いて行くと、やがて分かれ道に達した。そのまま行くと、二人は別々の方向に歩いて行く事になるのだが……


 二人はどちらともなくそこにあった椅子に並んで腰掛けると、会場と城を忙しなく行ったり来たりする侍従たちの姿を見ていた。話しかける言葉は何もなく、ただ沈黙だけが場を支配した。


 リディアで別れてからかなりの時が経っていた。こうして異国の地で再会したのだから、積もる話があるだろうに、二人はあの日ビテュニアで再会してから今まで一度も、どこかで会って話すようなことはしなかった。


 無視するのも何だから、但馬は一度食事にでも誘ってみようと思っていたのだが、いつも何を話して良いのかと気後れして、今まで先延ばしにしていたのだ。でも、こうして二人っきりになっても、出てくる言葉は何もない。


 アナスタシアと暮らした日々は、今でも鮮明に思い出される。いつも食卓で眉毛だけ困った顔をした彼女に、ああでもないこうでもないと一方的にぺちゃくちゃおしゃべりをしていたはずだ。今までこんなことは無かったというのに、どうしてこんなふうになっちゃったのだろうか。


 どんなに言葉を探しても、息が詰まるだけで何も出てこないから、だから但馬はもう帰ろうかなと腰を上げかけた。


 しかし、そんな時だった。


「ねえ、先生」

「……なに?」

「リリィ様は、本当に聖女リリィ様の生まれ変わりだったんだよね?」


 クローンを生まれ変わりと言ってるのであれば、そうであろう。但馬は黙って頷いた。


 すると彼女は一拍置いてから、恐る恐るといった感じで呟いた。


「どうして、私はリリィ様とそっくりなの?」


 聖女リリィは自分の体がボロボロだと悟ると、このエトルリアの世界樹で自分のクローンを作った。だがそれが失敗だと悟ると、今のティレニアの地へと旅立っていった。


 その後、何がどうなったかは分からない。


 ただ、ランの話では、今でもティレニアの世界樹では聖女リリィが生きており、そんな彼女を世話するための巫女という人物が、そこで共に暮らしていたそうだ。


 その巫女というのが、もしもクローンだったとしたら……


 その巫女と駆け落ちしたと言う、シホウ家の当主との間に子供が生まれていたとしたら……


 きっとリリィとそっくりの女の子に育ったかも知れない。


 ランにそんな話を聞かされてからずっと、但馬はそれをアナスタシアに話してあげることが出来ず、ずっと目をそらし続けていた。


 それが彼女との間に溝を作っている原因であったのだが、彼はこの期に及んでもまだそれに気づけずに、彼女の質問にじっと沈黙で答えることしか出来なかった。


 アナスタシアは、そんな但馬が何かを隠していることに薄々勘付いており……しかし、勘付いていても何も言えなくて、二人はまるで気の乗らないお見合いにでも無理やり連れてこられた男女のように、目の前に居ながらお互いが別々の方向を向いているという、なんとも無駄な時間を過ごしていた。


 すると、そんなときであった。


「ふんっ……皇女の婚約パーティーを行ってるそうじゃが、儂を呼ばんとは失礼千万と、文句を言ってやるつもりでこうして直接乗り込んできてみれば……よもやこんなところに羽虫が紛れ込んで居ようとは。ギレム家め、儂を馬鹿にしおって!!」


 晩餐会には似合わない、カチャカチャと甲冑の音を響かせて、数十人の男たちが列をなして会場の方に……つまり但馬の方へ歩いてきた。


 その先頭を進む老人の眼光がギラリと但馬を捉える。彼は躊躇すること無くズカズカと但馬の前へと躍り出た。


「ビテュニア殿! ビテュニアど……の、あ~……」


 老人を追いかけて、シリル殿下が必死に後の方から駆けてきたが、彼は但馬の姿を見つけるや、あちゃ~……っと顔をしかめ、酸っぱいものでも含んだような表情をして見せた。


 但馬は彼を見下ろす老人のあごひげを、ポカーンと馬鹿みたいに口を半開きながら見上げていた。


 突如として現れた老人が血がにじむくらいに歯を食いしばり、憎しみしか篭っていないような憎悪の視線を投げてきたことに驚いていたわけではない。


「但馬波瑠めっ!!」


 何しろ相手が但馬のことを心底憎んでいることは知っていたのだ。だから、あんまり会いたくないと思っていたし、もし次に会ったらどんな顔をすれば良いだろうかと思っていた。


