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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第七章
225/398

一撃粉砕

 方伯軍の遅滞攻撃で足止めを食らった格好の帝国軍は、勝ちを重ねて意気揚々と進んでいる気でいたが、実際には方伯の奸計にはまっていた。方伯はこの遅れを利用して、20万という膨大な兵力をじっくりと指揮しながら、帝国軍に気づかれないよう徐々にその包囲を狭めていたのである。


 コリンス手前で方伯軍の包囲に気づいた帝国軍は、慌てて後退をしようとしたが時すでに遅かった。気がつけば帝国軍の背後には、本隊から分離した騎兵部隊が迫っていたのである。方伯はヴェリアの地で帝国軍に煮え湯を飲まされた、騎兵による迂回戦術をそっくりそのまま仕返ししたのだ。


 こうして退路を塞がれた帝国軍は逃げ場を失い万事休したが、まだ装備の面でアドバンテージが残っていた。総司令官であるカンディア公爵ウルフは全軍に川を背にして半円陣形をとるよう指示すると、帝国軍を取り囲むように迫ってきた方伯軍に向けて砲撃を開始した。


 繰り返しになるが帝国軍と方伯軍とでは野戦砲の射程が違う。平地で砲撃戦になった場合、方伯軍の砲撃は帝国軍には届かず、一方的に攻撃をすることが可能なのだ。


 従って、こうして背水の陣を敷いて守っていれば、敵は近づくことも出来ないし、砲撃も当たらないわけである。数に任せて突撃をしてこられても、帝国軍の士気はまだまだ高く、弾薬も十分にあることから、簡単にはやられないだろう。


 そうして膠着状態に持ち込んだ後、ゆっくりと対岸に橋頭堡を築いて、窮地を脱すればいい。誰もがそう考えるだろう……もちろん、方伯もそう考えたのだ。


 帝国が包囲され背水の陣を敷いて数刻、帝国軍右翼から伝令が本陣へと駆け込んできた。


「ご報告します! たった今、ビテュニア方面から大砲を積んだ敵船舶が大挙して押し寄せて来るのを目撃しました! このままでは数刻もしないうちに、本陣背後に到達すると思われます!」


 その報告がなされると、本陣に集まっていた諸侯から動揺の声が漏れた。戦線が比較的落ち着いてきたので、今後の方針を話しあうため諸将は本陣に集まるよう通達があったばかりだったのだ。


 どよめく諸侯の間から、すぐにも砲門を川に向けるべきだと進言が発せられる中、総司令官ウルフは突然、


「……ククククッ……クククッ……アッハッハッハっハ!!」


 と愉快そうに笑い転げると、


「集まってくれた諸侯に、今後の方針を通達する。全軍、敵船舶との交戦開始と同時に右方へ転進、全力で敵左翼を突破せよ。我軍はコリンスを抜き、オリエントまで一直線に進軍する」

「いやしかし、伝令の話ではそれどころでは……?」

「大丈夫だ」


 涙を拭いながらそんなことを言い出すウルフに、集まった諸侯たちが戸惑いながら疑問を呈する。すると彼は苦笑しながらこういうのだった。


「予想通りなのだよ」

「予想通りとは?」

「こうして包囲されることも、大砲を積んだ船が雪崩れ込んでくることも、先刻承知だったということだ。その上で敢えて乗った。だから背中ががら空きなのだ。その理由はすぐに分かるだろう……」


 ウルフの言葉とほぼ同時に、砲兵隊から信号弾が打ち上げられた。それは後方にいる但馬に敵水軍が現れたことを知らせる合図だったのだが、それを知らない方伯軍は敵の行動に警戒し、届かないと分かっていながら砲撃を行い帝国軍を牽制してきた。


 このままだと6倍する敵に圧迫されるか、背後から艦砲を受けて壊滅する。しかし、帝国軍は不気味なほど静まり返っており、射程外の敵には見向きもしなかった。そしてそれは、背後の水軍に対してもである。


 何かあると方伯は踏んだが、しかし流れに乗った水軍をもはや止めることも出来ず、仕方ないから全軍の包囲を狭めて突撃の構えを見せる。


 帝国軍はそれでも冷静さを失わず、近づいてくる方伯軍を妨害するように淡々と砲撃を続けている。背後にはもう間もなく、射程内に水軍が届こうとしている。


 流石にこれはおかしい……方伯が、それを確信し……


 船舶からの砲撃が開始され、帝国軍の最右翼が反応する。


 それとほぼ同時だった。


 突如、ブオオオオオ……っとどこからともなく風切り音がしたかと思うと……


 ドッパアアアアーーーーーーンッッッ!!!


