EVERGREEN
シリル殿下との会談の後、但馬はサンタ・マリア宮殿から辞去した。
去り際殿下に、娘と会っていかないのか? と尋ねられたが、なんとなくアナスタシアと顔を合わせづらく、出直すことにした。
来た時と同じように離宮の裏手の通用門から外に出ると、落ち着いた町並みはそろそろ日が暮れ始めており、建物の間にオレンジ色の夕日が降りようとしていた。
宮殿は街の最も高い場所に建っていて、坂を下れば交差点には夕飯の食材を求めて市場へ向かう主婦たちがごった返しており、彼女らが通り過ぎるたびに夕日がちらついて見えた。
足元には自分の影がどこまでも長く伸びていて、その頭の先っぽの方を見れば、眼下に波の穏やかな内海が覗いていた。その手前には小さな丘があり、更にそのてっぺんには巨大な木が生えている。言わずと知れた世界樹である。
メディアのそれは但馬が燃やしてしまったが、残っていればこんなに壮観だったのかと考えると、なんだかもったいない気がした。まあ、思うだけで、残しておくわけには行かなかったのだから、仕方ないのだが。
エリックとクロノアを引き連れて、その世界樹の方へと足を向けると、背後からクロノアが言った。
「それにしても、アナスタシア様にはお会いしなくても良かったのですか? せっかく、こうして異国の地で再会したのに……殿下もお引き止め下さったのですし、ゆっくりなされたらよろしかったのでは」
クロノアは但馬の後ろに付き従いながらも、度々名残惜しそうに背後を振り返りながら歩いていた。末席とは言え王族に連なる家系だそうだから、サンタ・マリア宮殿には馴染みがあって、懐かしかったのもあるだろう。
「アナスタシア様と何かあったのですか? 妙によそよそしい感じでしたが」
ポロッと口をついて出たと言った感じの言葉が胸に刺さった。クロノアは言った瞬間にハッとしたようで、出すぎた真似をしたと謝罪したが、但馬は返事を返さなかった。
許すも許さないも、特に何かあったわけじゃない。
ただ、口にしづらいモヤモヤしたものが、胸の内にあったのだ。
あの子は人を助けられる子なのに、自分の方はと言えば、いつの間にか人を殺す側に回っている。彼女と会うとそれを実感すると言うか、意識せざるを得ないのが、ちょっと悲しかった。
背後から差す夕日の光が海を赤く染めている。キラキラと反射するその光の絨毯は、一体どこまで続いているのだろうか。いつか一緒に日本を探しに行こうと言ったあの約束を、彼女はまだ覚えているのだろうか。
「それにしてもあの二人、妙に似すぎているよなあ」
エリックが軽い調子で呟いた。多分、空気が重いと察したのだろう。
エリオスに後任を任されたエリックだったが、彼はそう言う空気を読む能力に長けており、彼が居てくれて助かった場面は多々あった。クロノアとシロッコとも当たり前のように仲良くなっていて、今では友達のように接している。
エリックが言ってるのは、アナスタシアとリリィのことであるが……
「そうだな……似すぎている」
「……先生には何か心当たりはないの?」
「ないね。お前の方にはないの? 曲がりなりにも幼なじみだろう」
「幼なじみって言っても、リディアに来てからだしなあ……」
エリックは首を振った。
5年ぶりに再開したリリィはやけにアナスタシアとそっくりになっていた。その事実に、彼女らを知る人々は一様に驚いていたが、誰もその理由はわからない。
但馬はどうかと言えば……やっぱり彼にも理由は分からなかったが、ただ思い当たるフシなら無いこともなかった。
以前聞いた話では、リリィはこのエトルリアの世界樹の最奥へと到達出来る、唯一の人物であるらしい。
そしてアナスタシアの実家かも知れないシホウ家……ティレニアの巫女を世話する家系で、巫女は世界樹で何かをやる存在らしい。詳しいことは分からないが、数十年前、その巫女を連れてシホウ家の当主が逃げてしまった。
ここからは憶測にしか過ぎないが……もし、そのシホウ家の当主と巫女が駆け落ちをして、生まれた子がアナスタシアなのだとしたら……
リリィとアナスタシア、この二人の共通点は“世界樹”ということになる。
眼下に海を見ながらテクテクと坂を下り、今度は世界樹の丘陵へとまた上った。世界樹の周りは高い石壁で囲われており、入り口は大聖堂になっていて、まるでバチカン市国のような趣きを醸し出していた。