 その相手が、案の定目の前で、憎悪で煮えたぎった目つきを但馬に向けている姿を目の当たりにしているのにも関わらず、なんだか自分がひどく冷静だったことに驚いていたのだ。


「よう、爺さん。ヴェリア砦以来だな。元気そうじゃねえか」


 但馬が椅子に座ったまま、表情も変えずにそう言うと、目の前の老人……アスタクス方伯は顔を紅潮させ、もはや堪忍袋のおが切れたと言わんばかりに腰に佩いたサーベルに手を置いた。


 それを見ていた周りの者達が、ハッとなって彼を止めようとしたが、


「ミダース!!」


 しかし、そうするよりも前に、耳をつんざくような怒号が辺りに轟いて、方伯はすんでのところで剣を抜くことを(こら)えた。


 方伯の背後から、その大砲の音すら凌駕する大声の主、ブレイズ将軍がぬっと姿を現した。彼は方伯が掴む剣を強引に引っこ抜くと、


「ミダース様、宮中ですぞ。ここで剣を抜く意味をお忘れか」


 彼はそう言って方伯の剣を奪うと、但馬の方を見てバツの悪そうな顔をしてみせた。こんな場所で、こんな立場同士では会いたくは無かった。但馬も苦笑いを返す。


 その姿を見て方伯は苛立つように、


「ええいっ! ブレイズよ! お主はどちらの味方なのじゃ!」


 と言って将軍のことをぎろりと睨むと、ついでとばかりにその隣に居たシリル殿下の方を向き直り、


「それからシリル! 貴様、皇女の婚約披露を兼ねた晩餐会に、皇国の忠臣である儂を呼ばずに、よもや敵国の小僧を招くとは……ギレム家はアスタクスを見限ったと言うことじゃな?」

「とんでもない。貴兄を呼ばなかったのは、諸々の事情があってのことだ。そして彼が居たのはたまたまだ」

「そんな言い訳が通用するか! これは議会にかけてでも正してもらうぞ……ギレム家はアナトリアにしっぽを振ることで、皇国のプライドを捨てたのじゃ」

「決してそんなことはない。確かに今日の晩餐会は娘リリィの催しであるが、同時にシルミウム伯の息子のものだったのだ。伯と仲が悪いあなたを誘ったところで、色よい返事など返ってくるはずがないと思ったのだ」

「それは儂が決めることじゃろうがっ!」


 方伯と殿下が口論を続けている。但馬はそれを白けた気分で眺めていた。


 二人のやりとりを聞いててわかったことだが、どうも今日、宮殿の方で調停のための会談を行っていた方伯は、リリィが晩餐会をやっていることに気づいて、どうして自分が呼ばれないのかとへそを曲げたらしい。


 言うまでもなく、それは但馬が出席していて、もしこの二人が会場で鉢合わせしたら大変であるからだったのだろうが、本当の理由なんて言えやしないから、シリル殿下は色々と理由をつけて断っていたらしい。


 だが、その煮え切らない態度に何かを感じ、方伯がこうして乗り込んできてしまったようである。


「あのさあ、どうでもいいんだけど、何かあるとすぐ大事にしようとして喚き散らすのやめたら? そんなんだから、みんなに煙たがられて、呼ばれなかったんじゃないの」


 激昂する方伯と、それをしどろもどろに交わす殿下を見ながら、但馬がポツリと呟いた。


「なんじゃと!?」

「この国に来てから、いろんな人からあんたの悪口ばっかり聞いてるよ。方伯は偉そうで、偉そうで、偉そうだから、みんな大嫌いなんだって。大声だして、誰かに言うことを聞かせても、そんなの一時的なものにしかすぎないだろ。もういい年なんだから、それくらい分かれよな」

「ウギギギギギギギ……」


 血管がブチ切れそうなくらい顔を真っ赤にした方伯が、今度は殴りかかってこようとして手を上げた。なんだか、但馬が想像していたよりも、ずっと短気でしょうもない爺さんだったなと思いつつも、対処しようと体内のマナを循環させはじめたら……慌ててアナスタシアが間に入って彼を止めた。


