父子喧嘩と初日の出
いつもとは違い、人影がすっかり疎らになった大通りを通り過ぎ、鍛冶屋の建ち並ぶ商店街へと戻ってきた。どの家も新年を迎える準備で忙しいのか、そわそわとした気配が感じられたが、外に出歩いている者は見当たらない。
シモンの家の鍛治屋まで来ると、さすがにもう営業時間をとっくに終えて、店の入口は戸締りがされていた。声をかけようと思ったのだが、水車小屋とは違い、商店であるから閂がかけられて中に入れそうにない。
どうしたものかと困っていたら、裏手に続く路地に勝手口があり、中から薄ぼんやりと灯りが漏れている。近づくと轟々と火を焚く音が聞こえてきた。
「シモン、居るか? ちょっと話があんだけど」
と声をかけると、暫く間があってから、
「……入ってきなさい」
と聞き覚えの無い男の声が聞こえてきた。
どうしようか? と一瞬躊躇はしたが、声の主が入って来いと言ってるのだから、それに逆らう理由もない。店の裏手に足を進めると、但馬は勝手口から中に入った。
そこは鍜治場になっていて、中では見知らぬ男がじっと炉の前で火を見つめていた。男の操作するふいごによって火力を増した木炭が赤白く光り、なんとも美しい色に輝いている。男は炉に細長い刀身らしき鉄の棒を入れて、あぶるように上下前後に動かし、やがてそれが熱を帯びて灼熱し出すと、どこかで見たことのあるようなシルエットを浮かびあがらせるのだった。
それはまるで日本刀の刀身のようだった。しかし、真っ直ぐ一直線に伸びていて、まだ日本刀独特の反りがない。
まさかな……と思いつつ、但馬がじっと目を離せないでいると、やがて男は満足したかのような表情を作り、さっと炉から刀身を取り出して、そして間髪入れずに水桶の中にそれを突っ込んだ。
ジュウウウウウ~~~~~~!!!
っと、もの凄い音がして、水蒸気が弾けるように辺り一面に広がった。ふいの暑さと音の大きさにたじろいで、但馬はよろよろ一歩二歩と後ずさった。勝手口の扉に肩がぶつかってキィキィ音を立てた。
男はそんな但馬に見向きもせずに、出来上がった刀身についている泥をそぎ落として、作業場にあったランプに手当たり次第火を入れ、光に翳して出来具合を確かめていた。
そのシルエットは、もう見間違いようもない、日本刀そのものである。
日本刀製作は、玉鋼と呼ばれる材料を叩いて延ばしては折り、叩いて延ばして折ることを繰り返す、鍛造精錬で作られる。その最終工程では、焼入れと呼ばれる灼熱した刀身を急速冷却する作業によって、鋼の性質を変え、鋼を硬くする作業が入る。
また、その焼入れの直前には土置きという、刀身に刃紋を施すための作業が入る。それは粘土や砥石粉などを混ぜて作った土を、文字通り刀身に置いていく(塗る)ことなのであるが……刀身の刃の部分は薄く、背の部分を厚く盛るように塗るので、そのまま熱を加えれば、刃の部分と背の部分とで温度差が生じる。その状態で灼熱した刀身を急速に冷却すると、日本刀独特の反りが生まれると言うわけだ。
もちろん、そんな作業を、この世界の人たちが偶然やってるとは思えず……
「それって、やっぱり勇者考案なんですかね」
と聞くと、男はちらりと但馬のことを目だけで見てから、また集中するように刀身を見つめながら、訥々と答えた。
「今から四半世紀ほど前か。北はとても寒くてね。みんな寄り添いあうように暮らしていたんだが、その頃から勇者様は武器をよくお作りになるようになった。何を考えていたのかは、今思ってもよく分からないが、あのお方は様々な武器を考案なさるが、鍛治仕事となると、これが下手糞で……見るに見かねて、若い衆が手伝うようになったんだ。当時の刀工連中は頭の固い爺さんばっかりで、下手糞の彼のやり方にまるで興味を示さなかったが、俺たち若いのはそんなの気にしないから、彼から色々なことを学んだ。君も……まだ若いようだが、その口なのか?」
「いや……ちょっと勇者に興味があって、色々調べてるんですよ」
「そうか……この国に暮らしてる者なら、そうかも知れないな。これは太刀といって、勇者様が愛用していた刀剣を模したものだ。中々作るのが面倒な武器だから、あまり出回ってはいない」
「ダマスカス鋼……えーっと、独特な波紋の刀剣類も見かけましたが、あれも勇者考案なんすか?」
「ほう……その名前も久々に聞くな。あれを作ってるのは俺の仲間だよ。君の想像通り、外から入ってきた技術だ」
