OMR再び
男三人で雪見酒と洒落こんでいたら、セックスの匂いをプンプンさせた男女がやってきて、聞いちゃいないのに、なんかごちゃごちゃ言って帰っていった。右から左、耳を素通りして、その内容は殆ど覚えちゃいない。しかし、むしゃくしゃする気分と、白々しい野郎の顔と、雪の白さだけはよく覚えている。
シンシンと降り積もる雪景色の中、後先考えずにグビグビと飲み続けた翌朝は、それはそれは酷い目覚めであった。
但馬はベッドから這い出ると、よろける体を壁で支えながら、ドタドタとトイレに駆け込んだ。平衡感覚が馬鹿になっていて、上を向いてるんだか、下を向いてるんだか分からない状態で、おまるに向かってゲエゲエやっていると、段々目が冷めてきて、今度は頭がキンキンに痛み出すのだった。
こういう時、ブリジットが居ると助かるのだが、残念ながら今は連れにヒーラーすら居ない。取り敢えず手持ちのアスピリンを噛み砕いて飲み込むと、部屋に据え置かれた暖炉に火を入れに向かった。
慣れない手つきでオガクズの火口に火打ち石で火をつけてとやっていると、部屋の寒さが身にしみて、また気分が悪くなってきた。それにしても暖房機器が暖炉しか無いとは、久しぶりに中世の不便さを目の当たりにして閉口する。
おまるでウンコをするのだって何年ぶりだろうか。始めのうちは慣れなくて四苦八苦したものだが、今となっては逆に懐かしく感じるから不思議である。リディアは但馬の登場以来、衛生観念の意識が高くなっていて、すでに水洗便所が普及しだしており、最低でもボットン便所が広まっている。
常夏の国だから暖房なんてものは無いが、エアコンがあるのでそもそも問題にすらならない。火を点ける機器だってマッチがあるし、家庭用コンロは都市ガスが一般に普及している。
道路はアスファルトで固められており、今では鉄道が走っている。内燃機関の開発も始めており、これが上手く行けば、やがて自動車も普及しだすだろう。
技術者の質と物量、そして経済成長はエトルリア全体を相手取っても、もはや引けをとらないはずだ。
改めて考えてみるまでもなく、彼我の技術格差は隔絶しており、こんな国に戦争で勝ったからと言って何の自慢にもならない。だが、それでもやらなきゃならないのだから、人間というものは度し難い生き物である。
アスタクス方伯だって、リディアの好景気が何に起因しているのか、その様子くらいは知っていただろうに、何故こうも執拗にちょっかいをかけてくるのだろうか。多分、知っているのと実際に見るのとでは雲泥の差があり、話で聞いているだけでは、彼は信じられなかったのだろう。人間という生き物は、自分に都合の悪いことは信じたがらない傾向があるのだ。
そんなことを漠然と考えながら、何度も何度も火打ち石を叩くこと数分、ようやく暖炉に火が入った。但馬はキャンプ経験があるからなんとかなったが、普通に暮らしていたらこんなことはまず出来ない。だが、この国の人々はこれが普通なのだ。
「う、う~ん……」
パチパチと火の爆ぜる音を聞きながら、すっかり冷えきってしまった手を温めていると、同室のベッドでグニャグニャになっていたエリックがうめき声を上げた。
「先生……あたま痛い……」
「二日酔いか?」
「いや……なんか……ヤバイ感じ」
暖炉の前から離れたくなかったのだが、本気で死にそうな声を出すので、仕方なくエリックの様子を見に行ってみると、
「うわっ……おまえ、顔真っ赤だぜ。風邪だなこりゃ」
そう言えば、昨晩はオーブンの熱で暖かかったとは言え、雪の中で酒を飲んでいたのだ。おまけにエリックは出来上がってくると、暑いからと言って上着を脱いでいた。体が雪国に慣れていないのだから、そんなことしたら風邪引くぞと再三注意したのであるが、ものの見事に体調を崩してしまったらしい。