「ミダース様、やめて。先生も挑発しないで」

「別に挑発のつもりはないんだが……」


 但馬が肩を竦める。


 方伯は間に入ってきたのが、初めは誰だか分からなかったようであるが、


「誰じゃ貴様……むっ……アナスタシアではないか。そうか……そう言えば、皇王陛下の側仕えになったと聞いておる」

「なったつもりはないけど……それよりミダース様。もう怒るのはやめて。体に障るし、それにビテュニアで約束したじゃない」

「……約束じゃと?」

「リリィ様を連れてきたら、話くらいは聞いてくれるって。その約束通り、リリィ様が戦争を止めてくれたんだから、今度は先生の話も聞いてほしいの」

「むぅ……」


 すると方伯はそれまでの騒ぎが嘘みたいに、まるで借りてきた猫のように大人しくなった。もしくはイメージ的には孫にねだられる爺ちゃんだろうか。確か、彼はアナスタシアに命を助けられたらしいから、それを恩に着ているのだろう。


 何を言われても我を通すことばかりを考える頑固ジジイのその急変ぶりに、旧臣であるブレイズ将軍まで唖然としている。


 この国に来てから、何度もアナスタシアに助けられるなと、但馬は苦笑しつつ……


「ずっと個別会談ばかりしてても埒が明かないと思ってたところだ。どうせ、こんな廊下での立ち話なんて、誰も聞いちゃいないし記録にも残らないんだから、ちょっと言いたいことを言ってみたらどうだ」

「ふんっ……口の聞き方を知らぬ小僧が。いや、常識も知らんかったな、但馬波瑠などと、とんでもない偽名を名乗りおって、しかもそれが定着してしまった」


 偽名じゃないんだが……そう思いつつも、訂正するのも面倒なので、但馬は適当に流して続けた。


「いい加減、戦争を始めてからかなりの時が経つ。どちらもそれなりに疲弊していると思うが、そっちには戦争を止める気はあるのかよ」

「当たり前じゃろう。無駄な血は一滴も流すつもりはない」

「なら何故、ビテュニアが包囲されてもまだ戦おうとするんだ。ハンスゲーリックの主砲を見ただろう。あれを撃ち込まれたら、城壁なんかひとたまりもないぞ。子供にだって分かることだ」


 但馬がそう言ってジロリと睨むと、方伯はそれを真上から見下すように受け止め、苦々しそうにフンッと鼻を鳴らした。そして、立ち上がったアナスタシアと入れ替わりに、ドスンっと椅子にふんぞり返ると、


「若いの。物事にはな、例え死んだとしても引けぬことがある。我が臣兵は屈辱に晒されるくらいであるならば、最後の一兵になろうと死ぬまで戦う覚悟があるのじゃ」


 嘘つけ、散々逃げまわりやがってと、但馬は皮肉ってやりたくなったが、それをぐっと堪えて、


「あんたらがどんな覚悟をしようと勝手だけどね、もう被害は軍だけに留まらなくなっているだろう。無辜の民が可哀想だと思わないのか」

「それでも引けないものがある」

「何がそんなに気に入らないんだ」

「それは我らが正義だからだ」


 すると方伯はジロリと目だけを但馬に向けた。


「我がビテュニアは、初めから一貫して正義の味方じゃった。それをお主らが一方的に傷めつけて回っているのだろう。ここで引いては騎士の名折れじゃ」

「正義……正義っつったか?」


 よもやそんな言葉が出てくるとは思わず、但馬は腸が煮えくり返りそうになった。


「あんたらのどこに正義があるっつーんだ。元はと言えば、そっちがちょっかい掛けてきたから、帝国は仕方なく大陸に軍を派遣したんだろうが」

「何を言う。おまえらがいきなりカンディアを侵略したのがそもそもの始まりであろう。儂はカンディア男爵から直々に救援を依頼されたから兵を出したまで。するとお主らはフリジアにまで牙を剥き、ついにその野心を大陸に広げてきたのではないか」

「バカバカしくて話にならねえ。大陸なんて最初から見向きもしてなかったよ! あの時、こっちは未知なる大洋の向こう側へと目を向けてたんだ。それを邪魔しくさりやがって……ブリタニアの発見に何年かかったと思ってるんだ。こちとら世界の海を股にかけた大帝国だぞ。今ではガッリアの森さえその手中に納めてる。こんなちっぽけな土地にしがみついてるあんたらとはわけが違うんだよ」