そう言うと、彼はキラキラと輝く刀を水桶の縁に置いた。苦みばしった渋い男だ。恐らくはこの家の主人、シモンの父親だろう。体は彼より一回り小さい感じだが、腕や胴回りは逆に一回りサイズが大きい。
但馬は店にかかっているマスケットのことを思い出し、それについても尋ねようと思ったのだが、
「親父ぃ~……あ、いたいた。お袋がさっさと飯食えって五月蝿くてよ」
但馬の立つ勝手口とは逆方向の、恐らく住居に続く扉からシモンがひょっこりと現れた。
「あれ? 先生? どうしたの、こんな時間に」
彼は但馬に気づくとそう声をかけてきたが、
「……先生? そうか。君が、例の先生か……」
但馬が返事を返すよりも早く、父親のほうが彼の言葉に反応した。但馬はぺこりと頭を下げた。
「息子から話は聞いているが……あまりこのぼんくらを惑わさないでくれないか。今回の騒動は肝を冷やした。一体、君はこの国で何をしようとしているのかね」
しかし彼はそれまでの態度を硬化させ、つっけんどんにそう言うのだった。
「おい、親父やめろよ。恥ずかしいだろ」
「俺たちは移民で立場も弱い。今回はお咎めなく済んだが、次もそうとは限らん。それに近所の目もある。あの日以来、うちは煙たがられて客も寄り付かんのだぞ」
「おいっ! やめろって言ってんだろっ!!」
「それもこれもおまえのせいじゃ無いか! おまえはっ! この国から追い出されたら、俺たちはもう行く場所がないのだぞ。おまえ一人なら勝手にすればいいが、俺たちまで巻き込むなっ!!」
うわ~、ものっ凄く歓迎されてない……
但馬は冷や汗をかきながらも、まあまあと間を取り持つように割って入った。
「すんませんすんません。もう悪さはしないんで、喧嘩はしないでくださいよ」
「今度は一体何をやろうとしているんだね。場合によっては無理矢理にでも止めるぞ」
「親父は関係ないだろ、すっこんでろっ!」
「関係あるから言っているんだろう。どうしておまえはこう……博打みたいな方法ばかり取るんだ。もっと地道に稼ぐということを考えられないのか」
「そんなちんたらやってられないから、こうして頑張ってるんじゃないか。俺のために骨を折ってくれてる先生相手に失礼なこと言うんじゃねえやっ」
「地道の何が悪い。みんなそうやって生きているんだ。あぶく銭ばかり求めているから、いつまでたってもお前はそんなんなんだ。ちゃんと地に足をつけた働き方をしろ」
「偉そうに言いやがって。その結果、てめえの親友の娘があんなことになってても、見てみぬふりなのかよ。そんなのが生きてるって言えんのかっ!!」
シモンが叫ぶように言うと、父親は奥歯をギリギリと噛みしめながら黙った。
もうやめて……但馬のライフはゼロよ……
但馬はおっかなびっくり、二人の間に割り込んで、
「いやもう、ホント。前回ばっかりは俺が悪かったんで、謝りますから。俺のせいで二人が喧嘩しないでくださいよ。お願いします。シモンもここは俺の顔に免じて引いてくれよ、な?」
二人は、フンッとお互いに顔を背けた。やれやれ……と但馬が冷や汗を拭っていると、父親が聞いてきた。
「それで……一体今度は何をしているんだね、二人でコソコソと……」
「コソコソなんてしてねえだろうがっ!」
「わー! わー! やめろよ、シモン。俺が説明するから」
父親と息子と言うのはどうしてこう、どの家も折り合いが悪いんだろうと、内心ハラハラしながら但馬が間に入った。但馬はお爺ちゃんお婆ちゃん子だったので、親子喧嘩というものに非常に弱かったのだ。
そんなことなど露ほども知らず、すぐに突っかかっていこうとするシモンの前に立ちふさがるようにして、彼は言った。
「今度こそ大丈夫ですから、お父さんも安心してくださいよ。今回はですねえ、地道~っに商品開発してますから、間違いありません。それに、なんと言っても依頼主は王様ですよ、王様!」
「君なあ……嘘を吐くなら、もう少しまともな嘘をだね……」
「いや、本当なんですって。監督者として、シモンの上司もついてますし、なんだったら大臣あたりに一筆貰ってきても構いませんよ」
つーか、安請け合いしちゃったけど、ちゃんと書類作ってもらったほうがいいよな。マジで明日にでも貰いに行こうか……
「そうだ、お父さん。良かったら一度、見学にいらしてみてはいかがでしょうかね。既に、いくつか試作品は出来てますし、明日にはまた違うのが出来上がる予定です。怒るなら、それを見てからでも遅くはないですよ? ね?」