アナスタシアが居れば一発で治してくれるのであるが……居ないものは仕方ない。但馬はアスピリンの錠剤を分けてやると、水差しからコップに水を汲んでやった。
「うぅ……すまねえ、先生。俺は動けそうもねえ。今日は一人で行動してくれないか?」
「……本当に役に立たねえ護衛だなあ。エリオスさんが帰ってきたらしばかれるぞ」
「面目ねえ。こんなことなら部屋の中で飲んでりゃ良かった」
「どうかな、この部屋も十分寒いし、油断したらいちころだよ。リディア人にエトルリアの寒さは堪えるのかも知れないね。さて、そんじゃ、ホテルの従業員に薪の面倒だけでも見てもらえるようにチップを渡してくるよ。朝食はどうする?」
「……食えそうもねえし、要らねえ」
皇国領に入ってから、但馬達は領内の一般のホテルに滞在していた。迎賓館はあるのであるが、何しろ調停自体が非公式なので、泊めてもらえなかったのだ。まあ、今更そんなことでケチケチするほど貧乏でもないので黙って居るが、本当に外交使節団なのか疑わしくなってくる。もしかしたら、国をあげて盛大に騙されているだけで、アスタクス方伯は皇国入りすらしてないのではないだろうか……
窓の外を見上げると、昨晩の雪がまだ降り続いている。天気が悪いと、考えることも悪くなる。その辺は後で報告をもらえるはずだから、あまり気にしないでおこうと但馬は思った。
ホテルの従業員にエリックの面倒を頼み、朝食を摂りにレストランへ。
一応、高級ホテルであるから格式張っていてあまり利用したくなかったのだが、こうも天気が悪いと致し方ない。エトルリアはパン食が主流であるが、出てくる食事は皆馴染みのないものばかりで、食べ方がわからないから、あまり目立つようなことはしたくなかったのだ。
取り敢えず、ウェイターに人気のメニューを持ってきてと頼み、周囲の客を盗み見る。左手は不浄だとか、ナイフとフォークで音を立てずに食べろとか言われたら自信が無かったのであるが、他の客は普通にパンを手でちぎって食べたりと、難しいことはしていなかった。格式張っているとは言え、流石にモーニングくらい、そんなに肩のこる食べ方はしないで済みそうである。
しかし、ホッとしたのも束の間、出てきた料理を食べてみても味がしない。もしかして二日酔いで舌が馬鹿になっちゃったのか? と思いきや、バターの塩味はちゃんとするから、多分但馬の気のせいではないようだった。
訂正しよう、味がしないというか、味に深みがないのである。何というか、何を食べても醤油をかけてない豆腐のような味なのだ。あまり考えたくないが、調味料が塩と酢くらしかないのではなかろうか……
リディアは食事に関しては勇者の影響で恵まれていたが、一歩外に出たらこんな世界が広がっていたわけである。思い返せばハリチに居た時、メイドは何を食べても子供のように大喜びだった。こんなメシマズ……上品な味付けしかしない国で育ったからだと考えれば、あのリアクションも頷ける。
昨晩は久しぶりに塩気の効いた肉を食って満足してたが、よく考えて見ればあの肉も塩味しかしなかったような気がする。もし、この国の料理レベルがこの通りであるなら、下手すりゃ軍隊の携行食の方が美味いくらいだ。
こりゃあ、早急に調停を片付けて、リディアに帰らなければやってられないなと思いつつ、但馬は朝食を残し、席を立ってレストランから出た。
その後、エリックの様子をちらっとだけ見て、一人で散歩に出かけた。
シリル殿下は今日はアスタクス方伯と会談をするそうなので、予定は何も入っていない。
