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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
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振り上げた拳の行き先は

「……方伯はまだ見つからないの?」


 帝国軍がビテュニアに到達して3日が過ぎた。決着は未だについていなかった。


 敵国の首都を包囲し勝利を確信した帝国は、それ以上の攻撃はせずに街を封鎖するだけに止めていた。街の中の非戦闘員をむやみに攻撃しても恨みを買うだけで、ろくな事がないだろう。だが、降伏を呼びかけようにも、オリエント郊外で本隊が瓦解した後、方伯の行き先は杳として知れなかった。


 混乱に乗じて街内に入ったというのが有力であったが、その街に呼びかけても何の返事も返ってこない。そうこうしているうちに、散り散りになっていた敵軍が再結集し、各地でパルチザン活動を始めると、帝国はこれを鎮圧するために兵力を出さざるを得なくなった。


 ビテュニアの街は砦が落ちてすぐに城壁の門を閉じ、残った町人たちが頑強な抵抗を見せていた。しかし、その武装は弓や槍という旧式の武器が殆どであり、帝国軍の敵では無いだろう。


 もう方伯のことなど放っておいてビテュニアを占拠すべきかも知れないが、それには多少の問題があった。


 まず第一に、フリジア子爵の息子が人質になっていることである。4年前、方伯を頼った子爵は彼に長男を差し出しているのであるが、その子はまだ返ってきていない。子爵はとっくに息子のことなど諦めていると言っているが、そういうわけにもいかないだろう。


 第二に街を占拠したところで、方伯の出方が分からないところである。もしも方伯がビテュニアを放棄して他の街に遷都し、戦争の継続を宣言したら、帝国はこのビテュニアを維持出来るだけの能力がないのだ。一直線に首都を目指して突き進んできたので、ここは敵地のど真ん中であり、途中の国々では抵抗も予想される。補給のための河川は確保しているが、それも限界がある。


 そして最後に、帝国軍の装備では街を攻めたら、もはやただの虐殺にしかならないことである。そうなった時に兵隊に歯止めが効くかはわからないし、火事場泥棒に略奪や強姦も発生するだろう。


 そんなことをしておいて、この場に駐留し続けることが可能であろうか。そもそも、ビテュニアへ来た帝国軍は、正規軍のほぼ全軍であり、リディアには予備役しか残していない。だからいずれは戻らねばならないのであるが、どれだけの兵力をここへ残せばいいかも分からない。


 郊外で反乱が起こっているように、いつ街の人々が蜂起するかも分からないのだ。長引く戦争のせいで、街の人の帝国に対する感情ははっきり言って最悪である。


 そんな街を維持するコストを考えると、攻撃して恨みを買うのは躊躇(ためら)われた。かと言って、ここまで来て何も得られず帰るというわけにもいかず、方伯を捕まえて何らかの賠償を引き出さないわけにはいかないのであるが……その方伯が行方不明なのだ。


「くそジジイ……ホント、逃げ足だけは天下一品だな」


 但馬はギリギリと奥歯を噛み締めた。恐らく、方伯はそうするのが一番相手の嫌がることだと分かってやっているのだろう。彼は、但馬が最も恐れていた焦土作戦を取ってきたのだ。

 

*******************************

 

 軍議を行った際に、ビテュニアを攻めるかどうかを議論したところ、反応はまちまちで結論は出なかった。特にブレイズ将軍は断固反対であり、但馬もそこまではしたくなかった。


「お言葉ですが帝国軍は甘すぎるのです。我がフリジアを攻めた時も、兵を追い出すだけで街を占領しなかった。方伯はあの時、城壁の外に駐屯地を作った帝国軍を見ているから、今回も大丈夫だと踏んで姿を眩ましているのですよ。一戦もなく退いたら、また方伯軍が息を吹き返し戦争が長引くだけです。街を破壊し、止めを刺すべきです」