「……それで、何を作ってるんだい」
「ああ、まだ言ってませんでしたっけ。紙ですよ。紙」
「カミ? カミってえと……カツラでも作ろうってのかい?」
「髪の話はするなっ!」
反射的にお約束の突っ込みをすると、二人揃ってビクッとなった。やっぱり親子なのかその仕草がそっくりである。
「いや、髪の毛じゃなくって、紙です。羊皮紙の代わりになるものを開発してるんですよ」
「……本当か? シモン」
「ああ、俺は見た。本物だ。今、試作品はアナスタシアが持ってる」
「……アナスタシアが……」
そう呟くと、シモンの父親は急に黙りこくって、じっと何かを考える素振りを見せてから、
「……母さんが呼んでたんだったな。飯のしたく出来たのか……」
「ああ」
「そうか……」
と言って、彼は何の返事もせずに、家の奥へと入っていった。
あら? どうしちゃったんだろ……
と首を捻ってると、トンと肩を押されて勝手口から外へと追い出された。シモンが後から続いて出てきて、何も言わずに表通りへと足を向けた。多分、喧嘩になりかけた手前、一緒には戻りづらいのだろう。但馬は彼に先導されるかのように、後に続いて夜の街へと踏み出した。
「親父とアナスタシアの親父さんは、まあいわゆる幼馴染で、親友同士だったんだよ。北の大陸でも一緒。大陸から逃げてくるときも一緒。所帯持ったのもほぼ一緒。今は違うけど、昔は家も隣同士だったんだ。親父は見ての通り、鍛治屋で、対するアナスタシアの親父さんはなんていうか発明家だったんだ」
それは以前も聞いた。確かゴムの加硫法を発見したのが彼女の父親のはずだった。その他にも色々と手を出して、借金で首が回らなくなったそうだが……
「彼は親父のことを信用してたから、いつも何かを作ろうとなると、必ず親父に発注してたんだよ。パートナーみたいなもんだった。だから、親父は彼がとんでもない借金をこさえているのを知ってたんだ。でも止めなかった……」
博打のようなことはするなと、彼はシモンに言っていた。それは親心だけじゃなくって、彼自身が以前、親友を止めることが出来なかった過去があるからと言うわけか。
「彼女の親父さんが首を括ってるのを、最初に発見したのも親父だった。借金取りは取れるところから取ろうとしてさ、もちろんうちにもやってきたんだけど、関係ないって一点張りで突っぱねた。結局、ジュリアさんや娼婦のみんなが立て替えてくれて……だから親父はそれ以来、水車小屋には一切近づかなくなったんだ」
「そうだったのか」
そうとは知らず、但馬が誘ったものだから、彼は動揺してしまったのだろう。もちろん、無理に来いとは言わないし、大体、彼は今回の件には関係ない。せいぜいシモンの邪魔をしないでくれればいいのだが……
そんなことを考えつつ、二人ともそれ以上はあまり会話を続けることもなく、街を一回りして別れた。
公園に戻ってきても、いつもの屋台のおっちゃんは見当たらなかった。見知らぬ屋台で飲む気にもなれず、但馬はベンチにゴロリと横になって空を見上げた。普段とは違って月が1つしかない、まるで地球の夜空みたいな風景に、何故だか今は懐かしさよりも不安を感じた。
それはこの世界に慣れてきてしまったからだろうか、それとも別の要因だろうか……但馬はギュッと目をつぶった。ホームレスにはうってつけの気候だが、さすがにそろそろ、どこかに腰を落ち着けなきゃな……そんなことを考えながら、その日は眠りに落ちていった。
**************
しかし、結論から言うと、シモンの父親は水車小屋へやってきた。
翌朝、但馬はいつもより早く眠りについたせいか、それとも久しぶりに飲まずに寝た反動からか、とんでもなく早くに目が覚めてしまった。そして一度目が覚めてしまったら、二度寝しようにもまるで寝付けず、仕方なく手持ち無沙汰に起きだして、顔を洗いにダラダラと水場までやってきた。
すると異世界でも初日の出を見る人たちが居たようで、早朝だというのに港へ続く道はそれなりの人出で賑わっていた。屋台のおっさんらも抜かり無く、今日は早朝から温かい食べ物や飲み物を、いつもの公園とは違って港の堤防前で開いていた。
そして、せっかくだから但馬も彼らの列に加わり、埠頭の縁に腰掛けながら初日の出の瞬間を今か今かと待っていたら、偶然にも、昨日会ったばかりのシモンの父親と出くわしたのである。