「なら何故、いつまでもカンディアを手放さない、何故ここでこうしておる。この大陸で、おまえはどれだけの人を殺したのか。何もかも嘘ばかりではないか。そんな調子のいい妄言を吐いて、自分を大きく見せているだけではないか」


 その言い草にかちんと来たが、但馬は努めて熱くなるなと自分に言い聞かせた。立場が変われば、アスタクスにはそういうふうに見えたと言われても仕方ないのかも知れない。


 それに、よくよく考えれば、アスタクスとの戦争が始まったその時、但馬は国政に参加していなかった。帝国軍相手に商売をしていただけの、ただの商人だったのだ。だからその頃の話をされても、アスタクス方伯と帝国がどういうやり取りをしていたのか、詳しいことまではあまり知らなかった。


 調停を行うなら宰相である自分が適任だと思ってここまで来たが、その時の状況を詳しく知っているのは寧ろ大将のウルフである。人選を間違えたかと思ったが、今更後悔しても遅い。なんとかするしかない。


「……そう言えば、初めはカンディアを占拠したことに抗議してきたんだったな。おまえらのは不法占拠だから出て行けと」

「今更何を言っておる。その通りじゃ。こちらにはカンディア男爵がおったからな」

「いいや、だが待てよ。ゲーリック家は、元々ハンス皇帝が当主のはずじゃないか。当主の証である聖遺物(クラウソラス)は、リディア王家にあったんだ。どうしてその……カンディア男爵? が領主づらしていられるんだ」

「そんなの知るか」


 アスタクス方伯は吐き捨てるように言った。


「知らないなら何故手を出したんだ。無責任じゃないか」

「なら何故リディア王はリディアに居たのじゃ。儂は、カンディアにいて、カンディアを統治していた者の救援要請に応えただけじゃ」


 そう言われてしまうと、今度は但馬も黙らざるを得なかった。確かに、あの当時、カンディアには別のゲーリック家が居て、リディア王家は正当なカンディアの領主とは呼べなかった。


「それじゃあ、あんたらは初めからカンディアの占領を抗議していただけだと言いたいのか?」

「それ以外に何がある。何度も使者を送って出て行けと言ったではないか。なのに、一度としてまともに取り合わなかったのは、おまえらの方じゃ」


 ハンス皇帝はゲーリック家の当主として、カンディアの領有を主張していたのだから、そりゃあ何を言われても言うことを聞くわけがなかったろう。こうやって見てみると、方伯は単にゲーリック家のお家騒動に巻き込まれたという恰好なわけだが……


 但馬はブルブルと頭を振った。


「いいや、だが待てよ。そもそも、ゲーリック家のお家騒動が起きたのは、あんたらがコルフにちょっかいをかけたのが原因じゃないか。コルフを利用して、当時のリディアの生命線であった、イオニア海交易を封じようとしてきたから、仕方なく対応したんだぞ」


 カンディアの港を封鎖してリディアを追い込み、挙句の果てに海賊を使って但馬の船を沈めさえした。お陰で大損をぶっこいたからよく覚えている。


 しかし、方伯は眉を顰めると、胡散臭いものでも見るような目つきを隠そうともせずに、


「そんなのは知らん」


 と、にべも無く言ってのけた。


「なっ……ふざけんなよっ!? 俺があの時どれだけ損したと思ってんだ。あんたが海賊をけしかけなかったら、俺たちリディアは別にカンディアのことなんて気にも留めなかったんだ。その時、既に外洋を航行する技術があったんだからな。それを散々挑発した挙句、コルフを乗っ取りまでしたんじゃねえか!」


 但馬が激昂して叫ぶように怒鳴り散らすと、方伯は一瞬だけカッとなって言い返そうとしたようだが、すぐに憮然とした顔に戻ったと思えば、


「だから、それは、一体何の話じゃ?」


 と不機嫌そうにあごひげをいじりながら言った。但馬も馬鹿にされてるのかと思って、再度怒鳴り返そうと思ったが、どうにも様子がおかしいと思い、ぐっと堪えて


「……当時のリディアは土地も資源も乏しくて、イオニア海交易に頼りきりだった。それが交易路を封鎖されたことで、進退窮まり、カンディアを攻めざるを得なくなった。それもこれも、当時のリディアの好景気に嫉妬したコルフを煽り、海賊を使って乗っ取ろうとしたあんたらの仕業じゃなかったのか?」