笑ってしまうがその大聖堂はサン・ピエトロ大聖堂と言うらしく、エトルリア聖教の本拠地とされているそうだった。リリィの職場であり、アナスタシアが駆け込んだ教会というのもこれのようである。
取り敢えず見学くらい出来ないだろうかと、その聖堂の前にいた警備兵に尋ねてみたが、やはりというべきか、馬鹿なこと言うんじゃないと怒られた。
世界樹は皇国の国家機密で一般人に開放するようなものじゃないそうだ。
確か、エトルリアの世界樹はメディアのものとは違って、聖女が残した兵器工場のような機能があるはずだった。となると、ここは武器庫みたいなものだから、一般人はお断りというのも頷ける。
尤も、その武器庫には謎のセキュリティがかかっているはずだから、普通の人が見学したところで大して問題は起きないだろうが、万が一を考えているのだろう。
その考えが正しいことを示すかのように、右のこめかみをポンと叩いてレーダーマップを表示してみたが、中の警備はザルと言っても良さそうなものだった。これくらいなら、その気になれば忍びこむことも出来るだろうが……
但馬はプルプルと頭を振った。
忍び込んでどうするのだ。今は戦争の終結に向けての大事な局面である。下手な騒ぎを起こして台無しになったら目も当てられない。それに、こんな馬鹿なことを考えるよりも、まずはリリィにでも頼んでみれば良いではないか。案外、簡単に入れてくれるかも知れないのだし。
ぼんやりと世界樹を取り囲む外壁を見上げていたら、空からチラチラと白い礫が舞い降りてきた。夕方になり、なんだか冷えてきたと思ったら、どうやら今夜は雪のようである。
「ううっ……さみぃ~……」
南国育ちのエリックが身をすくめて震え出した。防寒具はしっかり着込んでいるのだが、彼は皇国に入ってから寒い寒いと連呼している。
「こんな吹きっ晒しなとこに居たら風邪ひいちまうな。どっか店に入るか」
交渉はまだ初日であり、膝を突き合わせて詰めるような話もない。会食の誘いも無かったので、今晩は好きな物が食べられるだろう。ホテルに帰れば高級なディナーにでもご馳走に与れるだろうが……このところの従軍生活で味気ないものしか食べてないので、
「なんかこう、ガッツリと肉が食いたい気分だな」
「お、いいね。熱々のステーキを食べながら、キンキンに冷えたエールでも流し込みたいところだ」
「でしたら、あちらの方に良い店が並んでおりますよ」
もと地元民であるクロノアに案内されて飲食街へと向かう。世界樹は一般人立ち入り禁止ではあるが、なんやかんや観光名所でもあるようで、世界樹の丘の裾野には賑やかな歓楽街が広がっていた。
道を挟んで世界樹に近い側には高級レストランが、反対側にはそれよりランクの落ちる飲食店が並んでいるようである。
但馬たちは高級店には目もくれず、道の向かい側の飲み屋ばかりを冷やかして歩いていると、オープンテラスのど真ん中でケバブのような肉を焼いてる店があり、なんとも香ばしい匂いが漂ってきて、ふらふらと足が引っ張られた。
日も暮れて少々肌寒かったが、その肉を焼くオーブンが焚き火のようになっていて、凍えることはなさそうだった。
ならば雪見酒も悪く無い。但馬たちは席に着くと、まずは燃料を入れて暖まろうと、メニューを開く。
注文を取りに来た店員に、取り敢えずビールとお決まりのセリフを言いかけたが、クロノアが何やらカクテルを頼んでるのを見て考えが変わり、但馬もそれに倣うことにした。店員におすすめを聞いてみたところエバーグリーンを勧められた。
しかし、但馬の記憶の中でエバーグリーンとは確かテキーラのカクテルだったが、出てきたそれは見たことのないような代物だった。
「なんじゃこりゃ?」
エバーグリーンと言うくらいだから、ミントやなんやで緑色に色付けするわけだが、今但馬の目の前にあるものはただの緑色ではなく、薄っすらと蛍光色を発しているのである。
オーブンが近いから光の関係だろうか? と思い、手に持ってあちこちにグラスをかざしてみるも、どうやらその光は間違いなくカクテルから発しているもののようである。
流石に蛍光色に光る謎の液体を流しこむ度胸は無く、忙しそうにしている店員を捕まえてこれは何かと訪ねてみたら、