「あ……新年、明けましておめでとうございます……」
「……おめでとう」
昨日の今日であるからか、彼は少々バツの悪そうな顔をして、ぷいっと目を背けた。なんか滅茶苦茶気まずい……
どうせなら、そのままどこかへ行ってくれればいいのだが、彼はその場から動こうとしなかった。自分の方からどこか行こうにも、それだと避けてるみたいで感じが悪いし……ああ、彼も同じような気分なのだろうかと思い至るも、それが分かったところで、この雰囲気からは逃れられそうも無い。
シモンはどうした。居るんなら助けろよと思ったが、昨日の感じだと、家族みんなで見に来てるなんてことはないだろう。援軍は期待できない……沈黙が流れる中、東の空に太陽が昇り、誰からとも無く拍手が起きた。但馬もヤケクソ気味に拍手をすると、
「それじゃ、そろそろ自分は行きますんで……」
とその場から逃げるように立ち上がった。しかし、
「……昨日言っていたあれは、本当なのかい?」
「え?」
「紙をどうとかと言うのは……」
「ああ、はい……昨日、仕込んでおいたから、ちゃんと出来てるかこれから見に行くところです」
「そうか……」
そう言うとシモンの父親は但馬に続いてのろのろと立ち上がり、
「君は……アナスタシアを助けようと……助けられると思ってるのかい」
助けようとはもちろん思ってるし、助けられればいいなとも思ってる。だが、結局はシモン次第だろうなと考えていた。
紙の開発が成功したらボーナスの金貨1000枚が手に入る。この国の住人の所得は1年間におよそ金貨10~15枚だそうなので、それがいかに破格であるかはわかるだろう。かといって、このボーナスをそっくりそのままシモンに渡すつもりは無い。当たり前だ。こっちだってボランティアじゃないんだし、向こうだって施しを受けようと思って手伝ってくれてるわけじゃないだろう。
それよりも、目的は5年間の専売特許の方で、但馬は自分の代わりにシモンたちを働かせるつもりだった。給与という形で金を渡せば、向こうも立つ瀬があるというものだし、その先払いとして無利子で金を貸してもいい。そして、彼らに働いてもらっている間、但馬は好きにお金を使って、勇者のことを調べる時間も出来るだろう。いいアイディアだ。
「ええ、まあ、そのつもりですけど……」
というわけで、但馬はそう答えた。
すると彼は暫くじっと考え込んでから、最初は言いにくそうに、そのうち何か憑き物でも落ちたかのように、訥々と語り始めた。それは彼の述懐というか、後悔というか、どうしようもない気持ちの吐露だった。但馬は黙って聞いた。
「アナスタシアの父親が死んで、俺は親友の娘だからと彼女を引き取るつもりでいたんだよ。本当だ。だが彼女に莫大な借金が残されたと知って、躊躇した。どうしようも出来なかった。俺には金を稼ぐ術も才能も無かったからだ。コツコツと稼いでどうにかなる額じゃない。幸い、あの水車小屋を使っていた売春婦たちがどうにかしてくれると言ってくれた。それに俺には息子も居る、女房も居る。だから無理だと自分に言い聞かせて、忘れることにしたんだ。
息子にはどうして助けないんだと散々責められたよ。正直、耳が痛くて仕方なかった。だが、それはお前たちを助けるためなんだって誤魔化して、俺は見ない振りを続けた。そしたら、それが本当になってきて、いつか助けようと足掻く息子の方が間違っていると思うようになってしまった。
だから俺は、あいつにコツコツと地道にやるようにと、博打みたいなことはするなと、可能性を摘むようなことばかり言っていた。あいつには出来ないって決め付けて、自分の息子なのにな……いや、自分の息子だからか。
結局、それは自分自身に言い聞かせていただけなんだな」
そう呟くように言う彼の顔に、そろそろ高くなってきた日が差した。彼は眉を顰め顔を背けると、どこか遠くの方を見ながら、
「紙を作るか……もしもそれが本当に出来るというなら、いっちょやってくださいよ。元々、俺に邪魔する資格なんかないんだ。親の贔屓目かも知れないが、あいつは俺と違って骨がある。だから先生。息子のことを、どうかよろしくお願いします」
そう言うと、シモンの父親は深々と頭を下げた。
但馬は大慌てで頭を上げてくれるように頼んだが、聞いてはもらえなかった。通りすがりの人々がジロジロと遠慮会釈無く見ていく。但馬は冷や汗をかきながら、見せもんじゃねえとそれをけん制しつつ、彼の言葉を噛みしめていた。