 ……っと、物凄い音とともに、河川から水柱が上がった。


 まるで川の水を綿菓子のように掬い上げ、はるか上空にまで舞い上がった水しぶきは、あっという間にキラキラ輝きながら蒸発すると、雲のように広がり、そして虹を作った。


 しかし、そんな見とれてしまいそうになる美しい光景など見向きもせずに、方伯軍は下流に釘付けになっていた。


 あり得ないものがそこにはあった。


 それは櫂もなく、マストもなく、蒸気の力だけで動く鉄の塊であった。モクモク煙を吐き出しながら、下流から見たことのないような巨大な船が川を遡上してくるのだ。


 いや、見たことはあった。だが、それをこんな場所で見るとは誰も予想だにしていなかった。シャーマンコーストの上陸戦で大暴れをし、方伯軍に街攻めを断念させた戦艦ハンスゲーリックが、まさかこんな内陸部の川の上にプカプカと浮いているのである。


 ハンスゲーリックから第二、第三射が次々と放たれる。


 その最大射程18キロにも及ぶ巨大砲塔から飛び出す砲弾が着水すると、川底が目視できるほどまで水が巻き上げられ、その周辺に漂っていた船は悉くが、あっけなく転覆した。


 直撃を食らったものは一隻もないと言うのに、至近弾を食らっただけで、ほとんど全ての船が姿勢を保ちきれずにひっくり返り、中には真っ二つに折れ曲がっているものさえあった。


 信じられない光景を前に、思考停止状態に陥っていた方伯軍本隊であったが、だがそんな悠長な姿を晒している場合ではなかった。


 ハンスゲーリック艦橋にいた皇帝ブリジットは、敵水軍の無力化を確認すると、その砲門を今度は敵主力に向けたのだ。


 遥か彼方で主砲がこちらを向いたなどとは知りようもない方伯軍が呆然としていると、帝国軍を圧迫するために幾重にも並べたその密集陣形の中へ、猛烈なエネルギーを蓄えた砲撃が飛び込んできた。


 それはあまりにも凄惨な光景であった。


 爆音と共に跡形もなく消え去った人間だったものの肉片が周囲に撒き散らされると、農民兵で構成されていた方伯軍は恐慌状態に陥った。


 将兵がどうにか制御しようと奮戦するも、第二、第三と飛び込んでくる砲撃の前についに抗しきれず、方伯軍は瓦解した。


 雪崩を打って逃げようとする人混みに押しつぶされながら、方伯は苦々しく帝国軍の本隊を睨みつけた。あの異常な落ち着きようは、このことを知っていたからに違いない。その帝国軍は当然のように陣形を整然と立て直し、コリンスに蓋をするように配置した方伯軍の精鋭守備隊へと攻撃を開始していた。


 方伯は罠に嵌めたつもりで、逆に嵌められていたのだ。


挿絵(By みてみん)


*****************************


 方伯はそもそも勘違いしていたのだ。


 今回の帝国とアスタクスの戦闘は、第三回ガラデア平原会戦と呼ばれているが、前回も前々回も水上戦力同士の衝突が無かったせいで、今回も帝国軍にろくな水上戦力が無いと見て、安心しきっていたのだろう。尤も、それは攻守が逆であったからと言う理由に過ぎなかった。


 確かに帝国軍は海戦においては世界最強と呼べたが、河川での戦いとなると馴染みがなかった。また本土リディアが遠すぎて、仮に船を用意したとしても、運んでくるのが難しかった。


 コルフやフリジアから集めれば何とか形だけは整えられるだろうが、旧態然とした戦力をいくらかき集めたところで、地の利のある方伯に勝てるわけがないだろう。水上戦は上流を取った方が圧倒的に有利であり、下流から攻めてもまず上手くいかないのだ。


 例えば、上流から下流を攻めるなら、川の流れが味方をするが、逆なら常に川の流れに抗いながら戦わねばならない。上流は川を堰き止めて下流を脅かすことは出来るが、下流からはそれが出来ない。こんな具合に、河川での戦いは上流を取った側がイニシアチブを持っているのである。


 だから、方伯は帝国軍が川を避けて陸上戦を仕掛けてくると考えた。そして、それを示すかのように、フリジアにはロクな船舶が入港していなかったのだ。ハンスゲーリックを除いて……


 それで水上戦は無いと確信した方伯は、そのアドバンテージをなんとか活かそうと考えた。そして縦深陣を仕掛けることを思いつき、偵察を送って帝国軍の陣容を探ったり、マルグリット・ヒュライアのような人物を送って、但馬から情報を引き出そうとした。


 そして最後に、コリンスをがら空きにしてメッセニアに布陣するという行動に出て、帝国軍に川沿いを通るように強いたのである。


 しかし、考えてもみればおかしな話だろう。


 方伯軍は帝国の6倍はあったが、だからと言って、わざわざ戦力を分散する理由にはならない。フリジアとビテュニアを結ぶ最短ルートはコリンスを通るのだから、方伯は彼の地で全軍で待ち構えておくのが最善のはずだ。そうしておいて、もし帝国軍がメッセニアやティーバへと迂回するルートを取った場合、改めてそちらへ軍を移動すればいいのだ。


 今回の布陣では、もし仮に但馬が翻意してヒュライアを通り、メッセニアを攻めた場合は、当てが外れた方伯は苦戦を強いられていたはずだ。なにせ、装備は圧倒的に帝国側が優位なのだから。