「それは乾燥した世界樹の葉を粉にして、ライムとテキーラでカクテルしたものですよ。滋養強壮に素晴らしくよくて、いくら飲んでも二日酔いしないってのが売りです。しますけどね」
そう言うと店員はにこやかに去っていった。
「はぁ~……なるほど、世界樹の葉が入ってたんだ」
まるで死者でも復活しそうなカクテルだが、それなら蛍光色に発色するのも合点がいった。世界樹の葉というくらいだら、恐らくこの葉っぱにも相当量のマナが含まれているのだろう。それがテキーラのような強い酒に反応しているのだ。
但馬はそれがわかるとカクテルをぐいっと飲み干し、代わりに昼間子供から買い取った世界樹の葉っぱを一枚取り出し、乳鉢で潰してコップの中に入れた。そして、いつも持ち歩いている実験道具からエタノールを取り出し、コップにそっと注いでみると……
初めはフワ~っと広がるように……
そのうち、ボコボコと炭酸が弾けるように……
終いにはドラゴン花火みたいにコップの中から光が溢れだして、あたり一面にキラキラと光が舞い踊った。
その圧倒的な光量に、一時、店先が騒然となったが、他の客は但馬たちのテーブルを一瞥するとすぐに興味を無くして自分たちの会話に戻っていった。店員がやってきて、店内で遊ぶのは遠慮してくださいと言われ、頭を下げる。どうやら、彼らはこの現象に慣れっこのようだった。
「ひゃー! 先生、これは一体なんだい?」
対して馴染みのないエリックは仰天していたが、
「これはマナだよ。ヴェリアの時にちょっと見せただろう。いやしかし……流石にこの反応は驚きだな。流石世界樹といったところか……」
世界樹は多分マナ製造装置としての役割もあるのだろうから、その葉っぱが大量のマナを含んでいても不思議ではなかった。
思えば、この国に入ってからは、コナラや杉、白樺や樫などの落葉樹しか殆ど見かけなかった。但馬の予想が正しければ、落葉樹ではマナが修復出来ないので、やがてこの近辺のマナは尽きるはずだが、それを上回る量のマナを、世界樹が生産してるのならば問題はないだろう。
本当に、都合のいい装置である……間違いなく人為的な仕組みが施されている人工物なのだろうが、聖女がどんな目的でこれを作ったのか俄然興味が湧いてきた。近いうちにもリリィに内部を見せて欲しいと頼んでみよう。
但馬がそんな風に決意を新たにしていると、
「それにしても閣下、こういうことをするなら先に言ってくださいよ。そうしたら私からお教えしましたのに」
「ああ、クロノアもこの現象を知っていたのか。この街出身なんだもんな。悪い悪い。でも閣下はやめてくれよ、一応お忍びなんだからさあ……」
「あら~! 宰相閣下じゃございませんこと!?」
但馬とクロノアがやり取りしていると、それを台無しにする大声が背後からかかった。
周囲の客の視線が一斉に但馬たちのテーブルへと向いた。しかし彼らは、またさっきの客かと言った顔をすると、興味を無くしてまた自分たちの会話に戻っていった。
但馬は引きつった笑みを浮かべながら背後を振り返る。
「げぇ~……ヒュライア!」
関羽に追いかけられた曹操のような声を上げて但馬が絶望するも、
「もう、閣下ったら、いつもそうやって私のことをイジメますのね」
周りに人の目があるからか、いや男の目があるからか、ニコニコと完璧なる淑女の外面を貼り付けながらマルグリット・ヒュライアが返してきた。
あんまり会いたくないやつであるが、なんでここに居るのかと尋ねてみたら、
「調停の際、アナトリア側と折衝が出来るということで、方伯に頼まれて首都に入ったのですわ。ようやく戦争も終わるのですね。私、ホッといたしましたわ」
「人選ミスだな。おまえに何かを言われたら、逆に戦争を継続したくなる」
「酷いですわ。そうやっていつも私のことをからかいになりますのね」
そう言ってシュンと項垂れる様はまるで捨てられた子犬のようで、ギンッとあちこちから鋭い視線が飛んできた。どうやら、周囲にいる男たちを一瞬で味方につけてしまったようである。ある意味、嫌がらせとしてはベストな人選なのかも知れない。
「メグさん! おや……そちらの方は?」