時間を潰せるような遊び相手も道具もないし、仕方なく街へ繰り出したが、昨晩からの積雪で足を取られて100メートルも行かないうちに後悔した。昨日は街の人々を見て、リディア人と違ってのんびり歩くなと思ったものだが、今やそれは逆転している。
ともあれ、踏み固められた雪の上を滑らないように慎重に歩きながら、但馬はホテルからほど近い公園へとやってきた。アクロポリスは古都だけあって、こう言う広場があちこちにあった。雪さえ降っていなければ普段は人で賑わうのだろうが、今は誰も居なかった。
但馬が公園の中ほどにあるベンチまで歩いて行き、雪を払って腰を下ろすと、ズボンが水滴を含んでひんやりとした。あまり長居していると痔になりそうだ。
ゼエゼエと息切れする呼吸を整えながら、ぐったりと背もたれに体を預けて空を見上げていると、サクサクと雪を踏む音を立てて何者かが近づいてきた。
「隣いいですか?」
但馬たちに先駆けて潜伏させていたシロッコである。
彼は返事を待たずにベンチに腰掛けると、そっけない口調で語り始めた。
「報告します……アスタクス方伯は昨日アクロポリス入りし、現在、宮殿で皇王夫妻と会談中です。総勢百名近い使節団を組んでるみたいですが、城に入ったのは数名です。その中にはブレイズ将軍の姿もありました」
「ああ、将軍、あっち行っちゃったんだ」
戦争が終わったらまたアスタクス方伯につくと公言してたくらいだから、まあ、仕方ない。願わくば、こちらに便宜を図ってくれるよう動いてくれると助かるのだが。
「それとは別に、各国の首脳クラスが秘密裏にアクロポリスに集まってきてるみたいですね」
「そりゃまたなんで?」
「恐らく、戦後処理関係で裏取引をしてるのだと思われます。どうもアスタクスは相当嫌われているみたいで、議会が招集されてもまず助けてもらえなさそうですね。それを見据えて、議会議員も頻繁に情報交換をしているようですよ」
「みんなで取らぬ狸の皮算用してるのか……他人事だと思って。けどまあ、それじゃ調停では多少強気に出て見るのもいいかもな。おこぼれにありつこうと必死な奴らに粉かけとけば、味方になってくれそうだ」
但馬はふと昨日見かけた男を思い出し、
「そう言えば……昨日、シルミウム方伯の嫡男って言う奴に会ったよ。確か……ダルマチア男爵だったかな。機会さえあればグーで殴りたくなるようなイケメンだった」
「ダルマチア男爵アウルムですか? ……それはまだ把握してませんでした。シルミウムはかなり積極的みたいですね。あちこちで議員に接触してるようです」
「……ヒュライアが偶然を装っていたけど、そういう事なら、わざとかも知れない。あんな場所で都合よく出会うとも思えないしなあ。何を考えてるかわからなかったけど、おこぼれを貰おうとして顔見世に来たのかも」
「調べておきます」
尻が冷える。そろそろ限界だ。但馬は立ち上がると、ぐいっと伸びをした。
「公園で落ち合うのはやめたほうが良いかもな、雪が降ることを考慮してなかった」
「それじゃ、次回は昨晩閣下が行かれたオープンカフェで。三日後でいいですかね」
「……おまえ、俺の行動まで把握してるのね」
恐ろしいやつである。その有能っぷりに舌を巻いていると、ふと思いついて但馬は尋ねてみた。
「ところでさあ、美味い飯屋知らない? ホテルで朝飯食ったんだけど、すげえ不味くて……いやんなっちゃったよ」
「アクロポリス食い倒れマップです」
「……おまえ、マジですげえな」
すっと差し出される手書きの地図を一瞥しながら独りごちると、用はもう済んだとばかりにシロッコは音もなく去っていった。来た時は雪を踏む音がサクサク鳴っていたのに……あれは、わざとだったのだろうか。
但馬はポリポリと後頭部を掻くと、貰ったマップを開き、朝食を食べなおそうかと手頃な店へ足を運んだ。