 方伯はある意味、但馬を信用していたのだろう。但馬は若くて自信に満ち溢れており、成功者の常らしく自分の発言にプライドを持っていると。それは確かだろう。但馬は嘘を吐いてまでヒュライアを通ろうとはさらさら考えちゃいなかった。


 だが、残念ながら方伯は根本的に勘違いをしていた。但馬はプライドがあるからヒュライアを避けるのではなく、はじめから最短ルート以外の選択肢を考えていなかったのだ。


 アスタクス方伯との戦争が始まったのはカンディアを併合したのが発端であるから、そろそろ4年近くが経過することになる。特に3年前には第一次フリジア戦役と呼ばれる大戦争が起こっており、その戦後処理のゴタゴタで南部諸侯が相次いで独立した。因みにそれは方伯が賠償金を出し渋ったのが原因だ。


 方伯はガラデア会戦で惨敗すると、尋常でない数に上った人質交換を拒み、戦争の継続を図った。恐らく、国としてまだ若いアナトリア帝国に継戦能力がないと考え、賠償金を踏み倒そうとしたのだろう。その考えは正しかった。


 戦争を続けるためには、帝国は橋頭堡としてフリジアを占拠し続けなければならず、現在のように周囲の協力を得られなければ、いずれ破綻していたのは目に見えていただろう。


 だから、はじめに但馬が方伯が賠償金の支払いを渋っていると聞いた時、彼はいずれビテュニアを攻めることになるかも知れないと考えた。あの頃の帝国はまだ弱く、速戦即決を決めなければ、国が持たなかったのだ。


 つまり、その時から彼はとっくに動き出していたのである。


 何かと言えば、戦艦ハンスゲーリックの建造である。


 但馬は、亡きハンス皇帝に、ハリチ~メディア間の定期航路を開拓するように命じられたとき、すでにスクリューの技術があるにも関わらず、敢えて外輪船を選択した。それは、後にアスタクス方伯と決戦になった場合、喫水の浅い外輪船なら河川に侵入が可能と踏んでのことだった。


 言うまでもなく、河川は上流に行けば行くほど底が浅くなる。船は大型化すればするほど、喫水(水面下に沈む部分)が深くなる。それを避けるためには船底をタライのように平たくすればいいが、スクリューは水中に隠れてなければ効果がないから、どうしてもスクリュー船の喫水は深くなる傾向がある。だが外輪船にはその縛りがない。


 そのため、動力を敵に晒すという危険はあるものの、河川での運航は外輪船の方が適しており、実際、21世紀の世界でも河川や湖の遊覧船などには外輪船が就航している。


 つまり、ハンスゲーリックは、初めからビテュニアを攻めるための決戦兵器として作られていたのだ。


 但馬は、ビテュニアを攻める場合を想定した時、まず真っ先に兵站のことを考えた。


 フリジア~ビテュニア間は300キロほどの距離があり、敵地にこれだけ長い兵站線を作るのは非常に難しかった。もし、陸上を通る場合、どれだけの馬が必要になるか見当もつかないし、その補給部隊は常に襲撃を警戒しなければならないのだ。


 だが、河川を使えるのであれば話は別だ。川に浮かんでる船を攻撃するには川に入らねばならず、おまけに船は馬を使わないのに大量の物資を運べる。そのためには水上権の確保は絶対であり、方伯の水軍との決戦は不可避であると考えていた。


 そのためのハンスゲーリックだったのである。


 尤も、元々は背の低い船に大砲を全方位に向けて積んだ戦列艦のようなものを考えていたのだが、作っているうちに面白くなり、野戦砲の製造技術も上がったことから、限界まで主砲を大きくしたせいで、それ以外に何も置けなくなったという、マーシャル・ネイ級モニター艦のようなロマン溢れる兵器となってしまったのであるが……


挿絵(By みてみん)


 現在、そんなロマン砲であってもこれに対抗できる船舶は地球上に存在せず、そのお陰でこんな無茶苦茶な運用が出来たのである。


 さて……こうしてアスタクス水軍を一掃した帝国軍は、余勢をかってコリンスの敵精兵を打ち破ると、ハンスゲーリックの主砲を恐れて近づけない敵軍を横目にビテュニアへと進軍した。


 帝国軍の勢いは留まるところを知らず、ビテュニア直前、オリエントの砦もその世界最強の砲撃により一撃粉砕し、瓦礫の山と化したところで、それを遠巻きに見ていた方伯軍は瓦解した。


挿絵(By みてみん)


 ビテュニアを守る最後の砦が陥落し、水軍の影ももはやどこにもない。どこからともなく鼓笛隊の演奏が聞こえて、ビテュニアを包囲するために整然と帝国軍が進軍してくると、戦火を避けようとする町の人々が散り散りになって逃げ出していった。


 留まる人々が絶望の眼差しで城門を閉めると、帝国軍は古都の長い長い外周を取り囲んで包囲し、ありったけの大声で勝どきをあげた。


 第二次フリジア戦役は、いよいよ終局を迎えようとしていた。

 

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