そんな風に但馬とメグがギスギスした会話を繰り広げていたら、道の反対側の高級レストランの方から上等な服に身を包んだ男がやってきた。金髪碧眼、長身痩躯の貴公子然とした男で、幼稚園くらいの女児が落書き帳に描く王子様みたいにキラキラとした瞳と、ダイヤモンドでも削れそうなくらい丈夫そうな歯をしていた。ラーメンとつけ麺の次くらいにはイケメンの、一目いけ好かないやつだった。
どうやらメグはそのレストランから但馬を見つけて駆け寄ってきたらしい。慌てて男がコートを持って追いかけてきて、それを恭しく彼女の肩にかけた。
こいつら、これからセックスするんだろうな……とさして興味なさげに見上げていたら、
「あら、気が利きますわね」
「メグさんのためですから」
「お上手ですこと……そうそう、こちらの方でしたわね。こちらはアナトリア帝国宰相の但馬波瑠閣下でございますわ」
勝手に人のことを紹介しやがった。
たまたまそのセリフが聞こえてしまったらしき店員がギョッとして振り返る。
「ほう! これはこれは……あなたが例の。噂は聞き及んでおります、閣下。私はシルミウム方伯が嫡子、ダルマチア男爵アウルム。あなたには到底及びませんが、これでも商人の端くれです」
「……シルミウム方伯?」
「お恥ずかしながら、いずれ家督を継ぐことになっております。尤も、今はただのすねかじりですので、どうか身分などお気になさらずお付き合いください」
但馬も帝国宰相なのだが……謙遜してるつもりで、自然と見下してるのだろうか。なんにせよ、この男にも身分にもあまり興味が無かったので、適当に話を受け流す。
「貴族じゃなくて商人なんだ?」
「ええ、我が国では貴族よりも商人の方が重んじられております」
「そりゃまたなんで」
「領土がいくらあっても、稼げない貴族は稼げませんから。我が国の冬は長く、春は駆け足で過ぎ去ってしまいます。生き馬の目を抜く商人の世界に飛び込んでこそ、男子は一人前として扱われるのですよ」
「ふーん……実力主義なんだね」
確かシルミウムは北エトルリア大陸にある国で、ここよりももっと寒いわけだ。農作物はあまり育たないから、商売をして稼ぐか、狩猟や漁業で生計を立てるしか無いのだろう。
「昨今、イオニア海から流れてくる交易品は、我が国でも広く扱われており、閣下のご活躍は否が応でも聞こえてまいりますゆえ、その伝説のおかたとこうしてお会いできるとは、なんとも神の粋なはからいを感じますな」
「あ、そう。そうかも」
もちろん、ちっともそんなことは思ってなかったが……
「もしシルミウムへご用向きがあれば、是非私の方にお尋ねください。閣下のためとあらば、勉強させていただきますから」
「商人の勉強ほどあてにならないものはないよ」
「はははっ! 違いありません」
「でもまあ、何か用事があったら、その時はどうぞよろしく」
但馬が手を差し出すと、
「ええ、近いうちにお会いすることになりますよ、きっと」
男爵はその手を握り返しながら、なんとなく含みのある言葉を言って去っていった。商売のことで、何か但馬と接触でも図ろうとしてるのだろうか。ロンバルディアの次はシルミウムとも交易をと考えていたので、悪くない話であるが……それにしても、メグの肩を抱く手が嫌らしい。
「……あいつら、今からセックスすんだろうな」
そんな後ろ姿を眺めていたら、エリックがボソッと呟いた。彼もまた但馬と同じことを考えていたようである。
彼らが去った後、テーブルには白々しい空気が流れていた。せっかくのいい気分が台なしだ。
「飲も飲も、飲み直そう。今日は何でもおごりだからさ」
「ご相伴に預からせていただきます」
いつまでも羨ましそうに二人の背中を追っかけるエリックとは対照的に、ニコニコ顔のクロノアが返してきた。イチャイチャする男女を見たところでも、彼には心に決めた相手がいるから、気持ち的に余裕なのだろうか。
いや、そんなことを言ったら但馬だって彼女持ちなのだ。なのに、なんで負けたような気になるのだろう……
「セックスしてえなあ」
ぼやきながら注文をしようと店員に手を振ると、露骨に嫌そうな目を向けてきた。ホモだとでも思われたのだろうか。
そんなこんなで、気分の悪くなった男たちは、その後閉店までグビグビ呑んだくれた。
雪は勢いを増し、気がつけばあたり一面白く覆われている。雪景色のアクロポリスはしんと静まり返り、オーブンの中からパチパチと爆ぜる焚き木の音だけが、妙に記憶にこびりついていた。