 ところが、意外なことにフリジア子爵はその逆で、彼は断固攻撃すべきと主張するいわば主戦派であった。街に息子がいるかも知れないのにも関わらずである……いや、寧ろそうであるからこそ、声高に主張しているのかも知れない。裏切り者の謗りを受けたくないのだ。


 おまけに、彼に同調する意見は殊の外多く、みんな長引く戦争に、いい加減、白黒付けたがっているようであった。


「そんなことをすれば周辺諸国を刺激するだけだ。今はこちらを黙認している皇国も、ロンバルディアもシルミウムも態度を変え、帝国と一戦交える覚悟を決めるだろう。そうなったとき、諸君は本当に帝国と共に歩めると言うのか? 皇国を裏切れるのか? そもそも、帝国は征服者であったのか。もしそうだったとしたら、まず真っ先に征服され姿を消していたのは、我々南部諸侯ではないか。諸君の主張は、自らの首を絞めているだけだ」


 それに対し、ブレイズ将軍を中心とした反対派が反論する。だが、彼らは基本的に方伯寄りとみなされた諸侯たちであったから、軍議では分が悪かった。


 それにしても方伯は殆どの戦で帝国に勝ててないのだが、毎度毎度、負けたとも言い切れない決着を選んでくるのが嫌らしい。


 今回こそはなんとしてでも捕まえたいところだが、かつての腹心であったブレイズ将軍が必死になって投降を促し、街の人々に頭を下げてまで探してくれても、彼の行方は分からないのである。


 おまけに、将軍は街の人々のために必死になって説得を行っているのだが、その街の人達は彼のことを裏切り者だと思っているのだ。街へ行ってはしょんぼりして帰ってくるその姿を見るにつけ、彼の気持ちを理解してやらない人々に憤りを覚えると共に、但馬は胸が苦しくなった。


 ダメ元でヒュライア領へ使者を送り、何か情報がないかと探りを入れても見たが、こちらも徒労に終わった。せめて方伯の行方が分かっていれば、彼女を使って説得も出来るのだが、現状は役立たずである。まあ、あれに借りを作らなくて済んだと思って良しとするしかないのだが……


 そんなこんなで、時は過ぎ……


 ビテュニアへ到着してから一週間が経過した頃、帝国は我慢しきれず、ついにビテュニア攻略を決定することになる。


 ビテュニア周辺に現れるパルチザンの襲撃が激しさを増したこともさることながら、帝国が時間をかけている間に、残党がビテュニア南部ティーバの砦に集結しつつ有り、これも無視することが出来なくなったのだ。


 しかしティーバを攻めるにも兵力が必要であり、ビテュニアを包囲しながらでは、そんな兵力は都合がつかない。結局、ビテュニアを解放するか、攻めるか、どちらかを選ばなくてはなくなり……結果として、帝国軍は首都陥落を急ぐことを選択したのだ。


 軍議は荒れに荒れた。


 ブレイズ将軍が大反対するも、しかし対案はついぞ出ず、彼の離反もやむ無しという状況の中で、多数決で攻撃の判断が下された。


「宰相よ、目を覚ませ! 虐殺者にはなりたくないと言っていたのは、他ならぬ君ではないか!」


 将軍の言葉が突き刺さる。だが、説得したい相手が逃げ隠れしているこの状況では、もう但馬にもどうしようもなかった。


 将軍は軍議が終わると自分の兵を連れてビテュニアの街へと入っていった。帝国が攻めるなら、自分は街を守るために戦うという意思表示だろう。街の人々はここに来てようやく、彼が本気でビテュニアを守ろうとしていることに気づいたようだが、後の祭りであった。


 攻撃の判断は覆らない。


 帝国も、南部諸侯も、もうとっくに堪忍袋の緒が擦り切れてるのだ。


 はっきり言って、但馬だってそんなことはしたくないのだが、他にこれといった選択肢が見つからないのだ。


 ハンスゲーリックの主砲がビテュニアの城壁を向く。


 城壁は重厚で人を寄せ付けなかったが、それでもこの最強の艦砲を前にすれば、石の壁など紙切れ同然であろう。恐らく、一撃で穴が空いて、数発もしないうちに崩れ去るはずだ……


 その時、どれだけの人々が犠牲になるのだろうか……


 ハーグ条約なんてものはない世界だ。戦争犯罪なんて概念も殆ど無いだろう。だが、これからやろうとするのは明らかに無差別砲撃であり、無辜の民が犠牲にならないわけにはいかないだろう。


 但馬は手を振り上げると砲兵に向かって指示を出した。


 彼の副官であるエリックがクラリオンを鳴らそうと口に当てる。


 本当に、これでいいのか……?