「……だから、そんなものは知らん。そもそも、イオニア海交易じゃと? そんなものを邪魔して何になる。儂の国がどこにあるか知らぬとは言わせぬぞ」


 但馬はハッとした。


 方伯の本拠地ビテュニアは、大陸のど真ん中、内陸部にある。海にすら面していない。交易は主に、陸路と河川を使っており、今にして思い返してみれば、アスタクスの船籍など、当時のイオニア海では殆ど見かけたことがなかった。


「大体、コルフなんて、あんな何も育たないような土地を手に入れて、何になるのじゃ。お主らは商業的に潤っておると言いたいのじゃろうが、そんなのここ数年たまたま好調なだけではないか」


 これまたそう言われてみればそうとしか言い返せないものだった。イオニア海交易は、確かに今でも好調をキープしているが、それが成立し始めたのは、つい最近、アナスタシアの父親が加硫法を発見した、せいぜい数年前の出来事である。


「そんなもの、気にしたことすら無いわ。調子に乗りおってからに……」

「いや、しかし……それじゃどうしてフリジアに海賊が逃げ込んだんだ?」

「知らぬわ。それこそ裏切り者のフリジア子爵にでも聞けばいい。あいつも儂を頼ってきたくせに、コロッと手のひら返しおってからに……ええいくそ忌々しい」


 但馬が目をパチクリさせていると、二人のやり取りを聞いていたブレイズ将軍も、流石にこれはおかしいと思ったのか、


「ミダース様、もしかしてあのことでは……?」


 そう言って方伯に耳打ちすると、彼はポンと手を叩いて、


「ああ……そう言えば数年前、コルフから来たという亜人の商人に、イオニア海交易に出資しないかと持ちかけられたことがあった。儂は亜人が好かんので断ろうとしたのじゃが、えらく羽振りのいい話に、それに見合う貢物まで差し出してくるものだから、結局乗った覚えがある。その際、必要になるからフリジアの港を貸してくれるよう、頼んでくれと言っておったが……」


 但馬と方伯は、お互いに見つめ合ったまま黙りこくった。


「最初のフリジアでの会戦でボロ負けした後、儂は配下の貴族を多数捕虜にされ、聖遺物まで鹵獲され、屈辱的な条件を飲まざるを得なくなった。正義はこちらにあると信じていたのに苦渋の決断じゃった。それなのに、お主らは南部諸侯を傘下に収め、儂を更に挑発した」

「何度となくそちらに使者を送り、早く賠償金を支払えと言ったはずだ」

「無論、払うつもりじゃったが、額が額で急には無理だと、再三そちらに返事を送ったではないか」

「聞いてないぞ」


 なんだこれは……但馬は頭がこんがらがってきた。状況を整理して始めて分かったが、あり得ないような行き違いが起こっている。だが、それが何故起きたのかが分からない。


 分からないと言えば、こんな状況になって始めて疑問に思うのであるが、そもそもウルフに南部諸侯の独立を入れ知恵したのは誰だ……?


 当時は方伯にプレッシャーを掛けるための最良の策と思っていたが、こうなってくるとこれがネックになっている。


「……カンディアに間者を入れたのはあんただな?」

「そうじゃ。敵国に間者を入れるのは初歩の初歩じゃろう。クーデターまで成功するとは思わなんだが」

「あんたは武器を亜人商人から手に入れたんだな? カンディアの兵站部が操られて、フリジアに武器を横流ししていたのだが、これを組織したのは……?」

「なんじゃそれは。知らぬぞ。儂ではない」


 この話を聞いて、方伯もかなり動揺し始めた。今度は彼が但馬に聞く番だった。


「イオニアが独立を宣言した時、交易は好きにすればいいが、これ以上波風立てるなとカンディアへ使者を送ったが」

「知らない。俺はいきなりアスタクスが侵犯してきたと聞いている」

「儂らはやりあうつもりは殆ど無かった。だから一度撃退されヴェリアの地に篭った時、撤退してやるから、兵を引けと何度も使者を送ったのじゃが」


 それについてはブレイズ将軍が、


「そんなことは一度もありませんでしたぞ。私はミダース様が無理をしてると思って、何を考えているのかと首をひねったくらいで」

「その通りじゃ、儂らは敵地に入り込み過ぎ、糧食に問題を抱えていた。もしも、あの時、カンディアのクーデターが成功しなければ、あとひと月も持たなかったじゃろう」


 そうまでしても方伯の使者を無視し続ける帝国に対し、もはや話し合いなど不可能だと思った彼は、準備万端整えて、再度ヴェリアに砦を築いたわけだが……それをぽっと出の但馬にあっさり破られ、玉砕覚悟で平原へ打って出てみれば、今度はパドゥーラから僧侶がやってきて、見逃してやるからどっか行けと言われたのだ。


 あそこまで屈辱的な敗北は彼は生まれて始めてだったらしく……ひと目、但馬の顔を拝んでやろうと、帝国軍陣地の前までやってきたそうだ。


 ともあれ、ここまで来ると、明らかにお互い見えない力に操られていることに気づかざるを得なかった。方伯は、アナトリア帝国に間者を送り込んでいたと認めている。だが、彼の行った工作以上の結果が出ているところを見ると……もしかして、間者は彼が送ったものだけではないのではなかろうか。


 パッと思いついたのは、亜人商人と言う言葉だった。メディアで但馬が襲われた際、裏で手を引いていたのはコルフの亜人商人だった……


 彼らがコルフの反リディア派を扇動し、カンディアを唆して、リディアを追い詰めていたわけだが……


「……カンディア男爵ってのは今どうしてるんだ? ビテュニアを包囲した際、そんなような人物は見当たらなかった」

「男爵家はフリジアが裏切り、南部諸侯が独立したあと、もはやカンディアを取り戻すことは不可能だと思ったらしく、一族で責任のなすり合いをはじめおった。それで当主がコロコロと変わっておかしなことになってな……儂はしくじった手前、口を挟むわけにもいかず、見ないふりをしていたら、いつの間にか居なくなっていたのじゃ」

「居なくなっただと? それじゃあ、なんでカンディアを返せ返せって言ってたんだよ」

「で、あるからこそじゃ。最後に当主を押し付けられた若造は無一文で外に放り出されて、正直見ていられんかった。姿をくらました後、どこで何をしているかわからぬ。じゃが、カンディアを取り返したらまた戻ってくるかも知れんじゃろう。せめてもの罪滅ぼしと思ったのじゃが……」


 方伯はその青年の姿を思い出しながら、ふぅ~っとため息混じりに言った。


「なんという名前じゃったかのう……そう……ネイサン。ネイサン・ゲーリック」


 体の中の空気が、いっぺんに抜けていくような脱力感が覚えていた。


 但馬ははぁ~……っと、盛大なため息を吐くと、ぐんにゃりと力が抜けていく体をどうにか支えつつ、これまた弛緩するような思考を懸命に働かせた。だが、それは無駄な行為であった。


「殿下! 殿下! 大変でありますっ!」


 突然、城の方から衛兵が走ってきて、但馬たちのやり取りを見ていたシリル殿下の元へと駆け寄っては跪き、


「おお! これはこれはビテュニア選帝侯にあらせられましてはご機嫌麗しゅう」

「危急な事態なのじゃろう。挨拶は良い。申せ」

「はっ! シリル殿下にご報告申し上げます。たった今、北部オクシデント地方にシルミウム軍が侵入。エーリスに布陣したとの報告が入ってまいりました」

「なんじゃとっ!?」


 その報告に大声を上げたのは、シリル殿下ではなくアスタクス方伯だった。


 但馬が何が起きたか分からずに首を捻っていると、ブレイズ将軍が近づいてきて、


「オクシデント地方は天領とされているが、実態は数百年前からのアスタクス・シルミウム間の係争地となっている」

「え、じゃあ……」

「アナトリアとの戦いが劣勢と見るや、シルミウム軍がこれ幸いと兵を差し向けてきたということだ。それにしても、リリィ様と嫡男との婚約を発表したこのタイミングでとは……」

「シルミウム……」


 但馬がそう呟くと同時に、ホールのドアが開いて、中から生バンドの演奏が廊下に響いてきた。


 先ほど他ならぬ但馬が暖めてきたホールの中では、すっかりリラックスムードになった出席者たちが、今ワルツの音に合わせて優雅に舞い踊っている。


 その中心には一際目立つ貴公子が、これまた美しいお姫様をリードしながら、楽しそうに踊っており……


 ダルマチア子爵アウルムは、ドアの隙間から覗く但馬とアスタクス方伯の姿を捉えるや否や、胸にリリィを引き寄せ、にやりとした笑みを浮かべるのだった。


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