 他に方法はなかったろうか……?


 もう考えるな。


 ただ、恨まれるだけだ。


 誰も但馬の責任は問えない。


 だから大丈夫だ。


 最後の最後まで悩む彼が、手を振り下ろそうとした時だった。


「先生! 先生! 待って! 待って!」


 パカラッパカラッと北東の道から馬が駆け寄ってくる音が聞こえる。


 見ればそこにはエトルリア聖教の僧服に甲冑をつけた数十の僧侶が走って来ており、彼らは帝国軍と街の間に入り、攻撃を阻むように立ち止まった。


 そのうちの真っ白な一頭が、帝国軍に真っ直ぐ近づいてきて、本陣の前で双眼鏡を覗き込んでいる但馬の元へと歩み寄ってきた。二人乗りの馬で手綱を握るのは、但馬のよく知る顔だった。


 僧服に身を包んだ黒髪のツインテールがサラサラと風に揺れる。


 どうしてこんなところに彼女が居るのだろうか。それは分からないが、こうしてまた彼の前に立ちはだかるように現れた彼女に、いつか見た光景がフラッシュバックして、但馬はイライラしながら言った。


「アーニャちゃん。どうしてこんなところに居るかしらないけど、邪魔だからそこを退くんだ」

「お願い、話を聞いてほしいの」

「いいや、今度はもう待てないよ。これは俺だけでなく、みんなで散々議論して出した結果なんだ。君に頼まれたからって、俺は言うことを聞くことは出来ないんだ。さあ、分かったらそこを退くんだ」


 但馬はイライラしながらそう言うと、馬上で困惑気味に眉を潜めるアナスタシアの手を引っ張った。


 その眉毛だけが困った表情を見ていると、出会った頃を思い出して、なんだか無性に胸がムカムカした。


 本当は、誰かに止めてもらいたかったのかも知れない。だが、もう止められたところでどうしようもなく、それでも躊躇している自分が居ると考えるのが嫌だったのだ。


 だから但馬は努めて彼女の顔を見ないように、俯きながら彼女の手を引っ張った。彼が引っ張るものだから、馬がバランスを崩してヒヒンと鳴くと、前足を上げて立ち上がり、馬上の二人を振り落とした。


 但馬は咄嗟にアナスタシアの体を抱きかかえようとしたが、その背後に乗っていたもう一人のことをすっかり失念しており、二人分の体重を支えきれずに地面に転がった。


「いたたたたた……これっ!」


 すると、その後ろに乗っていたもう一人がプリプリと怒って、但馬の手をピシャリと叩いた。


「よさぬか痴れ者め。彼女が嫌がっておろう。お主はかような狼藉者じゃったか。暫く見ぬうちに、なんと余裕を失くしたものよのう、勇者よ」


 ツンツンしながら立ち上がると、但馬を放っておいて、アナスタシアの手を引っ張って立たせた。そのブルネットの髪が風に揺れると、二人はまるで姉妹のようにそっくりであり……


 但馬はその姿に思わず息を呑んだ。


 彼女はそんな但馬のことなど見向きもせず、今まさにビテュニアへ侵攻を開始しようとしていた帝国軍に向かって、恐れもせずに言い放った。


「我が名はリリィ・プロスペクター。我が父イエス・キリストとエトルリア聖教教主の名において命じよう。双方とも矛を収めるが良い。この戦、余が預かったぞ」


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